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フェアリー・クインテット  作者: 芝森 蛍
追憶を謳う奇想曲(カプリッチョ)
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第四章

 徒労に終わった友人二人の大喧嘩。些細な意地の張り合いは、間に絶対悪を立てることでどうにか終息を見た。

 結果残ったのは遠慮のない友人関係と、前より強くなった気がする二人の絆。そして言葉にはしないクラウスへの感謝。

 クラウス個人としてしたのは、恐らくありえるはずの接触に助言を一つと、彼女達が真正面から喧嘩しやすい空気を作り出しただけの、手助けとも言えないほどの自己満足。

 けれどクラウスがいなければ解決しなかった問題で、もっと言えばクラウスがいなければ起こらなかった喧嘩だ。

 だから彼女達の共通見解であるクラウスは悪という結論はある意味では正しい。クラウスは悪であり、彼女達の仲を取り持った正義だ。

 けれどそれは何者にも語られない話。他者から見ればただ単にクラウスを間に挟んで二人が喧嘩をしていたように見えたはずだ。

 だからそう、これは致し方ない反応。


「……で、何で私たちこんなに注目集めてるのかしら」

「これの所為じゃない?」


 場所はフィーレスト学院、時は昼休み。彼女達の仲直りから一夜明けて翌日、学院に向かえば二人はいつも通りに接してきた。

 身に纏う衣服は衣替えに合わせて厚く温かいものへと彩りを変える。

 クラウスは男子の為にそう変化は無い。上に紺色の制服が追加されただけで体が重くなっただけだ。

 目に見えての変化は女子の方だろう。まだ季節は秋。そこまで寒くない気候に合わせて、殆どの生徒は毛糸で編んだ温かそうな上着を白い中衣の上に重ねて着ている。淡い色合いの上着は視界を秋色に染め上げて包み込むような雰囲気を作り出していた。中には幾人か紺色の長袖の制服を着て来ている生徒もいる。

 クラウスの隣に位置取る二人も彼女達らしく着飾っていた。

 ユーリアは黒い制服に身を包み、刀のような存在感を更にきっちりとさせて彼女らしく綺麗に。アンネは長袖の淡黄色の上着を羽織って、より彼女を可憐に柔らかく。

 加えて二人は少し奇抜なおしゃれを加えていた。

 ユーリアの右頬にはなぜか絆創膏、アンネも長袖に隠れて気付き難いが手首に包帯が見えている。

 どうやら二人の中では昨日の屋上のやり取りでは納得が行かなかったらしい。一体どんなぶつかり方をしたのやら。

 体を張って気持ちを伝えるほど仲がよくなったのは悪くは無いが、それで彼女達が傷ついてしまうのは見ているクラウスとしては少し心配になる。

 尤も今回限りだろうしそう何度もあるようではクラウスも止める覚悟は出来ている。

 最初は流石に気になって聞いてみたが返ったのは用意された言葉。

 ユーリアは昨日の軍での仕事で怪我をした。アンネは家で手首を捻ったらしい。誰が信じるんだろうか。

 溜息を吐きつつ視界を教室内へ向けて憂鬱になる。

 そんな一幕に気付いてなのかそうではないのか、どうやら級友からあらぬ誤解を受けているらしいのだ。

 まず話の前提としてユーリアとアンネは喧嘩をしていた。その仲違いの懸念要素がなくなって、これ以上喧嘩の演技を続ける必要がなくなったのが昨日のこと。

 けれどそれが大袈裟な演技だと知っているのは当人だけ。クラウスも巻き込まれた側として……主犯者として認識はしているが、その他大勢に関してはクラウスが告げた言葉で関わる事を避けていた。そのため二人が本当に喧嘩をしていると思い込んでいたのだろう。

 さてそこで面倒臭い事になる。昨日まではどこか距離を置いて接していた二人が、今日はクラウスを間に挟んで仲良く談笑。

 一体昨日何があったのかと訝しむのは至極当然だ。クラウスだって知らなければそうする。そうしていつか納得を生み出す。

 けれどそれはある程度の情報が流れてきてからだ。

 クラウスは級友に関わるなといった手前事後経過を言いふらせる立場ではない。そして一番の問題が件の二人だ。

 彼女達はこの居心地の悪い空気は誰かが意図的に作ったものだと勘違いしている。主にクラウスに全てを丸投げした所為だ。

 クラウスに事態の収拾を任せたから、この教室を巻き込んでの空気もクラウスが原因だという主張な訳だ。

 けれどそれには違うと言いたい。少なくともクラウスは他人を巻き込みたくないから突き放しただけで、実際にこの雰囲気を作り出したのは隣の二人だ。

 その二人が、何をどう勘違いしているのか……。責任はクラウスにあると言外に語り、自分たちがその原因だという想像を欠いてしまったのだ。

 結果無意識に作られた環境は周りからの視線を助長して、そこに一つの纏まった念を込める。

 曰く、クラウスが二人を本当に誑かした、と。


「ちょっとお手洗いに行ってくるよ」

「私もー。ユーリは?」

「そうね、行っておこうかしら」


 そして何故か朝から二人には悉(ことごと)く監視されている。

 いや、彼女達の言い分は分かる。

 アンネは昨日言葉にしたように、欲望に忠実にを根差してクラウスの側に居る事を求めているのだ。

 そんなアンネがクラウスからある程度の期待をもたれている事を知っているユーリアは、クラウスの為を思ってかアンネの行動を逐一抑えている。ユーリアの見解としてはアンネとクラウスがくっつくのはいけない事らしい。それにはクラウスも同意見だ。

 そして恐らくその先、アンネは自分を利用してユーリアをクラウスの隣に繋ぎとめようとしている。そこをユーリアが気付いているかはクラウスには分からないが、結果二人はクラウスを挟んで朝からにこやかに行動を制限してくれていた。お陰で現状を知りたいであろう級友たちが近づいてこれない。それ故にいらぬ想像を加速させているという悪循環だ。

 頼むから誰か助けて……。

 これは一種の独占欲か。どちらかと言えば他人に対して優位に立ちたいクラウスは支配されるよりしたい側ではある。

 だからこの状況は少しばかり心労が辛い。


「あぁ、丁度よかった。クラウス君ちょっといい?」


 そんな風に思考を巡らせながら廊下を歩いていると背中に声を掛けられた。振り返ってそこにいたのはニーナ女史。

 前生徒会長でありながらこの学院の長であるエルゼの娘にして、既に国軍から卒業後の進路指名が入っているエルフの上級生だ。

 どうやら国としては彼女を手放すのは惜しかったらしい。彼女の生徒会長としての責任追及の一件で行った軍属の剥奪は苦肉の策だったようで、生徒会長の任を解かれた瞬間エルゼ経由でニーナに国軍への引き抜きの通達が届いたらしいのだ。

 ニーナは腕の立つ妖精従き(フィニアン)だが同時にエルフだ。人間とも妖精とも異なる種族としてその価値に重きを置く者たちは少なくない。そこにはエルゼの出した研究論文も関わって来る事だろう。


 ────エルフはエルフじゃない


 エルゼとクラウスの間で密かに共有された認識。今のところ確たる証拠は無いがいつかはぶつかるべき壁だ。その時にエルフの存在を正しく証明できるように準備を重ねておかなくてはならない。それはきっとクラウスの野望にも繋がる事だから。

 後、クラウス個人としてはテオの彼女だ。エルフと英雄的妖精。そして新旧生徒会長と言う繋がりは今後もクラウスが必要とするはずの極めて重要な欠片だ。

 そんな彼女が一体何の用だろうか?


「生徒会のことで少しだけ相談があるんだけど……放課後にしようかしら?」


 ユーリアたちの方を窺いながら尋ねて来るニーナ。……流石にここは逃せない。


「大丈夫ですよ、時間はありますし。生徒会室ですか?」

「えぇ、悪いわね。ごめんね、クラウス君少し借りるわよ」

「あ、はい。大丈夫です」


 ニーナが断りを入れるとユーリアが答える。その隣でアンネが恨みがましそうにこちらを見ていたが、気付かない振り。ようやく彼女たちの束縛から逃れられた事に小さく息を吐きながら廊下を行く。


「……クラウス君、大丈夫? 何だか顔色が悪いわよ?」

「少し周りの棘が痛かっただけです」


 花とか視線とか。

 とりあえず彼女達の目を逃れた内に対抗策を講じるとしよう。そうしなければ居場所がなくなる……。

 小さく辟易して溜息を吐くとクラウスは肩を落としながら思考を回してニーナと共に生徒会室へ向かったのだった。




 それから優美な花二輪に囲まれて過ごす学院生活。一応マルクスに頼んで噂を流してもらいある程度の噂の上書き、それから認識されていい程度の繕った情報を流して、クラウスの周りではとりあえずの平穏を演出して見せた。

 その甲斐あってか、級友から向けられていた視線はそれまでとはまた違った生暖かいようなそれに変わったが、もうこの際どうでもいい。頼むからこれ以上面倒事を増やさないでくれ。

 相も変わらずユーリアとアンネは示し合わせたように互いを監視してクラウスの周りを動き回る。いつしかそれは級友の中で見世物に変化して今後の行く末を密かに楽しむ余興へと昇華したようだった。

 そんな中で学院の日常は変化する。

 まずは生徒会。正式にニーナからテオの世代へと受け継がれ、幾つかの仕事をこなしてその信頼を生徒から受けていた。クラウスとヴォルフ、エミは経験を生かして他二人の補助を行い、マルクスも彼なりの器用さで役員として動いていた。

 少しだけ懸念していたエミの存在。ニーナに続くエルフの血を引く生徒会役員の存在だが、どうやらニーナのときほど大きな騒動になりそうには無い。

 それは選挙の時のニーナの演説に端を発するものかそれとも他の何かか。少なくともエミに対する風当たりは昨年ほど強くはなかった。

 この様子なら彼女もニーナの後を追って精進する事だろう。

 少しだけ気になるのは彼女の性格。勢い付けば止まらない爆弾のような少女だが、普段は物静かで少し気弱な女子生徒だ。周りの役員が上級生ばかりと言う事もあってか、生徒の前に立つ時は何かしら瑣事(さじ)を起こしては注目を集めていた。

 けれどそんなちょっとした騒動も受け取る側の印象で変わる。クラウスが耳にした話ではエミのその少し間の抜けた部分に新たな視点を見出して温かく見守る視線があるとの事。その大半が男子生徒で、彼女の知らないところで密かな人気を獲得しているらしいのだ。

 確かに見た目は可愛いだろう。鮮やかな橙色の長髪は人目を惹くし、瓶覗色の透き通った瞳は不思議な魅力を秘めている。更にエルフと人間の血が混ざって彼女の容姿は女性らしさを湛えたものだ。

 気弱な部分が庇護欲を刺激し、時たま見せる天然が彼女の魅力を彩る。無意識に纏う彼女だけの特権だ。

 この女性独特の魅力を意図的に使うのがアンネだが、エミは無自覚なだけに警戒心が緩い。アンネは意図してそうしているために向けられる気持ちにも意図的に対応している。けれどエミは無意識だ。それが作用して結果彼女は知らず一定の層から一定以上の感情を向けられていた。

 そして無意識であるが故にエミはそれに気付いていない様子。少しだけ迷ったクラウスだったが彼女の問題だ、そのうち何か進展があるだろうと他人事に分類して興味本位での接触を避け、一切の進言も警告もしなかった。悩め若人──これは人生の先輩から送るただのやつあたりだ。

 まぁ仮になにがしかで頼られたら、普通ではない誼(よしみ)で手は貸すとしよう。

 それから校内保安委員会。その大半が生徒会役員と構成を同じくする学院の自治組織。こちらも生徒会役員選挙以降また少しずつ動き出していた。

 クラウス個人としては一応ユーリアとアンネの問題が片付いて、これにて目下のクラウス周辺の人間関係は一度整理する事ができた。その為次の目標はアルとの約束──妖精の国(アルフヘイム)に向けての準備だ。

 話が大きすぎて何から手をつけていいのか分からないような問題だが、大雑把な目標はいくつかある。その中で恐らく今一番力を入れなければならないのが、少し前に委員会に届いた未確認生物の調査任務だ。

 現在クラウスの近くにアルはいない。けれど彼女の帰還によって何らかの情報は得られるし、それを元に動けば調査任務も方針を固めて動けるはずだ。

 それに国も配慮してくれたのか任務の諸々の通達は選挙が終わってから……。学院内の回転が安定したこの時期に合わせて再び周辺地域の探索命令が下った。


「で、場所は同じとこですか?」

「いいえ、別よ。発見されたのは前と同じ感じだけど」

「と言う事は巨人ですか……」


 直ぐに召集がかかり生徒会室へと集まった五人は会議を行う。

 ようやくこの頃書類仕事も落ち着いて、それぞれが仕事に慣れた事もあって定期的にしか集まらなくなっていた。一々集合するのは面倒だし、個人や二人組みで解決できる程度の問題ならば事後報告でもいいと言う共通見解だ。

 クラウス個人としてはアンネからの逃げ場がなくなって少しだけ日常が慌しいのだが……。


「他に何か情報は? 今までの調査結果だとか」

「それね、うーんと…………」


 言葉を選ぶような間を開けるニーナ。それから話の流れを掴んだのか新たな情報を付与して紡ぎだす。


「まず今回はあたしたちだけの調査じゃない、って事。つまり前のときと違って他の調査部隊と連携して任務に当たる事になる」

「規模、指揮系統、僕たちの役割は?」

「人数は中隊規模、約200人。指揮はカイ・グライド少佐。役割は遊撃隊。連携は取るけど本隊とは違ってグライド少佐からの直接命令は受けないわ」

「随分と優遇してもらえたものね」

「逆だよ、ユーリア」


 隣から零れた言葉に面倒臭さを加算して続ける。


「僕たちにはヘルフリートがいる。下手に接触させないための体のいい厄介払いだよ」

「彼に関する権利は全てテオに一任してあるわ。国でもそう簡単に手が出せないわけね。尤も国王陛下の好意ではあるんだろうけど」


 重ねたニーナの言葉にテオが少し顔を顰める。

 ヘルフリートの全てはテオに任されている。それはヒルデベルトの言葉で、遠回しに語った未来の戦争への危惧だ。彼はもう、ヘルフリートのような大きな力に頼るつもりは無いのだろう。

 近くにあれば悪用する輩が出て来てしまう恐れがある。そのために彼はヘルフリートをテオへと任せたのだ。

 そしてヘルフリートは妖精、精霊、ドラゴンの三種の名前を持つ存在だ。英雄的妖精である事は公認でも、こちらの情報は取り扱いに困る。下手をすればこの世界の幾つかの事象を覆しかねない存在なのだ。

 そんなヘルフリートと、国に深い繋がりを持つ国軍との接触をなるべく控えるための今回の遊撃隊への配備。幾つもの思惑が入り混じった末のヒルデベルトの配慮だ。


「とりあえず表向きは正式な軍属では無いための扱いでしょうね」


 委員会自体は国との繋がりはあるが、それは国がヘルフリートのことで援助をしたりと言う話で国軍に所属しているという話ではない。生徒と同じで準軍属扱いだ。

 厄介な立ち位置だと再認識してニーナに促す。


「すみません、話の腰を折りました」

「いいのよ。向き合うべき問題だから。で、任務は明日から。週末の時間貰うけど予定が入ってる人はいる?」


 視界を回して確認を取る。特に問題もない事にニーナは一つ頷いて話をしめる。


「それじゃあ明日の朝、各自準備して校門に集合ね」


 それぞれに答えて帰途に着く。今日は生徒会の仕事はない。久しぶりに早く寮に帰れる。

 少しだけ胸の内を軽くしながらユーリアと昇降口へ向かうとそこにアンネが立っていた。どうやら待っていたらしい。


「委員会終わった?」

「えぇ」


 交わされる言葉は遠慮のないいつも通り。彼女達も春より前の関係に戻り、きっとそのとき以上に互いの事をしっかりと見ていることだろう。

 ようやく手にした安息の日常。束の間の平穏とはいえ、心が安らぐのは確かだと感じながら外に出る。


「で、これからなんだけど時間ある?」

「今日は軍もないわね」

「じゃ町に行こっ。今まで忙しくて何も出来なかったから、お礼もしたいし……」


 言ってこちらを窺って来るアンネ。その視線には今までのような打算の色はなく、ただ単純にこの日常を満喫したいという温度が篭っていた。

 あぁ、折角の自由時間が……。


「……僕もいいよ。両手に花はもう慣れた」

「…………ねぇクラウス。前から思ってたけどその歯の浮く台詞どうにかならないわけ?」

「過度な称賛はその内嫌われるよ?」

「残念だけどこれは性格。女性はいつだって淑女で、淑女がいるから僕は紳士になれるんだよ」

「…………もういい。いつかその性格直す方法見つけてあげるから」

「同情されたらおしまいだね」


 飾った言葉を賺(すか)されてやり場のない気持ちを胸に溜め込みながら歩き出す。

 二人して手のひらを返して……全く仲がよろしい事で。

 安堵の息を吐いて彼女達の歩調に合わせながら会話に混じる。

 その傍らで頭は冷静に回り続けていた。

 先ほどユーリアの語った言葉。軍。

 彼女は軍属で、何事かがあれば軍人として招集がかかる。それが今回の任務では彼女は呼ばれなかった。呼ばれていれば先ほどの会議にユーリアの姿は無いはずだ。

 事実としてユーリアより腕の立つ人はいるだろう。けれど今回のように未知の場合は何があってもいいように準備するのがいいのでは無いだろうか。少なくともクラウスなら打てる手は打つ。人員の増強だってその一つだ。

 それでもユーリアが呼ばれていないという事は、クラウスの知らない何かがこの件の裏にあるということだろう。

 そしてそれは出来る事ならお偉い方たちが隠したい事実、又は想像。……何か政治的な問題だろうか?

 この期に及んでまだ何か起ころうとしている。

 それから今回の任務での委員会の立ち位置。今回は調査任務だ。だというのに遊撃隊と言う存在は少しおかしいのではないか。少なくとも争いを起こすような話ではないはずだ。

 クラウスが考えるに今回の任務まだまだ問題が山積みのようだ。用心して掛かるべきだろう。


「とりあえず切株にいく?」

「そうね」

「美味しい食べ物ははこの世界の真理ですっ」


 フィーナが意気込んで腕を突き上げる。

 まぁ今はいいとしよう。何かあればアンネが報告してくれるだろうし、気になれば明日カイに直接聞けばいい。

 まずは今この場を楽しむ事に費やそう。少なくとも今はそうしていたい。


「楽しみですね、クラウスさんっ」

「そうだね」


 相棒の笑顔に答えて景色を見渡す。

 できることならこの景色を壊したくは無い。彼女達の悲痛に歪む顔を見たくない。

 だからクラウスは、まだ道化である事をやめられない。




 翌日、クラウス達は各々に準備を整えて王都を離れ、国境付近の森林地帯へと来ていた。森林と言っても季節は秋。景色は僅かに色彩豊かに色付く葉の片鱗を風に揺らしている。

 クラウス達の周りには整然と戦鎧に身を包んだ妖精騎士(フィリット)達が列を成して静かに佇んでいる。そんな中に学生の一団がいるというのは些か居心地の悪いものだが、隣にニーナやユーリアが居た所為か奇異の視線では見られたものの腫れ物扱いされる事はなかった。

 とりあえず必要最低限の礼儀と情報収集として妖精騎士の人たちと挨拶を交わす。

 彼らの殆どはしばらく前から陸路で発ち、国境付近の哨戒を兼ねて集まった今回の仕事上の同僚だ。

 クラウス達はヘルフリートの翼を借りて空を駆けて来た為、朝早くの出発だったが、彼らは馬に跨っての長距離移動。国防が彼らの責務とはいえ、王都から遠く離れたこの地にやってくるのも一苦労だ。

 特に今回は未確認生物の調査。しかも国境付近というおまけつき。緊張感は普段以上だ。

 無為に刺激しないように言葉の端に気をつけながらいくらか言葉を交わしたが、特に新たな収穫はなし。100人以上を一堂に集めているのだ。となればこの後一斉に何かしらの連絡があるということだろうか。

 可能性を吟味していると辺りに声が木霊する。

 顔を向ければそこにいたのはグリフォンの背に乗ったカイ・グライドだった。


「今回の任務で総指揮を任されたカイ・グライドだ。わたしのような青い人間が上に立つ者ですまない。その分、諸君たちには期待している」


 いきなり自分を貶すとは彼らしい。カイは誰よりも他人思いだ。それが転じて、テオの目標になろうとした良き兄だ。

 仰ぐ者としては不審さえ抱きかねない物言いだが、続く言葉に周りの妖精騎士達が表情を引き締める。


「わたしが指揮を執るという事はヒルデベルト国王陛下の勅命だ。何事に変えても今回の任務を完遂する。皆準備はいいかっ」


 勅命。ヒルデベルト・アスタロスの名の下に行われる公的な任務。今回はそれほどまでに力を入れた話と言うことだろう。

 そしてその証拠としてカイがこの場を執り仕切る。彼が動くという事は公でもできるだけ大事にはしたくない話と言うこと。一体国は何を掴んでいるというのだろうか。そしてその事実に比肩する情報を、アルは持ってきてくれるのだろうか。

 今や何処(いづこ)にいる、共に夢見た妖精の存在を考えて頭を振る。

 とりあえずは彼女の事は後回しだ。その時になって考えればいい。

 カイの姿をじっと見据えて少しだけ思考を巡らせる。

 国王の勅命。そこに選ばれたクラウス達。ヒルデベルトの耳にはクラウスのこれまでにして来た事が包み隠さず入っているはずだ。

 今回の抜擢はその上での白羽と考えるのが妥当だろう。そしてそれが、クラウスの為に、ヘルフリートの為にも繋がると踏んでいる。

 だとすればいつものようにのらりくらりと擦り抜けるわけには行かない。ここはきっと、クラウスの行く末の分水嶺だ。

 天啓のように確信して気を引き締める。耳元で小さくフィーナが囁いた。


「頑張りましょうね」

「そうだね」


 鼓動はいつも通り。思考も冴えている。条件は問題ない。

 後はクラウスがどれだけ見逃さないかだ。

 深呼吸一つ。それから澄み渡った視界に駒を並べて変わらない世界が軋み始める。


「ではこれより、任務を開始する!」


 戦場で弾ける様な鬨の声が森を裂いて地を揺らす。

 重なり響いた音に、辺りの鳥たちが枝を揺らして大空へと飛び上がった。




「で、本当のところ僕たちは何をすれば?」


 各隊に分かれて妖精騎士達がこの場を離れてから。遊撃隊たるクラウス達は作戦を聞くためにカイの元へと呼び出されていた。

 設置された仮設本部に通されて僅かばかりの挨拶を交わした後に本題を切り出す。


「……まずはわたし達が得ている情報を開示しようか。そうしないと君は動かないだろう?」

「情報があるに越した事はないですね」


 彼が地元を出て行ってからは殆どなかったとはいえ、幼い頃からの付き合いだ。気心の知れたやり取りに安心して耳を傾ける。


「まず最初に、あの未確認生物からだ」

「僕達が調べた限りでは今までに確認された幻想生物でない事は分かってます」

「ならば話が早い。まだ憶測の域を出ない想像だが、学者が言うにはあれは妖精に関わる生物だ」


 妖精と巨人。

 直ぐに脳内の書庫を旅して幾つかの情報を導き出す。

 巨人と言う種は物語の中に登場する存在だ。物語であるが故に、話の中には人間を始め妖精やドラゴンといった存在が同居する事がある。

 けれどそこで語られる巨人と言う種はどちらかと言えば妖精などよりはドラゴン寄りで、災厄や破壊の象徴の意味合いが強い。人間が征伐する敵としての役割が主なものだ。そして大抵の場合、人間の側には妖精が付き従う。

 だからクラウスは当初ドラゴンやグリフォンといった幻想生物の方の括りで巨人の事を調べて、そして行き詰った。


「あれらの出現後調査を行った結果、足跡などの痕跡から妖精術を行使した説が浮上した」

「近くを妖精が通っただけじゃ?」

「そうならよかったんだがな。巨人が存在した大きさ程度の空間一帯から検出されたんだ。これをただの妖精が関わっただけと考えるか?」

「……偶然と言う可能性も捨て切れませんが、そちらの方が説得力はありますね」


 カイがテオの疑問に答えて苦悶の表情を濃くする。


「あの巨人が妖精と関わっているという事は、ヘルフリートに続いて妖精の存在を不安定にさせる要因と言うことだ。そこで君達の見解も聞いておこうと思って声を掛けたのだ。少しでも多角的な情報が欲しくてな」


 次いだ彼の言葉に幾つかの納得を付けて再び思考を巡らせる。

 妖精が妖精であるべきと言う事実はこの世に不可欠だ。そうでなければ今までに人間が妖精と紡いできた歴史が根底から覆ってしまう。

 問題はどちらがどちらの系譜かという事だ。

 巨人が妖精から出たものならばまだ大丈夫だ。その巨人を幻想生物ではなく妖精であるとすればいいだけのこと。もちろんそこにも色々な問題はあるだろうが、妖精が妖精であるという事実はひっくり返らない。

 けれど妖精が巨人から生まれたものだとすれば話は違う。巨人は物語の中に登場する想像上の生き物であり、無理に当てはめた解釈では幻想生物寄りだ。そうなれば妖精が幻想生物となり、この世に妖精と言う種族が居なかった事になる。

 けれどもう一つ裏を返せばそちらの可能性は低いと見るべきだ。

 ドラゴンもグリフォンも、妖精術を使えない。ヘルフリートはこの際ややこしくなるために置いておくとして、幻想生物は固有の異能を持つ種は居るものの妖精力を持たないのだ。

 ならば巨人が幻想生物であるという可能性は前例から見て低い。尤もこの論の例外である可能性も無きにしも非ずだが。


「……例えば妖精と巨人に関係があるとして、けれど妖精が巨人側と言う可能性は低いと思います。そうであれば他の幻想生物が妖精術を使えてもおかしくは無い」

「ふむ。やはりそうなるか……。では逆の可能性はどうだ?」


 問題はそこだろう。妖精と巨人の関係は未知数だ。妖精力の検出だって偶然の可能性も存在する。それは調査であって、巨人が妖精術を行使したという現象を目撃した訳ではない。

 となれば可能性が絞られる。

 一つは妖精と巨人に関わりがないというもの。そうであればただ新種の幻想生物を見つけたという報告で済む。

 もう一つは妖精が巨人に姿を変えるという話だ。これに否定の文言を揃えるのは難しい。

 前提としてヘルフリートが居るからだ。彼がドラゴンに姿を変えられる以上、妖精術で巨人に変化できたとしても不思議では無い。妖精術は考えた分だけ存在するのだ。

 ましてやそれを繰るのは妖精力の扱いに長けた妖精。人間には不可能な命令式の構築でも妖精には可能かもしれない。

 長く妖精と共に歴史を紡いできた人間でも、妖精に関して分からない事は多い。もし全てを知っているならば、妖精の国だってすでに見つかっているはずだ。

 未知の事象と言うものは考えれば考えるだけ可能性を増やし、収拾がつかなくなる。


「……判断を下すにはまだ情報が少なすぎます。せめて巨人が妖精力を持っているのかどうか……それが分かればある程度の推測は出来ようものですが」

「……君なら何か妙案があるかと思ったが…………」

「すみません。能才不足でした」

「いや、無理を言っているのはわたしの方だ、気に病むな」


 疲れたように笑って言うカイ。彼も国の中で辛い立場に居る事だろう。特に今回はこんな未知数な問題を一任されている。心労も耐えないに違いない。


「とりあえずまだ情報が必要です。今回の捜索はその為のものですか?」

「あぁ。その上であわよくば正体を掴んで来いと言うお達しだ」

「となればこんなところで足踏みしてても仕方ないわね」


 ニーナの声に頷いて空気を入れ替える。

 まずは動くべきだ。情報がないなら自分から得るために動けばいい。

 目標をしっかりと立てると、カイはようやく本題に入れるといった様子でクラウス達に向けて語る。


「君達にはカリーナ共和国との国境付近に向かってもらいたい。どうやらこの未確認生物の目撃情報はブランデンブルク国内に留まらないようなんだ」

「そちらでも巨人の目撃情報が?」

「詳しい事は聞かされていない。巨人かどうかは断定できない。ただ他国でもそう言った目撃情報が出ているといった状況でね。今回は共同で事の収拾に当たって欲しい」


 クラウスが言葉にする前にヴォルフが問うて、カイは表情を硬くして答える。


「現場での判断は君達に一任しよう。一応建前上同行者は付けさせてもらうけれども」

「構いません。色々と融通してくださってありがとうございます」


 クラウス達が自由に出来るのはヒルデベルトとカイ。そして恐らくアンネのお陰だ。彼女は今ここにはいないが、必要な事はきっちりとしてくれる便利な駒だ。

 カイの言葉に彼の隣に控えていた男が声を発する。

 年のころは40歳前後だろうか。狐色の短い髪を首の後ろで纏めた、灰赤色の瞳を持った落ち着いた雰囲気の男性だ。


「ダミアン・カペラだ。よろしく頼む」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 にこやかに挨拶を交わして言葉の端に得た情報を脳内で咀嚼する。

 ……この話題は後でいいか。


「何かあれば彼の班を経由して連絡する。何か質問は?」

「……こちらからそちらへの連絡手段は?」

「彼を通してくれれば問題ない。それが彼の得意分野だ」


 ユーリアの疑問に答えが返ってそこから類推する。

 遠距離での通信手段といえばクラウス達が学院祭で使った通信具だ。あれはそこまで通信距離のあるものではないが、軍ではそこを補う技術が存在する。

 簡単に言えば中継地点の設置だ。

 一定距離しか通信できないならその範囲内に中継地点を置けばその距離は伸びる。距離が開けば開く分だけ伝達時間を要するがそれでも離れている場所で通信できるというのは便利な事だ。制約が色々あるとはいえ、人間には不可能な事を可能にしてくれる妖精の異能には感服するばかりだ。

 一般的にこの中継地点として使われるのは風(フェリヤ)の属性だ。地(グラド)や水(ウィルム)と言った地形に左右されるものは混戦を避けたり秘密回線を利用するのに使われるが、風は偏在する。それ故に使い勝手がよく、汎用性が高いのだ。


「他に質問は?」

「…………大丈夫です。何かあればこちらから連絡を入れます」

「頼んだ。カリーナ共和国との合流地点は彼の班に言ってある。くれぐれも相手方に失礼のないように。幸運を祈る」


 クラウス達にとってもほぼ勅命の任務。何かしらの結果を残さなければ今後にも関わって来るだろう。

 とはいえその辺りは運も絡んでくる。覚えをよくしたいなら奮起するべきだ。


「アルケス遊撃班、カペラ特殊工作班。任務開始しますっ」


 扱いは準軍属。身の引き締まるような黒い軍式礼装を身に纏い、礼を取って天幕を後にする。

 今回の任務は勅命であるが故にヘルフリートの力を建前無しに使える。何かあれば国がその責任を果たしてくれる。

 往復路は空の旅。随伴するダミアンたちもドラゴンなどの飛翔する幻想生物に跨っての一路だ。

 それまでは陸の道。本隊の目から外れる位置までクラウス達は足を出す。

 傍らにグリフォンたちを従え、空を見上げればドラゴンが空を切る。ダミアンたちの空の足だ。

 使役された生物とは言え流石にそれらが身近にいることのない生活を送るクラウスには少しばかり畏怖の対象だ。

 頼れる仲間。大丈夫だと自分に言い聞かせて歩く。その道中で、連携の為に会話を紡ぐ。


「特殊工作班って事はいつもは裏方ですか?」

「それは少し心外だな。わたしたちの援護あってこその本隊だろう?」

「鼻に掛けないでよ。あまり顔が割れるのはいけない事でしょう?」


 テオの疑問に鼻先突き合わせるダミアン。けれどその瞳は至って優しい。冗談だと分かっていてニーナも話に乗る。


「そうだな。だからこそ、わたし達の本隊には活躍してもらわなければ」


 どこか勝ち誇ったようなダミアンの言葉にニーナが吹き出す。相手を詰(なじ)って持ち上げて。それが軍での挨拶らしい。工作部隊でも血気盛んなことだ。


「久しぶりねダミアン」

「君が居ないと少しだけ寂しいよ、ニーナ」


 親しく呼び合う二人。年は離れているが、どうやら交友があったらしい。

 そんなクラウスの視線に気付いたニーナが間を埋めるように話してくれる。


「あたし、軍に居た頃は彼の隊に所属していたの。流石にあたしの年で前線に出るわけには行かないからね」

「本隊の治療部隊に派遣されてもおかしくはなかったはずなんだがね。一体誰がその機会を潰したんだか」


 ダミアンの言葉にニーナは小さく笑って居心地悪そうに視線を逸らす。

 少しニーナ周辺の関係に明るい人ならば直ぐに答えに辿り着く簡単な推理だ。

 ニーナはエルフで、年若い女性。そんなお年頃で不安定な女を戦場に投げるほど、彼女の周りは冷たくは無い。少なくとも、彼女はニーナのためを思って危ない事は避けるように計らったはずだ。それが何よりも温かい、ニーナを守護する愛情だ。


「それでもいい経験は出来たわよ。今では感謝こそすれ、恨んではいないわ……」


 それから小さな思いを胸に秘めるようにして顔を伏せるニーナ。その横顔は優しく笑っていた。

 ニーナのそんな様子にダミアンは少し驚いたような間を開けた後静かに笑った。ニーナの過去を知っているのだろう。彼の顔に浮かぶ優しい表情にクラウスは気になって尋ねる。


「カペラさんは」

「ダミアンで構わないよ」


 友好的で嬉しい事だ。クラウスとしてもこれからする話題ではそちらの方が話しやすい。


「ダミアンさんはもしかして娘さんがいらっしゃいますか?」

「あぁ、フィーレストに通っているよ」

「娘さんのお名前はイーリスですか?」

「よく知っているね。もしかして娘の知り合いかな?」

「級友です」

「そうかそうか。娘がいつも世話になっているね」


 疑問を解消して納得する。カペラと言う姓はクラウスの教室の噂好きな女子生徒と同じものだ。

 まさかと思い尋ねてみれば思わぬ偶然。全く、何処で何と繋がるか分からないものだ。


「ふむ……少しだけ娘の事について気になりはするが。帰って直接聞くとしようか。今後とも娘をよろしく頼む」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 笑顔で答えてそれから談笑の輪を広げる。

 他の班員もそれぞれに自分の繋がりを持っていて、だからこそこの世界はやはりどこかで繋がっていると錯覚する。

 だとするならば、人間同士だけではなく人間と妖精も……それ以外もどこかで繋がっていてもおかしくないのかもしれない。

 例えばその中に、妖精と巨人が居るかもしれない。

 一人今回の着地点を推理しつつ感覚を引き伸ばしていく。

 どこかに答えが転がっている可能性。見落としているかもしれない事実。それらを再度列挙して幾つかの未来を紡ぎ出す。

 事実は一つ。けれどどの可能性になったって、この世界に欠けてはいけない真実だ。

 真っ直ぐに受け止めて、理解するほかない。

 そんな風に考えていると前を歩いていたダミアンたちが足を止める。


「さて、ここらから空路で行こうか。準備はいいかい?」


 当初より随分と砕けた口調で言う彼に頷いてヘルフリートに視線を向ける。彼は呼吸を整えると、それからその身を巨大なドラゴンのものへと変えた。

 硬い鱗、燃えるような紅蓮の温かい体躯。空気一つ取っても人間とは異なるドラゴンの体が異質な存在として辺りの雰囲気を変える。


「ほらっ」

「……ありがと」


 テオが差し伸べた手にニーナが応えて登る。もしかしなくてもお邪魔だったかと視線を送ればテオは逃げるように慌てて顔を逸らした。

 次いでクラウスがヘルフリートに跨ると、後ろにユーリアが静かに座った。最後にヴォルフがヘルフリートの背に登って腰を落ち着ける。

 それを確認したダミアンたちが一足先に空へと舞い上がる。空を駆ける幻想生物達は青い空を背景に優雅に飛んでいた。


「行くぞ、しっかり捕まってろよ!」


 テオの掛け声に合わせてヘルフリートが羽ばたく。

 宙に浮く感覚は、地を歩く人間にとってはやはり慣れない。けれどその視界は広大で開豁(かいかつ)な赤や黄色の広がる自然の絨毯だった。

 見ているだけで落ち着く森の木々を眼下に空へと駆け上がった一行は一路カリーナ共和国との国境を目指す。

 期せずして夏季休暇中のカリーナとの一件と似た風景になったなと一人ごちる。


「れっつごー、です!」


 肩の上でフィーナが意気揚々と腕を掲げる。

 彼女の合図に合わせてか、ヘルフリートが風を一掴みして空をまた早く駆けた。




 しばらくの時間遠くに見える景色に見惚れたりしながら宙を行くと、やがて視界にカリーナ共和国との国境が見えてきた。

 それとほぼ同時、近くを飛んでいたダミアンがこちらに合図を送った後森の中へと降りていく。相変わらずヘルフリートの事は他国に秘密らしい。まぁ妥当な判断だろうと納得してクラウス達も国境より手前でヘルフリートの背から降りる。

 そこから再び陸路。少しだけ歩くと間も無く大地を裂く峡谷に掛かる木製の橋に到着した。

 あの橋を渡った向こう側はカリーナ共和国。理由もなしに渡る事は許されない。

 こちら側となんら変わらないはずの秋色の森をしばらく眺めて何が違うのかと一人思考に耽っていると、対岸に相手方の調査隊が到着する。

 時間通りの邂逅。このまま予定通りに何事も無く任務がこなせるといいのだけれども……と少しだけ危惧を増やしながら橋の中央で合流する。

 そうして近づいて、正面に立つ一団の中に見知った顔がある事に気付く。クラウスが気付くのと同時、向こうもこちらの事を覚えていたのか少しだけ驚いた風に表情を浮かべた。

 今回で二度目の出会い、いわゆる再会。前の時と何も変わらない鏡映しな二人の少女。亜麻(あま)色の長い髪に天(あま)色の瞳。異なるのはそれぞれ右と左で括った一つ結び。

 クラウスの記憶が正しければ右横で纏めた少女がピス・アルレシャ。左横で拵えた少女がケス・アルレシャだ。

 ピスとケスは不思議なものでも見るようにこちらの面子を見渡してそれから二人で視線をぶつける。

 彼女達は恐らく双子なのだろう。そうでなければここまで外的要因が似通ったりしないはずだ。

 双子は互いの考えている事が分かったり、同じ事を考えたりと言う話をよく聞くが彼女達はどうなのだろうか?

 そんな風にクラウスが少しだけ邪推している中、視界の先のピスとケスはまるで鏡の世界の住人のように同じ仕草で頷いてこちらを見据える。その際に二人の間で手が握られて、仲のいい事だと双子ならではの光景を収める。


「また会ったね、クラウスさん」

「黒い妖精さんとは会えた?」


 丁度互いの情報交換が終わってこれから共に行動を始めようと手を取り合っている最中。僅かに生まれた沈黙に息の合った二人の言葉が響いて、その声の示す意味にクラウスは思わず息を詰まらせた。

 こちらを見上げる透き通った天色の双眸。四つの宝石がそこに答えだけを求める興味を宿してクラウスに疑問を突き刺す。

 黒い妖精。クラウスに向けての言葉ならばそれに該当する存在はアル一人だけだ。

 けれど頭は正直に答えを返すよりもまず言葉に込められた事実を認識する。

 彼女達はアルの事を知っている。それはつまりどこかで彼女達とアルが接触していたと言う事だ。一体どこで……と考えて頭を振る。

 いや、今考えるべきことではない。とりあえずこの場にアルがいなくてよかったと気持ちを落ち着けて問題を棚上げする。


「…………アルの事知ってるんだね」

「会った」

「話した」


 独特な会話の間合いを持つ双子だと、距離の取り方を再認識しながら取りあえず手を取り合う。

 彼女達がここにいるという事はカリーナ共和国の共同調査隊に抜擢されたと言う事だろう。

 傍らに妖精の姿が見えないことから、彼女たちは未だ契約を果たしていない妖精憑き(フィジー)だろう。

 妖精憑き(フィジー)だからと言って妖精従きに劣るという事はない。彼女達は何かしらの能力を買われてここにいるはずだ。


「……12だね」

「でも5だよ」


 クラウスを見据えて静かに零すピスとケス。一体何の話だろうか? 年齢、体重、身長……。けれどそのどれにも当てはまらない数字。

 クラウスを見ての言葉なのだからクラウスに関係する事なのだろうが……自分の事ながらさっぱり分からない。

 そうして二人の奇怪な言葉に思考を裂く傍らで、ピスとケスは視界を回して順に告げる。


「6、8、20、4……」

「4、3、3、3……」


 ヴォルフ、ユーリア、ニーナ、テオ。それぞれに向けて意味不明な数字の羅列を語った二人はそれから鏡合わせに顔を突き合わせて呟く。


「クラウスさんは何だろう」

「分からないね何だろう」


 分からないのはこちらなんだけど……。

 音になりかけた気持ちをどうにか飲み込んでこれも棚上げ。

 彼女達が感じた何かだ。説明してもらったところでその意味を何処まで理解できるかも怪しい。大きな問題にならないのなら深く考える事はよそう。


「よろしくお願いします、クラウスさん」

「よろしくお願いします、みなさん」


 先ほどまでの謎な雰囲気から一転、社交辞令で飾った挨拶にどうにかいつも通りを取り戻す。

 それからピスとケスは大人たちの情報共有の輪から外れて、橋から谷底を見下ろしたりと自由行動に勤しんでいた。

 二人の様子を目で追っていると耳が声を捉える。


「あの子達は二人で全部が完結してるような節があって……協調性がなくてすみません」

「今回は調査任務ですし、そこまで危ない事にはならないでしょうから大丈夫ですよ。何かあれば僕達もお力添え致します」

「ご迷惑をおかけしてすみません」


 苦笑いで応対したのはカリーナから来た調査隊の男性。彼があちらの責任者なのだろうと労いの視線を送りながら手を取り合う。

 学生相手に丁寧な物腰。折衝事もできるに違いない。

 そうでなければこの仕事に抜擢はされない。

 そこで気付く。クラウス達はブランデンブルク側の便利な駒だと。

 軍同士の協力は、場合によっては摩擦を生む。それが国家間で、しかも国境でともなれば懸念に際限がない。

 けれどもそこに学生を交えれば下手な敵意がない事の証明に繋がる。

 校内保安委員会の実勢作りにも繋がることから、様々な思惑のある抜擢なのだ。

 そしてそれは、カリーナ側も同じ。ピスとケスがその証拠だ。

 恐らく今回の調査に当たり、お互いに敵意がない事を示す方法の一つとして、学生を巻き込んだのだ。

 面倒な政(まつりごと)の話だが、これがないと方々に禍根を残しかねない。必要の中の最前ということだ。


「取りあえずこの辺りを調査しましょうか。何かあれば連絡を取ると言う事で」

「分かりまし────」


 クラウスも大概だろうが、国の主ともなればそれ以上だと。

 内心いろいろなことを考えながら答えて、互いに情報伝達が出来るような状況を整えようとしたところで、耳が遠くに異音を聞く。

 震える大地。揺れる空気。何事かと音のした方に目を向ければ、そこには青い背景に緑色の山かと見紛う巨大な存在が鎮座していた。


「巨人っ!?」

「あの方角は……」


 ニーナの声に直ぐに平静を取り戻したダミアンの言葉が重なる。彼の声に気付いてクラウスも思考を巡らせてはっとする。

 ブランデンブルク王国とカリーナ共和国の国境を北上。大地に作られた亀裂の上に栄えた村。両国の交易拠点にもなっている二国に跨る重要拠点。

 人の住む少し大きな村がある場所だ。


「急ぎましょう!」


 響くユーリアの声。さすがは軍属、状況判断が早くて助かる。

 推進力を得た弾が銃口から飛び出すが如く、クラウス達は頷くが早いか巨人の方に向かって駆け出した。




 村に辿り着くとやはりと言うべきか混乱に陥っていた。

 取りあえず公権力を嵩(かさ)に騒乱を鎮めて避難誘導を行う。その最中、半数で巨人を監視しながら連絡を試みる。


「……で、連絡取れましたか?」

「…………いや、どう言う訳か繋がらなくてね」

「誰も妖精術使ってないわよね?」

「そうだね、僕達は、使ってないね…………」


 妖精力は別の妖精力の波長によって妨害される。例に違わず今まで設置してきた中継地点も妖精力から作られたものだ。

 通信ができないと言う事はその内のどこかが消滅したと考えるのが妥当だろう。けれど今まで通ってきたのは殆どが空路。妖精は空を飛べるが、そこまで高高度までは滅多に行かない。可能性は低い筈だ。

 とすれば陸路の内のどれかが候補に挙がる。その近くで妖精力の放出があって、その影響でと言うことだろう。

 また妖精はそう無闇に妖精力を使わない。ましてや人の居ないところで何の理由もなしにと言うのは中々聞かない話だ。

 それらの理由からここまで来る道中のものが妨害されたという可能性は極端に低い。

 ならば一番ありえる想像は簡単なもの。この周辺で誰かが妖精力を使用したと言う事。

 けれどクラウス達は誰も妖精力を放出してはいない。では一体誰が……と考えたところでクラウスはその想像に首を振りたくなった。


「じゃあ誰が……」

「一つしか……一人しか、答えは無いんじゃないかな?」


 嫌な想像が現実に変わっていく奇妙な感覚。積み重ねてきた情報が真実へと昇華する感覚。

 今まで幾度も実感しては結実を覚えた達成感が、今はただ世界を軋ませる異物の予兆として鳴り響く。


「巨人」

「妖精」


 いつの間にか避難誘導を終えて隣に来ていたピスとケスがただただ事実だけを口にする。

 妖精で、巨人。

 それはこの場を肯定し世界を否定する新たな理(ことわり)。


「……フィーナ、一応確認するけど、あの巨人から妖精力感じる?」

「…………はい。はっきりと。妖精術を行使した痕跡も」

「6だよ」

「4だよ」


 相変わらず双子の並べる数字の意味はよく分からないが、それはきっとあの巨人に関する事なのだろう。6で4……一体何の数字だろうか?


「こうなると問題はどっちに属するか、よね」


 クラウスが頭の片隅に情報を置いていると思考が追いついたのかニーナが告げる。


「妖精が巨人になったのか、巨人が妖精力を持っているのか」

「……可能性は低くてもどちらもありえるんですよね。否定材料が見つかりませんから」


 元々は妖精だった存在が何らかの妖精術を行使して巨人へと変化したのか。それとも巨人が妖精力を持っていて妖精術を行使したのか。

 けれどそこで情報を求めて今までの光景を反芻したクラウスが違和感を覚える。


「それともう一つ。先ほどこの巨人はいきなり現れたわけですよね。空を飛んできたわけですし、これだけ沢山の目があってあんなに大きな存在に気がつかないと言うのは不自然ですから」

「……大きさを変えられるって事?」

「もしくは何らかの隠蔽能力持ちとか。……少なくとも姿を現すまで妖精術は使っていなかったはずです。妖精術を使っていればフィーナたちが気付いているはずですから」


 きっかけを見つけてそこから現状を判断する情報を増やす。


「……何にせよ、あいつが妖精と何かしらの関わりがあるのは確かだな」


 テオの言葉に頷いて思考を回す。

 姿を変える技能。妖精に近いところで言えば人化の術。そこから派生した一種だろうか。けれどこれほど大きなものに化身すると言う技は聞いた事がない。

 仮に妖精がその妖精術を使ったとして、妖精個人ではそこまで大きな妖精力は内包できない。すなわち発動にすら満たないか、出来ても一瞬の事だ。これほど大きく形作って長く顕現することは妖精個人では不可能と言ってもいいほどだ。

 では妖精個人ではないと言う可能性。

 何かしらの援護を受けての大規模な行為……。もしそうならそこには人間に類する何かがいるはずだ。そうなれば国が見過ごすはずがない。

 そうでなくとも戦後の微妙な時期だ。小さな変化でも見逃すはずがない。

 それに調査隊が他方へ出向き、他国と協力して今回の任務は行われている。それは幾つもの場所で同じような事象が確認されている事の裏付けであり、そんな規模を隠せるほど国々は甘くは無い。

 ならば人間に類する存在が関与している疑い、そしてこの論の元となった妖精個人での巨人への意図的な変化はありえない可能性……か?

 ……いや、もう一つ。妖精でも人間でもない別の何かの要因による、妖精の巨人への変化の可能性。

 意図的にと言う話ではなく、偶然に。自然に。世界が妖精に関与した可能性。

 けれどそれならば他の妖精に変化が出ていない理由がない。それとも変遷の途中と言う話だろうか?

 それから根本が逆……即ち、巨人が妖精力を持っているという話。

 何かしらの異能で姿を消していた可能性。それならば今まで発見できなかった理由も納得はいく。

 しかし辻褄が合わない問題もある。

 フィーナが語った言葉。妖精術の行使。

 隠蔽術が妖精力に事を発するものでないとすれば、フィーナの感じた妖精力とはどんな妖精術を使った痕跡か。

 妖精術は無から有を生み出す異能だ。その結果には必ず何かしらの現象が生まれる。けれどクラウス達はその存在を認識していない。

 ……違う。矛盾しない妖精術は存在する。

 耐寒術式のような付与術式ならば目に見える変化ではない。体の中の妖精力の質を変化させる妖精術ならば外的要因は存在しない。


「フィーナ、巨人の体内の妖精力がどうなってるかとかは分かる?」

「……それは流石に無理です」

「………………あの巨人に触れることができたら?」

「それなら、多分……」


 求める情報が面から点に絞られて行動指針を定める。

 その傍ら、脳裏には一つの可能性が生まれていた。

 もしこの想像が合っているとすれば、無闇に反転術式は使えない。反転対象を選べない反転術式では対消滅しか引き起こせないのだ。

 だからそう、もしあの巨人の内包する妖精力が、妖精と同じものであったとするならば…………妖精と同じ構造をしているのならば、反転術式を使ってしまえばあの巨人は塵一つ残さずこの世界から消え去ってしまう。


「方針固まった?」

「……一応は」

「なら悩む時間は必要ないでしょ」


 前を見据えるニーナの発言。その志に理由を丸投げして気持ちを整理、それから覚悟を決める。


「…………分かりました。あの巨人の正体を暴きます。ヴォルフ先輩は儀式術式の準備を。テオは近くで僕を不慮の事態から守って。ユーリアは後ろから援護。ニーナ先輩はテオの補助に回ってください」

「目的は?」

「妖精は妖精力の扱いに長けます。近づいて触れることが出来ればきっと巨人の本質を見極められます」

「ならばわたし達もそれを援護しよう。それがわたし達の本来の仕事だ」

「こちらは空から助けになろう」


 ダミアンたちに続き、カリーナからの調査隊員達も名乗りを上げる。彼らも国からの命を受けての任務だ。何か結果を残さなければならないのだろう。

 頼もしい限りだがそこまで人数要らない作戦なんだけど……。

 と、クラウスが増えた人数の扱いに困っているとクリスがいきなり声を上げた。


「え、嘘っ!?」


 それは驚愕。直ぐに彼女の向く方に視線を合わせれば、刹那にそこに新たな巨人が現れた。次いでもう一つ。合計二体の巨人が新規で姿を見せる。

 視界が揺れて辺りに振動が伝播する。

 七色の妖精力を纏い顕現する姿。それは何よりも妖精術の行使の証だ。どうやらクリスが先ほど気付いたのは妖精術の使用を鋭敏に察知した為らしい。

 やはり妖精術を使うことができる。そしてその行使した妖精術は、自身の見た目を変えるような変化術。

 だとするならば、元は巨人では無いということだろうか。

 少しだけ情報を増やした景色が、それ以上に対応すべき問題を増幅させて余計に面倒臭くなる。


「……ダミアンさんたちは他の二体を抑えていてください。乱入されると面倒になるので」

「分かった」


 告げるとカリーナからの調査隊員達もそれに続く。

 ダミアン達はともかくカリーナの人達までがクラウスの指示で動いていていいのだろうかと少しだけ心配になりつつ準備を進める。

 ……いや、時間を掛ければきっと同じ結論に至っていた。クラウス決断が偶然早かったに過ぎないだけだ。

 すぐに思考を切り替えて目の前に集中する。

 今さっき巨人が新たに出現したと言う事は同種の妖精術を使用したと言う事。それもこんな短期間に別個体が連続して、だ。

 流石に何かの偶然で納得するには異常すぎる。

 意図的でないとするならば偶発的な、はたまた必然的な何か。

 妖精の異能を巻き込んでの騒動。その結末を想像が馳(は)せて雲行きを怪しくさせる。


「準備完了だ」

「では手筈通りに」


 視線を交わして駆け出す。踏み出した足がかさりと早くも枯れて落ちた葉を踏みしめる。

 クラウス達が走る姿を捉えた巨人がその進行上に重々しく腕を振り下ろす。

 しかしクラウス達にぶつかる寸前で横から盛り上がった土の塊が幾重にも壁を作り頭上からの衝撃を受け止めた。

 そう長くは持たないはずだ。一気に駆け抜けて手早く正体を明かすとしよう。


「テオ、右から」

「おう!」


 いつになく冷静な思考が視界の情報を処理して指示を飛ばす。クラウスの声に答えたテオが飛んできていた妖精弾を無力化する。

 どんどん近づく巨人の大きな体。たった少し寄っただけで空を隠してしまうほど巨大な存在に少しだけ同情をする。

 クラウスの想像が当たっているとすれば巨人に関する一連の問題で、目の前の存在は被害者側だ。

 ならば裏を返して、加害者は誰か。これは誰かが望んだ結末なのか……。考えて首を振る。

 このご時勢に進んで騒乱を起こしたい者は殆どいないはずだ。


 ────国を巻き込む戦争がしたいって言ってんだよ


 例外的に一握りの別な思想を持つ人たちはいるだろうが。ならば国が見逃すはずはなく、やはりこの話に加害者はいないのだろう。

 だとするならば、悪のいないこの問題にどんな結末が相応しいのか。どうすれば正義を振りかざすことが出来るのか。

 疑問は迷いへと変わり少しだけ感覚を鈍らせる。


「下ですっ!」


 唐突に響いた地鳴りのような咆哮。次いでフィーナが声を上げれば、クラウス達の足元には大きな方陣が広がっていた。

 妖精術……範囲が広い。


「防────」


 間に合わない。無意識に展開した防御方陣。ヴォルフの援護も追いつかない。

 そこまで計算したところで足元が虹色に瞬く。

 けれど起きた現象はそこまでで、妖精術が顕現する事はなかった。

 思わず閉じていた視界を開くとそこには先ほどまであった方陣が跡形もなく消え去っていた。

 何が起きたのかと情報を求めて視界を回せば、近場の地面が抉れているのが目に付く。注視すればそこからは旋風が舞い上がっていた。


「……リーザさんの妖精力です」

「…………なるほど。そういうことか」


 話は簡単。方陣を見たユーリアが発砲。妖精銃弾(フィーアモ)を使って妖精力をぶつけて中和、妖精術の発動を無効化したわけだ。

 ならば立ち止まっている暇は無い。再び走り出して巨人への接近を試みる。

 巨人が出現したのは森の中。近づくにつれて道と視界が悪くなる。巨人から見つかり難くなるがその分逃げ難くもなるのだ。


「あと少しっ!」


 迫り来る妖精弾を手に持った炎の剣で叩き落したテオが叫ぶ。

 その声を掻き消すようにまた巨人の唸り声が辺りを振るわせた。呼応するように方陣が展開される。

 流石に森の中では援護は望めない。けれど咆哮の後に来ると分かっていれば対処は出来る。


「会長、水で上へ!」

「もう会長じゃ、ないってのっ!」


 言いつつ足の下から逆巻く水流を作り出すニーナ。

 一瞬ぐらりと傾いだ視界をどうにか持ち直すと、広がった視界は秋色に染まりつつある絨毯に巨人が存在する異質な光景。

 この機会は逃すまいと咄嗟の判断で足に力を入れて巨人に向かって空を飛ぶ。

 重力に任せての自由落下。肌に感じる空気が重くて、春先のフィーナとした妖精化の術を思い出す。

 視界の先で幾つもの土塊(つちくれ)が大地から突出して一部を茶色に染め上げる。あれが先ほど巨人が使った妖精術か。テオたちは大丈夫だろうか?

 少しだけ心配してそれから思考を上書きする。

 何より今は巨人が先決。テオにはいざと言うときの極炎闘衣(ラーヴァ・メイル)があるし、どうにかするだろう。

 腕を巨人へと伸ばす。衝撃耐性の付与術式は既に掛けた。いきなりで悪いが、あの肩にでも乗せてもらうとしよう。

 あと10メイル……。

 既に視界は巨人の体表を判別できるほどに近づいて巨人が纏う妖精力の残滓を肌で感じる。

 そこまで迫って、視界の先の巨体が重く傾ぐ。

 風圧に煽られて姿勢を崩し、巨人が後ろに反った所為でクラウスの手が届かなくなる。

 途端背筋を緊張が走る。そういえば着地考えてなかった。これだから感情任せな行動は嫌なんだ。

 自分の行動を叱咤する。直ぐに現状打開を紡ごうとして思考が固まった。

 目の前に迫る頑強な大地。刃物のように頬を風が切り、耳は風圧を雑音として捉える。

 飛べないというのは不自由だ。だから人は飛ぶための方法を模索して他種の力を応用して空を得た。

 クラウスも視界を重ねてみたくて妖精化の術を作り出した。

 けれどそれは飛ぶための力ではなくて、興味から出た自己満足。

 想定をしていなければ日常のようには使えない。クラウスの頭には飛びたいという欲があっても、それを現実とする方法……妖精化と言う手段が抜け落ちていた。

 物質浮遊を掛けても直ぐに勢いが落ちるわけではない。衝撃耐性もこの速さならほぼ意味を成さないだろう。

 結果何も出来ずにただただ現実だけを受け止める。

 風の音で辺りの景色から色が奪われ、体が重さを御しきれず四肢が動かない。

 残ったのは落下するクラウス────を中空で支える風の塊だった。

 閉じた視界を開けば景色は青色の空。白い雲。

 耳には残響のように唸って揺れ伸びる何かの音。


「……銃声…………?」


 呟きにあぁそうかと思考は納得を生み出す。

 今体の周りを庇護している風がどこか温かく感じるのも。意図的な上昇気流で空に舞い上がっているのも。ぶつかる筈だった大地が僅かの砂塵を撒き散らしただけなのも。気付けば目の前に巨人の体があるのも。

 全てユーリアの機転のお陰だ。


「…………フィーナ、手」

「あ、はいっ……」


 自然と零れた言葉に肩にしがみ付いていたフィーナが間の抜けた声で返す。次いでゆっくりと腕を伸ばした。

 フィーナの手のひらが毛むくじゃらの体表に埋もれて、小さな森のような巨人の肌に触れる。

 彼女の小さな手が掻き分けた場所から、ごつごつとした凹凸が目に見え、肌からは生物特有の温度を感じた。

 まるで生きた大地だと。脈動する意志を間近に感じてその本質に気付く。そうして天啓のように気付くことができたのは、この身に僅かでも妖精の血が流れているからかもしれない。

 それとほぼ同時、巨人に触れたフィーナが静かに零す。


「クラウスさん……」

「あぁ……」


 繋がった回路からフィーナの考えを共有して答える。

 そこにはもうこの世界を肯定する言葉しか残されていなかった。


「妖精だ」




              *   *   *




 震えた空気。遅れて響いた重低音に振り返ってその姿を視界に収める。

 あれは、巨人っ。もう既にその片鱗が姿を現し始めたか……。

 歯噛みしてそちらに向かって飛翔方向を変える。

 体で風を切って前へと進むと、短く切り揃えた頭髪がはらはらと煽られて少し鬱陶しく揺れた。

 闇夜のように黒い短髪。彼女とは対極に位置する陰に溶ける漆黒。

 彼女は知らない。この世界に起ころうとしている変遷も。あたしたちが何のためにここにいるのかも。

 あたしたちがここにいてはならない存在だと言う事実を────

 我が身に流れる妖精と人間の血。そこに込められた意味を今一度考えて呼吸を正す。

 これは使命。彼に、彼女に託されたこの世界の理を覆し、固める任務。

 そのために彼の側に付き従い、彼を王様へと祀り上げるあたしたちのための物語。

 全ては運命付けられた宿命。

 巻き込まれた彼には少しだけ申し訳ないと思う。

 けれど今となっては彼以外にはありえない。だからもう、あの時に葛藤は捨てたはずだ。


 ────そうしたら貴方が王様になるのよ


 あの言葉は目指すべき未来では無い。到達してしかるべき真実だ。

 彼は王様だ。あたしが過去に敬愛し、過去に妬んだあの奔放な妖精王。その座を継ぐべき存在だ。

 そのために今までを過ごしてきた。

 幼少の砌(みぎり)に彼と言葉を交わし。盲目的に目標を共有し。初めからどこかで辻褄が合うはずだった物語を性急にした。

 結果、少しだけ歪んだ未来はあたしではなく彼女を選んで、この居心地の悪さと役目を見つけた。

 あたしは彼を肯定する。

 彼が成そうとする未来を導く。

 彼の過去のはんぶんであり、未来のはんぶんだ。

 はんぶん。そう言えば彼女もそんな事を言っていたか。

 その折に彼もまた、そこに自分の意思はないと語った。

 きっとそれは傍から聞けば人間らしさの欠如であり、彼に言わせれば感情の欠如であり、自我の欠如だ。

 彼は自分で考えて行動している。けれどどこかで納得しているのだ。

 そこに自分の意思はなく、言われるがままただ能動的に物事を完遂しているだけに過ぎないと。

 それを飲み込んで、正しい事だと嘯いている。

 何も知らないはずの彼は、想像だけでその世界を創り出している。

 だからこそ、彼は人の域を外れた存在だと知覚されるのだ。

 だって普通考えないだろう…………自分が国をつくろうだなんて。


「狂ってる」


 それはこの世界に対しての言葉だろうか。それとも欠けた彼に妄信する自分に対してだろうか。

 何にせよ、その一欠片に彼を選んでくれたあの人には感謝をするばかりだ。

 お陰であたしは大義名分に押し潰され自分を見失わなくて済む。

 空を駆けて、気付けば目の前に巨人が迫っていた。

 まるで前を飛ぶ羽虫を鬱陶しく払い除けるように重く腕が宙を掻く。

 流石にこの衝撃を受け止めるわけには行かない。潰されてしまう。


「…………っや!」


 半身くるりと捻って風圧を体に受けながら撓る太い腕に手のひらを這わせる。

 幾ら大きな一撃と言えど、空を舞う自由度には程遠い。

 触れた手のひらから妖精術を行使して、その七色の光が巨人の大きな体を包み込む。

 すると次の瞬間、それまで山のように存在していた巨体が虹色の残滓を振りまいてその場から姿を消した。

 手のひらを見つめて呼吸を正す。

 あたしが出来るのは一時的に変化を遅らせる事。結界術式でも併用しない限り断続的な効果は望めないし、そうなれば多量の妖精力が必要となる。

 この力を、彼と合わせればどうにかなったかもしれない未来。アルフヘイムを願わなくてもよかったかもしれない未来。

 そこでふと気付く。

 あぁ、そうか。彼が彼女と契約する未来だから、アルフヘイムの再興が必要なのかと。つまりあの人は最初からあたしではなく彼女を……フィーナをその相手と知っていたんだ。

 そうでなければあたしは生まれなかった────

 胸の内を突く強い衝動に笑う。

 そうだ、あたしはここにいる。彼女から産み落とされた存在として、今ここに役割を持って存在している。

 面倒臭い事は彼に任せてしまおう。そのうちあたしの存在もきっと肯定してくれる。

 彼の優しさは極めつけだ。

 何せ巻き込んでしまった友人を手放しで見過ごす事ができないほどには、他人に興味を持っている。

 そこに疼く気持ちに目を瞑れば何て事はない。


「…………嫌な役目っ」


 彼が本来いるべき場所を思って嫌気が差す。

 巻き込んだのはこちら側。ならば最後に笑える未来を創り出すのもあたしたちの役目に違いない。

 遠く大変な道程だ。けれど彼がそこに自分の存在意義を見出せないのであれば、あたしが彼を肯定しよう。

 彼が嫌う異性の涙を永遠に刻み付けて、彼をこの束縛から解放してあげよう。

 それがきっと、あたしが彼に出来る唯一の恩返し。あたしが彼にしたいあたし自身の気持ち。

 彼はこちら側の存在ではないのだから。


 ────けどやっぱり、そこに僕の居場所は無いんだ。僕は、人間だから


「急ごう……!」


 目的を見つけて二対の翅で風を掴む。

 ぐんと加速した世界で、妖精は一人想う。

 彼は誰のものでもない。彼はみんなのものだ。

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