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フェアリー・クインテット  作者: 芝森 蛍
提燈が夢見る夜想曲(ノクターン)
44/138

第一章

 妖精変調(フィーリエーション)

 妖精の身に起きる本質具現化現象が、知る人ぞ知る世界的な問題になった翌日。クラウスはようやく手に入れた自由な時間で町に出てきていた。

 今日は祝日。特にブランデンブルク王国内においては年に一度のお祭り騒ぎ。ヒルデベルト・アスタロスの誕生祭だ。

 国民全員が知る国の長を祝う祭り。ここのところ忙しかったと言う事もあり、クラウス個人としてはそう言えばそんなものもあった程度の感慨だ。実際、こうして町に出てきてようやく思い出した。

 何にせよ祭りごと。その空気に触れるだけで気持ちは晴れる。当初の目的である気分転換はどうやら達せられそうだ。

 というのも色々と考える事が多すぎて軽く滅入っていたのだ。

 世界はいつの間にか危険な事になっているし、カイからは何故か変な期待をもたれているし。ほんの少し前に再会したアルが何故か軽い自己犠牲に目覚めていたり、果てはアスタロス王妃殿下と手を取るような展開にもなったり……。

 クラウスは一人だ。分身も出来なければ全てを完璧にこなせるわけではない。

 なのに積み重ねた功績だけで判断して大きな期待をかけ、クラウス個人を見てくれる人があまりにも少なすぎる。

 はんぶんである筈のフィーナでさえ、クラウスの事を真っ直ぐに見ているか怪しい。尤もそれはクラウスが望んだ一面でもあるのだが……。

 何にせよ、休息が欲しかった。

 改めて自分と言う存在を認識し直す時間が欲しかったのだ。

 だからもう、この景色にも慣れた。


「クラウス、あっち行ってみない?」

「クラウス君、私と二人でちょっと抜けよ?」


 傍から見れば両手に花。当人としては両手に茨。

 男としては冥利に尽きるものなのだろうが、どうにも日常化してしまっては幸福感も段々と薄れてきてしまう。

 元来こういった異性とのやり取りにはある程度耐性のある方だ。幼い頃、妖精と言えどアルと一緒に時を過ごした事があるからかもしれない。子供の頃の生き方とは意外とその後にも影響するものだ。

 テオほどではないがクラウスも好意を寄せられた事はある。その時はまだフィーナと出会う前で、アルと交わした目標に向けて精一杯だったために余裕がなく、仕方なく気持ちを断わったのだが。

 そんな個人的なことよりも、その人物の事を知らなかったのが原因かもしれない。

 名前を耳にした事があるかどうかの仄かな記憶。興味がなければ記憶には留まらず、だからこそこの血も相俟って知らず不信になる。

 やはり人間関係に敏感なのはこの身を流れる血が原因だろう。

 妖精が四分の一の、歪んだ生い立ち。

 国籍の混血とはまた違う、種の混血。中々に理解されない他とは違うと言う証。変えることのできない事実。

 フィーナと出会うまでのクラウスは、自分で言うのも何だが他人に興味がなかった。

 だから異性に耐性はあっても興味はなかった。

 けれどフィーナとの出会い、その契約。あのたった少しの邂逅の中でみた、彼女の涙。

 きっかけと言えばそれ以外にありえない。

 異性の涙。

 クラウスがこれを苦手となったのはアルのと別れが原因だ。

 彼女に記憶を封印された直後に見た、彼女の涙。あれはクラウスに対する遣り切れなさと、彼女なりの糾弾だったのだろう。

 理由も分からず泣いている目の前の妖精になす術がなくて、困惑と共に生まれた忌避感。

 クラウスは女性に対してある程度優しい部類の人間だろう。きっとそうなるように母親に聞かされて育ったから。

 だから悲しみの涙なんて、見たくは無いのだ。

 結果異性を遠ざけて、距離を作り、感情を否定する事で苦手なものとの接触を極力避けた。鍵を、掛けた。

 その鍵を再び開いたのがフィーナの涙だった。

 久しぶりに見た異性の涙は、やはり困惑を生み出してクラウスの感情を揺り動かした。

 けれどその涙は、静かで、温かくて、儚かった。

 きっとあの瞬間に、クラウスはようやく過去のあの時から前に進む事ができたのだと今になって思う。

 だから彼女とも、そして彼女ともこうして仲良くなれた。

 情けない話だが、クラウスはクラウスの周りにいる異性に救われている。恐らくクラウスの周りで一番弱いのはクラウス自身だ。

 だからこそ、感謝もしている。

 ただ、お願いだから……クラウスを二つ以上に分離させないようにしてくれまいか。


「……お祭りに浮かれるのはいいけど、出来ればそこに僕を巻き込まないで欲しいって言う意見は耳に届くかな?」

「クラウスさん、今度はあれが食べたいですっ」

「ねぇクラウス。あたしのこと好き?」


 姦しさ以上の女の華やかさ。ていうか好きって何だ。アルは一体何を求めようとしてるんだ。

 こんな事ならテオかマルクスでも誘えばよかったと肩を落としながら彼女達に振り回されて道を歩く。

 全く災難だ。偶然とは言えユーリアとアンネに出くわすとは。少しだけ運命とやらを呪ってみたくなった。

 嘆息して気持ちを一新する。

 何にせよ過去は過去。今は今。繋がっているとはいえ何時までも引きずっていては仕方ない。

 それよりも考えるべき未来が沢山ある。想像する度頭を抱えたくなる無理難題ばかりだが。


「……で、二人は息抜き?」

「んー、まぁそんなところかな。あれから二人でどこかに出かける時間もなかったし」


 だったらクラウスなんか捕まえてないで二人で満喫してればいいのに。

 ようやく取り戻した二人の距離感。順調に進みつつある友人関係に胸を撫で下ろす。

 クラウスとしては二人の仲違いよりも、ちょっとした成長の方が重要だったりする今日この頃。

 アンネはなるべく公平になるために自分らしく振舞う事を胸に秘め、ユーリアは頼るだけの日常に別れを告げる。

 他人の意志ではなく自分の意志で。

 クラウスが望むのは自発的な言動だ。特にユーリアに至っては彼女の気持ちの問題。クラウスが彼女を守るために、彼女にはクラウスの傍にいてもらわなくてはならない。それを強要する事は、クラウスの意志と考え得る未来に反する。


「偶然ならクラウスを巻き込む話ではなかったんだけど」


 それはどういう心境からでた言葉だろうか?

 時折ユーリアの言葉はクラウスでも理解に苦しむことがある。

 ユーリアと言う存在はクラウスが選んだ中でも特に異質な存在だ。

 何よりも近くに居る事を求め、誰よりもクラウスを否定する存在。だからクラウスの手の届き難いところを選んだつもりではあるのだが、アンネ以上に掴みどころが難しいのだ。

 この違和感は……そう。例えば全員を本の登場人物にしたとき、ユーリアの心境だけが一切記されないような感覚。

 男と女なのだから互いの全てを分かるなんてとても難しい事だとは思うのだが、特にユーリアはクラウスとは反対に位置する正義の存在だからだろうか。

 だから時々、クラウスの想像もつかない事を言ったりしたりすることもある。


「ここで会ったのも何かの縁でしょ?」


 そう言って視線を向けてくるユーリア。彼女の言葉にアンネがちらりとこちらを窺って来る。

 例えユーリア個人の事が分からなくとも、アンネを間に挟めば理解できる事も沢山ある。と言うかそちらの方が多い気がする。

 ユーリアの言葉にアンネが反応する時は八割方クラウスに関係するところ。窺うような視線と言う事はクラウスに答えを仰ぐと言う事。

 クラウスが何かをしてユーリアに答えを返す事象。ここ数日で言えばやはり昨日の呼び出しの件だろう。

 ヒルデベルト・アスタロス国王陛下の名の下のクラウス召喚。アンネは一緒にいたために知る事実。アスタロス王妃殿下への面会。そして妖精変調に関する話し合い。

 ユーリア視点で見れば一介の学生であるクラウスだけが国王に指名されたと言う風に見えただろう。

 その理由が知りたいといったところ。

 クラウスに興味を持ってくれるのは嬉しい限りだが、そこを話していいものかと迷う。話すとして、どう言葉にしたものか。

 妖精変調についてはユーリアも知るところだ。今はその解決に向かって慌しく動き回っている現状。

 ローザリンデは逸早くその解決に向けて動き出していて、そこにクラウスが少しだけ噛んでいるという状況だ。

 昨日までの感じだと、あれにクラウスの指摘を加えて妖精語に変換した命令式を作り出す時間。それらを試す時間も必要で、効果が見込めるのは短くとも十日は掛かりそうだ。

 それほどに大規模な妖精術の開発。特に未だ人間が到達し得ない妖精の本質に干渉する術式。

 幾ら聡明なローザリンデと言えどすぐに完成すると言う事は無いはずだ。それまでの時間はクラウス達がしたような現場での対処が主戦場になるだろう。

 ……いや、投下でも普通の価値観では早すぎるくらいか。彼女がこれまでに成してきた偉業が、胴にも正確な判断基準を阻害してしまう。

 それくらいに、ローザリンデ・アスタロスという人物は規格外なのだ。

 少なくとも、クラウスの見識では測り知ることはできない。

 さて、クラウスも軍人ではない。今回の事件の中核に僅かに触れただけであって、決定権を持っているわけでもない。全ての真実を話すわけにはいかない。

 どこまで話したものか。どうすれば彼女は納得してくれるだろうか。


「うーん……。こんな事ならもう少し綺麗にして来るんだった。ってことでちょっとおめかしに行って来る」


 そんな事を考えていると隣からアンネの声。

 自然と言うか不自然と言うか。どちらにせよ彼女の選択らしい。お願いだから都合の悪い時に逃げないで欲しい。

 とは言っても引き止めるわけにも行かず。静かに見送ってユーリアと二人残される。


「……で、答えてくれるわよね? 昨日あの後何があったの?」


 しばらくアンネの背中を見つめていたユーリアだったが、やがてクラウスに視線を向けて直接的な糾弾を放って来る。

 アンネが離れたと言う事はその辺りについてはクラウスに任せると言う事だろう。

 ならば仕方ない。いつものように道化を演じよう。


「……カイさんに少し話を聞かれただけだよ。原因は何だと思うとか、解決法はどんなのがあると思うとか。僕に聞かれても全部答えられるわけは無いけどね」


 小さな真実を交えて告げる。

 もちろんこんな説明で納得するわけもないだろうが、彼女は軍人。クラウスの立場の事を考えてくれたのか僅かに視線を強くした後、小さく溜息を吐いて興味を逸らしてくれた。

 クラウスだって言えることなら伝えてしまいたい。そうして共犯者を増やして少しでも楽になりたい。

 けれどこんな町中でする話では無いし、確証のない話で混乱を招いても仕方ない。

 クラウスの見立てでは、ローザリンデの方法でどうにかなるはずだ。けれどそうならないと言う可能性もないわけではない。

 その時の後詰を考えておくのがきっと今回のクラウスの役目だ。その為に、王妃殿下に呼ばれて目的を共有したのだ。

 だからまだ、彼女は巻き込めない。これはクラウスに任された役目だ。


「……その内きちんと話して。気になった事を有耶無耶にするの、一番苦手なの」

「約束するよ」


 直ぐに答えて頷く。

 例え真実を誤魔化したとしても知っていて嘘を伝えたくは無い。

 嘘は真実への冒涜だ。

 特にユーリアには、出来る限り嘘を吐きたくない。もし必要な時に嘘だと悟られたくないから。きっとそれが彼女の為になると信じて。


「ごめん、おまたせ~」


 そんな事を考えているとアンネが戻って来る。さて、再び茨の道だ。

 どうでもいいけど、どこか変わった? 異性に物怖じはしないけど、特別気が利くわけではないからね?

 覚悟を決めて自我を置き去りにする。

 それからアンネとユーリアに左右を、アルとフィーナに前後を固められてクラウスは決定権を持たないまま幾つもの無理難題を押し続けら続けた。

 道中女性陣の買い物で両手が重くなりつつ、それを思考の外へ追いやるように雑談に花を咲かせる。否、雑談と言うよりは愚痴だろうか。

 アンネはヴァレッターでの不満を漏らしたり、ユーリアは極個人的な彼女の家族について話したりだ。

 アンネの話はクラウスだけでなくユーリアにも向いていて。ユーリアが時折アンネの事を心配する為に、こうしてヴァレッターのことも報告していたりするそうだ。

 ユーリアの話は嘆息気味で、現在彼女の父親であるハインツが国外に行っていて、少しの間家を開けていたりだとか。その間母親から家に戻ってこないかと言う愛に溢れた話だったりだとか。

 人によっては羨ましささえ感じる悩みは、けれどもユーリア個人としては少しばかり鬱陶しい部類に入るらしい。それはこの前ようやく自立するという揺らがない決心をしたからだろうか。

 王都に一人出てきたクラウスとしては故郷にいる両親には中々会えない。この前の夏季休暇も手紙だけは送ったが、忙しさに(かま)けて顔は見せてはいない。そんなクラウスから見れば、近くに住んでいる親との関係はもう少し大事にした方がいいと思うのだが、彼女にも彼女の言い分がある。今はまだ、家に帰る頃では無いということだろう。

 相変わらずクラウスの周りは当人が気付かないほどの愛に溢れていると思いながら、会話の波に身を委ねてどうにか両手の苦痛を麻痺させて。

 両手に初花。両手に背負う荷。唯々体に負担を強いて茨の道を突き進むクラウスだった。

 僕、休息を取りに来たはずなのにね……。




 そんなクラウス包囲網から開放されたのは陽も半分落ちた頃になっての事。ようやく自室の寝具に倒れ込む事に成功したクラウスは、そのまま眠ってしまいそうな勢いで暗澹(あんたん)たる溜息を零して脱力する。

 あぁ、夕食と、それから風呂を用意して……。調べたい事も山ほど──

 考えては見るがどうにも体は動かない。

 肉体と言うよりは精神的な疲労。あれ、今日何しに外へ出たんだっけ?

 当初の目的すら曖昧になっていく想像の世界が段々と意識を失っていく。


「おやすみなさい、クラウスさん……」


 眠りの中に落ちていく思考が遠くにフィーナの声を聞いて、ようやく意識が乖離する。

 残されたのは静かに寝息を立てるクラウスと、その傍で優しく微笑むフィーナ。それから一人台所に立つアルだった。




              *   *   *




「さて、食べるわよ」

「もう少ししたらお風呂も準備できると思います」


 クラウスの欠けた部屋の景色。

 アルとフィーナ。二人だけが構成する風景。

 彼女達はいつもクラウスがしていることをどうにか想像と記憶で形にして見せた。

 流石にクラウスには見せられない出来だが、食べて休んで満足するには充分だ。

 会話もないまま静かに食事が進む。そこでふと気付いてアルが言葉にした。


「……最悪必要なかったことよね」

「それ言ったらおしまいですっ」


 フィーナも気付いていたのだろう。アルの言葉に同調と抗議を綯い交ぜにして呟くと、下りる沈黙を嫌ってか言葉を紡ぐ。


「そう言えばわたし達だけって言うのは初めてですね」

「クラウスのすごさを改めて知ったわよ」


 食器が鈴の音の様な高い音を一つ響かせる。

 流石に味も見た目も、クラウスのようにとはいかなかった。知っている通りに作ったはずなのに何故か味が不安定で、切られた野菜も不揃い。よく見れば盛った器も二人別々で統一感に欠ける。

 人間の血が入っているくせに家事は同じく半端者のクラウス以下。やはり慣れかと悟って味を思考の外に切り捨てた。とりあえず全うな人間でなくてよかったと(うそぶ)く。


「あっ」

「どうしたんですか?」

「使った調理器具洗ってない」


 そういえばと思い出す。

 クラウスはあの忙しさに加えいつも調理中に不必要な道具を洗っていたと。思わずクラウスは本当に一人なのかと視界を回す。

 当の本人は健やかに寝息を立てていた。


「……もう考えるのやめにしませんか?」

「そうね。これ以上不毛に落ち込んでも仕方ないし」


 溜息一つ。それから飲み物で蟠った遣り切れなさを一緒に飲み下して思考を切り替える。

 とりあえず別の話題をと頭の中を彷徨えば、意外とそちらには事欠かなかった。特にアルには聞いておきたいこともあったのだ。


「ねぇフィーナ。貴女自分の妖性(ようせい)分かる?」

「………………」


 アルの言葉に自分の体を見下ろすフィーナ。

 妖性とは人間が言うところの、妖精の本質の事だ。今現在クラウスが頭を悩ませている要因の一つである妖精変調。あれの概要が、この妖性の現出なのだ。

 僅かの沈黙の後、フィーナは静かに首を振った。


「いえ。……ただ景色として沢山の緑の中って言う記憶はあります。それが何なのかはわかりませんけど」

「そう……」


 呟いてそれからアルは考えるように視線を逸らす。

 何か知っているのだろうか。フィーナがそんな事を思うのと同時、アルがクラウスの方をちらりと窺って話し始める。


「妖精がどうやって生まれるか知ってる?」

「それは知ってます。転生、ですよね」


 転生。これは人間が理解するために勝手に付けた言葉で、妖精達としてはそこに言葉としての理解は無い。

 ただ現象として、この魂は過去から連なるものだと言う事。


「妖精はその存在が保てなくなると消滅する。その後、きっと体感にしてみれば眠った時のような一瞬の時間で次の生を迎える」

「けれど妖精としての本質……トロールやウィルオウィスプと言った妖性は変わらない、んですよね」

「ただし記憶は受け継がない」


 妖精の社会はほぼ横並びだ。契約を交わした者を一人前。それまでを半人前として扱うような感覚があるが、それも何かの制度や規範に基づくわけではない。

 ただ助け合うために。生まれ落ちたこの生を長く生きるために契約を交わす。それは生存本能だ。

 それまでは妖精同士で助け合い、その中で人間についてを学び、妖精力の扱い方を自然と覚える。


「それに純粋な妖精は転生で生まれる。そうなれば親も兄弟姉妹もいないわよね」

「え……? …………あぁっ、そうですよね!」


 アルの言葉に驚きの声を漏らすフィーナ。慌てて取り繕った目の前の彼女に、アルは笑みを浮かべてその穴を広げる。


「どうしたのかしら?」

「……わたし達は、クォーターですよね」

「そうね」

「ハーフィーやクォーターには親がいますよね」

「そうね」


 絶えず笑顔で相槌を打つアル。その表情に、フィーナは少しばかり嫌悪感を抱いて口ごもる。


「…………アルはどうなんですか?」


 やがてフィーナが零したのは見え透いた話題転換。

 ……今問い詰めなくともいいか。とりあえず腹いせに疑問だけ増やしておこう。


「あたし? あたしはいるわよ。親ならどっちも覚えてる。それから年下の姉が一人」

「え……? あれ? それって妹では? それとも年上の姉?」

「いいえ。年下の、姉よ」


 目に見えてフィーナが混乱する。

 流石に彼女ではこの言葉に矛盾しない結論を導き出すのは難しいだろうか。


「えっと……既に亡くなってる、とか?」

「勝手に亡き者にしないでくれるかしら。ちゃんとこの時代に生きてるわよ。どこにいるかも知ってる」

「それじゃあ……えっと、意識不明でその間は年に数えないとか……」

「…………恨みでも持ってんの?」

「ち、違いますっ」


 今の言葉を記録して彼女に聞かせてやりたい。が、本題から逸れるので置いておくとしよう。


「あたしとは全く似てないんだけど。世話の焼ける姉だから気に掛けられる時は気に掛けてるつもり」

「仲いいんですね」

「……どうだか」


 頬杖を突いて面倒臭そうに零すアル。そんなアルをフィーナがくすりと笑ってそれから静かに立ち上がる。


「とりあえず、ごちそうさまです。片づけをしましょう」

「あぁ、もうっ。思い出さないようにしてたのにっ」


 悪態吐いて立ち上がる。

 全くこんなのがクラウスのはんぶんだなんてどうにかしてる。

 食器を運ぶフィーナの背中を恨めしく見つめながら心の内で糾弾する。

 ねぇフィーナ。これは今から考えて然るべき疑問なのよ。

 妖精はどこから生まれどこへ行くのか。あたしが何者なのか。貴女が何者なのか。

 それはクラウスさえも手に入れていない最後の欠片。

 その全てをあたしたちが持っているというのに。気付きもしないで振り翳して能天気にも程がある。

 けれどいつかは気付く事。この世界に妖精変調が起きたように、貴女の真実もあたしの事実も、いつかは表舞台に晒される事。

 その時貴女はその真実に耐え得るのかしら? 仕組まれたこの歯車に歯向かえるのかしら?

 ……いえ、そんな事はしないでしょうね。貴女にとって彼は特別で、唯一無二なのだから。彼の言う事に従うのでしょうね。

 でもその時、本当に自分を捨てられるのかしら?

 これはこの世界に少し長くいる者からの助言。世界は貴女が思っている以上に理不尽で、世界は貴女が思っている以上に真実しかないと言う現実。


「…………フィーナ」

「何ですか?」

「もう一度よく考えなさい。貴女が本当は何なのか。何をすべきなのか」

「……はい、分かりました…………?」


 前途多難なことだ。そのためにあたしがいるのだろうけれども。

 お願いだからこれ以上気苦労を増やさないでくれと切に願いつつ白い天井を仰ぐ。

 彼女に教えられた未来。彼が願った未来。過程を手繰り寄せるだけの決まった道筋。

 彼と彼女が思い描いた人間との歩き方。

 僅かに傾いだ未来の景色は色を失う程に輝いて彼の行く先を照らす。

 例えこの身が尽きようとも。彼の願いだけは叶えてみせる。

 過去に誓ったその思いに。未来を縛って今日もまたあたしは過去を夢想する。




              *   *   *




「……違う」


 翌日。祝日開けの学院は少しだけ沈んだ空気に満ちていたがそれでも勉学は勉学。しっかりとこなさなければ幾ら罰則の少ないこの学院といえど説教が落ちる可能性もある。

 クラウスも例に漏れず授業を受けている…………振りをしながら手元で方陣を弄っていた。

 可能性の問題。もしもの時のための保険ではあるが手は抜けない。必要になったとき不完全なものを提示すればそれが世界に影響を及ぼすかもしれないのだ。

 妖精変調は世界規模の変転だ。きっと他国でも対抗策を試行錯誤していることだろう。

 クラウスのこれはほぼ自主的なものだが、それでも何もしないというのは性に合わなかったからだ。

 目指すものは簡単。アスタロス王妃殿下が作っていた妖精術とは毛色の異なる干渉術式。言葉にすればたったそれだけだが、幾ら妖精術が無から有を生み出すことが得意だとは言え、それを考えるのは特に人間。妖精は自分から進んで妖精術の開発を行ったりしないのが普通だ。

 既に思いついている以外の方法での干渉の提示。まずは思いつくだけでも大変だ。そしてそれを妖精術に昇華しなくてはならない。

 クラウスは一度、無から有を作り出した経験がある。言わずもがな反転術式だが、あれはそういう風に作ればいいと言う目標があったからできたような偶然の産物だ。

 けれど今回は目標にすべき点が幾つもあって、それを一つに纏めようという試み。まず整合性が失われて来る。

 一度妖精術の開発に関われば分かる問題点。

 想像はできてもそれを現実にするためにはある程度の工程を経なければならないということだ。

 もし想像してそれが何の障害もなく現実になるのならば過程は必要ない。

 傷を治したければ治療するように、妖精術を作りたければ命令式を考えなければいけない。その命令式を方陣の中に収めようとすると効率化が必要となり、ある程度精通すれば予めどんな命令式ならば効率化が図れるかが想像できる。

 さてここで問題なのが命令式の相性だ。妖精術、妖精力の属性(エレメント)にも相性があるように命令式にも存在する。

 例えば昏倒と治癒。相手に害を齎すか福を齎すかの違いだが、この二つを同じ術式に組み込む事は不合理だ。

 可能ではあるが、昏倒と同時に治癒が発動し、昏倒の効果がなくなってしまうのだ。

 つまり命令式の組み合わせによっては一方がもう一方の効果を打ち消してしまったり、はたまた発動すらしなかったりと言うことがある。

 この辺りは経験である程度分かるようにはなるが、分かってしまえばそれだけ可能性が絞られるのだ。

 一般的な妖精術は他人の物を見て盗むか、王立機関である妖精術統括理事会に登録されている、万人が閲覧可能な妖精術をうまく利用することで自分用の妖精術を作り出す。

 基礎は学院で習う。その先を研鑽すればクラウスの偶然のように反転術式のようなそれが出来るかもしれない。

 妖精術とは言わば理解と努力の末の、妖精への歩み寄りだ。

 万能では無いからこそ、その手で何かを成すために方法論を探す。

 それが実を結ぶことで、世界の発展へと繋がるのだ。

 左手の上で方陣を転がしながら右手は筆記用具を奔らせる。綴るのはもちろん目の前の教員の板書……ではなく命令式の組み合わせ。

 既に両手の指では足りないほどの組み合わせは、けれどその殆どが横線で掻き消されていた。

 クラウスは研究者ではない。過去に属性に愛されないなら自分で自分に合ったものを作ればいいと少しだけ勉強した程度の知識があるだけ。学院での授業を抜きにして考えれば、教室内の級友たちと比較するならばその分野では優秀な方だろうが、視点を校外に広げればクラウスは駆け出しも同然だ。反転術式の時はその程度でどうにかなった偶然だ。

 けれど今回は違う。例え想像でうまくいってもそれを形にすれば命令式としては三流もいいところ。フィーナにも過去に言われたが、効率化においてはクラウスは少しばかり苦手なのだ。

 特に今回は世界に影響を及ぼす術式。下手に大きな術式を作ってもそれで多量の妖精力を使うようであれば使い勝手はよくない。

 簡単な術式ならば指南書通りのお手本のようなものを作る事は出来る。だから運動式だけを反転する反転術式の簡略化したものは直ぐ作れたりはするのだが……。


「……これも駄目」 


 呟いて胸に溜まった溜息を吐き出す。

 流石にちょっと勉強しただけの知識では限界があるか。全く、学ぶ事が多くて疲れる。


「目の前の勉強もしないといけませんからね」


 おっと、感情が漏れ出たか。耳元で囁くようなフィーナの言葉に聞こえていない振りをしながら考える。

 余り時間は取れないだろうが、もう少し本格的に妖精術の作り方について学ぶとしよう。それまでは一旦保留だろうか。

 その間に出来る事といえば……。


「アル、帰ったら妖精の国(アルフヘイム)について詳しく教えてくれないか?」

「……何貢いでくれる?」

「フランでいいなら」


 囁きに答えを返せば、アルは居心地悪そうに視線を逸らす。どうやら彼女にとって好物を漏らした事は不覚だったらしい。

 アルはもう少し妖精らしく欲望に忠実に振舞ってもいいのでは無いかと思うクラウスだが、言ったところで変わる性格でもないのだろう。

 特に何かを背負い込む事にかけては彼女の右に出る者はいないかもしれない。今だって何かを隠していそうだし。

 難儀な人間の血だと呆れながら、とりあえず暇潰しに教員の板書を写しに掛かる。

 前を向けば教壇に立っていた教員と少しだけ視線が合って何やら一瞥をくれた。

 一応教員はある程度の事情を知っているのだろう。ならばこの後の仕事も衝突もなく進むだろうか。と、希望的観測を願いつつ筆を走らせる。

 放課後に委員会としてカイから任された学院への配慮。それから妖精史の教鞭を執る教員を捕まえて特別授業でも振るってもらうとしよう。

 やる事が沢山存在する現状で優先順位をきっちりと決めて前へ進む。

 変わらない性格に従って自分の意味を再確認しながら周りの駒を静かに動かす。




 放課後になれば、クラウス達委員会の面子は職員課の教室に顔を揃えていた。

 今回は例外的に職員会議の端に座らせてもらって必要最低限の発言権だけを与えられていた。

 少しばかりの時間で教員たちの話は終わる。どうやら今日ばかりはこちらの話に時間を割くらしい。懸命な大人たちで安心しながらニーナに視線を向ける。


「ではアルケスさん。お願いできるかしら?」

「はい。今回は分かりやすいように書類にまとめてきたのでそれを見ながらと言う事で」


 言いつつこちらに紙の束を回して来るニーナ。ここぞと言う時に雑用ですか。まぁ構いませんけど。

 室内を歩き回って教員たちに書類を配っていく。その中で一人の教員の耳元で小さく囁く。


「ファクト先生。後で少しお聞きしたい事があるのですがお時間よろしいですか?」

「ぅん~? いいけど~?」

「ありがとうございます。それではまた後程」


 柔らかく間延びした声。聞いているだけで心が和ぐほど膨らんだ声質は、いつもと変わらない柔和さを湛えていた。

 とりあえず了承は貰った。後は目の前を片付けるだけだ。

 少し早足に配って回り、静かに用意された椅子に座る。

 ここで新しく聞く情報は無いだろうが片手間に会議に参加と言うわけにはいかない。

 姿勢と気持ちを正して感覚を妖精変調の事へと思考の歯車を合わせる。


「では始めさせていただきます。まず一連の現象についてですが────」


 そうしてニーナが話し始める。

 注意して耳を傾けてみるが新しい情報は無し。

 クラウス達が聞いた通り、妖精の本質とそれに関する確認されている現象。今後の国の方針。その上でこの学院で取るべき応対。

 混乱を鎮めるためには予めそう言った情報を少しずつ開示して感覚を慣らしていけばいい。いきなり事実に直面するからこの前のクラウス達みたいに正常な判断が出来なくなるのだ。本当ならもっと落ち着いて行動できていたはずだったのに……。

 問題は国が秘匿している妖精変調について、既に知り始めている生徒も少なからずいるということ。噂で聞いた生徒もいれば国の中核に近いところに居る親の会話から類推した者もいて、それらが混じって段々と話が拡大しているのが現状だ。

 対応策として正しい情報を流せばいいのだろうが、そこまで愚直に伝えても混乱を助長するだけ。

 流すべき話と塞き止めておくべき話の境界が難しいのだ。

 下手に話せば情報を繋ぎ合わせて真実に近づいてしまう者も出て来るだろう。現に既に級友の浮評好きの少女、イーリスなどは今日の昼休みにどこか楽しそうに鎌をかけてきたほどだ。

 情報が欲しければ隙が多そうなユーリアにでも矛先を向ければいいものを。クラウスだって全てを知っているわけではないのだから。

 その時は曖昧に誤魔化して別の話題へ興味を逸らしてはみたが、今後同じ手がそう何度も通用するわけは無いだろう。

 曲がりなりにもここは国立の学院だ。それなりに頭がいい者が集まっているし、推理は出来なくとも勘が鋭い者もいることだろう。黙っているだけでは埒が明かない。

 そのために先手を打つ必要があるのだが……既に後手の有様だ。情報戦で後の先を読むなど精神的に疲労すること間違い無しだ。


「以上が妖精変調に関する報告です」

 

 ニーナがそう言葉を括って席に着く。それとほぼ同時、室内が幾つもの声に埋もれた。

 さて、ここからが大変だ。

 教員たちもある程度は把握していたのだろう。直ぐに幾つかの対応の手立て……どこまでの情報を開示するといった具体的な言葉が飛び出してくる。

 これを纏めて実行し、その結果をカイなどに伝えないといけないのがクラウス達の役目だ。

 情報開示は教員に任せるがそれで起こる混乱は委員会が治めなければならない。校内保安委員会という物騒な名前を冠してしまったが故の致し方ない──教員たちにとっては体のいい丸投げだ。全く……生徒を守ろうという気は無いんですかね?

 諦めを抱いて小さく溜息一つ。それから静かに回した視界で先程約束を取り付けたファクト女史はのんびり飲み物を飲んでいた。あの人も今を生きているんだかいないんだか分からない人だ。

 お願いだから会議にだけは参加していてくれと心配しつつ事の成り行きを見守る。


「……私達必要だっかしら?」

「ニーナの心の支えに是非必要よ」


 ユーリアの率直な疑問。気付いていて言わなかったのだが流石に我慢の限界だったらしい。

 答えたニーナは何か問題があるかとばかりに笑顔で封殺してくれた。それ別に僕達じゃなくてもいいですよね。特にテオだけいればよかったですよね。

 思ってもこれは委員会の仕事。公的な依頼の重なった問題だ。拒否権は無い。

 そんな事を考えているとどうやら話が纏まったのか、教員の一人が書類の余白に提案を書き記してニーナに手渡す。


「……この辺りでどうかしら?」

「…………大丈夫そう?」


 疑問の矛先がこちらへ向く。その質問の意図は委員会の仕事としてと言うことだろう。

 書かれていたのは妖精変調の中でも特に妖精の本質が具現化する現象についてのみ。それらがどういった原因から成るものなのかと言う部分は伏せると言った具合だ。

 まぁ妥当なところだろう。生徒の矛先は、最悪調査中の一言である程度は誤魔化せる。


「いいんじゃないですか? 書類仕事も今は殆どないですし」

「ではとりあえず確認を取ってみます。その後再びご連絡しますので」

「えぇ、よろしく頼むわね」


 いい感じに便利に使われていることについては誰も触れないのだろうか? そうでなくともクラウスは個人的に色々と問題が山積みで大変なのに……。いや、個人的だから人には言えないのであって、彼女達はその都合を知らないのだけれども。

 ……よし、こうなったら誰かに丸投げするとしよう。最悪連絡役はニーナ一人で充分だ。

 心に決めて気持ちを整理する。


「それでは失礼します」


 ニーナに続いて職員課を出るとそこからクラウスだけ別方向に歩き出す。

 その背中に慌てたような声が突き刺さる。


「ちょっと、どこいくのよっ」

「この後予定が入ってるのでしばらく時間潰しをしようかと」

「この報告より重要なわけ?」

「僕の中ではそう思ってます」


 ニーナの咎めるような視線に続ける。


「連絡だけならニーナ先輩だけでも充分だと僕は思いますけど」

「うぐっ……」


 反論が出ない事を確認して踵を返す。

 とりあえず購買にでも向かうとしよう。あそこならフランも売っているはず。

 目的地を決定して歩き出せば珍しくアルが心配そうに尋ねてきた。


「よかったのかしら? あんな皹の入る様な言い方して」

「どこかで埋め合わせすればいいだけだからね。それよりもどんなフランがいい?」

「それはもう忘れてっ!」


 流石に弄りすぎたか。

 可愛らしく怒るアルに笑いつつしばらく時間を過ごして。鞄に入っていた本を読みながら職員課の前で待っていると、会議が終わったのか教員がぞろぞろと中から出てきた。

 挨拶をして入れ替わりに中に入ると目当ての人物を見つけて声を掛ける。


「ファクト先生。先程の話ですけど」

「んぇ? ………………あぁ、うん。大丈夫」


 今の間は一体何だったんだろうか……。もし忘れていたのだとしても彼女なら怒るのも無意味に思えてくるのだが。

 そんないつもぼーっとしているこの学院の教員。妖精史の授業を受け持ち、実力は学院の中でも五指に入る猛者。

 イェニー・ファクト女史。従軍経験もある姥桜(うばざくら)な教員だ。


「妖精史とは少し外れるかもしれませんが、妖精の国について少しばかり調べていまして。よろしければ先生の話を聞けたらと思うのですが」

「……話すのはいいけれど全部が正しいとは限らないものよ?」

「その辺りはしっかりと自分の中で判断しますので」


 紅碧(べにみどり)色の瞳に値踏みするような色が灯る。

 真っ直ぐに言葉を返せば、彼女はしばらく黙った後静かに踵を返した。


「場所を変えましょうか。図書室がいいかしらね」


 そうして紡いだ言葉はいつものように間延びした声ではなく真剣な色を纏っていた。

 彼女が纏うその無遠慮な雰囲気に思わずクラウスは体が震える。

 殺意ともまた違う。これが実力者が纏うことの許される本物の力の衣か。

 彼女の空気に飲まれそうになりながらどうにか自分をしっかり保つ。


「……試すようなことして悪かったわね。下手な気概で踏み込んで欲しい話では無いから」


 廊下を歩きながらそう零すイェニー女史。どうやら今のは意図してのことだったらしい。気付けば彼女が纏う雰囲気はいつもの柔らかなものに戻っていた。


「えっと、名前は……」

「クラウス・アルフィルクです」

「あぁ、そうそう。話だけは色々聞いてるわよ」


 彼女と一対一で言葉を交わすのはこれが初めてだ。だから距離感を測る必要があると思ったのだが、先に踏み込んできたのは彼女の方だった。

 彼女もクラウスと同じで情報と認識。両方あってようやく事実を認められる気質の持ち主らしい。

 想像だけ、結果だけ存在しても納得はしない。過程と結論両方を得てから判断を下す、どこまでも堅実な性格。クラウスとしてはやりやすい相手だろうか。

 いつもは廊下で行き止まりにぶつかるような人物だが、蓋を開けてみればこんな人。彼女にもクラウスと同じように幾つかの理性の錠があるのかもしれないと、親近感を抱きながら言葉を交わす。


「先生は校内でよく見かける先生とは別人みたいですね」

「あれはただ興味がなくて眠いだけ。こんな歴史考察、物好きでないと語りかけたところでただの徒労なのよ」


 従軍経験があるというが、どうやらその狙いは国の抱える情報への接触だったらしい。クラウスに負けず劣らずの情報の虫だ。


「……さて、資料があった方が分かりやすいでしょう。それぞれ数冊気になる本でもとってきましょうか」

「分かりました。特別授業、よろしくお願いします」

「授業のつもりは無いわよ。ただの好奇心。あたしもまだまだ学ぶことが多いのよ」


 言って辿り着いた図書室の中、本棚の奥に姿を消すイェニー女史。

 彼女ののんびりとした校内での様子は、誰にも乱されない生来の気質のような気がするクラウスだ。でなければクラウスのような変わった性格を相手にここまで遠慮なく振舞えはしないだろう。


「……少し変わった人ですね」

「あの人がそうなら僕もそうだろうけどね」

「蛇の道は蛇とはよく言ったものね」


 アルの皮肉に小さく笑ってクラウスも本棚から数冊の分厚い歴史書やら有名な英雄譚などを引っ張り出す。

 どれもクラウスが一度は目を通したことがある本ばかりだ。流石に知らない本を引用して話をする事は出来ない。

 本を持って戻ればイェニー女史が既に待っていた。彼女の前にはクラウスと同等かそれ以上の厚さを持つ本が積まれている。

 椅子を引いて腰を下ろせば彼女は静かに切り出す。


「それじゃあ始めましょうか」


 そうして始まる有意義な談義。

 フィーナは居住まいを正し、アルは先程買ったフランを開けて頬張り始める。彼女達らしいと安心してクラウスも思考の歯車を減速させる。


「妖精の国は、あると思う?」

「少なくとも今は無いんじゃないかと。あれば町の方まで野良の妖精が出て来る事は珍しくなっているはずですから」

「今は、って事は?」

「過去に対してはあって欲しい、ですかね」


 率直な問いに答えて話を広げる。


「先生はどうですか?」

「……例えばあると仮定した場合と、ないと仮定した場合。二つを用意して考えれば答えは出ると思うのだけれども」


 教師とあろう者が問いから逃げるとは。視線で非難しつつ告ぐ。


「裏付けの最たるものはオーベロンとタイターニアですか?」

「随分と性急ね。まぁ結局そこに行き着くのだけれど」


 少し答えを急げばイェニー女史は一つ息を吐いて視線を強くする。


「……学院長の研究論文は知ってる?」

「目を通す機会があったので一通りは」

「あれを読んだ感想は?」

「……エルフの存在意義について少し考えさせられました」


 ────エルフはエルフじゃない


 エルゼに向けて語ったあの言葉は今でも間違っているとは思わない。

 その言葉の意味がどこに向かうのかも幾つかは想像がついている。

 けれど例え想像通りだったとして、それは結果だけであり過程が存在しない。過程を大事にするクラウスはそこに理由がなければ胸を張ってそれが事実だとは言えない。


「だとしたらあたしから言えるのはこの辺りかしら……」


 そんなクラウスの葛藤に答えるようにイェニーが紡ぐ。


「エルフの系譜を辿りなさい。そこに妖精の国を肯定する事実が存在するはずよ」


 エルフの系譜。エルフはエルフではなく、その存在は妖精の国へと繋がる鍵の一つ。

 つまりエルフとは妖精の国の歴史より下る存在で、だからエルフは────


「っ、すみません。先生の持ってきたその本の題名、何ですか?」


 頭の中で点の情報が線へと繋がる景色の中、急くように口からは未来を求める。

 クラウスの声にイェニーは小さく頬を吊り上げて、その本の題名を告げる。


「『夏の夜の夢』。『ロミオとジュリエット』。そして『ユオン・ド・ボルドー』よ」


 どれも有名な話だ。

 きっとそれらを読み解いていけば妖精の国と言う存在に近づけるのだろう。

 頭の中を巡る物語の登場人物がくっついては離れ幾つかの想像を生み出す。


「後その本。『ニーベルングの指環』は彼の根幹に関わるはずよ。それ一冊では解けない謎も他の話と組み合わせればきっと答えに辿り着けるはず」


 そうしてクラウスの持ってきた本の一冊に視線を注ぐイェニー女史。

 クラウスとしては妖精変調の一件で脳裏を過ぎったドラゴンに姿を変える巨人、ファーフナー……ファフニールに着眼して、そこから話を広げられないかと選んだのだが、どうやらこの話にもまだクラウスの気付いていない重要なことがあるらしい。

 今この景色には、フェルクレールトの足りないはんぶんが詰め込まれている。

 その欠けた存在、妖精の国。エルフと妖精が紡ぐ理想郷。

 何がどう繋がるのかは今一度目を通してみなければならないが、少なくとも手がかりを掴んだこの好機に唯々感謝する。


「……少しは力になれたかしら?」

「…………はい。ありがとうございました」


 上の空でそう返しつつ机の上の本を見下ろす。

 長編が四つ。時間は掛かるだろう。けれど時間を掛けるだけの理由はあるはずだ。


「そのうち見解を聞かせてね」

「もちろんです」


 先達の大きな助言に頭を下げて返して、それから図書室を後にする。

 またやることが増えた。けれどこれは実感できる確かな前進だ。何より今までのように雲を掴むような話ではなくなるはず。

 可能な限り平坦な情報として認識して、武器として振り翳す。やる事は今までと変わらない。

 同時にもっと必要なものもあるはずだ。

 そこに至って、どう足を掛けようかと少し悩む。

 アンネ……では難しいか。どちらかと言えばレベッカやマルクスの類の話。

 この世界を読み解くための情報を。そのための人脈を。

 幾つもの目的を妖精の国と言う結論に結び付けて前に進み出す。


「クラウス、知った真実に押し潰されないでよ?」

「大丈夫です。そうならないためにわたし達がいるんですから」

「あぁ、期待してるよ、二人とも」


 笑顔で答えて眼鏡を押し上げる。

 さて、やる事は山積みだ。ただクラウス自身の為に、欠けたこの世界へのお節介を焼くとしよう。




 それからの日々は学業と委員会の仕事、そしてクラウス個人の諸々の調査の日々だった。

 季節は秋に入り学院の雰囲気が緩やかになる時節。少しだけ緩んだ気分は非日常を欲して理性の箍が僅かに緩み、小さな問題を引き起こす。そこに噂程度に流した妖精変調の真実が重なって、学院内は一時期煩いほどの音に埋もれていた。

 やがて雲を掴むような空想は現実的な目の前に焦点を結ばせ、言葉にするのも憚られる空気を作り出す。

 時折、クラウスのように自主的に解決策を模索してみたり、今後について深く話し合っていたりというところを見かける事はあったが、流石は唯一の国立の学び舎。ある程度妖精に精通した者たちが集うこの教育機関では目に見えるほどの問題は起きず、混乱は噂程度に治まったようだった。

 当初の想像とは違うが方向性は平穏だ。このまま特に何も起こらず早くローザリンデの術式が出来上がる事を願うばかりだ。

 そんな風に委員会の仕事には余り時間を割かずにいられたクラウスだが、逆にイェニー女史から貰った助言を元に始めた調べ物はなかなか難航していた。

 特に名前は聞いた事はあったが読んだことのなかった本、『ユオン・ド・ボルドー』においては前知識殆ど無しの初見での読み込み。一度読んだことのある他の話とは違い、初めて読むものは物語を追いながら情報を頭に詰め込んでいく作業だ。

 『ユオン・ド・ボルドー』は簡単に言えば『ニーベルングの指環』と同じ物語性の強い読み物だ。登場人物がいて、彼らが紡ぐ話があって……。そうなれば登場人物だけを追うのでは情報としては些か正確性に欠ける。話と平行しての自己解釈が必要になるのだ。

 クラウスは背景と理由無しには物事を判断できない難儀な正確。そんないつもの性分に従って読み解く故に、普通に読む時よりも沢山の時間を要していた。

 それからイェニー女史が語った、物語の関連性。

 妖精の国の存在。その中核の一つであるオーベロンやタイターニアの根幹に関わる情報。『ニーベルングの指環』に眠る事実。それを読み解く為には彼女は幾つもの話を渡り歩けとも言い、そしてエルフの系譜も妖精の国には関係があるとさえ断言した。

 そう簡単に答えを口にしないのはクラウスなりの見解と答えを聞きたいからか。それとも彼女自身の論に何かしらの根拠が足らず、人に話せるような想像では無いということか。

 どちらにせよ他人の意見はどちらにも転ぶ要素がある。聞かなければ判断は出来ないが、今のクラウスには懇願してまで必要とする情報には思えない。

 それよりもまず、クラウスの見解を纏める事に意義があると思うのだ。


「あーっ、もう! ややこしいっ。何でこう人間の書く話はこんなに登場人物が多いのよっ。名前覚えるだけで精一杯じゃない!」


 今日は休日で普通なら友人と秋空の下、外へ足を運ぶのだろう綺麗な青空だ。しかしクラウスは相変わらず不健康に、窓から差し込む陽光が本に当たらないように注意しながら黙々と件の物語を読み漁っていた。

 そんなクラウスの調べ物に付き合ってくれているアルとフィーナ。

 フィーナはよく唸り声を上げて頭を悩ませているようだが、契約の恩恵かアルほど癇癪を起こすことなく彼女なりの理解を示そうと努力している。どちらかと言えば、静かな彼女の方が相棒としては頼り甲斐があるかもしれないといらぬ評価を下しつつ、先程大声を上げたアルへ視線を向ける。

 彼女は誰とも契約をしていないが為に、その恩恵に(あやか)れない。例えクォーターで人間の血を持つとしても、大半が妖精である彼女には人間の言葉は理解するのだけでも大変な苦労のはずだ。

 そんな彼女はどんな心情の表れが結実を齎したのかまでは分からないが、今までの野良での生活の中で、簡単な人間の言葉を読むことが出来るようになったらしい。まぁ、勉強すれば人間も現代の妖精語は読むことができる。意味はそれと変わらないはずだが、彼女には教えてくれる先達が殆どいなかったのだろう。

 初めの頃は町角の子供の方が言葉を知っているほどだったが、読み進めていくうちに驚くほどの吸収率でクラウスから言葉を学び、いつからか彼女の隣には本よりも分厚い辞書が居座っていた。アルも随分と頑固で、そして隣で本と格闘する白銀の妖精に負けず劣らず向上心の強い少女だ。

 本当ならばアルもフィーナも実際に読まなくたって構わない。クラウスが要約して口頭で伝えればそれで事足りてしまう。

 けれどそれでも名乗りを上げて首を突っ込んだのは、(ひとえ)にクラウスの負担を減らすためか。

 ただ単に娯楽に飢えて話の内容が気になっただけと言うことも無きにしも非ずだが……。


「大規模な英雄譚は群像劇と紙一重だからね。無理はしないように」

「一度始めた事を投げ出せるほどあたしは無責任では無いわよ。誰かさんに似てね」


 クラウスの声に天井を仰ぎながら僅かばかりの休憩を挟んで告げるアルは、それから一つ自分の頬を叩いて再び手元の本へと視線を落とす。

 彼女がやる気なのだからこれ以上は言うまい。とりあえずクラウスの方で一区切りついたら飲み物でも用意して少し休憩を挟むとしよう。根を詰めすぎても仕方ないだろう。

 秋といえどまだまだ暑く感じる外の景色を窺えば、青い帆布(はんぷ)の一番高いところに煌々と輝く発光体が届こうとしていた。

 休憩と言うよりは昼飯時か。今日は何を作ろうか。

 他愛なくそんな事を考えながら文字の上を視線が滑って章の区切りを見つける。……よし、朝はここまでだ。

 栞を挟んでぱたんと本を閉じれば、フィーナが驚いたように肩を揺らしてこちらを見た。そんなに集中していたなら少し悪い事をしたか。

 どこか責める様な彼女の瞳に謝りつつ昼食の準備を始める。いつものように調理を始めれば何故か二人してこちらを見つめてきた。


「……どうかした?」

「クラウスさんって何でもないような顔をして色々やってますけど、それってすごいことですよね……」

「……何の事?」

「あたしたちはクラウスみたいにはなれないって事」


 フィーナの言葉の意味が分からず聞き返すとアルが何かを諦めたように嘆息気味に零した。

 ……どうにも要領の得ない二人の言葉だが、何かクラウスに感じる事があったのだろうか。特に変わった事をしているつもりは無いのだが。


「……何でもないわ。今日も美味しいご飯期待してるから」 


 クラウスの浮かべた疑問の瞳にアルは呆れたように溜息を吐いて告げる。

 一体何だったのだろうか。妖精独自の、はたまた異性としての価値観だろうか。

 流石のクラウスも思い当たる節がなければ理解が出来ない。

 料理しながら少しばかり悩んでみたがやはりどうにもならなかった。

 そうこうしているとおかずが出来上がる。皿に盛り付けて机に並べれば、今度はそれを見たフィーナが呆気に取られたように溜息を零した。


「……いえ、何でもないです。気にしないでください」


 クラウスが問い掛けるより先にフィーナは先回りして答える。うん、だから何が?

 知らない話題で会話されて蚊帳の外。妖精二人して顔を見合わせてクラウスを埒外に放り込むような反応。

 少しばかり疑念が募った昼食は、けれどいつも通り美味しくできた味付けで溜飲が下がった。対してやはりと言うべきか二人の表情は何故か険しくなったけれど。

 そんな風に昼を過ごして食後の休憩を取っていると部屋の扉が叩かれた。またテオが昼食を集りに来たのならどうしようかと、片付けの終わった食器をちらりと見つつ扉を開く。するとそこにいたのは黒い制服に身を包んだヴォルフ。


「どうしたんですか?」

「グライド少佐からの召致だ。今から出られるか?」

「……分かりました。直ぐに準備するので少し待ってください」


 緩んでいた思考がヴォルフの言葉で直ぐに引き締められる。彼の声が聞こえたか、部屋に戻ればフィーナとアルが手分けして本を片付けてくれていた。

 クラウスも掛けていた服を取り出すと着替えて身形を正す。

 予告なしの公式の呼び出し。一体何があったのだろうかと想像を巡らせる。

 クラウスの知る限り、特に委員会が絡んでいる事と言えば妖精変調が筆頭だろう。妖精に関するところで何か起きたということだろうか。

 何にせよ、行ってみれば分かること。本を読むために人化を使っていた二人が妖精の姿に戻ってクラウスの肩と頭に乗る。どうでもいいが二人いるなら納まりがいいように位置取りをしたらどうなのだろうか。もしクラウスが格好悪く見えたら彼女達のせいだ。

 部屋の鍵をしっかりと閉めて外へと向かうとヴォルフとテオに加えニーナもいた。


「揃ったわね。急ぐわよ」


 クラウスが来るや否や短くそう告げて走り出すニーナ。ユーリアの姿が見えない。と言う事は一足先に向かったのだろう。

 ユーリアまで動いているという事はそれほど逼迫(ひっぱく)した状況と見るのが妥当だ。

 既に切り替わった思考が目的地へ向かいながら情報を求める。


「何があったんですか?」

「……それがあたしにもよくわかんないんだけど。どうやら城内で何か問題が起きたらしいの」

「城内で……? 妖精変調関連ですか?」

「だと思う」


 続いたテオの言葉に頷くニーナ。

 ブランデンブルク城近辺には大規模な結界が張ってある。外からの不法侵入の対策と、野良の妖精が入り込んで悪戯をしない為のものだ。そのため妖精変調の影響が出ているはずの野良の妖精は城内には入れないはず。もちろん他に影響が出ている事を上が隠している可能性もあるかもしれないが……。

 それにクラウス達が呼ばれているという事は、やはり話は妖精変調のことだろう。それ以外なら国軍が解決しているはず。

 ならば、城内での騒動とは一体何事だろうか?

 逸る気持ちが胸を突き足を前へと走らせる。


「聞くより見た方が早そうですねっ」


 言って走る速さをまた一つ上げる。

 視界の端に見える町の様子はいつもと変わらない。まだ城内で騒動は治まっているということだろう。

 ならばこれ以上被害が拡大しないうちに解決するのがいいだろう。

 そうしてクラウス達はブランデンブルク城に向けて駆けたのだった。

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