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フェアリー・クインテット  作者: 芝森 蛍
追憶を謳う奇想曲(カプリッチョ)
37/138

第一章

「久しぶりね、クラウス」

「…………あぁ」


 情愛に濡れた紅色の瞳。夜風に揺れる漆黒の髪。短く端麗に整えられた髪の隙間からは長く尖った特有の耳殻。

 背丈はクラウスとほぼ同じ程度……大体165セミルといったところだろうか。

 背中に七色に輝く四枚の薄翅を背負い、薄い貫頭衣を纏う妖精の少女。

 交わした視線、言葉に激しくなる頭痛を堪えながら見据える。

 彼女には会った事がある。否、一緒に時を過ごし遊んだ事もある。それは幼い頃の記憶だ。

 けれど重ならない。宝石のような紅の瞳も。穏やかささえ感じさせる潔癖な漆黒の頭髪も。

 輪郭は重なっても記憶の情報がぶれて一致はしない。

 ここまで強固な封印術。それも記憶を封じ込める彼女だけの異能。

 この枷に何度苦悩して何度事実を掴み損ねただろうか。

 そうして何度、彼女の存在を欲しただろうか。

 クラウスの計画には彼女の存在は不可欠だ。彼女なしには語る事ができない。

 他人を信頼しないクラウスが最も重きを置く存在。それが目の前の彼女だ。


「早速で悪いけど、少しだけ時間を頂戴」

「感傷に浸る暇もくれないのか」

「それはあとでゆっくりと、ね?」


 情熱的な唇を笑みの形に彩って妖艶に微笑む妖精。

 細く白い人差し指で下唇をなぞり、人の身では到底醸す事の許されない色気を纏って、緩やかな仕草で距離を詰める。そうしてその妖精はクラウスの頭を抱くと優しく額に口付けを落とした。

 何かが、頭の中で音を立てて崩れる。

 途端、立っていられないほどの眩暈に襲われ視界が渦を巻いて歪んだ。

 変わる。転じて化して成る。

 記憶の穴を頭の奥底から溢れ出た情報が埋めて、正しい情景を取り戻す。


「────────あ、ル……! やっと、見つけたっ…………!」


 知らず伸びた腕が彼女へ────アルを求める。

 けれど狂った感覚は結んだ焦点を解かせて、途端膝から崩れ落ちた。


「クラウスさんっ!」


 体に力の入らないまま屋上に叩きつけられようとしたところを、寸前で柔らかい感覚に包まれた。揺れる感覚で情報を求めればどうやらそれは人化したフィーナで、どうやら彼女に支えられているらしい。

 強い酩酊。くらくらと揺れる感覚は呼吸を乱して胸の奥を苦しくさせる。

 これは反動だろうか。約十年ほど封印されていた記憶。その間に積み重ねた想像。そこに足りなかった欠片。

 足りないものを補うために増幅した記憶が一気に押し寄せて、それを処理する事に機能を回して。結果体の管理が疎かになったのだろう。

 となれば時間で取り戻せるか……。今は耐えるしかない。

 フィーナの体を借りてどうにか体の軸を保つ。そうして、どうにか動く口で浮かぶ疑問を解消する。


「…………どうして、今になって……」

「あたしが来たんじゃない。貴方が呼んだのよ、クラウス」

「……あんな誘いに乗るとは、随分と軽い女だな」

「節操無く女を囲んでる方が軽い男だと思うけど?」


 いつもの癖で軽口を叩いてみるがどうにも声に覇気が宿らない。それどころかいい様に返答を貰って二の句を告げなかった。

 アルを呼んだのは他でもないクラウスだ。

 彼女がよく森の中を放浪していたのを覚えていたクラウスは、近場にいくつか彼女を誘い出すための妖精力を準備していた。恐らくその辺りを手繰ってこうして目の前に現れたのだろう。

 けれど裏を返せばアルの癖を覚えていたのは彼女の采配によるところ。この再会さえも彼女の手のひらの内と言えばそれまでだ。


「…………今のクラウスとじゃ話にならないわよ。時間なら充分にあるんだから体調を整えてからにして」


 ……それはつまり、いきなりいなくなるような事はしないということだろうか。まぁ今はどうでもいい。回復が最優先だ。


「……フィーナ、下ろしてくれ」

「大丈夫ですか?」

「…………ダフネ、力を貸して」

「えぇ、もちろん」


 地面に腰を下ろすと顔を顰めたアンネがクラウスの側に座り込んで方陣を展開する。

 彼女も封印術の被害者だ。そこにいるだけで頭が痛く辛い事だろう。

 けれどそんな個人的なことよりも彼女はクラウスの身を案じた。それがこの現状を打開する手段であるから。ただ彼女は盲目的に目的を果たしているだけ。しかしクラウスにはその気持ちが何よりも嬉しく感じられた。


「……ニーナ会長と比べると流石に見劣りするけど、簡単な治癒術。せめて痛みだけでも」

「そう言えばニュンペーの系列の……なるほど、宛ら自然の癒しってところかしらね」


 アルの呟きにアンネが一瞥をくれる。

 どうやらアルもダフネについては知っているらしい。そう言えばアンネはアルを追いかけて接触した事があったか……。その時に何かあったのだろう。

 どうでもいい事を考えつつ、頭の片隅で自分の想像を重ねる。

 過去にクラウスも、ダフネの種としての属するところについては考えたことがあった。その時はアルと同じニュンペー……ニンフの系統というところで止まっていたが──そう言えばダフネという名はニンフの系列でも特に河に深い繋がりを持ち、その生の最後で月桂樹に姿を変える妖精の姿を描いた昔話で出てくる名称だ。

 (グラド)に属しながら枝葉に干渉範囲を持ち、(ウィルム)に代表される治癒術も繰るニンフの妖精。大地に根付き生命の流れを汲む水をも手中に抱く妖精。どうやらそれがダフネと言う妖精の本質らしい。

 毒に効く薬草を揃えたりできたのも彼女の知識の一部か。ならば納得もいく。

 知らずダフネの来歴を暴いた事に小さく謝罪をしながら胸の中に留めておく。

 妖精は理由も無く正体を暴かれる事を厭う。これ以上は彼女に対する侮辱だ。

 ダフネのおかげで落ち着いた感覚を最後に自分の中で再調整して深呼吸する。どうやら頭痛の方も治まったらしい。記憶も整理がつき、混濁は感じられない。

 僅かに木霊する耳鳴りは仕方ないと割り切ろう。

 ダフネに感謝を述べて足に力を入れ立ち上がる。そうして一度胸の内を入れ替えると彼女の名を呼んだ。


「……アル。久しぶりだな」

「えぇ、三年ぶりかしらね」


 艶やかな響きの嬉しさを噛み殺した声。彩った微笑は記憶には無かった蠱惑な魅力を付随させて彼女を女性らしく飾っていた。

 聞き覚えのある声の波長。耳を擽る甘い笑い。

 まるで蜂蜜の中に捉えられたように、その瞳を見つめているだけで彼女の纏う妖しさに引き込まれていく。

 闇夜で映える紅の瞳。その奥に宿るのは──憤怒。


「あたしから先にいいかしら?」

「待たせたのは僕だからね」

「どうしてあたしを裏切ったの? どうしてあたしを置いて行ったの?」


 彼女の声に茶化してはみたが、返ったのは苛烈な糾弾の言葉だった。

 置いて行った。彼女からすればそれは正しい側面だ。けれどクラウスの主観は違う。


「置いて行ったんじゃないよ。……逃げたんだ」


 それは怖いくらいの真実の吐露。自分の全てを曝け出すような告白にアルは瞳に宿る色を強くする。


「……アルの言葉に怖くなって。考えて……吊り合わなかったから、逃げたんだよ」


 視界の端にアンネの姿を捉えて一度唇を結ぶ。

 いや、彼女にはいつか言わなければいけないことだ。ならば今ここで言ってしまった方がいいだろう。

 ここには彼女がいないから。


「…………あの頃の僕じゃあアルの願いを叶える事はできなかった。だから叶えるために、学ぶために王都へと来て、国唯一の国立学院へ入って、準備を重ねた」


 期待が怖かった。答えられない事が怖かった。だから逃げ出した。

 そんなクラウスを、アルはきっと責めただろう。彼女から見れば、目の前から何も言わずに消えようとしたように感じたかもしれない。

 だからアルはあの日クラウスに記憶の封印を施した。


「知ってる。だから突き放したのよ。あたしにとってはクラウスしかいなかったから、クラウスが選ぶ道を尊重してあたしは記憶の封印術を掛けた」

「僕がアルの事で悩まないように。アルの事で縛られるように。アルの望みを叶えるように……」


 彼女は全てを分かった上でクラウスと別れた。それは真実で、納得のした結論だったはずだ。


「でもね、何でよりにもよってその子なのよっ。何でもっと早くにあたしを頼らなかったのよっ! だってあたしとクラウスで────」

「アル。…………それは僕の役目じゃない」


 激情に駆られたアルの言葉を遮って告げる。そうして隣に立つ今のはんぶんに視線を向ける。


「……アルからすれば僕のこの選択は裏切りだったかもしれない。もちろんその可能性も考えた……」


 欠けた月が白銀の光で大地を照らす。

 フィーナの顔に影が隠れ、アルの顔に月光が差す。

 漆黒と白銀を頂いた妖精たちはただ視線だけを交わす。


「けど僕は人間だ。人間の僕は、どうあってもそちら側には行けない」

「だったら国は────アルフヘイムはどうなるのよっ!?」


 怒った──悲しげな顔で叫ぶアル。

 アルフヘイム。妖精の王を頂き、妖精のみで構成される、妖精の国。

 あるかどうかも分からない御伽噺の理想郷。妖精の居場所。


「だって言ったじゃないっ! 一緒にアルフヘイムをつくろうって! そうしたら貴方が王様になるってっ!!」


 ────そうしたら貴方が王様になるのよ


「またなの!? またあたしを裏切るのっ!? 子供騙しなただの夢だって笑うのっ!?」

「笑わないよ」

「だったら────」

「けどやっぱり、そこに僕の居場所は無いんだ。僕は、人間だから」


 優しく笑って告げるとアルは膝から崩れ落ちた。ついで彼女の頬を静かに涙が滑り落ちる。

 涙。あぁ、そうだ。僕が異性の涙を苦手になったのは、彼女が理由の一つだ。

 彼女の期待に答えられなくて。その後悔が痛いほど胸を刺して。

 アルに関する記憶を封印された後に見た、彼女の涙。

 失ってしまったはずの時間は、けれど彼女の寂しい泣き顔に掻き立てられて、何も出来ない自分を恥じたのだ。

 その時会ったばかりに感じられる妖精が目の前で泣いていて。自分には彼女を慰める術がなくて。

 嫌に記憶に残った彼女の泣き顔が惨めな自分を過去に縫い付けて、それを否定したかったクラウスは感情を否定した。異性の涙を、苦手になった。

 そうして、泣き方を忘れた。


「アルフ、ヘイム…………」


 呟きは隣から。

 アルとの別れは涙で、フィーナとの出会いもまた涙だった。

 『妖契の儀』で邂逅して、互いの傷に触れ合って。そうして結んだ契約。クラウスの胸に顔を埋めて泣いた彼女の姿は、今でも鮮明に思い出せる。

 あの時も、彼女の涙を止める事はできなかった。

 大きくなったのは体ばかりで、よく回る頭は情報ばかり。きっと成長なんて一欠片も出来ていない。


「……そういう、事ですか」


 小さく零したフィーナは、それからクラウスの瞳を覗き込む。

 どうやら彼女もクラウスの思い描く理想に至ったらしい。フィーナにはクラウスの思惑を伝えていた。その色のない景色に音と温度がついたという感じだろうか。

 彼女との契約ももう半年近くになる。記憶や想像を意識して探る事にも慣れてきたということだろう。今後下手な事は考えられないと思いつつ彼女の瞳に答えを返す。


「それでもフィーナは、僕の味方で居てくれる?」

「約束しましたから……」


 どこか寂しそうに零すフィーナ。彼女はきっと今までのどんな瞬間よりも寂しさを感じているはずだ。

 クラウスの想像は何処までも先を行く。出来る限りの想像で未来を補って理想とする景色を作り出す。

 その景色に、クラウスの姿は無い。


「わたしはクラウスさんのはんぶんです。それはその時まで変わりません」


 覚悟を宿した蒼色の瞳。アルの紅とは対照的な全てを包み込む深い双眸。

 フィーナが相棒である事に感謝をしつつ、やはりこの景色はどこか都合がいいとさえ思う。

 全てを肯定してくれる契約妖精と、それを否定してくれる契りを交わした妖精と。

 何処までも対照的な二人の気持ちに甘えて息を整える。


「ありがとう、フィーナ」

「納得なんて、出来ないよ……。いつか絶対その考えを改めさせて見せるっ。だから勝負よ、フィーナ」


 ゆらりと立ち上がったアルはその目に炎を灯してフィーナを見据えて宣言する。

 まるでそれは一人の男を取り合う女の争いのように。静かな火花を散らして突きつけられた刃にフィーナは応えて交わらせる。


「かかって来い、ですっ。クラウスさんの野望はわたしが全部正当化してみせます!」

「言ってなさい、小娘っ。最後に笑うのはあたしだから」

「選んでもらえなかったくせに」

「なっ────!?」


 それはフィーナなりの宣戦布告だろうか。ぽつりと零した禁忌の言葉にアルは獰猛な笑みを浮かべる。


「元はと言えばあたしがクラウスと────」

「アル、フィーナも。そんなに喧嘩がしたかったら後で全部聞いてあげるから」

「誰の所為だと思ってるんですかっ」

「ほんと、そこだけは同意するわ!」


 全く、仲がよろしい事で。

 顔を背けた二人に失笑してとりあえずの話の終結を見る。後はクラウスの問題、全て甘んじて受けるとしよう。

 思いやられる今後を憂いながら視線をアンネに。彼女はクラウスと視線が合うと途端顔を逸らした。

 そう言えば先ほど彼女の好意を振ったのだったか。どこまでも卑怯な演技と思っていたクラウスだが、どうやらそこには少しばかり本音が含まれていたのかもしれない。

 けれどそれに答える事はクラウスの望みも、アンネの理想も壊してしまう。何より、彼女だってこうなる事が分かっていたはずだ。


「……ルキダさん」

「…………せめて、名前で呼んでよ」

「…………分かった」


 それ以上は望まないと。それが戒めになるからと。まるで自分を傷つけるように左手で右腕を強く掴んで顔を伏せるアンネ。

 己が身を縛り付ける茨に苛まれる道を選んで彼女はクラウスに歩み寄る。

 それが彼女の選択だ。ならばそれ以上彼女に悲しい思いをさせたくない。何より、もう異性の涙は沢山だ。


「それで、アンネさんは一体僕に何の相談があるの?」

「………………友達、の、こと……」


 アンネの思いを汲んで言葉にすると、彼女は長い沈黙の後苦しそうに零した。

 いつだってそうだ。彼女の最優先目標は彼女の親友たるユーリア。クラウスの力になったのだって、全てはこのためだ。


「今までクラウスの言う事聞いてきたんだから、一回くらい我が儘言わせてよっ」

「その我が儘は、僕の我が儘でもあるから。だから一緒にどうにかしよう」

「…………うん。ありがと────」


 素直なアンネはどこか儚くて、その小さな体が震えている事にこちらの心が掻き乱される。

 今までずっと間違えてきた。その歪みを正そうとして、彼女は失敗した。だからクラウスに頼った。

 事はきっともう彼女一人ではどうしようもないほど大きくなっている。


「……分かんないよ。大事な友達の事なのに……親友の事なのに。ユーリの考えてる事が一つもわかんないっ」


 悲痛の殻を纏った叫びにただ静かに耳を傾ける。今はただ、彼女の掃き溜めになるほかない。


「私はただユーリのためにって、そう思ってるのに、それが要らない世話だって……。だったらもう私、どうしていいのか分かんないよ…………」

「アンネ……」

「私は、私で、ユーリがいて、私なのに……。私は、ユーリの友達でなきゃいけないのに…………。友達って、……分かんないよ…………」


 ダフネの心配さえも届かないほどアンネは自分の殻に閉じこもっていく。零れる言葉は支離滅裂に音になった先から意味をなくして、彼女は自分の世界に拒絶だけを生み出す。


「ユーリの側にいないと……私じゃなくなっちゃう…………!」


 掠れた声に景色の片隅で人影を重ねる。

 それはクラウスとテオ。

 クラウスとテオは幼馴染だ。その関係は信頼というより共依存と言ったほうが正しいのだろう。

 片方が無茶をして、もう片方がそれを正当化する。結果言動は歯止めが利かなくなり、互いを見失う。

 クラウス達はまだどうにか見失わないで済んでいる。それはどこかに自分たちが間違っているという気持ちがあるから。

 けれど彼女たちは違う。慣れ親しんで、慣れすぎた故に、踏み誤った。踏み越えすぎて、すれ違った。

 そうして自分と友達を見失ったのだ。


「だったら取り戻そう。友達の場所を、アンネさんの場所を。それで安心していられるなら、僕はその場所をもう一回作り出すよ」


 自分を苛むように体を抱きしめて蹲ったアンネの傍に寄って囁くように告げる。

 一人で悩むなと。それではいつか自分を壊してしまうから。

 顔を上げて手を伸ばせと。そうすればきっと誰かがその手を取ってくれるからと。

 少なくとも誰も助けてくれないと思うよりは、その方が自分を見失わないで済むから。

 彼女には他人との繋がりを絶って欲しくない。自分にはそれができないから、彼女にはそうしていて欲しい。

 それがクラウスに対するアンネの正義だ。


「だから教えて。一体何があったのか……。僕を頼って」


 彼女の肩に制服の上着を掛けると、顔を上げたアンネは涙に濡れた顔で縋るようにクラウスを見つめた。

 不安に揺れる水色の瞳。

 心の奥まで見透かされそうな透き通った瞳は、それから涙に歪んで前髪に隠れた。

 僅かの沈黙の後、彼女は嗚咽と共に語ってくれた。

 今まで二人でどんな時間を過ごしてきたのか。そこにどれ程思いが込められていたのか。春のことで彼女は何を思ったのか、何を得たのか。

 その殆どは他愛のないただの日常で、アンネにとってはただの自分の居場所だったもの。

 どれ程ユーリアの傍で時を過ごしてきたのか。どれ程彼女の為に時間を使ったのか。

 最初はただの興味だった入学当初の邂逅から、ユーリアという存在に惹かれていった二年半の時間。

 ただの友人という枠を超えて親友として隣にいられる幸福に浸っていた時間。

 それは彼女にとって自分が自分でいられる場所へと変わったのだ。

 ユーリアのために何かをする事によってアンネという存在を認識する事ができた。だから彼女はその次を求めて、ユーリアの隣で満足し続けた。

 そして春に──それは親心のような何かで、彼女は間違いを起こした。

 過保護な愛情。それはきっとアンネの中心にある彼女を成す核だ。

 誰よりも他人想いなアンネだからこそ、ユーリアの親友になって、それ故に失敗したのだ。

 そうして決心した。


「私は、ユーリの理解者になれないから…………。だからユーリを否定してあげようって。敵対してあげようって。そうしたらユーリはもっと強くなれるから──ううん、私がやっとユーリから離れられるから」


 いつからか彼女も気付いていた。

 それはアンネの身勝手で、ただの押し付けだと。ユーリアの気持ちはユーリアにしか決められないものだから、アンネがずっと傍に居る事は間違いなのだと。

 そんな決心に、ちょうど春の……委員会の設立の話が耳に入って。アンネはそれを利用した。

 互いが互いだけを意識する関係ではなくて、ただの友達に戻るために。ユーリアの理解者を作り出すために。

 ユーリアの目の前でわざと失態を見せ付けて、己の中に失敗を刻み込んで。そうしてアンネは失敗という名の成功を成し遂げた。

 ユーリアにはクラウスとテオと。それからニーナにヴォルフにレベッカに……。沢山の友人と繋がりが作られた。それらは全てアンネの思惑だ。

 けれどそれと同時にアンネは結び付きをなくしそうになった。だから彼女は目に付いたクラウスを巻き込んだ。

 クラウスを振り回せばユーリアの関心をクラウスに惹く事ができるから。クラウスとユーリアがくっつけば、それはアンネの思惑通りだから。

 けれど間違いだったのは、アンネがクラウスに肩入れをしすぎたこと。

 彼女はユーリアから離れるたびに自分を見失っては、自分を肯定してくれる人物へと手を伸ばしては縋った。

 それが間違いだと気付いて尚、彼女は自分で止められなくなり、結び付きを強要した。

 それはいつしかただの想いから恋愛感情へと変わり、それさえも彼女は利用しようとした。

 クラウスと仲良く振舞う事で自分を確固とした存在として認識し、ユーリアには彼女の場所を踏み躙るように見せ付けた。そうして、幾度もアンネは自分の野望が叶いつつある事を実感した。

 同時に彼女は強くなりすぎた情を抑えきれなくなった。


「流石にあの時はまだ明確に口にするわけにはいかなかったから、確定した言葉で断言は出来なかったけど……言ったんだ、クラウスが好きだって。そしたらユーリね、自分でも気付かないほど怒って顔を歪めたんだよっ」


 ────アンネはクラウスのことどう思ってるの?


 ────好きだよ?


 あの喫茶店で、それから彼女が語るには指名手配犯を捕まえた後で。

 そうして見たユーリアの表情に、アンネは計画の成就を見たそうだ。

 それからの日々はアンネにとっては苦痛しかなかった。

 今まで親友だったユーリアとの間に横たわった距離。アンネが生み出した、アンネを苛む溝。

 誰よりも友達想いなアンネは、その結び付きを断ち切って独りになった。なった、はずだった……。


「そうしたらようやく気付いたんだ。……私はユーリに見せ付ける振りをして、自分を騙してたんだって。クラウスを好きなことに嘘を吐いてたんだって」


 きっとそれは彼女にとって理解のし難い感情だったのだろう。

 ずっと演技をし続けて、自分というものを見失って。恋も愛も分からなくなった擦り切れた心に灯したたった一つの感情。

 アンネにとってそれは彼女の居場所。

 だからこそ必然的に、はたまた運命的に──アンネはその衝動を飼いならす事はできなかった。

 そうして、アンネはクラウスに告白をして見せたのだ。


「嫌いって言われちゃったっ……」


 涙に濡れた顔で笑うアンネ。その表情は抜け殻のように儚くて、思わず抱きしめたくなった。

 もし彼女でいいなら、クラウスは是非もなく彼女を選ぶのに。そうでなくとも、ただ女性として魅力を感じているのに。

 けれど、やはりそれは許されない。これはまだ、彼女の物語の途中だから。


「……でも分かってた。そう答えてくれるって知ってたから、告白したんだよ」

「だから彼女を呼んだんだね」


 アンネの告白に繋がる彼女の長い独白。その最中でクラウスも気付く事ができた彼女の真意。


「ユーリは、約束を破らないから……。屋上に来てって言ったら、本当に来てくれたよ」


 恐らく学院祭のどこかでユーリアと言葉を交わしたのだろう。その際にユーリアを屋上に呼び出した。そうして、アンネのクラウスに対する告白を彼女に向けた言葉として叫んだ。

 抱えきれなくなった思いを全て告げて、彼女は誰よりも強く友の事を考えて行動し続けたのだ。

 彼女の痛みは誰にも背負えない。彼女の望みは彼女には叶える事はできない。

 だからアンネは、最後にクラウスを頼ったのだ。


「全部、全部全部っ! できる事全部綺麗にやり遂げたよっ! 全部ユーリの為に、全部私のためにっ、全部クラウスの為にっ!! 私はっ、最後までっ、悪役をっ、演じきって見せたっ!!」


 高らかに天を仰いで叫ぶアンネ。止まらない涙を拭いもせず、彼女は今全ての野望を言葉にして見せた。

 被り続けた仮面は、もう必要ない。それを取るのは、クラウスの役目だ。


「────だから、ちょっとくらい褒めてよ……」

「……よくやったよ、アンネ。だから後は全部、僕に任せて。この世界の歪んだ全てを、僕が綺麗に元通りにしてあげる」


 これは全ての悪を背負った彼女へのせめてもの償い。そこに行動以上の他意はない。

 ただ独り、肩を揺らすアンネの体を抱きしめる。そうして、彼女の耳元で彼女を赦す。

 今度はちゃんと、彼女を殺してあげられただろうか。


「だから辛い事は、泣いて済ませればいい」

「……っ…………ぁああっ…………。あぁああ、ぅあああぁぁあ……ああああぁあっ……!!」


 声を上げて子供のように泣きじゃくるアンネを、今はただ抱きしめる。

 たったそれほどの幸福も赦されないほどの業を、彼女は今まで背負ってきたのだ。

 だから強く自分を実感できる今だけは、彼女らしく泣けばいい。

 そうしてまた、新たな一歩を踏み出せばいい。




 あの後泣き止むまでアンネに付き添って、落ち着いた頃に彼女とは別れた。

 その最中でアルはついでのように彼女に掛けた記憶の封印術を解いていた。アルにとってアンネはイレギュラー以外の何者でもない。だからきっとそこには興味の一欠片だってありはしないのだろう。

 記憶の封印を解かれ、今まで背負い続けてきた重荷を全て言葉にして吐き出した彼女は、どこかあどけなくてその純粋さに少しだけ心を揺らされた。

 アンネの背負ってきたものは全ての期待だ。無意識に彼女に望んだ全てに、彼女は真面目に答えを返して。その中に僅かに自分の思惑を混ぜ込んで、ようやく彼女はすべき事を全てやり遂げたのだ。

 そうして、彼女は友を失った。

 何処までも友達想いなその末路に親友を失ったアンネは、どうすればいいか分からなくなってクラウスに縋った。

 彼女に悪役を背負わせ続けたクラウスは償いとして彼女の願いを聞き届けた。

 それがあの屋上でアンネと交わした全てだ。

 同時に訪れたのはアルとの再開。

 幼い頃、言葉ばかりの約束を交わした妖精。隣には今フィーナが居て、彼女の望みの半分ほどを裏切った形にはなってしまったけれど、少なくとも今まで彼女と交わした約束を忘れた事はなった。忘れなかったからこそ、アルではなくフィーナと契約を交わしたのだ。

 クラウスでは彼女の側にいられないから。クラウスの変わりにその場所を任せられる存在としてフィーナを選んだのだ。その選択を間違いだとは思わない。

 けれどそれはクラウスの都合で、アルの主観ではやはり裏切りだ。

 だから彼女はフィーナと同等を──それ以上を望んだ。クラウスの隣で一緒に過ごすと告げたのだ。

 しかしクラウスは既にフィーナと契約を交わしている。妖精との二重契約は不可能では無いが、契約の際の回路の構築において二つの妖精力を受け取る人間の体が耐えられないために成功例は無い。

 流石のクラウスもこればかりは試そうとは思わない。専用の妖精術を作ろうかと一瞬考えもしたが、それは直ぐに首を振った。

 妖精との契約は神聖なものだ。それを人の力で無理やりに捻じ曲げて大きな力を得ようとするのは間違いだろう。

 それにもし成功すれば今までの歴史を覆してしまう。決定的に、人の理を外れてしまう。

 妖精憑き(フィジー)一人に妖精一人。それは妖精に関わるものがそれ以上の特別な力と責任を背負わないためのものだ。一人の妖精従き(フィニアン)に妖精が二人以上契約すれば均衡が崩れてしまう。

 長く生きたいだろう妖精は契約を渇望し、力を欲しい妖精従きはいくつもの契約を結ぶ。

 結果それは契約する妖精の数で力を測ることとなり、今以上に妖精の意思を蔑ろにしてしまうのだ。

 その上、複数の契約を維持すればそれだけ供給する妖精力は多くなる。そうなれば悲しい想像が現実になる可能性も上がる。

 それは妖精の事を物以下へと貶める最低の考えだ。

 だからこそ、契約は二人で一つではなくてはならない。

 ただ隣に居るだけなら問題は無いはずだ。妖精力の供給ができない以上いつかは別れが訪れるだろうが、クラウスの野望をそれまでに現実に出来ればその想像も杞憂で終わらせることができる。

 アルフヘイム。妖精の国と呼ばれる妖精の為の理想郷。

 書物などの伝承ではかの地は妖精力に溢れており、その土地に住む妖精は今の契約にある供給の恩恵を受けられると言う。さらに結界で囲われ、人の目の届かない場所に存在するとされている。

 だからこそ、人間は今まで誰もその存在を目にした事がない。

 けれど歴史の狭間で時折妖精の口から零れて聞いた言葉によって、その名は世界で知られているのだ。

 クラウスのようなただの妖精従きにしてみればあるかどうかもわからない眉唾物の御伽噺。童話の題材としては事欠かない幻想の里は、アルとの約束の場所だ。


 ────そうしたら貴方が王様になるのよ


 彼女と交わした幼い頃の約束。アルは──クラウスは──ただそれだけを盲目に夢見てここまでやってきたのだ。

 今までのクラウスのして来た事はその準備。

 相談に乗って、問題を解決して。押し売りのように恩を押し付けてクラウスに協力するように差し向けたクラウスの手管。

 刹那的に言えば起こった問題を利用しただけではあるが、その偶然の過程があるからこそ確かな結果を得られているのだ。

 全てはアルの……自分のため。自分がアルフヘイムという未踏の地を見たいが為に求めた、何処までも自己満足な自作自演だ。

 委員会を作ったのも、英雄的妖精を近くに置いたのも、エルフである彼女を引き入れたのも、人間とハーフィーの契約を巻き込んだのも、他方向に沢山の繋がりを作ったのも──

 全ては自分自身のためだ。

 その道程の伴侶として、全てを肯定し見届け託す役割としてフィーナを選び。クラウスの成そうとする夢見がちな野望に現実味を増すために、全てを否定する役割としてアンネを頼った。

 どんな状況にも対応できるように準備を重ね、どんな場所でも全力を出せるように四つの属性(エレメント)を操る人物を選んだ。

 人選も、言動も、繋がりも。全てはただクラウスがその野望を成し遂げるための、クラウスが用意した盤上の駒だ。

 だからこそ、一人だけ役割を持たなかった人物がいた。

 イレギュラーだったのはアンネの参入。彼女の役割は本来別の人物が担うはずだった場所だ。アンネにその役割を任せたが故に、その人物は渡されるべきだった駒としての役割をなくしたのだ。

 クラウスの近くで正義を振りかざし、曲がらない意志で否定する。

 特に異性として、人間として隣に居ることで、彼女の正義を借りてクラウスの言動を正当化するための最も重要な役割。

 そんな彼女には、今やクラウスの近くにいる必要は無い。だからこそ、その理由を作るためにイレギュラーな彼女が全ての悪役を引き受けてくれたのだ。

 アンネが悪役のように振舞う事で一度役割を失った彼女が再び正義となり、クラウスの最も近い場所に収まる。それ故に駒として並ぶ資格を得る……。

 クラウスを正当化する剣として──誰より添い遂げる者として、クラウスは彼女以外と結ばれてはならないのだ。

 例えそこに愛も興味もなかろうとも。


「クラウスさんは悪魔です」

「クラウスはただの感情のない道化よ」


 フィーナとアルの冷たい感想に笑みを作る。

 あぁ、それは何よりも正しい。

 悪魔のよう(クラウス・)な非情の道化(アルフィルク)

 何と狂った名前だろうか。歪な僕にぴったりだ。

 欠けた世界を欺くには丁度いい。

 寡黙に誠実に全うしよう。

 世界を駆けずり回って成し遂げよう。

 忘れ去られた福音の場所を。

 この世に祝われるただ一つの理想郷を。

 歴史に謳われる名として残そう。

 妖精の国(アルフヘイム)

 そここそが妖精が奏で踊る彼女たちの居場所だ。




 翌日は日常で、変わらない時間が流れていた。

 いつもは授業を行う時間を返上しての学院祭の後片付け。校内は喧騒に溢れそこら中から絶え間なく音が響いていた。

 クラウス達や実行委員が中心となって行われた片付けは、午前中のうちに全て終わり学院からは僅かばかりの気持ちとして飲み物が振舞われた。

 時間も丁度昼飯時。そのままの流れで昼食へと移ると弁当箱を持ったところで、両脇を花束に彩られた。


「一緒にお昼いいかしら?」

「もちろんいいよね? やったーっ」


 威圧感と共に答えの一つしかない質問を繰り出したのは黒髪長髪を着流したユーリア。

 質問に答えるより先に持ち前の演技力で未来を決定付けたのはライトブラウンの波打つ髪を指先で弄るアンネ。

 有無を言わさぬ連係技。君たち本当に喧嘩してるの?

 色合いの異なる鮮やかな花に誘われて足を出す。


「賑やかな上に華やかとはクラウスも随分偉くなったものね」


 呆れさえ滲ませて胸の内に感慨を落とすのと同時、クラウスの近くを漂っていた黒髪短髪の妖精──アルが気持ちを代弁するように零した。

 彼女の言葉は昔と比べて棘が増えた気がする。あの頃はもっと実直で飾らない良さがあったのに。


「見るだけだから華やかだって言えるんだよ」

「手入れしてくれたらもっと綺麗になるのに?」

「僕は気に入った花を一輪しか手折らないよ」

「勝手に蝶を呼んでおいて何言ってるんだか……」


 アルの言葉に声を返せばアンネのからかいが響く。少しだけ楽しくなって意地悪に事実を告げれば続いたのは珍しく気取ったユーリアの声だった。

 少しだけ面食らったクラウスが足を止めるとユーリアは口角を持ち上げて小さく笑みを浮かべた。

 それは照れ隠しか。直ぐに前を向いて見えなくなった表情に降参しつつ再び歩調を揃える。


「花は動かないよ。寄ってきたのは蝶の方」

「蝶よ花よと言われるほど子供のつもりは無いわよ」

「もちろん。だから僕は一輪以外をこの手に取らない」


 歯の浮く台詞を重ね連ねて。最後に蜜のような笑顔を浮かべて告げればユーリアは逃げるように顔を逸らした。

 そんな様子をアンネがどこか羨ましそうに眺めている事に気がついたが、触れる事はできなかった。

 そうしてユーリアと珍しい会話をしながら三人で歩いて屋上へと辿り着く。こうしてここで三人一緒にいるのは三度目か。

 随分と色々な事があった気がした屋上だが、景色も空気もいつもと変わらない。

 ただ違うのはクラウスの両脇を艶やかに飾る二人の友人が仲違いをしているという事だけ。


「いただきます」


 腰を下ろして昼食を広げる。肩上に陣取るフィーナとアルが瞳を輝かせてクラウスの手元を覗き込む中、視界は今までになかった情報を捉えていた。


「……手作り?」

「一応そういうことになるわね。食べられる程度には出来たから……」


 隣に座るユーリア。その手元にはいつもの麺麭(パン)ではなく、クラウスと同じ弁当箱が存在していた。

 どうやらずっと続けていた練習が実ったらしい。見た目としては随分といい方だろう。

 少し焦げた卵焼きが目に付くくらいで、それ以外は見た目も綺麗に仕上がっている。

 手に傷は見当たらない。恐らく元々手先が器用なのだろう。練習を重ねたからこそ得た境地と言うわけだ。


「それにしてもよく出来てるね」

「あげないわよ……と言うか、あげられるほど納得してないし…………」


 完璧主義というか理想が高いというか。一体何を目指しているのやら。

 何にせよ彼女が自分に課せた理想だ。いつか目標が達成できた時にでも一口貰えればそれでいい。

 そんな事を考えながら昼食を口へと運ぶ。因みにクラウスの周りに妖精が増えたことにより、クラウスの弁当は少しだけ容量が増えた。

 まさかアルまでが食事に興味を持つとは思わなかったために、弁当箱の中身は随分と窮屈なものになっていた。とりあえず次の休みまでの辛抱だ。この際だから彼女たち専用の弁当箱でも買うとしよう。

 予想外の出費だと計算を重ねながら昼を過ごす。時たま交わされる会話はどこか歪にクラウスを挟んで行われ、ユーリアとアンネが直接言葉を交わす事はない。

 その空気を作り出しているのはアンネの方で、ユーリアが僅かに歩み寄りを見せてもアンネは頑なに気付かない振りで無視をするのだ。

 居心地が悪い事この上ない。彼女の相談はできるだけ早めに解決するとしよう。


「お? 何だ、クラウスか……」


 肩に圧し掛かった重荷に溜息を吐いていると耳が聞き慣れた声を捉える。顔を上げればそこにいたのはテオ。彼の隣には当たり前のようにニーナが立っていて、少し後ろにはヴォルフの姿も確認できた。


「……お邪魔だったかしら?」

「そっくりそのままお返しします」


 いつもの癖でからかいの言葉を返す。けれどそれに返ったのは不機嫌ではなく余裕だった。ニーナのその表情に気付く。


「テオ…………」

「そういうことだからそれ以上言うな」


 次いで幼馴染に言葉を向ければ返ったのは覚悟の声だった。どうやら昨日の後夜祭で彼らの関係にも一つ終止符が打たれたらしい。

 まぁなるべくしてなった関係だろう。クラウスとしても懸念が一つ解消できて安心する。


「珍しいですね屋上に来るなんて」

「仕事の開放感に浸りたいのよ。同席いいかしら?」

「二人が良ければ」

「構いません」

「私も」


 深く追求する事は避けて言葉を向けると返ったのは上機嫌な声音。よほど彼の隣を射止めたことが嬉しかったらしい。クラウスから見れば彼女の魅力はテオに負けず劣らず充分だとは思うのだが。それでも不安が募るのは患いの性か。

 ユーリアとアンネの言葉に頷いてニーナは腰を下ろす。続いてテオがニーナの隣に。反対側にヴォルフが座った。

 特に文句を言わずニーナの隣に座るところを見るに覚悟はついているらしい。ならばその生真面目さでニーナを守って欲しいものだ。

 ヴォルフは巻き込まれたのだろうがその顔はいつも通りの無表情。彼も随分と安定感のある性格だと尊敬する。


「あら? クラウス君、その子は?」


 暢気にそんな事を考えているとクラウスの傍で静かにしていたアルを目敏く見つけて話題に挙げる。

 いい機会だ、話の種にしておこう。


「僕の昔の知り合いで、個人的に仲良くしていた妖精の子です」

「お初にお目にかかります、アルです。皆さんよろしくお願いします」


 猫被りな繕った言い回し。浮かべた笑顔はクラウスと同じ飾り物。そんな仮面被ってもいつかはばれるのに。

 下手な芝居だと胸の内で溜息を吐く。


「一応あたしはクォーターです。そこのフィーナと同じ生い立ちです」

「契約は、してないんだよね」

「出来たらしたかったんですけどねっ」


 笑わない笑みを浮かべて告げるアル。言葉の端にはフィーナへの敵意を滲ませる事を忘れない。

 間に挟まれて腕を引かれるの吝かではないが、お願いだから刃傷沙汰にはしないでおくれよ?


「これからはクラウスの近くに居ると思います」

「……クラウス君、意外と節操なしよね」


 ニーナの糾弾するような瞳にふつふつと怒りが込み上げて来る。

 もうこの際だ、はっきりさせておくとしよう。何よりもう我慢の限界だっ!


「…………前々から聞こうと思ってたんですけど、皆僕の事一体何だと思ってるんですかねっ?」

「はんぶんです」

「偽善者」

「……友人」

「正義!」


 フィーナにアル。続いてユーリアとアンネ。恐らくクラウスに一番近い場所にいるであろう異性から放たれた率直な感想。

 飾らない評価に怒りを通り越して呆れが込み上げて来る。

 そんなクラウスの内心を知ってか知らずか、続いて波に乗ったのは幼馴染だった。


「道化」

「嘘吐きっ」

「……異端者だ」


 果てはニーナにヴォルフまで。思い思いに人の事を真っ直ぐに貶してくれた。

 予想通りというか予想以上というか…………。

 ただただ呆然として溜息すら零れない。


「…………聞いた僕が馬鹿でしたっ」


 全てを投げ出すように諸手を挙げる。

 唯一純粋に答えてくれたユーリアには後で何か御礼をしておこう。

 フィーナも随分と黒く染まったものだ。見た目はあんなに真っ白なのに。

 はんぶん。それは彼女にとっての拠り所だ。けれどその言葉の真意は悪事の片棒を担がせた極悪人といったところだろう。

 尤もそればかりが込められているわけでもないだろうが……。


「いい気味よっ」


 何故か勝ち誇ったように笑みを浮かべるニーナ。もうそれでいいと少し疲れた気分で食べ物を口に運ぶ。

 後から増えたとは言え、元はユーリアとアンネに誘われてのものだったと平和だった少し前を思い返す。彼女たちは何か話があってクラウスを連れ出したのだろうが、一体何の話だったのだろうか?

 今更当初の目的を思い出してどうしようかと考える。

 ……この場の空気を壊すのも悪いか。少なくとも今の流れでクラウスが何かを言い出せる雰囲気ではない。ここは晒し者にされて、後で二人に話を聞くとしよう。

 何より今は気楽でいたい。アンネに託された願いは急いでもそう直ぐに解決する話ではないのだから。


「ま、変わる気は無いですけどね」

「だからそんな風にしか思われないのよ」

「知ってます」


 開き直ってどうでもいい談笑の輪を広げる。

 自分の事を思考の外にやればこの光景はきっと理想の一つだろう。

 人間と妖精とエルフと。ハーフィーにクォーターに英雄的妖精に。軍属も名家の出もヴァレッターの一員も。

 多種多様な成り立ちとそれぞれを構成する欠片が集まった煩雑な集団。

 そんな雑多な者たちが集まって、(あたか)も平穏を体現したかのように秋の空の下を彩る光景。

 一体この景色に何が足りなくて争いが起きるというのだろうか。一体何が原因で和が崩れるというのだろうか。

 分かり合えないからこそ分かり合おうとすることの何が間違いなのだろうか。

 そんな理想の何処が歪んでいるというのだろうか。

 いい事ばかりではないこの景色でも、どうにか天下泰平を謳う事ができる。

 なのに何故分かり合う事を赦されないのだろうか。


「平和ですね」

「だね」


 何故手放しで全てを認められないのだろうか。

 不意に吹いた優しい風に、その答えは乗ってはいなかった。




 騒がしかった昼食を終えてそれぞれに教室に戻っていく。先輩たちと階段で別れるとクラウス達は足並み揃えて廊下を歩く。


「それで、二人は一体何の話だったの?」

「話、って?」


 その最中、恐らくの当初の目的を尋ねる。

 今日の少し煩い昼食の発端は彼女たちの問答無用な強制連行だ。だからこそ何か話があってクラウスを巻き込んだものと考えたのだが……。

 返ったのはユーリアの間の抜けた声。という事はアンネか?


「別に話なんてないけど? ただ暇だったから巻き込んであげようかと思って」

「……つまり特に理由はなかったと」

「強いて言えば学院祭のことでお礼が言いたいって事くらいかな。ティアナのこと良くして貰ったみたいだし」


 視線を向けては見たが答えたアンネの言葉はいつも通りの口調。けれど声音とは裏腹に水色の瞳はクラウスを射抜いて離さない。

 その瞳にようやく気付く。

 ……あぁそうか。そういうことか。

 だからこれはつまり、改めてユーリアとの今の関係性を認識しておこうという事だったらしい。

 どの程度まで悪化しているのか。どれ程当人にとっては手の負えないことなのか。

 そこから逆算して解決の糸口を見つけ出してくれと言う、傍若無人でも程遠いほどの丸投げだ。

 ならば最初から話を通しておいて欲しかった。おかげで普通に平穏を楽しんでしまった。


「別に僕が何かしたわけじゃないよ。ティアナちゃん、とてもいい子だったし」

「でもお昼奢ってもらったでしょ?」

「あの程度なら別にどうって事ないよ。それにお礼ならティアナちゃんから貰ったから」


 男の誉れとして淑女の口付けを。クラウス個人としてはアンネに関する情報を。

 どちらも彼女でなければ齎す事のできなかった貴重なものだ。これ以上を望んでも特にクラウスの利に転がるようなものは恐らく得られないだろう。

 既にクラウスの視界には今回の解決への道順は見えている。


「……そう? だったら言葉だけでも。いろいろありがとう」


 いろいろありがとう。たったそれだけの言葉に込められたいくつもの感情にクラウスは笑顔一つで答える。

 アンネとの関係はそれでいい。最初からそうであればよかったのだ。欲を出したのはアンネだけではない。クラウスだっていつしかそこに自分の居場所を求めていた。

 二人で紡いだ過ちだ。ならばその痛みと覚悟は二人の中だけに留めておけばいい。

 柄にもなくアンネのことを心配したと気付いて切り捨てる。

 必要ない。感情はもう、置いてきた。


「……ねぇクラウス」

「うん?」

「いつか……私が納得できる時が来たら、その時に料理の味見を、してもらえる?」


 そんな風にアンネとの会話に自分を見つめ直していると唐突に逆側から声が響く。続いた言葉はどこか恥ずかしそうな覚悟の言葉。

 女性の手料理だ。食べられるならそれだけで幸運だろう。

 それに彼女のその覚悟は、彼女なりの歩み寄りのはずだ。だったらクラウスはただこの言葉を答えればいい。


「分かった。待ってるよ」

「…………うん」


 ユーリアにしてみれば随分と急いだ、勇気のいる言葉だったのだろう。ちらりと窺えば少しだけ耳朶が桃色に色付いていた。

 これ以上は無粋だ。

 少しだけ湧き上がった邪念を振り払っていつも通りに歩き出す。

 だからこそ、クラウスの両隣で違えた空気を元に戻すことに意味があるのだ。




 それから午後の授業を過ごして。クラウスはいつも通り転寝うたたねで現実と幻想の狭間を揺蕩たゆたう。

 春の頃のようにフィーナが安眠を妨害することもなくなり、クラウスにとっては悠々自適な時間だ。アルも朝の内こそいくつか言葉攻めでクラウスを溺れさせていたが、昼休み前には自分で判断して自己解決を行うようになっていた。

 フィーナと比べるとアルは随分と落ち着いている方だろう。性格はクラウスと似ていて平時は物静か。何か興味をそそられる物があれば納得のいくまで追求する気構え。

 クラウスの記憶では彼女はクラウスと殆ど年が変わらないはずだ。小さい頃、故郷で遊んだ頃に彼女が言っていた通りならば、だが。

 妖精は年を取らない。というか年齢の概念がない。そのため大抵の場合は人間の暦に換算して大まかに考えられる。

 人の暦は一年が十二ヶ月。一月を三十日周期で数え、五年に一度、最後の月だけ二日余計に過ごすことによって太陽と月の周期が大方一致するそうだ。

 まぁそんなどうでもいいことは置いておいて、クラウスが今年で十七歳。アルも同じくらいで十六、七歳。フィーナが恐らく十三、四歳と言ったところだろう。

 ここで問題になるのがアルとフィーナだ。

 アルはこの世に生きる者として年長者だ。けれどフィーナはクラウスと契約して約半年ほど経つ。

 野良の年長者の妖精と、契約を交わした年下の妖精。さてどちらが偉いかと言ったところで事の発端だ。

 それは昨夜の後夜祭の後のこと。寮に帰ったクラウスの下で繰り広げられた不毛な舌戦。

 あの屋上で交わした宣戦布告から殆ど間を空けず開幕した、果敢ない第一次クラウス争奪戦だ。そんなもの望んじゃいないのに……。

 クラウスの遠慮を否定して無理やりに巻き込まれた妖精達のどうでもいいような会話。それに付き合わされたクラウスはいつもより少し寝不足で、いつも以上に疲れていた。

 というのも件の討論会で見つけた折り合いは、あろうことかクラウスに丸投げされたのだ。

 彼女達の最終的弁は『元はと言えばクラウスの所為』。仲の良いんだか悪いんだか分からない二人が公平を期すために、恐らく公平たるクラウスに全てを放り投げるという暴挙を繰り出したのだ。

 全く酷い話だ。巻き込まれた側の人間が最終決定権を任され、その癖それぞれは自分こそが立場が上だと譲らない。

 ならば一体どうしろと言うのだろうか。お願いだから誰か妙案を授けて欲しい。

 そんな衝突があったのが昨日の夜。それから何故か二つの緊張感に挟まれながら半日以上過ごして、ようやくクラウスが見つけた答えはただの逃げ。

 とりあえずいい感じに誤魔化しておこう。言葉を重ねて興味を逸らして、当初の目的を見失えばその内納得するだろう。


「……さてクラウス、そろそろ決まったかしら?」

 

 午後の授業も終わり、教員からの連絡事項も済んで放課後へと移る鐘の音が響く。

 窓から差し込む少しだけ橙色に染まった陽を眺めながら、掛けられた言葉に一拍開けてから答える。


「……無理だよ。僕には二人とも大切な存在だからね。優劣なんてつけられない。それが僕の平等」

「そんなので満足すると思ってる?」

「比べなくてもどちらを選ぶかはとても簡単なことだと思いますっ」


 フィーナまでむきになって……。妖精は個の優劣がなかったんじゃないのかい? 随分と人間の暮らしに染まったものだ。


「フィーナ」

「はい?」

「フィーナは僕の共犯者だよ。だからフィーナの価値は僕自身の価値と同じ……違う?」

「……いえ…………」


 呼吸一つ。それから机の上を片付けながら言葉を続ける。


「アル」

「……何?」

「今の僕はアルが居なかったらありえない。それは僕のはんぶんをアルが形成してるってことだよ」


 はんぶん。きっと何よりも彼女が拘っている言葉だろう。

 妖精にとってのはんぶんは、彼女達の生き様の伴侶だ。だからこそアルとフィーナの間に存在するその溝が二人の関係を揺らがせる。


「同様に僕の契約妖精はフィーナで、フィーナもまた僕のはんぶん。だったら僕個人の意思は僕の中にはないし、それを理由に責任転嫁されても僕は何の答えも返せない」

「…………でも……」

「僕は二人からできた寄せ集め。二人が作った何かだよ。だったら二人のものは二人で大切にするべきだと僕は思うよ」


 ただ静かに真実だけを言葉にして伝える。

 彼女達だって分かっていたはずだ。無意味な言葉の応酬だと。争うより先にもっとするべき事があると。

 その仲介役としてクラウスは二人の手を結ばせる。


「その上でもし納得がいかないなら、二人で結託して僕を責めればいい。そうすればほら、二人は横並びだ」


 少し強引だろうか。けれどこれくらいしないといつまでも言い争う未来が想像に難くない。

 クラウスとしては彼女達が手をとってくれる方がやりやすいのだ。

 そうして手をとって、クラウスに認めてもらうために競えばいい。


「さて、何か質問は?」

「…………ない、です」

「……わかったわよ」

「それじゃあ凝乳(クリーム)麺麭でも買っていこうか。アルは何が食べたい?」

「…………フラン」


 首を傾げて問えば返ったのは納得の言葉。とりあえず今はこれでいい。その内彼女達が本当の意味で平等だと胸を張れるようにしてあげるとしよう。

 もしクラウスの野望が叶えばそんな我が儘も小さな問題のはずだから。

 その為にも今の最優先事項はアンネとユーリアの問題だ。ここを解決してようやく校内保安委員会として、クラウスの手駒として動き出すのだ。




 アルとフィーナの小さな言い争いが収まって。学院祭の事後処理に書類と格闘する時間がやって来る。

 特に今回はそれだけに留まらず、実行委員からの連絡事項や提出物などの処理などもあって生徒会室は随分と賑やかになっていた。

 次々に顔を見せる生徒。それぞれの教室から代表で一人……全部で二十個以上の報告が来てはそれを順に片付けていく。

 その上通常の仕事もあるという過密な日程。一体何が楽しくてこんな事をしてるんだか……。


「失礼します」


 そんな苦痛に耐え続けて時計の長い針が一周したころ。ようやく最後の報告が生徒会室にやって来る。

 ようやく終わりだ……。これが終わったら一旦休憩を挟もうか。

 室内の顔を見渡してそれぞれに見える疲労の色に一人決心する。

 それとほぼ同時、戸を叩く音と共に顔を覗かせたのは随分と見知った人物だった。


「そう言えばまだだったわね」

「あれ? もしかしてうちが最後?」

「そうだね」


 最初に零したのはユーリア。続いて彼女の言葉に察したアンネが驚いたように口にする。

 既にどこの教室が来たかも覚えていない状態。やはり休憩は必須だ。

 自分の考えに誤りがない事を確認して気を引き締める。


「皆さんお疲れ様です。よかったらこれどうぞ」


 彼女が遅くなったのはそれが理由か。手に持った飲み物を差し出すアンネ。

 アンネの気遣いに室内が目に見えて弛緩する。それはまだ早いっ。お願いだから仕事が終わってからにしてください。


「ありがとう。それで、報告は?」

「これに纏めてあるよ」

「会長に」


 知らず自分の中でも緩んだ思考で投げ遣りに誘導して飲み物を口にする。冷たい液体が喉を潤して、思わず溜息が零れた。


「…………はい。問題なしね」

「ありがとうございます」


 恐らく見やすいように纏めていてくれたのだろうか。直ぐに了承の言葉がニーナから出る。

 彼女の言葉を皮切りにテオの肩から緊張が解けたのが見えた。


「……とりあえず休憩しましょうか。アンネさんも────」

「クラウス……」


 当初の予定通り緩みきった雰囲気を戻すために休憩を提案する。それとほぼ同時、低く唸るようなヴォルフの声を耳が捉えた。


「…………巡回と回収、誰が行く?」

「あっ…………」


 ……そう言えばまだ誰も行っていない。学院祭の処理に思考を割き過ぎたか。

 ヴォルフも水を指す事は分かって言ったのだろう。けれど仕事は仕事。誰かがやらなければいけないことだ。

 直ぐに視界を回すが全員咄嗟に視線を逸らしてくれやがりました。どうもありがとうございます。

 唯一視線が合ったのはアンネで、彼女はその目に労いを込めて薄く笑う。

 くそっ、先輩め。こうなる事が分かっていて僕の名前を出したな?

 恨みがましく視線を向けて、それから覚悟を決める。


「……僕が行きます」


 有言実行。気が変わらない内にと重い腰を上げて校内の巡回へと向かう。

 廊下へと出ると後ろからアンネが着いて来た。


「ずっと待って疲れたでしょ。生徒会室で休んでればよかったのに」

「あれだけのためにこんな時間まで残りません」


 交わした言葉に少しだけ気力を取り戻す。

 どうやら何か話があって残っていたらしい。


「それで、何の話?」

「…………私、これからどうしたらいいのかな。クラウス君の力になってもいいの……?」


 呟きに足を止める。振り返れば彼女は不安に瞳を揺らしてこちらを見つめていた。


「だって本気だったんだよ。ユーリの為ってのもそうだけど、私が満足したいからクラウス君の力になれるように努力したんだから」


 儚げな雰囲気を纏うアンネ。恐らく信じられる結びつきを無くし掛けて自分を見失っているのだろう。


「でも嫌いって言われて。そしたら今までやってきた事をこれからもやって意味があるのかなって思い始めて……」


 それはヴァレッターの事だろうか。

 国王直属の女中部隊。その精鋭集団、ヴァレッター。

 彼女がそこに入ったのはクラウスの為というのが大きい。

 けれどクラウスは昨日の後夜祭で彼女の気持ちを否定した。それ以上はいけないと。必要のないものだと切り捨てた。

 だから他人に依存する傾向が強い彼女は自分の行動に自信が持てなくなったのだ。


「…………少し言い方が悪かったかな」

「え……?」


 考えて口にする。


「僕は別にこれまでの関係を崩すつもりはまだないよ。ただ幾らアンネさんが気持ちをぶつけても僕はそれに頷かないってだけ。僕にはアンネさんの抱いた気持ちを全面否定する権利は無いからね」

「それって…………」

「僕はアンネさんにどう思われようと構わないよ。けど僕は今まで通りアンネさんを利用していくつもり。それに対してどう思おうが、それはアンネさんの勝手」


 随分と一方的な物言いに、アンネは静かに俯いて零す。


「……じゃあ、今まで通りで、いいの?」

「僕は、そのつもり」


 彼女の役割はクラウスの野望実現に有用だ。それを手放す事はできるだけ避けたい。


「それともアンネさんはその役割を今から彼女に背負わせるの?」


 問いには首を振って答える。ならば最初から答えは決まっている。


「だったらその気持ちに嘘は無いでしょ。君は君の正義を振りかざせばいい」

「迷惑、かけるよ? もう嘘は吐かないよ……?」

「少なくとも僕はアンネさんの事を魅力的に思ってる。そんな異性からの気持ちを迷惑だ何て思わないよ」


 出来る限り優しく言葉にする。

 しばらく沈黙の間を挟んで、やがてアンネは不敵な笑みを浮かべた。


「…………だったら、もう引かないよ? 貪欲に、強欲にっ。私が得られる全部をクラウス君から奪い取って見せるから」

「それでこそアンネさんだ。楽しみにしてるよ」


 どう転ぼうとアンネがクラウスの横に並び立つ事はない。けれど誰よりも遠い場所からクラウスの背中を守る役割は彼女のものだ。

 背中を託すのは味方の中でも敵になる者だけ。

 アンネはクラウスの悪を真っ向から否定する正義だ。だからこそ、彼女にはいつまでも舞台裏のイレギュラーでいて貰わなければならない。


「任せなさいっ」


 鮮烈な自信に彩られた可憐な笑顔。

 強い意志を秘めたアンネのその瞳に、クラウスは一つ頷いて確信する。

 何かあったときは彼女に丸投げしておこう。

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