第四章
「先輩にしては随分な大冒険ですね」
「別に語るほどではないがな。名のある家に生まれればいつかは経験するだろう定めだ」
彼にしてみればその通りなのだろう。
ブラキウムの家に限らず、コルヌだって、クー・シーだってブランデンブルクにそれぞれの形で奉公する家だ。
そこに生まれた彼らたちは、その中で親や国の期待というものを僅かにでも背負うことにはなる。
それが早いか遅いかの違い。ヴォルフの場合はそれを巻き込んで利用するようにクラウスの問題へ繋げただけだ。
「それで、話の最後に出てきた女生徒にはもう挨拶をしたんですか?」
「……関係のない事だ。違うか?」
「そうですね」
からかいの視線には目に見えて反応はない。少しだけ寂しく思いつつ、後でレベッカにでも鎌を掛けて見ようかと頭の片隅に留めておく。
「そう言えばレベッカさんはどうしてますか?」
「レベッカなら問題なく学院に通っている。トーアに在籍中で、今は生徒会の書記だ。クラウスの同級だな」
「やめてくださいよ。寝ていたんですから仕方ないでしょう?」
口にした疑問に返った現実に唸る。
当然といえばそうだが、クラウスは二年眠っていたのだ。フィーレストは進級の仕組みが特殊な為、別に授業を受けなくとも問答無用で退学になったりはしない。前例は少ないが、個人の理由でハウズのまま卒業する生徒も中にはいる。
フィーレストの進級は自主性を重んじるものだ。例え授業を受け、座学の試験を通ったとしても、本人が進級しないと言えばその級に留まる事も出来るのだ。
逆に言えば、その気が無ければいくら実力があっても勝手に進級したりもしない。
だから例えば、その級に留まる事を良しとし、一度授業を受けたからと休学扱いで学院の授業に出席しない生徒もいるわけで。大抵そういう生徒はヴォルフのようにハーフェンで二年を過ごし、二年目を将来の為に役立てたりするのだが。
そんな事情の上に、クラウスは二年間眠っていて。きっとアンネやエルゼの計らいで休学扱いになっていたのだろう。だから試験を受ける事も出来なければ進級をすることもなく、結果今でもクラウスはトーア級のままということだ。
アンネから聞いたが、もう目の前には卒業式が控えている。あの日から言えば三度目の卒業式……つまりニーナ、ヴォルフの次の代である、クラウスとテオ、ユーリアにアンネ、イーリスやマルクスといった、よく知る面子の卒業式の年というわけだ。
流石に卒業式を迎える生徒達が進級試験を受ける事はできない為、例えクラウスが卒業式に出たとしても、学歴としての最終的な肩書きはトーアのままという事になる。
「にしても生徒会ですか。書記って事は先輩と同じですね? 偶然でしょうか?」
「……言うな」
仕返しに意地悪に問えば、顔を逸らすヴォルフ。
そんな彼に笑って、それから脳裏を掠める記憶に想像を馳せる。
アンネとイーリスで思い出したが、彼女達の妹と弟。イーリスの方は名前までを聞いてはいないが、アンネの妹であるティアナは今年入学だったのだろう。
記憶では繋がっていなかったが、仲のいい二人の下の子達が同学年。姉がフィーレストに通っていて国唯一の国立なのだから、妖精憑きであるならばきっと受けたのだろう。二人は学院に入れたのだろうかと。だとすれば可愛い後輩になるのだが……。
そんな事を考えていると話題から逃げるようにヴォルフが問うて来る。
「……それで、まだ聞くか?」
「そうですね……後学の為に、カリーナでの暮らしも聞いてみたいです」
「そこまで特別語るようなことはないのだがな」
少し悩むように零すヴォルフ。彼の事だそこまで目立った問題に巻き込まれる事もなく、平穏な日々を過ごしたのだろう。
けれど平穏だからこそ、その中にあるカリーナでの日常に興味もわく。
「これまでの話で考えさせられる話もありますから。その心の整理の為に時間が欲しいんです。特に無いのであれば旅行の土産話として聞かせてください。僕だって平穏な四方山話を聞きたい時もあります」
「そこまで言うのならば話すが、後からつまらないなどと文句を言うなよ?」
「大丈夫です。今までの話も十分面白かったですから。視点が変われば同じ話でも別のものが見えてくる。それにカリーナでの事は先輩しか知りませんから」
困ったような溜め息に笑えば、彼も僅かに口角を持ち上げる。先ほどまで彼の話を聞いていた時も思ったが、二年前と比べて大人な雰囲気の増した彼は、同時によく感情が顔に出るようになったと。今の彼の方がクラウスとしても話をしやすくて助かる。
「分かった。ならもう少し付き合ってもらおうか。夜想曲のように情緒溢れる話ではないが、長い夜を想って今しばらく綴るとしよう」
* * *
カリーナに着いて双子の少女、ピスとケスに連れられて案内されたのは大きな屋敷。ブラキウムはもちろん、コルヌよりも立派な構えの家は、玄関から入っただけで沢山の使用人が出迎えをする。
そこらでようやく土地勘の無いヴォルフにもここが誰の居館なのかを知る。
同時、大きな扉を叩く少女。今更ながらに気付けば、彼女達の服装が先ほど見た使用人のそれと似通っている事に気付く。
「ブランデンブルク王国よりの特使、ヴォルフ・ブラキウム殿が参られました」
「あぁ、通してくれっ」
声に内より返ったのは溌剌とした響き。少ししわがれた、けれど衰えを感じさせない音に背筋が伸びる。
あぁ、そうだ。ここまでくれば誰でも分かる。そしてヴォルフが今誰の家に居るのかを知って、最敬意を持って振舞う。
重々しく開かれた扉。広い書斎の中で木製の机に向かうのは男性。直接目を見るわけには行かない目上の存在感に喉の奥が詰まるのを感じる。
まるで操り人形のようにピスとケスに連れられて謁見し、膝を折れば上から声が掛けられた。
「苦しくない。面を上げろ、我が友の庇護を受けし者よ」
「……お初にお目にかかります。ヴォルフ・ブラキウムです。お会い出来て光栄です、コルヴァズ大統領陛下」
グンター・コルヴァズ。ここカリーナ共和国の暫定的な君主であり、ブランデンブルク国王、ヒルデベルトとは先の大戦からの関係を持つ人物だ。
共和国であるから、ヒルデベルトのように格式張った君主ではないが、民より選ばれた有事の際に国を治め導く者。その意味合いは国王とほぼ変わらない。
赤茶色の頭髪に紺碧の瞳。顎を覆う総やかな髭が威厳を齎す、快活にして豪快な人物だと聞いている。
そんなヴォルフの想像を現実にするように、こちらを見る彼の瞳から固い色が消える。
「堅苦しいのはなしだ。我が友の知己ならば我の友人でもあろう。肩肘を張らなくともよい。好きな格好で寛いでくれ」
「……………………」
飛び出たのは大らかというには随分と突出した申し出。とは言え流石に客として来ていて、ヴォルフはヴォルフだ。言われたからといって傍若無人に振舞う事はできない性格。もしクラウスならば軽口の一つでも吐いて順応したのだろうと、彼の軽薄さに言葉にならない感情を募らせる。
そんな風に考えながら黙り込んだヴォルフに、グンターが言葉を告ぐ。
「まぁよい。君がそれでいいというならそのままで構わない。君主らしくないと幻滅でもしたか? だとしたらその不満は我が国民に訴えてくれたまえ。その際は手厚く歓迎してあげよう」
一体どんな顔をしていればいいのだろうか。想像の遥か先を行く物言いに少しだけ戸惑っていると、いつの間にか隣を離れたピスとケスが彼の両隣に控えていた。二人の頭を撫でながらグンターが零す。
「この子達は私の孫だ。次男坊のだがな。どうだ、可愛いだろう?」
「……聡明そうなお顔つきでとても美しく思います。王孫殿下におかれましても拝謁賜り光栄の至りです」
咄嗟に出た堅苦しい言い回しは、ヴォルフがブラキウムやコルヌの関係でより国に近い人物と会う機会が多かったからだろうか。それとも単に緊張しているだけかもしれない。
それによく考えればだ。知らなかったとはいえグンターの直系の孫娘に案内されてここまでやってきたのだ。
下手をすれば不敬だと罰せられても仕方の無い振る舞い。彼女達を使用人だと疑わなかったヴォルフの落ち度。もちろん疑うなんて、そんな事ですら無礼に当たるのだろうが。
「王孫……あぁ、そういう事になるのか。何か似た言葉を最近来た覚えがあるのだが……」
「衝羽根草の別名。目にしたのは昨日抜け出した時?」
「あぁ、そうだ。庭園に寄った時だったな」
「お爺様、お仕事……」
ヴォルフの存在を忘れたように交わされる言葉に呆気に取られていると、頭の左で一房に纏めた双子の片割れ……記憶が正しければケスという少女が呆れたように諌める。
そんな少女の言葉に思い出したようにこちらへ向き直るグンター。ここで出でようやく彼の人となりを把握できてきたヴォルフも冷静さを取り戻す。
民より選ばれた君主で、ブランデンブルクのように長年血筋で国を治めてきた王とは違う。代が変われば別人が国を導き、例え元国王の息子といえど次に指名されるとは限らない特殊な統治体系。
そんな風に選ばれた人物なのだから、肩書きにこだわる者ばかりがなるわけではないし、彼のように型破りな者が就く場合もあるのだろう。
それにしたって規格外すぎるというか、国王然とした振る舞いをあまり見られないからこちらの調子が崩されるのだと。
グンターはきっと、そういった形式に囚われない性格の持ち主だ。快活だと言われているのも、恐らくは自由なだけ。きっと彼自身も、自分がこの国を治める者であるという自覚が小さいのだろう。
もちろん正式な場では別だろうが、共和国としての体裁と他国との協調を図る上で設えられた椅子。いわば殆ど実態をなさない飾りの君主。それがグンター・コルヴァズなのだろう。
そんな奔放な彼と、クラウスに期待をしてしまうほど野心家なヒルデベルトの仲がいいのも、彼らだって人の子だという点で見れば頷ける話なのかもしれない。
それから、一括りにしてしまうと少し問題があるかもしれないが、ピスとケスもその血を引く少女だ。あの周りさえ乱しそうな崩れない彼女達の調子もまた、疑わない奔放さの証だろう。
納得を生み出すのと同時、グンターが告げる。
「悪いな……長くこの椅子に座っているが、未だに国の主などという実感が無いものでよく周りに諌められて気付くのだ。だから我輩ももう諦めて自分通りに振舞う事にしたのだ。君さえよければ身分なんて堅苦しい柵は忘れて振舞って欲しい。その方が君を預かるこちらも安心する。あやつに借りなど作りたくないからな」
「…………本当によろしいのですか?」
「任せる。君が許せなければそのままでも構わないがね」
「……………………分かりました」
「それからこの子達にも気を遣うな。彼女達もそういうこととは無縁なのだ。今だってやってみたいからというから使用人の真似事もさせている。君がこちらに居る間は彼女達に周りの事を任せてある。何かあれば気負うことなく声を掛けてやれ。こちらの耳に入れば必要ならばなにか融通でもしよう。不便な思いはさせないつもりだ」
「ありがとうございます、陛下」
交わされる言葉の中に彼との接し方を見つける。エーヴァルトに向かうような心持ちだ。それから、本当に必要になればクラウスのように理由を預けて頼ってもいいかもしれないと。
ヴォルフの行動が後に自国へ返った時に、ヒルデベルトに迷惑が掛からない程度まで……もちろん必要になればの話だ。
クラウスに学んだ事が一つある。本気であるならば、周りを利用する事を厭うなと。もし利用した後にそれでも良好な関係が築きたいのならば努力は惜しむなと。
見返りなんて打算的であまり得意ではないが、ヴォルフだってブラキウムを継ぐ身。きっとそういう事が必要になる場面も後々出てくる。ならばこれはその為のいい練習の場だ。
相手が国王である事にはやはり少しだけ物怖じするが。いざとなった時の覚悟を固める練習にはなるはずと。
エーヴァルトから与えられた特使とは別のもう一つの使命。ブラキウムを継ぐ者として確かな振る舞いと心構えを身につけること。
自立は、いつかは必要になる壁だ。ならば今越えてしまえばそれでいい。
「さて、長く引き止めて悪かったな。二人とも、彼を宿へ案内してきなさい」
「はい、お爺様」
「こちらにどうぞ」
「…………これからよろしくお願いします」
失礼しましたと断りを入れるのは何か違う気がして。口を突いたその言葉にグンターは大きく一つ頷く。
そんな彼の居城を後にして前を歩く双子の後ろをついて歩く。
どうでもいいけれど、どうやらグンターはこの二人の事を溺愛している様子で。先ほどの会話の端々にも気を掛けるような色が幾つも聞いて取れた。
確かに彼からしてみれば愛しい孫だ。それもまた仕方の無い事なのかもしれないと。
「二人にも、迷惑を掛けると思うがよろしく頼む」
「お仕事です」
「お客様です」
「おもてなしには、」
「裏もありません」
掛けた言葉に返った音。足を止めて、それから小さくわらう。
あぁ……掴み掛けた。
これまで幾度か距離を計りかねてきた彼女達だが、どうやらそこには心配するほどの懸念はないようだ。
彼女達にとって、すべてが等しく一定距離だ。それはどこか、クラウスが忌避するように取っていた他人の距離とも似ていると。
違うのは、この双子にとってすべてが一定という点。クラウスのように、必要かどうかで分けたりしないだけの、残酷で平均的な視点なのだろう。
「今一度、歓迎を」
「貴方がここを離れる時まで」
「満足いただける暮らしと」
「最上なる接待を」
平坦な中に確かな歓待の篭った言葉に頷く。
不思議な距離感の少女達だ。彼女達は彼女達で完結している。
だからこそ必要な言葉を交わす。
「ヴォルフ・ブラキウムだ。よろしく」
「ピス・アルレシャです」
「ケス・アルレシャです」
頭の右側で髪を一纏めにした少女がピス。反対の左で纏めた少女がケス。
見た目上はそこでしか差異の見つからない双子と、改めて挨拶を交わす。
そうして彼女達が告ぐ言葉に、ヴォルフはようやく自分をここに見つけて繋ぎとめる。
「「ようこそいらっしゃいませ、カリーナ共和国へ」」
彼女達に連れられてやってきたのは、栄える街にある随分と豪華な装いの宿泊施設。玄関口だけでも広い内装は、壁に掛けてあった館内地図を見れば小さく思えてくるほどで。案内された部屋は寮での生活が酷く思えるほどに豪勢な造り。
「……本当にいいのか、こんなところで?」
「ここは国の庇護下にある、最高級の宿泊施設で。国賓及びそれに順ずる待遇を許された方にのみお貸ししている場所です。ブラキウム様に置かれましては、コルヴァズ陛下の招待を受けた賓客という話で伺っております」
呟きに返ったのは最初だからと部屋まで案内をしてくれた年老いた男性。どうやら彼がここで一番の権限を持つ世話人らしい。流石にここまで持て成されるとヴォルフも一歩を踏み出すのが怖くなるが……。
「そうか……ありがとう」
「お部屋の鍵はこちらに。お申し付けいただければ荷物などの管理も」
「それはいい」
「ケスたちの仕事」
「失礼しました。それでは、ごゆっくりお寛ぎくださいませ」
親切な申し出に断ったのはピスとケス。どうやら個人的なところでの使用人のような役割は彼女達がする事になっているらしい。
幾ら名のある家の出身だとしても、流石に個人の使用人を持った事の無いヴォルフにはむず痒い感覚だ。これも慣れなければいけないのだろうと飲み込む。
ヴォルフの荷物を持って一足先に部屋に入ったピスとケスが妖精術を一つ行使する。……いや、妖精術というよりは妖精力の行使か。
僅かに辺りを駆けた妖精力に傍にいたクラウディアが体を揺らす。同時、双子が振り返って告げる。
「危険はありません」
「敵意もありません」
どうやら先ほどの妖精力の行使はそれを調べるものだったらしい。妖精力の干渉によって別の妖精力は打ち消される。そうでなくとも共鳴するように反応を示す、それを逆手に取った危機探査法。どうやら身の回りの世話以外にもある程度の護衛も引き受けてくれるらしい。
「ピスたちは隣の部屋にいます」
「何かあったら声をかけてください」
「……あぁ、分かった」
淡々と言って、それから荷物を置くと彼女達は隣の部屋へと消えていく。
何というか、感情の無い人形を相手にしているようだ。表情一つ変えずに命じられた事を全うするのは使用人として正しいのかもしれないが、それでも少し無愛想に過ぎるのではないだろうかと。
少しだけ隣の部屋を見つめて、それから部屋に入る。
随分と豪勢で、一人に貸すにしては持て余すほどの落ち着きそうに無い部屋。
いくらブラキウムの家で育ったといっても平時は何の変哲もない普通の家庭だ。コルヌ家のようにこれといって特別な扱いを受けるわけでもない、少し裕福というだけの実家。それも学院に入るまでで、学院に入ってからは逃げるように寮へと入って暮らし始めた。
だから別に、普段から広い部屋で暮らしているわけでもなければ、そういう経験が多いわけでもない。
言ってしまえば分不相応だ。好意を無碍にする訳ではないが、やっぱり少し落ち着かない。
落ち着いた雰囲気が好きなのも相俟って、広く物が沢山あるようなこういった空間は苦手なのだ。
「不自由が無いだけましか」
「街が見えるんですね。いい景色ですよっ」
気付けば窓へと寄っていたクラウディアが呼ぶ。招かれて覗けば、透明な硝子の向こうには整然と立ち並ぶ家々や太く長い目抜き通りと入り組んだ細道。それから遠くには宝石のように光を反射する水面が見えた。
カリーナの中心地であるこの土地は北を山に、南を海に挟まれた、温暖な気候の地域だ。一年を通して平均気温が高く、夏には容赦なく照り付ける陽光が煩いほどで。けれどそんな暑い気候を好む植生豊かな土地であり、ここでしか採れない多種多様な食べ物も存在する。
また、収穫したそれらを他国へ輸出する事で国益の一つとする為、海沿いには幾つもの港が目に付く。
海洋国家……とまでは行かないが、他国と比べ海路を利用する頻度が高いのは事実だ。
そんな南の国。夏の暑さも、それと合わせて大衆に喜ばれる海水浴場には沢山の観光客も集まる。温厚な気候が災いしてか、陽気な人々が多いこの国はヴォルフが子供心に憧れていた土地の一つだ。
夏になればその煩わしい陽光に照らされた大通りを抜け、海の方まで遊びに行くのも面白いかもしれないと。可能ならば、その時には委員会や生徒会の面々も連れて来て見たいものだ。
「……今回は遊びに来たわけではない」
「分かってますよー。ただ生き抜きも必要ですよね?」
「…………気が向けばな」
「だから大好きです、ご主人様っ」
異国に来ても変わらない相棒の様子にヴォルフもようやくいつも通りを取り戻す。
……とりあえずいきなりではあったが挨拶は済ませた。また改めて特使としての任を遂行すべく彼の元へは向かわないとならないが、今は長距離に渡る越境の疲れを癒すとしよう。
ようやく溜め息一つ。そうして腰を下ろせば隣にやってきたクラウディアに問う。
「そう言えばさっきはどうした? 何やら反応を示していたが」
「え……? あぁ、あれは妖精力ですよ。二人の放った周辺探査の波長に、心地よさを感じただけです。地ですよ、あの二人」
あぁ、それでかと。
妖精は妖精力に敏感だ。特にクラウディアは、波長で相手を計る節が強い。
ヴォルフとの契約だってたった一度放っただけの波長を捕まえて彼女が詰め寄ってきた末に押し切られたものだ。
もちろんその折には十分に悩んだ。彼女はハーフィーだと語ったし、この身は真人間。契約を交わせば彼女に回路を介しての不快感を背負わせると。けれどそれでもいいと……それさえも受け入れると力説されればヴォルフにはどうする事もできなくて。そうして彼女と交わした契約が今に至る。
一体ヴォルフの何がよくて彼女が契約をせがんで来たのかは分からない。訊けばその気持ちに向き合うだけの覚悟と答えをしなければいけない気がして、ずっと背け続けていたのだ。
「……双子とは、そこまで一緒になるものなのか?」
「どうでしょうか。妖精に双子はいませんから分かりません」
妖精に双子はいない、というのは言葉の通りだ。そもそもが人間からしてみれば何処から生まれたか分からない存在。親や祖となる存在が居るかも分からない妖精は、転生をして記憶を失い何度も世界を経験する。
例えば人間のように誰かの子供として生まれるのであれば、ピスとケスのように双子が存在するのかもしれないが、クラウディアの言葉を信じて双子がいないと決め付けるのであれば、同様に親のような存在もいないという事になるだろうか。
そもそも親などいれば、転生をする妖精は転生する者と新たに生まれる者でその数を膨大に増やしすぎてしまう。
けれど事実として、妖精の数はどこか管理をされているように目に見えて増えるわけではない。
もちろん、人間が妖精について分かっていないだけで、際限なく転生し続けるという話ではなく、妖精もいつかは消え、そして新たに生まれているのかもしれないが。
だとすれば何かの意思によって産み落とされる存在は双子や三つ子などになってもおかしくないわけで。人間や動物のように双生児がいないというのであれば、きっとその可能性は限りなく小さいのだろう。
「人の双子だって珍しい。ありえない話ではないのかも知れんな」
呟いて、それから同時に思う。
よくある話、王家に生まれた双子の行き着く先はあまり語るべきではないものが多い。権力闘争に、成り代わり……物語の中でも題材にされる醜い争い。
けれどピスとケスに限ってはそれもない話かもしれない。
この国は共和国である為に民によって代表が決められる。だからグンターの後、誰がその座を継いでもおかしくはない。支持を得れば彼の息子かもしれない。全く新たな権力者が出来上がる可能性だってある。
例え血筋を尊重してグンターの息子達が継いだのだとしても、普通ならば次は長男の方だ。彼も語っていたがピスとケスはグンターの次男の娘。基本的に男性が長としての役割を担う社会構造で、女性である事も考慮して、継承権的に言えば随分と下になる。
言ってしまえば他国の事。ブランデンブルクとは友好的な国ではあるから、完全に無関係とまでは言い切れないが、ヴォルフが口出しできるような話ではない。考えるだけ無駄なことだ。
「……しかしとなるとあの二人は妖精憑き。この先妖精との契約が待つ事になる。要らぬ心配だが、少し興味を持つのは無粋な勘繰りか?」
「アタシはご主人様の契約妖精ですから、他の事に興味なんてありませんっ」
「…………そうか」
あの双子がどんな妖精と契約するかなんて、それこそ彼女達が選ぶ事。不躾な邪推はクォーターな彼の埒外がうつった所為かと切り捨てる。
「それよりもご飯にしましょう。おなかがすきましたよっ」
「そうだな」
窓の外を見れば夕食時。折角だ、ここでしか楽しめない味覚を味わうとしよう。
廊下に出て隣の部屋に呼びかけると姿を見せた双子。話をすればよく行くおいしい店があるというので案内を任せる。
値段が高すぎるところは遠慮したいと一応聞いてみると、お代はカリーナ側で持ってくれるとの事。相変わらず好待遇だと少しだけ呆れつつ街を行く。
暖かい気候の所為か服装も薄手が多い。僅かに漂う酒のにおいは先ほど通り過ぎた酒屋から。早い時間から幾人かが店に入り浸っているのは何処の国も一緒。カリーナでは飲酒は19歳からだった気がしたのでヴォルフは今年の誕生日を迎えればこの国でも飲む事が出来るのだろう。
コルヌ家や時折参加する家同士の話し合いの席の都合上、ブランデンブルクにいた頃は嗜む程度に飲んではいた。どうやら酒には強い方で、前に別の家の子息に誘われて一回限りの飲み比べをしたときには相手に無理をさせて倒れさせてしまったほどだ。
それ以降あまり進んで飲みはしないが、必要であれば席を盛り上げるだけの器量はある。
どうでもいいことだが、エーヴァルトはそちらに弱い。その為、彼と食事をする機会があっても、机に酒類が並ぶ事は殆どない。
ここへ来る前に、最後に食事に誘われた時は一緒に飲んで、やはり彼が先に寝てしまうほどに無理をさせてしまったりもしたが……。
と、そんな事を考えていると辿り着いていた目的地。綺麗な外装の落ち着いた雰囲気に少しだけ安堵しながら店へと入る。
そうして口にしたカリーナでの始めての食事は、新鮮な野菜と果物をふんだんに使った色取り取りに美味ばかりだった。
そんな風にピスとケスの力を借りて不自由なく生活をしながら。留学という名目も果たす為に、転入した学び舎で勉めて学ぶべき事を学び、グンターの都合がつく時に彼と話をしながら過ごしていた。
幾度かの彼との対談の中でようやく見つけた彼との付き合い方。不敬を働かない程度にヴォルフも自分を出して接すれば、彼の言い分や性格から言いたい事が段々と分かるようになった。
簡単な話、彼はヴォルフの事を客として見ていないのだ。もちろん体裁上そう振舞うべき時はそうしているが、それ以外では随分と親身に声を掛けてくれる。
それは友達のような感覚。誰だってそう。人は皆人の子。権力者の椅子に座っているからといって、四六時中……生まれた時から人の枠を外されているわけではない。
破目を外したい時だってあるし、個人的な付き合いだって誰しも存在する。
そんな彼の求めているものが分かれば、それを許されていると知れば、ヴォルフだって彼の望む振る舞いが出来る。
普段からあまり笑う方ではないが、それでも彼の近くに居る時は出来る限り友人に接するように言葉を交わす。
それに何より、彼の言動からは学ぶ事も多い。民から選ばれたとはいえ国を治める者だ。その振る舞いは『高貴さは義務を強制する』ように責任のあり方を教えてくれる。
権力者として斯くあるべしとその身で体現する彼から盗むように身の置き肩を学び、そして何よりも本題であるミドラースの話も進めていく。
彼が言うには、ヒルデベルトの頼みならば是非もなく直ぐに許可を出してもいいらしいが、それとカリーナ全体としての意味合いはやはり違うらしい。
彼個人なら二つ返事でも、カリーナは世界を支える四大国の一つ。もちろんブランデンブルクも、スハイルも、そしてトゥレイスだって世界を気に掛け、他国を気に掛けている。
第二次妖精大戦だって終わったばっかりで、国境付近ではまだ睨み合いが続く場所もある。そんな不安定な上に成り立っている平穏。今ある落ち着いた空気を壊したくないのはどの国も一緒だ。ようやく元に戻ってきた土地を再び焦土に化したくはないだろう。
できることならばこのまま争いなど起こらないままに過ごしていたい。
その為には四大国での協調が必要で、互いの胸の内を探りあいながら妥協点を提示するほか無い。
誰かが抜け駆けすればそれこそ火種にだってなりえるのだ。
そんなカリーナとしての思慮を鑑みて、グンターはまだもう少し答えを待ってくれとヴォルフとの間で落ち着いている。
ヴォルフもカリーナへ来る前に幾つか話を聞いていて、こうなる事が目に見えていた為に長い目で一年滞在するように予定を組んだのだ。
同様に、スハイルへ向かったニーナ。トゥレイスへと足を運んだユーリアも、それくらいの期間は何か問題が起こらない限り自国には帰れない。分かった上で、それでも彼を救う為には必要な事なのだと覚悟をしているのだ。それほどに愛されているあの眼鏡でクォーターな後輩には期待が大きいのだ。
だから彼が早く帰ってくる為に、その時が来るのをひたすらに待つ。
カリーナに来たのが春で、夏も常識の範囲内で満喫し、そうして秋も深まった頃。学院では生徒会選挙が終わった頃だろうか。
外からの連絡は殆ど取っていない以上学院がどうなっているかは分からない。時折届くアンネからの定期報告には特に問題ないと綴ってあったが、彼女の事だ、例え何か問題が起きていたとしても心配をかけまいと平気な顔で嘘を吐くのだろうと。
生徒会はクラウスだけでなくヴォルフも抜けて半数ほどになる。校内保安委員会などは機能しなくなっていてもおかしくはない。
学院に残るテオやアンネにはもう一年学院で過ごす時間がある。彼の事だからきっと生徒会長の座はもう一年全うするのだろう。そこに自分がいて助けてやれない事に、先輩として遣る瀬無さを感じながら過ごしていたある日。
グンターの都合がついたその日は昼から彼の邸宅へ。朝の内はこちらに来てから見つけた仕事場へと向かう。
いくら特使として国からの支度金が手配されるとはいえ、可能であるならば自分で自由に使いたいと。今後の事も考えて蓄えておくのは間違いは無くて、ならば社会研修という名目で働き始めたのは児童養護施設だった。
どんな国にも貧富の差はある。それが行き過ぎれば子供を捨てる親だって現れるし、そうでなくとも責任を放棄する者もいる。病気や災害、事故で親を失うことだってあるだろう。
そんな子供達が集められて大人になるまで共同生活をする施設の一つ。託児所としての役割も兼ねるその建物で働き始めて半年近くなる。
初めこそ自身の無愛想な性格が災いして距離感を計りかねていたが、今ではそんな風に距離を取る子もいない。ここにいる子たちはとてもいい子供たちばかりだ。
「あ、兄ちゃんっ」
門を潜れば活発な印象を受ける赤髪の少年が駆け寄ってくる。続けて声に反応を見せた子供たちが一斉にこちらを向くと、足音を立てて殺到してきた。
群がる子供達に手に持った小さな箱を見せれば、目を宝石のように輝かせる。
「それ何っ?」
「焼き菓子だ。みんなで食べるといい」
「やったーっ!」
答えて差し出せば受け取った少女を中心に子供達が建物の中へと駆けていく。
そんな後姿を眺めれば、入れ違いに大人の女性がこちらに向かって歩いてきた。彼女がこの施設の代表だ。
「いつもありがとうございます」
「いえ。子供たちが喜んでくれるのが何よりですから」
いつもながらの丁寧な挨拶に肩を並べて歩き出す。
本当に答えた通りなのだ。自分でも不思議だったがどうやら自分は子供を相手にするのが好きらしい。特に嬉しそうな笑顔を見られるならばたった少しの気持ちなど厭わない。
「……着替えてきます」
「はい」
柔らかく微笑んで答える女性。落ち着いた雰囲気と優しい音が大人の女性として尊敬しながら目指すべきあり方の一部にする。
ヴォルフの行くべき道は限られている。そうなりたいという気持ちもあって、その為に努力もしている。
だからこそ冷静に、どんな時でも落ち着いて行動できるような節度と責任を受け止めた大人になれるように。
学院を休学してカリーナにやってきてから、大人や世界に学ぶ事が多い。これまでどれほど自分が周りに縋っていたのかを改めて知らされる。
目指すべき場所と尊敬する人々。子供であると胡坐をかきながら、大人になるべく学び続ける。
ヴォルフにとって、クラウスの為と同等に自分の為でもあるとしっかり前を見据えながら、子供たちの輪の中へと入っていく。
自分と同じくらい、未来ある子供たちを守れる大人になる為に。
それから午前中を子供たちと過ごし、昼ご飯を一緒に食べて養護施設を後にする。
向かう目的地はグンターの屋敷。取り付けた約束通り彼と話し合いだ。
カリーナから貰う予定のミドラースへの許可。既に半分以上合意していて、折りを見てという話がついている以上特にやることなど無い身だ。
カリーナへ来た時はどうやってその許可を取り付けようかと悩んでいた自分に、教えてやりたいほどに呆気ないやり取り。
一応何もせずに、というのではそれぞれの立場上問題がある為に、時折彼の名代として諸侯に用件を伝えに行ったりなどの簡単な仕事を任されてはいる。それでもきっと他の国に向かった者よりは随分と楽な部類の待遇だ。
おかげというべきか、アンネと交わしている報告も横に、頼んで送って貰った教材で宿でも自主的に勉強をする時間が取れるほど。時折自分に言い聞かせていないと旅行と勘違いするほどだ。
そんな彼女とのやり取りは、一応国賓であるヴォルフに向けての国儀として扱われるらしく、一度グンターを通さないといけないらしい。今回もその受け渡しと、何かあれば彼の公務の手伝いというのが予定だろうかと。
既に幾度と無く訪れ、慣れてしまった屋敷の門を通り抜ける。
数人いるはずの守衛にも顔を覚えられ、自由に出入りを許されている状況だ。それはもはや職務怠慢ではなかろうかと……。
考えつつ屋敷の中をピスとケスに先導されながら歩く。彼女達は寡黙で、必要時以外声を掛けてくることなく傍に控えている事が多い。養護施設に行く時は流石についてくることは無かったが、それでも迎えに顔を覗かせては子供達に歓迎されて少し迷惑そうにしていたり。
表情にこそあまりでないが、その使用人然とした振る舞いには好感が持てるしヴォルフも安心する。比べるものではないかもしれないが、アンネのそれとは対極だ。
もちろん、彼女だって弁えているだろうし破目を外すことはそう無いが。それでもからかわれる事は時々あったので、あれと比べればいつも一歩退いている双子との関係は互いに落ち着いていていいものだ。
そんな双子の使用人。別に先導などされなくとも慣れた道中だ。一人で彼の部屋には辿り着けるが、今日のような格式張った召喚ではそうも行かないようで、正しく前を歩いて行く。
そうしていつもの部屋の扉をピスが叩けば返った入室を促す声。開かれた扉の向こうに座るグンターを見つけつつ礼儀として一言断って、それから彼の書斎に足を踏み入れる。幾ら親しくとも今回は形式上は謁見行為だ。
「おぉ、来たかっ。待っておったぞ。さぁ座ってくれ」
言って変わらない調子で告ぐグンター。彼の大らかな性格にも今更悩まない。最初の頃こそどうすればいいだろうかと立ち尽くす事もあったが、彼の言葉が気持ちそのままなのだと納得してしまえば、単純にそうしろと言っているだけだと安心して従う。
長椅子に腰を下ろせば出されたお茶。音も無く仕事を終えた双子がそのまま一礼してグンターの傍に控える。それとほぼ同時、文机に向かうグンターが筆を置いて顔を上げた。
「連絡通りいつものだ。ピス」
「ブランデンブルク王国よりアンネ・ルキダ様からの書簡になります」
堅苦しい空気にさえ緊張は抱かない。そもそもそちらの空気こそが正しいのだから。
差し出された便箋を手にとって中を開けて目を通す。
綴られているのは変わらない報告。飾り気の無い文面なのは国が検閲したからだろうか。
しっかりとした字で認められた文字を追って読み下せば、途中から変わった話題に眉根を寄せる。
「どうかしたか?」
そんな小さな変化に気付いたグンターが問い掛けてくる。
「報告以外に勅命が一件。どうぞ」
答えて書簡を彼に渡すと、目を滑らせる彼の表情が国王としての真剣なものへと変化した。
「……いつもの定期報告と、この地での調査任務か…………。ふむ、何かあちらで進展があったということか?」
「恐らくは…………ん、これは……」
グンターが読み終えて返ってきた書簡。その差し出された時に紙の裏に見えた紋章に気付いて裏返す。
それはカリーナの国章。ブランデンブルクから送られてきた書簡に何故カリーナの国章が?
「む……あぁ、そう言う事か。ヴォルフ君、もう一度貸してくれたまえ」
「…………はい」
それを見たグンターの表情が険しくなる。次いで少し強くなった語調に答えて手渡せば、辺りへ僅かに妖精力が満ちる感覚。
そこでヴォルフも気付く。
いわゆる暗号。それもブランデンブルクとカリーナの間だけで使われる機密度の高いものだ。
特定の妖精力の波長のみに反応する符丁。封印術式を応用した当人にしか解く事のできない錠前。あの国章はグンターにしか解く事のできない封印というわけだ。
紙面に、という事は封印を解けば浮かび上がるのは隠された文字。見れば満ちた妖精力に呼応して国章が解け、虹色の文字となって文章が浮かび上がる。
「……君宛だ。読むといい」
けれどどうやらその内容はヴォルフに当てたもの。もしもの為に施した封印ということだったのだろうか。
考えつつ目を落とせば、封印の意味も理解できた。
綴られていたのは妖精の国や妖精の女王マブという名前。それらについて詳しく調べて欲しいという内容。
ミドラースに関わる命だ。見知らぬ者の手に渡れば悪用される可能性もある情報。だからこそ機密度の高い封印を施されていたのだろう。
「ふむ。命は君に一任されているのだろう? 可能な限り協力はするが」
「ありがとうございます。ではカリーナの国立図書館への出入りの許可をいただけますか?」
「あぁ、構わないぞ。但し一般公開されているものまでになるがいいか?」
「はい」
流石に国が直々に管理をしているものまで見せて欲しいとは言えない。そこにはきっとカリーナの趨勢を左右しかねない重要な事が収められている。幾らヴォルフが彼に友人だと認められているとは言え、国同士の問題は作れない。もしそこに求める情報があったとしても仕方の無い事だ。
「君も大変だな」
「これも特使としての使命ですから」
「直ぐに向かうか?」
「はい」
「ピス、ケス。案内を頼む」
答えれば、グンターの言葉に一つ頷いた双子がこちらに控えて一礼。ヴォルフもあわせて退去の挨拶をすれば、静かに彼の書斎を後にする。
「……案内だけでいい?」
「お手伝いする?」
前を歩きながら問うてくるピスとケス。彼女達のと関係も、言葉少なだがその分的確なもの。最初の頃と比べれば交わす機会の多くなった会話だが、それでも日に両手の指の数で足りるほどか。
しかし言葉だけが信頼ではないというのもカリーナへ来て学んだ事の一つ。彼女達との空気も居心地のいいものだ。
「とりあえずは一人でどうにかしてみよう。何かあれば声をかける」
「分かった」
「無理しないで」
それは単に客人だから気を使っているだけか。それとも紡いだ絆の一つの答えか。
どうでも良い事を考えつつ歩けば、しばらくして立派な造りの図書館へと着いた。ブランデンブルクのものと比べると違うのは建築様式だけか。大きさもほぼ同じ。となれば同等の蔵書があると見ていいだろう。
この国にしかない書物から得られる知識。沢山ある中から見つけられるかと少し心配になりつつ足を踏み出す。
アンネの方で何かあったからこその新たな指令だ。ならばそれに見合う返答をしっかりと捕まえなければ。
それが何より、彼が帰ってくる為に必要な事ならば。ヴォルフには是非も無くやるべき事を成すだけだ。
そうして国立図書館へ通いつめる日々。元来調べ物、というか腰を落ち着けて何かをするのは苦手ではないお陰で、休憩こそすれ飽きるという事はあまり無い。
特に調べ物に関してはニーナの近くで長く生徒会の補佐をしていたお陰か経験がある。一つの書物から関連する文献を探しては、そこから引用された一節が掲載される別の作品へ跳んだりと、文字の上では意外と自由気ままな動きを見せる調査は自分の調子で刻まれ確かな前進を見せる。
時折目にするのはヴォルフでも読解に難を要する昔の書物。
人の歴史は長い。特に妖精がいる前とその後では文化が変化し、その変遷の中で言語でさえも色を変えた。
妖精の歴史に妖精語と妖精古語が見る事が出来るように、人間の歴史にだって過去の言葉がある。
今は使われない古い言葉。似た響きならどうにかなるが全くの繋がりがない単語や文だと苦戦はする。
けれどもそれさえ勉強。知ればそれだけ周りより賢くなれるのだと言い聞かせれば別に読み解こうとする意思に陰りは差さない。
好きこそ物の上手なれ。何事も興味から始まるのが学ぶ事だと。今は亡きローザリンデの遺言でヴォルフなりの納得を見つけたのだ。
ならばそれに嘘をつかないように。彼女のように世界に認められるべく……世界に認められて然るべき彼の隣に居られるように。今はただヴォルフに出来る事をするだけだ。
そんな風にしばらくを過ごして。途中からピスとケスの力も借りてどうにか調べられるだけの事を調べ上げた。
少しだけ増えた仕事量は彼女達の手を借りる際にグンターから仰せつかった調べ物。どうやらカリーナの意向としてはブランデンブルクに出来る限りの協力をするというものらしい。
その見返りに、彼から仕事の幾つかを貰ってそれを成し遂げるべく労力を費やしたのだ。
ブランデンブルクがクラウスの野望をどう思っているのかは少し曖昧だ。
まず単純にクラウスはただのクラウス・アルフィルク。殆ど後ろ盾のないフィーレストの学生の一人だ。
そんな末端の学生が抱く夢……少しだけ現実味があるかもしれないという程度の世界を揺るがすような戯言に、ブランデンブルクが思惑もなく協力をするというのは不自然だ。
恐らくは彼の手柄をブランデンブルクの発展に繋げる。打算的な事を端的に言えばそういうことなのだろう。
その為のアンネの指名。彼個人の傍付きとしての役割は監視の意味も込められている。
けれどそれと釣り合うように、彼も彼で色々な人物を味方につけている。
エルゼ、コルヌ、ヘルフリート。小耳に挟んだ話では露草姫まで。
彼の描く理想にはどれだけの協力があっても足りないのは分かっているが、その身を弁えないような振る舞いにヴォルフは少し頭を悩ませるのだ。
彼とは委員会と生徒会で時間を共にし、レベッカとの事で借りもある。ヴォルフ個人で言えば彼に恩を返すという名目で力を貸すのは吝かではない。
しかしそれで国に楯突いて何かあった時にヴォルフが巻き込まれるのは正直言って嫌な話だ。
そうなってもおかしくないほどにクラウスとヒルデベルトの繋がりが見えない。
そんなところにグンターまでもが国を越えて首を揃えれば波乱があるのは間違いない。
葛藤は絶えない。けれど心のどこかで、彼ならばという期待もあって……。それが今ヴォルフを動かしているのだと知れば小さく笑いが込み上げてくる。
彼がその身を犠牲にするようにして出来上がった関係。だったら彼の望む通りに悪役の道を進ませてあげてもいいのかもしれないと。
もし駄目ならブラキウムで彼を雇ってみても面白いかもしれないなどと考える辺り、自分も彼に随分毒されている。
そんな事を考えながら、四大国会談でグンターと共にブランデンブルクへ一時帰国。その後ようやくの許可を取り付けるとそれを持って自国へと戻る。
後は帰って報告と、間近に迫った卒業式に出席するだけ。最後に在校生に何か残せればそれで御の字だと。
思い描いて日々を過ごせば呆気なくカリーナから送り出された。
お世話になった児童養護施設からは子供たちから花束を貰ったり。カリーナに来て結んだ縁は確かに経験となってこの身に刻まれた。
身の回りの世話をしてくれたピスとケスはここへ来た時とあまり変わりなく……強いて言えば彼女達の声音から僅かな感情の変化くらいは感じ取れるようになったのかもしれないと。相も変わらず揺らがない無表情の奥に落ち着いた名残惜しさも感じる。
風の噂では二人も近々妖精と契約するらしい。二人で完成されたような双子がどんな相手と契りを結ぶのか……。想像のつかない楽しさに激励を送れば、返ったのは音にもならない頷きだけだった。
それから最後の別れの際に、今度はただ友人として遊びに来てくれとグンターに誘われたりもした。
彼の事だ。きっとその言葉に裏なんてなくて、単純に歓迎しているだけなのだろう。
そういう意味では彼との間に紡いだ関係もヴォルフが得たものの一つだと確かに感じる。
これがエーヴァルトが出した問題への答えになるかは分からない。けれど少なくとも、ヴォルフ個人が満足する答えを得られたのだと一人ごちる。
彼らに言われた通り。落ち着いたらまた来るとしよう。その時が何時になるのか、誰と一緒なのかは分からないけれども。ヴォルフの信じる友人たちと一緒に来る事が出来ればそれが一番なのかもしれない。
考えつつ帰りの竜籠に乗る。
今更でどうでも良い事だけれども。この行き帰りに使われる竜籠はグンターの気持ちらしい。行きは友の元からやって来る特使の移動に、馬なんて出せないと言い張って彼の都合で竜籠へと変わり。帰り道も友として見送りをさせてくれという申し出を断りきれずに空の旅というわけだ。
恐らく他の国へ向かった者達は陸路で移動したはずで。やっぱり随分と優遇されているなどと、一人居心地の悪い思いをしながら帰路に着く。
馬なら数日掛かる距離。竜籠なら半日の道程に段々と遠くなっていくカリーナの地に思いを馳せる。
いい経験だったと。我が儘を言えばもう少し滞在していたい気持ちもどこかにある。
けれどそれは許されないし、ヴォルフにだってやるべき事がある。帰ったら、ミドラース関連で忙しくなるだろうと。
久しぶりの祖国に憧れさえ抱きながら重く息を吐く。
「楽しかったですね、カリーナ」
「……仕事だ」
妖精のように楽しい事が理由ならどれ程楽に生きられただろうかと。
ここまでの長旅に付き合ってくれた相棒の頭を軽く撫でて覚悟を決める。
これから踏み込むのだ。妖精の地の、その近くまで。ならば契約妖精たるクラウディアを守るのも妖精従きとしての確かな勤めだ。
ブランデンブルクへ戻り報告をして、それからやってきた卒業式に参加する。
ハーフェンで学ぶべき事は一年前に一通り学び終えた。十分な学業を修めカリーナでの実地研修も修学内容に含まれていたのか、問題なく卒業する事もできた。
久しぶりに合わせた顔もヴォルフの事は覚えてくれていたようで、仲のよかった友人と別れを惜しむ。
家を継ぐ者、就職する者、実力を買われ従軍する者。様々な道行にヴォルフもブラキウム家次期当主としての気持ちを新たにする。
そんな風に親交を暖めていると背中に掛けられた声。振り返ればそこにいたのはレベッカだった。
「先輩、ご卒業おめでとうございますっ」
「……あぁ、ありがとう」
一年前と比べて随分大人っぽくなった雰囲気は、伸びた後ろ髪の印象か。
前は肩までだった明るい鶸色の髪は今や背中まで伸びていて。綺麗に手入れされた毛先が仕草に揺れる。
背丈はあまり変わっていないようにも感じるが、それはヴォルフもまだ成長しているからだろう。
30セミルほど低いところから小動物のように見上げてくる黒橡色の双眸には確かな強さ。彼女もまた、ヴォルフの知らないところで人知れず成長しているのだろう。
交わした挨拶を見てそれまで話をしていた友人が色男などと茶化しながら去っていく。
ヴォルフとレベッカの関係……異母兄妹という繋がりは公にしていない為に知らないはずだが、それでも彼女が一時期ヴォルフの事を思い追いかけていた事を知る者は少なくない。
そうでなくてもコルヌ家の令嬢。人一倍興味の中心にいて、彼女についてを知らず知るのは致し方ない事。彼はきっとその辺りの事をからかったのだろう。
あれさえなければあの友人も随分と付き合いやすい相手ではあるのだが……。
そんな事を考えながらレベッカに向き直る。
「それで、その……よかったらなんですけれど、何かもらえませんか?」
「何か……とは?」
「校章、とか。襟締めとか……」
「…………そうだな……」
それは言わば風習というか。
この学院では卒業する生徒が在校生に身につけていた何かを贈るというやり取りがある。
大抵の場合そう言うのは付き合っている男女がやるもので、中には尊敬する先輩から譲り受けたりもする。
それにどんな意味があって、何の効果が得られるのかはヴォルフはよく知らないのだけれども。彼女のその申し出は前者の気持ちだろうか、それとも後者だろうか。過去に彼女に好意をもたれていた事もあって判別が着き難い。
「あ、そのっ、好きだとかそういうのではないんですっ。好きは好きですけど、それはとしての家族の好きで……」
「別に、好かれて悪い気はしないだろう。それが許されるかどうかは別問題だがな」
「……お兄様…………」
ヴォルフの言葉に胸の前で手を握るレベッカ。見上げてくる瞳に心成しかいつもより熱が篭っている気がして思わず目を逸らす。
思わずらしくない事を言ってしまったかと。けれどしかし、彼女だってその辺りは納得しているはずなのだから、今更な感慨だ。
それに気付けば咳を一つ挟んで悩む。
さて、ならば彼女に何をあげようかと。カリーナへ居た時は特使としてだったので専ら黒い制服を着ていた。卒業式も立派な式典だが、国儀ではなく学校行事なので服装はいつもの学院の制服。これを着るのも随分と久しぶりだ。ここ一年は思い入れも余りないのだけれども…………。
「だったらこれでいいか?」
言って指差したのは首元の留め具。これなら直ぐに渡せられるし、辺りを見渡せば装飾品どころか、制服の上着まで剥ぎ取られた同級生も居る。その卒業生は髪まで荒らされて……嵐の中でも歩いてきたのだろうか?
不意に募った疑問に、彼の身に起きただろう災難を想像してそれ以上の無粋な勘繰りをやめた。
「……あの、上から二番目じゃあ駄目ですか?」
「これか? 別に構わないが……」
「ありがとうございますっ」
余り理由も知らず頷けばこれ以上無いほどに嬉しそうに笑うレベッカ。一体留め具一つに何を感じているのだろうかと。
丁寧に取って渡せば大事に握り込んで微笑む彼女。……レベッカが笑顔ならいいとしようか。
「……学院の方はどうだ?」
「心配しないでくださいっ。お兄様に頼ってばかりも居られませんから。生徒会の書記にもなったんですよ?」
「…………そうか。君らしく頑張るといい」
「はいっ」
書記なんて書類を作って、必要であれば会議の議事録を残すくらいの地味な仕事だ。言ってしまえば副会長よりも簡単な役かもしれない。
そんな華のない仕事よりも、彼女にはもっと相応しい席がある気もするのだが。
……言及するだけ自分の首を締める気がしてそれ以上の掘り下げをやめる。
「そう言えばお父様がまた食事でもって言ってましたよ?」
「分かった。都合がつく時に伺うとしよう」
恐らく彼が出した特使としてのもう一つの課題の事についてだろう。ブラキウムの方が落ち着いたら顔を見せるとしようか。
考えつつ、それから他愛ない話をして彼女と別れる。
この一年は殆ど学院に通っていない。だから四年分の思い出しかないが、それでも有意義な時間だったと自分なりに納得すれば心地よく学び屋を後に出来る。
卒業して、ブラキウム家次期当主としての道を歩み。とりあえず目下の目標である彼の帰還という現実を手に入れる。
条件が揃えば直ぐに動き出す。そうなれば忙しくなるだろう。
その時までの静けさ。何かが動き出す予感を感じながら、ヴォルフは出来る限りの理想を思い描く。
彼の野望の隣に、ヴォルフの思惑が重なるように。利用できる限り利用してみるのも面白いかもしれないと。
柄にもなく子供らしい夢を考えれば、肩の上でクラウディアが小さく身じろぎをしたのだった。




