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フェアリー・クインテット  作者: 芝森 蛍
蜂蜜酒に踊る即興曲(アンプロンプチュ)
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第三章

「ハンスさんってやっぱり怖い人?」

「私は苦手。クラウス君より正しい事を言う人だから」


 彼女が長々と語ったのはクラウスが居なくなった後、崩れた環を取り持とうとした彼女の身の上話。物語にしては冗長でありきたりな閑話。結果だけがあればいいはずの、中身の殆どない日常だった。

 けれどだからこそ、その端々に宿ったそれぞれの思いにクラウスは嬉しくなる。

 それほどまで期待をされていたのだと。彼ら彼女らとの間に紡いだ関係に、無駄しかなかったのだと笑う事が出来る。


「失敬な、僕はいつも正しい事しか言ってないよ」

「クラウス君にとって正しくても、私がそれを認められないならただの間違いだよ」


 それがアンネに課したクラウスの求めるもの。クラウスの居ない二年の間に見つけた、アンネ・ルキダ自身だ。

 その変化。僅かにして大きな心の変化に嬉しくなる。

 ようやくクラウスは一つの目標を成し得た。アンネを変えるという……クラウスにはできない事を、彼女の心を動かす事で成し遂げた。

 結局は彼女の問題。幾らクラウスが口を挟もうとも、最後には彼女自身が変わりたいと望まなければ変われないものだ。

 それを見つけた。そこに少しでもクラウスという存在がいた事に嬉しくなる。


「さて、このままの速度で話してると時間が幾らあっても足りないからね。掻い摘んで話したいところだけど……」

「別にいいよ? 好きなだけ時間を貪ってアンネさんの気が済むまで浸ってくれれば」

「あはっ、いいねそれ。……でもそれは、ユーリに失礼だから駄目。私は私を弁えてるつもりだよ?」


 楽しい時間を刻み込むように痛い笑顔でそう告げるアンネ。

 そうして少し降りた沈黙に耳が音を捉えた。

 見れば開け放たれた病室の扉。そこに立った大きな体の青年の姿にまた一つ安心する。


「……お久しぶりです。ヴォルフ先輩」

「先輩は、やめろ。もう学院の生徒じゃない」

「そうでした。でも先輩は先輩ですから」


 相変わらずの硬い表情。けれどそこに記憶にはない優しい表情を覚えて、クラウスも知らず笑顔を浮かべる。


「家の事を片付けて直ぐに来たのだが、他の者は?」

「ヴォルフさんが一番乗りですよ。あ、私が居るから二番……元からここに居たユーリを含めれば三番ですけど」

「そうか……。気分はどうだ?」

「上々ですよ。少し足が痺れてきたけど……」

「やっぱり起こす?」


 段々と体も楽になってきている。ようやく少しずつ現世に馴染み始めたようだ。半面、喉が渇いていく事に際限はなく。仕方なく生きている証だと諦めた。

 代わりに段々と覚醒してきた感覚が示したのは足の痺れ。健やかに眠るユーリアはまだ目覚める様子がなく、深く意識を潜らせている。時折身動ぎをすることでアンネと視線を交わらせた事も何度かあった。

 そうして最後に姿勢を変えたのがつい数分ほど前だが、抑え所が悪いのか足の指先に痺れを感じる。


「大丈夫だよ。寝かせて置いてあげて」

「クラウスは寝ていなくて大丈夫か?」

「はい。随分長く寝ましたから。暇潰しに二年間の事を聞いていたところです」

「どこまで話した?」

「これから本題です。私達がこの二年何をして来たのか……」

「語り部は変わろう。ルキダも少し休め。どうせろくに寝ていないのだろう?」


 ヴォルフの言葉に頬を掻くアンネ。ユーリアがこうして眠っているのだ。今までの話を(かんが)みるに、随分と率先して動いていた様子。ユーリア以上に、肉体的疲労は積もっていることだろう。


「無理は禁物だよ。必要なら胸くらい貸すけど」

「あ……やっ、それは駄目っ。魅力的だけど、そこで寝たら二度と起きない自信があるから……。うん、仮眠室でも借りてくるよ。それじゃあヴォルフさん、後よろしくお願いします。何かあったら声を掛けてください」


 言って、それから可愛らしい笑顔と共に部屋を出て行ったアンネ。その背中を、扉が閉まるまで見送ってヴォルフに向ける。


「……先輩、来るの早かったですね」

「順番の話か?」


 逃げるような声音に、小さく肩を揺らす。

 偶然彼の耳に入るのが早かった。……そういうことにしておこう。


「それよりも話だ。どこから言葉にするのがいいか」

「……アンネさんが先輩のところに来て、その後からなんてどうですか?」

「…………私はあまり人に話をして聞かせるのが得意ではないのだ。分かり辛かったらその都度聞いてくれ」

「大丈夫ですよ。その辺りは先輩らしさです。言葉の裏にある本音だって当てて見せますよ」

「……不必要な勘繰りをするな。知る分だけ痛い目を見るぞ?」

「温かいの間違いじゃないですか?」


 誠実な物言いに言葉を返せば、それから一つ咳払いを挟んで彼は語り始める。


「まだ夜は深い。沈黙も話の一つだと勘弁して付き合ってくれ……無言(リーダ・オーネ・)(ウォルテ)とまでは言わないがな」




              *   *   *




 自分の事は、誤解の多い人だと決着している。だからこそ語らない言葉……必要であろう行動でこれまでも示してきた。

 多くを語らないのは決して何かを恐れているわけではない。単純に、口が下手で、他人との距離を計りかねているだけだ。

 堅実で実直で。積み重ねてきた己自身というのは不安定さを嫌って出来上がった性格だ。

 今更これを変えようとも思わないし、変えられるとも思わない。

 それに感謝をしている事もある。冷静で大人びた視線を持てたこと。他人から必要とされる事。いざという時に信頼に裏打ちされた結果を求められる事。

 彼に言わせれば何処までも打算的で狡賢いという事になるのだろうが……別に何かを狙ってその立場を欲していたわけではない。ただ単純に、波風を立てずに温厚に安心して過ごしたいと願って、いつの間にか手に入れた振る舞い方だ。

 人に言わせれば面白くないと言われるかもしれない。実際、流行には鈍感で堅物というのは自覚している。

 けれどそれを変えてしまえば、今ある安心がなくなってしまう気がして、捨てられない。面白味の無い、仮面のような人生だと、達観さえする。

 そんな私の生き様にも、転換期というか分岐点は存在するようで。それはハーフェンに上がる前。まだトーアに居て、けれどハーフェンに属する事は決まっていた短い春期休暇に訪れた一つの書簡。

 曰く、学院内で組織を作る為に参加して欲しいという招待状。差出人は私もよく知るエルフの先輩。当時は様々な要因からその身を退いたが、生徒会長として自分を貫いて見せた、苛烈なる非難の中に居た存在。

 同じ生徒会の書記として隣で見上げ続けてきた、自己の塊。ニーナ・アルケス。

 元軍属にして秀でた才能を持つ憧れでもある者だ。

 少しだけ締りが無くて、脱走癖があって、面倒臭がりな……けれど信じたものと責任には誰よりも強い曲がらない自分を持つ存在。それが彼女。

 そんなニーナからの言葉に、けれど最初に募ったのは疑問だった。

 彼女がそんな事を自ら言い出すだろうかと。

 一度無意識に殺されかけた彼女が。その仕返しとも言える学院全体の治安を維持する組織の設立など、何か彼女以上の思惑があるに違いないと。

 信頼と経験が裏打ちする違和感がこの身を動かし、そうして見つけた彼の存在。

 最初から、危惧はしていた。

 なにせ学院でもそこそこの有名人。ニーナに並んで噂だけが先行し、悪名高い灰色の少年、クラウス・アルフィルク。あの何を考えているのか分からない四分の一の放蕩者と、それから傷を背負ったエルフのニーナが何かを画策していると知れば、二人の事を知っていれば危機感を抱くのは当然だ。

 だからこそ試した。丁度その頃周りで起きていた個人的な話に巻き込んで、それ以上の無法を働かないようにと、戒めのつもりで柄にもない悪さを思いついた。

 けれどその関係を、彼は一人の少女と共に全て(つまび)らかにして現実を突きつけて見せた。

 コルヌとの関係、レベッカとの繋がり。その間に渦巻いていた拗れた空気を、秘していた筈の真実を暴く事で見事に壊して再始動させてくれた。

 無茶な事だったと。その無茶を、けれど彼は逃げ出さなかったのだと。

 それまでに小耳に挟んだ幾つもの噂で、彼の思惑にはある程度想像がついていた。詳しいところまでは分からないが、少なくとも妖精に関係する問題を起こそうとしていることだけは把握していた。

 その先に、誰もが夢見る理想がある事を知って、だからこそニーナと手を組んだのだと納得した。

 無理難題を解決して見せたクラウスに。抱いた夢の壮大さと蒙昧さに立ちくらみさえ覚えて、試そうとした自分が恥ずかしくなった。

 だからこそ彼には協力をすると……意地悪に試そうなどと思った償いの意味も込めてそう答えたのだ。

 それからは、知らず楽しかった。言葉にもしなかったし表情にも努めて出したつもりはないが、心は躍っていた。

 まるで本当にどこかへ連れて行ってくれるのではないだろうかと。次から次へと舞い込む話に、着々と彼の足場が固まっていく音を聞きながら、期待してしまった。

 同時に救われた部分があった。もちろんそれはレベッカの事もだが、ブラキウムとしての役目。重荷に感じていた縛りつける戒めですら、方法論として利用する価値があるのだと教えられた。

 他人に言われるがまま、都合のいい仮面を被って平穏に過ごしてきたこの身が、僅かに自分の意思で自由の片鱗を掴んだ気がした。

 だから余計に、求めてしまった。彼が目指すその先の景色に、同じ夢さえ重ねてしまった。

 それはもしかすると隣にいたクラウディアの所為かもしれないと考えてしまうほどに。

 彼女は、何が理由かこの身に興味以上の感情を抱いてくれている。私には、それに答えるだけの自分を持っていない気がして、ずっとその気持ちを(ないがし)ろにあしらっては来たが、彼のお陰で気付くものがあったのだ。

 妖精と人が並び立つ景色。その一端に居れば、クラウディアとの関係も別に興味を集めるものにはならないかもしれないと。それが当たり前になれば、一々方便を振り翳さなくとも堂々と胸を張っていられるのではないだろうかと。

 もちろんそれと、彼女の気持ちに答える事は別問題だろうが。少なくとも許し難いことだと否定する気持ちは無くなるかもしれないと。

 だからこそ時に厳しくも聞こえる言葉で制しながら、彼への協力は惜しまなかった。

 何か事を起こそうと気付いたのなら、裏からブラキウムやコルヌの力を使った。ニーナのハーフェン級への昇格試験も、トロールの一件で委員会に回ってきた任務も、その後のハインツとジャッキーの一件も、露草姫への心遣いも、フェリクスの時も。そして、デュラハンへの道行きも。

 彼が気付いていたかどうかは定かではないが、彼の助けになればと幾つもの融通を働きかけた。片棒に、エルゼの協力を仰いだ事もある。

 それほどに影と裏で支え続けてきた彼の人並み外れた野望に、私は期待以上の信頼をしていた。

 それは辿り着いて然るべき結論だと。誰もが手を伸ばすに足る、必要な事だと。

 しかしそんな彼の道が途絶えてしまった。良かれと思い助力し続けてきたその行く末に、彼は死神の刃に掛かってしまった。

 だから彼に夢を抱きすぎていたが故に、するべき事を見失いかけた。

 そんな折に力を貸して欲しいと声を掛けてきたのがアンネだった。ヴォルフに出来ない事を、彼の代わりのように無理をして成そうとするその強い意思に、少しだけ願った理想を重ねて。出来ない事を差し引いて協力すると答えた。

 だからこそ既に諦めることさえ捨てて、形振り構わずに行動へと昇華していた。

 有言実行など甘い考えだ。不言実行。言わずとも結末を示しさえすれば、求めるものだけは着いて来る。

 曲がらない信念に従って訪れたのはコルヌ家。彼女に協力すると告げたその日の午後には、既に約束を取り付けていた。

 迅速に行動に移せたのは、やはりレベッカのお陰だろう。彼女が居なければそもそもコルヌとの繋がりなどあってないようなものだ。もちろんエーヴァルトには世話になっている。

 この身には彼の血が半分入っている。その責任というべきか、彼が彼を戒める為に、僅かながらの資金援助がブラキウムの家にある事も知っている。

 感謝をしていないと言ったら嘘にはなるが、それが彼の自己満足だと知っているからこそ、今だけは利用させてもらう。

 もう何度目だろうかと。立派な門を抜け大きな玄関扉を潜れば伸びた絨毯。相変わらず大きな屋敷だと、コルヌの持つその大きさに感嘆を通り越して呆れさえ滲ませながら使用人に案内され一室へ。

 そこはエーヴァルトの書斎。ヴォルフが訪れる際に、彼が好んで招き入れる彼の居城だ。

 今やヴォルフは、コルヌよりも彼個人の客人という意味合いの方が強い。レベッカのことで解けた(わだかま)りの糸が(もたら)した関係だ。


「いらっしゃい。カルラ、お茶を」


 カルラ。そう呼ばれたのはこの屋敷……コルヌを治める本来の主。カルラ・コルヌ。女系の家であるコルヌの現党首。

 体裁の面からエーヴァルトが彼女の名代として伯爵の位を賜ってはいるが、元々は隣で給仕をする女中姿の彼女の席だ。だからか、エーヴァルトは伯爵と呼ばれる事を嫌っている。

 それにヴォルフの事もある。彼が昔に語ってくれた自嘲気味の若気の至り。ヴォルフの母親との間に芽生えた感情と証が、彼自身をコルヌの家名には相応しくないと戒める。

 その裏返しとして、ヴォルフは彼によくされている。カルラからも、ここを訪れた際には実の息子のように愛のある対応を受ける事もある。

 懐が広いとか、そんな事を考えるのが愚かなほどに。彼女はコルヌの名前に相応しい淑女なのだと改めて知る。


「お元気ですか?」

「はい、お陰さまで……」


 優しい笑顔。飲み物を差し出す柔らかい仕草に頭の後ろで括った、少しだけ青く見える綺麗な黒色の長い一つ括りが揺れる。

 囁くような、慈しむような声に答えて、けれどその先は喉から出てこなかった。

 ヴォルフとカルラは、近くて遠い。だからこそ計りかねる距離に、彼女は何を考えたのか頬を緩ませてくすりと笑みを零した。


「レベッカのこと、よろしくね?」

「……はい」


 クラウスならば他愛の無い返事が出来たのだろうが、生憎この身は堅物。硬い物言いに、カルラはまた一つ笑ってそれからエーヴァルトの後ろへと控えた。

 言ってしまえば慈母だ。母が子に向ける愛情そのもの。血の繋がりがないはずの彼女に抱くそれは、深い尊敬だろうか。


「それで、話というのは? レベッカ抜きというからには個人的な相談事か?」


 次いで響いたエーヴァルトの声。筆を置いてあげた顔で、ヴォルフを見据えて強い色で射抜く。

 けれど退いている暇はない。私が望んだ彼の道行きに再度光を。その為に必要な事をするまでだと目的を胸の中心に置く。


「……私個人の友人である、クラウス・アルフィルクの為にお力を貸していただければと思って参りました」


 具体的な方法論はアンネから聞いていない。だから零れる言葉も曖昧にしかならないが、したい事は単純だ。

 嘘など通用しない事を知っているから、実直に真実だけを告げる。

 どんな見返りがあればいいだろうかと考えて、けれど次の瞬間響いた溜息に思わず肩を揺らした。


「はぁ……。全く、君もか」

「…………それは、どういう」

「先ほどルキダ君もここへ来てな。彼の為に協力をして欲しいと頼まれたのだ」


 いきなり飛び出たアンネの名前に驚く。

 いや、冷静に考えればその可能性もあったのだと。

 ヴォルフがコルヌに繋がりを持つのは当然だが、彼女だってこの家への連絡係として幾度か訪れているのを知っている。面識があって、頼るのならば確かなやり方だ。

 ヴォルフの方が行動が遅かっただけのこと。

 しかしながら朝の内にヴォルフと、それからニーナのところにも話を持っていって……あの後テオも顔覗かせたから彼も……そして恐らく彼女の友人であるユーリアも。それだけに声を掛けた上でコルヌにまで助力を願うとは、その軽率とも言うべき身軽さには尊敬すら抱く。

 形振り構わないというのは確かにその通りだが、それほどに彼女も諦めていないということだろう。


「彼女にも答えたから今更何かを飾る事もあるまい。協力はしよう。彼には借りもある」


 借り、というのはヴォルフとレベッカの件で巻き込んだことへの償いか。

 言ってしまえば私が話を持ちかけて引っ張り込んだのだが、その尻拭いはどうやら彼が感じた責任らしい。

 ならば今は甘えるとしよう。甘えてもいいだけの理由なら、エーヴァルトとヴォルフの間には存在する。


「しかし具体的な事は言われていないからな。何から手を着ければいいか……」


 言ってこちらへと視線を向けるエーヴァルト。どうやらその後詰が今回のヴォルフの役目らしい。

 話を持ってきた彼女としては、一度落ち着いてから再度詳しい話をしに来るつもりだったのだろう。面倒な役回りだと諦めて、それから彼女の理想を考える。

 クラウスを助けたいと彼女は言った。その為に協力をしてくれる人を探している……否、無理やりにでも必要な人は巻き込むと。

 ならばその方法論。どうすれば彼の目を早く覚まさせる事が出来るか……。

 彼の容態は彼が病院に運び込まれたときにニーナから聞いた。回路が掻き乱され、それが魂に達していることで意識を失って眠っているのだと。その回路や魂さえどうにかできるのならば目を覚ますのではないだろうかと。

 裏を返さずとも、そこが一番の目的だ。ならばどうすればそこに干渉して彼を連れ戻せるか……。


「彼が彼女の庇護を受けているのは小耳に挟んだ」

「彼女、というのは……?」

「露草姫。今は亡きこの国の主の最愛だ」


 頭を巡らせていると続いたエーヴァルトの声。その言葉に肩を揺らす。

 流石にそれは重すぎる事実だと。彼は一体何処まで手を伸ばそうとしているのだと。

 考えて、けれど脳裏に閃くものが一つ。


「それが分かれば少しは動き方はあるのだろうがな」


 同じところに至ったエーヴァルトが零す。つまりは、彼がどんな信頼を露草姫から勝ち得たか。それがきっとアンネが考える方法論で、この場の答えたのだ。

 ならばヴォルフにはやりようがある。


「……すみません。また後でお話を伺いに来てもよろしいですか?」

「何か思いついたかね?」

「するべき事を見落としていたまでです。今から確かめに行ってきます」

「ふむ、そうか。分かった。なら夕食時にまた来てくれ。久しぶりに賑やかに囲もうではないか」

「ありがとうございます。それでは失礼します」


 こちらの思惑を察してくれたのか、次の予定まで示して任せてくれる。

 彼が露草姫に繋がりがあるように、それと同等以上の価値がヴォルフにはある。頼れるべきコルヌという大きな力が存在する。

 利用するようで心苦しいと胸の内で考えながら、けれど必要な事だと今は目を瞑る。

 事ここに至って彼の気持ちが少しだけ理解できた気がしたヴォルフだった。




 コルヌ家を後にしてヴォルフが訪れたのはクラウスの自室。そこにいるだろう彼のはんぶんに話を聞く為だ。

 扉を叩いて返った声に中へと入れば、人化をした二人の妖精が本の山に埋もれていた。

 少しだけ彼の姿を幻視して、声を掛ける。


「話があるのだが少し時間いいだろうか?」

「待ってたわよ、クラウスみたいに持て成しは出来ないけど座って?」


 答えたのは黒髪の少女。確か名前は、アル。彼とは契約を交わしていなかった方の妖精だ。


「それで、話ってのはクラウスのことでしょ? 何が聞きたいの?」


 単刀直入な物言いにやりやすいと感じて早速切り出す。


「……何をしようとしていたのだ? 彼女……露草姫からどんな庇護を受けていた?」

「露草って…………」

「ローザリンデ。ブリギッテの契約相手だった人よ」


 補足はヴォルフの隣から。ここまでずっと静かに付き従ってくれていた相棒であるクラウディア。

 そういえば、だが、妖精は自分が契約した相手以外の人間の事を、どの妖精の契約相手であるかという程度の認識しかしないと言われている。だから妖精と話をする際は誰の契約妖精か、と切り出せば大抵話が通じるのだ。

 けれど例外というか……人への興味を必要以上に持つ個体も居るのが、妖精という種族を一括りに語れない要因の一つ。それはクラウディアのように契約相手に恋心を抱く者が居るように、確かな興味を持って他人の名前も覚えたりする。

 特にハーフィーやクォーター……人の血が混じる妖精によく見られる話で、そういう意味では彼女達は規格外だろうか。

 考えながら、そういえばヴォルフ以外ここにいる者は全員が混じり者であると至ったのと同時、納得を生み出した様子のアルが疑問に答える。


「庇護ねぇ……。そんな大したものじゃないと思うけど、フィーナどう思う?」

「妖精の為で、クラウスさんの為です。夢が少しだけ近い場所にあったから、お二人は納得していたんだと思います」


 分厚い本から顔を上げて答えた白銀の妖精。蒼色の透き通った瞳が、彼とは対照的に揺らがない色で真っ直ぐに事実を見据える。


「クラウスさん風に言えば、ただ利用して、利用されてただけです」


 彼なのだから、その通りなのだろうが。だとしてももっと具体的な答えが欲しいと。


「……その内容は? どういう理想で結びついていたのか聞いてもいいか?」

「そりゃあ妖精の国(アルフヘイム)でしょ」


 ヴォルフの問いに、当然だという風に告げるアル。

 分かりきった事だ。そんなのはヴォルフだって気付いている。だからこそ彼の行く末に理想を重ねたのだ。

 問題はその方法論。


「クラウスは、どんな風にそこを目指そうとしていた?」


 それが今ヴォルフが欲する答え。エーヴァルトの協力を取り付ける為に必要な情報。

 彼しか知りえないはずの彼の心を共有する、彼のはんぶんに尋ねる。


「……色々です。一つってわけではないですから。妖精の国、オーベロン、タイターニア、エルフ……。多分どれが欠けてもクラウスさんにはいけないことなんだと思います。私は考えるのは苦手ですから、詳しい事はよく分かりませんけれど」


 具体的なところは彼のみぞ知るという事だろう。

 欲した答えだが、具体性の無い答えに頭を抱える。

 それでは足りない。エーヴァルトの協力を引き出す為に、具体的な方針が欲しいのだが…………。

 彼がよくそうしているように一つ息を吐いて気持ちを落ち着ける。

 駄目だ。彼を理解しようと思うから行き詰るのだ。別に彼の理想全てに付き合わせなくてもいい。彼が戻ってくる為の方法論。そこまでの理由でいいのだ。

 考えて少しだけ思考を外すように窓の外を見れば、随分と染まった夕焼け色。こんな時でさえ世界は変わらずいつも通りに回るのだと少しだけ寂しく思う。

 彼が意識を失ったの夜が嘘のように雪の名残は見当たらない。遠くに見える山の方にはまだ頂に少しだけ白い化粧をしているようにも見えるが、人の集まる場所ではその熱気に溶かされて、一夜限りの白銀景色だったとその時を思い出す。

 夢であったならどれだけ楽だろうかと。ない物強請りをして頭を振れば、耳が扉を叩く音を捉えた。

 フィーナが招いて、ヴォルフも顔を向ければ続々と並んだ顔ぶれは見慣れたもの。

 ニーナ、テオ、ユーリア。そしてその三人を先導するアンネ。クラウスがいない事を除けば、彼の周りによくいる面子だと少しだけ安堵する。


「あれ、こっちに居たんですね。声を掛けてみたんですけど返事が無かったのでどこかへ出かけてるのかと思ってました」

「……あぁ、私なりに力になろうと思ってな。道を見つけた気になってはいたが今足を止めたところだ」


 アンネの声に答えれば見慣れた顔が腰を下ろす。クラウスが居ない中でこうして顔をそろえるのは初めてだと少しだけ新鮮な感覚。それから直ぐにヴォルフの中のいつも通りが顔を覗かせて腰を上げる。

 同時、フィーナが本を閉じて立ち上がった。


「こんなに集まったらお茶をお出ししないとですねっ」

「手伝おう」

「ありがとうございます」

「あ、私もっ」


 次いで声を上げたのはアンネ。彼女は慣れた様子で棚から茶器を取り出すと準備を始める。その間違いのない手つきに、不必要な勘繰りをして、それを捨てた。

 それは彼と彼女の問題だ。ヴォルフが口出しをする話ではないと。

 水を火に掛けて沸くまで待つ傍ら、視界の端にフィーナの姿を捉える。

 見れば彼女はカップを一つ、胸に抱えたまま大事そうに見つめて棚へと戻した。察するに、あれがいつも彼が使っているものらしい。全く、契約妖精にまで心配をかけるとはクォーターの分際でどんな了見をしているのだろうかと。

 景色の端々に滲む彼への繋がりを感じながら、上げた視界でこの部屋の主が居ない喪失感に苛まれる。

 本来ならば、本に手を伸ばすユーリアの横には軽薄そうな笑顔を浮かべた彼が居て。テオの横には意地悪な顔で見つめる彼が居て。ニーナの隣には何かを任せ切ったような冷静な彼が居て。……私の隣にも一歩引いた視線の彼が居て。

 けれど彼が居ないだけで纏まりがなくなったように感じる景色には沈黙だけが横たわる。

 それほどに、ヴォルフたちは彼を中心に……彼に期待をして寄りかかっていたのだと。

 何も出来ないと嘯きながら、誰よりも一番前を歩く彼に頼りきっていたのだと。

 だからほら、彼がいなくなった途端皆が足を止めてしまう。

 知らない事は罪だ。彼がこれまで何をしてきて、その胸にどんな野望を抱いていたのか。その本来のところに見向きもしてこずに甘えてきた我々の罪だ。

 だからこそ、今それが必要なのだと悟る。

 彼を失った私達に、彼を取り戻す為に、彼を知る事が必要なのだと確信する。

 気付けば悲鳴を上げていた湯沸し道具に慌てて火を止める。

 茶器に注いで綺麗な琥珀色から昇る湯気を見つめて、足りない一欠片にこれから手を伸ばすのだと胸に据える。

 机に並べれば全員が乳に手を伸ばして少しだけ笑った。

 ヴォルフとユーリアは生徒会室で飲むときはいつもそのままか、砂糖を入れるのみだ。けれどそれでも手を伸ばしたのは彼がそれを入れて飲んでいたからだ。

 あれだけ澄ました顔で客観視していた彼が不思議に思わない人間らしい味覚。言ってしまえば子供っぽい、どちらかと言えば甘党な部類の好みを思い出す。

 悪魔だ爪弾き者だと言われ続けてきたのだろう彼でも、根は人間で、クォーターだ。理解できないとそれを理由に心の底で遠ざけていたのはヴォルフたち。彼は何時だって、何処までも冷静に彼らしく興味を示していた。

 ならば彼を人間と認めて、理解しようと努めるだけだ。

 香る匂いに一口含んで。それからテオが茶菓子に手を伸ばしたところでニーナが紡ぐ。


「で、ヴォルフはどうしてここにいるのよ」

「……恐らく同じ目的だ。私も彼女に声を掛けられたのでな。自分流に色々探していたらここへ辿り着いた」

「だったら話が早いな」


 どこか嬉しそうに告げるテオ。咀嚼した焼き菓子を飲み込んで一つ息を吐くとその視線をフィーナとアルへ向ける。


「聞かせてくれる? どうすればクラウス君を元に戻せるのか……」


 アンネの声に震えた翅はアルのもの。言葉を探すように黙り込んだ後、彼女は静かに語りだす。どうやら彼女の中で説明の為の整理がついたらしい。


「……一つ、前提を付け加えさせてもらうわよ? クラウスがあんな野望を抱くくらいなんだから当たり前だけど……今この世界に妖精の国と呼べる地は存在しないわ」

「今は、ね」

「えぇ。……無いから作ると言いだした。それがあの馬鹿の夢。昔にあたしが縋った、夢────」


 それは初耳な情報だが、けれど誰もが静かに飲み込んで納得する。

 彼の事だ。根拠も確たる理由も無く妄言は吐かない。何か思うところがあって馬鹿げた事を言いだしたのだと思っていたが、どうやらそれは世界の伴侶──妖精と交わした約束だったらしい。

 一つ合点がいく。ならばそれは、ヴォルフ達にとっても妖精を知り、その仲を進展させる更なる道で、同じ夢だと。


「けど妖精の国とまでは行かないけど、その名残を残す場所はある。本来そこに人を招くなんて、オーベロンやタイターニアになんて言われてもおかしくはないんだけれども……」


 前々から、アルの事は不思議な妖精だと思っていた。例えその夢がクラウスとの間を繋いでいるとしても、彼女は彼に固執しすぎていると。

 契約もしていないのに隣へ着き従い、彼もそれを当然のように受け入れる存在。契約を交わすフィーナでさえも認めている節があって、これまでも時折口を挟んでは必要になる事実だけを示してきた彼女。

 それはもしかするとこの世の真理を全て知っているかのように、黙し告げる存在。


「かつて妖精の国と呼ばれる、妖精の都があったはずのその地…………。人の言葉で言えば、世界の中心──ミドラースに程近い場所にある、秘匿されるべき国」


 ミドラース。それは妖精史の授業でも時折耳にする過去に栄えた土地だ。

 このフェルクレールトの大地は今では四つの大国に分けられる。

 ここブランデンブルク王国は東の地。我らの故郷にして歴史の中では最初に妖精憑き(フィジー)が誕生したとも言われる、最も陽が早く昇る始まりの場所。

 北にはスハイル帝国。その歴史の中で多数の部族を纏めて出来上がった混沌と平穏の上に成り立つ雪と氷の大地。

 南にカリーナ共和国。ブランデンブルクとも親交が深く、スハイルとは逆に夏の暑さには目を見張るものがある、植生豊かな緑で温かい土地。

 それから西のトゥレイス騎士団国。先の戦、第二次妖精大戦の途中から声を聞くようになった新進気鋭の、住む者全てに騎士の位が除されるという少し特殊な国。

 けれどそれらは歴史の中で王や皇帝が治めて出来上がった、ただの区分けに過ぎない。妖精史の授業では、それこそ大国など無い時代もあって、多数の村や町が点在したと言われる時代には、先ほど彼女が上げた名前が出てくる。

 そこは今のフェルクレールトで言えば一番の火種にもなり得る、四つの国の境が交わる土地。この世界の中心地にあったとされる、妖精との関わりが最も深い場所のひとつだ。

 今はなき土地で、長年の歴史の遷移で街の中心に流れる川が氾濫して廃都と化し、生き残った人々は安息の地を求めて四方へと散り散りになった……僅かにその痕跡だけが残る跡地。

 先の大戦でも戦禍を免れたこの地は今では歴史、妖精研究の要所とされ、四大国協調の下保全という名の管理をされている場所。少しずつではあるがその時代と妖精への探求を行っている、草木の生い茂った森だと記憶している。

 聞いた話では、戦禍に巻き込まれなかったのはそれぞれの国にいた研究者達が裏で手を取り合って死守しようと各々の国に掛け合ったかららしいが、さて真実はどうだろうか。エルゼ辺りに聞けば教えてもらえるだろうか?

 と、どうでも良い事を考えて、それからアルの言葉に耳を傾ける。


「手がかりなら、あるかもしれない。けど解決策がそのままあるとは限らない。それでもいいのなら……どうにか融通は出来ると思う。もちろんここにいる全員の力を借りて、だけど」

「可能性はあるんだろ? だったら試す以上ないだろ。ここで話し合ってる時間さえ惜しいんだっ。クラウスみたいに蓋然性を語るより、目に付いたやり方を全部試す。そうすればいつか当たりがあるかもだろ?」


 彼の幼馴染であるテオは、彼とは真逆の性格だ。思考を抜きにして、感情と行動で示す分かりやすいやり方。

 それは無謀と紙一重で、けれど何かを動かす際に必要な牽引力。それが今は、この景色を動かす。

 後先考えない、といえば言い方は悪いが、ニーナと同じ理由を必要としない根拠だ。確かに、彼と彼女はお似合いかも知れないと。


「他にないならまずその方法を試す。そのうち確率の高い方法が見つかったらそれに変える。こんなところじゃないかしら?」

「で、私達は何をしたらいいわけ?」


 ユーリアもどちらかと言えばそちら側か。信じたものを疑わない強さと、それを現実にしてみせる強引さは、確かな芯を持った彼女らしさだ。

 そうして次々に挙がった声。随分と軽い拍子を刻んで進む話に、アルは少しだけ呆気に取られる。

 確かに彼の傍で過ごしていれば、根拠の無い話を勝手に進められる感覚は新鮮かもしれない。ヴォルフは殊更に慎重だから、彼のように考えて行動することの多い身だが、それでも今回の話には乗る価値があるように思う。


「クラウス君の為だからね。それだけ大きなものを、残して行ったってだけだよ。私だってその為にみんなを集めたんだから」


 最後の一押し。アンネのその言葉に、根拠にもならない……けれど確かな理由を持つクラウスという名前が歯車を軋ませて動き出す。


「…………分かった。とりあえずミドラースが目的地」

「ならばあそこに立ち入る為の許可を取らなければな。あの地は四大国が共有財産として統治、保護をする場所だ。それぞれの国に出向いて道理を示さなければならない」

「それがあたし達の最初にやるべき事って訳ね。いいじゃない。どうせ妖精の国の実現なんて世界に牙向く大業だもの。今更そんな事で怖気付かないわよっ」


 自信満々なニーナの声に溜息一つ。それから覚悟を決めて腰を上げる。


「だったらまずは取次ぎと最初の許可だよね。準備して待っててください。直ぐにお迎えに上がります」


 最初に足を出したのはアンネ。ヴァレッターという地位を持つ彼女は、この中で誰よりもこの国の主に近い場所を持つ。これまでにもクラウスは彼女を使って幾つもの融通を引き出し捻じ曲げてきたようだが、今回はヴォルフ達が利用する番だ。


「無理しないでよ……? クラウスいないんだから」

「クラウス君がいないと何も出来ないようじゃあ、私に価値なんてないからっ」


 部屋を出て行くその背中に掛けられたユーリアの声。心配の宿った音に、けれど振り返らずに笑みさえ含ませて返った響きにヴォルフも思考を入れ替える。


「なら私達も準備だ。正装でいいのだろう?」

「そうね。出来る限りの事、して見ましょうかっ」


 全員で頷いて、それから彼の部屋を後にする。その服の裾を後ろから引っ張られて振り返れば、立っていた白銀の少女が静かに頭を下げた。


「……ありがとうございます」

「…………そういうのは、全て終わった後でいいと彼に教わらなかったか?」


 自惚れない為に、自分への戒めとして零した言葉。その音に少女、フィーナは少しむくれて答えた。


「クラウスさんがそんな人間に見えますか……?」

「見えないな。なにせ人並み外れたクォーターだ。だからこそ、君なのだろう?」

「……そうであって欲しいと、思ってます」


 僅かに染まった頬は彼への尊敬か。

 契約妖精に愛され、世界に嫌われる彼には、けれどまだ帰ってくる場所があるのだと確信して彼の部屋を後にする。

 そうして廊下を歩く傍ら。肩に腰を下ろす相棒に声を掛ける。


「また面倒事に巻き込む……」

「慣れっこですよっ。それに何だか、楽しそうですっ」


 クラウディアの小さな手が何かを掴むように伸びる。人の半分混じった彼女だからこそ感じるものもあるのかもしれないと。益体もなく考えながら今後の予定を想像しながら歩く。

 彼にはまだ、ここにいる理由がある。それを否定するには、まだ早い。




 正装に着替えて、少しすると戻ってきたアンネに連れられてブランデンブルク城へ。隣にはいないクラウスを連れ戻す為の最初の大一番。ここさえどうにかなれば後は成り行きに任せてなし崩し的にどうにかなるはずだと。根拠の無い確信を胸に据えて小部屋に通される。

 中にいたのはカイ、ハインツ、エルゼにそしてエーヴァルト。先ほど彼の書斎で会った時は、この時間に何か用事があるような物言いだった彼だが、どうやらその用というのはここである何かだったらしい。

 見慣れた面々。テオの兄にユーリアの父親、ニーナの母親にヴォルフの本当の父親。普通とは違う緊張感に苛まれながら目上の大人たちを目の前に足が止まる。

 顔を見合わせて息を呑めば促したのはエルゼ。


「ほら、座りなさい。話があってきたんでしょう?」

「あ、はい……」


 驚きと緊張の、余りニーナの口からは普段聞かない硬い口調。まだ飲み込めていないのは自分だけではないという安心感に、隣の存在を強く感じながら四人の目の前に座る。

 これでは(さなが)ら面談ではないかと。嫌に滲む汗を必死に外へと追いやりながら重く息を吐く。


「そんなに硬くなるな。この顔ぶれが集まったのは偶然だ。丁度話が来た時に一緒にいてな、なら同席してもらった方がいいと思って無理を言ったのだ。……そういう類の話だろう?」

「はい。今回は皆さんにお願いがあって来ました」


 カイの言葉に答えたのはアンネ。心成しか彼女もまた緊張している様子の声音でこちら側に立って告げる。


「何だ、また有無を言わさないつもりかい?」

「いえ……。その、あの時はその場の感情で思慮のない言動をしたと深く反省してます」

「そうか……少し期待したのだがね。素晴らしい啖呵だったと賞賛さえしたいくらいだ」


 それはデュラハンの時にカイへ叩きつけた一方的な長広舌のことか。全てを壊して理不尽に振り回して見せた彼女の言動は、ヴォルフの脳内にもしっかりと焼きついている。

 彼女があそこまで情熱的に言葉を操ったのは見た事が無いほどに鮮烈だったのだから仕方がない。

 けれどアンネはその結果にクラウスに償いきれない傷を負わせてしまったと悔いているのだろう。

 そんな彼女の振る舞いをからかうように口にするカイは、それから一つ堰を挟んで尋ねる。


「……それで、具体的にはどういった話だ? 聞くだけならば簡単だ」


 重い、覚悟を迫る前置きに、集まる視線を一身に受けて彼女は答える。


「クラウス・アルフィルクの容態を快復させる為にお力を貸していただけないでしょうか?」

「死神の時は無理を強いて、その上で今度は失敗の尻拭いを一緒にしろと? 随分と恥知らずなことだな」

「もちろん見返りがないとは言いません」

「それは?」

「……妖精の国の…………延いては妖精という存在への手がかりです」


 辛辣なカイの物言いにエルゼの問いが重なってアンネが答える。


「彼がこれまでに積み重ねてきた功績は全てそこへ至る為の布石です。彼が戻ってくれば、妖精やその土地に対して今まで分からなかった事を知る事が出来ます。この見返りに、彼の命を救うだけの価値がないと言い切れますか?」


 真っ直ぐな水色の瞳。その奥に彼と同じ(したた)かで、揺らがない意思を感じてヴォルフも告ぐ。


「妖精は世界の伴侶です。けれど私達はその本当のところを知らなさ過ぎます。だから回帰種(フィーリス)の時も回帰の揺籃歌(ベルスーズ)が出来るまで何も出来なかった。今も、かの死神が残した爪痕に解決の目処は立っていない、違いますか?」

「結局俺たちは今の目立った戦のない時世にこれ以上を求めていないだけだっ。いつ確証のない夢を捨てて現実に溺れたんだ? 新しいことから目を逸らして今ある常識だけに固執する事が大人だというなら、俺は大人になんてなりたくはないっ」


 続いたのはテオの声。それは彼自身の言い分で、そして目の前の大人に向けた宣戦布告。


「……学び方を学ぶのが教育。そう教えてくれたのは貴方方大人です。だからあたし達から学ぶ機会を奪わないでください。真実を追い求める正しさを、言い訳にさせてください」


 静かに、しかし確かに。そう紡いだのはニーナ。その言葉は、この国に……世界に住む者ならば誰もが尊敬するだろう、露草姫の遺した真実だ。

 そうしてぶつけたそれぞれの了見。

 これ以上ない、これしかないと理由を並べ立てて迫る。

 クラウスを連れ戻す為に必要なのだ。ならば方便なんて幾らでも使い分ける。その覚悟と、彼が戻ってくるという確信だけは揺るがない。

 そうして、落ちた沈黙に声が響く。


「本気か?」

「うん。帰って来てもらわないと困るから。まだ借りを返してないし、約束の答えも聞いてない……。だからお願いっ」


 ハインツの低い声にユーリアが答えて。肩を揺らした彼は重く頷く。


「わたし個人でならば協力しよう。愛娘たっての願いだからな」

「……そういうの卑怯だと思わないの? だったらワタシだって愛すべき娘よ。力になら幾らだってなるわ」


 続いたのはエルゼ。彼女はその黄金色の瞳の奥に言葉以上の興味を灯して紡ぐ。彼女のそれはアンネの語った見返りに興味があるからだろうかと邪推。


「方法論は? どうやって彼を連れ戻すのだ?」


 次の疑問はエーヴァルトから。すべてはそれを聞いてからだと語る強い色の瞳がこちらを射抜く。


「……ミドラースに向かいます。そこに手がかりがあるらしいので。その為に、それぞれの国に許可を頂きにいきたいと考えてます。その後ろ盾……確かな理由が欲しいというのが私達の全てです」

「ふむ…………」


 アンネの言葉に顎を撫でるエーヴァルト、やがてこちらに視線を向けてきた彼は個人的に告げる。


「……約束は忘れていないかね?」

「はい」

「うむ。ならばその時に」


 それは書斎で交わした食事の件だろう。頷いて返った答えに確信する。

 答えはもう決まっている。彼だってクラウスには一度期待をした身だ。クラウスが帰って来る可能性を抜きにしても、ミドラースから持ち帰る情報にも意味があると踏んだのだろう。

 ならばきっと彼の答えはヴォルフの望むものだ。


「……さて、我々の見解は聞いての通りだ。カイ殿はどうされるかね?」


 試すような……けれど分かり切った答えを問うように笑みを浮かべるエーヴァルト。その瞳に、溜息を返したカイは諦めたように答える。


「…………全ては仕える我が主の御心のままに、だ。少し待っていろ」


 それだけを言い残して部屋を出て行くカイ。その背中を楽しそうに見送ったエルゼは、どうでも良い事のように弄ぶ。


「全く昔っから変わらずに意固地ね。誰よりも頷きたいのは彼でしょうに」

「そういう兄ですから。……でもそんな曲がらない、信頼できる兄を俺は尊敬してますよ」

「愛すべき弟の道行きを手放しで喜べないなんてどうにかしてると思うけれども……。それでもいいわね、兄弟って。ねぇ?」


 言って視線を向けてきたエルゼに、けれど返す言葉が見つからずに黙り込めば、彼女は小さく笑った。

 別に言ったところで、ここにいる者達は程度の差こそあれヴォルフとレベッカの関係は知っている。けれどエーヴァルトの前でそれを口にするのは、彼を責めているようで嫌だった。


「ヴォルフ君、家族には話を通しておいてくれたまえよ?」

「……はい」


 長く賑やかな食事になりそうだと想像して、彼の真意を測れば無粋な気がしたヴォルフだった。




 しばらくして戻ってきたカイが持っている数枚の書類を、カイ、エルゼ、ハインツ、エーヴァルトに渡す。目を通して通して彼らが何かを書き込むと、ヴォルフ達の手元へと渡る。書かれているのは表向きの理由。

 共通しているのは特使というこの場限りの特権。それからヴォルフの持つものには手書きで付け足された研修留学の文字。


「学びに行くのだろう? それらしい理由は必要で、君たちが夢見る理想の他にも得られるものは沢山あるはずだ。ならば時間を無駄にするな。君たち個人の自由を自分で尊重した上で、彼の事が心配ならば必要なものを欲せばいい」


 つまりは、自分の事もしっかり面倒を見ろと。誰かの為である前にまず自分の成すべき事をして、その上で彼を連れ戻す算段を立てればいいと。

 確かにその通りだ。

 ヴォルフだって未来がある。ブラキウムの家を、名のあるものとして継ぐだろうし、少なからず国に貢献する為にやるべき事は沢山ある。コルヌとの関係だってその一つだ。

 けれどそれを(おろそ)かにして、ただ夢だけを追い駆けて居ればいいというのは子供の了見だ。

 大人らしく誰かを助けたいのであれば、まずは自分がしっかり自立しろと。そういうことだ。

 それがカイが決めた戒め。何かあった時に彼がある程度の責任と協力を請け負うという、期待に返して欲しい実績だ。

 言っている言葉は厳しい。けれどその裏に隠された……隠し切れない彼の本心は、温かいというには火傷するほどに期待されているのだと受け止める。

 きっとヴォルフのものにそう書かれていたように、ニーナやユーリア、テオのものにも何かしらの副次目標が定められているに違いないと。

 ヴォルフのそれはエーヴァルトがつけたもの。ニーナにはエルゼが、ユーリアにはハインツが、テオにはカイが。

 それから最後に手渡されたアンネの書類には……きっと彼女が仕える主からの伝言が。

 僅かに笑って頬を持ち上げたアンネは、その顔に自信を満ち溢れさせて頷く。

 それからこちらに回した視界に頷き返せば、我々の総意を纏めて代弁してくれる。


「アンネ・ルキダ、並びに四名。交付されし任に依存なくこれを受諾し、全て満了する事をここに誓いますっ」


 畏まった物言いに、カイが一つ頷く。これで、最初の後ろ盾は準備完了だ。後は各々の努力次第で、目的地に向かって突き進むだけ。

 その先に理想の景色を湛えて、それ以外を認めないままに邁進するのだ。




 それからの日々は随分と早く感じられた。

 呆気ない一日はやるべき事に忙殺されて過ぎていく。

 彼が抜けた穴を埋めてくれるアンネに頼りつつ、ヴォルフは迫る期日に準備を重ねる。

 研修留学。残り一年の学び舎での生活を、ここフィーレストではなく、国境を跨いだカリーナの土地で過ごす。

 同じく国外に向かうニーナとユーリア。ニーナは今年で卒業。兼ねてよりの彼女の希望と国の要望が噛み合い、とりあえず軍属として籍を置き、更に国外研修という名目で北のスハイルへと単身向かうそうだ。

 彼女に課せられた個人的な目標は──フェアリードクター。前になりたいと呟いていた彼女の夢だ。彼女にしてみれば生まれ故郷にして、過去に話に聞いた尊敬すべき医者がいるという土地。思うところは色々とあるのだろうが、彼女にとって実り多き場所になるだろうと。

 それからユーリア。彼女は今ある軍属という地位を一度捨てて騎士団国トゥレイスへ向かうらしい。かの国は国民全員に騎士の箔が付くという特殊な場所だ。もちろん箔だけでなく実力者も多数いる国。そこに、ブランデンブルクからの使者として長期滞在するというのだ。帰還はおよそ一年ほど。ヴォルフの卒業とほぼ同時期までだ。

 彼女に課せられた個人的な目標は彼女自身が決めたそうだ。曰くハインツにそうしろと言われたらしい。戒めのように課したその願いは、簡単に言えば誰かを守れるほどに強くなる事。終わりのない目標だ。

 彼を守れなかったこと……引き止められなかった事を悔いていたらしい彼女は、けれど何もできないと知ったからこそ、今度は彼を守る為に出来る事へと手を伸ばした。

 彼女自身はそれが必要だと思った。ならばそれを否定する事はヴォルフには出来ない。

 一応留学という体裁の側面もある為に表向きは転校扱い。フィーレスト学院での扱いは休学という事になるらしい。一年間は向こうで過ごし、もしかするとそれ以上に向こうへいる時間が伸びるかもしれないとも言っていた。

 三人が国外へ。その間、この国でクラウスの近くに居る彼の幼馴染たる彼もまた、目指すものがあるらしい。

 それは過去に彼に乞われた場所。ヴォルフもそこまでは至れない……限られた者しか辿り着く事のできない、最上位階級──フォルト級。

 まずはそこから。そして出来る事なら軍属でさえも掴んで見せると意気込んだ彼には、彼自身が目標にする自慢の兄の姿が重なって見えた気がしたヴォルフだった。

 そんな各々の目的を胸に、ニーナの代の卒業式がやってくる。

 彼のいない式典は、格式張って有り触れたまま進み、終わる。涙の別れが目立つ中で、ニーナは涙を流さずただ前だけを見据えていた。

 彼女にしてみればこれからが勝負だ。

 フェアリードクターを目指すという目標も、その一端にはクラウスを連れ戻す為の方法論を別で探すという意図もある。死神の刃に罹った彼の体は妖精の力に犯されたも同然だ。だから妖精についてを深く知ればその解決策もあるかも知れないと。

 ヴォルフも親交のあった幾人かの先輩と別れを告げて……何故かその一人から知らぬ間に抱かれていた気持ちを告げられたりもしながら時は過ぎていった。

 一番記憶に残っている事と言えば、式の終わった後、名残を惜しんで校庭を埋め尽くす人の中からニーナがテオをつれて校舎の中へと消えて行った事。無粋な事を言うつもりはない。彼と彼女は、恋人だ。未来には少し長くなるだろう別離も決まっている。その時間を邪魔する者など、二人の事を知っていればいるはずもない。

 順位を付けることさえ野暮かもしれない二番目は、件の気持ちを伝えられた先輩だったが、流石にこの身も私用でカリーナへ向かう。待ってもらうには些か出来過ぎたその女生徒に、要らぬ苦痛は背負わせられないと騙してしまう事に少しだけ罪悪感を抱きながら感謝を伝えた。

 誰かに見初めてもらえるほどこの身はできておらず、未熟だから。だからもしすべてが終わったならば、その時に挨拶をしに行こうかと。心の内でそう決めながら、一つだけ目標を増やして生まれ育った国を後にする。

 委員会の面々にも別れは告げた。一時離れ離れになるだけだ。その心は、彼という存在を介して確かに繋がっている。

 どれだけ年月が掛かっても、絶対に成し遂げるべき……野望だと。

 彼の言葉を借りて小さく笑えば、胸の奥に決して消えない炎が煌々と燃え盛った気がしたのだった。




 それから様々な準備や手続きを経て。正式に留学生として生まれ育った国を離れ、境を跨ぐ。

 留学生の他に、特使という肩書きもある所為か、陸路ではなく空路で存在感を示した越境。

 その気になれば外交官としての権威が振るえるらしい今回の後ろ盾は、どうにも一学生には大きすぎる特権だ。一体私をどうしたいというのだろうか……。

 とはいえ、借り物の権力。使わないのが一番だと気を引き締めて、踏み締めた未来の地。長い空の旅、竜籠から外に出れば目の前に二人の少女が出迎えをしてくれた。

 左右対称な亜麻色の一つ結びをそれぞれに結んだ、天色の瞳。並ぶ二つの顔はよく似て双子らしく無表情に彩る。


「ようこそいらっしゃいました、ヴォルフ・ブラキウム様」

「我が国カリーナ共和国は貴方を歓迎いたします」


 その二人は過去の任務で国境近くで出会ったカリーナの双子の少女、ピスとケスだった。

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