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フェアリー・クインテット  作者: 芝森 蛍
高らかに嘶く鎮魂歌(レクイエム)
69/138

第五章

 しばらくして戻ってきたカイは、納得のし難い表情で静かに告げる。


「……署名をしろ。それを()って国は公式に君達を任に就かせる」


 期待通りの言葉。

 いつも通りの笑顔の仮面で着飾ってそこに自分の名前を記す。願わくばこれが最後にならないように……。

 そんな事を考えながら成功以外の未来を切り捨てて命さえも賭ける。

 順にニーナやテオが署名していく中で、こちらをじっと見据えるカイが最終通告を音にする。


「……今ならまだその書面を破り捨てられるぞ?」

「覚悟に口を出すのは野暮ってものでは無いですか?」


 彼の心配を全て抱き込んで、心配は要らないと笑顔で返す。


「嫌な想像するくらいなら成功した時の後詰でもお願いしますよ」


 言って、それから書類を預けて部屋を後にした。

 結局、最後まで渋い顔を崩さなかったカイの心配に少しだけ申し訳なくなりながら、しっかり前を見据える。

 子供の我が儘だと思って許して欲しいと。便利な逃げ道を振り翳せば、隣に立ったニーナが伸びをしながら尋ねてきた。


「さてっ、これからどうするのかしら?」

「しばらく待ちます。アンネさんが任務の詳細と一緒に情報を持ってきてくれるはずですから。それまでは自由行動にしますか?」

「俺達の自由はいいがクラウスの自由は見過ごせないぞ?」

「心配しなくても置いていったりしないから。それにそこまでの覚悟があるなら僕も利用させてもらうよ。作戦らしい作戦も一応は立ててみようと思う。意味無い気もするけどね」

「ならあたしは少しその辺りを回ってくる事にする」


 言って踵を返したニーナは一人城内を別方向へ歩き出す。

 彼女にとっては懐かしい場所だ。フェアリードクターという目標がある以上、軍属の話をどうするのかは彼女自身が決めること。きっと既に答えは決まっているはずだ。

 その別れか、復帰か。いずれにせよ、ここには懐かしい顔ぶれも揃っているだろうし、彼女の夢の為にはその繋がりをつくっておくのも大事なことだろう。ならば止める理由もない。

 目標に向かって邁進するその背中を少しだけ見つめて、それからクラウス達は城の外へ。

 厚い雲に覆われたその向こうにぼんやりとしたその陽光放つ恒星を見つけて時間の経過を知る。どうやら思っていたより長くいたらしい。ちょうど昼頃だろうか。

 流石に冬に差し掛かった季節の風は冷たく鋭い。噂では早ければ今日から雪も降るだろうという話を聞いたほどだ。

 こんな折に山まで行って狙撃の為に呼吸さえ殺すユーリアの事を想像して、あたらめて尊敬する。

 気は長い方なクラウスではあるが、変化なくじっと待ち続けるのは苦手な分野だ。特にどうなるかも分からない未来をなればいいと願望に縋って待ち続けるのは無意味だとさえ思う。

 だからこそ出来ることをして、そうなると確信してその時を待つ。いつもはそうしてやってきた。

 けれど今回はその苦手分野。最後までどうなるかわからない不確定な未来に、こうであればいいという理想をぶつける感情論の言動。

 だから不安は拭えなくて、どうにか方法論を求めようと策を巡らせる。

 テオやヴォルフと会話をしながらどうするか……どうすればより効率的で安全かという方法を模索していると、ヴァレッターの仕着せに身を包んだアンネがやってきた。


「お疲れ様」

「あれ? アルケス先輩は?」

「城内を散歩してる。多分訓練してる妖精騎士(フィリット)のところじゃないかな?」


 言いつつ差し出された書類に目を通す。

 任務内容は単純、デュラハンの討伐だ。

 方法は問わず、民に迷惑を掛けるなとという一文が添えられているだけで、一応命令書の形を保っているという程度の、随分と粗略な紙切れだ。

 酷い信頼だと感じつつ、けれど捺された印にしっかりと責任を感じてしまい込む。


「で、居場所とか突き止めてたりする?」

「そりゃね。軍だって被害受けたんだから見す見す逃したりはしないよ。その情報もちゃんと貰ってきた。……ここから約8キレント北西に行った森の中。今朝の情報だからあまり誤差は無いよ」


 明確な場所が記された地図を渡され、情報だけを記憶に刻みつける。

 周りに水はなし、炎を使えば火災発生。嫌な場所だが周辺への被害はそこまで考慮しなくてもいいだろうかと想像を重ねる。


「先輩も叩き込んでおいてくださいね。周辺探査とかは先輩にお願いしますから」

「なら少し早くに着いて準備をしたいところだな」


 渡した地図に目を落とす傍ら、クラウスの声にそう答えるヴォルフ。

 土地勘の無い場所での戦闘になるだろう。そうなれば地形を味方につけられる方が有利に働く。決定打こそ少ないが、その汎用性と重要度はどんな時でも劣らないのが(グラド)属性(エレメント)の特筆すべき点だ。


「他に何か情報は? 対峙した時の事とか」

「それならあたしが教えるわよ」


 具体的に作戦を詰めようと尋ねれば、返ったのはニーナの声。気付けば近くまで来ていた彼女は、ヴォルフの手から地図を奪うように取り上げてさっと目を通す。


「大変ね、ルキダさんも。こんな厄介者に目を付けられて」

「……もう諦めました。愚痴を言っていたら彼専属の傍付きなんて務まりませんからね」


 この場限りの建前であって欲しいと願いつつ、言い返さないのも癪なのでいつも通りに次の言葉を奪い去る。


「なら愚痴を言えないほど忙しい仕事を任せてもいい?」

「いいよ? 愚痴を言えるほど働かせてくれるなら、だけど」


 随分と挑戦的な物言いだと、その瞳の奥に宿る依存心に少しだけ胸の奥を擽られながら次ぐ。


「心配ないよ。愚痴が出ないほどやりがいのある仕事だから」

「随分と頼り甲斐のあるご主人様だね。ならしっかりと帰ってくるのを待ってないとねっ」


 健気にして横柄な注文をする傍付きだと笑えば、アンネは何処まで真剣に笑ってみせた。


「行ってらっしゃいませ、皆さん」


 そうして折り目正しく腰を折って礼をして見せた彼女は、不遜に主の事を見返して送り出してくれた。

 アンネの見送りを背中に受けつつユーリアの居ない景色は唯一つの目標を据えて歩き出す。


「それで、敵の情報は?」

「敵って……まぁいいけど。場所は間違いないわ、地図に書いてあった通り。ただ少し不確定な情報があるとすれば…………動いてるわよ」

「どれほど確証がありますか?」

「いわゆる騎士の勘ってやつ。長年やってると見えないものまで見えるのよ。経験が裏打ちする未来予測。仲の良かった元上官は八割ほどの確信持ってた」

「嫌な八割ですね」


 吐き捨ててそれから頭の中の地図を広げる。


「早さは分からないけれど、恐らく南下……こっちに向かってきてるわ」

「なら迎え撃つのがやりやすいですが……」

「巻き込む事になるぞ?」

「問題はそこだよね」


 テオの言葉に今クラウス達が立つこの城下町を戦場の範囲内に追加する。

 任務内容は出来るだけ被害を及ぼすなとのこと。

 なら町より遠い場所で釣り上げて、そのまま郊外の森林地帯まで引っ張っていくのが理想系だ。

 だがその通りになるかと言われれば怪しいし、そうする為の策も中々に難しい。

 可能なら後ろから急襲して進軍の方向を一気に反転させたいところだが……うまく背後を突ける確証が無い。

 せめて現在地の情報だけでも割り出せれば違うのだが……。


「頼んではみたけど独断で力を貸してはくれなかったわ」

「そもそもどうして国は動かないんだよ」

「情報が少なすぎるからだね。未知の存在に無駄な兵力を持っていかれるくらいなら、最初から失いたくは無い。当たり前と言えばその通りだよ」

「でもそれを渋ったら余計情報なんて入らないだろ?」


 テオのいう通りではある。けれど視点が違えば非情な結論だって見えてくる。


「例えばその役目が僕達だとしたら……?」

「は…………?」


 テオの疑問符に、けれどそれ以上の声は返らない。

 ニーナもヴォルフも、その可能性はきっと考慮していたからだろう。


「まず僕達に任務が出ること事態が異例だよ。でもそれを押し通した。それだけの理由がないと流石に無理な注文だ」

「だから先行偵察隊という表向きで任務を発行した……話はそんなところか?」

「でしょうね。けれどそんなことは言わなくてもいい。国は(はな)から僕達に死神の討滅なんて望んでいませんよ。その実力差に圧倒されて逃げ帰ってきて……その情報を元手に国は標的との決着に踏み切るつもりです」


 利用してされて。そんな単純な事にはクラウスだって気付いている。

 けれどそれさえも飲み込んだ上で、クラウスはそこに国の望まない結果を見ている。


「もちろん本当に駄目そうなら逃げますよ。逃げられればの話ですけど」

「戯言を抜かすな。逃げるつもりなど毛頭ないだろう? 逃げたとて、国に帰るつもりは無い。再度状況を立て直して、再戦に望む……最も確率の高い方法か?」

「現状では、ですね。(もっと)もデュラハンに対する評価が過大で、その場でどうにかなるならそれに越したことは無いですけど」

「それこそ思ってない話だろ。幾ら今までに無いやり方とはいえ、そこまでクラウスは馬鹿じゃない」

「なら悪態吐く前に僕のいいなりになってくれる?」


 最終確認として方針を固める一言。

 その声に少しテオは黙り込んで、それから告げる。


「聞くなよ。どうせ嫌だって言ったところで、クラウスの掌の上なんだろ?」

「別に、嫌なら今ここで逃げればいいよ。死ぬ覚悟のある足手纏いを連れて行けるほど、僕だって余裕があるわけじゃない」


 テオの弱音にきっぱりと言い切れば、やがて長い付き合いの幼馴染は溜息と共に零した。


「……なら死なない為の確率を上げるだけだろ?」

「一人生き残る為だけならそんな無茶を背負い込まなくてもいいのに」

「無茶なら今まで何度も味わってきたわよ。今回もその延長線ってだけでしょ?」


 ニーナの諦めるような声に小さく笑えば、それぞれの意思を一つに纏め上げてようやくクラウスの理想の形を手に入れる。


「大体、最初にこんな煩雑な集団が欲しいって言ったのはクラウス君でしょう? だったらその責任をしっかり取りなさいっ」

「元よりそのつもりです。使い潰してあげますよ」


 鼻に掛かった眼鏡を押し上げて冷たく告げる。


「何せ僕が僕の野望の為に作った私兵部隊ですからね」


 ようやくここからが始まりだと。

 世界に牙を向くその一歩を確信を持って踏み出す。

 その先に、誰もが求めるクラウスの夢があるのだと盲目に描いて。




 現在地はブランデンブルク城下町より北西に約6キレント程。自然に恵まれたこの土地は城の近くに雄大にして豊かな森林地帯が存在する。

 森には兎や鹿など、繁茂した植物によって育まれた沢山の原生生物や、それらを獲物とする肉食の動物。植生の面で言えば、ここから北に行くにつれて段々と気温の下がる気候に合わせた、多種多様な生物が根を張る自然の世界。

 夏には緑に溢れ、空気の澄んだ避暑地にもなり、秋には色とりどりな葉が虫の音と共に実りを知らせる、人の手の届きにくい場所だ。

 しかし冬に来て見れば枯葉が地面を覆い、寂しく細い枝が冷たい風に揺られる風情と侘しさの間に揺蕩(たゆた)う土地。動物達も殆ど姿を見せず、巣を作って山の深いところで越冬に入る頃。足元に転がる木の実も虫食いに穴が開き、吹いた風にさえ転がる程だ。

 不意に頬を撫でた木枯らしが、木々が喋るようにざわがさと音を響かせる。

 茶色に染められた閑散な景色。獣道さえもその冷たさの奥に隠れた風景を目の前に、冷たい風に少しだけ体を震わせて空を見上げる。

 生憎の曇り模様。厚く重い曇天の画布は、その奥に陽光を隠して大地を薄暗く彩っていた。


「準備終わったぞ」

「ありがとうございます」


 遠くに見える一層暗い雲の固まりに、降り注ぐ天の涙を幻視してそれから景色を変える。

 きっと降りてくるのは鋭い雨ではなく柔らかな白い雪の綿。誰かが噂をしていた通り、今年のユールアフトンは白粉(おしろい)の大地に人の灯す明かりの紅が差す幻想的な一夜になるだろう。

 大事な人と過ごす人にとってはその熱を一際確かめる夜。

 出来ることならクラウスもそちら側に居たかったと夢物語を追いかけて、それから焦点を目の前に移す。

 同時、クラウスの指示通り、儀式術式の準備を終えたヴォルフが戻ってきた。


「さて、行きますか。索敵は最初から全開でお願いしますね」

「分かった」


 いつものように気負わない笑顔で告げて足を出す。踏みしめた枯葉の絨毯。その音に子供の頃を少しだけ思い出して知らず浮き足立つ。


「降って来る前に片付けたいところですけど」

「それは夜になるわよ」

「そんなことまで分かるんですね」

「勘に決まってるじゃない」


 これまでユーリアと一緒に居る事が多かったからか、普段は信じないその勘という言葉に信憑性を持たせたくなってしまう。

 妖精従き(フィニアン)の勘とは、(すなわ)ち契約妖精の干渉範囲が齎す人間なりの波長の受け取り方だ。

 ニーナの契約妖精、ディルクはウォーター・リーパー。音や振動に干渉範囲を持つ水の妖精だ。間接的に空気さえも読み取るその干渉範囲で、きっとある程度の天候の推移が分かるのだろう。


「しっかしあんまり実感がわかねぇな、死の騎士相手にするってのが。……クラウスの所為か?」

「何かにつけて僕の所為にするのはよくないと思うんだけど……」

「存在してるかどうかも怪しいからじゃない?」

「っていうと?」


 どうでもいい会話を口ずさみながら辺りに緊張を走らせる。

 クラウスに出来るのは視覚と聴覚を命一杯尖らせることだ。小鳥の囀りでさえ聞き逃すことなく耳を傾けながら、その片隅でテオ達の会話を拾う。


「妖精ではあるんでしょうね……。回路に干渉出来るんだから。ただそれだけかと言われると少し納得がいかないというか…………」

「幽霊とかそういう話か?」

「あぁ、ヘルフリートみたいなものって事か」


 デュラハンは死神とも呼ばれる存在だ。死を司り生を刈り取る刃を振り回す。

 そんな存在が妖精だけと繋がりを持つというのは考えにくい。

 魂を刈るのだから幽霊と繋がっていてもおかしくは無い。そうなれば悪霊という存在の形もまたあるのだろう。

 妖精にして、幽霊にして、死神。

 それは何処までも人とは対極に位置する概念のような存在だ。


「そんなのに手を出して本当にいいのかって思うけれど……」

「僕にとっては必要なことで、それが今ってだけです。怖気付いたなら引き返してもいいですよ?」

「違うわよっ。……ただ得体が知れないから想像が出来ないってだけで…………」


 テオもそうだが随分と腰が引けてることだと呆れる。

 クラウスに人間をやめて欲しくないから、いざというときに連れ戻せるようにこうしてついて来ているのだろう。だったら城で口にした覚悟を今更曲げるような事を言わないで欲しいと視線で訴える。


「先輩が何と言おうと僕は足を止めませんから。置いていかれたなんて文句を言わないでくださいね?」


 クラウスより数セミル高い身長の彼女が小さく見える気構えでクラウスの事を見つめて来る。

 死を目の前に怖がる力など要らないと切り捨てて足を出す。

 一つだけ減った足音に落胆を示して作戦の変更を脳内で組み替えていると唐突に声が上がって足を止めた。


「んぬ?」


 それはヴォルフのもの。その存在を捕まえたかと確認を取ろうとしたところで、彼が今まで歩いてきた方角を見ている事に思考を止める。


「どうかしましたか?」

「……すれ違ったつもりはなかったのだがな。いるぞ、後ろだ……離れているっ」


 今クラウス達は報告のあった目的地へ向けて森の中を進んでいる。けれどそれとは逆方向、クラウス達が来た方角へとヴォルフが捉えた存在は動いているらしいのだ。

 その方向にあるのは──ブランデンブルク城下町。


「戻るか?」

「…………そうだね。まやかしでないなら町に行かせる訳にはいかない」


 脳裏に疑問を重ねながら進行方向を反転する。

 走りながら、隣のヴォルフに問う。


「それで、どうして今頃になって気付いたんですか?」

「いや……間違いでなければそれまでそこにはいなかった。いきなりその反応が出たのだ」

妖精変調(フィーリエーション)の影響か?」

「存在の形が不安定になっているのか、はたまたどこかに隠れていたか……」

「どうやって……? 探査の網は張ってたんだろ?」


 問題はそこだ。

 ヴォルフの実力を疑うというのは既に頭にない。逆にその探査でさえも潜り抜ける何かがその妖精にはあるということだ。


「…………例えば、何かに同一視されるならその存在になれるとか」

「どういうことだ?」


 思い至った考えに肉をつけて可能性を吟味する。


「ヘルフリートの例で言えば炎の流れや溶岩と同列に語られる事がある。もしそれが作用して、本当にそれ自体に化身できるとしたら、自然に溶け込む事が出来る」

「……なるほど。妖精を自然現象で語れるなら(あなが)ち間違いじゃないかもな」

「この先にいるのが死神だとして、だったら何に姿を変えるのかって話だけど……」

「瘴気や、死……闇ってのが分かりやすい形か?」

「転じて考えれば闇さえ潜ませる影とかもその範疇かもね」


 こんな机上の空論がもし当たっているのだとしたら、デュラハンは影に同化し、その中を泳ぐように行き来できるという事になる。

 そんな存在をどうやって捕まえるのかと考えたが、ならば影を消してしまえばいいのだと気付く。

 全方位から光で照らせば影を消すことは可能だ。そうすれば隠れられる場所がなくなりデュラハンはその姿を現す。問題はどうやってその状況を作り出すのかだろうが……。


「そうであるという証拠は無いだろう?」

「……どうでしょうか。僕が知ってる情報で考えれば完全に否定する事はできませんけどね」


 それはユーリアの語った言葉。

 何処からともなく現れたというその言が正しいのだとしたら、可能性の一つとして影から出てきたというのもありえる話だ。

 もちろんクラウスはその現場を目で見たわけではない。聞いた情報と推論を重ねて想像の翼を広げているだけだ。


「任務の時だって今回みたいに索敵の網は張っていたはずです。きっと幾重にも。その上でユーリアたちを急襲した……索敵の外から近付く方法があっても不思議では無いと思いますよ?」

「……厄介なことだっ」


 ヴォルフの悪態にまさしくと思いつつ走る速度を上げる。後ろからついて来る遅れた足音。その雑音に少しだけ思考を阻害されて言葉にする。


「……理由が欲しいなら言ってあげましょうか?」

「………………」

「フェアリードクターを目指すなら避けては通れない道ですよ。何せ妖精に関わる問題ですからね。それに逸早く関われる……危険を抜きにして考えればいい機会ですよ?」

「その危険を考えるのが嫌なのよっ。医者なんていなければそれに越したことは無いに決まっているじゃないっ」


 確かにその通りだ。

 医者が居ないという事は怪我人も病人も居ないということ。つまりそこには健康そのものがあって、きっと争いだって少なくて済む。

 それは彼女の望む誰もが平等という夢物語に近い理想だ。


「あたしは誰かが傷つくのを見たくない……。医者ってのはね、傷を癒すのが仕事じゃないのよっ。その傷を、再び別の誰かが負わないようにするのが仕事なの」


 そもそも怪我などしなければ……危地に赴かなければそれでいい。そうすれば怪我をするという危険の可能性は少なくなるから。


「心まで癒せなければ傷は治らない。あたしがスハイルに居た時に仲の良かった医者の言葉よ。その通りだとは思う……けれどもしその傷がつく前に止められるならそれに越したことは無いじゃない。だったら死にに行こうとする人を止めて何がいけないのよっ。そこに理由や正義は必要っ? 命以上に大切なものなんてこの世には存在しないっ」

「命あっての物種……。なら僕のやろうとしてる事は別に間違ってなんて居ませんよ。死ぬつもりなんて始めからないですし」

「死なない理由にはならないわっ!」


 叫び声に足を止める。

 背中に突き刺さる視線に振り返れば、彼女は敵を射抜くようにクラウスの事を睨みつけていた。


「あたしは期待してるのっ。途方もない、子供騙しで馬鹿な夢の景色を見せてくれるかもしれないって……。その期待を抱かせておいて────」

「勘違いしないでください。僕はそんなこと欠片も願ってはいません。ただ僕の野望に必要かどうか、単純にそれだけです。ここで先輩が僕について来れないというなら、それだけありもしない僕の死ぬ確率が高くなるということです」

「っ……!」


 今更駄々を捏ねないで欲しいと、うんざりしながら全てを委ねる。


「期待をしてるなら僕を生きて帰らせてください。その為にできる事をすればいいだけの話です。迷うなら──先輩には意味なんてありません」


 非情に冷酷に言い放って足を出す。

 言葉にした全てがクラウスの本心だ。

 使えないものに用はない。使えるものを最大限使う。ただそれだけだ。

 

「あぁー! もうっ! 折角の好意を無駄にして……どうなっても知らないからっ」


 言いつつ隣に並ぶニーナに面倒臭く思いつつ再び走り出す。

 これだから感情で動くのは嫌なのだと。根拠を必要としない正義感に何の意味があるのかと考えて町の方角を目指す。

 早く追いつかなければ……と想像を巡らせる傍らで、視界を蓋するクラウスと同じ灰色の天蓋は先程より更にその色を濃くしているようだった。




              *   *   *




 扉を叩いて返った声に部屋へと入る。

 これまでに何度も訪れた友人の部屋。窓から見える景色の所為か、重苦しく渦巻いた沈黙の空気に息苦しくなる。

 綺麗に片付けられた中に幾つか存在する可愛らしい小物。実用性をも兼ね備えた小さな便利道具達は、その色を少しだけくすませたように見えた。

 それもこれも、この部屋の主の体調が万全ではないからだろう。

 寝具に座って窓の外を眺める少女。

 軍人の癖に華奢なその背中に、長く綺麗な黒い髪が艶やかに流れる。昨日からあまり手入れをしていないのか、ところどころ毛先が跳ねて遊んでいた。

 時間なんて沢山あるんだからもう少し自分に興味を持てばいいのに。

 その勿体無いほどの整った女の子らしい部分に羨望と嫉妬を綯い交ぜにしながら声を掛ける。


「暇そうだね」

「……えぇ、けれど安静って言われたもの。それを信じずに無茶を出来るほど、私は私を捨てられない」

「嘘吐きっ。クラウス君に言われたからでしょ?」


 小さく肩を揺らす親友の仕草にくすりと笑う。

 それからようやくこちらに顔を向けた彼女は、その宝石のように綺麗な紫苑の瞳に少しだけ鋭い光を灯してこちらを射抜く。


「そんなに嫌だった?」

「当たり前じゃない。言葉にしなくても気持ちなんて分かる……。この気持ちは嘘じゃないし、あいつだってそれに釣り合おうとしてくれてる。どこまでも歪んだ性格してるけど、それはどこまでも純粋で素直であることの裏返しよ」

「随分惚れ込んでるね」

「…………誰かを好きな事に嘘を吐けるほど器用じゃないだけよ」


 呟きに小さく笑えば、その頬に桃色が浮かんだ。

 どれだけ憔悴して、どれだけ途方に暮れていても、美人というのは得だと思わず魅入って。

 そんな彼女だから自分もまた友達である事をやめたくないのだと一人ごちる。


「何か食べる?」

「アンネの手料理?」

「お望みならそうするよ」

「不安ね」

「なにおうっ」


 冗談に笑顔で答えて、それから台所へ立つ。彼女に断って使えそうな食材を見繕うと、調理を始める。

 今日という日を考えれば献立は自ずと決まる。

 ユール。古い意味では、死した大地を蘇らせる陽の祭り。その前日、ユールアフトンと呼ばれる一日だ。

 猪を生贄に捧げ食すことで陽を蘇らせ、暖かい気候と豊穣を願う祭礼日。流石に猪はなかったので豚で代用して、それからもう一品、乳と穀物で粥を作る。


「そうしてると本当に女中みたいね」

「みたい、じゃなくて本物だよっ。今日はユーリ専属。心優しい主様の慈悲だよ」

「心醜い暴君の命令、の間違いでしょ」


 眼鏡の彼が今ここにいればどんな言葉を次いだだろうかと。少しだけ想像すれば、ユーリアと一緒に小さく笑った。

 そんな仕草に揺れるのは白と黒のヴァレッターの仕着せ。仕事着としては機能的で、個人的には少しだけ可愛いとも思う動きやすい服だ。

 ヴァレッターに籍を置いてからもう半年。その間に幾つもの事があって、若いからかよく同僚にはからかわれ、可愛がられた。その証として、少しずつ縫い足されていった装飾は、今や少し鬱陶しいほどにゆらふわと揺れる。私は着せ替え人形ではないのだけれども……。


「……クラウスは?」

「もう行ったよ。だから事情を説明してここに来た。心配性な彼に代わってユーリのお世話をする為にね」

「逆でしょう? アンネが下手に首を突っ込まないように、私の目の届くところに置いておきたかっただけ。いいわね、そこに意味を見出されて」


 言葉の最後に零れた音。その端に誤解を聞いて厚かましく愚直に訂正を挟む。


「ユーリは、もっと自分に自信を持っていいよ」

「便利な駒の分際で何を誇れっていうのよ」

「……ほんとはね、ユーリは私が今いる場所にいたはずだった。それを私が取り上げた。だから本来、ユーリには役目なんてないんだよ?」


 静かに事実を突きつける。けれどそこに責めるような気持ちは微塵もない。


「それでもクラウス君はユーリが欲しいって手を伸ばした。意味のなくなったユーリを、恋人っていう席まで用意して手放す事を躊躇った。本当に意味がなかったら、普通そんな事はしないよ?」

「……………………」

「それに何より、ユーリは綺麗だから」

「……可愛いアンネに言われたくないわよ」


 綺麗と可愛いは違う。どちらかがどちらかに近付くことなんて出来はしない。

 だってそれは、見た目の問題ではないから。


「私の可愛いは、計算だよ」

「それでも私にはない愛嬌よ」

「ユーリは佳人だから。可愛さで着飾るより綺麗に彩った方がよく似合うよ」


 一段落ついた調理。後は煮込むだけの料理を弱火にしてユーリアの傍に腰を下ろす。


「クラウス君だって派手じゃないけど格好いい。そういう人にはね、私みたいな愛でられる花より、ユーリみたいな隣に活ける花がよく似合うんだよ。私はどちらかというと派手な人の隣の方が映えるから」

「よくもそんなに冷静な評価が出来るわね」

「そう評価出来るように振舞ってるからね」


 近くの机の上に転がった櫛を手に、ユーリアに背を向けさせる。

 そうして憧れのその綺麗な髪を優しく梳いていく。


「だからユーリは綺麗でいなくちゃ。私が手に入れられなかったものを手に入れたんだから、それを手放すような事をしちゃ、ダメだよっ」


 それはまるで自分に言い聞かせるように。

 最後のけじめと諦めとして言葉にする。


「クラウス君はユーリアを選んだ。それは私が最初に望んだことだよ」


 春の、夕日に照らされた屋上の事を思い出しつつ紡ぐ。

 冗談の言い訳に言葉にしたその未来を、彼は本当にして見せた。

 だからいつしか私自身も夢を見た。

 彼の描く野望と称する幻想郷──妖精の都をいつしか体現してくれるのだと。

 妖精に関わりを持つ者として、可能であれば近くで同席してその瞬間を見ていたいと。

 誰もが成し得なかった夢を追いかける彼の背中に憧れたのだ。


「本気にするとは思わなかったけどねっ」

「クラウスほど純粋な夢追い人を私は他に知らないわよ」


 ユーリアの言葉に「確かに」と笑って、()いたその肌触りのいい髪を手放す。

 嫉妬するほど綺麗なその長髪を優しく撫でて、それから立ち上がると台所へ戻り粥の鍋の火を止める。

 ユーリアのと二人分、湯気の立ち上るそれを器に盛り付けると彼女の目の前に並べる。


「……あっちの鍋は?」

「あれは夜の分。もっとしっかり煮込まないとね。二人分作ってあるから」

「まさか泊まる気?」

「何で私が……。帰って来るのはユーリの騎士様でしょ?」

「っ…………!」


 呆れたように零せば、机を挟んだ向こう側の少女は頬に朱を差した。そんなに熱く作った覚えはもちろんない。


「……だったら三人分作りなさいよ」

「そんな無粋なこと出来ないよ。それに、武勲を立てた騎士を称えるのは彼が(かしず)く主の役目だよ」

「…………そんなお膳立てされても何もないから」

「恋人の日なのに?」

「まだ付き合ってるわけじゃないっ」

「まだ、ね……?」


 意地悪に言葉の端を掴んで引っ張れば、その紫苑に瞳に強い光が宿る。

 おぉ怖い。でもそれでこそ私の大好きな親友だ。


「こんなことで一々目くじら立てないでよ。クラウス君の傍にいたら嫌でも目立つんだから」

「……それは経験談かしら?」

「何、嫉妬? さすがユーリっ、愛が重いねぇ」

「違うっ」


 また一つ面白い火種を見つけたと笑みを浮かべれば、彼女は鋭い視線でこちらを射抜いてくれた。

 その危ないほどの独占欲に、これまでして来た自分の行いの結実を確信する。

 全ては我が最愛の親友の為に。

 それは何処までも自分勝手な他人へ求める存在のあり方。それでもいいと認められる自分自身。

 アンネ・ルキダという個人の全てだ。


「およ?」


 からかい甲斐のある親友だと笑えば、耳が呼び出し音を知らせる。誰だろうか、彼からは何も聞いてはいないけれど。


「ユーリは待ってて。私が出るよ」

「過保護な事ね」

「私じゃなくてクラウス君に言ってよ、それ」


 言い残して部屋を出て玄関口へ。

 寮母に訳を話して話を聞けば、どうやらユーリア宛の贈り物らしい。

 渡されたのは綺麗な包装の大きな箱。中には何が入っているのだろうかと持ち上げて、前が見えなくなるほどのその物体を彼女の部屋まで運ぶ。

 恐らくユールアフトンの贈り物だろうが、その大きさは小さな子供が思い描く夢と希望のそれだ。


「ユーリ、贈り物。差出人は……騎士様からっ」

「相変わらず格好のつけたがる事ね。中は?」

「まだ開けてない。ユーリ宛だからユーリが開けないとね」


 子供心に少しだけそのびっくり箱を楽しみにしつつ差し出す。

 重さ的に大きさに比べて随分と軽かった。一体何が入っているのだろうか?


「あ、これ…………」


 箱を開けたユーリアがその瞳に驚きを宿す。

 そうして緩衝材の沢山入った中から取り出してその手に抱くのは、大きな狐のぬいぐるみ。


「知ってるの?」

「…………別にっ」


 そう告げた彼女は、けれど柔らかく微笑んでそのぬいぐるみを胸に抱く。

 全く、私の親友を笑わせるなんて憎い事をしてくれると。彼のその怖いほどのやり口に小さく嫉妬する。

 やっぱり彼に託して正解だったと安堵しながら、アンネもまた手のひら大の箱をユーリアに差し出す。


「……先越されちゃったけど、私からも。はいこれ」

「…………ありがと」

「どういたしましてっ」


 少し驚いた風に零すユーリア。その表情に笑顔を返してそれから友達らしく図々しく振舞う。

 突き出した手のひら。もちろん求めるのは彼女からの贈り物。

 けれど降りたのは沈黙で、彩った笑顔が形を変えないまま無言の圧力を放つ。


「……………………ユー、リ……?」

「…………ごめん、また今度」


 そうして据わった瞳で視線を逸らす我が親友。


 ────うん、彼のことしか頭になかったんだね?


「ひどいよっ!?」

「違うわよっ。まさかアンネまで用意してるなんて。それにそういうのは男女でって相場が決まってるじゃないっ」

「仲の良い事に男も女も関係あるかぁっ! うわぁんっ、友達に見捨てられたぁ!」

「人聞きの悪いこと言わないでっ!!」


 子供のように駄々を捏ねて茶化せば、愛友は何処までも真剣に言い訳を連ねる。

 恩知らずな友達に、憂さ晴らしとばかりにじゃれついて精一杯の愛情表現を示す。

 抱きついて押し倒したユーリアを胸元から見上げれば、彼女は困ったように笑う。

 そんな私の友達は、何処までも純粋な瞳でこちらを見返してきた。


「じゃあクラウス君諦めてっ!」

「それは嫌っ」




              *   *   *




 息を切らしては歩き、整えばまた走るを繰り返すことしばらく、気付けば城下町近くまで戻ってきていることに確かな前進を感じる。遠くに見えていたブランデンブルク城の城壁が、今や数倍の大きさに膨れ上がり視界を埋め尽くす。

 これ以上進めば本当に町に入ってしまう。デュラハンとの戦場を町に移したくはない。


「先輩、探査どうなってますか?」

「やっているっ……しかし妖精の数が多くて判別がつかん。石畳ではその探査も精度が落ちる。こっち方面に来た事は確かだが……これ以上は無理だ」

「どうするのよっ」


 足を止めて息を整えつつ考える。

 デュラハンの目標さえ分かればそれを餌に町の外には連れ出せる。

 けれどそれがもし無差別なものだとしたらどうするのが得策か……。

 幾つもの可能性を考えては駄目な策を切り捨てる。

 魂への干渉範囲を持つ妖精ならそれを逆手には取れないだろうか。いや、駄目だ。デュラハンが欲する魂は生の魂。肉体に結びついた命そのものだ。既に肉体を失った魂では誘導できない。

 だったらどうする……? 魂の入った肉体を移動する? 国にお願いして避難勧告を……。それでは遅いかっ。


「……例えば妖精力とかでどうにかならねぇか? 具体的な案は出てこねぇけど」


 テオの言葉に可能性を考える。

 幾らデュラハンといえどその存在の根幹は妖精だ。妖精力で構成された存在。つまり妖精力や妖精術を使えば多少の気は引けるだろう。

 けれどそれならやはり魂の干渉範囲を持つヘルフリートが担う役割。リーザのいない現状でそれが何処まで意味を持つか……。

 魂。これまで数度に渡って関わって来たその存在。踏み込みすぎたが故にリアナンに忠告されたその禁忌。

 その言葉がふと脳裏を過ぎって一つ思い至る。


「デュラハンは魂を刈る妖精で、だとしたらその通り道には何か痕跡が残ったりしないかな?」

「っそうか……ヘルフリート!」

「承知」


 言うが早いか、幼馴染の呼吸でクラウスの言いたい事を理解したテオが頷く。

 そうして向けた視線で、ヘルフリートは瞳を閉じて形のない目で辺りを見渡す。

 瞬間、クラウスの胸を揺らす妖精の感覚。

 それは妖精語での会話を身につけたクラウスだから感じられたものかもしれない。

 目に見えない熱い波のような何かが体の奥底を通っていく。それが恐らく魂への干渉範囲。その本質さえも見抜く嘘のない瞳。

 捕まえたその一瞬の波長を追ってクラウスも辺りを見回す。

 途端草陰から一人の妖精が姿を現す。そんなところにいるという事は野良なのだろう。彼女はこちらを怯えたような瞳で見つめて木の陰に隠れる。

 驚かしてしまったかと心の内で謝っていると、目を開けたヘルフリートが告げた。


「察知した。特定は難しいがやはり町の中だ」

「急ごうっ」

「手分けしましょう」

「だったらこれを持って行け」


 駆け出そうとした背中にヴォルフの声が響く。

 振り返れば彼が手に握るのは綺麗な黄色の鉱石。


「もし見つけたら割るといい。私に居場所が分かる。誰かが割ると連動して他のものも割れる」

「なら場所が割れたらそいつ以外噴水広場に集まろう。合流してからじゃないとデュラハンは危険すぎる」

「ヴォルフが見つけたらどうするのよ」

「……クリス、僕と波長を合わせてくれる? それで居場所が分かるから」

「分かりましたっ」


 クラウスの特技、調波(アベレージ)による擬似回路の構築。これを介せば妖精語を介して会話も出来る。

 彼女の小さな手のひらを借りてクラウスの指先からその波長を繋げる。

 僅かに顔を顰めたのは負担からか。

 元々人間とハーフィーの契約で、そこには不安定さが残る。その上更に四分の一のクラウスとの調波だ。彼女が感じる不快感は並みのものではないはずだ。

 けれど今は一刻を争う。そんな悪態をどうにか飲み込んで彼女は頷いてくれた。


「それではまた後で」


 視線を交わしてそれからそれぞれに町へ散る。

 城の麓に栄えた城下町。その広さは圧巻で、全てを見て回るのは不可能だ。

 けれどこちらは妖精従き。妖精に関する知識は豊富にあるし、妖精達の気を引く術は幾つも持っている。

 特にクラウスは歪み者だ。幸いにも妖精の機嫌を逆撫でする事にかけては誰よりも得意分野だ。

 春の『妖契の儀』の時のように周りの事を考えなければ、そこら中に妖精力をばら撒くだけで敵視をその身に受ける事が出来る。

 後はその中から一際危険な香りを探すだけ。

 他人への迷惑なんてクラウスの夢の為には些細なことだ。後から取り繕えばどうとでもなる。

 走り出した景色の中で感情を殺し、視界から不要な情報を切り捨てる。

 音は最低限でいい。人の流れと町中に沢山いる妖精の視線の先を追う。時折視界に入る妖精騎士の姿を確認しながら、大通りを避けて裏路地を進む。

 もし人の死を望んで行動に移すなら……その匂いが溢れるたまり場に行くのが何よりも先決だ。

 何処までも濁った思考で穿った視点の目的地へ走る。

 城を中心に栄えた城下町といっても、そこには確かに格差が存在する。辺境の田舎から野心を胸に王都に出てきたとしても必ず成功するとは限らない。

 そうした人たちが集まる、いわば貧民街。

 何処にだって存在する格差の底辺だ。

 進むごとに淀んでいく空気の流れに顔を顰めながら、どうにかその場所に足を踏み入れる。

 枯れた家屋に薄汚れた毛布。その身を飾る衣服もみすぼらしく、痩せこけたその姿に僅かながら嫌悪感を抱く。

 国だってそういう人たちを見放しているわけではない。貧しいだけで仕事は回ってくるし、生きるだけなら十分な賃金も貰っている。

 安い賃金で働かせ、代わりに寝床と金を提供する。国にとっても必要な層であるのは確かで、少し昔のクラウスならばその存在はおかしいのではと声を大にしたかもしれない。

 けれど彼らのおかげというのも世界のどこかには存在して。それを肯定するのはあまり気の進まないことだが、黙認することでどうにか切り捨てる。

 それに何より、ここの人たちはクラウスにとって交渉のしやすい相手だ。

 貧民街にいる人たちというのは、その殆どが妖精の見えない者達だ。妖精と歩む世界でその存在を認識できないというのは不利に働く。結果受け入れてもらえずにこうした場所に辿り着くのだ。

 痩せこけた大人と戦闘訓練をしながら妖精を傍らに置く妖精従き。その間に横たわる歴然な差は争いを起こさせない圧力となる。

 そんな薄汚れた底辺層に、見るからに生活に困らない学生がくれば視線を集める。中には恥など等に捨てて物乞いをしようという人たちもいるほどだ。

 だからこそ、非情になりきればここには欲しい物を買うことが出来る楽園となる。


「話を聞きたいっ。妖精の見える人は何処にいるっ?」


 取り出したるは貨幣。銅貨(キニー)と呼ばれる最低価値のお金だ。

 例えクラウスにとっては端金(はしたがね)でも、彼らにとっては吸うべき空気にも勝る先立つものだ。

 と、銅貨を翳しては見たものの流石に一枚では誰も声を掛けては来ない。

 仕方なくそれを道に投げれば音に反応した一人の女性が裏路地から這い出てきた。


「嫌いじゃないですよ、そういう根性」


 言いつつ座り込んで、次いで取り出したのは銀貨(シニー)。その曇り空の下でさえ輝く貨幣に、こちらを見つめる女性の瞳に精気が宿る。

 それを握らせつつ尋ねる。


「妖精の見える人、知ってますか?」

「…………三本目の路地を左に……その奥の酒場の店主に……」

「ありがとう」


 あまりこういうことはしたくないが情報の為だ。何より金で買えるのだから目を瞑るとしよう。

 立ち上がって言われた通りに三つ目の曲がり角を左へ。寂れて舗装のされていない土がむき出しの道を進めば、風情のある木の看板が物悲しく風に揺れていた。

 中から聞こえる喧騒は昼間からの酒盛りだろうか。ユールアフトンということもあって余裕のある者は彼ら基準で贅沢をしているらしい。

 外まで漂って来る酒独特のにおいに少しだけ身構えて、それから扉をくぐる。

 次いで向いた視線。既に出来上がった大人たちに宿る嫌悪と非難と僅かばかりの興味の色。しかし一線を引いて声はかけてこない。

 彼らにしてみればクラウスのような人間は苦労を知らない妬みの対象だ。

 だからこれは仕方のない事だと割り切る。クラウスだって苦労をしている。けれどそれはクラウスが彼らの苦痛を考えないのと同じこと。ならば一々気を病む必要はない。

 視線という名の針の(むしろ)の中で確かな足取りを保ちつつ、布で容器を拭く恰幅のいい店主に歩み寄る。

 机に置いたのは銀貨。無駄な出費だと考えたのも束の間、クラウスが主題を次ぐ前に店主はぼやく。


「冷やかしならお断りだぞ、ボウヤ」

「売ってもらいたい情報があるんですが」

「ここは酒場だ。なら相応の注文の仕方ってのがあるだろう? それともそんな事もわからないお坊ちゃまかい?」


 彼からしてみれば商売かと呆れて店内を見回す。

 こちらを見る中に奇異の視線を感じつつ、けれど特に目に留まるほどの意味を感じないろくでなしばかり。

 どうしようかと数瞬巡った思考の中で、酒場の奥から小さな女店員が出てくる。

 薄茶色の短髪に薄布の貫頭衣。その背に背負う二対四枚の翅は少女がその存在たる証。


「……だったら彼女に一杯」

「悪いな。こいつは飲めないんだ。だから俺が貰う」


 歯を剥き出しにして笑えば、上の前歯が一本抜けた形相でクラウスの事を睨み返してくれた。

 背後で囁き声が大きくなる。恐らくクラウスが妖精従きであることに対するものだろう。

 こんな場所に来ればクラウスも一人前として扱ってもらえるのかと少し寂しくなりつつ席に着く。

 とりあえずは今のでどうにかなるだろうかと銅貨を数枚差し出すと、やがて店主は呆れたように溜息を吐いて椅子に腰を下ろした。


「んで、何が聞きたいんだ?」

「この辺りの妖精の出現情報について」

「あ……?」

「些細なことでいいのでどんな妖精を見かけたか教えてもらえればと」


 視線に剣を宿してこちらを見据える店主。それから彼は(おもむろ)に店内を見渡して声を張り上げる。


「おいおまえらっ。近々妖精様の悪戯に遭った奴はいるかっ?」


 彼の言葉に喧騒が満ちる店の中。クラウスもその囁きに耳を傾けていると、不意に壁際に座った男性が告げる。


「……妖精の仕業かどうかはしらねぇが、一つ耳にした話はある」

「どんなのですか?」


 扱い易い連中に糸目をつけるつもりはない。更に一枚取り出した銀貨をその男性へ弾けば、彼は手にとってにやりと笑うとその先を教えてくれた。


「……さっきここへ来る前の事だ。外へ出たときに噂してたのが聞こえてよ、何だか黒い雲……? 見たいなのが町中うろついてるって話だったぜ?」

「どの辺りですか?」

「詳しくはしらねぇさ。ただ、何だったかなぁ……東の方から流れてきた噂みたいだったぞ?」

「東…………」


 思わず陽の昇る方角を眺めて、それから思い至る。

 もしかすると…………。


「ありがとうっ」

「何、こちらにしたら儲け話だ。おらオヤジ、同じのもう一杯っ」

「てめぇらはもう少し金の使い方を学びやがれ」


 礼と共に立ち上がって店を後にする。

 背後では大人達の喧騒がより大きくなる景色の中で、先程より更に暗雲立ち込めた空模様を見上げて走り出す。

 もしこの想像があっているとすれば捜索範囲は一気に絞れる。

 東……そこから昇る陽は炎の象徴だ。純潔にして揺らめくその炎は断罪の証。火刑などでもよく聞く通り、悪を滅ぼす一つの方法論だ。

 同時に炎は死を齎す災厄でもある。

 死を司る物を背に、東から西へ移動する黒い雲。見方を変えればそれは、光から暗闇へ逃げている事になる。

 闇へ向かう走性。夜に向けて走り死を振り翳す黒い瘴気…………。

 クラウスが思いつく限りそんな行動を取るのは、何処までも腐って廃れた性根を持つ存在だけだ。

 暴論だって構わない。そこにありえるだけの理由を並べ立てて肯定する。

 そして、そうなのだとしたらクラウス達はまず西へ向かうべきだ。そこで網を張りその駆け抜ける死を食い止める。

 走りながら胸の内へ意識を集める。

 フィーナと繋がった回路。そこに混在する彼女の波長を捕まえて捨てた感情を振り絞る。

 答えてくれ、クリス。話がしたい。


『……ぇ…………と、あの……』


 脳裏に響いた彼女の声。捕まえたと確信した直後、頭の中にもう一つ音が響く。それは少女の音域。


『クラウスさんがデュラハンの情報を見つけました。皆さんに連絡して陽の傾く方角へ向かってくださいっ。わたしたちは……このまま先に向かいます』


 ちらりとこちらを一瞥してきたフィーナに頷き返して走る速度を上げる。


『分かりましたっ、お気をつけて』


 物分りのいい返事にクリスの波長をまた胸の奥に隠して進む事に専念する。

 そうして踏み出した頬に、ようやく天から涙が落ちてきた。

 見上げた景色で降り注ぐ水の槍を眺めて、それから人垣の中を駆けて行く。

 冷たく寂しい音の雨だと思いながら歩みを進めれば、いつしか隣には聞き覚えのない走破音が。何事かと視線を向ければ、そこにいたのは────水の馬。

 クラウスの頭と同じ、灰色の体毛が水のように流れて足音を鳴らす。

 並んで併走するその生き物はクラウスの視線に鼻を鳴らすと、やがて目の前に道を塞ぐように足を止めた。

 ……こいつは…………。


「ケルピーか……」


 水辺に住み、その背に乗せた者を水底に連れ込んでしまうという危険な生物。但し乗りこなす事が出来れば何物にも劣らない名馬になると言われる、禍福の意味合いを持つ妖精だ。

 そんな水馬はクラウスを一瞥して、その背中をこちらに差し出してくる。

 恐らく乗れということだろう。

 誰の差し金か……はたまた死へ向かう道の先導者か。

 少しだけ疑って、けれど目の前に現れた好機を見す見す逃すのも妖精従きとして恥ずべきものだと。

 石畳の道の上。これ以上周りに目立っても仕方ないと割り切ってその首筋を軽く撫でる。指先に絡みついたのは透き通るほどに綺麗な水の毛皮だった。


「その足、少しだけ貸してくれるか?」


 問えば今一度鼻を鳴らすケルピー。

 振って降りた偶然に感謝をしつつその背に跨ると、手にはいつの間にか鞣革(なめしがわ)の手綱。それを握り込んで、幼い頃父親に教えられた記憶を胸にその横腹を軽く蹴る。

 刹那、音を振るわせ響き渡ったのは雨音にも負けない強かな(いなな)き。

 前足を高く振り上げた名馬は、それから振り下ろした前肢で力強く石の大地を蹴った。

 辺りに木霊する小気味のいい蹄の音。揺れる視界の中で数倍の速さで流れる景色を後ろに置き去りに、目抜き通りを駆け抜ける。

 早く、もっと早く。

 段々と近付く城下町の西側の壁に向けて疾走するその背中の上でクラウスは覚悟を固める。

 この足の向かう先にクラウスの未来がある。

 それが生か死か────知る者は誰ぞ……と嘆けば辺りの景色の既視感に早鐘を打つ。

 この方角は…………フィーレスト学院だ!




 最短で一直線。

 脳裏を過ぎる根拠のない嫌な予感に手綱を強く握り込んで駆ける。

 そうして辿り着いたフィーレスト学院。その校庭の中心に足を止めて辺りを見回す。

 けれどそこに目当ての姿はない。

 それはまだここまで来ていないということだろうか。

 考えつつ可能性を探る。

 もしもデュラハンがここにくれば、それはきっと一度ユーリアと交えたからだろう。

 かの存在はきっとユーリアの波長を知っている。魂に干渉範囲を持つ妖精ならそこから手繰ってその者がいる場所を探し当てる事も可能だろう。

 そうなればユーリアへ危険が及ぶという景色を、クラウスは看過できない。

 もとより彼女が被害にあったから、こうして自分の身を犠牲にすることも厭わずに行動に移しているのだ。もしこれ以上の事が起きるのであれば、そこに慈悲を挟む猶予はクラウスにはない。

 ただ相対し、打倒し、討滅し、消滅させるだけ。

 武器にした感情を全て捨て去って、悪魔に身を捧げることも辞さない。

 胸の内に渦巻く覚悟を今一度反芻すれば、ほぼ同時、その背中に貫くほどの威圧感を感じて振り返る。

 そうして目にするその姿。

 当たり前のように存在し、当然のように振舞う顔のない黒い騎士。

 一体何処から現れたのか。先ほど見回したときには、そこにはいなかったはずだ。

 けれどそんなのは些細なこと。事実としてその存在が目の前にいる事に負の感情が湧いて来る。


「…………はじめまして、だね。首なし騎士──デュラハン」


 空気を音なく震わせるその瘴気。宿る感情の色は、恐怖、絶望。

 生ある物を死へと導き、落命せしめる概念の権化。

 ただそこにいるという存在感だけで空気さえも塗り替えて、目のない瞳でこちらをじっと見据えて来る。

 胸に去来するのは気が狂いそうになるほどの畏敬にして畏怖にして脅威。

 思ってもいない感情が回路の中を駆け巡る感覚に、肩上のフィーナが顔を顰めた。

 これがデュラハンが魅せる死の幻想……それは悪魔の持つ魅惑のそれと紙一重な────絶対。

 かの存在にはそこに意味などない。

 ただそうなるものという自信だけがその姿を(かたど)っている。

 嫌な威圧感だと呼吸を整えて後ろ腰から短剣を抜く。

 右手を普通に、左手を逆手に構えるクラウスの戦闘姿勢。

 そうして間に横たわる沈黙と距離に睨めば、不意にデュラハンが手を中空に翳した。

 次の瞬間、辺りを漂っていた瘴気が意志を持つようにその手に集い、大きな漆黒の鎌を作り出す。

 あれは恐らく、妖精力によって編まれた死神の鎌。ならばきっとただの物質では切り結べない。

 妖精力で構成された物は妖精力だけによって干渉できる。つまりはデュラハンの持つ鎌はこちらも相応の武器を手にしなければ防げない。

 意を決して手に持つ短剣に妖精力を流し込む。

 妖精力と親和性の高い鉱石で作られた父親からの贈り物。ならばその刀身を虹色の光で彩れば、かの鎌と同等の意味を持つ。


「……アル、それ割ってくれる?」

「言ってる暇があったら気を緩めないで……くるわよっ!」


 取り出した鉱石を彼女に預けて腰を落とせば、刹那に目の前の概念は地を蹴った。

 馬車ではなくこれまた首のない馬に跨るデュラハン。

 ない頭のあるべき場所から辺りの妖精力を震わせて嘶きが響き渡る。同時に、蹄の音さえ置き去りに瘴気を靡かせて斬りかかって来る。

 そうして切り結んだ、第一刃。

 火花を生じさせない妖精力同士のぶつかり合いが七色の残滓を辺りに振り撒く。

 闇に溶けるその刃が、色の所為でクラウスの知覚を騙す。

 ぬるりと迫るその攻撃に、早くもないはずなのに防戦へと押し込まれる。

 それは間近で対峙した者のみが知る迫力。

 色も音もにおいもない殺気が首筋を撫でる感覚に、集中力を削がれながらどうにかさばく。

 けれど守っていてばかりでも仕方がない。

 既に十数度交わらせたその刃の中に、クラウスは自分の呼吸を見つけて取り戻す。

 瞬時に作り上げる妖精弾。それを撃ち放ち術式を開放する。

 打ち合わせもなくクラウスの妖精弾に、回路が成す連携をフィーナが重ねる。

 数個の虹色の弾が、その道すがら幾十もの時雨に変化して矢の如くその体を貫く。

 けれど次の瞬間クラウスが目にしたのは歯を噛み締めるような光景だった。

 撃ち貫いたはずの黒い体に開く無数の穴。奥の校庭の土が見えるその風穴は、けれど次々と修復されてまるで当たり前の幻想のように消えていく。

 その本質は妖精だ。クラウスの持つ短剣で切り結べたのだから間違いはない。

 けれどだからこそ、その体でさえも妖精力によって作られた存在で……ならば与えた傷など瞬く間に完治してしまう。

 幾ら妖精力同士のぶつかり合いで、その体から妖精力をそぎ落として貫いたとはいえ、それを再び別の妖精力で補われてしまえば殆ど意味がない。

 面倒臭い。

 相手は妖精力が切れるまで……こちらはきっと、その刃に一度も触れさせてはならない不利にして無情な戦況。

 どう戦闘を構築するかと必死に思考を回して策を求める。


「アル、準備は?」

「もう少し待ってっ」

「だったらわたしがどうにかします!」


 響いたのはフィーナの声。

 彼女は大きな方陣を一つ描き出してそこから妖精力を迸らせる。

 クラウスの胸の内から搾り取られるその感覚に……随分と大きな術式だと気付いたのも束の間。次の瞬間には、クラウスの体を虹色の服が包み込んでいた。


「反転術式の応用ですっ。さっきの衝突でデュラハンの波長は掴みました。これで攻撃の一切を打ち消します」

「なるほど……対妖精の絶対防御か」


 問題があるとすれば身に纏うその付与術式は永続のそれ。

 言わばテオ……ヘンリック・アヴィオールの使ったヘルフリートの特殊技能、極炎法衣(ラーヴァ・スケイル)のようなそれだ。

 あの術式は炎によって物理的な攻撃でさえも消し炭にすることで全てを滅ぼす炎の法衣。

 それに(なぞら)えるように、クラウスの纏うこれは妖精力限定の絶対なる盾だ。


「……ただちょっと維持が大変なので、他の妖精術は使えそうにありません」

「いや大丈夫だ。アルの準備が整うまで防げればそれでいい。反転術式だけなら僕だけでもどうにかなるから」


 七色に輝く妖精の衣。その幻想的な裾をたなびかせて再びデュラハンと対峙する。

 とりあえず最終目標は反転術式での存在消滅だ。

 その為には相手の動きを封じる事が先決で……ならば非殺傷拘束の代名詞を片っ端から試すだけだ。

 右の短剣を鞘に収め、代わりに腰の巾着から術式封印石を一つ取り出す。宝石の色は青。(ウィルム)の妖精力が込められた拘束術式だ。

 属性に分類される妖精術が使えないなら、既に妖精力を流し込むだけの使い捨てで補うだけ。

 考えて投げた鉱石が中空で割れて水の縄を作り出すと、それが蛇のようにデュラハンの体を縛り上げる。

 次いで開いた手のひらに妖精の光弾を一つ作り出す。付与するのは昏倒と衝撃。

 普通に撃ち放つだけでは意味はない。ならば体当たりをするほど密着して直接その体に流し込むだけだ。

 考えて拘束術式に瘴気を這わせる抵抗の様子を見ながら踏み切る呼吸を窺っていると、背後に足音が聞こえた。

 振り返らずに近くで止まった気配に声を掛ける。


「遅いですよ」

「どうなってるの?」

「妖精弾は効きませんでした。貫通しましたがその先から妖精力で回復します。拘束術式は見ての通りです。あまり長くは持ちそうにありませんっ」

「なら最大火力で焼き払うか?」

「精霊術もあるわよ?」


 一気に広がった戦略の幅。

 視界の先の睨み合い続く首なし騎士の悠然たる姿に息を呑みながら告げる。


「……とりあえず思いっきり拘束や行動制限をかけてみようと思います。援護もらえますか?」

「分かった」


 言って砂の人形を作り出すヴォルフ。

 流石に今から儀式術式の準備は時間が掛かる。ならば即興で紡いで旋律を歌うだけだ。

 長く息を吐いて脱力、それから大地を踏み切って一足飛びに接近する。

 まずはその足を……。

 デュラハンの振るう刃がクラウスに追走した砂の人形によって阻まれる。

 刹那に波のように押し寄せる瘴気。纏う妖精力の衣と鬩ぎ合うその中に死のにおいを嗅いだのも束の間。次の瞬間にはテオの炎の壁が出来上がり、黒い靄を弾き飛ばす。

 どうやら光を発するものが苦手らしい。

 目端でそんな事を確認しながら疾駆する。

 瞬く間に切り捨てられた砂人形。その振るわれる刃が三度目にしてクラウスの首筋へと伸びる。

 しかし鋭刃届く寸前で、追いついたニーナの水の縄がその柄を縛り上げ、雁字搦めに固定した。

 地を這うように接近したクラウスは、その右手をデュラハンが跨る首なし馬に宛がう。

 同時に開放した術式。昏倒の付与された一撃と共に衝撃効果がその横っ腹を吹っ飛ばし、乗馬したデュラハンを地に叩き落す。

 クラウスの数倍はありそうな大きな黒馬は、校庭の土の上を転がって煙を上げた後に、どうにか立ち上がろうと行動を見せる。そこにすぐさま衣嚢から取り出した術式封印石を投げ込む。今度は地だ。

 校庭の大地に跳ねた黄色い鉱石は、それから方陣を描くと中に込められた属性と命令式に従って人の腕の数倍はある土の拳を作り上げ、それを黒馬に向けて突き出した。刹那に衝撃に吹っ飛ばされた首なし馬が大地を転がって遠くで止まった。

 やがて暗い瘴気となって中空に解けていくデュラハンの足である黒馬。

 そんな愛馬には目もくれず、馬から落とされ大地に膝を突いた死神は、けれど鎌を一振りして水も炎も砂でさえも、一切合財に切り捨てるとクラウスに向けて構えなおす。

 思わずその姿勢に綺麗な騎士の姿を幻視した。


「とりあえず叩き落しましたけど……」

「どうやら炎が嫌いみたいだな」

「頼める?」

「あぁ、ようやく暴れられる…………!」


 拳を握ったテオに呼応して、その体に白い炎が鎧を模って顕現する。

 極炎闘衣(ラーヴァ・メイル)。全てを焼き滅ぼす炎の絶対防御、その四つ目の色彩。

 燃え盛った陽のようなその姿に、デュラハンが一歩後ずさる。

 陽から逃げ、影を渡る。その死の象徴たる存在に、断罪にして眩い炎の光は天敵だ。

 揺らめく炎がテオの顔までをもしっかり覆い隠して出来上がるその鎧姿。

 光と闇の騎士が相対するその光景に現実味を失われながらデュラハンを睨みつける。

 作り出した妖精弾。付与するのは捕縛術式。

 付与効果の為そこまで強力ではないが、それでも一瞬なら大地に縫い留めはできるだろう。

 隣のテオがその手に炎の斧を構える。

 鎌と切り結ぶには長大にして破壊力のある得物が必要だ。それが今回彼の中では斧の形をとった。

 勇ましい戦斧を肩に担いで睨んだデュラハンに突貫する。


「……いくぞっ!」


 幼馴染の声に合わせて撃ち放つ捕縛の一発。

 それを切り捨てた闇色の鎌にまとわりつく拘束具。しかしそれも一瞬で、周りに漂う瘴気が虹色を侵食して炭の様に脆く破壊する。

 流石にこれ以上は似たような手は効かないか……。

 という事はかの存在にも学習能力に類する思考回路が存在する?

 人型を持つ妖精だ。その本質を剝き出しに暴れ回るだけで、そこに意思が介在しないというのも変な話か。

 けれど少なくとも理性よりも衝動の獣。野生動物を相手にするように立ち回った方が正しい筈だ。

 クラウスの拘束術式によって僅かに生まれた隙。そこを逃さず接近したテオが先手を取って斬りかかる。

 テオの持つそれは尖った斧頭を持たない文字通りの戦斧。鎚のように振り回し、力と面積で押し潰す、刺突ではなく殴打を主とした刃の幅が広い炎の斧だ。

 横殴りに大木を撓らせたような一撃が爆ぜる。力一杯の横薙ぎに、触れた瞬間鼓膜を劈く爆音と轟炎が盛る。

 一瞬にして染め上がる土の大地。霧雨降り注ぐ景色の中、一帯が紅の絨毯に煽られた様に色付く中心で、純真な白い炎の中から黒い刃が空を駆る。


「ふんっ!」


 それを見てヴォルフが方陣を一つ。同時に平らな土が一気に盛り上がり、氷柱のような土塊を顕現させた。

 テオに迫った一刃は、その大地の怒りに突き上げられて上へと軌道を逸らす。

 合わせて炎の舞台の中、テオが大上段に構えた戦斧を建物さえ両断する勢いで振り下ろした。

 僅かに狙いがずれたのは、その黒い体が逸れた槍に引っ張られた所為だろうか。無い頭を狙った兜割りは、空気を引き裂く音を置き去りにデュラハンの左腕を灰燼に化す。宙を舞ったその腕が音も無く瘴気に溶けて消えた。


「くぉんのぉやろぉおがぁっ!?」


 振り下ろした炎の刃。それが大地を抉ると同時、彼は瞬時に右手を逆手に変え、兎のような身のこなしでその場で右周りに大回転。

 風車の如く重苦しい風斬り音と共に繰り出されたのは彼の全体重と遠心力を乗せた渾身の回し斬り。

 まるで武神のようだとその妙技に見惚れる中で、テオが怒号と共に繰り出したその斬戟(ざんげき)は瞬く間にデュラハンの闇夜の横腹に吸い込まれ、手応えなど感じさせないほどに呆気なく豪快に振り抜かれた。


「ここっ!」


 その刹那、いつの間にか展開された五重の方陣。それはニーナが紡ぐ多重妖精術──属性特化防御術式(エレミクション)

 彼女が研鑽の末に重ねて編み出した炎に対する最大級の賛辞にしてそれを阻む絶対の(ことわり)

 方陣、格子、膜、壁、殻の五重障壁────対炎属性防御(フラミクション)

 彼女の技術の粋であり結晶は、その加護を炎の鎧を解くテオに祝福として降り注ぐ。

 そうしてほぼ同時、クラウスも取り出した術式封印石をデュラハンに向かって投げる。込められているのはユーリアの得意とする(フェリヤ)の属性。(フラム)に乗算することのできる相性のいい妖精術だ。


「はぁっ!!」


 破砕音と共に空気の渦が出来上がる景色の中、テオの傍らに控えていたヘルフリートがその手を翳すと、体を上下で真っ二つにされて無情に宙を漂うデュラハンを中心に、爆薬庫が連鎖点火するような大地鳴動を響かせた。

 ありえないほどの局所爆撃が聴覚をおかしくするほど長く幾重にも渡って辺りを震撼させる。思わず耳に防音の妖精術を、そして目を腕で庇ってデュラハンから感覚を殆ど逸らす。

 肌が痺れるような一時が収まれば、ようやくクラウスも目を開けて辺りを確認した。

 火薬の無い炎の匂いが周囲を掌握し、激震に舞い上がった土埃が視界を霞ませる。

 息をするのも辛いほどの視界阻害に口元を覆いながらかの存在の探知を試みる。

 妖精語での会話ができるクラウスだ。集中すれば辺りを流れる妖精力の波長も僅かだが感じられる。

 それはもしかするとクラウスの中に流れる四分の一の妖精の血のお陰かもしれない。そこにあるはずの干渉範囲……特技にも表出した波長に深く纏わるその造詣。

 それを最大限に行使して辺りの状況を探る。

 立ち込める噴煙と砂塵の隙間。ヴォルフの地、ニーナの水、テオの炎が飽和して交じり合うその中に、こちらの心までをも侵食する黒くおぞましい波長を掴み取る。

 それは風の波形。ただ違うのは、ユーリアの冷たくも温かいそれと比べて、途方も無く闇に沈んだ怨嗟のような底冷えのする負の波長であること。

 これが首なし騎士、デュラハンの本質にしてその中核。

 生の魂を刈り取る死の権化としての象徴。

 今こうして触れているだけでこちらの回路が掻き乱されるような感覚に眩暈すら覚える。


「っ……!?」


 と、不意にクラウスの胸の内が冷たい手のひらに掴まれたような錯覚を味わった。

 途端に鳴り響く警鐘。

 それは頬を撫で、首筋を刺し、背筋を這う────死の未来。


「クラウスッ!! 後ろっ!?」


 耳に飛び込んできたのは効き馴染んだ彼女の声。今はきっとその自室で大切な友人と温かい時を過ごしている筈の──クラウスの唯一。

 無意識に振り返ったその景色の中で遠くに濡れ烏色の長髪を覚えた。

 こちらを見つめる紫苑の瞳には驚愕と絶望と悲哀が混ざり灯ってクラウスを射抜く。

 何かを掴むように……クラウスへと手を伸ばすユーリア。

 そんな風に焦っていても彼女は綺麗だと錯覚する景色の中で、天から降り注ぐ雪模様の背景を見つけて────


 この灰色の瞳に映る絶対なる死の騎士が振り上げる漆黒の鎌に魅入っていた。


「クラウスっ!」

「クラウスさんっ!」


 響いた声は両肩から。

 けれど遠くに聞こえるその切迫した音に何かを返す前に、ただただ当たり前の如く死神の裁きがクラウスの体をゆっくりと斬り付けた。

 体の中を通り過ぎる温度の無い冷たさにぞくりと恐怖を感じたのも束の間。次の瞬間には体がいう事を効かなくなって無情に冷たい大地へと倒れ込む。

 今にして思えばそれは唐突だった。

 目の前で爆発したはずの炎の中に居るデュラハン。全てを燃やし滅ぼす彼の業炎に焼かれてなお、そんなに早く再生し、背後を取ることなど不可能だ。

 それに今までその存在を捕まえられなかった。もし何処からか迫ってきていたなら、この見通しのいい校庭で誰かが気付いたはずだ。

 ならばそれは、彼女が言ったようにいきなりそこに現れた概念だ。

 そして当然のように今目の前に立ちはだかる存在には、先ほど倒したはずの彼の象徴とも言える首なし馬もしっかりとそこにいて。

 薄れ行く景色の中でクラウスは最後の手を伸ばす。


 それはクラウスに寄り添った────もう一体のデュラハンだったのだと。

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