第五章
翌日、目が覚めると見慣れた自室にユーリアが居るという景色に少しだけ驚いた。
そういえば彼女は泊まったのだったか。信頼は嬉しいがもう少しクラウスの都合を考えて欲しかったと小さく恨む。
あまり寝顔を見つめるものでもないか。
気付けば奪われていた視線、彼女の静かな寝顔から視線を逸らして立ち上がろうとする。
すると背中に力が掛かって引き戻され、その場に尻餅をついた。
見ればユーリアがクラウスの服の裾を握って引っ張っていた。
……うん、と? …………あぁ、なるほど。彼女は夢か何かを見ているのだろう。で、偶然伸ばした手が服の裾を掴んだと。
朝から面倒臭い事に巻き込まれそうだと諦めてその場に座り込む。
彼女が気持ちよく寝ているのだ。無下にその睡眠を邪魔するのも悪い。もし何か言われたら甘んじてクラウスの所為と言う事にしておこう。
まだフィーナもアルも起きていなくてよかったと何事かに対して安堵をしながら、近くにあった本に手を伸ばす。
少し早くに起きたからかいつもより時間はある。限界まで拘束が解けるのを待つとしよう。
そんな風に、朝から物語の世界に旅をしていると、しばらくして背後で起き上がる気配を感じる。
どうやら彼女も目が覚めたらしい。本を閉じて振り返り、いつもの笑顔で声を掛ける。
「おはよう、ユーリア」
「……あ…………?」
返ったのは半眼の呻き声。そこにいつもの強い光は宿らない。
もしかして彼女は朝は弱いのだろうか。だとしたら覚醒する前に一度距離を置きたくはあるのだが……。
背中を駆け上がる予感が強くなる中で、立ち上がろうと試みる。
しかし何故か彼女の手のひらは服の裾を掴んだままで……。
やがてようやく思考が追いついたのだろうユーリアは、その紫苑の瞳にいつもの強い彼女を灯してクラウスを射抜く。
刹那、握った服の裾を思い切り引っ張ってクラウスを仰向けに倒すと、次の瞬間馬乗りになった彼女はクラウスの首に手刀を宛がう。肌を刺すのは風の妖精力。うまくは見えないが、手に風の刃を纏わせているのだろう。
「……言いなさい。私に何をしたの?」
「誤解だよ、ユーリア。ほら、昨日の事思い出して……」
「男と女が一緒の部屋にいて何も起きない方がおかしいでしょう?」
昨日と言ってることが真逆だっ。それに話が通じない。
一体朝から何をしているのかと呆れながら説得を続ける。
「ユーリアが言ったんだよ。勉強がしたいって。その上勝手に泊まるとまで言いだした……。証拠ならそこの机にあるから」
クラウスにできるのはあったことの証明だけだ。濡れ衣だと納得してもらうのは難しい。
ならば知っている手のひらを全て明かすだけ。
とりあえず手を上げてこちらに抵抗する気がない事を示すと彼女の反応を待つ。
ちらりと机の見た彼女は、それからクラウスに視線を戻すと軍属由来の逆らい難い眼光で刺し貫く。
「……それと何かがあったかどうかは無関係でしょう?」
「そもそもユーリアが言ったんだよ。僕が何もしない事を信頼してくれるから泊まるんだって。そんな信頼を裏切れるほど、僕は男である事を辞めたつもりは無い」
「…………そんな言葉を信じると思ってる?」
「こんな僕だからユーリアは信じてくれたんじゃないの?」
ようやくいつも通りの口調で軽薄な言葉を突けば、ユーリアは首筋に当てた矛を収めてくれた。
「本当に何もしてないのね?」
「少なくとも今のユーリアにそういうことはしないよ。それは僕のやり方に反する」
理由もなく手を出そうとは思わない。
そうでなくともユーリアだ。彼女が許してくれるまでは今回みたいに力付くで捻じ伏せられるに決まっている。
だから彼女が許してくれるまでは、クラウスは手を出さない。
それが今のクラウスがユーリアに向けられる最大限の誠実だ。
言って、しばらくこちらの目を真っ直ぐに見ていた彼女は、やがてその言葉の裏に気付いたか頬を紅潮させて立ち上がると「顔を洗ってくる」と言い残して部屋を出て行った。
残されたクラウスは徐に体を持ち上げると一つ息を吐く。
……まだ少し早かっただろうか?
けれど彼女の信頼に応えるにはあれくらいでなければ築いた関係を失ってしまうから。
それに早く欲しいのだ。
クラウスを肯定する最後の剣が。
そのためにも、ユーリアは手放せない。
「……朝食でもつくろうか」
長い息一つ。それから自由になった体で立ち上がって台所へ向かう。
ユーリアはまだ戻って来るには少し時間が掛かるだろう。その間にいつも通りに戻るだけ。
今日からは実技の試験も増える。動けるようにしっかりと食べなければ。
そう言えばユーリアに朝食の事を聞きそびれた。が、もう聞かなくてもいい。料理の腕は普通だが、彼女には何故か目の敵にされるほど信頼は置かれているし、特に好き嫌いもなかったはずだ。いつも通りに準備するだけ。
考えて朝食の準備を始めればフィーナとリーザが起きてきて、アルが寝床の中で蠢く気配。表情から察するに、二人は先ほどの遣り取りで起きたらしい。
隠し事をするつもりはないが、恥ずかしさという物は確かに存在する。今回に限っては、何も言われないのがいい事か、それとも悪い事か……。
考えながらフィーナにあるの事を任せれば、身なりを整えたユーリアが戻って来る。
彼女が纏うのは見慣れた学院の制服。凛としたその立ち姿にようやくいつも通りの時間を認識する。
「……手伝うわよ」
「大丈夫だよ。ユーリアは座ってて。それにお礼なら先に貰ってるから」
「……それは忘れなさい。アンネにだって隠してるんだから」
「朝が弱いなんて別に恥ずかしいことじゃないと思うけど」
「やっぱり首刎ねとけばよかった」
朝から物騒な会話だ。
そんな会話に心地よさを感じているのだから救いようがない。
「それで、試験はどうにかなりそう?」
「えぇ、不本意ながらね」
いつも通りの返答。
言葉の裏を返せば彼女の本心だ。下手に肯定ばかりしてくれるよりはそっちの方が分かりやすくて助かる。
ユーリアなりの素直さだと納得すれば出来上がった朝食を机に並べる。
リーザのものも準備して五人分。少し狭い机に人の温もりを感じながら窓の外を窺う。
まだ薄暗い空。けれど雲はあまり見えず、晴れるだろう未来が想像できる。
実技が増えれば外で試験を行う事に繋がる。
クラウスとしては特に苦手や気の重いものは無いが、冬とは言え陽光の下でじっとしているのは気乗りしない。
試験の時間には少しくらい曇っていてくれればいいのだが。
「先に食べててよ。僕も着替えて来る」
声に返答は無い。
視線を向ければ彼女は納得し難いものを見るように並べられた朝食を見つめていた。
別に変わったものを並べたつもりは無い、極一般的な食事だ。そこに差なんて殆どないだろうに。
何か思うところがあるのだろうかと思考を巡らせつつ、制服に身を包んでクラウスも食事の席に着く。
「……どうかした?」
「朝からよくこんな手の込んだものを作れるわね」
「そうかな? 別に気取ったつもりは無いけど……。まぁフィーナと契約してからは少し豪華になったかもね」
「それじゃあまるで、わたしがクラウスさんにそうさせたみたいじゃないですか」
そうさせたというか、そうさせるように天然で振舞っていたというか。
並べた朝食に目を輝かせて期待を胸に抱いていた彼女。そんな風に作ったものを真っ直ぐ褒められた経験が少なかったクラウスも、飾り気のない笑顔を見せられては悪い気がしなくて。結果、いつの間にか彼女が望むままに前より少し豪華な朝食になっていたのは確かだ。
それがユーリアには異常に見えたらしい。
まぁ寮で一人暮らしをしていれば必然朝食は手軽になるだろう。それと比べてしまえば目の前の景色は少しばかり賑やかかもしれない。
「変なところで律儀よね、クラウスは」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
クラウスの言葉に少しだけ視線を強くするユーリア。
別に他意はなかったらしい。クラウスもクラウスで性格は曲がっていると。
そんな事を考えながら朝食を食べ終えてユーリアと学院へ向かう。
試験と言う日程の為、特にこれといって持って行くものは無い。最悪筆記用具だけ持ち歩けば座学は受けられる。実技も学院指定の運動着だ。
頭を使って精神力をすり減らすが、肉体的にはそこまでではない試験期間。クラウス個人は周りと比べて脳筋のつもりは無いので、こちらの方が過ごし易くはある。
対してユーリアは実技に関しては無類の強さを誇る神童だ。今日から始まるそっち方面の授業や試験の方が気が楽らしく、クラウスとは対照的に何処か楽しそうだ。
通学中に交わす話題も自然とそちら方面に。
「謙遜するけどクラウスも十分動けるわよね?」
「どうだろうね。要点だけ抑えていい成績を効率よく取ってるだけだからね。教員からの評価は高いかもしれないけど、誰かと比べると随分下の方に追いやられるんじゃないかな?」
「そうやって言葉で誑かす戦術な訳ね。クラウスとは正面切って戦いたくないわね」
「僕だってユーリアと戦うなんてできる事なら避けたいよ」
「絶対に嫌だと言わない辺り、勝つ可能性を見てるんだから私にとっては嫌な相手よ」
別に発した言葉が全部相手を罠に陥れる網な訳じゃないんだから。それにそこまでやろうと思うならクラウスの方から話題を振っている。こちらの土俵に引きずり込んで精神的に崩す為に。
けれど彼女の言い分で自分の事が少しだけ分かった気もする。
どうやらクラウスの言動は決定力に欠けるらしい。
何事に対しても予想外に対処するために余力は残している。それは相手が聞けば、余裕があるように聞こえるかもしれない。
しかし実のところ、クラウスのそれは絶対的な決断を下す事を後回しにしているに過ぎないのだ。
それはクラウスの根底に染み付いた性格であり、ある種の処世術。
わざと核心を言い当てず、全てを知っているように振舞うことで相手の言動を観察し、そこから対抗策を練る。
いわば、相手を主軸に自分がどう動けばいいかを考える他力本願な考え方だ。
気付いてしまえば戦い辛い相手、戦い易い相手も明確になる。
ユーリアのように主体を強く持つ相手には強く出やすい。相手の決断力を利用して、後の先を取れるからだ。
けれど、例えばアンネやイーリスのような、どちらかと言えばクラウスに近い部類の主体を余り持たない相手に対しては対抗策が練り辛くなる。
相手が動かないから、結果こちらも行動できずに泥沼に嵌っていくのだ。
そんなクラウスだから、振りかざせる正義を……前を突っ走ってくれる相棒を欲する。
少し前まではそれが幼馴染だった。
今ではもう隣の彼女だ。
「それにただの試験だし。ユーリアと戦うことなんて今後きっとないよ」
「クラウスにその気は無くてもこっちの都合なら付き合ってもらうから」
そのうち因縁をつけて滅多打ちにされそうだと想像して、笑顔で受け流す。
こうして意味もなく笑うから彼女に嫌悪感を抱かれるのだと。
考えてそれから昇降口を抜け教室へ向かう。
さて、理想のために出来る事を夢想して、それが何かに繋がると信じて行動に起こすだけ。
それまではただ、物分りのいい生徒としてそ知らぬ顔で過ごすとしよう。
そんな風に良い子の仮面で学院での生活を過ごして。
いつも通りの手応えを感じて冬期休暇までの残り少ない日数をこなしていると、委員会宛にカイから連絡が届いた。
どうやらフェリクスが描いていた絵が完成したらしい。
絵画の確認と運搬をして欲しいという話が委員会に舞い込んできた。
流石に国からの任務だ。この前のように欠けた人数で行くのは体裁として悪いだろうと言う事で予定を確認すれば、終業式の午後からなら全員の予定が噛み合った。全員といっても主に予定が入っているのは軍属のユーリアで、その他はしがない学生だ。ニーナ辺りは卒業が近いからか少し忙しそうではあるが。
カイに日時を伝えると、終業式までは退屈な時間だった。
試験も終わり、返ってくる結果に一喜一憂する空気。
一般的な他の教育機関と違い、長期休暇中の補習と言うものはフィーレスト学院には存在しない。その分通常の授業は少し忙しいほどの速度で進む為についていくのも大変だったりするのだが、何にせよ休暇をまともな休暇として過ごせるのだ。
例え三週間程度しかその休みがなくとも、学生の本分である面倒臭い学業からは離れられる。ならば夏季休暇の時のように浮き足立つのは必然で、学院内の空気は目に見えて緩む。
斯く言うクラウスも休暇は素直に嬉しい。
必要な調べ物に割く時間も増えるし、人脈作りにも力を入れることができる。やる事がなくなれば体を休めるのもよしだ。
……こうして考えるとクラウスの日常は何とも退屈な景色だが、クラウス自身がそれで満足しているのだからいいとしよう。クラウスが選んだクラウスの時間だ。それは他の誰に何と言われたって構わない。
そんな冬期休暇を前に最後の登校日。退屈な終業式を生徒会副会長として特にすることもなく過ごしたクラウスは、その後生徒会室へと向かう。
これから予定通りフェリクスの元へ訪問だ。
「だぁ~……疲れたー。んだよあの堅っ苦しい文章。頭がおかしくなるかと思った……」
「生徒会長になるって言いだしたのはテオだよ。生徒代表挨拶なんだから仕方ないと割り切らなきゃ」
「いや、挨拶はいいんだよ。何であんなに畏まった文章なのかって話で……」
「あたしはテオ以上の環境で一年やりきったわよ? あたし以上の学院にするって約束したのに投げ出すのかしら?」
「うぐっ……」
ニーナの実感が篭った言葉。
彼女はテオの先を行く先達だ。彼女から託された思いもあるし、それに負けじと努力するとも語ったのは確かだ。
それを引き合いに出されてはテオも唸ることしかできない。
何よりニーナの言葉は期待の裏返し。だからこそテオには反論が見つからないのだ。
「よかったらテオも練習してみる? 感情の殺し方」
「人間辞めるつもりはねぇから遠慮しとくよ……」
精神的に疲弊した様子でうな垂れる幼馴染に笑い返せばヴォルフが顔を見せる。
「すまない、遅くなった」
「大丈夫ですよ」
「何かあったの?」
「いや、担任の話が長引いただけだ……」
ニーナの疑問に何処か諦めたような雰囲気を纏うヴォルフ。
彼の担任はこの学院でも有名なファクト女史だ。前に個人的に会話をした時は随分としっかりしていたが、いつもはのんびりとした雰囲気の教員。
必然時間を無駄に食べるし、こうして長引いたことも過去には沢山ある。
彼も彼で大変だと時間を大事にするクラウスは他人事に思う。とりあえずクラウスの担任でなくてよかった。
「服は持ってきてるわね? 男はそっちの準備室。あたしたちはこっちで着替えるから」
「……男の方が人数多いのにどうしてわざわざ狭い方を宛がうんですか?」
「知ったところで理不尽だと嘆くなら知らない方が幸せだとは思わない?」
「どの道理不尽ですよ」
覇気のない声で抗議して、それから黒い軍式礼装に着替える。
流石にこの時期だ。防寒対策のあまり施されていないこの服では外を歩くのは寒い。
かといって学院では外套を羽織ったり襟巻きを身に着けるのは校則違反だ。持ってきていると没収される為に愚を冒すわけにも行かず……。こんなことなら教員に話をつけて例外として認めてもらうべきだったと、今更ながらに考えながらどうにか外套で寒気から身を守る。
身形を整えてニーナ達と合流。荷物を寮に置いてくると、その足取りで学院を出てフェリクスの工房へと向かう。
国からの任務としては随分と長い付き合いになったと一人ごちる。
そのくせ得られた結果は殆どなくて、とりあえず委員会の評価だけは下がらなかったと安堵する。
クラウスにとって委員会はなくてはならない存在だ。例えそれが他人の力を借りて作られた場所でも……立派な目的を持つ組織なのだから、それを欲した者として責任は感じている。
その責任に見合う結果を。振り回すに足る夢を追いかけてクラウスは夢想する。
妖精の国は認められて然る理想郷なのだと。
「結局ただのお使いになったわね」
「報酬が出るんですから簡単な仕事ですよ。試験と重なったのは少し面倒でしたがね」
道中、他愛ない雑談で間を埋める。
クラウスの零した言葉に返ったのはユーリアの物言わぬ視線。
別に赤点を取ったわけでもないだろう。それどころか彼女の今回の試験の結果は今まで以上によかったはずだ。
考えるに、クラウスの考える試験対策がそのまま嵌ってしまったから納得がいかないということなのだろう。それはやはり理不尽だ。素直に結果が残せてよかったと納得してくれればいいのに。
「仕事ねー。就職かぁ…………」
呟きはニーナのもの。彼女は今年度で学院を卒業だ。冬の進級試験は卒業試験に変わるため彼女の学院での最高学年はハーフェン級。学院の、学生の縮尺では自由自在に妖精術を扱え、契約妖精との関係も良好と言う評価が下るところではあるが、社会に出ればそれが当たり前と言う風潮は存在する。
特に彼女に声が掛かっているだろう軍属は実力を求められる場所だ。一度は経験した身で、国からも来て欲しいと言われているのだから問題は無いのだろうが、上には上がいる。身近なところで言えば恐らくニーナよりテオだ。クラウスも認める幼馴染はフィーレストでも指折りの実力者。もちろんヘルフリートの存在も大きいが、同じように残り二年を学院で過ごせば卒業時は今のニーナよりも将来が有望だ。
「先輩はやっぱり軍属ですか?」
「んー……まぁ、それが一番楽なんだろうけどね…………」
濁した言葉。
脳裏に浮かぶのはフェアリードクターだろう。それについてはクラウスも吐き溜めにされた。
「悩んでることがあるなら、とりあえずの安全策をとっておくのは悪くない考え方ですよ。その上で悩んでる事を考えてみたらどうですか?」
将来はその者が決めるべきものだ。
他人に言われてなるものではないし、自分からしたいと思わなければ手にしても続かない。
ならば保険をかけてぶつかるだけだとクラウスは思う。
必要な情報を揃えて自分と相談して。
結局決めるのはその者自身だ。
「それってとりあえずの方に失礼じゃない?」
「そう思うのだったら取れる方法は限られますよ。そう悟られないように振舞うか、最初からその為だと言って周りを振り回すか、とりあえずを諦めるか。はたまた自らを追い込んで一本道に邁進するか」
非情な選択も中にはあるだろう。けれど世界は全てが正しいことで回っているわけではない。価値観の相違で正しいことでも間違っていると言われることだってある。
しかし清濁を併せ呑んで自分が納得できなければ、結局惨めになるのは自分自身だ。
「最終的に決めるのは先輩ですから。僕の言葉を理由に逃げることだけはやめてくださいね」
「……クラウス君みたいに他人に無頓着ならもっと楽に生きられたのにね」
「お褒めに預かり光栄です」
釘を刺して言い逃げすれば、ニーナは考え込むように口を閉ざす。
彼女は委員会の雰囲気の中心だ。そんな彼女が沈んでいる表情を見せれば自然と周りの者達もそちらに引っ張られる。
こういう時どこに責任を投げればいいかと考える事があるが、この頃気付いたことがひとつ存在する。
「それから、相談なら受け入れてくれる彼にしてもらえばどうですか?」
「そこで俺に振るなよなぁ……」
矛先が向けられたテオは困ったように唸る。お前がいいと言った彼女だろうが。本気なら手綱くらい握っておけと。
幼馴染に丸投げしてクラウスはそれ以降関係ないとばかりに白を切り通す。
そんな風にニーナの問題を自分とは関係のないところへおいて、結果だけ利用してどこかで自分が繋がっていられればと非情な事を考えていると目的地に辿り着いた。
既に見慣れた白い外壁の一軒家。その扉を叩いて呼びかける。
呼び出しにはフェリクスが扉を開けて応対してくれた。
彼の纏う雰囲気は上機嫌。どうやら納得のいくものが描けたらしい。
招かれて家に入れば鼻先を突くのは画材の匂い。この匂いを嗅ぐとこの前のフェリクスとの話し合いを思い出すなと、どうでもいい事を考える。
そう言えば決まりきった事とはいえ、クラウスがリアナンの姿を目で見ることは叶わなかったと小さく嘆く。
見る者によって髪の色を変える妖精、リャナンシー。もしクラウスがその姿を目に出来たのなら、一体何色に見えたのだろうかと想像する。恐らくは、黒か、淡い茶色。白もありえるかもしれない。何にせよ、確認できないのは残念だ。
ただ見えないだけで意思疎通が出来ないと決まったわけではない。
クラウスには恐らくそれが可能だ。可能なだけの知識と経験は存在する。もちろん彼女に効果があるかどうかは別問題だが。
そんな事を考えていると大きな画布を抱えたフェリクスが部屋の奥からやってくる。
「これが希望の品だぁあっ?」
「おっと……」
受け取ろうとしたところで、フェリクスが椅子に足を引っ掛けて転げる。
画布はどうにかクラウスが受け止めたがフェリクスまでは流石にどうにも出来ない。
床にのびた彼を静かに見下ろして数瞬。あぁ、助けないとと思った時には、既にヴォルフが手を差し伸べていた。
「いたた……あぁ、ありがとう。昨日模様替えしたのが裏目に出るとは……」
彼の言葉に思わず視界を回す。が、どうにもクラウスの記憶は曖昧だ。
家具の配置などを一々覚えているわけもなく、特に変化は分からない。それとも彼にしか分からない変化なのだろうか?
脛を摩りながら倒れた椅子を戻して腰掛けるフェリクス。どうやら運悪く骨まで衝撃が達したらしい。折れたりしていなければいいが。
「よければ診ましょうか? 簡単な診断や治療程度なら出来ますけど」
「あぁ、いいよいいよ。ぼくの不注意だ。どうせ今後しばらくは暇だしね。静養するよ」
まぁ打撲程度だろう。彼がいいと言うのだからこの話題はこれまでだ。
「……あの、鼻血が」
「うぉうっ、本当だっ」
「あ、上は向かないで」
そう頭の中で結論付けた直後、今度は彼の鼻から赤い液体が一筋流れ落ちる。どうやら先程の転倒で顔を打ったらしい。何と言うか災難だ。もしかしてこれもリャナンシー……リアナンの齎す禍福の一つだろうか?
国からの話をする空気ではなくなったと諦めながらとりあえず画布を床に置く。
「迷惑をかけてすまないね……」
「話の種といえばそれまでですよ」
「酷い事を言うね、クラウス君はっ」
鼻を拭きながら呻くフェリクスに笑う。
何と言うか──彼は彼らしい。
好きな事を好きと言って。嫌な事を嫌と言って。
そんな景色の中で彼は全てを受け入れて存在している。
その受け入れたものの中には、彼が逃れられない呪縛も存在する。
けれどそれを受け入れて尚、余りある幸福で満たされている。
「楽しくなければ生きている意味はありませんよ」
「それは同感だ。その上で、楽しさを彼女と共有しなければね」
彼の言う彼女を思い浮かべて笑顔で答える。
それこそが彼が手にした本当の対価だと。
「フェリクスさんは今が楽しいですか?」
「ぼくだけがそれに答えるわけにはいかないな」
満足の行く答えを得られてクラウスも納得する。
彼を変えることは出来ない。
彼はもう決めているのだ。今後どうするのかを、どうなるのかを。
リアナンの妖精従きフェリクス。彼に降りかかる禍福は全てリャナンシーに由来するものだ。
愛に生き、愛した者を殺す妖精の恋人。
彼女達は人の精気を吸って生きる魔性の存在だ。
その対価として、誰にも劣らない芸術の才能を授ける。
けれどそれはリャナンシーが司る一角に過ぎなくて、その本質はやはり魂に干渉する妖精だ。
バンシーとも、デュラハンとも違う。生の魂に干渉する異端の理。それを愛と言う言葉以外でクラウスには語れない。
彼女達リャナンシーは愛と言うものに飢えている。
誰よりも愛を愛し、その対価として契約者の命を貪る。
愛と魂と芸術の支配者だ。
その愛と対価を受け入れた彼は、芸術の才能を抱き若くしてこの世を去るだろう。
芸術家の多くは短命に終わる。それはその者にリャナンシーが憑いているからだと言われる。
その事実を体現したまま、彼は死ぬ事を恐れず死んで行く。最期まで彼女を愛し続けて死んでいく。
それもまた、生の全うと言う意味では正しいのかもしれない。
どこまでも自分本位で身勝手な考え方。けれど自己満足がない人生など、楽しくは無い。
だからこれは自分に正直な者だけに許される破滅の道だ。
クラウスには、真似できない。
「っ…………!」
隣で、何かに気付いた様子のユーリアが肩を揺らす。
そう言えば彼女の契約妖精、リーザも魂に由来する妖性を持つ存在だ。その目にはリアナンの姿が見えているだろうし、言葉も聞こえているだろう。
ならば必然、契約者たるユーリアもその影響下に居る事になる。
彼女がフェリクスとリアナン、どちらに反応を示したのかは分からない。けれど少なくともクラウスに近い結論に思い至ったのはその横顔を見れば想像がつく。
クラウスがそうしてユーリアを窺っていると、彼女もこちらに視線を向けてきた。
けれどそれは言うべきではないと。彼は受け入れているのだから僕達が言えることは無いのだと。
静かにフェリクスの気持ちを尊重すれば、彼女は小さく体の横で拳を作った。
それは彼の人生だろうに、ユーリアがそこまで思い詰めるのは違うだろう。
ただそうして彼女が胸を痛めるという事実に、フェリクスは笑顔で答えるはずだ。
「あぁそうだ。君の絵、完成したんだけど」
「……話は聞きました」
「見るかい?」
「…………はい」
そんなユーリアの変化に気付いたフェリクスは、けれどやはり触れることなく笑顔で話題を逸らす。
逸らすと言っても必要な会話だろうが。
ユーリアが頷くとフェリクスは部屋の奥へ向かい、大きな頒布をまた一つ持ってくる。
「はいこれ。題名は不調律」
「……………………」
彼女はその絵を見て何を思うのだろうか。絵心が余りないクラウスとしては説明されてそれに頷く程度の事しか出来なかったが……。
「……これが私なら、今の私と友達にはなれませんね」
「この瞬間を切り取ったのは間違いだったかな……?」
「いえ、お蔭で一つ分かったことがあるので感謝はしてます」
分かった事とは一体。
彼女なりの納得なのだろうと深くは考えずに横に置く。
「で、彼から聞いてると思うがこの絵画を出展したくてね。構わないかい?」
「はい。大丈夫です」
「そうかそうかっ、それはよかった」
花開く笑みで無邪気に微笑んだフェリクス。クラウスより年上なのに子供っぽく生きているのは彼が手にした自由の証だろうか。
もしそうならそこだけは羨ましいと小さく妬みつつ、クラウスも自分の道をしっかり見つめ直す。今更引き返すことなんて許されないのだと。
……どうでもいいけど、露草姫の絵画の完成よりも喜んでいる気がするのは気のせいだろうか?
「……余り長居するのも悪い。今回は受け取りに来ただけだからな」
「そうね。それではフェリクスさん、またどこかで」
ヴォルフの言葉にニーナが頷く。
確かに目的は達せられたのだ。これは任務、早く報告をしなくては。
少しだけずれた話題が元に戻ると目的は終点へ向けて一直線。無駄な時間はクラウスの最も苦手とするものだ。
考えて踵を返した背中に声が掛けられる。
『……最後に一つ、お願いしたいことがあるんだけどいいかしら?』
告げた別れを引き止めるとは。
そんな風に考えつつ、けれど無視するのも礼を欠くかと思い至って振り返る。
そうして目にした景色で、女の声、と気付いたのは数瞬後だった。
「……クラウスさん?」
「どうしたのよ……」
フィーナの問い掛けに気付いたのはユーリア。重ねて尋ねて来る彼女達に思考が巡る。今の声が、二人には聞こえていない?
『彼女達には聞こえないわ。それよりもお願い、聞いてくれる?』
頭の中に直接反響するような感覚。それが妖精語だと気付いて声の主を探す。
「あぁ、悪いね。少しだけ彼、貸してくれないかな? 話があるんだ」
「……はぁ……。えっと、分かりました。外で待ってるわね」
響いたのはフェリクスの声。思わず視線を向けて、そうして彼が浮かべた笑顔に気付く。
「……大丈夫ですよ。先輩達は先に戻っていてください。話が終わったら後から追いつきますから」
口を突いたのはいつもの上辺の言い訳。飾った笑顔にユーリアが視線を向けていたが、やがて無言で踵を返すと、ニーナ達と外へ出て行く。
その背中を見送って、フェリクスに向き直れば想像を口にする。
「…………さっきのはリアナンさん、ですか?」
『ご名答。あたしがリアナンよ。初めて会ったわ、妖精語で会話できる人間』
「魂への直接干渉……それの応用ってところですかね?」
『察しが良い事。あれだけ調べられてればさもありなんかしら』
空気を震わせない音がクラウスの頭の中で言葉になる。
傍から見ればクラウスが独り言を言っているように見えるだろう。現にフィーナとアルはクラウスの事をどこか遠巻きに見つめている。
とりあえずフィーナには説明を。胸の内の回路を意識してリアナンの事を説明する。
彼女と妖精語で会話するようになってから幾度か練習していたお陰か、今回は意外と簡単に意思疎通が図れた。
納得したのか、フィーナが呆れたように肩に腰を下ろす。
「……何二人だけで完結してんのよ。あたしにも説明しなさい」
「…………アル、手を出して」
「は……?」
「いいから」
「だから何で……」
言いつつクラウスの指先に手のひらをくっつけるアル。
指先に触れる小さな手のひらの感触。呼吸を整えて意識を集中させると、クラウスの持つ特技を発動する。
調波。妖精力の波長を混ぜ合わせて平均化するクラウスの特技だ。
これで恐らくは……と胸の内に集中する。
フィーナと妖精語で会話できるのは回路が存在するからだ。
契約の証である回路は、良好な関係を築き時間を経れば互いの妖精力の波長が混ざり合う。
ならばクラウスのこの特技で似たような環境を作り出せば……。
「っ……!? クラウス、これ……!」
「そう、妖精語の会話。もちろん限定的だけどね」
クラウスがこうして彼女達と会話できるのはその体に僅かでも妖精力が流れているからだろう。それを媒介にすることで、こうして妖精語の会話が行える。
「アルが言ったんだよ。妖精力を無意識に扱えれば変化があるかもしれないって。これはその始まり」
「……あの時は妖精術がって言ったじゃない。何でこんな方向に…………」
「その方が都合が良い事もあるし。何より妖精の近くに寄り添える」
呟けばアルが肩を揺らした。
妖精と近付きたいというのは妖精従きとしてはどこまでも正しい欲求だ。その延長線上の結実と言えばそれまで。声が聞こえるようになったのはあの時より進歩した証だろうか。
『もうっ、波長をいきなり変えないでよ! やっと捕まえたのに意味がないじゃないっ』
脳内に響くのはリアナンだろう女の声。
そうか、魂への直接干渉と言うことは妖精力への干渉か。クラウスの特技のように波長を変化させるものはそれに影響を与えるのだろう。
『何よあんた。クラウスに何か用?』
『あたしは彼に一つお願いを聞いて欲しいまでです』
『図々しい女ね。クラウスが誰の物かわかってるの?』
『クラウスさんはわたしのはんぶんですっ』
「……お願いだから僕の波長を寄り合い所にしないでくれるかな…………」
代わる代わる響く姦しい声に力ない笑みを浮かべれば次いで響いたのはフェリクスの笑い声だった。
「もしかして見えないのに彼女と会話できるのかい?」
「えぇ、まぁ。僕の方から言葉を送る事が出来ないみたいなので声と波長でちぐはぐですけど」
「素晴らしいな。やっぱり君は特別だっ」
フェリクスの評価に少しだけ驚きつつ、胸の内で幾度か試している実らない結果に悔しくなる。
リアナンへ波長で言葉が送れないのだ。
フィーナには回路が、アルとは調波の応用でどうにかなったが、リアナンにはこちらから送る事が出来ない。
リアナンの言葉を思い返す。
彼女は先程波長を変えるなと言った。つまり彼女が今クラウスに向けている妖精語は波長に由来するものだ。特にリアナンは生の魂に干渉範囲を持つ妖精。その妖性も相俟ってこうしてクラウスへ一方的に言葉が送れているのだろう。
例えばこれを相互的なものにしようと思えばリアナンの波長と調波すればいいのだろうが、生憎クラウスには彼女が見えない。
触れられないかどうかは試してみないと分からない。
けれどそれをしようと思うとクラウスは一度アルとの調波を解かなければならなくなる。そうすれば彼女の機嫌は目に見えて傾ぐだろう。紛争地帯にわざわざ踏み込むのも野暮と言うものだ。
「……特別、とは?」
「いや、最初に君が来て帰った後にね、リアナンが言ってたんだ。君の魂は色々な意味で規格外だってね」
「まぁクォーターですからね。一般的からは少しだけずれてるでしょうが」
『少しだと胸を張れるその神経に感服するわね』
『ただ少しの違いならあたしが声を掛けたりしないわ』
答えれば回路を介してフィーナからは呆れたような感情が。アルとリアナンはそれぞれに言葉を零した。
何だか心の中を覗かれているようでいい気分ではない。
「そう言えば先程お願いと言ってましたけど、どんなお話ですか?」
『そうそう。一つ買って来て欲しいものがあってね』
余り長くこうしているとクラウスの内側から何かに侵食されていきそうな気がして話題を戻す。
『えっと、何て言ったかしら。画材で、着色した蝋の……子供がお絵かきに使うアレよ』
『クレヨンかしら? そんなの彼に買ってもらえばいいじゃない』
クラウスが答えるより先にアルの声が頭の中に反響する。だからどうして一々クラウスの頭の中で会話をするのかと。妖精同士なのだから直接話し合えばいいものを。
胸の内で小さくぼやけばフィーナがくすりと笑った気がした。
『……それじゃあリックスにばれるじゃないっ。内緒にしときたいのよ…………』
『贈り物ですか?』
声の調子が奥に隠れていく。姿が見えないのが残念だが、語調から察するに恥ずかしがっている様子だ。
何の為に、と考えたところで響いた声はフィーナのもの。彼女の言葉にリアナンから感じていた妖精力の波長が一度跳ねる。どうやら近いらしい。
それから彼女の語ったリックスと言うのはフェリクスの彼女なりの愛称らしい。
どうでもいいが彼のフェリクスという名前。その意味は幸運だった気がする。
『…………ユールの贈り物よっ。愛する人に贈り物をして何が悪いのよっ!』
それは命を捧げた彼に償う彼女なりの幸福の証だろうか。
開き直ったように告げる彼女の言葉に少しだけ呆気に取られて、それからアルに言葉を向ける。
彼女の気持ちは本物だと。それを曲げることは出来ないのだと。
それにクラウスはできる事なら彼女の依頼を断りたくは無い。それは純粋に、愛に生きる彼女がその愛の為に選んだ道なのだ。彼女の真っ直ぐな気持ちの表れだ。
『……クラウスに感謝しなさいよ?』
『偉そうに言わないで。あたしは彼に頼み事をしてるのよ。貴女が口を挟んでいい話じゃないの、お分かり?』
随分な喧嘩口調。女性同士の会話は人間も妖精も変わらず恐ろしいものだと少しだけ疲れつつ、アルを宥める。
そう言えばクラウスはよくそう言った女性同士の諍い事に巻き込まれると今までを思い返す。そういう星の元に生まれてしまったのだろうか? だとしたらいっその事テオやマルクスと一緒にいる方が精神的に楽かもしれないと……。
「分かりました。そのお願い、僕でよろしければお引き受けしますよ」
『本当? ありがとうね。こうでもしないと中々難しいものだから』
「……話は纏まったかい?」
フェリクスの言葉に頷けば、彼は困ったように笑みを浮かべる。
「彼女が話があるからととりあえず合わせてみたはいいものの、詳しいことは何一つ教えてくれないんだ」
「……女性の秘密を詮索すると痛い目を見ますよ?」
「それは実体験かい?」
「ご想像にお任せします」
いつものように都合の悪いことからは逃げの一言で距離を置くと彼の工房を後にする。
そうして向かう先は文房具店。特に指定もなかったので恐らく市販のそれでいいのだろう。そういえば彼女自身、絵の巧拙はどうなのだろうか。もちろん描けないクラウスが言えた義理ではないのは分かっているが……。
「……ユール。楽しみですね」
「そうだね」
そんな事を考えながらの道中、不意にフィーナが呟く。
彼女の声に思い返す。
明日からは本格的に冬期休暇だ。そうなれば目の前に控えているのはユール。クラウス個人にとっては少しだけ恋人のいる者達が恨めしい日だ。
そんな冬の催しに向けて進む準備は着々と景色を塗り替えていた。石畳の目抜き通りの大広場には既に象徴としてのユールゴートを作り始めている。
身の丈数倍はある大きな藁の獣だ。壊すのは簡単だが作るのは一苦労。毎年製作に携わる彼らには感謝だ。
そこにユールゴートが聳え立つ事を信じて、町の装飾は祭りに向けて煌びやかになってゆく。
大きな括りで見ればハロウィンやサウィンと同じ祭礼日。けれどその趣は異なり、ハロウィンはどちらかと言うとしめやかに、ユールは賑やかに催されるものだ。
そのため飾りつけも豪華。妖精たちにとっては楽しみな事この上ないはずだ。
それにクラウスも特に何もなければ寮で賑やかに過ごすはず。
……もしかするとユーリアやアンネと一緒にいるかもしれない。それはそれで疲れはするだろうが楽しみだ。
「二人は何か欲しいものとかは?」
「うーん……。そう改まって聞かれると悩みますよね」
「あたしはクラウスがいればいいわよ」
「あっ、それずるいです!」
ユールの贈り物。今では一般的には契約妖精や恋人、家族などに送るのが普通とされている。その風潮に乗せられればクラウスも彼女達には何か送るべきなのだろう。
妖精に送るものと言えば限られる。けれど幾ら妖精という種族で括っても性別で言えば彼女達は女性だ。
クラウスの事を気に入ってくれている二人なら、妥当なところでも喜んでくれるだろう。けれどそれが満足に足るかは定かでは無いわけで。
そうなれば彼女達に直接聞くのがいいと思ったのだが、どうやら二人ともそれほど物欲がないようだ。
「……何か残るものがいいですよね。なくしちゃうと嫌ですから身に着けるものとか」
「服飾品? けど妖精が着飾ったところで何になるのよ」
フィーナは意外と夢見がち。対してアルは随分と冷めていると。
同じ妖精ながら対極な二人の意見に笑いながら考える。
「別に物じゃなくてもいいんだけどね」
「いい機会だから一つ教えてあげるわ。妖精術が無から有を生み出すのは妖精がそれを欲しているからよ。妖精は形のないものを信じない」
「って言うのは昔の妖精の考えですっ。わたしにはクラウスさんとの繋がりがあればそれで十分ですから」
フィーナの言葉にむっとしたアルだったが、それは言葉や行動にならずどこかへ霧消したようだった。代わりに小さく零す。
「だったらやっぱりあたしもクラウスが欲しいわ。こんな中途半端見限ってあたしを選びなさいっ」
「お願いするのはただですからね。本当に欲しいなら奪えばいいんですよ?」
「やってあげようかしら? 後で泣いても知らないわよ?」
「法螺吹きはみっともないですよ、アル」
「喧嘩はそこまで。これ以上言い争うなら贈り物はなしにするよ?」
クラウスを挟んで散った火花を消す。
まったく、事クラウスが絡むと直ぐこれだ。どちらかを選べないと前に言った筈だ。そこに言い争う意味は見出せない。
「僕の好奇心は多い方だけど争い事はごめんだ。もしどっちかがそれを引き起こすようならその時は覚悟しとくといいよ」
「争ってなんていませんよ。これはクラウスさんの好きな正論です」
「クラウスが好きなのは正しい間違いよ。答えなんて最初から決まってるでしょ?」
「僕の好きなものは僕を困らせないものだよ」
溜息と共に告げれば二人揃って顔を背ける。相変わらずここぞというところで折り合わない。個人的には折れる勇気を持つ方こそがより大人だと思うのだが……。
そんなクラウスの心の内が漏れ出たか、二人はびくりと肩を揺らした。そう言えばアルとはまだ波長を混ぜ合わせたままだったか。
また新たな火種を作り出してしまったと小さく嘆きながら、再び加熱する二人の会話を聞き流す。
もういい。クラウスはクラウスの事を考えるだけだ。二人のことは二人で決着をつけてくれ。着かないのは分かってるから。
そうして諦めて、一切の耳を貸すことなく目的の物を手に入れる。
子供がよく使うクレヨン。クラウスも子供の頃は白い紙を見つけては子供心に色々なものを描いた覚えがある。そんな画材が絵具や炭に変わったのはいつ頃だっただろうか……。学院の授業程度でしか絵を描かないクラウスはそこまで記憶に留めていない。
ただ、描くと言うことは苦手でも描くこと自体は好きな部類だ。そこには必ず結果があるから……。そういう意味ではフェリクスの語った失敗は無いという言葉には同意しかない。
彼の価値観は少し曲がっているが、その殆どにはクラウスも賛同する事が多い。だからこそ、彼が心に決めた未来の事をクラウスは考えてしまうのだ。
そんな風に彼の生き様に少しだけ振り回されつつ戻った工房。そこにいるだろうリアナンに声を掛ける。
「約束の品ですよ」
『どうも。そこの机の上にでも置いておいて貰える?』
クラウスには見えないリアナンだが、それは見えないだけでフィーナやアルのように体は持っているはずだ。
だから物には触れるし持つ事も出来るだろう。もちろん見えない彼女が物を持てばクラウスには物が浮いて見えたりするのだろうが……。
贈答用に包んで貰ったそれを、なんとなく彼女がいそうな場所の近くへ置く。
『お礼が必要よね。何がいいかしら……』
彼女の言葉に少しだけ考える。
彼女については殆ど暴いてしまった。リアナンに聞くことなどない気もするが……。
『何を勘違いしてるの? お礼はあたしが考えるものでしょう? 図々しいわね』
リアナンのさも当然と言った言葉にフィーナが視線を強くする。
けれど確かにその通りだ。何処か上から目線な彼女の性格からすればそれが当たり前。それにクラウスもこれといった得が見当たらない。
ここは彼女に任せるべきか。
『…………それじゃあ一つ忠告しておくわ』
頭に響くリアナンの声に微笑を幻視する。
『魂に近づきすぎよ。生きている事を愛し、死なない事を祈りなさい』
「え…………?」
呟きは肩の上から。
クラウスの頭がそれを疑問として捉えるより先にフェリクスが切り出す。
「さて、これで本当にお別れだ」
「……そうですね。きっとまたどこかで」
「約束できないのが悲しい限りだよ」
言って差し出された手。そこに疑問はなく握り返して告げる。
「……愛色、見つかるといいですね」
「あぁ、ありがとう」
胸の内に渦巻く感情を愛と言う言葉に全て詰め込んで贈る。
フェリクスは笑顔で答えると、それから玄関先まで見送りをしてくれた。
そうして彼の居城を後にして、ブランデンブルク城へ。門を守る騎士に用件を伝えて足を踏み入れると、冬の寒空の下、城の入り口にヴァレッターの仕着せに身を包んだアンネを見つけた。
「皆のところに案内するよ」
「寒いのにごめんね」
「……心が篭ってないっ、やり直し。せめて言葉で暖めてよ。寒くて病気になったらどうするの?」
「もう既に熱いほどの病気に罹ってるでしょ? 一度火傷したんだから少し控えたら?」
「だってそこにしか居場所がないんだもの、仕方ないじゃないっ?」
軽口を叩けば隣を歩く彼女はその瞳を情愛に濡らしてこちらを見つめて来る。
恋の処方箋はどこにあるのだろうかと。ありもしない理想を問えば隣を歩く彼女はとても嬉しそうに笑みを浮かべた。
「それにその傷跡は、証だから。消えたらまたつけないと」
「……そのうち体が壊れるよ?」
「その時は私が私を壊す前にクラウス君が私を壊してね」
それは依存よりも歪な求め方。リアナンに言わせればこれもまた愛と言う事になるのだろう。偏愛にも程がある。
「壊して欲しければ僕の唯一になるといいよ」
「……無理だと思ってるなら覚悟しておくといいよっ」
アンネの真っ直ぐな気持ちに笑えば目的地へ。使用人らしく扉を開けてくれたアンネに別れを告げてニーナ達と合流する。
「遅い。もう殆ど話は終わったわよ」
「そうですか。でしたら帰りますか?」
「……そうするつもりだけどクラウス君に言われると反抗したくなるのはなぜかしらね」
それがクラウスの専売特許だと納得すれば、ニーナの理不尽にも負けない理由になる気がした。
「クラウス君からは特に何もないか?」
「……ないですね」
「そうか…………」
露骨に肩を落とすカイ。
貴方は仕事だと言い張って怠けたいだけでしょうが。
見え透いた理由を視線で糾弾すれば、カイは仕方なく立ち上がって見送りまで付き合ってくれた。その徹底的なまでの職務怠慢には尊敬さえ抱く。
それでよく今の地位に居れますね。……いや、だからこそなのか。上手な力の抜き方を知っているのだろう。
「ユーリアはこれから軍の仕事?」
「そんなに気になるなら変わってあげましょうか?」
「変わるくらいならユーリアと一緒に取り組みたいかな」
「そんなの学院だけで十分よ」
言って踵を返した彼女は去って行く。その背中をしばらく見つめて、ニーナ達が先に帰途に着いている事に気付くとその背中を追いかける。
その最中脳裏を過ぎるのはリアナンの忠告。
一体どういう意味だろうかと胸の内をざわつかせながらニーナの隣に立つと、彼女はこちらを一瞥して独り事のように零す。
「……フェアリードクター。やるだけやってみようと思うの」
「そうですか、頑張ってください」
「損得は吊り合わなかったかしら?」
「えぇ。売った恩に見合った期待がなさそうだったので。遠くからその偉業の道程を楽しませてもらいますよ」
エルフのフェアリードクター。確かに世界的に名前が知れ渡ればそれなりに利用できるだろうが、名前止まりの偶像だ。それよりも重要視するのは彼女がエルフであるということだけ。エルフであるならば、そこに存在価値は見出せる。
「……後でやっぱり手を貸しとけばよかったって泣きついても知らないわよ?」
「そう期待させるように自分を裏切らないでくださいね」
言葉を返せば、彼女は迷わず笑顔で足を出す。
どうやら気持ちは固まったようだ。そのうちテオにでも根を回しておくとしよう。
ニーナへ直接協力はしていないだろう? と誰かに向けて言い訳をすれば、フィーナが小さく肩を揺らした。
そんな景色の中で、アルは何処か考えるように遠くを見つめていたのだった。
* * *
クレヨンを体一杯に抱えてどうにか画用紙に色を着ける。
鼻を掠める独特のにおい。蝋でできている所為か、温度で溶けて体がもう一つの画布になる。
人間は体が大きくて羨ましい。クレヨン一つも片手で操って好きな風に絵を描ける。
けれど妖精は違う。小さく非力な体。人間の縮尺で造られた世界で妖精と言う存在はとても生き辛いのだ。
もちろん妖精術を使って物を浮かせれば簡単に描けるだろう。
けれどそれでは意味がない。あたしは彼のように、自らの手で絵を描きたいのだ。
「順調かい?」
「初めからうまく出来たならもう投げ出してるわ」
器用にできる事ほどつまらないことは無い。出来るかもしれない事に挑戦するから面白いのだ。
愛すべき彼の声に言葉を返せば、気配を感じて思わず妖精弾を作り出してしまう。
「……悪かった」
「分かればいいの。完成したら見せてあげるからそれまでは集中させて」
彼に矛を向けることには抵抗があったがそれでも貫き通したい我が儘だ。それくらいでなければ自分で動く価値は無い。
今にも彼に嫌われるのではないかと思いつつどうにか足元の画用紙に意識を注ぐ。
頭の中に構想はできている。芸術を司るものとしてその素質はあるはずだ。
自分を信じ、愛する者を思って一心不乱にクレヨンを動かす。
どれ程そうしていただろうか。
気付けば部屋の電気が点いていて。クレヨンのにおいに鼻が慣れきってしまい、漂って来る夕食の香りが異臭にさえ思えて来る。
完成した絵を見下ろして笑いが込み上げて来る。
何と下手なことだろう。いいところ人間の子供の落書き程度だ。似顔絵と呼ぶには些か崩れすぎている。
けれどこの胸を埋め尽くす満足感の何たることか。
上げた視界で群青よりも尚暗い夜の帳に随分と時間を食ったものだと呆れる。
とりあえず体を洗おう。流石にこのまま彼と話をするのは女として致命的だ。
描き上がった一枚を彼に見つからないように隠して湯浴みへ。
体を綺麗にして部屋に戻り今一度その一枚を見つめる。
……率直に、下手すぎる。
初めて描くのだから仕方ないとは言え、これを彼に見せられるかと言えば余り気は進まない。
けれど彼は語った。絵に失敗も成功もないと。描ききればそれが成功だと。
だとしたらどれだけ下手な絵でもそれをなかった事にするのは間違いだろう。
「できた?」
「……できた。けど、見せるのはもう少し待って…………」
愛する彼の言葉に二の足を踏む。
心を込めた結果だ。愛の結晶だ。彼は笑わないだろう。
そんな彼だからあたしも好きになったのだ。
嘘を吐いて隠し事をするみたいで嫌な気分……。
「そうか、それは残念だ。リアナンがいいと思ったら見せてくれ。それまではゆっくり待つとするさ」
「ゆっくり、する時間があると思うわけ……?」
「ないなら誠心誠意頼むだけさ。君の心が見てみたいってね」
言って自室に向かうフェリクス。その背中を見つめて一人残されたリアナンは今一度手元の絵を見下ろす。
そこに描かれた彼の似顔絵。肖像画と言うには余りにも陳腐な出来の、その絵画。
子供騙しだと笑えばそれまでだ。
「贈り物……」
ユール。あたしにとっては恋人の日。
その日の事を想像して決心する。
これはあたしからの彼への贈り物。
だとするならばそこにはあたしの自己満足が含まれていなくては。
思い描いた景色に固まった気持ちを絵としてぶつける。
そうして彼の隣にもう一人、妖精の姿を描き加える。
絵は一瞬を閉じ込める業だと。ならばそれは景色を永遠に語り継ぐ恋文にもなり得る。
これは彼に贈るあたしの気持ち。
そこに嘘も迷いも必要ない。
ただ満足すればそれでいい。
あたしの愛した愛は、自己満足の塊なのだから。




