前奏曲
「うへぇ……」
自室にて。帰って来て早々目に入った机の上の便箋に、自分でもよく分からない声が漏れた。
……とりあえず下った裁定は着替え。一旦無視を決め込んで荷物をいつもの場所に放り投げると、着慣れた部屋着に身を包む。
それから夕食と湯浴みの準備。長い髪を頭の後ろで纏め上げてありあわせの献立を机の上に並べる。目端に否応なく映った便箋はまだ無視。
溜息と共に腰を下ろして一人寂しく食事を始める。傍らの相棒は持ち帰った仕事の書類。なんで帰るときになってこんなものを渡してくるのだろうかと心中ぼやきながら目を通していく。あ、誤字発見。
静かな室内にはこれといって時間を潰すものはない。大半は仕事関係で、僅かにある個人の空間には積み重なったお気に入りの本。湯浴みから戻ったらまた読み返そうかと。
そろそろ今月分の給金も出る。前に目星をつけていた服を今度の休みにでも買いにでも行くとしようか……。
考えつつ食べ終えた食器を片付け、その足取りのまま湯浴みの為に外へ。
街行く人々の熱気に、今日という一日を肌で感じながら公衆浴場へ。別段語ることも無く綺麗さっぱり疲れを癒し再び家へと戻る。夜風が気持ちいい。
扉を開け、厳然とそこにある便箋。白く四角いその連絡物は、封に天秤の両端が皿の代わりに杯になった刻印。
誰からの届け物かなんて、その文様で帰ってきた時に気付いていた。
だからこそ手に取るのが嫌で……けれど避けることの出来ない内容なのだと。
「……あぁ、もうっ! 折角の休日の予定が……!」
一人嘆いたところで声を返す者は居ない。残念ながら一人身。世界の伴侶たる妖精という共感者も居ない。それにだって色々理由はあるけれども、最たる物はその便箋だと。
少しだけ睨んで、それから諦めたように封を切る。中から取り出したのは手紙が一枚。文面は妖精古語で簡潔な一文。だったら手紙じゃなくて別の方法でいいだろうにと……。
言ったところで届かない悪態に、行き場のない思いを持て余して。結果手に持った紙切れを何度も千切り部屋の隅のごみ箱へと叩き込む。
「………………はぁぁ……」
一体何をしているのだろうかと。余り人には見せたことのない短気な自分に少しだけ落ち着いて、それから気持ちを入れ替える。
仕方ないことだ。見過ごせない用件だ。具体的には何があるのか知らないけれど、彼女の呼び出しなら応じるほかない。
彼女は意味のない事をしないから。……前回有名店のお菓子を届けに行っただけなのもきっと意味のあることだと信じてるから…………。
今回こそはそれが確かな役目なのだと信じて、何度目か分からない嘘を自分に吐く。
それもこれも全部、生まれの所為なのだと。
両親を恨むわけではないけれど。縛られたこの身を悲劇の主人公で着飾って、いつか助けに来るはずの英雄に思いを馳せる。
女の子らしいお姫様願望。……夢見がちな子供? 勝手に言ってればいいよっ。これは絶対に叶えて見せるから!
誰かに対して宣戦布告をしながら準備を始めて。
「あ、休暇の許可貰わないと…………」
目先の面倒事に肩を落とした仕草には、微かに濡れた長い髪の一房が揺れて宙を掻いたのだった。




