第二章
「ぅえっ、何これ…………」
クラウス達がブランデンブルクへ辿り着くのと同時、隣に立ったニーナが呻くように小さく零した。
確かに言いたくなる気持ちは分かる。けれど言葉にしないのが情けではなかろうか。
覚悟を固めて一歩を踏み出す。
城内に足を踏み入れるとそこは軽い地獄のようだった。
右の方では半狂乱した妖精騎士が腰に差した剣を抜き放ち、近くの大木に奇声を発しながら刃を叩きつけ。その木の裏で酒に酔った騎士が木の幹に頬擦りをしながら愛の言葉を囁いていた。
左の方で騎乗用の幻想生物に金銭の説教をしているのはいい方かもしれない。酷い者は近くにある小屋に自分から頭をぶつけて尻餅を突いては、壁を指差し大口を開けて哄笑。
その他にも偉そうな甲冑を着た人物が新人だろう騎士に酌をしていたり、何やら奇妙な踊りをしていたりと宴会と言うには些か無秩序な光景が広がっていた。
一体何が起きているのか。目にしても理解でのきない景色に頭が痛くなるような思いをしていると,
視界の先からユーリアが走ってきた。
「これは一体どうなってんだ?」
「……私も詳しくは把握してないんですけど、何やら集団でおかしくなってるみたいで」
「ユーリア、とりあえず城に」
「そうね。案内します。着いて来て下さい」
テオの率直な疑問に答えるユーリア。そんなユーリアの横からリーザが辺りを見回しながら口を挟む。やはり妖精の目から見てもこの景色は異常なのだろう。それから、彼女が気にしているという事はやはり妖精絡みだろうか?
そんな事を考えながら頭は情報を咀嚼する。
城の中まではまだ影響は出ていないということか。これが本当に妖精変調に関係することなのかと自問自答を重ねながらユーリアに着いて行く。
そうして通されたのは城の一室。簡単な会議用の部屋なのか意外と豪奢な椅子に丸い机。簡素ながらもところどころに趣向の凝らした彫が入れてある部屋だった。
ユーリアがカイを呼びに出て行きしばらく待つと、硬い表情をしたカイと一緒に戻ってきた。
外があんな感じだ。対応に困るのも無理は無いだろう。
カイの苦労を察しつつ席に着いて話し始める。
「社交辞令はいい。今回は君たちの意見を聞きたくてな」
「何があったんですか?」
堅苦しい挨拶を一言で跳ね除けてニーナの言葉に頷くと静かに話し始める。
「原因は調査中だが、どうやら騎士達がある種の幻覚を見ているらしい」
「妖精に関わるところですか?」
「見立てでは妖精術のような何かで体内の回路が乱されているらしい。簡単に言えば集団で幻術に掛かっているということだ」
「外からの攻撃?」
「いや、今のところそんな兆候は無い。こうなった始まりも不可解でな。訓練をしていたらいきなり何もないところで一人二人と錯乱し始めたと聞いている」
「……被害はどの辺りまで?」
「まだ騎士が十数人止まりだ。妖精騎士ばかりに症状が出ていて妖精の見えない者たちには何の影響も見られない」
ヴォルフ、ニーナ、クラウスの矢継ぎ早な疑問に答えるカイ。クラウスの頭は得た情報を咀嚼して現状の把握に努める。
まず妖精絡みなのは確かだ。妖精の見えない者に影響が出ていないという事からもそれは明白。
例えば妖精術の幻術だとして、その効果は妖精力を持つ者にしか効果は無い。戦争への対策として国では妖精騎士の他に一般の兵も育てている。その者たちに影響がないという事はそういうことだ。
では事の起こりから裏を返そう。まずは結界だ。
ブランデンブルク城には大規模な結界が張られている。これには人や妖精の出入りの管理から外からの妖精力や妖精術の干渉を遮る効果がある。先の大戦で取られた国の中枢を守る手段の名残だ。
独りでに、そしてほぼ同時期に複数人が錯乱状態に陥ったと言うのであれば、近距離からの干渉では無いはずだ。例えば結界術式や儀式術式。広範囲に一斉に効果を及ぼす術式ならばその穴を突ける。
「その時間、大規模な妖精術を使った人はいませんか? 例えば結界や儀式術式などの」
「その規模のものは城内では使用禁止だ。もし使用すれば城に張った結界が膨大な妖精力を感知しているはずだ」
カイの言葉に推論が可能性を否定される。いや、推論と言うよりはその可能性の否定を肯定してもらったというべきか。
それに今の言葉で増えた情報もある。現状も城を覆う結界は機能しているということだ。
妖精に関する何かしらの干渉で幻覚を見ていて、それは結界に感知されない話。
どうすればそんなことが出来るのかと真正面から考えれば、きっと泥沼に嵌って思考が止まってしまうはずだ。だが、理由を棚上げできる捜査の目的を作り出す事は直ぐにできる。偶然か目の前にびっくり箱が存在するのだ。
「……ではやはり妖精変調か」
「わたし達もその方面で調査を進めている。現在は影響の出ている妖精騎士の契約妖精に当たっている所だ」
公的機関は動くのに理由が要る。クラウス個人も理由無しには動けない性格だが、それは不安なだけで、不自由の言い訳ではない。けれどカイたちは理由が無ければしたくでも出来ないのだ。
その理由に、とりあえず目ぼしいところである妖精変調を当て嵌めてどうにか解決に導こうという算段らしい。
となるとクラウス達に期待しているのはそれ以外の可能性。そして妖精変調が齎すだろう可能性だろうか。
「妖精変調については何か新しい事は分かりましたか?」
「……今のところ特には。対抗策もまだ打てていない状況だ。何せ前例の無い事だからな。対処が慎重になるのは仕方ない」
苦々しく呟くカイ。公的機関も大変だなどと他人事に考えながら、頭は可能性を列挙しては否定を繰り返す。
妖精術は万能では無い。確かに想像して過程を踏めば理想を形にする事は出来るだろう。けれど妖精力を使う以上その痕跡は消す事は出来ないし、世界の法則に逆らって死んだ生物を生き返らせることも出来ない。
妖精力は想像するだけ可能性はあるが、到達できる地点は限られているのだ。幾ら妖精力の扱いに長けた妖精でも、何の痕跡もなく今回のような大規模な事はほぼ不可能だろう。
一応無きにしも非ずの可能性としては、妖精変調後の妖精の本質への変化を果たした妖精たちが関わっているということだろうか。まだまだ未開の存在である妖精の本質は人間の想像を超えても不思議ではない。それでもやはり、そこに妖精力が絡む以上結界が機能しているうちは妖精力、妖精術の範疇では無いのだろう。
では幻想生物などの種特有の異能ならばどうだろうか。妖精力でも妖精術でもなくその種に宿る先天的な特性。それならば結界の網を潜り抜けて影響を及ぼす事は可能だ。
外からの干渉が出来ない以上可能性は結界の内側……軍に使役されている幻想生物たちになるだろうか。
クラウスがその考えに至るのと同時、ニーナが先に言葉にする。
「幻想生物はどうですか?」
彼女の言葉にカイがちらりとヘルフリートの方を見て答える。
「……幻想生物が幻覚を見せたという前例は無い。無いからといって頭から否定するわけではないが、見立ては体内の妖精力が乱された事による錯乱現象だ。妖精力に干渉するには妖精力。その論を元に考えれば、幻想生物の異能の中には妖精に関わる何かしらが付随する事になる。ならばやはり、結界が反応しているだろうし、これまで異能を借りてきたわたし達に影響が出ていない以上その線は薄いだろう」
確かにそうだ。
もしニーナやカイの言う通り幻想生物の異能によるものだとすれば、そこには妖精力が絡んでくるはず。そうなれば先の大戦でよく見られたように、幻想生物の異能……例えばドラゴンの息吹といった攻撃性の物と他の妖精術がぶつかった際に、互いに干渉して被害の規模が変わっていたはずだ。そんな結果は現在見つかっていないし、幻想生物が妖精力を持たない事は周知の事実だ。
ヘルフリートと言う存在がいる以上、幾ら理由を並べても完全に否定する事は出来ないだろうが、少なくとも軍で使役している幻想生物たちに妖精力を持つ個体はいないはず。
ならばそこから派生した別の可能性。妖精力で無いなら妖精力に干渉できる別の異能──精霊力。
「では精霊力……エルフの御技はどうですか? 尤も誰がしたかと言う問題にはなりますが」
「ふむ……その可能性は考えてなかったな。けれどその可能性は無い。今、軍にエルフの血を持つ人材はいないのだ」
これでまた一つ。他の可能性は潰れたか。
順調に他の道を否定しつつ結論への逃げ道を無くして行く。
エルフの軍人。少し前まではニーナだとか、先の大戦まで遡るならエルゼだとか。クラウスの周りでも大きな名前のエルフはいる。
精霊力は妖精力ともある程度相性がよく、戦争では数が少ない故に重宝したそうだが、表立った戦の無い現在ではその必要性も無いという事だろう。武力として必要とされていないのならば、世界の為にもいい事なのだろうが。
何にせよ今のブランデンブルク国内にはエルフの従軍者はいないという事。彼の言葉を信じるのなら、ハーフエルフも存在しない。
結界も万能では無いが大戦の折に使われたものだ。外からの精霊術にもある程度は対策を施しているはず。特に広範囲の術式はそれ一つで選曲を変えてしまう。対策を取っていないという可能性の方がまずないだろう。
内側からの干渉と限られる以上、中に居ないのであればこの可能性も無いのだろう。
「……となるともう残ってるのは妖精変調、よね?」
「これだけ可能性を列挙してそれが違うと言われましたからね。少なくとも何かしらの影響はあるはずです」
流石のクラウスでもこれ以上の否定は難しい。と言うより早くそこに理由を丸投げして裏付けを調べたい。
調べれば例え当初の見当と違っていても理由は見えて来るはずだ。
何よりも迅速に解決するために。目の前に転がったびっくり箱にようやく手を伸ばす。
「……分かった。その線で調べてみよう。他言は厳禁だが、君たちの力も借りたい。城内がこんな様子では人手が貴重だからな。とりあえず今日はここまでだ。君たちに何かあってはわたしの責任だ。彼らのようになる前に早くここを離れた方がいい」
「分かりました」
頷いて席を立つ。一応の見送りにカイがつくその道中で、不意にユーリアが問う。
「今後軍の事はどうなると思いますか?」
「今はまだ何とも言えん。だが追って連絡が行くはずだ」
彼女は軍属だ。流石にこの状況で手を拱いているわけにはいかないだろう。ユーリアも今まで以上に借り出されるはずだ。
「……だとしたら私を使ってください。委員会との橋渡しにはなるはずです」
「ユーリア、無茶は駄目だよ」
「分かってる。でも出来る事を見ない振りで遠ざけるのは、後悔になるから」
強いユーリアの言葉に頷いて了承する。彼女は芯が強い。こうなったらきっと言葉を曲げないはずだ。ならばクラウス達に出来るのは彼女に無駄な仕事をさせないこと。
下手に傾けば国を揺るがす一大事だ。慎重に堅実に。持てる力を最大限に活用して力になるとしよう。
「そう言ってもらえると助かる。出来るだけそちらの都合を融通するから何かあれば遠慮なく言ってくれ」
「分かりました」
とりあえずの行動方針を固めてクラウス達はブランデンブルク城を後にする。どうやらユーリアはまだ国軍としての仕事があるらしくしばらく城に残るそうだ。
危険な事にならなければいいと切に願いつつ彼女の見送りに踵を返す。
ニーナ達が歩き出すのとほぼ同時、クラウスの耳元でフィーナが囁く。
「クラウスさん……」
「うん?」
「リーザさんが」
言ってそちらに視線を向けるとリーザが手を合わせて片目を瞑っていた。どうやら少し時間が欲しいらしい。
ユーリアの方を窺えば彼女は小さく頷く。何かの伝言だろうか?
「クラウス君? どうしたの?」
「……先輩は先に帰っていてください。お手洗いをお借りしてから一人で帰りますので」
「そう、分かった」
クラウスが立ち止まった事に気がついたニーナが声を掛けて来る。適当な理由を提示して別れるとユーリアについて城内を歩く。
青い芝生を踏みしめて城内の影に向かうとユーリアが足を止める。それから少し周りを気にした彼女はゆっくりと話し始めた。
「……アンネの事、なんだけど」
「あぁ、うん。今ここに?」
「いや、来てないと思う。ヴァレッターはヒルデベルト陛下の直属だから。あの人の周りで何か起きない限り大きな仕事は無いと思う」
「……なるほど。となるとユーリアの言いたい事は、これからこの件にアンネを巻き込まないで欲しいってところかな」
思考を先へと伸ばして着地地点を推測するとユーリアは静かに頷いた。
彼女の危惧は尤もだ。元々アンネはそこまで戦闘に秀でているわけではない。特に地形や環境に左右されやすい地の属性を持ち、彼女自信も優しい性格をしているのだ。進んで争いごとに首を突っ込むほど血気盛んではない。
それでもクラウスと軽口を叩き合うときの彼女は随分と獰猛な気もするが。
「今回のは流石に危険だから。何が起こるかわからないし、もしもの時に守れないのは嫌だから……」
聞いているこちらが安心するほどの親友思い。
彼女達の関係も随分元に戻ったと肩の荷を降ろしながら視点を目の前に合わせる
「で、それを僕に話したって事はアンネさんを止める役目をやって欲しいって事でいいのかな」
「…………何も言い出さなければそれでいいのよ。でもアンネは無駄に責任感強いから……」
「分かったよ。気に掛けておく」
ユーリアの言葉に頷いて笑うと彼女は申し訳なさそうに小さく零した。
「クラウスだって大変なのに、迷惑掛けてごめん」
「迷惑だなんて思わないよ。アンネさんの身に何かあったら僕も悲しいしね」
最後の方いつものようにおどけて言うとユーリアは呆れたように溜息を吐いてくれた。ユーリアもいつも通りで安心した。
「それじゃあ先に帰るよ。ユーリアも十分に気を付けてね。無理はしないように」
「さっきも聞いた」
面倒臭そうに答えて背を向けた彼女は静かに城内へと歩き出す。
そんなユーリアに小さく笑ってクラウスもようやく城を出る。
城門を出たところで振り返ってその景色を再認識する。
変わらない狂乱の光景は耳に入ってくる呻き声や奇声だけで頭が痛くなるほどに凄烈で、視線を背けたくなるほどの嫌悪感に襲われる。
けれどここにも何かの情報が転がっている可能性もあるのだ。
景色を音の無い映像とだけ記憶して冷静に情報としてのみ処理する。
「クラウスさん、どうかしましたか?」
「……いや、この光景だけでもしっかり覚えておこうと思って」
「クラウスのそういう感情を捨てられるところ、あたしは嫌いじゃないわよ」
アルから追い討ちのような褒め言葉を貰ってようやくその場を離れる。
とりあえずは帰って情報を整理しよう。その上で原因と解決策の検討だ。なに、いつもとやる事は変わらない。地道に冷静に、クラウスはクラウスに出来る事をするだけだ。
ただいつも通りにそう判断して歩き出す。
行きは走ってきた城までの道程をゆっくりと歩きながら町の景色を情報として取り込む。
少し長く城内にいたが、どうやらその間に変わった事はなかったようだ。まだ城内の事は街では噂にはなっていないらしく、聞こえて来る声も日常そのもの。
可能なことならこのまま秘密裏に解決できればいいのだが、さて今後どんな風に事態は転ぶだろうか。
カイがクラウス達を呼んだのは彼なりの考察の裏付けと別の可能性の模索。そしてカイに何かあったときのための予防策だろう。
その上でクラウス達は学院で配慮もしなければならない。国立と言うのは言葉以上に国に依存している。国もフィーレスト学院が被害を被るのは避けたいのだろう。役人らしい遠回りな仕事だ。
そんな事を考えながら妖精二人と道を歩いて、気がつけば寮の近くまで戻ってきていた。
「クラウスさん、特に外への用とかは無かったんですか?」
「……うん。次町に出る予定までの買い物は済ませてあるしね。それともフィーナは何かあった?」
「……少しだけお腹は空きました」
「そういえば今日は間食してなかったね」
フィーナの中では既にそれも日常の一つらしい。機嫌を損ねると後で大変なのはこちらだ。素直に何か貢ぐとしよう。
何があったかと脳内を旅すれば、視界の先に見慣れた顔を見つける。彼女は待ち呆けするように足元を見つめて寮の壁に寄りかかっていた。
近づいて声を掛ける。
「どうしたの、アンネさん。誰か待ち人?」
「おわっ、びっくりした…………」
クラウスの声に驚いたか、肩をびくりと震わせて視線を上げたアンネは水色の瞳を少しだけ大きく開く。
「何だ、クラウス君か」
「誰だと思ったのさ」
「……待ってたの、少し話がしたくて」
居住まいを正した彼女は静かにそう言ってクラウスを射抜く。
どうやらユーリアの勘は見過ごせない域に達しているらしい。軽く超常現象だ。
先程託された思いを引っ張り出して軽く恐れを抱きながら笑顔で答える。
「外じゃ寒いでしょ。少しくらいならおもてなしするよ」
「……うん」
短い返答、続かなかった軽口に少しだけ珍しく思いながら一緒にクラウスの部屋に向かう。
そう言えばアンネが一人で来るのは初めてか。いつもはユーリアが一緒にいたし、ヴァレッターの事を隠していたこともあって会う時は大抵校内で人目のつかない場所だった。
クラウスの個人的な空間に、一時とは言え甘い時間を過ごした異性を連れ込むというのは流石に気持ちの整理が必要だ。
そんなクラウスの気持ちに気付いているのかいないのか、後ろを付いて来る彼女はずっと下を向いたまま何事かを思案するように黙ったまま。どうやら今日はそういう気分では無いらしい。
クラウスにもやるべき事はあるか。ならば浮かれるのはもうやめよう。
呼吸一つ。それから胸の内に蟠った邪念を全て吐き出して扉を開ける。
「とりあえず座って。飲み物直ぐ出すから」
「ありがとう」
不気味なほど静かなのは嵐の前触れか。彼女も自分が何を言おうとしているのか、どんな答えが返るのかをある程度想像しているが故の沈黙なのだろう。答えが分かっていてそれでも食い下がろうとするのは、言葉にされるまで引き下がりたくないからだろうか。
そんな事を考えつつ飲み物と、それからフィーナの希望も叶えるためにお菓子を用意して。机に並べるとアンネの正面に腰を下ろして尋ねる。
「……で、今日はどうしたの?」
「………………率直に、聞いていい?」
「何?」
「私がいなくなったら、クラウス君は困る?」
「全然?」
発した雰囲気がいつものような冗談を欲していないことが分かってクラウスも真っ直ぐに答える。
飾らない言葉にアンネは寂しそうな笑顔を浮かべる。
言葉は本当だ。既にアンネがいなくてもその役割は別の人物で補える。必要なら一から探せばいい。幸い候補はいるのだ。
けれど言葉の意味とは別に、クラウス個人の感情としてはアンネは唯一無二だ。
「……ただ、アンネさんが今の居場所を望むなら僕から言う事は何も無いし、どちらかと言えばやりやすくて助かってるよ」
喉を通った熱が体を内側から燃やして罪悪の炎を滾らせる。
アンネにとって今の言葉はどう聞こえただろうか? いつも通りの非情? それとも言葉以上の信頼?
言葉にしたクラウスにもその真偽は難しい。アンネとの関係は不安定だからこそ意味を成すものだ。だからそこに確たる意志も理由も必要ない。使えるか使えないか。極論二択だ。
「だからアンネさんの意見は尊重するべきだと僕は思う。もちろんそれがアンネさん個人のことだけなら、ね」
先に釘を刺すように告げればアンネは分かりやすく拗ねて視線を逸らした。
「僕のためや、ユーリアのために何かをしてくれようと思うのは素直にありがたいと思うよ。けれどそれでアンネさん自身が不満や業を背負うのであれば僕はそれを止めたい。何よりもその体はアンネさんのもので……君はもっと自分を大切にするべきだ」
「知ってるよ、言われなくても!」
まるで子供の癇癪のように。肩を怒らせた彼女は辛そうに叫んで唇を噛み締める。
「でも私馬鹿だから。自分がどこにいるのか分からなくなるのが怖いからっ。誰かに繋がってないと不安で仕方ないの! 依存だとか傾倒だとかそんな言葉で括らないでよ。私は私なりに悩んで私のために生きてる! なのにそれを自己犠牲だなんて……あんまりだよ…………」
彼女の他人への執着は異常だ。
それはきっと一人でいることが耐えられないから──目の前の誰かを一人にするのが怖いから。
彼女の自己犠牲は他者への優しさと表裏一体だ。
「それに、そんなのクラウス君に言われたくない…………」
反撃の矛は、けれど鞘に収まったままで意味を成さない。
「でもやっぱり、嫌われるのは嫌だから、私は吐き出した癇癪を飲み込んでまた自己犠牲に走るよ」
「その道が更にアンネさんの身を蝕むとしても?」
「だってそれしか、私にはないから」
諦めたように嘲るように笑って告げるアンネ。
そこにはもう、彼女だけでは抱えきれない感情の波が溢れていた。
「だから私を好きに使ってよ。どんな汚れ役だってするから。クラウスの為だったら何だってするからっ。だから私に迷わないで済む道標を与えてよ!」
言葉に嘘は無いのだろう。
だからこそ、クラウスには何も言えなくなる。言ってしまえば、彼女はそれを成し遂げようとするから。本当の意味でクラウスに恋をしてしまうから。
恋や愛の意味を理解できない彼女が、恋に恋焦がれる彼女が。恋や愛の意味を知って、埋まらないその欲求を際限なく求めて自己犠牲を振り翳してしまうから。
「僕はそういうアンネさんが嫌いだよ」
「知ってる」
そうしてようやくいつもの挑発的な笑みを浮かべたアンネは、その瞳の奥に強い依存心を灯してクラウスを見つめる。
こんなアンネを止めろだなんてユーリアも無茶を言ってくれる。親友の事なんだから貴女が一番分かってるだろうに。お願いだから早いところクラウスを便利屋から外して欲しい。
「……だったら一つ頼み事をしていい?」
「…………うん、いいよ?」
今の間は一体何を飲み込んだのだろうか。アンネも大概察しのいい方だ。恐らくクラウスの頼もうとしていることが直接ユーリアに関係しない事だと気付いたのだろう。その上での沈黙と言うなら今回ばかりはアンネに振り回されても文句は言えない。
アンネに言葉を向けつつ机においてある白い紙に文字を綴っていく。
「オーベロンとタイターニア。それから妖精の国について。分かるところまででいいから纏めて僕のところに持ってきてくれる?」
「今までやってきて気付いたんだけど、私調べものって一番苦手な分野なんだよね……いや、やるけど」
「僕が知ってる限りで助力はするから」
「そんなことしてる暇あるの? 妖精変調に関する委員会の公的な仕事。妖精の国や妖精についての考察。それからアスタロス王妃殿下のお手伝い……。その上また別の何かに首を突っ込んで、それさえも利用して野望を実現させようとしてる」
補足でエルフ関連の事も、だ。とは言えヴァレッター経由の情報か。彼女も情報を得る柱の一つになり得るか……。
それだけの事を知っていて、アンネはけれどクラウスの顔を立てて飲み込んでくれたのだ。と言う事は彼女はアンネを止める事がユーリアの差し金だと気付いている……? いや、そっちはどうでもいいか。ユーリアとの約束は結果だけがあれば過程はどうとでも繕える。
「どれか一つでも破綻したら危ないんじゃないの?」
「優先順位はしっかりと理解してるし無理なら切り捨ててる。後一つくらいなら同時にこなせる余裕は持ってるつもり」
「余裕があるからって無理はしないでっ。私だってクラウスのこと大切に思ってるんだから」
彼女の言葉の端を探りつつ笑顔を浮かべる。
私だって。だって、と言う事は他にもいるということだろうか。それともクラウスの心配に対抗してのものだろうか。前者なら心当たりが無きにしも非ずだが、さてどうなのだろうか……。
と、不必要な勘繰りをしつつ書き終えた紙をアンネへ手渡す。
「とりあえずこの辺りかな。多分図書室で全部借りられると思うよ」
「……分厚い歴史書とかだったらクラウス君を小突く武器になるかな」
「気になったことがあったらいつでも声掛けて。疑問が解消できるように別の文献を教えるから」
物騒な発言を真っ直ぐに受け止めて返すと、アンネは恨めしそうな瞳でクラウスを見つめてくれた。そんな目をしたってクラウスの同情が買えるわけでは無いだろうに。
「クラウスさん、お腹が空きました」
と、そんな事を思っていると隣からフィーナからの小さな抗議が入って来る。さっき焼き菓子を出したはずだが……もう食べ終わったのか。
「僕のがあるからそれ食べていいよ」
「やった」
一人我が道を行くフィーナに張り詰めた空気を壊されながらクラウスも椅子から立ち上がる。
「外まで送るよ」
アルとフィーナに留守番を任せてアンネと二人寮の外へ出る。少しだけ天頂から傾いた陽は、暖かい日差しを大地に降り注いでいた。
個人的に秋はそこまで温度も高くなく過ごしやすい気候だと思う。樹木の葉も鮮やかに色付くし、実りも多い。幾つか祭りごともあるし、賑やかで豊かな時節だ。時が過ぎるにつれて冬が近付き段々と寒くはなっていくが、景色の変化も気にしてみれば面白いのだろう。流石にそこまで余裕を振り回している時間はクラウスには無いだろうが……。
学院の周辺でも段々と秋色めいてきて、幾つかの木々は既に葉の色を完全に変えてしまったものもあるようだ。
美しい景色だからこそ短いのかと感慨に耽りつつ校門に辿り着くと足を止める。
「……分かっててもここまでって言うのはなんか寂しいな」
「僕は早く寮に戻りたいけどね」
雰囲気を台無しにするように言えば、アンネは溜息を吐いてこちらへと振り返った。
「じゃ、また学院で」
「それじゃあ」
寂しそうに笑ったアンネは何か大切なものを仕舞うように胸の前で拳を作って踵を返す。彼女の背中が見えなくなってから、ようやくクラウスも寮へと歩き出す。
こんな事なら最初からアンネを候補にしておけば良かったと。恐らくクラウスの計画中最大の失敗を嘆いて溜息を落とす。
そんな小さな落胆は、吹いた秋風に攫われて宙に溶けていった。
頭の痛くなるような休日を終えて。日常の空気は目の前に迫りつつある大きな祭典……ハロウィンとサウィンへと色を変えていく。
ハロウィンは秋の収穫を祝い悪霊や死者の魂を追い払い厄を除け、妖精や精霊に感謝し崇める祭りだ。
有害なものからは仮面を被って身を守り、仮装した人間を悪霊に見立ててやってきた厄に帰ってもらうためにお菓子を配る。
仮面は言わずもがな仮装で、御伽噺の中に出て来る人ならざる者の姿に似せる事で厄除けの意味合いを強める。また人間が悪霊に姿を似せる事で死者や悪霊の目を誤魔化し、憑りつかれたり厄を外から招き入れないようにという意味もある。子供は純粋で感受性が高い故に、そういった影響を受けやすいと昔の人が考えた名残だろう。
お菓子をあげる理由としては幾つか存在するが、クラウスが一番納得しているのはお供え物としての意味合いだ。
学院祭のときに行ったボーンファイヤー。実際には五つ目の月に催される祭礼日のベルティネで行われる炎への感謝の儀式だが、その際にも夏の農作物の豊穣を祈って作物を奉納したりする。
似ているのはその形式だけではなく、その成り立ちや背景もだろう。こういった霊や精に対する感謝の祭日には、人間の住む世界とそれらの住む世界の境界が曖昧になると言われ、だからこそ善霊も悪霊もこちらの世界に来るとされている。
それに対してハロウィンでは魔除けの炎として悪霊を遠ざけ善霊を引き寄せると言われる、南瓜をくりぬいた中に炎を灯すジャック・オー・ランタンなどを作り、悪霊に仮装した人たちにお菓子を振舞って厄を除け、豊穣や平穏などを祈るのだ。
その為に炎の属性を持つ妖精は崇められ、中でもここブランデンブルク王国では前国王であるヘンリック・アヴィオールや英雄的妖精ヘルフリート、そしてユーリアの父親である国軍総隊長のハインツ・クー・シーやその契約妖精が炎の妖精である事から特に大々的に祝われたりする、フェルクレールトと言う世界においてとても有名な祭日だ。
またハロウィンを行う十番目の月の最終日は古い暦で一年の終わりとされていた為に、その年の厄を落とすという意味でも行われていた長い歴史を持つ祭礼日だ。
そしてサウィン。ハロウィンの翌日に催されるこの宴は古い暦で新しい一年の始まりを祝い、冬の到来に明かりを灯す祭日だ。
冬は農作物も収穫できず、日も短い。そう言った幾つもの要因が重なっては暗いといった印象を齎し、厄を誘い込む。
それを避けるために明るく祝い厄難を跳ね除け、家ではかまどで炎を焚いて悪い妖精などが家に入って災禍を齎さない様にと願う。
ハロウィンで厄落としにジャック・オー・ランタンで炎を灯し、その浄化の炎を今度は家に持ち込んで新年の無病息災を祈る。
炎と霊と精が交わる一年で最も不安定にして最も活気のある二日間。
今では子供に限らず家族で仮装をして楽しんだり、悪霊を真似て家を訪ねてはお菓子を貰うと言った、過去の儀式染みたものとは随分と異なる色をした行事だが、それでもこの大地に根付く大きな祭典。
祭り事ならば人の気分は浮き足立ち、空気に乗る雰囲気も陽気になるというものだ。
斯く言うクラウスも幾ら色々な事を背負っているとは言え所作や性格、それからこの身を流れる血を抜きにすれば立派な人間。そこまで構成要素を切り捨てればそれはもはや人間かと言う疑問は置いておいて……。人の世に関わる祝い事なら参加するのが通例で、今年はフィーナやアルもいる。少し視界を広げればユーリアやテオといった友人からニーナ、ヴォルフなどの委員会の面々。友好関係で言えばアンネやマルクスなども一緒になって騒いでも楽しいかもしれない。
幾ら世界が大変な事になりかけているとはいえ、それほどの暇が取れないわけではないはずだ。時間を見つけて細やかでも妖精たちに感謝と、しっかりと厄除けをするとしよう。
そうでなくとも楽しい事には敏感な妖精たちだ。クラウスが言わなくたってどこかで情報を見つけてきて目の前に突き出すだろう事は火を見るよりも明らかだろう。ならば先手を打って少し賑やかになるように事を運ぶとしよう。
努力と娯楽は表裏一体。楽しみたければ少しくらいの労力は厭うべきではないだろう。
というのも昨年はそこまで大々的にハロウィンやサウィンを行っていなかったのだ。
確か国の内部で何やら大きな問題があったらしく、国も援助をするはずの大地へ捧げる祭りはそこまで大きくはならなかったのだ。
その反動か、クラウスの中にも羽を伸ばしたいという感慨が燻っている。それほどに楽しく、そして賑やかな舞台なのだ。
だから今年は大規模に盛大に。自由を楽しめればいいと願うのだ。
静かにそんな事を考えながら学院へと向かえば、やはりと言うべきか少しばかり空気が浮ついていた。
「賑やかですね」
「妖精の世界ではお祭りとかないの?」
「特にそう言ったのは聞いたことがないわね。強いて言うなら毎日がお祭り騒ぎなのかしら」
楽しい事に敏感な妖精らしい。そんな彼女達と一緒にいるからこそクラウスも退屈をしないで済むのだろうか。
「もしかしてお祭りでもあるんですか?」
「ハロウィンとサウィン。昔の暦で旧年の厄落としと新年の繁栄を願った古くより長く続く行事だよ。今では仮装してお菓子を貰ったりする祭日だけどね」
「やる事が少し変わってもそこに込められた思いまでは変わらないでしょ」
「そうだといいけどね」
慣例は長く続けば続くだけそれに向き合う者たちの興味が磨耗する。中には古い言い伝えを信じて取り組む者達も少なからずいるだろう。けれどその殆どは娯楽程度のお祭りにしか思っていないはずだ。
「まぁ何にせよ騒ぐ事で何かの結果を得るのがお祭りなら、僕たちも少しばかり参加するべきだろうね。楽しいだろうし」
「楽しい事はいいことです」
何ともフィーナらしい結論だ。彼女の真っ直ぐな言葉に幾度救われたか分からないと、己の甘さを再認識しながら教室へと踏み入る。
変わらない景色は日常そのもの。早くに来ていた級友と挨拶を交わしながらその視線に混じる違和感に気付く。
そろそろ隠せなくなってきただろうか……。
クラウスはクォーターだ。その身に宿る血が人間のそれとは少しだけ異なる。
クォーターは欠けている。足りないからこそ異分子として判断され、歪み、捩れ、そして厭われる。
春の委員会設立からこっち。目立った騒動が無かったのはまさに僥倖と言うべきだろう。
クォーターにエルフ。学年首位に神童、ハーフィー。傍から見れば一癖も二癖もある集団だ。そんな委員会が今まである程度大きな顔をしていられたのは、学院と国の援助があったからだろう。
ここは国唯一の国立の学び舎。それなりに賢い者たちが集まる故に感情的な反発は今まで起きてこなかった。
それに最初こそは人選に難色を示した者もいたはずだ。それでもここまでしてこられたのは生徒会長であったニーナのお陰もあるのだろう。
けれど彼女は生徒会長の座をテオに譲った。そうしてようやくこの頃、委員会に対する期待も落ち着いて冷静な視線が増えた。同時にクラウスに対する評価も変わったのだろう。
結果生まれたのはクラウスに対する鋭い視線。不必要だという極論ではないにせよ、クラウスでなくてはいいのではと言う意見。クラウスは情報に敏感だ。耳にすれば考えないわけにはいかない。
クラウス個人としてはようやくこの時期が来たかと言う気分ではある。いつかは対面しなければいけない事実だ。
「おはよう、クラウス君」
さてどうやって尖った意見を丸め込もうかと考えていると、いつの間にか登校して来ていたアンネがいつもの調子で挨拶をくれた。
「おはよう。相変わらず元気だね」
「その言い方なんだか棘を感じるんですけど……」
「眩しい限りだって羨んでるんだよ」
「…………何かあった?」
不意にアンネの視線が鋭くなる。彼女のクラウスに対する感度は時折恐怖を感じるほどだ。力になろうとしてくれている以上、無下に振り払う事はしないのだが……。
「別に。そろそろ部屋の掃除をしないとなって思ってただけ」
「……クラウス君って意外と綺麗好きだよね」
「意外とって……僕そんなに雑な性格に見える?」
「ごめん言い間違えた。異常に、だね」
言いつつ教室内を見回すアンネ。流石に意識すれば彼女でも気付くか。
「因みにクラウス君は一気に片付ける派? それとも地道に綺麗にする派?」
「時間があるならゆっくり取り組みたいかな。無理そうなら纏めて一気にするのも悪くないと思うよ」
「よかったら手伝ってあげようか?」
「これは僕の庭の問題だよ。僕の意思で頼むならまだしも、勝手に手を出されて僕の望まないように荒らされるのは勘弁願いたいね」
ともすればただの掃除に関する性格談義のように振舞って彼女との意思疎通を図る。
「そっか……。もし手が必要になったら声掛けてね。暇な時なら力を貸すからさ」
「アンネさんのその豪胆さには時折感心するよ」
呆れたように言えばアンネは少し怒った風にクラウスを見つめた。
「またそうやって悪巧みしてる……」
そんな二人を見つけたユーリアが、自分の席に鞄を置いて近くにやって来るなり据わった瞳で唸る。
アンネのクラウスにだけはたらく直感もそうだが、ユーリアの勘もいよいよ以て不思議なほどだ。それほどクラウスは分かりやすいだろうかと少し考えて、彼女が気付いた理由が自分では無い事に思い至った。
それに気付いているのかいないのか、いつも通り柔らかい笑みで挨拶を交わすアンネは清々しいほどの仮面で惚ける。
「おはよう、ユーリ。悪巧みって何の事?」
「……何でもないわよ、独り言。全く人の気も知らないで…………」
最後の方の呟きは掠れて聞き逃しそうになったがどうにか捉える。
アンネも聞こえたのだろうが、怖いほどの笑みで彩って首を傾げるだけに留めた。本当に仲いいね、君たち。
「おはよう、ユーリア」
「えぇ、おはよう。放課後委員会だそうよ。さっき昇降口で先輩に会って伝えてって言われたから」
「そう、分かった。ありがとう」
この現状で集まるという事は恐らく城内で起きていた騒動についてだろう。
今のところ学院でそう言った類の噂は耳にしてはいないが、妖精変調が関わっているとすればその影響がどこで出てもおかしくは無いはずだ。念のための対策を早めに立てておくべきだろう。
「しかし相変わらずクラウスは何かに首を突っ込んでるわね」
「何かに繋がってる方が無駄な事を考えなくて済むからね」
「首を突っ込んで他人任せならその台詞がお似合いだったのに」
ユーリアも大概だろう。特に国で問題が起きているというのに、委員会の方にも一所懸命に取り組んでいる。尤も彼女の動機の殆どは見過ごせない善意で、クラウスの不純なそれとは異なるのだろうけれども。
「僕に出来る事は高が知れてるし、僕がしなくても誰かがやる事だろうけど。僕が何かをする事で僕に何らかの利益があるならそれを掻っ攫おうってだけだよ」
「それを飾らず口に出来る性根を尊敬するわ」
「ありがとう」
呆れた物言いに褒め言葉だと返せばユーリアはいつもの如く溜息を吐いてくれた。
そんな二人のやり取りをアンネがじっと見つめて零す。
「ユーリもクラウス君も、何だかんだで仲いいよね」
「人間として好きにはなれないけれどね」
「僕はユーリアの事を尊敬してるよ?」
真実を少しだけ言葉にすればユーリアの肩が小さく震えた。そんな仕草にアンネが小さく頬を吊り上げる。
「……一体私の何を見てそんな事を言ってるんだか」
拗ねたような口調に笑えばユーリアはあからさまに視線を逸らして鼻を鳴らしたのだった。
そんな一幕を交えつつ。放課後ユーリアと共に生徒会室へ向かえば、そこには委員会の面子に加え生徒会役員の姿もあった。
生徒会を巻き込むという事はいよいよ学院全体に対する話し合いかと気を引き締める。
「集まったわね。さて始めるわよ」
「話の中心は言うまでもなく妖精変調についてだ。マルクスとアリデッドさんも言葉くらいは耳にしてるだろ?」
「まぁ、噂程度には……」
「妖精に関わる問題、ですよね?」
テオの声に二人が返しつつマルクスがクラウスの方を伺って来る。
幾らクラウスでも流石に全てを知っているわけではないが、幾つか原因らしいところは既に押さえている。もちろんそれが正しいという確証は無い。だからまだ言葉には出来ない。
「……色々ややこしいんだが今城内が慌しい事になっててな」
「その言い方だとぼくやアリデッドさんは詳しい事を教えてもらえないのかな?」
テオが困ったように眉根を寄せてユーリアに視線を向ける。今回委員会と国の間を取り持っているのはユーリアだ。彼女からの許可なしでは幾らニーナやテオと言えど口には出来ない。
少し考えたユーリアだったが静かに首を振って答える。流石に一日二日で全てを調べ上げるのは無理があるか。ここは公的機関お得意のだんまりだ。
「悪いがそういうことだ。ただ恐らくその問題に妖精変調が絡んでて、それが齎すだろう被害の想定もいくらかは出来てる」
「その被害の対策を……って言うのが今回のお話ですか?」
巡ったエミの思考回路がテオの言いたい事を先回りして尋ねる。頷くテオにマルクスが小さく唸って考えるように顔を伏せた。
「……生徒会がそこに絡む必要は?」
「教員からの内心がよくなる、とか?」
クラウスがどうでもいい理由を取ってつけるとマルクスが納得したように息を吐いた。そんな理由で納得してくれる辺り彼も一物抱えているのだろうか?
「まぁ生徒の代表だ。生徒の事を一番に考えて行動するのは義務みたいなものだろう」
「そうですね。選んでくれた皆さんにしっかり誠意を見せないとっ」
エミの導火線からは早くも火花が散り始めたらしい。
マルクスも深追いは一旦やめたのかエミの言葉に頷いてテオに視線を向ける。どうやら生徒会の方は問題なさそうだ。
「今のところそこまで大事にする予定はこっちには無いから。対策考えて、できる事をして、被害を回避できるならそれに越した事はないわけだしね」
「委員会が動くのは学院内で大きな問題が起きたらって事ですね。それまでは生徒会の活動としてって事ですか?」
「そんな感じになるのかしらね」
ニーナの言葉に今後の方針を尋ねて肯定を受け取る。ユーリアの方を見れば彼女も静かに頷いてくれた。
確かに大きな騒動にならなければそれでいいのだ。幾ら妖精変調といえど想定が全て現実になるとは限らない。杞憂こそ一番だ。
「じゃあ方針も決まったところで本題の対策だ。とりあえずこれが今考慮しうる問題だ」
「分かってると思うけど穏便に頼むわね」
テオとニーナが配る書類を受け取って目を通す。その最中、ニーナが何故かクラウスの方を見つめて言葉を発したのだが、流石にそれくらいは理解しているつもりだ。この件の、特に学院内で起こる事に関してはそこまで大手を振るって大立ち回りをする予定は無い。
クラウスの干渉する範囲はクラウスに利益のあるところまでだ。教員の心象を今更気にしてなどいない。
少し引っかかるとすれば、今朝改めて感じたクラウス個人に対する生徒の印象だろうか。
ニーナの降級や軍属剥奪の件もそうだったが、雰囲気の中に無意識に色をつける感情は何に起因して爆発するか分からない。そんな火種燻る現状で目立つ事を進んで行うほどクラウスは愚かでは無いつもりだが、何もかもを管理できるほどクラウスだって万能ではない。
それに場内での一件。考えようによっては個人の感情に左右しかねない問題だ。
無自覚の衝動が助長されてしまう可能性も、十分に考えられる。
……まぁ、クラウス個人に対する問題ならば別に今に始まったことではない。
仮に矛先が顕在化したら、全力で躱して叩き折るとしよう。
「で、最初の憂慮案件だが────」
ニーナと視線を交わしたテオが頷いてようやく本題に入る。
クラウスも生徒会役員として話半分で聞くわけにもいかず、思考の焦点をそちらに合わせて議題に身を入れる。
そうして会議を進めて。どうにか対策を一通り立て終えると、出来る事から取り掛かりつつ学院での日常を過ごす。
流石に城で問題が起きてから数日。妖精変調による妖精の本質への影響を窺いつつ後手に回っての対処だ。早々進展もあるわけは無く。翌日、翌々日と学院内を観察してみてもこれといった影響は見られなかった。
どちらかと言えばクラウス個人に対する風当たりの方が目に付くほどで、そちらに思考を裂く時間の方が多いほどだ。
と言うのも、どうやら裏で糸を引いている輩がいるらしいのだ。もちろんこれはクラウスが感じた上で少し探った程度の情報ではあるが。
ニーナの降級騒ぎの時は無意識が集まって起こった仕方の無いものだった。けれどクラウスに対する視線の数々には何か意図的な理由があっての行動らしい。
ともすればそれは春先のユーリアとアンネの一件のようなそれ。
けれど何を理由にクラウスを目の敵にしているのだろうか。まず狙いが委員会か生徒会かの二択になるわけだが、よく考えれば後者は無いのだろう。
ニーナの時のようなその座から引き摺り下ろすことが目的ならば、役員選挙の時に対立候補を擁立するなりすればいいだけの話。そこに誰も名乗りを上げなかったという事は、生徒会のクラウス・アルフィルクに対しての話ではないのだろう。
となればやはり委員会の方か。
気付いてはいた。当初は物珍しさに関心を奪われて判断が鈍くなっていたからこれまで目に見えた反発は無かったが、そもそも委員会が作られる事がおかしいのだ。
何故今になって委員会が作られたのか。どうしてそこにただの実力者ではなくクラウスやニーナといった存在が選ばれたのか……。
ようやく落ち着いてきた学院の雰囲気がそう言った埋もれた疑問に向くのは仕方の無い事だろう。
けれどその疑問とクラウスに対する風当たりとは必ずしも一致しないはずだ。今までに業績は残しているし、出来る限りその芽を摘むように人脈は作ってきたはず。
それでも人の思考を全て掌握する事は出来ないのは知っていたつもりだ。
そのクラウスの視界から漏れた何かが成長しただけの事。この大事な時に……と言う思いはあるがいつかは向き合わなくてはならなかったはずの問題だ。
その時期が訪れただけ。
あとこの風当たりの強さを助長している人物がいるのだとしたら、少しだけお話をしないといけないだろうか。できることならば穏便に済ませたいがところだ。
「クラウス、あたしが少し飛び回ってこようか?」
「……下手な干渉を起こさないって約束してくれるならお願いするよ」
「分かった」
もしかすると原因の一つにフィーナやアルの存在があるかもしれない。
契約をしていないとはいえ、四分の一に歪んだクラウスの周りに契約妖精以外の妖精がいるというのは違和感を覚える景色だ。
だとするならば別行動と言うのも何かのきっかけになるだろうか。
そう思ってアルにはクラウスに対する学院内の噂を調べてもらっている。契約を交わさない彼女には少し荷が重いだろうが、そこはどうにかするのだろう。
方法論を聞いてしまえば、引き返せない何かに踏み込んでしまう気がしてクラウスは聞く事を避けていた。アルの方もまだ隠しておきたいことなのか、話にそんな匂いがすると逃げるように話題を逸らす事が時々あった。
そうして辺りの視線を気にしながら妖精変調関連の仕事に手をつけつつ、空いた時間でファクト女史からもらった助言を元に妖精の国について調べたりしながら時間を過ごす日々が続いた。
疑念塗れの日常を過ごしていると、ユーリアから声が掛かった。それは学院で警戒を始めてから一週間が経とうとしていた頃だった。
「クラウス、少しいい?」
午前中の授業も終わり昼休み。今日も今日とて早く食事を終わらせて学院の様子を見回ろうかと腰を上げたところに、ユーリアから真摯な声音が掛けられる。
「どうしたの?」
「……さっき学院長のところに城での調査結果が届いたらしいの」
「分かった。アル、今日はそっちの事は一旦中止。同席して」
「それがよさそうね」
ここ数日ずっとクラウスの周辺について探っていたアルが視線を鋭くして頷く。彼女の方も恐らくもう少しで結果が出ることだろうが、今回ばかりは仕方ない。クラウス個人の問題より国から授かった仕事の方を優先するべきだ。
特に今回は妖精変調に関する事。妖精は秘密主義だが、巻き込めば情報源が増える可能性がある。
「アンネさんは……そう言えば今日休んでたね」
「……私の方には特に何も入ってきてないわよ」
視線で尋ねれば彼女は先回りして答えてくれた。と言う事は城で起きたあの騒動関連では無いということだろうか。
ヴァレッターが動くのは国王の近くで何かがあったときだけ。では一体、何の理由だろうか……と思案を重ねつつ言葉を継ぐ。
「ヴァレッターの事に関しては流石に僕も止められないよ」
「分かってる。後できっちり報告してもらわないとね」
いつもの調子で言って歩き出すユーリア。横に並ぶと、ちらりとこちらを窺ってはきたが追求は無かった。
今の視線は恐らくアルに向けてのものだろう。気に掛けてくれるのはありがたいがそちらはまだクラウス個人の問題。今後ユーリアに頼る予定は今のところ無しだ。
聞かれた場合のその場凌ぎの言い訳を考えつつ生徒会室へ向かう。中に入ると今回は委員会だけの集まりなのかマルクスとエミの姿は確認できなかった。
少し考えて納得する。つまり学院長宛に届いた調査結果と言うのはカイが行っていたあの騒動に関する事なのだろう。二人がいないというのはそういうことだ。
クラウスも幾つか関連のありそうな文献は読んでは見たが流石に前例の無い問題。解決の糸口が見つからずに困っていたところだ。
クラウスがそんな事を考えていると、連絡を受け取りにいっていたユーリアが戻ってきて会議が始まる。
「早速で悪いけどお願いできるかしら?」
ニーナの言葉に頷いてユーリアが封筒から紙を取り出し静かに話し始める。
「……城で起きていた騒動の事です。契約妖精に絞って原因を究明していた結果ですが、契約妖精に変化は見られなかったとの事です」
「それは契約妖精がその……意識を保てなくなったとかって話か? それとも外からの影響を受けてないって話か?」
「どっちもです。錯乱して幻覚を見るのは妖精従きばかり。契約妖精の方にはそう言った症状は見られていないそうで、契約妖精について波長まで調べてみたそうですが、幻術を受けていると言った様子もなかったそうです。契約の回路の所為か、妖精従きが幻覚を見て抱いた感情が契約妖精の方に流れ込んで、契約妖精の気分が悪くなったりと言う報告はあります」
「つまり目に見える大きな影響は妖精従きだけで、場合によっては契約妖精も体調を崩すと言う事だな」
「恐らくは」
テオの疑問にユーリアが答え、総括してヴォルフが纏める。
妖精従きばかりが錯乱し、そこから漏れ出た影響を契約妖精が僅かに受ける。つまり妖精従きが影響の元と言うことか。
クラウスは最初、契約妖精の方に何かしらの問題が出ていて、その影響で妖精従きがおかしくなっているのかと考えていた。妖精変調は妖精の本質に左右する問題で、だから妖精が発端だと思っていたのだ。
けれど問題は妖精ではなく人間の方にあったということ。となれば当初の疑問である、妖精変調絡みの問題と言う論点に陰りが生じる。
「人間の方から契約妖精に影響が出てるのよね。と言う事は妖精変調は今回の騒動に関係ないって事?」
「絶対にそうだと言い切れませんが、その可能性も考えられますね」
当初の思考ががらりと意見を変える。
ならば一体何が原因で妖精騎士たちは錯乱状態に陥ったのかとおう疑問にぶつかるのだ。
クラウスの手元にある情報を並べて組み合わせては可能性を吟味する。
そうして思考を重ねているとテオが可能性を口にする
「…………例えば、外から招き入れて、その人物が結界に引っかからない異能を使ったとしたらどうなりますかね?」
「だとしたらその存在が最初に疑われるでしょうね。不法侵入は結界で感知されるし、あたしたちの出入りもしっかりと管理されているでしょう?」
「騒動の発生時間と来訪時間がずれる可能性……その異能の遅延発動とか。異能に観点を置くなら、その感知されない異能で身を隠せば視認もできなくなります」
ニーナの反論に派生した論を突き返せば彼女は小さく唸る。
けれどそれは恐らく無いはずだと、クラウスの中では結論が下される。
ブランデンブルク城は国を支える重鎮と、それらを守り国を守る騎士達が幾人もいる場所だ。そこを守護する結界が、エルフの精霊術に代表される異能に対して対策を取っていないはずが無い。
もしかするとその輪から外れる幻想生物の異能も存在するかもしれないが、だとすれば妖精変調で尖った警戒がその動きを察知しないはずは無いのだ。
良くも悪くも前例の無い問題に対しては敏感になっている。クラウス達が考える程度の懸念は恐らく現実には起こり得ない。
「……一ついいかしら」
生まれては潰える可能性を吟味していると不意に肩上のアルが小さく零す。集まった視線に了承の意を得たのか彼女は静かに語る。
「その騎士たちは一体どんな幻覚を見ているというの?」
……なるほど。原因より結果、それも外から見える部分ではなくて内側からの究明か。流石にこれだけ数がいると、次から次へと疑問が湧いて来ると感心しつつその可能性を考える。
「詳しい事は分かってませんが、どうやらその人物に関係の深いものを幻覚として魅ているようです」
「……アル、どう思う?」
関係が深いという事は記憶に根付いているという事だ。
記憶に関する干渉と言えばアルの専売特許。彼女にならば何か方法が分かるかもしれない。
「…………確かに他人が妖精術を使えば幻覚を魅せる事は可能よ。けれどその場合その幻覚に関する詳細な情報を知っていなければならないってのはご存知かしら?」
「幻術が最たる例だね。術者の想像し得る幻しか魅せる事は出来ないから」
クラウスも時々使う幻術。これは妖精力で相手の回路を乱しそこには無いものを恰も存在するように錯覚させたり、景色から排除したりする技能だ。
この術式には幾つかの制限があって、最も重要なのは予め術者がどんな幻覚を魅せるのかを決めなければならないことだ。
この決めるという作業には当然のように術者の見識が問われる。
例えばドラゴンを魅せようと思っても物語で得た平面状の情報と、実際に肉眼で見た立体の情報ではそこに幻覚としての差が存在する。ドラゴンを見た事の無い者がドラゴンが存在するような錯覚を魅せる事は出来ないのだ。
事がドラゴン程度ならまだ問題は無いが、今回の幻は騎士たち個人に関することだ。
家族、恋人、友人…………。それらの個に根付くそれぞれの錯覚を魅せようと思うと、それに対する知識が無くてはならない。
どんな顔をしているのか、どんな性格なのか、声音は、間柄は、抱くべき感情は──
被害は騎士たちだけに留まっているとはいえ、人数は十名を超える。他人の友好関係を事細かに調べるのは難しいだろうし、もしこれが国に対する攻撃なのだとしたら回りくど過ぎる。
ならばやはり他者からの攻撃と言う線はさらに薄くなっていく。
「そう、知らない想像を他人に魅せる事は出来ないわ。他人の記憶を覗く技能があれば別だけど……」
アルの言葉にユーリアがちらりとこちらを伺って来る。
彼女の考えも尤もだ。けれどあの時アルはクラウスと一緒にいたし、妖精術であるならば結界と言う網に引っかかる。
小さく首を振って答えるとユーリアは眉根を寄せてアルの方を見た。
「で、ここからがあたしの考え付く可能性。例えばその幻覚が外からの意図的な干渉ではなく騎士自身が見ているものだとしたら?」
「……どういうことだ?」
「魅ている幻覚は当人以外中々知りえないもの。と言う事は、騎士自身が想像した幻想が、幻覚となって見えているのだとしたら、どうかしら?」
……なるほど。外発的か内発的かと言う話か。
幻術は他者が魅せる幻覚だ。けれど妖精術では無い、結界に引っかからない何かしらの偶発的な干渉によって、勝手に騎士達の頭が幻覚を見ているのだとしたら──それは言うなれば精神の錯乱に近いのだろうか。
無意識に内発的に見ている幻覚だから無差別でも効果は発揮しているし、騎士たちは錯乱してそこから溢れた感情が契約妖精に流れ込む。
本筋は確かに通る論だ。ならばそれを可能にする方法とは……?
「幻覚作用のある植物の分泌物の過剰摂取……」
ニーナが呟いて考えるように顔を伏せる。こういうとき医療方面の知識があればと時折思う。
人間が使う薬草の中には睡眠を誘発する効能が含まれているものや、嗅ぐと深層心理に眠る幻覚を表面化させる危険なものも存在する。軍や医療機関ではそれらを人体に安全な使用法で流用する事がある。
ニーナなら何か知っているかもしれないし、もっと詳しく聞きたければアンネの契約妖精であるダフネに話を聞くのも悪くない。運悪く、今彼女が学院にいないのが残念だ。
「病気、流行り病、精神疾患、集団症状、症候群…………悪霊」
幾つかの可能性を思案しているのか、ニーナの口の隙間から滔々と言葉が零れる。その中から、不意に零れた悪霊と言う言葉にクラウスは耳を止めた。
「悪霊、霊的存在なら結界には引っかかりませんね」
魂に関する研究は今でも行われている。それは少し前に感じたハロウィンやサウィンにも関係する単語で、今より昔、まだまだ病気などに対して情報が少なかった時代には、その原因を悪霊や祟りと言った自然由来のものに関連付ける事で認識し、それを祓うために現在の祭りへと繋がる原初の儀式としての行事が増えることへと繋がる。
少し飛躍した考えだが、けれど霊的存在は魂の形の一つであり、それはきっとどこかで妖精変調での妖精の本質の具現化の要因の一つへと繋がっているはずなのだ。
また病ならば回路が乱される理由が無い。けれど魂という観点で妖精と繋がる霊的存在は、その可能性を否定する事が難しい。少なくとも、クラウスはそこに関しての知識は持ち合わせてはいない。
理論立てて否定を出来ないのであれば、可能性の一つとしては十分に考えられる。
「例えばそう言った霊的存在が原因だとして、となれば学院への影響は無いって事か?」
「……どうだろうね。この可能性は魂の存在意義に対する疑問でもあるから。妖精の本質が揺れ動く現状では絶対にないとは言い切れないよ」
「けれど、それなら対処の方法はあるだろう。効果が望めるかは別問題だが」
テオの疑問にクラウスが答えればヴォルフは重く零す。
確かに、霊的存在の仕業ならば先人たちがそうしてきたように荒ぶる魂を鎮める儀式……まつりを行えばいいのだろう。
問題はそのまつり自体が本当に効果のあるものなのかと言う疑問だが、そこについては少しばかり期待は持てる。
儀式自体には意味が無いが、それを行う事で精神面での余裕は生まれるのだ。その余裕が、起こる問題に対して対処を早める。過去に記された英雄譚や文献にはそこから派生した特殊な意味合いを持つ儀式も存在するが、その源流は先人たちが生み出した知恵の塊だ。
気の持ちよう、と言う随分と精神論な話ではあるが、元より霊は人とは違う存在で目には見えないものだ。理屈で考えれば、見えないものには見えない力でと言うのは安直にして分かりやすい解の形なのだ。
もちろん、ある種の暴論であることも理解はしているが。
「何にせよ、何かしらの要因はあるって事よね」
「現に錯乱してる人たちが出てますからね」
「で、私はカイ少佐になんて伝えれば言いわけ?」
ユーリアがどこか疲れたように尋ねて来る。今までの話で頭が痛くなったのだろうか。彼女も分かりやすいほどの戦闘気質だ。
可能性の話としてはニーナの挙げた病気や自然由来の類と括るのが国としては動きやすいのだろう。
その上で可能性の高いものから順に潰していくのが妥当か。
「……とりあえず病や薬草っていう括りで話を通してもらって、錯乱状態の人たちにはしばらく隔離されててもらうとか、かな」
「妥当なとこだろう」
「あとはその場凌ぎにはなりますが、国に常駐している医療関係の人に判断を下してもらう他ないと思うけど」
「最後はやっぱりそうなるわけね……」
そう呟くユーリア。
現状での解決策は既に出ていたということだろう。そこに至るための理由が欲しかったというところだろうか。ならば力になれただろうか。
「分かった」
「それじゃあ今日のところはこれで終わりにしましょうか。また何かあったら連絡よろしくね」
「はい」
そうして会議は幕を閉じる。会議の合間に食べていた間食は、少しばかり味気の無いものだったが今回ばかりは仕方ないと割り切ろう。
そんな事を考えながら午後の授業に向けて教室へと戻る道程。後ろを歩くユーリアが不意に声を掛けてくる。
「クラウス」
何事かと足を止めて振り返れば、彼女は周りを気にするようにして衣嚢から便箋を取り出す。
そうしてその便箋に施された封蝋の文様に居住まいを正す。
クラウスのそんな雰囲気に何かを感じたか、彼女は溜息を吐いて背筋を伸ばした。
「略式だけど…………クラウス・アルフィルク殿。貴殿にブランデンブルク王国第二十九代国王、ヒルデベルト・アスタロスの名において勅書を下達する」
「謹んでここにお受けいたします」
堅苦しい言い回しで言って便箋を差し出すユーリア。クラウスはそれを恭しく受け取ってそこにされた封印に目を落とす。
ブランデンブルク王国の国印。つまりこの文書はヒルデベルトの名で発行された公文書としての意味合いを持つ書簡だ。
どうやら先程のカイからの連絡と一緒に預かっていたらしい。なるほど、だからユーリアに直接ではなく一度学院長を通したのか。
少しだけ引っかかっていた疑問を解消すると視線でユーリアに窺う。彼女は準備よく封を開けるための紙切り小刀を差し出してくれた。受け取って中身を確認する。
そこに書かれていたのは仰々しい見た目の割には、何とも割に合わない文章。けれど公文書にした事に意味があるのかと考えてそれを静かに仕舞う。
「……何の手紙だったか聞いたら教えてくれる?」
「それは駄目だよ。これは僕個人に宛てての手紙。まぁ任務とかそういう危険な事では無いから安心して」
「…………………………そう」
納得のしていない瞳でクラウスをのことをじっと見つめて顔を逸らすユーリア。国王直々の書簡だ。クラウスだって他人が手にしていれば気にはなる。
それが心配か興味かは少し難しいところだが、視界を広げてアンネの事までを鑑みると前者のような気もする。
まぁどちらにしても彼女から気を止めてもらえるならばそれに越した事はないか。クラウスの野望も順調に進行中、と。
「クラウスさん、そろそろ戻らないと鐘がなりますよ?」
「そうだね、急ごうか」
フィーナの言葉に笑顔で答えて足を出す。その景色の中で、アルは何かを考えるように静かに顔を伏せてクラウスの足元を見つめていたのだった。




