第8話 襲いくる影
「おい、今何か変な影が見えなかったか?」
リンボシティの城壁を警備している衛兵が、ふとそんな事をつぶやいた。
隣にいた相方の衛兵も訝しげに、その衛兵に尋ねる。
「何かってなんだ。……まさかアンデットか?」
「うーん、どうだろう。すぐに見えなくなったし、見間違いだったのかなぁ」
「おい、しっかりしろよ。万が一アンデットだったら、どうするんだ」
「すまん、すまん。いやぁ、昨日の騒ぎの疲れが残っているのかも」
そう言って、その衛兵は目をこする。
相方の衛兵はため息をつきながらも、昨日の出来事を振り返る。
森に遊びに行った孤児院の子ども達が、アンデットに襲われたという痛ましい事件だ。
リンボシティの近くの森は、凶暴な獣の類いやアンデットは確認されていない穏やかな環境だった────昨夜の事件があるまでは。
1年半前、アンデットとそれを率いる魔人達が突如として、このワラキアの地に襲来した。
リンボシティ以外にも多くの村や町があったが、アンデットの襲撃によって壊滅してしまった。
そういった難民をリンボシティに匿ったり、村や町の救助として騎士団が派遣されたりした。
だが、ここ最近はそういった襲撃も減少し、リンボシティの周辺もアンデットは目撃されておらず、リンボシティの周辺に限れば安全であった。
────安全であったはずだった。
昨夜の事件でリンボシティの近くまで、アンデットが出現したため、この都市もアンデットがいつ襲撃してもおかしくない状況にある。
リンボシティは城壁に守られている為、そう簡単に壊滅される事はないが、もしアンデットが大量に押し寄せてきたらどうなるか分からない。
いや、アンデットだけならまだいい。
もし、魔人が襲ってきたら────、その時は誰も生き残れないだろう。
相方の衛兵はハッと我に返るとネガティブなな思考を振り払うために、頭を左右に振る。
そんな先の事を考えて不安になってもしょうがない。
「まぁ、何か見たっていうなら、念のため他の衛兵達にも伝えておくぞ」
「そうだな。そうしておくと助か────」
こちらを振り向いた衛兵の顔がみるみる青ざめていく。
目は見開いており金縛りにあったかのようだ。
「お、おい。どうしたんだ」
「うう、う、上……に」
相方の衛兵はすぐさま上を見上げた。
そこには蝙蝠のように、上下逆さまに天井にぶら下がっている獅子頭のアンデットがいた。
アンデットはニヤリと口元を歪ませる。
「おやおや、見つかってしまいましたか。振り向かなければ、苦痛なく殺してさしあげましたのに」
蝙蝠の翼に獅子の頭という醜悪な外見に似合わぬ丁寧な口調。
そのアンバランスさが目の前のアンデットの異様さを引き立てていた。
相対する二人の衛兵はとっさに身構える。
「い、いつの間に……」
「その姿、セカンド級か!」
セカンド級のアンデットは、違う違うと言いたげに人差し指を左右に振る。
「セカンド? その呼び方は適切ではありませんね。私にはノーフという立派な名前があるのですから」
「知るか! そんな事!」
「おや、野蛮ですね……。そんな方々にはこうしましよう」
ノーフの手の平がピッと裂け、裂けた傷口から黒い血が噴き出し、噴き出した血は球状となり宙に浮かんだ。
「ブラッディスフィア!」
ノーフは球状になった黒い血を衛兵二人に向かって勢いよく投げつけた。
相方の衛兵は咄嗟に前に転がってかわしたが、もう一人の衛兵は避けきれずにノーフの攻撃をもろに受けてしまい、全身が黒い血に染まった。
「な、なんだっ!?」
「ふふ、もうあなたは助かりませんね」
ノーフが床に降り立って、言い放つ。
直後、黒い血に染まった衛兵の体が声をあげる暇もなく、爆ぜた。
周囲の床、壁、天井に衛兵だったものの肉片や血液が飛び散る。
「嘘だろ……!? こんな呆気なく……?」
「次はあなたの番ですよ」
ノーフが残った衛兵を指差す。
自分一人では勝てない、そう判断した衛兵は逃走を試みる。
だが、そう簡単に上手くいく相手ではない。
逃げようとする衛兵の前に、ノーフが素早く立ちふさがる。
そのまま衛兵の頭部を右手で掴み、持ち上げる。
「ぐっ……。離せぇ……!」
「爆ぜなさい」
衛兵の口を無理やりこじ開け、左手から衛兵の口に黒い血を注ぎ込む。
「う、ううう! ぐうううう!」
目を大きく見開かせ、足をジタバタさせ抵抗するも無意味だ。
瞬間、体の内側から衛兵は爆発四散した。
ノーフに血の雨が降りそそぐ。
頰についた血をペロリと舐める。
「ああ……。私とした事がもっと静かに殺す予定だったのに。……まぁ、いいでしょう。騒ぎになろうとも輝きの子を手に入れてしまえば、それで済む話」
ノーフはそう呟くと血に染まった床を歩きだした。
「団長、今の爆発音は何ですか!?」
アニーは騎士団の団長であるサリーに詰めよっていた。
会議も終わり帰宅の準備をしていた彼女は、突然城壁の方から鳴り響いた爆発音に驚き、急いで現場に駆けつけてきたのだった。
現場には同じく爆発音を聞きつけて集まったであろう衛兵や都市の住人達が大勢いた。
その中にはサリーやクレティアの姿もあった。
サリーはアニーに気づくと、深刻な面持ちで呟く。
「あぁ、アニーちゃんか。俺もクレティアちゃんもでかい爆発音が鳴り響いたんで、ここに来たんだ。詳しい状況は不明だが……、あれを見てみな」
サリーは城壁を指差した。
アニーも彼の指し示す方向へと目を向ける。
城壁にはいくも穴が空いており、そこから煙が立ち上っていた。
その光景を見て、アニーは愕然とする。
「これって……」
「あぁ、誰がやったかまでは分らないが、これだけは言える。襲撃だ。」
「もしかして……、アンデットですか!?」
「その可能性はあるな。ていうか、それで間違いないだろうな」
「でも、どうやって城壁に侵入を……? 警備もされていたのに」
アニーの疑問をかき消すように、ひときわ大きい爆発音が鳴り響き、城壁がふっとんだ。
瓦礫が辺り一面に飛び散り、城壁に大きな横穴ができた。
集まっていた群衆からも悲鳴が上がった。
アニーは今起きている事が受け入れらないほど、動揺していた。
恐れていた事が起きてしまった。
「ふ、二人とも見てください。何かでできます!」
クレティアは慌てて指を指す。
城壁に空いた横穴から、爆発による煙が立ち上っている。
その煙の中から、煙を引き裂くようにして異形の人型が現れた。
蝙蝠のような翼に獅子の頭を持つアンデットだ。
その姿を見た群衆から恐怖と不安の混じった悲鳴が飛び交った。
アニーは目を見開いて、呟く。
「アンデット……。それもセカンド級の……!」
怯える群衆を尻目にアンデットは翼を広げ、
群衆の頭上を通り過ぎていく。
まるでどこか目的地があるかのように。
「どこへ向かう気だ!?」
「団長! あの方角には……、孤児院が!」
アンデットの向かった先には、リンボシティ唯一の孤児院がある。
そこには多くの子供達だけでなく、ベルも暮らしている。
「ベル……!」
もしあのアンデッドが孤児院を目指しているのなら、ベルに危機が迫っている事になる。
その事を憂い、アニーは唇を噛みしめる。
サリーはすぐさま指示をだす。
「アニー、クレティア! 俺たちはあのアンデットを追うぞ! このまま野放しにはできねぇ!」
普段は自分より年下の女性には、「ちゃん」付けで呼ぶ軽薄なサリーもこの時は違った。
それだけ事態は深刻であることを示していた。
アニーは腰のホルスターからディペラートを取り出し、アンプルをセットする。
これで戦闘準備は整った。
いつでも戦える。
「他の衛兵達はまだ城壁にいる負傷者の救助を頼む!」
「りょ、了解しました!」
「アニー、クレティア行くぞ!」
「はい!」
アニー達はアンデットを追って、騒然となるリンボシティへと駆け出した。
場所は変わり、ここはポリティーエ孤児院。
住宅街から少し離れた場所にあるリンボシティ唯一の孤児院である。
孤児院の子ども達はみな寝静まっており、職員の大人達が数人起きているぐらいで、院内は
静寂だった。
その静寂の中でベル・ポリティーエは、一人パチリと目を開けた。
先ほどまで夢の世界に旅立っていた彼女だが、何か恐ろしいものが迫っている気がして目が覚めてしまったのだ。
体を抱くようにして腕を組むと、かすかに震えていた。
ベル自身も上手く言葉にできないが、何か自分の内側から「今すぐ逃げろ」と訴えかけられているような気がした。
なぜこんなざわざわとした気持ちになるのか、ベル自身にも分からない。
分からないといえば、昨日出会ったばかりの少年────有木 詩朗の事もだ。
頼りなさそうな見た目だけど、それでもベルを助けるために必死になって守ってくれた少年。
そして、魔人へと変身しアンデットを打ち倒した少年。
彼は一体、何者だろうか。
一部の人達は魔人側のスパイだろうと疑っているらしいが、あんなに必死にベルを守ってくれたのだ。
そんな少年がスパイな訳がない。
今日、詩朗に会った時には案外元気そうだったが、きっと寂しくて不安で何も分からないはずなのだ。
ベルもそうだったから。
ベルは目を閉じてアニーと出会ったばかりの事を思い出す。
初めてここに来た時は記憶がないせいで自分が誰なのか、どこから来たのか何も分からなくて、周りの人と仲良くなる術も知らなくて、不安でいっぱいだった。
そんな時、アニーが「友達になろう」と言ってくれたのだ。
(トモダチ? それって? )
(────友達っていうのはね、楽しい時や嬉しい時、悩んでいる時や寂しい時を分かち合える関係の事よ。……ベルとそんな関係になれたら、素敵だなと思って)
アニーは照れをごまかしたいのか、銀色の髪をかきあげながらベルに話した。
(記憶がなくて大変だと思うけど……、だからこそ不安な事があったら、何でも話してほしい。私はあなたの味方だから)
アニーはベルの瞳をしっかりと見据えて、力強く告げた。
そう告げられた瞬間、ベルの胸の奥底から何かじんと暖かいものが、体全体に広がっていくのを感じた。
これが嬉しいという気持ちなのだろうか。
記憶のないベルには断言できなかった。
だが、悪い気分ではない。
ベルは、にっと笑って快く承諾した。
(いいよ! なろう、友達に!)
(……ありがとう)
ベルが笑顔につられたのか、アニーも微笑む。
ベルに初めての友達ができた瞬間だった────。
ベルはそっと目を開けて、思い出から現実へと帰る。
アニーが居てくれたからこそ、孤児院の子ども達や先生とも仲良くなれた。
そういう経験があったからこそ、アニーがベルに友達になってくれたように、ベルも詩朗の友達になろうと決心した。
詩朗が居なければ、今ここに自分はいないのだから。
例え周りの人達が詩朗を悪く言おうとも、ベルは詩朗の味方でいようと決意したのだ。
ベッドから降りて、窓に近づく。
窓からは微かな月明かりが射し、その月明かりに照らされて、ベルの金色の髪が輝いているように見えた。
「…………」
胸の辺りできゅっと掴むように、拳を握る。
胸の奥底から湧き上がるざわざわとした嫌な気持ちは治るどころか、風船のように大きく膨らんでいた。
何かがこっちに向かってくる。
みんな早くここから逃げなくては────。
ベルは意を決して部屋から出て、他の子供達が寝ている個室のドアを片っ端からノックしていく。
「みんなー、起きてー! 今すぐここから逃げないと大変な事になるの!」
大声を出していたので、すぐに孤児院の先生が階段を登ってきた。
「どうしたのですか、大声を出して。もう消灯時間は過ぎていますよ? みんなの迷惑になるからやめなさい」
「あっ、アン先生……。みんなここから逃げないと……。何かがこっちに向かってきているの!」
「……怖い夢でも見たのね。昨夜あんな事があったから、無理もないけど……。こういう事は……」
「違うの! 」
ベルと先生が言い合いしてるうちに、個室から子ども達がぞろぞろと起きてきた。
瞼をこすっていたり、急に起こされて不機嫌だったり様々だ。
ベルはくるりと子ども達の方を向いて、訴えかける。
「みんな、聞いて!ここから逃げないと大変な事に────」
ベルが言い終わらない内に、はっとして天井の方を見る。
「みんな、早くここから離れて!」
困惑するみんなを階段の方に誘導するベル。
「ちょっと、ベル。何かあったら警報がなるはずよ。いい加減に……」
教員のアンが再び注意をしようとしたその時だった。
突如天井が吹き飛ばされ、その勢いで全員が吹き飛んだ。
痛みをこらえながらベルが顔をあげると、そこには異形のアンデットがいた。
そのアンデットはベルを見つけると、ニヤリと口角をあげ、呟いた。
「見つけましたよ、輝きの子よ」




