第三章
「クラウス、少しいいかしら……?」
学院長、エルゼ・アルケスから幾つかの話を聞いて数日。
バンシーについて考察を重ねながら日常の間を揺蕩っていると、授業の合間の休みにユーリアが声を掛けてきた。
「どうかした?」
「……アンネから何か話を聞いてないかと思って」
「何かあったの?」
脳裏を直ぐに彼女から託された言葉が巡る。
────ユーリのことよろしく
どういう結末を見据えての言葉なのかは未だに分からないが、少なくともこの瞬間に言葉の意味はある気がする。
そんな事を考えているとユーリアが呟く。
「……アンネが長めに学院休むって聞いたから」
「…………いつからいつまで?」
思い当たる節が見つからず尋ねれば、ユーリアは明日から五日と答えた。
明日……何かあっただろうか?
「何々、どしたの?」
悩んでいると声を聞きつけたのかイーリスが首を突っ込んで来る。
彼女に聞いてみるのも良いだろうかと雑談のように尋ねる。
「明日から何か特別なことあったかなと思って……」
「明日……? っていうとあれとか? 四大国会談」
「……あぁ、そっか。今年はカリーナでだっけ」
「うん」
返った言葉にユーリアの疑問が絡まって直ぐに嫌な想像を掻き立てる。思わず彼女に視線を向ければ、案の定その表情は険しく曇っていた。
そんな横で、イーリスが知っている情報をどうでもいい風説のように教えてくれる。
「今年の会談は十中八九、妖精変調についてだよね」
「……まぁそうだろうね。ようやくって感じはするけど」
「いい解決策が見つかると良いんだけどね」
余り期待してない風に零すイーリス。流石にまだアスタロス王妃殿下の話までは噂にはなっていないか。
そちらもそのうち彼女の耳に入るだろうと思いつつ、思考の殆どをユーリアとここにはいないアンネに割く。
考え込むようなユーリアの表情。アンネはユーリアに伝えるつもりはなくて、ユーリアはその噂をどこからか耳にしたというのが現状に繋がる過程だろうか。
また面倒臭い事に巻き込まれそうだと嘆息して腹を括る。
アンネに託された問題だ。彼女の理想を叶えればクラウスの都合となるのだから逃すわけにはいかない。
考えつつ、イーリスとの雑談に付き合いつつユーリアの様子を伺って。響いた休み時間の終わりを告げる鐘の音に教室内が騒がしく移動する。
そうして始まった授業は偶然か妖精史の授業で、取り扱われた内容は狙ったように四大国会談の事だった。
午前中の授業を終えて昼休み。どこで昼ご飯を食べようかと腰を上げれば、当然のようにユーリアに呼び出しを食らった。
断る理由も見当たらず素直に従えば辿り着いたのは屋上。ここに来ると相変わらず色々なことがあったと思い出しつつユーリアの隣に腰を下ろす。
弁当を広げれば隣から小さな妬みと肩上から催促。これももう慣れたと思考の外に追いやって、フィーナとアルに分けつつ話を振る。
「それで、話はアンネさんのこと?」
「それ以外にないでしょ……。…………どう関わってると思う?」
率直な疑問にもう少し自分で考えたらどうかと思いつつ思考を重ねる。
と、考え始めたところで肩上から疑問が上がった。
「……クラウスさん、先程の四大国…………」
「四大国会談」
「って何ですか?」
フィーナの覚束ない物言いにアルが呆れたように零す。彼女の言葉を借りて尋ねるフィーナ。ユーリアには悪いが彼女が興味があるならそこから話すとしようか。
「……四大国会談ってのは、言葉通り大国四つの国家元首が一堂に会してフェルクレールトで起きた事に対して話し合う場だよ。国同士の偉い話し合いって事。今年はカリーナ共和国で開催される事になってるよ」
言いつつ、意外といいところから話を組み立てられそうだと順を追って続ける。
「会談はそれぞれの国の長……国王達が集まって数日に渡って行われる。その身の回りの世話をするのに使用人が一人か二人着いて行くのが普通かな」
「……単純に考えてアンネはきっとそこにいる、ってことよね」
「だろうね」
相槌を打てばユーリアは食べる手を止めて俯く。
それは相談されなかった事に対するアンネへの小さな怒りだろうか。それとも信頼されていないという自分への後悔だろうか。
「……そこまで危険な仕事じゃないと思うし、名誉だとは思わない?」
「…………えぇ、普通はそうよ。けれどアンネだもの。言っておくけどあの子はクラウスが思っている以上に面倒臭いんだから。その面倒臭さが国王陛下を困らせていないかと思うと……」
何だ、ただの心配か。
小さく笑えばユーリアが糾弾するように視線を向けてくる。
「心配してもどうにもならないよ。帰ってきたらきっちり問い詰めれば?」
「もちろんそのつもりよっ」
そこで大きく頷く辺り、ユーリアはいつでもユーリアだと安心する。
全く、人騒がせな愛され少女だと彼女の事を少しだけ羨ましく思いつつ想像を馳せる。
とりあえず帰ってきたときはクラウスもユーリアの側に立つ事にしよう。
考えつつ、どんな結果にせよ王妃殿下の思いが大切になって来ると思うクラウスだった。
* * *
「はやいね、待たせたかな?」
「いいえ。おはようございます、ヒルデベルト国王陛下」
背中に掛けられた声に振り返って挨拶をする。
にこやかな笑顔。樺茶色の短い頭髪に薄色の瞳。重ねた暦に労の証。目尻には皺を持つ温厚な顔。
御年六十八歳になるこの国の長であり今の私が仕える主。
第二十九代ブランデンブルク国王、ヒルデベルト・アスタロス。
「あぁ、おはよう。さて、少し早いが出るとしようか。ハンス、準備は?」
「出来ております。どうぞこちらへ」
足を出す彼の隣にはヒルデベルト国王の右腕、ハンス・クルサが付き従う。
ブランデンブルクを支える柱の一つ。実務と政を補佐する重鎮だ。
そんな二人の後ろを歩くように、私ことアンネ・ルキダは良い子の仮面を被って着いて行く。
今日は四大国会談の初日。各国から元首が集まって世界の今後を話し合う、年に数度かの大きな行事だ。
アンネはそこに身辺の警護と世話をする役目として選ばれたのだ。
使用人としてはこの上ない栄誉だが、流石に不安にはなる。
何せ今年入ったばかりの新人だ。幾ら繋がりがあるとはいえ、いきなりの指名には流石に驚いた。
決まってからは前任者や女中長に話を聞いたりしたが返ったのは同じ言葉。
あれはそういうものだと。曰く新人の中から有望な人材を引き抜いて現場研修として連れて行くのだと。
目を掛けていただいている事は知っていたが、それが本当にアンネ個人を見てのものだとは思っていなかった身としては、やはり気は抜けない。
国と国の話し合いだ。そこに着いて行くという事はつまり国の一つの顔であるということ。主のためにも失敗は許されないと。
話を聞いてからの数日は不安と焦燥で出来る限りの事を一所懸命に取り組んだ。
飲み物の入れ方から歩き方、立ち居振る舞い。ヴァレッターに入って教え込まれた基礎とも言える部分を何度も練習しては自分の不出来さに苛まれた。
私は紡がれた人脈に首を突っ込んで許されたに過ぎない人間だ。元よりそうなろうとして勉強してきたわけでもなければ、今もまだそうなりたいと言う理想があるわけでもない。
ただ居場所としては満足がいくほど他人と繋がっていられる。必要とされる。
それだけが彼と彼女に見ていてもらえる取り柄だと感じて、ここまでやってこれた。
けれど不安はいつまで経っても拭えない。胸の内に蟠る焦りがいつ失敗を引き起こすか分からないと怯えながら今日が来た。
今だって万全かと問われれば頷き難い。
そんな風に考えていると、不意に声を掛けられる。
「……ルキダ殿、だったかな?」
「はい……っ!」
慌てて答えて日常の癖で視線を合わせてしまい直ぐに逸らす。女中は主と視線を合わせてはいけない。使用人は仕えるべき主の手足であり道具なのだ。道具は使い手を見ない。見ては、いけない。
直ぐに謝ろうと息を吸ったのと同時、大きな手が肩に置かれる。
「そういうのは、気にしなくて良い。それよりも君の事を知りたいのだ。名前も覚えたいし、顔だって知っておきたい。なのにそうして目を逸らされてはそれが叶わない」
柔らかい声音に吸った息が胸の内で行き場を求めて彷徨う。
「それともこう言った方が良いかな? …………国王として命令しよう、これ以降過度な恭謙な言動は禁止する。慎み深さは美徳だがそれは相手の気持ちを尊敬することの一つの結果だ。わしがこう思っている以上、必要以上の謙遜は無礼となる事を覚えておくと良い」
「……分かりました。心に留めて置きます」
突きつけられた言葉の矛に息を呑んで答える。
曲げられないものと叶えたい願いと。二つの気持ちがぶつかって明確な答えを模索する。
「君は賢い。けれどその賢さは卑下と紙一重だ。賢いとは正しい行いだけをすることではない。間違いを認めることも立派な賢さだ。君は、若い。若いうちは、悩んで賢くなろうとすれば良い。それが賢い者の生き方だ」
良い子であることと、賢い事は別。
それに気付くのと同時、胸の支えを取り払って顔を上げる。
人と話す時は、相手の目を見て。
「それから、賢いというのは人に言われるものだ。賢くあろうとして、賢いと言われるのであれば、その者はまだ賢くなれる。……今の君のように」
そうして初めて真っ直ぐ見る彼の笑顔は、誰よりも賢く見えたアンネだった。
「…………そろそろお時間です」
「ん……もうそんな頃合か」
彼のようになりたいと。彼のように生きてみたいと。胸の内で燃え盛る炎が、いつの間にか胸を突くほどに苦しい事に気がついて少しだけ嬉しくなる。
────なるほど、これが賢くなろうとする生き方か
脳裏にはこのみちの先を行く恋焦がれた彼の姿が描かれていた。
「では行くとしようか。……ええと…………」
「アンネです。アンネ・ルキダ」
「あぁ、よろしく。アンネ女史」
まだその呼び方は早いけれど。もしそうなれるのであればなりたいと。
自分らしさを見つけてようやく歩き出す。
「よろしくお願いします、ヒルデベルト陛下っ」
まだこれは、私の道の第一歩。
ヒルデベルトとそんな一幕を交えつつ、三人は竜籠へ乗って空を行く。
今回の四大国会談の開催地はブランデンブルクの南西に位置する隣国、カリーナ共和国だ。
共和国の名の通り、カリーナは国家が国民全体に所有される君主の存在しない国だ。ただし、表向きの象徴として国民によって選ばれた代表……元首を置き、その者が国同士の話し合いには顔を並べる。
アンネの記憶では今の大統領は男性だった気がする。小耳に挟んだ話ではかつて第二次妖精大戦中にヒルデベルトと幾度となく言葉と矛をぶつけ合ったと聞いたが、真実はどうなのだろうか。
そんな仇敵とも宿敵とも言える二人の他に、夏に足を運んだスハイル帝国と、ブランデンブルクの真西に位置するトゥレイス騎士団国からも国を治める者達が集う。
スハイルは帝国。皇帝が統治する国家だ。フェルクレールトの大地でも北に位置するこの国の場所には、元々沢山の民族と地域があった。その民族達を纏め上げて国になったのがスハイルだ。だからこそ、複数の地域や血を持つ国として帝国と呼ばれ、この世界で最も煩雑な場所だとも言われている。
そんな他の民族、種族に対して寛容な気質が作用して、世界でも特に非難の対象となるエルフの殆どがスハイルの地には住んでいる。
フィーレスト学院の学院長であるエルゼや、その娘であるニーナもスハイルの出身だ。……この辺りは深く語るだけ野暮だろう。
最後にトゥレイス騎士団国。騎士団国は名前の通り騎士団が支配権を有する領域だ。国民の全員が騎士団に籍を持ち、大きな塊として国の体をなしている国家だ。
こうして聞くと武力に満ちた危険な存在に聞こえるかもしれないが、実際は国民の殆どが籍を持つだけで戦争に参加したりはしない。ただ国民の証であって、対外的な武力の象徴ではないのだ。
そのため戦争を望んで起こすような血の気の多い国と言うわけでもない。ただ騎士団が統治している国だから騎士団国と言う名前を冠しているだけ。
アンネの個人的な感慨からしてみれば、この四大国の内で一番戦争を嫌っているのはトゥレイスでは無いかと思うほどだ。
もちろん国の中には、かのブランデンブルクの英雄、ヘンリック・アヴィオールに比肩する実力の持ち主も居るのだろうが。
付け加えることがあるとすれば、トゥレイスはまだ国としての歴史が浅い。その名を聞くようになったのは第二次妖精大戦中からだ。
そんな四大国の主たちが集まって話し合うのが四大国会談だ。
幾ら知識があると言えど言葉だけでは実感がわかないし、知っている分だけ恐れは膨らむ。
だから竜籠に乗る前にヒルデベルトからお言葉を頂戴したのだが、今となってはブランデンブルクを発つときに抱いていた不安感は無い。
それよりも、子供心にこの世界を回す国の主達に会えるという好奇心の方が強いほどだ。流石にそれを口に出来るほど破目は外しはしないが。
別な意味で気持ちが揺れているアンネだった。
「そろそろ空の旅も終わりです。行きの見納めはよろしいですか?」
ハンスの柔らかい言葉に思わず笑みを零す。
そこまで子供では無いと。だからこそまだ子供のように振舞いたいと。
「……空の旅は、一度経験してますから。それに外を見ていられるほど平常心で居るのは少しばかり荷が重いので」
ひたすらに足元を見つめて外の景色を感覚から外す。
「……すまないな。知っていれば陸路にしたのだが」
「お気になさらないでください。これも何かの試練だと思えば、どうにか…………」
呼吸一つ。ここは室内。足がつく以上大地と何も変わらない……と、自分に言い聞かせてそれ以上考える事を放棄する。
高所恐怖症。乗り物や揺れに対する酔いでない分、まだ迷惑の程度は浅いと自分を騙す。
一日二日で治るものなら今すぐに治したいと。
国王の目の前で無様な姿を晒している自分に恥ずかしくなりつつ、心の内で早く着いてくれと無心に祈る。
そんな風に変わらない景色で空の旅を過ごして、辿り着いた大地にようやく踏み出せば肩から大きな重りが外れる音がした気がした。
「少し空気を吸いたいのだが、いいだろうか?」
「……余り時間を取らなければ」
「あぁ、もちろんだとも」
竜籠の発着場は見晴らしの良い丘の上。流石に国の主の来訪だけあって周りに雑多な人の姿は見当たらないが、その分辺りを吹き抜ける風は心地よいほど澄んでいた。
そんな気持ちの良い秋風に吹かれてか、ヒルデベルトがハンスに尋ねる。
しばらくの沈黙の後、頷いたハンスに笑顔を向けたヒルデベルトは、それからアンネにその顔を向ける。
全く、仕えるべき主に気を遣わせるとは使用人として失格だ。
己の未熟さを改めて叱咤しながら感謝の言葉を述べておく。
ここから会談の会場へは馬車だ。警護に事前にカリーナへ入っている騎士が同道する。
空と違い陸の道は幾ら舗装されているとはいえ、いくらかの衝撃までは消せない為少し疲れる。揺られる事への対策休息だと考えれば少しだけ気分が晴れたアンネだった。
そうしてしばらくの休憩を挟んで、一行は目的地行きの馬車に揺られる。
ブランデンブルクを出たのがまだ陽が顔を見せる前。それから竜籠と馬車に揺られて目的地の建物に辿り着いたのが丁度昼頃だった。
これから開催される四大国会談の会場を目の前に息を整える。
白を基調とした清潔感のある建物。柱には名のある職人が施しただろう彫刻が刻まれてあり、国の主が来訪するに足る気品と工夫が満ち溢れていた。
私みたいな一介の人間は近くに来ることもないだろう荘厳な建物。これからそこに足を踏み入れると思うと少しだけ場違いに思えた。
「そんなに気負うでない。まずは腹ごしらえだ」
「はい……あっ、案内は私が」
「よろしく頼む」
予め貰った建物の地図はもちろん頭に入れて来た。流石にそれくらいは出来ないと彼の顔を汚してしまう。
しっかりと思い出しつつ前に立って歩き出す。
扉をくぐれば真っ直ぐに敷かれた絨毯。踏みしめた足の裏が跳ね返されるほどの感触に思わず次の一歩を躊躇う。
が、足を止めるわけも行かず自分にいつも通りをと言い聞かせて進む。
視界の端に映る内装もじっくりと見るわけには行かないが随分と凝っているようで、まるでこの建物全体が一つの芸術作品のような気がして来る。
相変わらず自分の不相応さに嫌気さえ覚えるが、自己嫌悪は後。今はただ、彼の従者としてやるべき事をするだけだ。
「昼の会食ですが着座形式となっております」
「立食ではないのか。……あやつめ、性に合わない事を…………」
ハンスの言葉にヒルデベルトが楽しそうに紡ぐ。
他国の王を捕まえてあやつとは……。仲が良いというか悪いというか。
そんな事を考えつつ今回の会場であるこの建物の持ち主の事を思い出す。
カリーナ共和国の主。正式な肩書きとしては共和国大統領。名は確か──グンター・コルヴァズ。
名前を反芻して、それからどんな顔立ちをしていたかと思い出そうとしたところで、大きな扉を前に足を止める。
何よりも今は彼の付き人だ。
「…………どうぞ、中へ」
扉を開いてヒルデベルトを先に通す。彼が中に入ったのを確認してアンネも後から部屋に入る。
「よく来てくれた、我が友よっ!」
直後耳が捉えた大らかな声。思わず顔を上げそうになって、寸前で止める。
危ない不敬を働くところだった。
「相変わらず声の大きい。そんなに叫ばなくとも耳は遠くない」
「そうかそうかっ! 壮健で何よりだ!」
どこか疲れたようなヒルデベルトの言葉に返る溌剌な声。
アンネもその彼らしい振る舞いに思い出す。
赤茶色の頭髪に紺碧の瞳。顔の輪郭と口周りを豊かな美髯で彩った気鋭漲る人士。
彼こそがこの国の主、グンター・コルヴァズ大統領だ。
「夏の時は悪かったな。刺激するつもりはなかったのだが」
「別に終わった事だ。今更話に出されても困る」
「そうか。ならこれにて終わりにするとしようっ」
夏の時。恐らくカリーナとの国境付近であった衝突未遂だろう。
アンネもヴァレッターに入り立てで、小耳に挟んだ程度のことしか知らないが、何やら戦いのにおいがしていたらしい。
幸い話し合いで決着したらしいが、聞き間違いでなければそこに彼の名前があった気もした。
「本当ならば長机でもよかったのだが他の者も顔を並べるでな。悪いが円卓にさせてもらったぞっ」
「君のことだ。立食にするのかと思っていたのだが……」
「……嫁に止められた。数少ない公式の場だからもう少し形式ばったものにしろと」
交わされた言葉の中に眠る意味をそれぞれ見つけて驚く。
長机は座る位置によって序列が存在する。円卓は角がないという意味で一般的には序列に拘らない対等の関係とされている。もちろん円卓でも序列を決めることが出来るが今回は良いとしよう。
長机にするという話をヒルデベルトにするという事は、彼の座る位置は随分高い序列になるということだろう。先程の我が友と言う言葉からも分かる通り、二人の関係は仲の良いものの様だ。
そしてもう一つ。どうやらコルヴァズ家の序列は大統領であるグンターよりも彼の伴侶の方が高いと言うこと。女は強し、だ。
「もうしばらくすれば他の者達も来る。それまでどうだ? 二人で何か開けないか?」
次いで放たれた子供の悪戯のような言葉。
陽気と言うか何と言うか…………。だからこそ、それこそが彼らしさなのだろうけれども。
「まだ陽が高いだろう。それはまた今度に取っておいてくれ」
「そうか。なら仕方ないっ」
鬚を撫でながら何処か満足そうに呟くグンター。
大らかな彼と、それを諌める我が主と。そんな二人は何処かクラウスとテオに似ている気がして思わず可笑しくなる。
そんな風に実にもならない話を二人が椅子に腰を下ろしてしていると、扉が開かれて二人の豪奢な服を身に纏った男性が話をしながら姿を現す。
「歩き辛い…………」
「普段から堅剛な鎧などに身を包んでおるからだ」
「どうせ武人のわたくしめに風通しの悪い薄布など似合いませぬよ」
一人は涼しい顔で絢爛な衣服を身に纏う晩年の男性。もう一人は隣を歩く者より二十歳ほど若く見える肩幅の大きな男性。
直ぐにその者が誰なのか気付いて、アンネは姿勢を今一度正す。
アンネが仕える主、ヒルデベトより年上だろう男性はスハイル帝国の皇帝、ラファエル・ヘカー。
ラファエルの隣を歩く年の頃四十代の男性は、トゥレイス騎士団国の総長、クサーヴァー・グラフィアス。
今回の会談に招かれた残り二つの大国の主たちだ。
「わたし達が最後ですか、お待たせしました」
「いいや、わしも先程来たところだ」
直ぐに深緋色の瞳で部屋を見回したクサーヴァーが礼儀正しく挨拶をする。
頭を小さく下げた仕草に後ろに流した山吹色の長い頭髪が一房肩に掛かる。
180セミルを越すだろう大きな体躯。それに加え武人としての纏う雰囲気と筋肉の体が存在以上の威圧感を空気に滲ませる。
騎士団国の長であるという事は、国を形成する騎士団の長であるということ。実力もあるだろうし英雄的な魅力も持ち合わせているのだろう。
だからこそ無視できない存在感として少しだけ空気を変える。
「さて、揃ったことだ。早速もてなしと行こうか」
「あぁ、期待しているぞ」
そんな彼の隣でグンターの声に答えるラファエル。
年齢は確か七十代後半で、年のせいだろう禿頭は彼の存在感として彼足らしめる。
緑青色の双眸は未だ衰えを見せない輝きで鋭く光る。
皇帝の名に相応しい貫禄と威厳に満ちた人物だ。
何れも劣らない王たち。彼らが昼食にと足を出す景色を少しだけ見つめて、それからアンネは我に返る。
それとほぼ同時、ハンスから声を掛けられた。
「先に昼食をとってくるといい。後で交代して陛下の身辺の世話を頼む」
「あ、はい。分かりました。それでは先に失礼します」
彼の言葉に答えてアンネは割り当てられた使用人室へ向かう。
その最中、胸中を巡るのは興奮と不安。
覚悟はしていたつもりだが、いざ王たちが揃うとアンネの存在がとても小さく思う。
それほど彼らは大きなものを背負っているのだと実感させられて息を詰まらせる。
後々彼らの目に留まるところで仕事をすると思うと気が滅入るアンネだった。
きりきりと締め付けられるような圧迫感に支配されつつ、辿り着いた使用人室の扉を叩いて中に入る。
「……あれ、また会ったねっ」
「えっと、お久しぶりです……」
アンネがその人物を見つけるとの同時、相手も気付いて声を掛けてくる。
背中まで伸びる綺麗なブロンドの髪に透き通ったエメラルドグリーンの瞳。そして顔の横から飛び出した長い耳殻。
一度会っただけでも顔を覚えていられるほど特徴ばかりを詰め込んだ綺麗な顔立ちは、夏に彼女の国で一緒に遊んだ事を直ぐに思い返させた。
ヘレナ・ハダル。ニーナの幼馴染であるエルフィムの少女だ。
「もしかしてアンネさんも付き添い?」
「はい。けどまた会えるとは思いませんでした」
「敬語はやめて。わたしたち友達でしょ?」
「だったらさん付けも禁止、ね?」
再会を喜んで言葉を交わせば距離は一気に縮まる。
互いがその距離を望んでいる事に気がついて小さく笑うと、彼女の隣に腰を下ろす。
「ニーナちゃんは元気?」
「この前彼氏が出来ました」
「何それ詳しくっ」
ニーナには悪いが知っている事を話すとしよう。
他愛のない噂話のように言葉にすれば会話が弾んで笑顔が満ちる。
きっかけさえあれば人間関係は出来上がる。出来ることならその関係全てが自分にとって友好的であればいいと夢想しつつ近況を交し合う。
尽きない話が一時の休息に途切れると、気分はいつしかいつも通りに戻っていた。
「……でもよかった、知ってる顔があって少し安心した」
「それはわたしもだよ。互いに頑張ろうね」
確かな絆を結んで笑顔を零せばヘレナも優しく顔を綻ばせた。
そんな風に彼女と話をしていると扉が開かれて人が入ってくる。
当たり前だが王に付き添ってきたのはアンネやヘレナだけではない。少し破目を外しすぎたかと他人の目を意識したところで、出入り口に佇む人物に目を留める。
亜麻色の一つ括りに天色の瞳。可愛らしい人形のようなその容姿が鏡映しに二つ。違うのは髪を括っているのが右か左か。それ以外は全く見分けがつかないほどそっくりな少女達。
直ぐに二人がが双子だと気付いて珍しいと感じるのと同時、鏡映しのように表情を宿さない瞳で告げる。
「はじめまして」
「よろしくお願いします」
「ピス・アルレシャです」
「ケス・アルレシャです」
双子と言うのは見た目だけでなく声まで似るのかと。聞き分けのつかない声でそう語った双子は降りた沈黙に首を傾げる。
思わず珍しさに見とれていた。直ぐに立ち上がり挨拶を返す。
「アンネ・ルキダです」
「ヘレナ・ハダル。二人ともよろしくね」
年は二つか三つほど下だろうか。その身長は妹のティアナとほぼ同じくらいで、年齢にしては低い方だろう。
アンネたちの声にこくりと頷く姿がまさに人形みたいだと思いつつ、その名前に心当たりを見つける。
……前にクラウスが双子にあったと何かで話していた。その名前が確か、ピスとケス。記憶違いでなければ目の前の二人はクラウスと接点を持つ少女のはずだ。
偶然とは言え面白い景色になったと考えたのも数瞬。次の瞬間には再び扉の開く気配を捉えていた。
視線を向ければそこには古びた外套を身に纏う人物が居た。顔は頭巾に覆われて伺う事はできない。
随分と怪しい身形だと訝しむアンネを余所に、その人物は部屋の中を見回すと静かに椅子に腰を下ろした。
ここに来たという事はこの者も使用人と言うことだろう。
そこまで考えてヘレナに視線を向けると彼女もこちらを見て頷いた。
仕方なくアンネが声を掛ける。
「……あのー…………」
「…………? ……あぁ、失礼したわね」
アンネの声に答えた声は低いが、女のもの。それから深く被った頭巾を外ししてその顔を露にする。
年のころは20歳ほどだろうか。後ろで括った常盤色の長い髪。真っ直ぐに透き通った藤色の瞳。整った顔立ちのその中に、一つだけ欠けた左目の存在。そこに着けられた眼帯に目を奪われていると彼女が名乗る。
「ヒルダ・グラフィアス。よろしく」
見覚えがあるような気がすると。その顔を見つめていると、捉えた彼女の名前に脳裏に閃くものがあった。
ヒルダ・グラフィアス。先の大戦で他国にまでその名を轟かせた戦姫。ブランデンブルクでは彼女の事を死を告げる裁姫と呼んで恐れていた人物だ。
そんな人物がどうしてこんなところにと警戒しつつこちらも名乗る。
「……そんなに距離を置かれると流石に悲しくなるわね」
「いえ、その、これは……」
「別に取って食べたりしないわよ、今は戦争中ではないのだし」
何処か寂しそうに笑ってそう告げるヒルダ。
彼女の気持ちはそうかもしれないが、こちらとしてはそれを直ぐに飲み込む事は難しい。
何せ戦争経験者で、あのヘンリックと肩を並べたと言われる実力の持ち主だ。
同時にアンネの記憶が正しければ、彼女はヘンリックやテオと同じ英雄的妖精の妖精従きだ。
「あの、契約妖精の方は……」
「置いてきたわよ。流石にあの子をここに連れてくるのは問題があるし」
何という名前だっただろうか。記憶を旅してみるがそこまで思い出せずにとりあえず疑問は棚上げする。
先の戦争を終結させた役者の一人だ。そんな人物が王の付き添いとは、想像はできても納得は出来ない。
「あたしの何を知ってるかは知らないけれど、今はあなた達と同じただの使用人。特別扱いはやめて欲しいのだけれども」
突きつけられた刃のような言葉に肩を震わせて息を詰まらせる。
意識しないというのは難しい。格が違うのだから。
けれど出来る限りいつも通り振舞う事は出来る。それがきっと彼女との間にこれ以上溝を作らない方法だと悟る。
ヘレナとヒルダで一喜一憂。必要以上に気を張らなければならなくなったと現状を客観視して、いつもの仮面を被る。
「…………分かりました。数日間、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
変わらない笑顔は余裕の表れか。それとも単に武人としてこの平穏を喜んでいるのか。
分からない、が考えても仕方ないと切り捨てて呼吸を整える。とりあえずは出来る事をするだけだ。まずはヒルデベルト国王陛下の為に。
「ご飯いく?」
「案内するよ?」
そんな風にどうにかいつも通りを装っていると、雰囲気を意に介さないのんびりとした声でピスとケスが尋ねて来る。
そうだ。そのために来たんだった。
当初の目的を思い返してやるべき事を思い出すと出来る限り笑顔で答える。
「そうだね。お願いします」
こくりと頷いた双子は、それから静かに部屋を出て行く。それについて廊下に出るとはぐれないように後ろを歩く。
すると隣に並んだヘレナが声を掛けてきた。
「……アンネって意外と行動力あるよね?」
「そうさせたのは誰よ。自分だけ安全な場所で暢気に静観してくれちゃって」
拗ねたように言葉にすれば、ヘレナはくすくすと肩を揺らして笑った。その笑顔にアンネもようやくいつも通りの笑顔を取り戻す。
ヘレナはスハイルからの使用人だ。ピスとケスがここカリーナ。消去法でヒルダがトゥレイス。
随分と濃い顔ぶれが揃ったと自分を普通の枠に押し留めて俯瞰する。
と、耳が捉えた音に少しだけ恥ずかしさを感じた。
それは足音。聞こえるのは一つだけ。
直ぐにそれが自分のものだと気がついて直す。
「……もしかしてヘレナってこの仕事長い?」
「え、何が?」
「いや、その。随分と落ち着いてるみたいだから……」
「…………そういう家系なだけだよ。昔から国に仕えてたってだけ」
笑顔で答えるヘレナにとりあえず相槌だけを返す。
所詮アンネのは付け焼刃だ。まだヴァレッターに入って半年。そんな自分がこんなところに居られるのは、きっと周りの存在が大きいのだろう。
道化のクラウスに始まり、国軍所属のユーリア。エルフにして学院長のエルゼにその娘であるニーナ。英雄的妖精の妖精従き、テオ。そして国に深い繋がりを持つコルヌ伯爵家、その縁者であるヴォルフ。
アンネの周りは何かしらの肩書きに満ち溢れている。そんな周りに──親友と恋焦がれた彼に置いていかれるのが嫌で、私はヴァレッターと言う地位を手にしたに過ぎない。
動機からして不純な半端者だ。
それでもヒルデベルトが重用してくれている限り、私はきっとこの場所に留まり続ける。
その為にも下手な事は出来ないと。自分の居場所に理由と目的を見出してその道をひたすらに進む。
自分の進む道が正しいと盲目に信じて。
自分の分の昼食を食べ終えて、ヒルデベルトの元へと戻る。
使用人に許された専用の廊下を通り、部屋へと戻れば入れ替わりに今度はハンスが席を外した。
どうやらこちらの昼食はこれからが本番のようだ。
もう少しのんびりしてくればよかったと一人ごちて壁際に控える。
早々出番は無いだろうが仕事はしっかりとこなさなければ。
静かに注意を走らせていると、そのうち他の国の使用人たちも顔を揃える。先程一緒に食事をした顔ぶれだ。
回した視界でヘレナと視線が合って、とりあえず笑顔を向けておく。
そんな風にヒルデベルトの後ろで控えていると、やがて昼食も終わりを迎えた。
ここで問題が起こることがそもそも問題だと、どうでもいい事を考えつつ席を立った主の後に着いて部屋を後にする。
「この後の予定はどうなってたかな?」
「しばらく時間を挟んだ後、会談となっております」
「ふむ、そうか…………」
廊下を行くヒルデベルトが何かを考えるように沈黙を挟む。
何か気がかりなことでもあるのだろうか? もしかして何か見落としていた?
直ぐに自分の不手際に繋げて、それから拭い去る。
幾つもの可能性を考えるのが悪いこととは思わないが、そのなかでも悪い方に物事を考えるのは私の悪い癖だ。今まではそれでどうにかなったかもしれないが、今回もそうとは限らない。
それにそうして自分を卑下するなと、少し前に言われたばかりではないか。
呼吸一つ。思考を切り替えれば、ヒルデベルトが呟く。
「アンネ女史はこの後の予定は?」
「……特にありませんので陛下の御意向にお任せいたします」
今回任された命はそれだけだし、特にどこかへ足を伸ばしたいという願望もない。
素直にそう答えれば、ヒルデベルトはちらりとこちらを窺った後一言零す。
「ならば少し付き合ってもらってもいいだろうか?」
「どこかお立ち寄りになりたい場所でも?」
「いいや……単純に話にでも付き合ってもらおうと思うのだが…………」
「…………私でよろしければ……」
「お願いするよ」
思わず言葉に詰まってしまいつつ答えるとヒルデベルトは笑顔になった。
そこまで面白い話を期待されても困るが、主の願いだ。答えないわけにはいかないだろう。
彼に着いて割り当てられた部屋にお邪魔すると、促された椅子に腰掛けて呼吸を整える。
「……さて、色々聞きたい事はあるのだが何から話したものか…………」
「…………私個人についてお話すればよろしいですか?」
「すればいい、ではなく、してもらいたい……と言った方がいいだろうか。好きなように話せと言うたところで難しいのは分かっているが、どうだろうか?」
……つまりは義務ではなく権利として話して欲しいと。ヒルデベルトが聞くのではなく、アンネから話せばいいと。
彼の興味に引っかかる話題と言えば何だろうか……。記憶を旅して索引を引っ張ると共通の話題を見つけてそれに決める。
「……分かりました。それでは失礼して…………。まず最初に、お聞きしたいことがあるのですがよろしいですか?」
「答えられることなら答えよう」
「…………私に目を掛けていただいたのが陛下だという事は伺っています。今でも感謝はしきれません。けれどどうしてこんな後ろ盾もない私をヴァレッターに配属していただけたのでしょうか?」
分かりきったこと。私はしがない一般家庭の娘だ。何かに秀でるような成績を修めているわけでも、隣にいるダフネが特別なわけでもない。一般人代表、とまでは言わないが平凡な一市民だ。
だからこそ今一度確認すべきことだと確信して尋ねる。
「後ろ盾ならあったであろう……?」
「……お言葉ですが、彼は一介の学生で────」
「そうではない。…………おや、聞いておらぬのか?」
「………………すみません。仰っている言葉の意味が……」
「エルゼ・アルケス」
「っ…………!?」
思わず肩を震わせる。同時に納得を生み出す。
「その様子だと彼女は言ってなかったみたいだの……。彼女から直々に推薦があったのだよ。彼女に話をしたのではないか?」
「……そうですね。沢山の助言をいただきました」
学院長との接点はそれほど多くない。
最初はクラウスの力になりたくて方法論を模索して。見つけた役割を掻っ攫うために方々に手を尽くして、ようやく気に掛けて貰えた程度の繋がりだ。
あの時私が求めていたのが一体何なのか。その為には一体何が必要なのか。
けれど聞いたところで最初からないものはどうしようもないと。だから何処か体のいいところで甘んじて、少しでも彼と彼女に近いところに居れたらいいとあわよくばを望んで。
そうしてどうにか登用してもらえるように自分を売り込んだのだ。
「彼女も大概奔放で、いい加減だ。だからきっと伝える事を忘れていたのだろう」
何の因果か国に仕える事を許された私は、それから配属された先で部屋の名前を二度見してしまうほどには驚いて。どこで何を間違ったのだろうかと疑問に思いつつヴァレッターの一員となったのだ。
それがよもや学院長の推薦とは思いもよらなかった。そんなこと、話をしたときには一言も言っていなかったのに。
「それに君の言う彼の名前も確かに関わっていたと思うが、どうだろうか?」
ヒルデベルトの言う通りだ。
学院長がアンネを推挙したのだって、きっとどこからかアンネがクラウスの思惑に助力していると知っていたからだろう。その情報の出先は、恐らくニーナ。
学院長とクラウスが何かをしているというのは春の時点で気が付いていた。そこに親友が巻き込まれていると知ったから、アンネは名乗りを上げて首を突っ込んで────
結果、偶然が繋がり巡り巡ってアンネの思惑を超えて現実が着地した。
話の成り立ちが分かってしまえば何と言うことはないが、想像をしていなかった為にまたもや驚かされた。
「……君にとって今では彼女よりも彼の方が大切なのだろう?」
「あの、それはっ…………!」
思わず言葉を返して、それから向けられた意地悪で温かい視線に恥ずかしくなる。
小さく唸れば彼は声を上げて笑った。
「いいのだよ。わしにとってもそうだ。…………それに彼女は、一度諦めた身なのだから」
「……諦めた…………?」
何処か寂しい目をしたヒルデベルトの言葉に聞き返す。
すると彼は懐かしむように語りだす。
「……人は、夢を見る。望んで、描いて、模索する。それは希望にもなり絶望にもなり得る」
それは彼の夢に関する考え方だろうか。
────君は、夢とはなんだと思う?
過去にエーヴァルト伯爵夫君がクラウスに問うた疑問が脳裏によみがえる。
私にとっての夢とは何だろうか。そんな事を考えて、それから一つ納得を見つける。
居場所だ。
私は何かに繋がっていないと、自分の存在すらも分からない人間として欠けた半端者だ。
その何かに繋がっておくための、居場所。私を私として繋げておくための道標。
だから私は、私である為に夢を追い続ける。
「彼女は……エルゼ女史は夢を見た。彼女の望む最良の夢。聞かされた時は正気かと疑いはしたがね」
「どんな夢だったか、お聞きしても?」
「……理想郷」
不意にその景色が、クラウスの目指すそれと重なる。
「誰もが平等で、笑顔に満ち溢れた優しい世界。それを理想郷と言わずして何と言う」
人間と、妖精と。そして何よりエルフも含めた、平穏な世界。
彼女の望んだ景色は、きっとそんな理想だ。
「誰もが願う、自由の世界。その一端に、彼女は手を掛けた」
まさに夢の世界だ。
けれど夢は理想であればあるほど、届き難いものになってしまう。
「しかし届かなかった……。彼女がやろうとしたのは、一人が世界を覆すやり方だ。英雄であり、蛮勇であり、勇姿であった」
ヒルデベルトの言葉に息を呑む。
それはきっと……クラウスの胸の奥にも眠る────孤独だ。
「彼女は彼女らしく邁進して、そして失敗した。そうして、夢を諦めた」
「……………………」
耳を塞ぎたくなるほど、その景色が嫌に鮮明に脳裏に描かれる。
重なってしまうから。私が恋をした彼の生き様と……彼の歩もうとしている道程と。
気付けば言葉にしていた。
「一人、だったから……」
「そう。彼女は異邦者であるが故に、頼る術を持ち合わせていなかった。だから、諦めざるを得なかった」
夢を……本気になった自分の道を諦めるというのは、どういう気持ちだろうか。
信じたものに裏切られるようなもの? それとも──失恋のようなもの?
「そんな折に、一人の少年が現れた」
どこかで自分の視界とエルゼの視界が重なって、その道の先に彼の姿を灯す。
「少年は語った。世界を変えたいと。夢を、紡ぎたいと」
どれ程の決意があれば。どれほどこの世界に絶望すれば、そんな希望を持てるだろうか。
今の私には、理解できない。
「重なった視界は、彼の道を幻視して……教え子たる彼の道を誤らせまいと、彼女は自分に対する贖罪として彼を選んだ」
そうして、出来上がった彼の舞台。
「彼女の無茶は昔からだ。だから話が来た時に、そこに連なった彼女の名前を見て、何故か心が躍った」
「……校内保安委員会」
彼が望んだ、彼のための舞台。
「彼女は教え子に道を与えた。一人にならない道。誰かに頼れる道。一人でも踏み出せる道。……間違えないための、道…………」
きっとそれも彼は分かっていて、利用している。
だから私を、使ってくれた。
ヒルデベルトの話に俯いて拳を握る。
人は選ぶ。けれどそれだけではない。選ばれて初めて、意味を持つ。
私は幸運だったのだ。
偶然首を突っ込んだだけで、選んでもらえたのだから。
「本当に偶然、だったんですね」
「そんな少年を助ける為に、君は選ばれた。自分で選んで、掴み取った。……偶然だと言うならばそれでもいい。けれどそこに、君の意志はないのかい?」
問い掛けに顔を上げれば、彼の薄色の瞳がこちらの目を見据えていた。
その奥に灯った、彼の言葉に息を吸って答える。
「あります。私の為に、彼の為に。彼女の、為に。したいこと、やるべきことが……沢山」
「ならばその道を進めばいい。それがエルゼ女史の願いであり、君の夢であるならば」
「はいっ」
大きく答えて頷けば、ヒルデベルトは笑顔を浮かべた。
「……わしばかり話してしまったな」
「いいえ。疑問に答えていただき、ありがとうございました」
深く頭を下げて、感謝する。
今なら私がここにいる理由も分かる。
なるべくしてなった、得るべくして得た場所だと。
「……ふむ、そうだな。お茶を一杯、もらえるかな?」
「ただいま準備いたします」
静かに笑顔で答えて腰を上げる。
この身はまだまだ学ぶことが沢山あると。実感するのと同時楽しくなっている自分に気が付いて小さく笑ったのだった。
「どうぞ」
「ありがとう」
できる限り丁寧に入れた一杯。それをヒルデベルトの目の前に置くのと同時、部屋の扉が叩かれて声が響く。
「ただいま戻りました」
顔を見せたのは入れ替わりで休憩に入っていたハンス。
「もういいのか?」
「はい。それから一つ、お耳に入れておきたい話が……」
「ふむ…………」
頷きつつこちらに視線を向けてくるヒルデベルト。
幾らヴァレッター、目を掛けていただいてるとは言え所詮は使用人。国政に纏わるような話に首を突っ込む事はしない。だからこそ、ヒルデベルトもまた、クラウスに対する飛び道具としてアンネを使っていられるのだと。
姿勢を正して腰を折ると静かに部屋を退出する。
…………さて、追い出されてしまった。これからどうしようか?
特に目的もなく館内を少し歩いて、僅かに染み付いた職業病で思わず視界内の点検をしてしまう。
自分でも、目的の手段や環境に適応するのは早い方だと思う。そのお陰でここまでやってこられたかと思うと、少しだけ自分の主体のなさに嫌悪さえ滲む。
使用人なのだから主体のない事はいい事なのかもしれないとどうでもいい事を考えつつ、脳裏を過ぎったその言葉に目的地を見つける。
誰かいるだろうか?
思いつつ、歩みを進めて辿り着いた部屋──使用人に割り当てられた休憩室の扉を叩いて中を覗き込む。するとそこにはヘレナが座って喉を潤していた。
「……あれ、どうしたの?」
「少し時間が出来たから誰かいないかと思って。ヘレナは?」
「わたしもそんなとこ、かな……。先輩が有能すぎて辛い…………」
小さな愚痴に笑えばアンネの分の飲み物を用意してくれる。
礼を言って対面に座れば彼女は疲れたように溜息を零した。
「アンネのとこはいいよね。優しそうで」
「陛下のこと? 私は個人的にヘレナの方が居心地よさそうなんだけど……」
「あーかもね。だから彼の事好きになったんでしょ?」
「…………っ!? けほっ……な、何を…………!」
「いや、気づかない方が可笑しいでしょっ」
ヘレナの言葉に思わずむせる。
「見てれば分かるよ。健気だもんね、アンネ。引っ張っていってくれる方が楽なんでしょ?」
「…………言っておくけど私だって気付いてたからね。夏の時ヘレナが探り入れてたこと」
「何の事かな~?」
白を切る彼女の笑顔に糾弾の視線を向ける。
そういう事は気付いていても言わぬが花だろう。
そう思考を巡らせて、そう言えば彼女は知らないんだったと一人気持ちを沈める。
「……どうなの、彼とは」
「ふられたよ」
「あら意外。変な行動力発揮したね」
「自分でもそう思う…………」
素直に言葉を返せば、顔を伏せたアンネに対して彼女は地雷を踏んだとばかりに話題を摩り替える。そのまま後悔し続けてくれればいいのに。
「嫌にならない? 自分で自分が制御できないとか」
「だから恋愛なんて避けてきたんだよ……」
「悪かったよ。何かお礼しようか?」
「……そんな楽しそうな笑顔で言われても受け取りたくないっ」
あえて掘り返せばヘレナが困ったように後手に回る。その癖、語調は興味だけを詰め込んで意地悪に。
「それに、まだ終わったわけじゃないし……」
「…………いい性格してるよね、アンネって」
「ヘレナに言われるならその通りだろうね」
「だからごめんてっ」
追撃に彼女は今度こそ泣きそうな顔をして謝る。女に女の武器は効きませんよーだ。
そんな彼女を笑えば、唸った後に笑顔を零す。
彼女もクラウスと同じで自分と言うものを分かっていると。その嫉妬しそうなほどに可愛い笑顔に負けを認めながら話の焦点を切り替える。
「……そう言うヘレナはどうなの? もてると思うんだけど?」
「…………そう言えば考えたことなかった……」
「今絶対何人か泣かせた」
「えぇー?」
もう私には使えない逃げ道だと妬みつつ彼女の事を見つめる。
外見だけ見れば随分整っているだろう。
背中まで伸びる金色の綺麗な髪。鮮やかなコバルトグリーンの瞳。女性らしい豊かな体躯。加えて長い耳殻が妖しさと不思議な魅力を纏って彼女を蠱惑的に彩る。
逆にこれで興味を引かないという方がおかしいだろう。
もし先程の言葉が本心だとするならばそれはもはや魔性だ。
「……何か惨めになってきた」
「何で? アンネは魅力的だと思うよ?」
「そんな減らず口を叩かせるのはその胸の塊なのかな? ぅん?」
「大きくったっていいことないよっ」
「い、言ってはならない一言を…………」
「アンネだってないわけじゃないじゃんっ!」
「…………これはあれですな。制裁を与えなければ……」
「顔、顔っ!」
何だか楽しくなってきた。
湧き上がってきた感情にイケナイ扉を開きそうな気がしてそっと閉じる。
一体何をしているのだ、私は。こうやっていつも感情に走ってしまうから自己嫌悪するのだろうと。
「……全く、これに懲りたら人をからかうのをやめる事っ」
「そしたらアンネと遊べないじゃん」
「私はヘレナのおもちゃじゃないっ!」
「愛だよっ」
「偏愛の間違いだっ」
言って二人で笑い合う。
そんな風に無駄に体力を使って過ぎた時間が取り返しの付かないものだと悟ったのは言うまでもなく。
ただ充足感だけを胸に抱えて二人はそれぞれに主の下へと戻ったのだった。
翌日、辺りに木々を囲む館の庭で陽光の下会談は開かれる。
もう少し厳粛な場所で催されるものと思っていたアンネは少しだけ驚いたが、それも数瞬。気付けば気持ちと行動は仕事用のそれに切り替わっていた。
そうして会議は自然に囲まれて進んでいく。
アンネたちのすることと言えば話には関心を向けず王の近くに控え給仕をするだけ。簡単ではあるが失敗は許されない、気の抜けない仕事だ。
けれど主題は話し合い。そう忙しくもなく、どちらかと言えばじっとしていることの方が多い退屈な部類だ。
そんな慣れない環境に気を遣ってか、時折主からはどうでもいい用事が回ってくる。ともすると会議に関係ない話題まで。
流石に休憩と称して使用人のお披露目大会になったときには身構えた。
お披露目といってもアンネ自身が注目されることもない。その評価の先は主たる王だ。
どんな従者を連れてきたのか。どれ程育っているのか。
見られる側としては緊張以外の何ものでもないがそれを拭うこともできず。ちらりとヘレナに向けた視線では、彼女も苦々しく笑みを零していた。
なるようになるしかないか。どうせアンネは半端者だ。出来る限りの事をするだけ……。
考えて、決心したところでアンネの番が回ってきた。
挨拶を終えてヒルデベルトの評価に任せる。
一体どんな無茶振りをされるだろうか……。できれば一発芸のような何かを期待されないことを願いつつ肝を冷やしていると、突然耳が甲高い鳥の鳴き声を捉えた。
思わず視線をもって行かれて、視界の先──頭上で円を描いて飛ぶ鳥の姿を注視する。
「ルキダ、何か布を持っているか?」
「……え、あ。手拭いでしたら」
その鳥に見覚えがある気がして、どこで見たのだったかと思考を巡らせるのと同時、ハンスから声がかかる。反射的に答えて近くに置いていた鞄から持ってくると、それを片腕に巻き真横に伸ばして指笛を鳴らすハンス。
音に応えて彼の腕にその鳥が足を下ろす。
近くで目にしてそれがブランデンブルクからの鳥便だという事を思い出す。足には小さな筒。蓋を開ければ中には書簡が入っていた。
ハンスに変わって目を通すとそこに書かれた文言に肩を震わせる。
アンネのその仕草に何かを知っていたのか、ハンスが頷き返した。
「陛下、少しよろしいですか……?」
「何だ?」
直ぐに行動に移せばヒルデベルトはいつもの温厚な雰囲気を消し去り、厳粛な面持ちでアンネの言葉に耳を傾ける。
やがて耳元で告げた言葉に、ヒルデベルトは短く「……そうか」と零すと一つ大きな息を落とした。
続けて彼は静かに他の王たちに向き直る。
「…………話の腰を折って悪かった。再開しよう」
「何か急用か?」
「……世界にとってこの会談以上に重要なことがあるか……?」
目に見えて取り繕うヒルデベルト。
そんな雰囲気を壊すようにトゥレイス騎士団国の総長、クサーヴァーが茶化す。
「王のいないこの機に乗じてどこかの国が攻め込んだのでは?」
「私は関係ない。ったく、事ある毎に槍玉に挙げおって」
「そんなつもりはなかったんですけどね……」
視線を向けられたラファエルが睨み返す。
この二人は何かと仲が悪い。大抵はトゥレイスの王がスハイルの王をからかってはいるのだが……流石にこの場では不謹慎ではないかと。
「…………我が友よ。隠し事はやめてくれ。もし何かあるのだとしたら気が気で纏まる話も纏まらぬ」
グンターの言葉にヒルデベルトは黙り込む。
そうして下りた沈黙に、事情を知るアンネは不敬を承知で口を挟む。
視界の端でそんなアンネに気付いた様子のヘレナが何かを言おうとして、けれどそれを遮るように一歩前に踏み出した。
「突然の無礼をお許しください。陛下、陛下は私に言ってくださいました。夢があるならば信じて進めばいいと。でしたら陛下も決断を誤らないでくださいませ。私が使用人である前にアンネ・ルキダであるように、陛下も陛下である前にヒルデベルト・アスタロスであってくださいませ」
ただ馬鹿正直に、真っ直ぐに。
今ここで首を斬られてもおかしくない侮言を尊大に言い放つ。
もしそうであっても、ここだけは譲れない。彼の葛藤は、彼にとって大切な最愛であるはずだから。
「……………………年端もいかぬ少女に言われるとは、王の器として失格だな」
長い沈黙。
それから疲れたように笑った彼はアンネの肩に手を置いて他国の王たちに向き直る。
「──わしの妻……ローザリンデの容態が悪化したらしい」
眉根を動かす他の王。下りた沈黙に居心地の悪さを感じる。
やがて口を開いたのはラファエルだった。
「……ハダル。帰国の準備をしろ」
「仰せのままに」
その口から出たのは場を動かす言葉。直ぐに答えたヘレナは踵を返して屋敷の中へ歩いて行く。続いて背を向けたラファエルに、ヒルデベルトが言葉を投げかける。
「…………いいのか?」
「そんな面持ちで話の席に着かれても迷惑なだけだ。精々私がもう一度目通りが叶うようにしてから出直して来い」
「………………恩に着る」
言うだけ言って、ラファエルは止めていた足を再び出す。
「全く、いい部下が育ってるじゃないですか。その子、うちに欲しいくらいですよ」
「あたしがいる事をお忘れなく」
「そう腐るな。お前にもいいところが沢山あるだろう……?」
続いてアンネに笑いかけながらクサーヴァーが紡ぐ。
思いもよらぬ言葉にどうしていいか分からず、とりあえず感謝だけでもと頭を下げる。
そんなアンネに何処か楽しそうに頷いた彼は、近くに控えていたヒルダと言葉を交わしつつ去っていく。
「……ほら。そんなところで呆けるな。早く露草姫の下へ行ってやれ!」
「…………あ、あぁ。本当にすまない」
「また今度、飲みに付き合ってくれればそれで許そう」
「あぁ、絶対だ」
最後にグンターの後押しを得て、ようやく足を出すヒルデベルト。
「またね」
「どこかで」
「うん、また」
グンターに礼をすれば、隣に立っていたピスとケスが声を掛けてきたので返答をする。
それから早足に歩く主について足を出せば、隣に並んだハンスが小さく零した。
「ルキダ。後で話がある」
「……はい」
もう嫌な予感しかしない。泣きたい。
心のねじ切れる思いで声を返せばそれが自分の声では無いように感じたアンネだった。




