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フェアリー・クインテット  作者: 芝森 蛍
色彩で叫ぶ挽歌(エレジー)
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第三章

 フェリクスの件と彼の工房で発生した七人目の疑問は未だ解決を見てはいなかった。

 任務を任されてから既に一週間。進展もないまま平等に流れる時間に焦燥を滲ませて漂う雰囲気は、けれどクラウスの思った以上にいつも通りの日常を演出していた。

 確かに国からの命だ。疎かにする事は出来ないし、こなすべき仕事なのだろう。

 けれどそれは押し付けられた無理難題で、カイも手を焼いている案件。もとよりクラウス達に解決できる頼みとして認識してはいないし、クラウス達もとりあえず行動したという結果だけを伝えている状況だ。

 こうなるのも仕方ないことなのだろう。

 カイのところに必要な情報は流れてきていないし、一個人の限りある耳にも入らない。最初から勝算のない話で、全て仕組まれた陰謀だ。

 いつかはこうなると分かっていたが、それを助長したのはここ数ヶ月の無理な横入りだろうか。

 カイやヒルデベルトからしてみれば便利な駒を作り出すための地盤固めだったのかもしれないが、他の諸侯達には面白くない贔屓な組織にしか映らない。

 そのツケと言えばそれまでで、そこまで分かっているのだとしたらそちらの対策をするべきなのだろうと、仕組まれた謀略には殆ど反応を見せずに裏で画策をする毎日。

 必然、エルゼやアンネには無理な話を押し付けたし、一応コルヌ家にも出向いて協力を取り付けた。

 クラウスができるのはここまで。どこまで信用してもいいか怪しい他人の協力を最大限に味方につけて保守に走る毎日。

 そうなれば任された仕事も空虚なものに見えるし別段必要性を感じない。

 感じない、からこそ飛び道具として利用できるのだと気付けば、フェリクスとの関係を個人的にいい具合に留めておくべきだというのも直ぐに至った結論だった。

 子供らしくない打算的な言動だと笑えばそれまで。必要なことだと切り捨てれば、そこに不必要な感情論は既にない。


「……そういえば今日この後フェリクスさんのところに行く予定ですけど、誰か一緒に来ますか?」


 放課後の生徒会室。殆ど集まることもない委員会の面々が、珍しく情報共有に集まった月に一度あるかないかの諸々の報告会。

 学期末の試験も明日に控えた気も落ちる頃に、その沈む空気をどうにか持ち直すべく気分転換にでもどうかと提案する。


「あたし無理。今日学院長と少し話し合うことがあるから」

「私用だ。悪いがそちらの都合には付き合えん」

「マルクスと遊ぶ予定があるから却下。どうせならクラウスもくるか?」


 ニーナ、ヴォルフ、テオが気のない返事を返す。

 ニーナの予定はまだどうにか納得できる。そこに学院のことなど一切絡まないとしても親子の問題だ。クラウスが口を挟めることではない。

 それからヴォルフの言う私用とは恐らくレベッカのことだろう。前に話していた彼女の誕生日が今日だった筈だ。一応彼女へのお祝いの言葉だけはヴォルフにお願いしている。クラウスも世話にはなっているからまた今度直接挨拶にでも行くとしよう。

 ……テオ、君の優先順位は一体どうなっているんだい?

 とはいえ、もしクラウスも予定が入っていればそちらを優先するだろう。それがどれだけくだらない事だとしても……。

 それほどフェリクスの一件は委員会にとってどうでもいい問題に成り下がっているのだ。

 吐きそうになった溜息を(すんで)のところで胸の内の悪態に変えて飲み込むと、視線をユーリアに向ける。


「ユーリアは? 何か用事があるなら僕一人でも行ってくるけど」

「…………それがあろうことか暇なのよ。残念な事にね」


 どうやら彼女の性格には嘘で逃げるという選択肢は無いらしい。

 そんな素直で曲がったことが嫌いな彼女だからこそ、クラウスの傍にいるのに最も相応しいのだと。


「なら二人きりになるのかな?」

「……そういうこと一々言わなくていいから」


 呆れたような溜息は彼女の多彩な感情表現の一つ。そんなことでクラウスの心は折れたりしないのに。


「それじゃあ後で報告頼んだわよ。まぁ聞かなくても結果は分かってるけどね」


 ニーナの気のない言葉に頷いて処理のし終えた書類の束を彼女の机に差し出す。

 幾ら分担しても最終確認は彼女の仕事。恐らく殆ど目を通さずに判を押すのだろうが、この前それで少し面倒臭い事になったのを気にしないのだろうかこの方は。

 思いつつ、ユーリアに校門で待ってると告げて先に生徒会室を後にする。

 冬の陽光は夏より短い。だから四季は存在するし、時間の流れに変化を感じる。

 少し前まではまだ青かった空の色も今の時期は既に茜に染まりつつある。もう少しで冬本番。今年は雪が見られるだろうかと、淡い期待を胸に抱きながら。昇降口まで辿り着けば見慣れた顔を視界に捉えた。


「待ち人来る……」

「今日はヴァレッターは?」

「ここのところ融通してもらってるんだ。試験近いし」

「監視の癖に」


 指摘にライトブラウンの頭髪を揺らして笑うアンネは随分と楽しげだ。そんなにクラウスとの会話は面白いだろうか?

 つまらない人間もどきのクラウスだ。人間では無い何かとの会話と言う風に考えれば、興味は湧くかもしれない。


「どう? ユーリの事誘えた?」

「誰かさんのお陰でね。……それにしてもよく彼女の軍の予定なんか変えられたね」

「変えてないよ? 元からそうだったのっ」


 おぉ、怖い怖い。権力とは恐ろしいものだ。その矛先がこちらに向かない事を祈るとしよう。

 そんな力の象徴を我が物顔で私欲に振り回す彼女こそが一番恐ろしいのかも知れないと、内に秘められた道徳観念の無い無邪気さに乾いた笑いを零す。


「どう、アンネさんも一緒に」

「相変わらず優しいね。節操なしだね。刺されちゃえばいいのに」


 怖い事を言う女の子だ。本心でない事に票を入れる。


「……ついでは一番ヤなんだよ…………」


 すれ違い様。そんな言葉を残して彼女は学院の中へと歩いて行く。

 それは君の気持ちだろうと。クラウスまでその都合に巻き込まないで欲しい。

 この世で一番恐ろしいのは態度でも武器でも死でもない。それを動かす言葉だと改めて認識して、胸の内に突き刺さった良心と言う名の罪悪感の刃を引っこ抜く。


「クラウスさんは、何でこんな風になっちゃったんですかね?」

「少なくともあたしが知ってる幼い頃の彼はこんなに人間を諦めた目をしてはいなかったわよ」


 原因はどう考えても記憶を封印した上に涙を見せてクラウスを縛り付けたアルだろうに。分かっていて開き直る辺り彼女も随分と感情と言うものを否定している。言えばどうせ自分は妖精だと嘯くのだろう。


「失敬な。人間でいるから楽しいんだよ」

「人間みたいに振舞うから、の間違いでしょ」

「人間でいるって事はそれ以外だって言ってるようなものですよ、クラウスさん」


 随分と口が立つようになったものだ。彼女達に本を読ませたのは間違いだっただろうかと、今更ながらに後悔して楽しい現実を噛み締める。


「僕が人間じゃなかったら二人は妖精じゃないけれどね」


 言葉に詰まった二人に笑みを零せば物欲に変わってクラウスの懐を刺激し始める。もう少し同じ話題でずっと会話していたいものだが、こんな話題では難しいだろか。

 どうでもいい話にこれだけ労力を費やすほど愚かしい事は無いと、意味のない満足感に浸りつつ。気付けば寮へと戻ってきていた。

 私服に着替えて校門へ。しばらく待つと私服に身を包んだユーリアが姿を見せた。

 白い厚手の外套に灰色と白の格子模様の少し挑戦的な膝丈。覗く足は黒い長靴下に覆われていた。全体的に白の多い服装は、彼女を語る上で外せないだろう黒い長髪と相俟って、落ち着いた中に彼女らしさを描き出していた。


「……何よ、似合わないって言いたいの?」

「いや、逆だよ。ただユーリアのそういう格好そういえば見たことなかったから」

「…………動きやすい方が好みなの。今日はそんな事もないだろうし、こういう機会でもないと着る服じゃないから勿体無かっただけ」


 どこか恥ずかしそうに視線を逸らす彼女の頬は桃色に色付いて。

 いつもの凛とした彼女とはまた違う魅力に少しだけ楽しくなる。


「よく似合ってるよ」

「上辺だけの言葉は要らないわよ」

「本心なのに」


 言って歩き出す彼女の隣に並び立つ。

 道すがら合間を埋めるのはどうでもいい雑談……であればどれだけ嬉しかったか。クラウスのそんな理想とは裏腹に、彼女の口から漏れるのは憂鬱そうな響き。


「試験なんて全部実技にすればいいのに……」

「妖精史や数学の授業をどうやって実技にするのさ」

「……問題毎にどうでもいい運動挟んで、達成出来たら点数与えるとか」

「それもう教科関係ないよね?」


 ユーリアが暴論とは珍しいと思いつつ、そんなに試験勉強が難航しているのかと少し不安になる。


「今からでも一緒に勉強する?」

「自ら死地に赴く戦士がどこにいるのよ」


 戦う意志はあるのだからこれもまた面倒臭いことだと。

 彼女の勉強嫌いはどうやら根が深そうな問題だ。


「……ユーリアはどうしてそんなに勉強が苦手なの?」

「それは単純なことじゃない。座って他人の評価に甘んじるより自分の力でどうにかしたいでしょ?」


 なるほど彼女らしい。だとしたら幾つか方法は考えられる。


「だったら別に問題に問われた事を答えなくてもいいんじゃない?」

「答えないと点数もらえないでしょうが」

「視点の違う解法を探すんだよ」


 こちらを見つめるユーリアの視線に少し怖くなりつつ続ける。


「当たり前だと思う答えを書くのがつまらないなら、当たり前じゃないけど正解の答えを書けばいいんだよ。後で怒られはするけどね」

「……頭大丈夫?」


 それはちょっと心外だ。思いの他いい事を言ったつもりなのに。


「……例えばさ、数字って規則性があるでしょ?」

「そうね」

「じゃあこの数字はって言われたら普通に読めるでしょ?」

「当たり前じゃない」

「何で読めると思う?」

「その数字がそういう意味を持ってるからよ」

「そんなこといつ誰がそうだって言ったの?」

「は、…………え?」


 ユーリアの紫色の瞳が理解の及ばない言語だとでもいう風に異物を見るその色を灯す。


「別に不便はしていないし、みんなはそう思ってることだけどさ。それは勝手に昔の人がそう決めただけでそこには根拠なんて一欠片もないでしょ? そうして記して認識するのが色々都合がいいからそうしているだけなんだよ。結局は記号って事」


 当たり前だから疑問を抱かない。

 けれどその当たり前のどれほどに根拠と言う理由が存在するのだろう。


「人間って言葉は誰が考えたんだろうね。そもそも言葉ってどこから生まれてきたんだろうね。唯の音の癖に何でそれが繋がっただけで意味が出来るんだろうね」

「……それは人間が知能を持ってるからで…………」

「知能って何を基準にしてるの?」


 まるで世界の成り立ちから全てが狂っているとでも言うように。

 今クラウスたちが認識している現実と言う存在を全て分解して、繋がりのない個として認識した上で問題を提起する。


「結局誰かの都合だよ。数字も、言葉も、生き物も。そこには本来意思疎通なんてないんだ。それを(あたか)もあるように錯覚させて形を与えているに過ぎない。そんな定められた縮尺の上で何かをしたって、それは結局誰かの思惑の上だよ」


 クラウス達人間は、理解をしようと色々な事を生み出してきた。けれどその生み出してきた基盤に意味なんてないし、どうしてそんなものが生まれたのかと説明を求められれば、全員が納得できる理由を示す事は出来ない。

 強いて言うなら便利に甘んじているだけだ。


「何をしたってそこに理由は無いよ。だから人間は人間だし、この世界には理由が定かでは無い妖精という種族がいる」


 やがて疑問はクラウス個人のそれへ。


「ねぇユーリア。妖精は、いつどこで生まれたの? 何をしに、どこへ行くの?」

「…………クラウスって何か考えてるようで実は何も考えてないわよね?」

「そうかもね。だって考えてもそこに意味なんてないから」


 ずれた疑問に着地地点も分からない納得を生み出して捨て去る。


「それで結局、クラウスは何が言いたかったのよ……」

「うん? うん。そうだね……例えば誰かに評価されたって、その評価した人が正しいとは限らないって事かな? だから学院の試験なんていう小さな空間での小さな縮尺に、一々小言を呈しても意味がないって事、だと思う」

「何よそれ。自分で言ってて分かってないとかふざけてるの?」


 ともすれば怒っているように。

 けれど納得し難いクラウスの言葉に彼女はどこか呆れて返す。


「……まぁ、考えるだけ無駄なのかも知れないわね。かと言ってそんな誰かが考えた新しい理屈がいきなり世界を変えるわけじゃないでしょ」

「そうだね。数字の1は本当は1じゃありませんでした、なんて言ってもそれが認められる事はきっとないんじゃないかな」


 それを常識と言ってしまえば何か負けた気がするから言わないけれど。

 この世界に本当の事なんてどれ程あるのだろうか?


「けれど根拠もないこの世界の事を当然のように信じるのも、それはそれで馬鹿だとは思わない?」

「だったら私は馬鹿でいいわよ」


 クラウスだってそこにあるべき理由を知らないのだから、ユーリアと同じ馬鹿なのだろうけれども。


「……その上でさ、ユーリアはその理由がどこかに隠されていると知ったら調べに行くと思う?」

「こんな話聞かされた後にそんな質問されたら無視なんてできるわけないでしょう?」

「だから言葉なんていうその言葉の、根拠さえも分からないものが生まれたんだろうね」


 好奇心。それを感情だと言い切ってしまえば、全ての事象は感情によって決定付けられてしまう。

 だからクラウスは感情と言うものを否定したいのだろうか。


「けれどもし、本当にそんなものがあるとしたら……」


 言いかけて、けれど彼女はその先を言葉にするのを躊躇った。

 確かに、その先は言うべきではないのだろう。

 言葉や数字なんていう意味も分からない根拠さえも知らない概念が、人間が作り出したものでは無いなんていう幻想は────


「……(もっと)もらしいこと語っておいて最後は丸投げなんて、流石はクラウスね」

「お褒めに預かり光栄だよ」


 他愛ない話。可能性の話。

 けれどそこに意味もなければ希望もない。唯の空想の絵空事。

 だから笑い話にできるのだと結論を投げ捨てる。

 意味のない事なんて、この世界に沢山有り触れている。

 そこに意味を求めたくて人間は真実を求めるのだと。


「さて、ユーリアと二人ってのは珍しいからね。何か思い出に残るものが欲しいけど」

「思い出は残すものじゃない。作るものよ」


 確かにそれも一理あり。

 彼女の価値観を垣間見て、それから見慣れた景色を二人歩く。

 視界を通り過ぎていく露天。その店頭に並んだ煌びやかな装身具に、そういえばユーリアはそういう類のものを着けているのを見た事がないと思い返す。


「ユーリアは首飾りとか着けないんだね」

「邪魔になるだけよ。……似合わないし」

「そんなこと無いと思うよ? 現に今着てる服もよく似合ってる。ユーリアは何で着飾っても映えると思うけど」

「はいはいどうも」


 ……ユーリアはもう少しクラウスの、他人の言葉を信用してもいいのでは無いだろうか。

 思いつつ、ならばそれを覆してみるのも面白いと考えて密かに企む。

 どんなものなら似合うだろうか。美的感覚があるかと言えばそこまでではないが、恐らく一般の平均で受け入れられる程度の物は選べるだろう。少なくとも尖った感性は持っていないはず。そこまで人間離れをしているつもりはない。

 耳飾、首飾り、指環、髪留め……。

 きっと派手でも似合うのだろうと、隣を歩く少女の整った容姿を雛形に幾つかの想像を馳せる。


「……言っておくけど、クラウスからは受け取らないから」

「まだ何も言ってないよ」


 本当に、どうでもいい。もしこれが何かの物語なのだとしたら何の身にもならない無駄な時間という事になるのだろう。

 クラウス個人としては別にそんな話も嫌いではない。普通なら描写されない物語の中の登場人物の日常。どうでもいい時間。空白の生活。

 何か特別な事が起こるわけでもない、有り触れた景色の、過去には無かった景色。

 そこにどれ程の理由があるのかと今一度考えて、それがどこかにあるはずの日常だと気付く。

 誰だって生きている。生きている限り、死んではいないし、時を無情に食べている。

 そんなどうでもいい景色を抜き出したら、こんな風になるのだろうと。それが非日常をより濃く演出するのだろうと。

 考えつつ、気付けば足はフェリクスの工房へと辿り着いていた。

 因みに彼の望み通り予め連絡は入れてある。来る途中で買ったお菓子を携えて扉を叩けば、中からご機嫌なフェリクスが顔を出した。


「いらっしゃい。変わらず散らかってるけど足の踏み場くらいはあるはずだから」


 芸術家と言うのはそれ以外の事には杜撰だと言うのが物語の鉄板だが、それを地で行く人物がよもや本当に存在するとは思わなった。一体どんな生活を送っているのか。その一日を文字に起こす事だけで意味もない話が一本書けそうなほど未知であり興味の宝庫だ。

 足を踏み入れれば変わらない景色。たくさんの画材に絵画。

 ここにある絵だけで展示会が開けるほどの量だと感心しながら、彼を成す中核を見回しながら廊下を進む。

 その最中、この前来た時に足を止めた桃色の髪をした妖精の絵……あれが視界に映らなかった事に疑問を抱く。


「フェリクスさん、前に少し話題に挙がったあの絵は……」

「客人に見せるようなものでは無いよ。悪いけど片付けさせてもらった」

「そうですか……。僕は好きだったんですけど」


 呟いて、それから彼の案内で椅子に座る。

 出された飲み物とお菓子で机を飾れば、フェリクスが問うて来る。


「それで、性懲りも無くお仕事かい?」

「今日は違いますよ。単純に遊びに来ただけです。証拠に服は私服ですし」

「擬装かもしれないだろう?」


 疑り深く言葉にするフェリクスだが、言葉にその色は聞いて取れない。どうやら納得してもらえたようだ。

 お菓子を食みながら雑談に花を咲かせる。


「前に描いていた王妃殿下の肖像画は完成したんですか?」

「あぁ、あれか……。いや、問題と言う問題では無いんだが、表情をどうしようかと迷っていてね。目の事もあるし」


 それは立派な問題だろう。

 ローザリンデ王妃殿下と言えば、その愛称の元となった露草色の双眸。けれどそれを絵画として描いていいかと言う話だ。

 象徴ではあるが、彼女が失った象徴だ。

 描くなら全てを完全な状態で、描かないなら全てを描かないと決めて描かなければならない。

 同じ人物を一回しか描かないという彼の信条においてはとても重要なことだ。


「……まずどうして描いてるんですか? というか今まで描いた事は無かったんですか?」


 ユーリアが真っ直ぐに尋ねる。

 確かにその疑問は尤もだ。

 この国の主の最愛。彼のような職業なら真っ先に被写体として挙がる名前だろう。


「あれ、言ってなかったかな? それとも聞いてない? 前にぼくのところに来たお役人さんが言ってたんだ。宮廷画家として登用したいと、その上で王妃殿下の肖像画を描いてほしいと」


 なるほど、誰が何を思ってのものかはさておいて、フェリクスへの依頼と言うわけか。


「ぼくは仕事で請け負わない限り早々絵なんか描いたりしないからね。金にならないものを描いたって仕方ないだろ?」


 確かにその通りだ。無駄な苦労を背負って労力を消費する義理は無い。


「だからとりあえず絵だけは描いてる。それで納得してくれるほど甘くないのは知ってるけど、流石にぼくが国に召抱えられるってのはどうにも、ね……」


 疑問が募る。

 どうして彼はそこまで国の意向を受け入れられないのだろう。

 さっき言ったようにお金が大事なら、それこそ宮廷画家になった方が知名度も上がるし、絵画に高値も付くだろう。

 けれど別にお金で困っている様子でもない。それどころかこんな大きな家に住んで、金の使い道にすら困っている風だ。

 だとしたら何故頷く事ができないのか……。


「……もしよかったら、ですけど。どうしてその話を受けられないのか、理由を聞きたいのですが」

「…………まぁ、普通そうなるよね。……かといってぼくだけの理由で全てが傾くわけが無い事は分かってるから、これは唯の我が儘だ」


 溜息と共に呟くフェリクス。


「ここにある絵は……ぼくの描いた絵は、ぼくの絵じゃないからだよ」


 フェリクスが描いたのにフェリクスの絵ではない?

 それは一体どういうことかと尋ねようとして、けれどそれより少し早く彼が続ける。


「これまでに、ぼくの名前を一度でも聞いた事があるかな?」

「……芸術の世界には疎いもので」

「それでも耳にした事がある名前くらいはあるだろう。他国でも構わないさ」


 確かに、歴史上で言えば既に亡くなった人、まだ存命している有名な画家は、クラウスも片手の指の数ほどだが一応知っている。クラウスの記憶が正しければブランデンブルクにも一人いるだろうか。

 普通に考えればそういった有名な人物が国に目を掛けられるべきなのだろう。それに彼はまだ若い。書類には確か34歳と書かれていたはずだ。

 その若さで、いい絵画を描くから登用されるのではないかと思い至る。


「実を言うとね、ぼくが他人から評価され始めたのはここ数年なんだ。それまでは平凡以下の三流とも呼べない底辺さ。画材を使い潰し、唯の消費者としてのくだらない人間。それが本来のぼくだ」


 彼の語り口調から単純に芽が出た、と言う話では無いのだろうと気付く。

 事前情報には学生時代にも賞を取ったとあったが、口振りから察するにそれにも思うところがある様子。

 実際のところ、学生は幾ら賞を取っても学生だ。学び舎を卒業して手に職を持って、初めて立場を認められるという風潮は存在する。

 彼が画家として注目されるようになったのは、彼の自認でも最近ということなのだろう。


「けれどいつからか注目されるようになってこんなところまで来てしまった。何を評価してくれているのかは分からないけどね。本来底辺であるぼくにはあんな絵は描けないはずなんだ。今でも思うのさ、あれはぼくが描きたい絵じゃないって。ぼくの絵じゃないって」


 傍に置いてあった筆を取ってそれを見つめると、彼は自嘲するように零す。


「元々人物画は苦手だった。好きなのは風景画だ。なのに評価されるのは人物画ばかり……。気付けば他人に言われるがまま、他人の望む絵を描いている自分がそこにいた。そんなの、僕の絵じゃないだろう?」


 描きたいものを描けない。けれど期待されるから描く。苦手なものを描く。

 彼からしてみればそれは苦痛以外の何物でもないだろう。


「……だからあれらは、ぼくの本当の絵じゃない。ぼくにとっては何の価値も無い絵だ。そんなのを国の為に描くなんて、ぼくにはできないよ。だってその絵には、ぼくの全ては描けないから」


 寂しそうに呟くフェリクスを見つめる。

 彼は彼自身の技量に疑問を感じている。

 傍から聞けば隠れていた才能が開花したということなのだろう。けれどその言葉にはそれ以外の何かがある気がして、クラウスは否定できなかった。


「…………フェリクスさんが嫌だったら構いません。可能でしたらその苦手だった頃の人物画を見せてもらえますか?」

「構わないよ。探してみないとあるかどうか分からないけど……。それで納得してもらえるならぼくの恥ずかしい過去なんて安いものさ」


 言って立ち上がり、奥の部屋に消えていくフェリクス。

 残された二人は周りの絵画を見渡しながら言葉を交わす。


「これが全部、無価値な絵……ね…………」

「目が利くわけじゃないけど、それでも素晴らしいって事は分かるのにね」


 沢山の人物画。

 笑っていたり、泣いていたり、怒っていたり。

 水の上で飛び跳ねる少女や、杖を付いた紳士。

 荷物を背負ったお婆さんに、仲睦まじく肩を寄せて座る男女の姿。

 そんな風に絵画を見回して、ふと気付く。


「人物画、なのに全部背景があるんだね」


 背景と言えば少し語弊があるかもしれない。

 一般的に肖像画の主役は真ん中に描かれるだろう人物で、後ろの壁はそれほど重要ではない。勿論後ろの色によって受け取る印象が変わるだろうが、まず山々だとか、大海だとか……そんな込み入った風景は描かない筈だ。

 けれど彼の描く人物画には殆ど全てに明確な景色が存在する。

 水の上で飛び跳ねる少女は傘を差して長靴を履き雨の中を踊っているし、荷物を持つ老婆も建物が並ぶ石畳の道を歩く姿を、背後から切り取った一瞬だ。

 どちらかと言えば肖像画と言うより風景画やただの絵画、風刺画に近い。

 少なくともクラウスの知っている知識では、こんな賑やかに色の溢れた絵を人物画などとは言わないはずだ。

 けれど何故か絵を見れば視線を奪われるのは描かれた人物その人。だから何故か人物画としての体裁を保っているし、そう評価される。

 ……もしかするとそれは彼なりの抵抗なのかもしれない。

 風景画が得意だといっていたフェリクス。そんな彼が人物画が注目される事を(うと)んで、あえて華美な背景を描く。

 理由としては納得できない話ではない。

 尤もそれが彼の画風だと言ってしまえばそれまでだが。


「どれもいい絵なのに」


 ユーリアの呟きにクラウスも同意する。

 それなのに、こんな絵画が全て彼の絵では無いとは────


「いやー、ごめんごめん。少し待たせたかな?」


 そんな風に納得と違和感の間で揺れていると頒布を一つ持ったフェリクスが戻って来る。


「好きなだけ見るといいよ。これがぼくの本来の技量さ」

「……ありがとうございます」


 何処か諦めたような彼の口調に少しだけ疑問を抱いて受け取った頒布に目を落とす。


「え…………?」 


 そこに描かれた人物画に、ユーリアが小さく音を落とす。

 クラウスも言葉になりそうになった声をどうにか飲み込んだ。

 下手、と言うわけではない。少なくともクラウスよりはうまい。

 ただ何と言うか、印象に欠ける。目も引かず、まるで風景のようにその人物が絵画の中に溶け込んでしまっているような感覚。

 人物画なのにまるでその顔がこの絵の為に作られた顔のようで、特徴もなく記憶に残らない。きっと顔を背けてどんな絵だったと訊かれればまともに答えられはしないだろう。

 そんな、とても平凡で……言ってしまえばどうでもいいという感想を抱く肖像画。有り触れた一枚だ。


「こんな子供みたいな絵が何故か突然あんな風になって評価されるんだ。おかしい話だろ?」


 どう言葉を返したものかと口を噤めば、フェリクスは笑って誤魔化した。


「……きっといつかぼくは描けなくなるから。そうしたら迷惑だから、やっぱり過ぎたお誘いだよ」


 窓の外、遠くの空を見て零すフェリクス。

 そんな彼の横顔に疑問が浮かんで言葉になる。


「……どうして描けるようになったとか、そういう理由は分かってるんですか?」

「………………どうだろうね」


 誤魔化したのは、きっとユーリアも分かったはずだ。

 けれど踏み入って欲しくないとでもいう風にこちらに視線を向けた彼に、それ以上を聞く事は出来なかった。

 それからしばらく静かにお菓子を食べて。ようやく見つけたどうでもいい話題に空気を取り戻している最中、フェリクスが思い出したように近くに立て掛けてあった真っ白な帆布と炭を手に取った。


「そうだ、よかったら絵を描かせてよ。被写体になってくれる?」

「え、あの……」

「こんな機会でもないと君達の事を描く機会はないだろう? だめかい?」


 無邪気な問いにユーリアと顔を合わせて、それから頷く。


「……分かりました。それじゃあユーリアを」

「ちょっと、待ちなさいよクラウスっ。何で私だけ!」

「僕がユーリアの絵になったところを見たいから」

「っ……!」


 当たり前だと言う風に笑顔で零せば、彼女は視線を逸らしてくれた。

 うん、反論なし。ではクラウスは逃げるとしよう。


「それじゃあお願いします」

「……覚えてなさいよ?」


 おぉ、怖い。

 どんな矛先が向くのかと少し楽しみになりながらフェリクスの後ろ側に回って手元を見る。

 既に書き始めていた彼の手によって、椅子に座るユーリアの全体像が大まかにあたりをつけられていた。


「一枚仕上げるのにどれくらい掛かりますか?」

「んー、人にも寄るだろうしどの程度まで描き込むかにもよるよね。とりあえず今回は炭だけで描こうかなって思ってるから……丁寧に描けば一週間? さらっと描いてしまえば一日で、なんてこともできるけど、どうしようか?」

「ユーリアはどうして欲しい?」


 彼女に語ったようにクラウスが絵を見たいのは確かだ。けれど一番は描かれる側、彼女の意志を尊重するべきだろう。


「……できるだけ本気で」

「よし分かった。流石に毎日来てもらうわけにはいかないからね……。覚えるだけ覚えて記憶を頼りにで構わないかい?」

「はい」


 フェリクスとユーリアは方向性こそ違えど、自分のすべき事に本気を見出せるのだろう。だから何事にも真っ直ぐで、曲がらない強さを持つ。その強さが、フェリクスの場合は彼自身でも納得し難い違和感を導き出しているのだろうか。

 考えつつ、ユーリアの提案に少しだけ期待を持つ。

 これから描く絵にはフェリクスの魂が込められる。ならばその出来如何によって今の彼の事が分かると言うものだ。


「しかし今回は偶然に感謝だな」

「何がですか?」

「こんなにいい題材が手に入るとは思っていなかったよ」


 確かにユーリアは整っているほうだろう。

 すらりとした線のいい輪郭に、綺麗な顔立ち。丁寧に手入れされた長い髪。その存在自体が絵画のようだと言ってしまっても間違いないほどに、ユーリアと言う少女は出来上がっている。

 それはもしかしたら心に灯す強い意志があるからだろうか。


「……もしだけどさ、いい絵が描けたら一つの作品にしてもいいかい?」

「…………少し恥ずかしいですけど、はい……」

「ありがとう。意欲が湧いて来るよ」


 零した笑顔に無邪気さを感じ取って、それが彼の本質かと気付く。

 子供っぽくて、陽気で、気になったことには熱心に。

 芸術家らしいと客観視すれば、やはり国としては惜しい人材なのだと改めて気付く。

 それでもきっと彼の気持ちは硬く揺るがないだろうし、それをクラウス達に変える事は難しいだろう。……だとしたら妥当な落とし所を見つけるほか無い。

 これ以上彼の工房を侵食することなく、国にとっても有益で、クラウス達の委員会における及第点……。

 難しいが、だからこそ探す価値がある中間点だ。

 考えながら部屋の中を見回しつつ時間を潰す。

 後今日やっておくべき事は……。

 別に本当に暇で来たわけではない。私服ではあるがクラウスにも考えがあっての訪問だ。だからどうでもいい会話の中に幾つか必要な質問も混ぜた。

 その疑問を思い出して脳内の一覧に目を通す。

 ……あぁ、そうだ。個人的に一番重要なのがあった。けれどどう話題に出したものか…………。

 見えないものを話題に出すと言うのもおかしい話。何かきっかけでもあればいいが。

 思いつつユーリアの方に視線を向けると、彼女は何も無い中空を眺めていた。


「おや? もしかして見えるのかい?」

「えっと……はい」


 同じところへ視線を向けるフェリクス。クラウスも釣られて見るがそこには棚があるだけで目ぼしいものは無い。

 けれどそこに居るのだと納得するとフィーナに視線を向ける。


「いる?」

「……見えないですけど、妖精力は感じます」


 ふむ、フィーナでも駄目。アルも首を振っている。

 契約云々もやはり関係無しか。だとしたら一体何が理由だろうか。


「綺麗な髪の子ですね……白、いえ、銀……灰色?」

「君にはそう見えるのか」


 クラウスの認識の外で交わされる会話。見えないクラウスにはその姿すら捉えることはできない。


「因みに、えっと……」

「クラウスですよ」

「そうそう。中々に顔と名前が一致しなくてね。眼鏡の君はクラウス君。……で、見えるかい?」

「妖精のことですよね。見えません」

「そうか、残念だ。何色に見えるか知りたかったのだが……」


 見える者と見えない者が存在する妖精。見える者でも、見る者によって髪の色が異なって映る妖精。

 前回来た時に話題になった不思議な存在の事だ。


「やっぱり見える色ってその人によって違うんですよね」

「そうだね。……見えるとか見えないとか、どんな理由か気になる?」

「まぁ僕も妖精従き(フィニアン)ですし、妖精について知れるなら聞きたいところですけど」

「でもこういうのは答えを教えるだけって言うのはつまらないなぁ」

「それは同感です。ですので助言を一ついただければと」


 知らない事を知らないままにしておくのはクラウスの性格が許せない。

 知らない分だけ希望と想像は膨らむというが、それは膨らむだけであって事実ではないのだ。クラウスはただ、真実が知りたい。それが例えどんな答えであろうとも。


「リアナンは……あぁ、彼女はぼくの契約妖精なんだけどね。彼女を目に出来る者には一つの共通点が存在する。それは妖精側にある共通点だ」


 妖精側か……。そういえばこれまでのクラウスの想像は人間やエルフといった方にしか視点を向けていなかった。ならば解明できないのも無理は無いか。

 妖精側。それはきっとそれぞれの妖精に備わる何かが関係しているということ。

 幾つか思いつくが確証は無い。それを調べるのは今後の課題だ。


「見える色については君達が答えを持ってきたらにしようか。意外と単純なことなんだけどね」


 そちらにも何かしらの理由が。

 積もる疑問はクラウスの興味を刺激して離さない。


「因みにフェリクスさんには何色に──」

「桃色」


 クラウスが何かの手がかりになればと零した疑問は、けれどユーリアの一言で決着する。


「……驚いた。よく分かったね」

「…………見える色の仕掛けは、何だか分かった気がします」

「その直感は侮れないなぁ。それにもし、君の想像が当たっているとしたら…………」

「言わないでくださいっ。認めたくないんですから」

「ははっ、それは悪かった」


 少しだけ機嫌を傾がせたユーリアがクラウスを睨むように見つめて来る。

 え、何。僕何か悪い事した?

 考えてみるが思い当たる節は無い。……そもそも二人でこうして来た事に矛先が向いてるのだとしたらそれは理不尽だと言いたいが。

 巡らせて得なかった答えに少しだけ疎外感を抱きつつ、それから脳裏に閃くものに気付く。


「……あぁ、そうか。あの絵か…………」

「おっと、その記憶力も厄介だ」


 言葉ほどに警戒心のないフェリクスの反応に、それが当たりだったのだと確信を得る。

 桃色の髪を一房の三つ編みに纏めた妖精の絵画。フェリクスが失敗作だと語ったあの絵だ。

 つまりあそこに描かれていた妖精こそがフィリクスの契約妖精、リアナンと言うことだろう。

 彼は自分の契約妖精を描いた。けれどその髪の色を見る者によって変わる色で描くことが出来ず、その本質を描けなかった事に失敗作とした。

 ならば彼の言い分にも筋は通るし、同時にあの絵を描いたのが恐らく少し昔なのだと推理する。

 彼の事だ。もしリアナンの髪の色が見る者によって変わる事を知っていたとしたら、そもそも描こうとはしないはず。それを描いてしまって、後から失敗作だと決めた。だとしたら描いた後にリアナンの髪の秘密を知ったと言うことだろう。


「けれどそれとリアナンについてが結びつくとは限らないね。さて、君の答えを待つとしようか」

「解けない問題は出しちゃいけないんですよ?」

「解けなきゃ問題にすらならないからね」


 卵が先か鳥が先か。

 先人が残したそんな命題があったと思い返しつつどうでもいい事を考える。

 因みにクラウス個人としては鳥が先だ。だってその卵は『鳥の卵』なのだから。鳥が存在しなければその卵は『鳥の卵』なんていう名前は付かない。ただの卵止まりだ。

 ただのくだらない言葉遊びだろうか? けれどそんな可能性があったって面白いではないか。

 つまり問題は答えがなければ出題してはならないのだ。答えの無い問いを、問題と言ってはいけない。


「まぁ期待してるよ」


 それよりも何よりも、クラウス達にとってはフェリクスの宮廷画家としての未来だとか、そういう話の方が大事なのだが。

 当初の目的を思い出して、それから小さく息を吐く。

 それとほぼ同時、フェリクスが思い出したようにクラウスへ頼み事を飛ばしてくる。


「そうだ、クラウス君。一つお願いをしてもいいかい?」

「……何ですか?」

「この種類の炭を買ってきて欲しいんだ。余ったお金はあげるよ」


 言って金と同時に一枚の紙切れを手渡すフェリクス。

 来るのが分かっていたために自分で買いに出るのを渋ったのだろう。いいように使ってくれる。

 が、クラウスとしても彼の機嫌を損ねるのは得策ではない。素直に頷くとしよう。


「……分かりました。そういうことでユーリア、少し待っててくれる?」

「もちろん。帰って来なくてもいいわよ?」


 酷い見送りだと肩を竦めてフェリクスの工房を出る。既に傾き始めた陽光が視界を淡い赤色に染め始め、影を遠くに伸ばす。

 ユーリアの事だからある程度の事は心配ないだろうが、男として余り遅くまで付き合わせるのも不安になる。出来る限り紳士的に。頼まれ事を終えたら今日は帰るとしようか。

 思いつつ指定された店、指定された画材を揃えてそれを荷物に工房へと戻る。

 その途中、目に付いた小物店に気になるものがあって立ち寄る。

 取り扱っているのは指環や髪飾りと言った装身具の類。

 中には少し高価なものもあって、店員に理由を尋ねれば特殊な鉱石を使っているとの事。その鉱石の名前に心当たりがあって、それから一つの思い付きを行動に移す。

 記憶を頼りに必要な情報を思い出して個人的な買い物を済ませるとフェリクスの工房へ。家の中ではフェリクスの方も一段落着いたのか楽しそうに談笑していた。


「あぁ、おかえり。ありがとね」

「随分と楽しそうだったけど?」

「クラウスには関係のないことよ」


 相変わらずクラウスに対してだけは厳しいユーリアだ。何で戻ってきた途端笑顔を引っ込めるのだろうか。もしかして僕嫌われてる?


「フェリクスさんの方はもういいんですか?」

「あぁ、必要なところは描き写したからね。後は時間をかけて作品にするだけだ」

「完成が楽しみです」


 彼の事だ、中途半端に事を終えるということは無いだろう。

 ユーリアに語った通り期待は大きい。今から完成が楽しみだ。


「そろそろ僕達も帰ろうか?」

「そうね。これ以上お邪魔しても悪いし」

「邪魔なんてとんでもない。楽しい時間をありがとう」


 笑顔で答えるフェリクスに別れを告げて外へ出る。見送りに出てきてくれた彼に最後に会釈して、それから寮に向けて戻る。

 冬の陽は短い。先程はまだ明るかった空が既に薄暗く染まり始めていた。合わせて町の明かりが点きはじめる。

 まるで光の道を作るように、等間隔で設置された明かりが行く先を指し示すが如く順に光を灯していく。

 小さな偶然に感謝。綺麗な景色が見られたと気分をよくしながら帰途に就く。


「それで、一体何を話してたの?」

「……しつこい男は嫌われるわよ?」

「それは残念だ。でも少し嬉しいかな、今は嫌いでは無いって事だよね?」

「えぇ、もちろん。嫌いじゃなくて大嫌いよ」


 そんなにクラウスのことが気に食わないだろうか? だったらどうしてそんなに楽しく笑みを噛み殺しながら会話が出来るのかと。

 ユーリアと言う少女の事を大分分かってきたと嬉しく思いながら足並み揃えて光の道を進む。

 周りの人の群れがいつの間にか親子連れから男女一対に変わっている事には触れず、二人で他愛ない話をしながら石畳の目抜き通りに笑みを零す。

 そうして笑う彼女はやはり綺麗で、どんな場所にいても絵になるなと一人ごちる。

 一筋縄ではいかないけれど、その雁字搦めに結ばれた糸を解いていくのもそれはそれで楽しいものだ。

 もし可能ならば、その景色にもう一つの花の笑顔を添えてみたいものだと夢想する。

 クラウスとしては疲れる景色だが、彼女達にとってはこれ以上ない最高の風景だ。

 だとしたら、あの春に彼女達の仲を引き裂いてしまった償いとして、その景色を目指すべき場所と決める。

 何よりも、そこにクラウスが居ることが楽しいはずだから。

 思い描いて、気付けば戻ってきていた学院。彼女を送ってクラウスも寮へと戻る。


「…………さて、ここからは僕だけの時間だ。分からないという結論は許さないから、しっかり手伝ってよ?」

「もちろんですっ。わたしも気になりますし」

「クラウスのはんぶんとしてフィーナに全部を譲るわけには行かないものね。あたしが、クラウスの力になってあげるわよ」

「言ってるといいですよっ。クラウスさんのはんぶんはいつだってわたしですから!」


 いつもの小競り合いはクラウスの顔を挟んで賑やかに。

 互いに切磋琢磨する彼女達に負けまいとクラウスも思考の歯車を減速させる。

 さぁ、面倒で楽しい模索の旅だ。




 戻った自室ですべき事を全てして、ようやく件の七人目の妖精……リアナンについての考察を始める。

 フェリクスから貰った助言、発言、ユーリアの勘。全ての情報を操って物語の戸を叩く。

 妖精側に存在する共通点。リーザとヘルフリートにある共通点。可能性を挙げてはその内容を吟味していく。

 中でも特に気になるのが一つ。一番高い確率を胸に、幾つもの文献を漁る。

 童話には余り出てこないが英雄譚や冒険譚には付き纏う概念。生と死。単純にして分かりやすい覆しようの無い(ことわり)と、そこに滲む作者の死生観。

 その死生観を支える妖精の存在。

 魂を覗く者。魂への干渉力を持つ妖精。

 リーザにもヘルフリートにも存在する共通項だ。

 生と死を告げる存在……しかも妖精に視点を絞れば、その数は総数から一気に減る。

 元より魂や生死に縁を持つ妖精はそこまで多くない。

 リーザの根源、スプライトに始まり、それが炎と言う媒介を経て具現化した存在、ウィルオウィスプ……怪奇現象としての人魂。それらを導く魂の管理者、ジャック・オー・ランタン。人の魂まで管轄が延びれば死を知らせるものとしてバンシー。

 それから死の概念とも言うべき負の塊、デュラハン……。

 名前を挙げれば有名なものばかりだが、流石にそれらがリアナンに直接繋がるとは思えない。

 彼女が彼女足りえるのは彼女が持つ認識の管轄。魂へ干渉範囲を持つ妖精従きと契約妖精に限るものだ。

 死は平等で、だからこそ先に挙げた存在は誰にでも見ることが叶う。

 けれどリアナンは違う。見える者と見えない者が存在する、その妖性。死ではなく、生の魂に干渉範囲を持つ妖精。

 生きた者に干渉し、その魂が映す色を体現する存在……。

 恐らく彼女の髪の色が違って見えるのは、その者の胸に抱く色が関係しているのだろう。

 ユーリアは白、灰色。テオは青。リーザには黒、ヘルフリートには狐色に見えたらしい。

 彼ら彼女らが胸に抱く色。そこに共通点、法則性を見出そうとする。

 ユーリアとテオはそれぞれの持つ髪色と真逆だ。けれどそれはリーザやヘルフリートには当てはまらない。人間には逆に見えて妖精はばらばら……? ならば共通点も法則性も無い。同じ個体、妖性を見ているのだ。そこに齟齬が発生するのはおかしい。

 色と言えば虹色と言われる妖精力だが、それが個人で異なると言うことは無い。真人間のユーリアも、ハーフのクリスも、クォーターのクラウスも、そこは一律虹色だ。妖精力は波長こそ違えど色は変わらない。

 転じて考えれば、個人の波長はその者が持つ契約の回路……契約妖精の妖性が関係している。ならばやはり、根本に存在するのは契約妖精……リーザやヘルフリートが持つ干渉範囲で、共通項は魂だ。

 各々が抱く色。自分の中にあって自分のものでは無い色と言う事は……魂の色だろうか?

 魂は無形で、色も無い。強いて言うなら性格みたいなもので悪しきものを黒、清純なるものを白と表現することがある。

 そうなれば青や狐色といった色はどんな性格……魂を連想させる?

 青はそのまま、静寂や流動的といった静かな何かを見た者に抱かせる。狐色は黄色系統、活発さや好奇心の色だろうか。テオとヘルフリートが抱いたそれぞれだが、彼らに当てはまるとは考え辛い。そもそもリーザの魂を悪しきものとするなら、クラウスなどは魂と言う器が壊れてしまうではないか。と言う事は魂の色では無いということだろう。

 もう一つの可能性として、その者が他人へ感じる色、だろうか?

 大切な者、憎むべき者。それぞれに胸に抱く対象は色分けすることが出来るはずだ。同時にそれは、そのものを象徴する色でもあるはず。

 この論で納得できるのはリーザとテオ、そしてヘルフリートだ。

 リーザの黒はそのままユーリアの色だ。彼女を語る上であの綺麗な濡れ烏の長髪を外すことはできない。

 テオの青も、彼の大事な相手と考えれば合点がいく。あれでもってテオは正直で誠実だ。彼が今付き合っている異性……ニーナ。彼女は青……正確には水色だろうか。当たらずとも遠からずだ。

 ヘルフリートの狐色。そう言えばと思い出したが彼の前の契約者、ヘンリック・アヴィオールは狐色の髪をしていたそうだ。それならば納得できる。

 この論ならばリアナンが映す色とはその者が大切に思う相手の象徴と言う事になるだろうか。

 問題はユーリア。

 彼女にとって一番大切な存在はアンネだ。これは断言できる。

 それならば映す色はライトブラウン……。白や灰色とは少しだけ異なる系統だ。

 そちらで考えるならクラウスの髪色の方が近いだろう。

 ……それともクラウスの勘違いで、いつからかアンネよりもクラウスに対して興味を抱いていた?

 クラウス個人から考えてみれば嬉しい話だ。それにその線もあり得ると言えばあり得る。

 アンネとユーリアの問題は依然燻っているもののどうにか安定はしている。ユーリアにとって現状一番ではない可能性も十分だ。

 …………納得は、できるか。

 ならばその線で、他人の思う大切を映し出すことが出来る、魂に干渉範囲を持つ妖精を探し始める。

 情報が集まればその分だけ探索範囲を絞ることが出来る。

 それに妖精外でもう一つ、クラウスの記憶が違和感を矛として構える。

 フェリクスの工房へ行って交わした言葉の中。彼が唯一濁した答え。

 どうして絵が上手に描けるようになったのかと言う問いに返った彼の言葉。

 過去の絵を見せて、その上笑ってくれてもいいとまで自嘲した彼。そんな彼が何故その点にだけは明確な答えを返さなかったのか。

 考えれば自ずと理由は見えてくる。

 それがリアナンに関係することだからだ。

 彼自身はその理由に心当たりがあることだろうし、だから誤魔化した。その根拠を認めてもいることだろう。

 ならば裏を返してそこからも探ることが出来る。

 フェリクスが得たものは類稀な技術。

 妖精の側から見れば、それは技術を授けるという視点だ。

 技術を授け、見る者によって色を変え、魂に干渉範囲を持つ妖精。

 クラウスの知る限りそれに当てはまる存在は一人だけだ。


「アル、その本貸して」

「何、もう分かったの?」

「僕を誰だと思ってるの?」

「もちろん、あたしのはんぶんよ」

「それは光栄だよ」


 どうでもいい会話と共に彼女から分厚い本を受け取る。

 題名は妖性大辞典。

 妖精が人間の歴史と交わり始めてから数百年。その間に先人達が積み重ねた研究で、妖精を人間の側から読み解いた妖精の細かい分類……妖性に関する書物だ。

 まだまだ研究途中の分野。一般向けに販売されている冊数もそこまで多くないもので、クラウスの持つこれもアンネに融通してもらって他国から取り寄せたものだ。

 目次を開いて目当ての項目を見つけるとその妖性を広げる。

 覗きこんできたフィーナとアルが示し合わせたように感嘆を零す。


「魂の妖性に、芸術の指南者。そして──」

「愛の権化、ですね」


 ────もしそんな色が存在するとしたら、それには愛色と名付けたいものだがね


 フェリクスが語った言葉が脳裏を過ぎる。

 彼は全てを知っている。それを暴かれる事を否定するでもなく、そういうものだと受け入れている。

 だから彼はいつだって彼らしく飄々としていたのだと。

 そこに書かれた妖性の説明文に溜息を落とす。

 彼の選択に理解は出来る。けれど納得なんて到底出来ない。


 ────挑戦しないで諦める方が僕は愚かだと思いますよ


 ニーナに語った言葉。今度はそれをフェリクスにぶつけてみたくなる。

 彼には生きた証を残す術がある。例え与えられたものだとしても、全てを描くことが出来る技術が存在する。

 ならば試せばいいではないかと。全てを後ろ向きに考えて、他人に迷惑をかける事を最大限に考慮して抱え込むのではなく、一度ぶつかってみればいいではないかと。

 きっと言っても彼の言い分は変わらないのだろうけれども。

 もしそんなことで揺らぐなら、彼は最初から国の招待に頷いていただろうし、クラウスの憤りなんて今更だ。

 けれどやはり、自分と違う価値観を持つ者だから、彼の思惑とクラウスの生き様は真っ向からぶつかる。ぶつかって、決して交わりはしない。


「こんな話、引き受けなきゃよかった……」

「無理な話でしょ、それは」

「そうなんだけどね……。さて、妥協案でも探そうかな…………」


 これ以上フェリクスとリアナンの関係を直視していたくなくて。本を閉じると棚に戻す。

 そうして振り返った景色で幾つもの本と情報の紙切れが散らばった床を見つめて寂しく思う。

 意味がないなんて事はない。……けれどクラウスの都合に全てを巻き込めるなんてのは思い上がりだ。

 クラウスの望む結果をクラウスがいつも手に出来るわけではない。

 分かっていたつもりだ。けれど直面した事実は抗い難い現実としてクラウスの胸に突き刺さる。


「アル、やっぱり僕のやってることは間違ってる?」

「……そうね。でも間違ってるからそれが正しいんでしょ。悪役なんだから」

「……あぁ、そうだ。間違いを正義と呼ばなくして何が悪だ」


 沈みかけた気持ちを持ち直す。

 クラウスのやりたい事は単純だ。だからそこに理想が増えたって苦労はしない。

 そう、可能なことならば、現実に起こすだけだ。

 最後に都合がよければ、クラウスにとって他人の世界など知ったことではないのだから。


「クラウスさんの世界はわたしの世界です。クラウスさんが望むなら、わたしはどこまでもついていきますから。だから間違いだなんて考えないでくださいっ。クラウスさんは、間違ってなんかいません」

「……ありがと、フィーナ。もう迷わないよ」


 彼女の言葉に笑って答えると気持ちを入れ替える。

 間違っているから悪だ。それがクラウスにとっての正義だ。だから、正義ならば間違ってはいない。

 矛盾を正当化して剣として構える。

 これがクラウスの目指す道。大道にして邪道。クラウスの、生き様だ。

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