第三章
選挙の日はいつも通りにやってきた。
クラウスの周りでは一部の者たちが何やら火花を散らしてはいたがとりあえず放置して。
多目的会館にて演説を終えたクラウスは舞台の上で静かに生徒たちを見回す。
結果の決まった選挙だがどれ程の票が集まるのかは流石に気になる。結果を聞けばそこから今後の方針を決める事ができるし、目標へと繋がる。
可能ならば忌憚のない票を貰いたいものだと考えつつ、斜め前で応援演説を行うニーナに視線を向けた。
彼女はテオの後援だ。それ以上に生徒会長であり、エルフであり──彼女個人としてはテオの恋人だ。
真摯な言葉で綴られるニーナの言葉に耳を傾ける。
彼女が目指したもの。それを受け継ぐべき人物。強い信頼。
ニーナは彼女だけの責任ではないとは言え一度失敗した。だからこそ彼女の言葉には幾つもの可能性が秘められている。
ニーナとしてはただ素直に私情を交えず言葉を連ねているに過ぎない。けれど聞く方にとっては受け取り方が変わる。
今でもニーナを快く思わない生徒は確かにいる。そんな彼女が選んだ次期生徒会長で、男だ。
曲解されないという事はないだろう。
そんな懸念を前に一度ぶつけたことがある。そのときの彼女は優しく笑って真っ直ぐに答えた。
『知ってる』。
だからこそ、クラウスは期待していた。彼女が語る言葉に。彼女の答えに。
「──あたしは、エルフです」
それまでテオに対しての演説を行っていたニーナ。その声が唐突に色を変える。
文脈を無視したいきなりの言葉に、少しだけ生徒たちがざわめく。
「あたしは、エルフです。だからあたしの事を信じられないのはよく分かります」
そんな動揺を深く吸い込んでニーナは続けた。
「けど彼は違う。彼は、あたしとは違う、人間です。だからあたしと同列に語らないで」
強い語気に生徒たちが静まり返る。
隣に座るテオが息を呑むのが聞こえた。反応を見るに、どうやら原稿にはない即興演説のようだ。
「エルフの事をどれだけ悪く言おうと構わない。……けど、貴方たちと同じ人間までを、貶さないで。貶めないで」
真摯に訴えるニーナ。
彼女の言葉は彼女の極個人的な言葉だ。だからこそ、飾らない本音としてこの場に響き渡る。
「あたしの前で同属を貶した分だけ、貴方は貴方としての価値を下げるから。もしそんな人たちがいるのなら、あたしたちエルフより下等ってことよ」
それはいつしか彼女の母親が演じて見せた反面教師。
「貴方たちがエルフより優れているというのだったら、あたしの前で他人を攻撃しないで。彼を一人の人間として判断して」
ニーナはきっとどこかで人間に憧れを抱いていた。
だからこそ、汚く他人を攻撃する者たちを許せなかった。
そんなものは人間のする事では無いと。そんな事をする者は同属でさえ他者を尊重できない下等な者だと。
そうでないならばエルフを見下せと。そうして人間たちが正しいと思うのならば見下せと。
全てを敵に回して、平等を謳い。そして他人を見下す事のできない理想を掲げた。
高潔な生き様。
エルフを貶せば、他種を貶す存在として人間を下に見ると。貶せないのならば誰のことも下に見るべきではないと。
彼女の願った全ての平等を今ここに体現して見せた。
「それが、ニーナ・アルケスとしてのお願い。前生徒会長としての、生徒代表としての言葉。彼に送る応援の言葉」
真っ直ぐに伸びた背中を見つめて深く心に刻む。
「あたしを選んでくれた皆に、今度は彼の事を選んで欲しいから」
今ここにいる誰よりも、ニーナは正しくいた。
静まり返った会館に一礼をしてニーナは下がる。
テオとのすれ違い様、何事かを囁いたようだったがクラウスには聞き取る事ができなかった。
ただ彼女は誰よりも優しく笑っていた。
拍手もなく静寂に支配された空間にテオが立つ。やがて一呼吸する間を開けてテオが紡いだ。
「──さて。ニーナ前会長の言葉に異論のあるやつはいるか? いないよな。だって誰かを貶せばお前らが一番下等になっちまうからな。だったら後はお前らの胸の内に聞け。俺は相応しくないか? 彼女の意志を継ぐには若いか? その答えは投票として全部受け止める。だから逃げずに票を叩きつけて来い。もしお前らが認めてくれるなら、俺はその期待に応えたい。彼女が語った理想を現実にしてみたい。彼女が正しいって事を、俺が証明したい。お前らも心の中でもう納得してんだろ。だったらその素直な気持ち全部ぶつけてみろ。そしたら言い訳なんてしなくていいから。お前らの言葉を俺が認めてやるから。俺にお前らの責任を背負わせろっ!」
術式封印石を通して増幅された声に雑音が混じるほど言い切って、テオは生徒たちを見下ろす。
クラウスも一緒になって考えた演説全部を投げ出した至極単純な彼の言葉。
心の中で彼の演説が最後でよかったと思いつつ、この後どうしようかと頭を悩ませる。
当初の予定ではテオの演説が終わり次第、彼の言葉でこの場を終わらせて各々に投票をしてもらう予定だった。けれど暴投もいいところなニーナとテオの宣言に全てを持っていかれてそれどころではない。恐らくテオも当初の段取りなど忘れてしまっているはずだ。何せあんなに頭を唸らせて作った演説文を台無しにしてくれたのだから。
溜息を吐きつつ最初の大仕事だと割り切って席を立つ。テオの前に置かれた台から集音器を少し乱暴に取ると呆れるように告げる。
「……これにて新生徒会役員候補の演説会は終わりです。生徒の皆さんはこの後選挙の投票に移ってもらいます。担当の教員の方は誘導の方をお願いします。長い時間ご静聴いただきありがとうございました」
集音器を元に戻して一礼すると舞台袖に引く。クラウスに続いてどこか楽しげなニーナとテオたちがゆっくりと着いてきた。
やがて会館全体からは生徒たちの雑談の声とそれを諌める教員の言葉が混じり合い、騒然とした雰囲気へと変わっていった。
とりあえずこれで終わり。ようやく肩の荷が一つ下りると溜息を吐いて、爆弾を落としてくれた二人に振り返る。
「全く、何をやってくれてるんですか……演説文も段取りも全部台無しにして…………」
「会長があんなこと言うから利用させてもらおうと思って」
「元はと言えばクラウス君がニーナに期待なんか掛けるからでしょう?」
「期待はしましたがこんな場所で答えを返さないでくださいよ」
終わった事とは言え凍りついたあの空気は心臓に悪かった。今でもいつも通りに振舞えた自分に少しだけ驚いている。
「まぁ積もる話はまたにしましょう。あれも決めないといけませんし」
「あれ、って何ですか……?」
クラウスの言葉にフィーナが首を傾げる。そういえば彼女には言ってなかったか。
フィーナにも関係のあることだ。尤も今回は前のような気迫に溢れたものではないが。
「体裁としては引継ぎ式。実態はお遊びの試合。新生徒会役員と旧生徒会役員で行う送別会だよ」
「新生徒会役員は先輩の胸を借りて。旧生徒会役員は未来を託す後輩を最後に激励するために行われる試合ね」
「妖精術を使った実戦形式の試合だからフィーナも力を貸してね」
「わ、分かりましたっ」
送別会とは言うがそこに言葉ほどの意味合いは無い。建前上は今述べたように幾つもあるが、実際の受け取り方は簡単だ。
生徒たちにとってはお祭り騒ぎ。当事者にとっては言葉の外での交流会。
あまり言葉にはされない事だが生徒会役員になる者は大抵が実力のある者たちだ。だからこそ、そんな生徒たちが集まって試合をするとなれば実技試験同様他人の技術を奪ういい機会となる。
また試験の時と違いこの試合では勝敗に意味が殆どない。結果を気にしないのだから好きな風に作戦を立てては横暴に見える戦い方を披露する。結界内で行われる戦闘は派手で豪快な魅せの戦だ。
そうして楽しい事を一番に行われるが故に、技術に興味がない生徒も爽快感を求めて観戦する。
結果この送別会は毎年お祭り騒ぎとなるのだ。
新生徒会面子の力量のお披露目という側面もあるが、殆どの生徒が忘れていることだろう。
「で、組み分けはどうするつもりだ?」
「例年通りなら前会長……ニーナ会長が決める事になってますけど…………」
「もちろん遠慮するわっ」
「だと思いました」
こんな豪快な理不尽もあと少しで最後かと思うと寂しささえ湧いて来るのだから、彼女の存在は不思議だ。
「投票の結果が出るまで時間がありますし今の内に決めておきましょうか」
「そうね。とりあえず新生徒会と旧生徒会であたしとグラ……テオは別々ね」
「お、おうっ」
ニーナが選んで勝ち取ったテオの隣という立場。だからこそその変化は彼女自身の意思だ。
横に並び立つための第一歩として彼女はテオへの尊敬を捨てる。
それはニーナにとっては名前で呼ぶことだったらしい。
油断していたのかテオが照れて視線を逸らす。そんな反応にニーナが甘い笑顔を零して。
そんな一幕を挟みつつ組み分けを進める。
ここから新しい生徒会として進み出すのだ。ならばそれぞれの役割を全うしてもらわなければ。
クラウスは副会長らしくテオに任せて一歩引く。するとその背中に声が掛けられた。振り返るとそこにいたのはどこか不機嫌なユーリアだった。
「クラウス」
「……まずは、お疲れ様。色々ありがとね」
「そうね。正式に副会長として期待してるわよ」
素直な言葉に笑顔を浮かべて胸の中にしまう。
副会長になったからといってユーリアとの関係は何も変わらない。校内保安委員会はニーナの卒業まで彼女が仕切るし、今まで通りだ。
それに彼女との個人的な関係進展はクラウスの野望にも必要なこと。生徒会と委員会。どちらも円滑に回せるように尽力しよう。
「それじゃあ私も投票に行ってくる。……無様な試合にはしないでよ」
言って逃げるように踵を返すユーリア。彼女なりの応援の言葉にいつも通りの雰囲気を取り戻して視界を回す。
視線を向けた先はアンネ。彼女はユーリアの去っていった方をじっと見つめて何やら考え事に耽っていた。
それからクラウスの視線に気付いた彼女は笑顔を浮かべて小さく手を振ると、どこか逃げるようにユーリアの後を追いかける。
何を考えていたのだろうか。少しだけそんな事を邪推して頭を振った。
今更考えたところでどうにもならない。クラウスはクラウスにできる事をするだけだ。
日を改めて翌日。間違いなく計算された得票数が開示されその結果に、学院中へ安堵の空気が満ちた。
一波乱起きたニーナとテオの演説は予想以上の反響を見せてほぼ全生徒からの支持を獲得し、ヴォルフとマルクスもそれに続く得票。
クラウスとエミも殆ど差異はなく、接戦となり僅かにエミの方が多かった。
ユーリアとアンネを巻き込んだ──と言うか彼女達が率先して行っていた水面下での闘争は、エミ側の勝利で終わった。僕個人としてはどうでもいいことなんだけどね。
そんな紙面での発表の午後より。準備運動を終えた新旧生徒会役員達は校庭の真ん中に睨み合う様にして立っていた。
クラウスの隣にはニーナとヴォルフ。対面にはテオ、エミ、マルクスの三人。話し合いの結果こういった組み分けとなったのだ。一応体裁的にはクラウス達が旧生徒会組、テオたちが新生徒会組だ。
構成としてはクラウス達が防御寄り、テオたちが攻撃寄りの編成となったが、役割がはっきりしている分派手な試合が期待できる。
元々そういう目的とは言えある程度の戦力差はどうにもならない。足りない部分は連携と作戦で補うのみだ。
「クラウスと手加減なしでやりあうのは初めてだな」
「もちろん正面からやりあうつもりは無いよ。負けるつもりは無いしね」
テオの挑発にいつも通りを返して気持ちを落ち着ける。
真っ向勝負が好みなテオが言葉の網とは……変な入れ知恵をしたのは彼かとマルクスの方を窺う。
「……お手柔らかにお願いするよ」
「笑顔で言われて頷くほど立派な性格してないよ」
期待なのか信用なのか分からない穿った言葉に笑顔で返す。
十中八九あちらの作戦参謀は彼だろう。戦闘馬鹿なテオと内気なエミをどういう風に纏め上げるのか少しだけ気になりながら相手の紅一点へ視線を向ける。
瓶覗色の瞳と目が合ってそこに秘められた覚悟に浮かんだ懸念を捨て去る。
ハーフとは言え彼女もエルフだ。その身に宿る種への信頼と強い思いはニーナにも引けを取らない。いや、ハーフだからこそ、か。
エミの覚悟は彼女自身に対してのものだ。
同じエルフであるニーナに対して。共に新副会長立候補者として鎬を削った敵であるクラウスに対して。ここにいる誰よりも幼いドルフの生徒として。
何処まで彼女自身が戦えるのか。自分に何ができるのか……。
その限界に挑む覚悟の戦いだ。
一人だけ相棒を持たない彼女は、扱える妖精術の規模で言えば一番弱いだろう。だからこそそこを逆手に取って来るはずだ。油断は出来ない。
それに精霊術もある。ニーナが少し前の進級試験で使用したように、妖精術を利用して精霊術を発動することができる。
妖精術は他の妖精術で打ち消す事が可能だが精霊術は物理的なものだ。周りにあるものを流用して言の葉で命令を出し力を行使する。精霊術の本質とは妖精術のように妖精力で生み出して、妖精力の循環したものをぶつける技能ではない。そこにあるのは純然たる物理法則。
それぞれ過度でなければ水は地に塞き止められ、炎は水に消され、風は炎に焼かれ、地は風によって風化され崩される。属性同士の相性だ。
ある程度の物理的なものは妖精力、妖精術で防ぐ事ができる。けれど一定量の力が加えられれば妖精術だけでは精霊術を押さえる事はできない。
妖精術は生み出すことには長けていても既存するものに干渉する事は難しいのだ。
簡単な例として、ユーリアが撃った実弾を妖精術の防御方陣で防ぐ事はできないが、精霊術で地面を盛り上げて壁にすれば難なく防ぐことができるという事だ。もちろんそれが妖精銃弾であるならば、妖精術でも対処の仕方はあるだろうが。
つまり妖精術に精霊術を重ね掛けされてはこちらにとって痛手となる。
けれどそれはあちらも同じ事。こちらにはニーナがいるし、エミの対処は彼女以外にはできない。
どちらかのエルフが欠ければ勝敗は一気に傾く……。
大胆にかつ慎重に。全くしんどい注文だ。
「負けませんっ」
「あたしだって譲る気はないわよ。可愛い後輩にいいところ見せないといけないしね」
「実力の差を教えてやる」
ニーナに続いてヴォルフまでもが相手を威圧する。
彼女達の言葉は重みがある。その重みの前に少しでも萎縮してくれればとありもしない想像を浮かべる。
ここに立つのはそれぞれに覚悟と勇気を背負った者たちだ。ならばもう都合のいい未来だけに縋るのはよそう。
「とりあえず楽しみましょう。結果はそれに付いてきますよ」
「ではこれより、新旧生徒会役員による特別試合を執り行う!」
教員の宣言に観戦の生徒たちが歓声を上げる。
いよいよ始まる。年に一度の魅せ試合。大抵の場合は終わった後に生徒を巻き込んでの乱戦となるが……それは後でどうにかしよう。
今は目の前の試合に集中。勝つために、全力を尽くすのみだ!
「さて、クラウス君。作戦は?」
教員の声を聞いて結界の中へと放り出される。
視界を開けば目に映るのは岩肌と砂地。景色の中に幾つかの大きな岩が存在するも特別視界を遮るものがない荒地。
吹いた風に小さな砂塵が舞い上がって乾いた空気を肌が感じる。
どうやら今回の戦場は荒野らしい。
水も炎もない地形。そしてこちらには地の妖精術を得意とするヴォルフがいる。うまく戦闘を構築できればこちらが有利だ。
そんな事を考えていると隣のニーナが開始早々丸投げをかましてくれる。
「そうですね。とりあえずその辺りに身を隠しましょうか。ヴォルフ先輩、砂を使って辺りの探知って出来ますか?」
「……精度は期待できん、ないよりはましな程度だ」
「でしたら人形などを作って相手の撹乱をお願いします」
「分かった」
まずは初手。作戦会議中に襲われるのが一番厄介だ。相手の面子なら初手特攻もあり得る。
この地形なら地系統の土や砂の人形が使える。
この人形は創造術式と呼ばれる、地属性の妖精術の中でも汎用性の高いものの一つだ。土や砂、金属から人形や武具を作り出す妖精術。そこまで凝った物は作れないが、即席で作り出せると言う強みがある使い勝手のいい妖精術だ。そのため地の属性を持つ大抵の妖精憑きや妖精従きは初歩的なものでも習得する。
土や砂から人形を作り出し遠隔操作する。それらは何らかの接触を受けると術者に幾つかの情報を齎す。
何処から攻撃されたのか。そこに何があったのか。地形情報としての反応を受け取ることが出来る。
高位のものは術者の視覚と共有する事で景色として認識する事も可能な技だ。
クラウス達の方で地の妖精術を得意とするのはヴォルフだが、彼の真価は別にある。人形の創造、操作に秀でているのは彼の相棒たるクリスだ。
傀儡操造。クリスがヴォルフと契約した事によって得た特技だ。
砂や土に限らず金属など大地に属するものから操り人形を作り出す。元とした素材によって人形の持つ能力が変わるといったものだ。
今回は砂。砂から作られた人形は耐久性に乏しい。しかし辺りに砂があれば欠けた先から再生したり、砂の中に潜伏したりと自然を味方につけることができる。
また、こういった地形では量産が効く。物量で制圧する事が可能になる。
もちろん妖精力で作り出した物。別な波長の妖精力で干渉されれば再生が効かないままに壊されてしまう。が、物は使いようだ。
「設置できました」
「ありがとう」
クラウス達の偽者を設置し終えたクリスが岩陰に戻って来る。
これで相手の居場所把握。先に相手を見つけるのはこちらにしたい。
相手には風の妖精術を得意とするマルクスがいる。空間での探知はあちらに利がある。だからこそ偽者を掴ませる事ができれば口火はこちらから切れる。
クラウスもフィーナと示し合わせて反転術式の準備をしながら策を煮詰めていく。
「で、どうするわけ?」
「会長は──」
「もう会長じゃないわよ」
「そうでした」
いつもの癖で言って呆れられる。クラウスとしては会長と言えばニーナだ。だからこそ他の呼び方に違和感を覚える。
「……先輩はエルフです。そして相手にもハーフエルフのアリデッドさんがいる。そこが今回の鍵です」
「どちらかが欠けた瞬間勝負が決する、そう言う事ね?」
「精霊術を妖精術で迎え撃つのは酷ですからね。そのうち物量で押し切られます」
「しかし相手には極炎法衣があるのだろう」
「テオは極炎闘衣って呼んでますね。確かにあの防御性能は厄介です。けれど、抜けないわけじゃない」
「…………その辺りはクラウス君に任せるわよ。あたしは正面切っては無理だったし」
忌々しいとばかりに渋面で告げるニーナ。
彼女の経験は大きいがテオもあの頃よりは強くなっている。全く、一筋縄ではいかないか。
「幸い属性で言えば炎に水を当てられます。けれどいい事ばかりじゃないのも事実です」
「炎と風、か」
「属性の乗算ね」
ヴォルフの呟きにニーナが続ける。
属性の乗算。属性はそれぞれに得意不得意が存在するが、中には複合させることで強大な妖精術を行使する組み合わせも存在する。
有名なのはヴォルフの言った炎と風だ。
属性の関係で言えば風は炎に弱い。けれど炎に生半可な水を掛けても助長するように、適度な風を炎に加えれば火力を増幅させることが出来るのだ。
テオが炎、マルクスが風。二人はテオがトーア時代の級友でもあり、幾度か肩を並べている。ならばその呼吸は互いを援護するには充分だ。
「乗算された妖精術は単体では威力を殺すのが精一杯、でしょうね。防ぐ手立てがないわけじゃないけど」
「反転術式も乗算には太刀打ちできません。あれは一つの妖精力に対してのみしか反転できませんから」
「となると術の出を潰すのが正攻法か」
結論を共有して方向性を固める。
流石のクラウスも今回ばかりは分が悪い。何せ相手の属性が攻撃的過ぎる。幾ら防御と補助に秀でた地と水でも対処は難しい。
「後問題なのは未知数の彼女だ」
ヴォルフの言葉にはっとして頭を悩ませる。
相手の紅一点、エミ・アリデッド。問題は彼女の得意とする属性だ。
「すみません、乗算、三人分でした。彼女は炎の妖精術を得意とする妖精憑きです」
失念していた事実。
言葉にして失敗したと悟る。
彼女が別の属性ならばまだ勝機はあった。けれどよりにもよって破壊の象徴たる炎。そこにマルクスの風が乗っかれば言葉にするまでもない。
あちらの炎の嵐を正面から対処する術はこちらには無い。
「うーん、辛い…………」
「いいことじゃないですか。次期生徒会役員は期待が持てますよ」
「いいところ魅せたかったなぁ……」
既に後ろ向きな作戦会議に溜息を落として思考を一新する。
「だったらいっその事攻めに回りますか? 派手に暴れて────嫌な勝ち筋見えました」
口にして脳裏に閃く泥臭い未来。
悪役の笑顔を浮かべて単純な理想を作戦へと昇華する。
思考を重ねて言葉にすれば、眼前の先達は獰猛な笑みを浮かべて答える。
「悔いを残すのは避けたいからな」
「いいじゃない、乗ったっ!」
これが作戦だなんて思いたくは無いが勝てるならば灰でも被ろう。
というかヴォルフも大概血の気が多い。テオほどではないが、彼は優秀な生徒だ。
少なくとも一対一では現状のクラウスなど足元にも及ばない。
「わたしはクラウスさんらしくて好きですよっ」
フィーナのお墨付きを貰って頷く。
派手に暴れて溜まった鬱憤を発散しよう。
そして最後に、彼女に華を持たせよう。
「来ました」
「よし、いこうか」
決意と同時クリスからの報告が入る。
殆ど遮るものがない荒野の戦場でヴォルフの力を借りて身を隠しながら近づく。
視界を覆うのは砂嵐。小さな砂塵を巻き上げて視界と感覚を鈍らせる地の利を使った撹乱戦術。
敵の位置は砂の人形で把握している。クラウスの判断で風の感知範囲限界まで近づくと呼吸を整える。
「では手筈通りに」
「行くといいわね」
「……行くぞっ」
弱気なニーナに笑顔を返すとヴォルフの指示で岩陰から飛び出す。
作戦は単純。砂の人形で注目を引いてその間に接近戦に持ち込むだけだ。
考えて、砂の大地を疾駆する。足を取られないように注意しながら目標に接近すると、右手に持った短剣を突き出す。
相手はクリスの砂人形で視界を奪っているはずだ。その隙に一撃でも入れることが出来ればこじ開けられる。
けれどそんな想像とは裏腹に、突き出した短剣に手応えは無い。
途端吹き荒れる烈風。逆巻く砂塵が内から吹いた風に押されて視界を広げる。
そうして対面する敵の姿。
目の前でクラウスの突きを受け流したマルクス。その後ろで砂人形を焼き尽くすエミ。
直ぐに蹴りを放ってマルクスを遠ざけると短剣を投擲する。けれど風を味方につけるマルクスは飛来する異物を感知してか体を捻ってひらりとこれをかわした。なるほど二重に風の探知を張ってたな? あっちの方が一枚上手だったか。
こちらの奇襲に気付いた相手の手管を暴くのと同時、耳が砂地に突き刺さる短剣の音を聞く。
傷は負わせられなかったがとりあえず接敵は出来た。後はテオ、どこにいる?
「それは直線的過ぎるかなぁ」
「だよなー」
マルクスを視界に収めながら幼馴染の姿を探すのと同時、背後からニーナの声が、それから続いて聞き馴染んだ幼馴染の声を捉える。
予定通り、とは言えいきなり背後を取られるとは情けない。やはり風の索敵は侮れないか。マルクスの指示も的確だ。
「……さて、クラウス君。早速一本失ったわね」
「二本無いと戦えないほど考え無しじゃありませんよ」
テオを跳ね飛ばしたニーナが背中合わせにからかって来る。
軽口を叩けるならそれ以上は望まない。彼女には当初の予定通り彼の相手をしてもらおう。
「あれ、ブラキウム先輩は…………」
「余所見っ」
「してないよ!」
そうして一度落ち着いた視界でヴォルフの不在に気付いたマルクス。少しだけ驚いて崩れた体勢に付け込んで近接戦闘を申し込む。
左手には逆手に持った短剣を。右手には妖精弾を生成して間合いに踏み込む。
振り抜いた左手の軌跡に、けれど手応えは無い。その一瞬の接近の最中に視線を交錯させた。
象牙色の双眸。動いた視線に攻撃の先を読む。
左脇腹、妖精力を込めた殴打、掌底。
既に反応した体は左膝を突き上げて向かって来るマルクスの腕を真下から打ち貫く。跳ね上げられた掌打の一撃がクラウスの顔横を通り過ぎていく。
僅かに揺れた体勢に踏み込みの左足を合わせて当身。流れるように右手の妖精弾を彼の腹部に宛がう。
驚愕に彩られたマルクスの顔。その表情に不意を突けた証拠を見て少しだけ気分をよくする。
属性妖精術には見放されたクラウスだが、その一方で磨いた格闘戦。テオの相手になれるようにと積み重ねた技術。
そこに忠実な基礎の妖精術が重なってマルクスの体を後方へと吹っ飛ばす。
炸裂する直前で防御方陣を挿まれた。見た目ほど効果は望めないか。
直ぐに戦局を計算してエミへと意識を向ける。
視界の端に捉えていた彼女はマルクスの攻防の際こちらに援護に来ているのを確認している。斜め後ろ、死角からの急襲。
振り向き様に妖精弾を放つ。最初からフィーナには彼女の動向を観察してもらっていた。だから姿を見失っても攻撃方向は見失わない。
宙を掛ける妖精弾。彼女は炎の妖精術を繰る妖精憑きだ。例えそこに相棒がいなくとも術の威力は四属性中最強。
そう簡単に撃たせるわけにはいかない。
思って嗾けた妖精弾。時間さえ稼げれば妖精術なら無効化できる。だからこその最速の一手。不要な誘導制御を切り捨てた一撃はかわされても時間を稼げる。
刹那エミに飛来した妖精弾を、彼女は横に飛んで避けた。
理想通り。後はマルクスを警戒しながら一対一に持ち込むだけ。
「いっ……!」
「逃がしません」
けれど彼女はそれを許してくれなかった。後ろに下がったクラウスの眼前に急接近するエミ。思わず声が漏れる。
視界に捉えたのは深く抉れた砂地と焦げ付いた荒野の表面。
恐らく着地と同時、足の裏で妖精弾を爆発させて推進力としたのだろう。器用な妖精術の使い方をする。もしかすると制御の繊細さでは彼女はここにいる誰よりも勝るかもしれない。
一瞬の交錯。それからエミは右手の中で結晶を握り潰す。パキリと言う鉱石が崩れ擦れる独特の異音を耳が捉える。途端展開される方陣。あれは術式封印石か。
術式封印石はその名の通り中に妖精術の命令式を封印した宝石だ。妖精力を流し込むだけで妖精術を発動できる便利な鉱石で、術式によっては使い捨てで一人では扱えない規模の妖精術を行使することができる。市場に流通してはいるが少し高価で、学生の身分では買うのに勇気がいる代物だ。
なるほど。足りない火力を使い捨てで補う算段らしい。こんな試合に使わなくてもいいだろうに。
迫り来る方陣を睨みつけて防御体制をとる。そうして交差したクラウスの腕にエミが方陣を押し付ける。
すぐさま方陣から伸びた炎の縄がクラウスの体を縛り上げる。これは拘束術式か。
クラウスが好んで使う昏倒付与の一撃と同じで、対象を捕獲する事に長けた無力化制圧の代名詞。今回はそこに炎の属性を付与して拘束と同時に熱傷を刻み込む。
動きを封じられては相手の調子に呑まれる。すぐさま対抗手段として構築していた反転術式を行使する。
僅かな火傷を腕に貰いつつエミの捕縛から逃れる。
「それも、知ってますっ」
けれどそこまでが彼女の戦闘構築の内だったらしい。続けて左手をクラウスの足元に振り下ろす。聞こえたのはやはり破砕音。
刹那、手のひらから展開されるクラウスを飲み込むほどの大きな方陣。その表面から幾つもの火柱が立ち昇る。
こっちが本命、充分な威力だっ!
クラウスが刹那に悟ると火柱は互いに絡まり、そのまま渦を巻いてクラウスを包み込むと天を貫く炎の嵐へと変貌した。
「クラウス君っ」
「うお!?」
戦場に突如として現れた炎の竜巻に気がついたニーナが、テオとの交戦をやめて踵を返す。その背中にテオが持った炎の槍で斬りかかろうとして重心を崩し膝を折った。
テオが足元を見ればそこには焦げ茶色に渦巻いた粘着質な泥の沼。どうやら砂に水を混ぜて足を奪ったらしい。
機転の利いた拘束に少しだけ意識を奪われたテオだが、直ぐに体幹を持ち直してニーナの背に向けて槍を投擲する。
けれど宙を駆けた炎の刃は突如現れた水の壁に阻まれてニーナには届かなかった。ディルクの援護も完璧だ。
「……どうかな?」
「…………逃げられた、っぽいです」
エミの近くまで戻ってきたマルクスが服についた砂を払いながら問うと、僅かに笑顔を浮かべた彼女は楽しそうに呟いた。
「途中までは捕まえてた感じはしたんですけど、いきなり手応えがなくなったので」
訓練用結界の中と言う環境上、体が燃え尽きて消えるという事はない。体が受ける全ての感覚は最低限に抑えられるしその行く先は内面だ。体が消えるよりも早く気を失って倒れ、そうすれば結界が感知して外へと隔離する。
「ディルクっ」
「あいよぉ!」
マルクスとエミが肩を並べて言葉を交わす。そこにニーナが放った濁流が横殴りに襲い掛かるが、二人は気付いていたのか同時に振り向くと方陣を展開する。
それぞれの陣から溢れる風と炎。やがて指向性を持たされたそれらは互いに絡み合って炎の蛇へと変化し、ニーナの放った水を蒸発させた。
幾ら水に愛されたニーナと言えど水蒸気までは制御する事はできない。ニーナとディルクが操ることが出来るのは液体の水だけだ。
途端視界を白い霧が覆い隠す。
視界が悪い。幾ら風の感知があるとは言え正確にニーナ達を見つけるのは難しいはずだ。ならばこのまま霧隠れしてどちらかと合流を────
ニーナがそう考えて足を踏み出した直後、視界の先が淡く赤系統に色付く。次いで耳が捉える唸るような重低音。肌を空気の振動が刺して足を掬われる。
おそらくこの辺りを風の結界で閉じ込めての大規模爆発だろう。水蒸気に砂塵。流石にこれだけ飽和していれば条件を整えることもできる。
咄嗟に後ろに飛びながら防御方陣を展開して衝撃に備える。重ねて水の格子、水の膜。加えて渦巻く水流の壁に、己を包む水の殻。ニーナの持つ対炎属性防御、その中でも特に炎の遮断に優れた五重の絶対防御だ。
属性特化防御術式。主に軍や戦争で使われる高位の防御術だ。四つの属性にそれぞれ存在する複合妖精術による防御方法。
個人の研鑽によって出来上がるその者唯一の防御術式。大抵の場合幾つかの妖精術を並列展開して形を成すこの防御は、他者が使うそれと同一であることが殆どない。
なぜならばこの術式はその者が考える最大の防御術式だからだ。
ニーナの場合は外から順に方陣、格子、膜、壁、殻。彼女が考え得る最も自分に合った組み合わせ。
これは考えた分だけ存在するのだ。順番が違えば別物だし数が減ったり増えたり、はたまた別の形状を持つ防御術式を挟めば、同じ属性特化防御術式でも細部が違う。
妖精弾に掛ける付与が昏倒と衝撃のように異なれば別の術式として扱うように、この防御術式も考えた分だけ種類があるのだ。
一応水の属性を繰る者が行使するものを特に対炎属性防御と総じて呼ぶ。
問題は単体の防御術式と比べ少しだけ規模が大きく、展開に時間がかかり、妖精力の消費が大きいと言う事。幾ら妖精術の扱いに長けた妖精たちの助けを借りても一瞬と言うわけには行かない。それほど術式の多重展開は大変なのだ。
少し展開が間に合わないか……。無傷と言うわけにはいかないだろう。
そうしてニーナが覚悟を固めた直後、足元が蠢いて視界を揺らした。
刹那、辺りが爆煙に包まれる。衝撃に砂が空へと巻き上がって視界を遮った。
正しく効力を発揮した炎の妖精術を見てマルクスが零す。
「っと、要らないお世話だったかな?」
「……いえ。でもすごいですね。打ち合わせもなく風で乗算するのは難しいのでは?」
「特技のお陰だよ」
エミは笑って答えると、マルクスがそれに返した。
「風塵付与。任意のものに風の加護を付与する力なんだけどね。そのお陰でどれくらいの風を送ればどれ程の影響を与えるかが大体分かっちゃうんだ」
マルクスは特に衒うことなくそう言って質問を返す。
「それよりさっきの爆発は? 水蒸気や砂塵だけじゃないよね?」
「……連結点火。あたしの特技です。簡単に言えば炎を爆発させる能力です。一応自分のもの意外にも影響があります」
エミの特技は瞬間的火力で言えば炎の中でも屈指を誇る異能だ。爆発範囲にさえ気をつければ彼女に炎の妖精術は効かない。
但しうまく使わなければ妖精術を展開中の仲間の攻撃までも巻き込んでしまう恐れがある諸刃の剣だ。
「今度は手応えがありました……。けれど多分防がれた上の手応えです」
続けて訝しげに零すエミ。灰色の噴煙をじっと睨んで想像を巡らせる。
全方位からの局所連鎖爆破だ。そう簡単には防げないはずなのだが……。
考えているとマルクスが腕を振るう。仕草に合わせて風が吹き抜け、視界に殆ど怪我のないクラウスとニーナの姿を焼き付ける。
「…………もう少しで丸焼けになるところでしたね」
「ほんと、危ないったらこの上ない」
平然と会話するクラウスとニーナ。火傷を負ったクラウスの腕を見てニーナが治癒術を掛ける。
何かある。防いだ仕組みもそうだが彼らの立ち振る舞いが不自然だ。まるでわざと隙を作って攻めて来いとでも誘っているような…………。
「あれは多分ヴォルフ先輩の特技だな」
「……一体どんな」
気付けばエミの近くにはテオが来ていて、足元の砂を軽く蹴りながら告げる。
「儀式術式……。一定範囲内の土や砂を制御下に置いて手足のように操る広範囲空間制圧用の特技だ」
「流石にテオは知ってたね」
「悪いが調べさせてもらったよ」
儀式術式。ヴォルフの特技でありクラウス達の作戦の要だ。
まず前提として儀式術式には時間と前提が必要となる。展開する範囲を決めるための目印と、それらを軸に大規模な結界を作り出す為の時間だ。
通常儀式術式は複数人で行われる。しかしヴォルフの特技はそれを一人で行使すると言うものだ。
目印は単純でヴォルフの妖精力を纏った土や砂、金属を使用する。また、使う陣が方陣であるために目印は四箇所。今回はクリスの作り出した砂人形が三体。そしてクラウスが投げた短剣が一本だ。クラウスの短剣は妖精力を内包、付与することができる。
エミによって砂人形が壊されなければそれを使って結界を張る予定だったが流石にそう都合よくは運ばない。
結果、保険として予め準備しておいた、ヴォルフの妖精力を宿した短剣を投げて砂面に突き刺し、基点の一つとした。
後はクラウスとニーナで時間を稼いでヴォルフに儀式を展開してもらう。地の利を味方につければ後は援護を受けながら戦うまでだ。
「なるほど……その制御下に置いた砂で二人ともさっきの攻撃から逃れたって訳だ」
「僕はほぼ無理やり連れ出されたけどね」
「砂は無尽蔵にあるもの。何重にも砂の繭を作ればどれほど強力な力でも突破は難しいわ」
制御下に置くという事は攻撃だけに留まらない。相手の足を奪うことも仲間を砂の盾で守ることも技能の一つだ。
クラウスは炎の嵐から砂で掴まれ脱出。ニーナは砂の防御であの爆発をやり過ごしたというわけだ。お陰でニーナは発動するはずだった対炎属性防御に割くはずの妖精力をある程度温存できた。
「で、結界術式の対処法としては術者を攻撃するのが手っ取り早いわけだが……」
「…………うん、いないね」
「だよなぁ」
テオとマルクスのやり取りに笑顔を浮かべる。
結界術式はその性質上、大抵の場合術者が無防備になる。そのため護衛がついたりするわけだが今回はそこまで戦力を割くことができない。
となれば必然術者は結界の外。尤も外からの維持の場合にも不利な点はあるのだが……。
「なら正面から行く他ないか」
「目の前の二人を倒して結界を破壊、ですね」
「さて、勝負だよ、テオ」
「今度こそ勝つっ」
「先輩に楯突いたらどうなるか。教えてあげるっ!」
正面切っての宣戦布告。続いたニーナの声に構える間を空けて相手を殲滅する争いの幕が上がる。
* * *
校庭に映し出される結界の中の様子をぼうっと眺める。
飛び交う妖精術に煌く残滓。炎が走り、風が舞い、水がうねり、砂が逆巻く。
四つの属性が魅せる絶妙な色彩は、網膜を焼くほどに鮮烈にその中心で笑う彼らの姿を染め上げる。
戦では必要のない楽しさが、胸の衝動を激しく鳴らして見る者の心を惹き付ける。
彼らは、強い。自らの力を過信も不審もせず、体に宿る異能に振り回されることなく堅実に事を成している。
自分は自分の感情でさえ持て余しているというのに。そこにどれほどの違いがあるというのだろうか。どうすれば彼らのように流れに乗って感情を武器に出来るのだろうか。
失敗した己が身は際限なく答えを求めて彷徨う。
私は感情に生きている。だからこそ他人の痛みを分かったように振舞う事ができる。
今まではそうして生きてきた。
他人の顔色を窺って、他人の心に住み着いて、顔も分からない誰かを肯定し続けた。
そんな自己犠牲も程遠い依存心に満たされた私と言う存在は、けれどもういない。
────私の友達をアンネが勝手に決めないでよっ!
きっとあの瞬間に、私は私の存在意義を見失ってしまったから。
必要とされない存在として、彼女の側である事を違えてしまったから。
だから彼女の味方ではなく敵の道を進んだ。そうして彼の為と嘯いて彼に全てを押し付けた。
彼なら歪んだ関係を元に戻してくれると思ったから。彼女とまた友達としてやり直せると思ったから。
誰よりも他人に依存して友達であろうとしたのは他の誰でもない、私自身だ。
「……座ったら?」
隣に立つ影一つ。背格好と、何者にも見紛う事のない濡烏の長髪を身に纏った彼女を見上げて笑顔で促す。
僅かな沈黙。やがて彼女──ユーリアは静かに隣へ腰を下ろした。
「仕事は?」
「……負担を肩代わりしてくれてる誰かさんがいるから問題ない」
答えてちらりとこちらを窺うユーリア。
はてさて一体何の事やら。ちょっとだけ辺りの木々が煩いだけじゃないかな?
それに風が少し強いのは一体誰が何を思ってのことだか……。
「それに山場はこの後だから」
「……こんな会話前にもしたね」
あの時は彼が指揮を執っていたんだったか。
少しだけ思い返して比較。それから不意に胸の内が冷たくなる。
それは言わなくていい言葉。けれど気付けば口から零れていた。
「ねぇユーリア」
「……何?」
「答え、準備できた?」
何の? とは聞き返さない。
あの独白は彼女に向けてのものだったし、それを分かって彼女もここにいる。
「────できたわよ」
分かりきっていた答えに思わず胸が跳ねた。
やっとこの悪夢が終わる。
「だったら準備しないとね。私たちに相応しい決闘場」
「立会人も必要よね」
何の気兼ねもなくあの頃のように言葉を交わす。
互いの気持ちは最初から分かっていた。言葉にするのが怖かった。
だから仮面を被って、雰囲気に任せて、彼を免罪符にしたかった。
そんな思惑を汲んで、彼は道化のように振舞ってくれた。予定調和のように舞台を整えてくれた。
簡単な注文をした覚えは無い。けれど決まって彼は最後に笑顔で答えてくれたのだ。
だからきっと、今回も最後に彼はこう言うだろう。
迷惑な事だ、と。
* * *
「あぁー、もうっ!!」
ニーナの悔しそうな声が校庭に木霊する。
その声に返すように何処からともなく歓声と笑い声が響き渡る。見回せばこちらを囲む観戦客が大いに盛り上がっていた。
「だからそれ卑怯よっ!」
「俺に使う事を許したヘルフリートに言ってくれ」
「アールヴの伎倆もまた我らが及ばない御技。秤に掛けるべき才幹ではなかろう」
指差し糾弾するニーナに冷静に言葉を返すテオとヘルフリート。
確かにエルフの血を持たぬ者には精霊術は使えない。だからこそエルフを象徴する技能であり、クラウスも一目置く異能なのだ。
けれどニーナにとっての論点はどちらかと言えば自己嫌悪だろうか。
届かなかった一撃。拾えたかもしれない勝利。
足りなかったのは彼女が持つ力の強さだと、ニーナは悔いているのだ。
けれど口から漏れた言葉は巡って他への非難。
エルフであるが故に、その存在価値を誇りに思う彼女だからこそ、そう簡単に曲げたくない志。
目に見えない悪感情の蟠るエルフは、絶対に他の種には劣らない。だからこそ、ニーナは全ての種が平等であればいいと願うのだ。
「ディルクも何とかいいなさいよっ」
「御嬢、負けは負けさ。後悔するなら前に進む力に変えないと勿体無い」
「ニーナの所為じゃないもんっ!」
あっけらかんとした相棒の言葉に幼児退行。
楽しいならばそれでいいかと笑顔を浮かべて、試合の最終局面を少しだけ思い返す。
ヴォルフの援護を受けて三対二の勝負。数で押されるクラウス達は予め用意していた奇策で一進一退の攻防を繰り返していた。
長引けば長引くほど消耗する戦闘において最もクラウスが重要視するのが集中力だ。
幾合も斬り結べば感覚が磨耗するし、似たような試合の運びを見れば誤認して流れを狂わせる。
妖精術が飛び交う戦場で真っ先に乱れるのは視界だ。鮮やかであるが故に現実感を喪失し、些細な変化を見逃す。
幾ら持久戦に長けた水の妖精術を操る者でも前線に立ち続ければいつかは崩れる。
先の試合では最初に集中力を欠いたのはエミだった。彼女はまだドルフ級で、戦闘経験が少ない。クラウスもそこを分かっていて強くは攻めず時間の掛かる方法を選び続けた。
崩れた均衡は付け込む隙へと変わりやがて戦局を動かす。
恐らくその頃には既に正常な判断を下せる者はいなかった。
テオたちを追い詰めたところで放ったニーナの一撃。その威力に少しだけ力が足りなかった。もしクラウスかヴォルフのどちらかがニーナの力の使いすぎに気付いていれば起こらなかった事象。
結果、そこから苛烈な反撃を許す事となった。
体勢を立て直そうにもテオの展開した極炎闘衣によってこちらの技が掻き消され意味を成さず、あちらは乗算した妖精術と、そこから余剰した精霊術の物量攻撃。
火を見るより明らかなクラウス達の敗北だった。
それでも一時は追い詰めたのだ。見込みが甘かったとしか言いようがない。
ニーナに華を持たせる事を考えず、もう少し我が儘に振舞っていたら変わった結果になったかもしれない、いい試合だった。
「惜しかったですね」
「まだまだ実力不足だって事だよ。努力しないとね」
誰かに責任を問う話ではない。慣れない長時間戦闘の経験を積めたのだ。いい方に捉えておくとしよう。
反芻して思考を纏める。
フィーナの言葉に答えて一区切り。後は次に起こるだろう生徒達参入の乱戦を凌ぐだけだ。
「ではこれにて特別試合を終了とする。両組、相手に敬意を」
形式上はここで終わり。授業もこの後はなく、暗黙の了解ではあるが教員ほぼ公認の戦乱の宴だ。
ひとまずは休憩させてもらうとしよう。その上で気が向けばどこかに参加するのも悪くない。
今後の予定を立てつつ目の前に立つエミと握手を交わす。
「お疲れ様、いい試合だったよ」
「少しだけ、自信が持てた気がします」
朗らかな笑顔を浮かべるエミ。この様子ならニーナがいなくとも、彼女は彼女らしくエルフの血筋にも誇りを持って頑張れるはずだ。
そんな彼女の心中を知ってか知らずか、エルフにして生徒会長を務めたニーナはテオの手を握って告げる。
「……あたしが胸を張れるように、精一杯頑張りなさい」
「会長の──ニーナさんの時よりいい学院にして見せますよ」
「期待してるわ」
ニーナの誇りの一つとしてエルフである事は大きい。けれどそれだけで彼女が構成されているわけではない。
後を継ぐ者として、ニーナの男として。
何よりも自慢できる自信としてテオの道を尊重する。
「最後にあたしから贈り物。貴方に精霊の加護がありますように────」
優しく告げて、それから彼女はテオの額に口付けを落とした。
彼女らしい大胆で敬虔な祝福。
辺りを僅かな静寂に包み込んで、ニーナは物語の少女のような甘い微笑を浮かべたのだった。
* * *
送別試合も終わり胸の内を満たす高揚感が段々といつも通りに戻っていく。遠くに生徒の煩雑な声がいくつか聞こえる景色を見渡して、視界に現実の色が付く。
隣を吹き抜けた風が橙色の髪を揺らして視界を遮った。自然と手で押さえて、それから触れた長い耳殻に触る。
これはあたしが……わたしがわたし足り得る証。彼女と同じ血を持つ者としての証拠。
この世の伴侶といわれる妖精と人間。そこに横槍を入れる存在──エルフの印。
精霊術と言う、この世に存在する物を操る異能の力。何かを生み出すことの出来ない中途半端な力。
現在の社会では少しだけ需要が生まれて、エルフと言う存在は受け入れられつつある。有るものを動かすというのは意外と使い勝手のいいものらしい。個人的には有限とは言え無から有を生み出す方が優れているとは思うのだけれども。
何にせよエルフの存在は認められつつある。けれどそれは同時に新たな火種にもなりえる道程だ。
他種が社会に溶け込むほどそこに生まれる溝は大きく深くなる。
人間と妖精は契約と言う結びつきで互いを理解している。けれどエルフにはそれがない。
妖精と交信できてもそれは妖精とエルフの問題で、エルフと人間の間を取り持つものではないのだ。
だからこそ……と、過去に彼女──ニーナ・アルケス女史に言われたことがある。
長い目で見て、ここぞと言う時に本当に必要になるのはハーフやクォーターといった存在だと。混血だからこそ、種と種の間を取り持つことが出来るのだと。
あの頃のわたしは入学したての子供で、彼女の言っている言葉の意味が判らなかった。彼女の目指そうとしている理想を知らなかった。だから深く考えることも放棄した。
けれど今になってようやくその意味に気付く。彼女が目指すのは平等で、そのためにはハーフエルフと言う存在は欠かせない者だと。だからわたしに気を掛けていてくれたのだろう。
利用だとか悪用だとか、そんな理由ではなく、共に手を取るものとして。
エルフである事に、人間である事に、ハーフエルフである事に自信を持って胸を張れるように。
彼女のお陰で今のわたしがある。わたしが自信を持てたのは彼女がいたからと言うのが大きいはずだ。
だからこそ、自覚しなければならない。彼女と同じ夢を見る者として何ができるのか。わたしにしか出来ないこととは何か。
生徒会に彼女はもういない。それを理解した上でハーフエルフである事に誇りを持つ。
それが自立の第一歩だ。
わたしはわたしの居場所を自分で選んだのだから。
「大丈夫」
鼓舞して前を向く。足取りはいつもより少しだけ弾ませて。
「お疲れ様ー」
そうして歩き出せば背中に声を掛けられた。振り向けばそこにいたのは上級生。緑のリボンを胸元に彩った学生服。ふわりと波打つライトブラウンの髪が砂糖菓子みたいに甘く揺れて、こちらを見つめる水色の瞳に彼女らしい意志の強さを見る。
「お疲れ様です、ルキダ先輩。この度は色々ありがとうございました」
言葉を返してお礼を添える。
今回の選挙で応援演説を申し出てくれた先輩。耳にした話では何やらどこかに因縁があっての立候補だったらしいが、わたしには関係がない。
彼女が力になってくれたお陰で正しく真っ直ぐに選挙に望めたという自負があるからだ。
「試合よかったー……って、どうしたの? 何だかいい顔してるね」
「え? そ、そうですか……?」
「何だか悩みが吹っ切れた感じ。いいことでもあった?」
「……どうでしょうか。ただこれからは新生徒会役員として頑張っていかなくちゃいけないので」
「…………いい覚悟だね。私も応援できて嬉しいよ」
飾らない笑顔。もしかすると飾った笑顔。
浮かべた微笑でそう言って目の前の彼女は一つ頷く。
「エミちゃんの顔見てたら何だか私も吹っ切れたっ」
「悩み事、ですか?」
「そんな感じ。ちょっと深く考えすぎてたかなって」
どこか無鉄砲に告げる先輩は、少しだけ悪い顔をしているようにも見えた。
「……さて、私も用事があるしこの辺で。学院で見かけたら声でも掛けてね。生徒会、頑張って」
「はいっ」
応援演説も今の激励も。何か裏があるのだろうかと少しだけ考えつつ先輩の背中を見送る。
……あの人を目指すのは少し難しいかな。流石にあそこまで無意識に他人を振り回せないかも。
脳内で彼女への纏めを下してアンネ・ルキダと言う先輩を遠くに置く。
あの人の他人を振り回す力は本物だと思う。隣にいれば目まぐるしく変わる景色に、きっと飽きる事はないのだろう。
けれど私自身がそうなりたいかといえばやはりどこか違う。あれは彼女だけの強さだ。
どこかに自分らしさは落ちてないものかと思考を放棄しつつ木陰に腰を下ろす。視界の先ではそろそろ生徒乱入のお祭り騒ぎが始まろうとしていた。
「隣、いいかしら?」
掛けられた声に思わず背筋を正す。いきなり知覚した近すぎる気配にもそうだが、その声が宿す強さに心を射抜かれた。
ぎこちなく声のした方を見れば、そこに立っていたのは抜き身の刃のような女性徒だった。
長く艶やかな黒髪に妖しさを灯す紫色の瞳。覚えず綺麗だと脳裏を過ぎって、それからその生徒を知っている事に気がついた。
「…………クー・シー先輩」
「隣……」
「あ、はいっ、大丈夫です」
直ぐに答えて呼吸を正す。
ユーリア・クー・シー。このフィーレスト学院内では意外と有名人な先輩だ。
クー・シーの名は今のブランデンブルク王国軍総隊長のハインツ大将と同じもの。国軍に籍を置き、学院内では神童と称され、校内保安委員会にも名を連ねる実力者だ。
学院内では密かな人気を持つ美人な女性徒。そんな彼女が一体どうしてこんなところにと内心驚きつつ隣を窺う。
「……さっき」
「はいっ!」
思わず全力で答えて不思議そうな視線を向けられた。
ちょっと待って。まだ心の準備が…………。
「さっきアンネと一緒にいなかった?」
「…………えっと、ルキダ先輩、ですか?」
震える声で確認すれば、隣の彼女は頷いて手に持った飲み物を差し出してきた。受け取って開けると一口喉を通す。
それからようやく息を吐いて今し方飲んだものが何なのかに気付く。
「……口に合わなかった?」
「あ、いえっ。好きです」
「そう、よかった」
どこか距離を測るような声音に答えを返す。すると先輩は少しだけ笑みを浮かべて安心したように零した。不意の笑顔にこちらが焦る。
芯がしっかりしている……かと思えば捉え所のない。曖昧な距離感を感じているのは彼女も同じかと思うと少しだけ安心できた。
この飲み物もよく学院で買って飲むものだ。もしかして知っていて買って来てくれたのだろうか?
「それで、アンネの事だけど」
「えっと、はい。……お話してました。色々お世話になったので」
戻った話題に間違いなく返して気持ちを落ち着ける。
彼女の不安云々は彼女の問題だ。ならば私が口にするべき事では無い。
きっちり線を引いて情報を取捨選択する。そこでふと気付いた。
選ぶというのは存外難しい。正誤、善悪の基準を自分で決めるということだ。何か曲がらぬ信念を持たなければ判別など出来ない。
今後の成長目標を見つけて刻み付ける。
とりあえず他人に惑わされず自分で決められるようになろう。多数がいつも正しいとは限らないのだから。
「…………何か言ってなかった?」
「えっと…………」
漠然とした問いに少し困る。
言うべきだろうか。言わぬべきだろうか。
頭のどこかで彼女が悩んでいた理由が隣の先輩だというのは薄々気付いている。そういう噂も聞いた。だからこそ、難しい選択に頭を悩ませる。
そんな風に考えていると先輩が続けた。
「私、とか…………クラウスの名前とか、出てた?」
「……いえ」
先輩の言葉で想像に色が付いて必至に振り払う。
これはわたしには関係のないこと。わたしは何も聞かなかったっ。
「そう…………」
と言うかクー・シー先輩色々と不器用すぎます!
言葉にならない叫びが知らず彼女を案じて、行き場のない思いが飲み物を嚥下することで押し流されていく。
けれど先輩の愚直さは、わたしにはないものだ。
素直と言うのは危ないけれど、使い方によっては武器になる。極めれば立派な個性だ。
素直に…………。そういうのも悪くは無いのかもしれない。
自分探しに繋げては自分のあり方を模索する。
どんな自分が相応しいだろうか。その答えを得られるのはいつだろうか。
渦巻いた疑問はやがてうわ言のように別の言葉に昇華した。
「ただ何だか少し嬉しそうでした」
呟きに答えは返らない。代わりに先輩は静かに立ち上がると座っていた場所に飲み物を置いて離れていった。
うーんと……これはつまり、感謝か何かなのだろうか。
まるで答えのない問いを目の前に突き出されたように悩んでから決心する。
えぇいっ。悩むなら最初に思った通りに! 受け取る以上もう考えない!
投げやりに思考を放棄して先輩の置いていった飲み物を拾い上げる。
とりあえず自分を見つけるまでは自分を信じるだけだ。きっとそのうちやりたいことが見つかる。そうしたらまたそこから始めよう。
「あ、味違いだ」
呟いて、それから無意識に重なった記憶を思い返した。
最近校内で買えるようになったばかりの、新しい味の飲み物。前にアルフィルク先輩から貰ったことがある。
あの時は私に話があって、時間を割いた礼として受け取ったのだ。
『いつか、ユーリアとアンネさんが──クー・シーさんとルキダさんが何かを聞きに来ることがあるかもしれない。その時は、君の思った事を言ってあげて』
一体何の話かとそのときは思ったけれど、今になって思えばあれは彼の思惑だったのだろう。
彼はどこかでクー・シー先輩とルキダ先輩の事に気がついていた。だからこの景色を想像して、わたしに助言をしていたのだ。
知らず彼の言葉に従っていた自分に小さく嫌気が差した。
何だか負けた気がする……!
* * *
乱戦、混戦、熱戦。
熱に中てられた生徒たちが過去最高の盛り上がりを見せた午後から日を跨いで。
達成感と無気力が充満する学院内をいつも通りに歩く。
時は放課後。今日は委員会の仕事はなく、新生徒会の集まりがあるだけだ。
仕事と言う仕事は無いが、とりあえずは正式な顔合わせ。扉を叩いて足を踏み入れればそこには親しみ深い顔ぶれが揃っていた。
「遅いわよ」
そして何故か既に退いたはずのニーナ女史まで。何で貴女がいるんですか。
「お待たせしました。早速始めましょうか」
「ちょっと、無視しないでよっ」
部外者が何を偉そうな事を。と、誰も言わないので視線だけで訴えて長椅子に腰を下ろす。
今後の方針と簡単な予習。面倒臭いことはできるだけ早く終わらせておきたい性格のクラウスとしては納得のいく内容だ。
後は委員会との連携も強化していくことが出来れば学院の行事も順調に進められるはずだ。幸い半分以上が生徒会役員と被っている。ニーナもいることだしその話もしておくとしよう。
そんな事を頭の片隅で考えつつクラウスの思考の大半は別のところに割かれていた。
それは今日の昼休み、どこか機嫌のいいユーリアとアンネに挟まれて両手に花で昼食を食べていた時のこと。相変わらず視線一つですら交わさないユーリアとアンネが、珍しく一つの話題をクラウスに振ってきたのだ。
その話題が何故か踊りのお誘い。どうやら今日の放課後屋上でお姫様二人が仮面を脱ぎ去って一介の眼鏡に素顔を見せてくれるらしい。その上で眼鏡にはどちらのお姫様がいいかを問い、選んでもらうらしい。何その茶番、もう一言に喧嘩するって言えばいいのに。
結局クラウスが何かするまでもなく、勝手に二人の間で進展して決着が付いてしまうのだ。
ただ二人は気持ちを整理する時間が欲しかっただけ。クラウスに気持ちを聞いて欲しかっただけ。本当に何かを望むのなら、彼女達は任せるのではなくクラウスを振り回したはずだ。
やっぱり女性は男性には扱えない。それが出来るのは女性を女性だと思っていない者だけだ。
極個人的な論で遣り切れなさを放り出して会議の席を立つ。
今日くらいはゆっくり過ごしたかったと嘆いてテオたちと生徒会室を後にする。
途中、どうでもいい言い訳を述べて彼らと別れると、クラウスはフィーナと二人階段を昇る。
この景色もあの春から随分と馴染みの深いものになった。奇妙な縁だと思うのと同時、何かに縛られている気がして自分を小さく感じる。
けれどこの圧迫感も今日までだ。彼女と彼女の問題が終われば、ようやくクラウスは外に視界を向けることが出来る。
委員会設立当初からあったクラウスの一番の課題。クラウスを悪としたクラウスの周りの存在の立ち位置。
それぞれに役割を与え駒として使うために必要な能力を集めた。
ニーナには純血のエルフとしての象徴。そして学院の長であるエルゼとの繋がり。彼女が成しえた功績を武器に振り回す正論。水の力。
ヴォルフには後見的な役割。権力としての象徴。そして人間とハーフィーと言う歪な契約。地の力。
テオには抗い難い武の能力。ヘルフリートの存在価値とニーナの肯定。炎の力。
これまでの時間で彼ら彼女らの協力を引き出したのは全て打算の末の結果だ。クラウスが今後動きやすいように、クラウスの駒として使えるように。何処までも自分本位な理想の為に彼らを巻き込んで利用する存在として、クラウスが選んだ者たちだ。
そこにクラウスが最も重要視した善と悪。クラウスを悪と見立てたときの、クラウスを庇護し否定する二つの存在を加える。
一人はクラウスの悪。クラウスを否定し、クラウスを助ける全面肯定の悪。クラウスが最初に描いた理想にはいなかったはずのイレギュラー。アンネ・ルキダ。
もう一人はクラウスの善。クラウスを肯定し、クラウスに立ち向かう全面否定の善。クラウスが最初に描いた理想にいた、本当の共感者であり否定者。ユーリア・クー・シー。風の力。
全ては我が野望が為に。全てはいつの日か夢見た理想の世界────妖精の国の為に。
彼女と一緒に望んだ未来に向けての必要な準備。
胸の内に存在するありえていいたった一つの未来。
きっと全てが丸く収まるはずの理想論。
「わたしが、その結末を誰よりも近くで見届けますから」
信用も信頼もしていない相棒の言葉に笑顔を浮かべて扉を押し開ける。
そうして視界に、こちらを見つめる二人の少女を捉えた。
片や芸術的な刃のように流麗な長い黒髪を着流して、艶やかな紫苑の宝石を二つ拵えた実直な友人、ユーリア。
片や少し短い甘く柔らかく波打つ淡いライトブラウンの頭髪に、透き通った水色の双眸をした飄々とした友人、アンネ。
佳人と愛嬌。女性らしさの二極をそれぞれに備えた二人は、真剣な表情で雰囲気を彩って立会人を待っていた。
「女を待たせるなんていい度胸してるわね」
「そんなに待たせたかな?」
「ううん、今来たところ」
使い古された言葉。けれど真意を有耶無耶にするには丁度いい便利な言葉。
彼女達の手を取ればその言葉の真偽も分かるのだろう。
「役者は揃ったかしら」
「台本も読み込んだよ」
「振り付けは気分に任せて」
役に酔うように言葉を連ねる。
「音楽はないけれど」
「詩の一つもないけれど」
「それでも紡ぐ、奇想曲」
打ち合わせも何もない即興曲に全てを任せてこの景色は拍子を刻む。
やがて音になったのはユーリアの声。
「ねぇ、クラウス。アンネの事好き?」
「もちろん」
「ねぇ、クラウス君。ユーリアの事好き?」
「もちろん」
切られた口火に音を返して彼女たちの用意した壇上に上がる。
「いけないなぁ、クラウス君。浮気はいけないよ」
「何が浮気よ。下婢の分際で彼女面して反吐が出る」
「その気もないのに気に掛けてもらえるお嬢様は恋愛の価値観が狂ってるんじゃないかな?」
「恋も愛も分からない道化の癖してよく言うわ」
何と醜い罵り合い。それを笑顔で交わすのだから、二人とも随分と肝が据わっている。
「前々から思ってたのよ、あんたは図々しすぎる」
「ユーリアこそ気に入ったものは私から取り上げる独占欲と横暴で粗野の塊なのによくも減らず口を」
「随分と誇張された被害妄想だこと。一体いつ私がアンネの物を取ったの?」
「私の親友の席だよ」
冷たく震えた声。笑顔の仮面に彩られたアンネの言葉にユーリアも浮かべていた笑みを崩す。
「無断で人の領域に踏み入って当然のように居座るんだもの。その上私が先に戯れてた人との間に入って関係めちゃくちゃにしてくれたし」
「見通しが甘くてただ単に自爆しただけでしょ。自分の非も認められず責任転嫁だなんて程度が知れる」
「誰の所為で馬鹿な道化を演じたと思ってるの? 本当に私の為だけなら今頃ユーリアは委員会にはいなかったんだよ?」
「それこそ言いがかりね。私はそんなこと頼んでなんていない。アンネが安心したい一身で私を免罪符に暴論振り回してただけでしょう」
凄まじい言葉の応酬だ。これまでクラウスが接してきた二人が別人で作り物だと言われても信じてしまいそうになるほど、目の前の二人は怒気を纏って言葉の刃を振り翳す。
「そもそも男挟んで友情ごっことか阿呆らしい。最初から関係全部壊すことが目的の癖に今更開き直らないでくれるかしら?」
「それをユーリアが言うんだ。てっきり私は今までの茶番が全部ユーリアの差し金なのかと思ってたよ。趣味の悪い戯曲」
互いの胸の内を詳らかにする讒謗雑言の数々。嗤笑で着飾った唾罵に陵辱する口舌。
よくもまぁそんなに汚い言葉が次々と出てくるものだと感心しながら、静観の姿勢を解いて身を入れる。
流石に侮言ばかりでは当初の目的から逸れてしまう。こうしてクラウスが介入する事も彼女達の台本の内であると気付きながら憐れに踊る。
「……とりあえず積もる悪口は置いておいて、根本に話を戻そう。分かりきった事だけど喧嘩の原因は?」
「ユーリアが他人に甘えてたから独り立ちさせてあげようと思って」
「そんな健気なアンネが可哀相だから顔を立ててあげようと思って」
話題を戻しても全く譲る気のない美姫二人。頼むから刃傷沙汰だけは勘弁だと切に願いつつ、絞首台に吊るされた死刑囚の立場から彼女達の矛先を正式に交わらせる。
「全く、二人ともやり方が迂遠過ぎるよ」
「クラウスにだけは言われたくないわよ」
「それとも新発見かな? クラウス君は自分の首を絞めて喜ぶ変態さん?」
一体何処で何を間違ったのか。いや、歪んでいたのは初めからだけれども、この景色は最初から見えていた。
ユーリアとアンネが並んでクラウスを糾弾する。彼女達が握る刃には今、クラウスと言う共通の敵の名を刻んで楽しげに振るわれる。
仲のいいことだ。本当に君たち喧嘩したいの?
「それを言ったら二人の方こそ男を弄ぶ悪女なのかな?」
「うっわぁ……。今酷い手のひら返しを見たよ。どう思う、ユーリア」
「少なくともこんな悪人にアンネを渡したくない事は事実ね」
「奇遇だね。私もこんな与太者にユーリアの事を任せたくないかなぁ」
折れてずれてはいつの間にか戻る話題。
最初からそのつもりとは言え悪人を演じるというのは存外心が痛い。だってそこには必ず騙すべき正義があるのだから。
「だからそうね、この辺で手打ちにしようかしら」
「ようやく掲げた正義で悪役を退治できたことだしね」
そうして向き合うユーリアとアンネ。
「ねぇ、アンネ。私のこと好き?」
「大っ嫌いっ!」
悪戯な子供の笑みを浮かべて真っ向から否定するアンネ。
「ユーリアは? 私のこと好き?」
「えぇ、大っ嫌いよっ」
対するユーリアも負けじとばかりに不遜に言い放って笑顔で顔を彩った。
「だから私はアンネの思い通りにはならない。アンネに縛られないように、私らしく生きて見せる」
「だったら私も同じ。下手な芝居を打つはやめにして、自分に素直に生きる事にする」
それから一呼吸開けて。ゆっくりと息を吸い込んだ二人は真っ直ぐに互いを見つめて告げる。
────だって私は貴女の友達だから!
友達とは一体何だろうか。
どういう関係こそが友達といえるのだろうか。
一緒にいて気負う事がない相手の事? 馬鹿な話が出来る間柄? 自分で選んだ他人?
それは戦争や平穏と言う概念の前に最も最初にぶつかる壁なのだろう。
だからきっと、少なくとも他人に言われてなるものでは無いし、なろうとしてなるものでもない。
ならば相手の目を真っ直ぐに見て、ただ愚直に思った事を言えるべき相手こそが、一番の面倒臭い親友だ。
「で、クラウスっ」
「一体どっちの花を選んでくれるのかな?」
「────さてフィーナ。寮に帰って宿題をしようか」
「はいっ!」
早速息の合った論詰で詰め寄る二人から踵を返して逃げる。
そんなクラウスの両脇を、ユーリアとアンネがこれまで見た事もないほど可愛らしい笑顔でがっちりと埋めてくれた。
……おかしいなぁ。僕は片方の花は間引いたはずなんだけど。一体誰だろう、勝手にその花を植えなおして水をあげたのは。
できる事ならそれが残した花でない事を願いつつ、クラウスは一人花束の作り方を密かに考える。
全く、迷惑な事だ。




