第四章
ユーリア、そしてアンネと共に国軍からの依頼をこなしてから数週間。学院祭の準備期間の為か少し騒がしくなった学院内を警邏しつつ、教室の出し物の準備にも協力する。
今年のクラウス達の出し物は喫茶店だ。売り上げは授業への投資へと変わってしまうという、とてもやる気の上がらないものではあるが、クラウスにとってはどうでも良い。学院の授業が豪華になるならそれもまた楽しみだ。
それよりも何よりも男性視点での今回の目玉は女子生徒たちの給仕だ。服も手作りだが、一度型を取れば後は量産体制を取る事が出来る代物……いわゆる女中服を身に纏って接客をする事になっている。ある界隈ではその構造や見た目に並々ならない情熱を注ぐ者達もいるそうだが、生憎クラウスはそう言った特殊性癖は持ち合わせてはいない。まぁ似合っていれば良いのでは無いだろうか。
使用人を雇い使う家は多い。そういう意味ではある程度見慣れているし、仕事着という意味合いの方がクラウスにとっては大きい。
今回は学院祭であるからその対象は他の学生と外からやって来る見物客だ。その中には使用人に馴染みの薄い人たちもいるだろう。そういった人たちに形だけではあるが雰囲気を楽しんで貰おうと言うのが今回の趣旨だ。
もしかしたら中には将来そっちの職につく人も居るかもしれない。あまり進んでなろうという人は少ないけれども……。
また、女子生徒だけでは不公平なので男子生徒も幾人かは執事服に着飾って、主に女性客を相手に給仕を行う。クラウスは今回アンネの一言でそちら側に巻き込まれた。あんまりそう言った事は得意ではないのだけれども。まぁ出来る限り紳士に振舞うとしよう。
四分の一の爪弾き者でも、傍から見れば見た目はただの人間。お客さんにとっては気にする必要のない部分だ。
そんなクラウスの教室の事情はさて置いて、学院祭の……実行委員のことだ。
クラウス達の教室からはアンネも名前を挙げて参加しているそれは、どうにかうまく機能しているようだ。
人数が増えた分全体の管理をする実行委員長たちには負担があるが、それでも前年度のような機能不全には陥ってはいない。
校内保安委員会も実行委員たちと連携が取れているし、問題も滞りなく解決ができている。
「……結局クラウスの思惑通りね」
「思惑って……それは酷くない?」
隣を歩くユーリアはこの時間の巡回の相棒だ。彼女は認め難い事実に辟易するように零してクラウスの言葉に視線を逸らす。
もう慣れたよ。これはユーリアなりの正当な評価だ。納得のいかないのは全てが計画通りで特に面白さがないからだろうか。別に大きな問題があるわけではないのだから予定としてはこれ以上ないほど順調なはずだが。それとも他に何か考える事でもあるのだろうか?
少しだけ斜めに傾いだユーリアの機嫌の原因を探る。
ユーリアの頭を一番悩ませている問題はクラウスでも分かる。例のお見合いの件だ。けれどそれは慢性的な一番であってこの瞬間も一番である可能性は低い。
それにその件は一応安定はしているのだ。
エーヴァルトから信書を取り付けたあの後に、ユーリアは彼女の父親、ハインツ殿に話をつけにいった。そこで幾つかの言葉を交わして、彼女は一つの機会を得たのだ。
それはこの学院祭でユーリアの事を見極めること。どうやら丁度予定が空いていたらしいハインツは学院祭を見学して、ユーリアの事を今一度見つめなおすらしい。
何を基準に判断するかは彼次第で、ユーリアやクラウスにはそれを知る術は無い。その末にハインツが結論を出してお見合いの事に決定を下すらしいのだ。
全く持って要領を得ない。一体彼の思惑は何なのだろうか。考えるたびに何度もそこに辿り着いてはその先を断念する。
けれど全てが決まるのは学院祭。それまではお見合いの話は凍結状態だ。だから安定といえば安定……停滞をしている。
つまりお見合いの話はユーリアにとっての一番ではあるがそれは今ではない。では一体何が彼女の顔を曇らせるのか。
思い当たるのはクラウスのことか、アンネのことだ。
クラウスの左腕の傷はもう塞がった。ニーナの見立て通り少しだけ傷跡は残ったが袖に隠れて見えないためクラウス本人にとってはそこまで気にする事ではない。
ユーリアとしては巻き込んで怪我を負わせたという事実がある。それは彼女が自分を責める要因になるし、クラウスに負い目を感じることにも繋がるかもしれない。けれど終わった事で、一々気にするほど彼女も馬鹿ではない。
クラウスだって気にして欲しくないし、暗黙の了解の中に投げ込んでしまっているのだ。であるならば彼女の懸念はきっとアンネのこと。
ユーリアとアンネの間には大きな溝ができている。事はきっとアンネの国仕えがばれた事が主な原因だろうが、それ以外にもきっと何かあったはずだ。そうでなければ教室で目を合わせないほど露骨に互いを避けたりしないはず。
この頃ユーリアは委員会の時間になると、目に見えて肩の緊張を解く。それはきっとアンネの側を離れられるから。アンネとの間に何かの問題が横たわっているのだろう。
それはきっとクラウスの知らないところで交わされた話で、そうでなければ『月夜の切株』であれほどまでに言葉少なに納得をしないはずだ。
一体何があったのか。それは触れてはならない禁忌の様に彼女たちを包み込んで全てを秘匿していた。
「クラウス」
「うん?」
「時間、巡回の交代」
「あぁ、そうだね」
色々考えて思考の渦に振り回されていると横からユーリアの声が響いて意識を浮上させる。彼女の言葉に相槌を打つ。
そうして何度か彼女やテオたちと校内を巡回し、出し物の準備にも参加して。幾日か忙しい日々に流れを委ねれば学院祭当日へと時は巡る。
それまでの間でユーリアとアンネの関係に変化は見られなかった。学院では殆ど会話をせず、しても教室の出し物や学院祭での事務的な話。休み時間もそれぞれに過ごし接近も距離を開ける事もしない。
友達というには遠すぎて、他人というには近すぎる微妙な間合い。それを作り出した彼女たちは意識してか互いを不可侵として深くは干渉をしなかった。
また、二人の曖昧な距離は教室の空気にも影響を及ぼして、少しばかり居心地を悪くさせる。それに気付いているのかいないのか、頑なな二人はそれでも何かを起こす事はなかった。
学院祭当日は思った以上に人で溢れた。昨年度の実行委員が機能しなかったような、学院全体を巻き込んだ大きな問題も特に起こらず。出し物の準備以外に余裕が生まれ、宣伝活動まで手を伸ばせた事が効果を見せたのか、生徒の親やその親族などまで巻き込んで来場客を増大させたのだろう。
客が増えるのは出し物をするクラウス達にとっては嬉しい悲鳴。目が沢山ある分、やる事にも気合と不安が入り混じる。
同時に懸念していた問題も現実味を増す。
人が増えるという事は素直に折衝事が増えるという事だ。特に飲食を取り扱えば食べ歩きは増え、食事場所や休憩場所などの限りのある空間資源では必然的に問題がおきやすくなる。
流石にクラウスも来場者数の正確な把握は難しい。概算で対抗策を練るにしてもこちらの人手にも限りがあるのだ……。
つまるところ人員不足に陥る。
「会長っ、私たちだけでは限界がありますよ」
「分かってるわよっ! だから今可能な限りの人手を集めてるっ。……ヴォルフっ、学院長に話し通して通信具を増やしてもらってきて!」
「分かった」
学院祭が始まってからまだ十分弱。開門直後に流れ込んだ客の数がクラウス達の想像よりはるかに多く、それらが起こす問題の処理に早くも影が差し始めたのだ。
今回の学院祭でのクラウス達の役割は、起こり得る可能性のある問題への事前策の準備と、当日の巡回及び問題の仲裁だ。
二人一組、二組で校内を警邏し、もう一人は対応本部である生徒会室で直接入って来る問題に対処する。生徒会室に残る者は通信具の管理も行い、巡回に出ている面子への連絡も取り持つ。
通信具とは所謂遠隔通話手段で、予め一つの妖精力の波長で子機と親機を接続し、一定範囲内での遠距離通話を可能にする妖精力を用いた道具だ。
通信は同じ波長内でしか行われないため、混線すると言った問題が殆どない。尤も、辺りで大規模な妖精力の放出を行えばそれに中和されて使い物にはならなくなってしまうわけだが……。
詳しい理論は別として、簡単に訳せば離れた場所の限られた人たちと情報の伝達ができる器具ということだ。
「じゃあ俺とクラウスは先に出るぞっ」
「妖精力は循環させてるわね?」
「大丈夫です。それでは行ってきます」
飛び交う言葉は早口で大声に。辺りの喧騒に掻き消されないようにと確認を取ると、テオと二人が廊下へと進み出す。
「……しっかしすっげぇ数だな」
「僕もこんなになるとは思わなかったよ」
「こいつ頼りだな」
そう言って胸の衣嚢に収めた術式封印石を軽く叩くテオ。
とりあえず中に入っている妖精力の量では一時間ほどが限界だ。その間にニーナの方で通信網をしっかりと整えてもらわなければならない。
「そういえば応援ってどこに呼んだんだ?」
「多分生徒会役員と、手の空いてる実行委員じゃないかな」
テオの疑問に答えつつ視界は人ごみの中から問題を探しだす。
クラウスの見立てではテオに語った人数で事足りるはずだ。校内保安委員会が五人。委員会に含まれない生徒会役員は一人、会計の子だけだ。もう一つの副会長席と書記は、今は空席となっている。
それら六人に、各教室から一人ずつ出してもらえば二十五人以上だ。二人ずつに分けても数は足りる。
後はそれらをどれだけ早く集めて統制を取れるかだ。その辺りはニーナに一任してある。彼女の言葉には力がある。その先導を担うに相応しい言葉で纏め上げてもらうのだ。
「となるとマルクスやレベッカちゃん。ルキダさんとも一緒に動く事になるのか」
「彼らが名乗りを上げれば、ね」
テオが挙げた名前は全て実行委員を務める者たちだ。クラウスの教室からはアンネがいたり、テオの元級友であるマルクス・アルテルフ。そしてハウズの一つからはレベッカも参加している。
その辺りの聞きなれた名前のこともあって、今年は実行委員の回りがよかったのかもしれない。連携が取りやすかったのは確かだ。
「とりあえず彼らの準備が整うまで僕たちが時間稼ぎだよ。僕なんか無理言って教室の出し物抜けて来たんだから」
「それは俺も一緒だっ」
『二人共、早速だけど仕事よっ。ドルフ級の教室で────』
他愛のない共感をして足を出す。
それと同時ニーナからの通信が入ってテオを二人頷く。通信機に返事をして歩く速度を上げる。
始まったばかりの学院祭は波乱の予感を多分に含んで、クラウス達を待たないままに進み出す。
それからの時間は多忙に次ぐ多忙だった。ニーナが巡回部隊を編成するのにそれほど時間は掛からなかったが、流石に門が開いたばかり。落ち着くにはまだまだ喧騒に溢れていて、あちらこちらで問題が起きては解決に奔走する。
ドルフ、ハウズ、ハーフェン、ハウズ、トーア、ドルフ、フォルト……。学院内を上へ下へと走り回って、気付けば学院祭の開始からもう少しで一時間が経とうとしてた。
まだまだ始まったばかり。だというのにクラウスの心労は既にある程度のところまで積もっていた。
そんな頃、ようやく通信具に一本の連絡が入る。
『クラウス君、グライド君。手伝ってくれてありがとう。今別の巡回班を出したから二人は教室に戻って良いわよ。あぁ、通信機は戻してね』
「…………分かりました」
『……どうしたのよ、元気ないわね』
「会長もあちらこちらに歩き回ってみれば良いですよ」
『……………………で、ヴォルフ』
恨み節を告げると通信具越しの彼女は答えを返さず通信を一方的に切断する。……まぁいい。これでようやく開放される。
「クラウス、通信具。俺が纏めて持っていく」
「分かった。暇になったら僕の教室にも顔出してよ」
「……先に会長に誘われてる」
「来てくれたら誠心誠意おもてなしさせてもらうよ」
意地悪に告げるとテオはクラウスの手から術式封印石を奪って雑踏の中に消えていく。
彼の姿が見えなくなってからクラウスも自分の教室へと向かう。
クラウスがユーリアやアンネのことで悩んでいるように、テオもまた大きな問題にぶつかっているのだろう。尤も彼のそれは既に答えが出ているようなもので、いつそれを言おうかというところだろうが。
平和な悩みだと思いつつ教室に辿り着くと、そこは既に短いが行列ができ始めていた。
何がそこまで彼らの目に止まったのかは分からないが、人気があるならそれでいいか。少なくとも品書きは悪くないはずで、そちらでの客票であって欲しくはあるが。
考えつつクラウスは級友から執事服を手渡される。……前言撤回か、どこにいったって何かしらの大変は存在するのだ。
しかしながら対人相手は苦手では無い。先ほどのような肉体的にも精神的にも疲労するような事はあまりないだろう。
「よく似合ってますよ、クラウスさん。格好良いですっ」
更衣室代わりに仕切られた教室の隅で執事服を身に纏うと、フィーナからは素直な感想をもらう事ができた。クラウスだって顔は悪くないはずだ。大抵は隣にテオが居るから目立たないだけで、口を開かなければそれなりだろう。……それでも尚補えないこの身に流れる血の偏りには、散々苦労させられているのだが。
フィーナの言葉に気持ちを入れ替える。接客だ、表情命。
自己暗示のように反芻すればいつの間にか顔は対外的な仮面を被っていた。
「……クラウスさん、笑いましょうよ」
「笑わなくたって笑えるよ」
確信を突く相棒の言葉に笑顔を浮かべて接客へと向かう。そうしてクラウスはある程度の評判を貰いながら、舞台の上で舞うように執事の役をこなすのだった。
教室の出し物を手伝っては合間にそちらを抜けさせてもらい、校内の巡回も順調にこなす。
流石に最初の一時間ほど無理難題を押し付けられることも減り、しっかりと分担して問題に当たる。舞い込んで来る問題もそこまで過激なものはなく、道案内やちょっとした接触からのいざこざ。金銭的な問題も時々は起こるが、大きな騒動になる前には沈静化出来ていた。
一番数が多かったのは妖精の悪戯だが、そこは曲がりなりにも妖精従き。付き合い方は心得ている。
またクラウスの隣を歩く人物もテオに始まりマルクスやレベッカ。他階級の生徒など特に決まった組み合わせもなく、その時間に空いている面子との突発的な同行だ。
多少気に掛けているといえば二人組みは出来る限り男女で組むようになっていること。
起きる問題は同性間だけに留まらず、異性や恋人関係のものまである。そんなところに男ばかり、女ばかりで解決に当たってもあまりうまくは機能しない。そう言った背景から大抵はクラウスの隣には女性徒が付き添っていた。
一緒に巡回をした中にはクラウスの事を知っている生徒もいて、一体どうやって調べたのか反転術式のことで詳しい話を聞かれたりもした。
四分の一の出自よりも妖精に関する事柄に重きを置く、変わった価値観の人物だったが、個人的にはそちらの方が好感触だ。見えている危険地帯にわざわざ踊りに向かう蛮勇よりも、余程理知的で興味がある。
新しい妖精術の開発は、妖精と歩む歴史に大きな問題と兆しを打ち込む。特に反転術式は波長や術式の反転という、研究や未知の解明の為にはとても使い勝手の良いものだったりで、そういうことに興味のある生徒からは新術を開発したクラウスは憧れに近いものへとなっているらしい。
反転術式は規格で非公開にはなっているが、それは悪用を防ぐためのものであって、名前までを秘匿するものではない。
秘密は使い方によっては武器になる。名前だけでも相手に知れていればそれを考慮して相手の足は竦み、行動が読みやすくなるのだ。
そういったときの為に名前までは隠していない。
それでも一人の生徒から反転術式に近い命令式の妖精術を作ってみたと言われた時は、流石に冷や汗を垂らしはしたが……。まぁ発展のためならある程度は目を瞑ろう。
自分の作り出した何かが抑止力やきっかけとなり、この世界に影響を及ぼすのならそれもまた面白い。
そんな事を考えながら学院祭を満喫する。
教室の出し物と校内保安の仕事があるとはいえ自由時間がないわけではない。昼食を終えて午後からはクラウスにもある程度の自由行動の時間が存在した。
「さて、フィーナはどこにいきたい?」
「どこが良いですかねぇ……。楽しいところが良いですよね~」
嗜好品とは言え食べればそれが自身の妖精力に少しだけ還元させる。妖精力を体の中に溜めれば人間が感じる満腹感のようなものが得られるのだろう。フィーナは癒しを振りまく少しだけ崩れた顔で、肩の上からのんびりと声を発した。
今は楽しさよりも満足感か。こういうフィーナは少し珍しいかもしれないと思いながら、とりあえず歩き出す。
視界に映るのは他教室の出し物。給仕姿とはまた違う仮装で喫茶店を回す部屋、射的などの祭りの屋台のような小さな遊び。意外と本格的な様相のお化け屋敷に来場者向けの仮装貸し出し教室。
祭りの空気を纏ったそれは多種多様な雰囲気を混ぜて雑多に煩雑に辺りの活気を作り上げる。
破目を外しすぎなければ祭りに免じてある程度の事は容認しよう。少なくとも今のクラウスは仕事中では無いし、そういう気分でもない。もちろん見過ごせない事が起こればその限りではないが。
「ぁっぷ!」
そうして考えながら歩いていると突然腹部に柔らかい感触がぶつかる。一体何かと視線を下ろせば、そこには人形のように長くゆったりとした鳶色の髪をした、小さな女の子が水浅葱色の瞳でこちらを見上げていた。
途端、少女はぶつかった事にか慌てて頭を下げると逃げるようにクラウスの横を通り過ぎていく。
あんな小さな子まで見に来ているのかと感じた次の瞬間、すれ違った軌跡に小さな水の珠が跳ねたのを目にする。
気付けば足は踵を返し、その少女の肩を叩いていた。
「お嬢さん、少しいいかな?」
膝を折って視線を合わせ、振り返った彼女に手巾を差し出す。突然の事に驚いたのか、少しだけ目を見開いた少女は、それからクラウスの差し出す手巾に目を落として指で拭う。その際に右目の近くに小さな黒子があることに気がついた。
年のころは11か12歳ほどだろうか。背丈は140セミルあるかどうか。先ほど感じた第一印象のようにまさに精巧な人形のような整った顔立ちと、そこに嵌められた二つの宝石に笑顔を向ける。
「あ、あの…………」
「何か困った事でもあったかな? よかったら話を聞くよ」
出来る限り優しく問いかけると、少女は一度顔を伏せて考え込んだ後、ゆっくりと桜色の唇を開いた。
「おねえちゃん、を、探してて…………」
「はぐれちゃったの?」
質問に首を振る少女。同伴者と逸れて迷子になった、ということではないようだ。
となると可能性はいくつかに絞られて来る。人を探して、目的地に着かなかった。では目的の人物がいる場所はどこだろうか。
「どこにいるかわからなくて……」
「うーん、と……。お姉さんは、ここに通ってる人?」
次いだ質問にはこくりと一つ頷く女の子。どうやらここの生徒らしい。となれば方法はもう数個だけだ。
「君のお名前は?」
「……ティアナ。ティアナ・ルキダ」
「ルキダ……と言う事はお姉さんの名前は──」
「アンネ、です」
彼女の口から聞いて納得が生まれる。言われて見れば瞳の色も同系色。長さこそ違うが、緩く波打つ髪はアンネにそっくりだ。
だったら話は簡単だと彼女の予定を頭の中で思い出す。確かこの時間は教室の方で────
きゅるるるる。
「あうっ……」
と、そうして自由時間を目の前の彼女のために使う事を決めたクラウスが考えていると、耳に少し間抜けな音を捉える。
鳴った方に焦点を合わせれば、そこにいたのは可愛らしくお腹を押さえたティアナだった。
「もしかしてお昼はまだ食べてないの?」
「そう、いえ、ば……そうかも」
「そっか。ずっと探してたんだね」
随分と柔らかい光景だと改めて俯瞰して笑って手を差し出す。
「僕の名前はクラウス。アンネさんの友達だよ。お姉ちゃんのところまで連れて行ってあげる」
「……クラウス…………?」
そうして出した手のひらをじっと見つめたティアナが、ゆっくりと視線を上げる。水浅葱色の瞳が眼鏡越しにクラウスの灰色の瞳を見つめる。次いで視線はクラウスの髪へ。
フィーナ、は肩にいる。頭に何かついているだろうか?
「クラウス・アルフィルク、さん…………だ……」
家名は告げていない。それなのに知っているという事は。
「おねえちゃんが、よくおにいちゃんのこと、家で話してたっ」
つまりはそういうことだろう。何を聞いたのかは定かでは無いが、アンネが口にしていた名前をティアナも覚えていた。一体彼女は妹に何を教えたのだろうか。
そんな事を考えていると、目の前の瞳が段々と光を取り戻していく。どうやら色々な条件や単語が繋がって嬉しくなったのだろう。彼女が浮かべたのはアンネによく似た柔らかく暖かい笑みだった。
「にひっ、おにいちゃん! いこっ?」
それから天真爛漫に元気の良い笑顔を浮かべたティアナはクラウスの手のひらを握り返して走り出す。
彼女に手を引かれてこけそうになりながら歩き出した直後、再びティアナのお腹の虫が鳴く。
「…………うーん」
「……何か食べたいものはある?」
「いいのっ?」
「もちろん」
足を止めて唸ったティアナに笑顔で提案する。すると彼女は期待に胸を膨らませてクラウスを見上げた。
こういうとても自然な仕草はアンネとよく似ていると。彼女の笑顔に姉のそれを重ねながら楽しげなティアナの声に耳を傾ける。
「えっと、えっと……何があるのっ?」
「だったら食べ物が一杯あるところに先に行こうか」
「うんっ!」
花咲く笑みに手を引かれながらティアナの歩調に合わせて歩く。子供の手は温かいと、繋いだ手のひらを小さく振りながら目的地を目指す。
「私ももう一つ何か食べますっ!」
肩上のフィーナが何やら決意表明をしていたがとりあえず横に。そうしてクラウスは小さな同行者と共に短い冒険の旅を始める。
ティアナと共に歩いて一度校舎の外に出る。するとそこは整然と並んだ屋台広場で、祭りの露店のようにいくつもの店が軒を連ねていた。
何がいいだろうかと言葉を交わしながら少し歩けば、視界の中に見知った顔を見つける。それとほぼ同時、ティアナがその屋台を指差した。
「あれがいいですっ」
それは鉄板で野菜と共に麵を炒めた一品。がっつりと主食をとりたい気分らしい。
「分かった。……店員さん、売れ筋を一つ」
「あいよっ……って、何だ、クラウスか」
「何だって酷くない? 売り上げに貢献してるよ?」
「お客様である事を鼻に掛けないでくださいませ」
中を覗き込んで注文を告げると返って来たのは威勢のいい声。顔を突き合わせれば売り捌いていたマルクスが他人行儀に一線を引く。
互いの様子を簡単に確認して安心する。どうやら彼も彼で学院祭を楽しんでいるらしい。
「で、ぼくはこれからクラウスの幼子を連れまわすような非道さを誰かに報告する作業に戻れば良いのかな?」
「失敬な、幾ら僕でもそこを踏み越えるつもりは無いよ。この子はアンネさんの妹」
「なるほどっ。それじゃあ少し盛っておこうかな」
「それはどうも」
軽快に言葉を交わして時間を埋める。流石にテオの友人をしていただけあって苦労に馴れている。話しやすくて助かる。
そうしていると少し多目に盛り付けてくれたマルクスが容器を差し出してくる。しっかり対価としてお金を払うと、貰う際に宣伝料の前払いと耳打ちされた。どうやら屋台の評判を広めて来いということらしい。しっかりしている。アルテルフ家の息子はなかなかに強かだ。
呆れつつ受け取って座れる場所を探すとティアナと木の陰に腰を下ろす。
いつの間にか人化したフィーナが串焼きを持っていたことにはもう触れず、クラウスも飲み物を片手に休憩する。
「……! 美味しいですねっ」
一口食べて、それから水浅葱色の瞳に光を灯したティアナは、頬を色付かせ爛漫に笑って空腹を満たしに掛かる。
アンネ同様表情が豊かな子だと笑って、静かに空を見上げる。とりあえず彼女が食べ終えたらアンネのところに向かおう。そうすれば丁度クラウスとの交代の時間だ。
午後から後一度、教室の出し物の事を考えてその後の予定を確認する。
給仕役が終われば次は校内の巡回。そう言えばまだユーリアともアンネとも一緒に行動をしていないなどと、どうでも良い事を考える。まぁ指揮系統の事も考えてユーリアと一緒になる確率は低いだろう。
それから巡回を終えれば最後はボーンファイヤーだ。最後のしめとして火を焚き、それを囲んで音楽に合わせて踊る。踊りの方は任意参加ではあるが、炎を囲む方は強制だ。
ボーンファイヤーには儀式的な意味合いがあり、炎に属する妖精……エルフの場合は精霊だが、それらに対して日々の感謝と誓いを立てる。人々の生活に火は欠かせないもので、そういう意味では水などと一緒に最も身近にあるものだ。
それらに対して祈りを捧げ、炎の恩恵を受け取るというものが簡単な解釈だ。
本当は一年の中でも五つ目の月の最初の日に行うもので、夏を前にその年の豊穣を願うベルティネと言う祭礼日の行事ではあるのだが、それは今はいいとしよう。
それが終われば学院祭も終了。後片付けを少しして解散し、後日全てを元通りにする。
今年の学院祭も残すところ半分程。気を引き締めて仕事をこなすとしよう。
後はまぁ、ユーリアの……ハインツのこともだろうか。
ハインツ・クー・シー。ユーリアの父にして国軍総隊長。ユーリアにお見合いの話を突き出した張本人であり、今回の学院祭でユーリアからの抗議に判断を下すと言ったらしい人物。
今のところ彼の姿をクラウスは見かけていない。軍属が為に忙しいのだろうし、そう簡単に顔を出すわけにもいかないのだろう。
一体彼の思惑は何なのだろうか。そんな事を考えてしまうほどに、ユーリアを中心とするお見合いの話はその全容が計り知れない。
こういう底の知れない事こそ大抵どうでもいいようなことが理由だったりするのだが……さて、今回はどうだろうか。
そんな事を考えていると焼きそばを食べ終えたティアナが礼儀正しく「ごちそうさまでした」と告げた。
口元を綺麗にして立ち上がった彼女に腕を引かれて再び歩き出す。
上機嫌に揺れる少女の鼻唄は、辺りの空気に色と匂いを振りまいて通り過ぎた先から景色を変えていく。空に輝く陽のような笑顔は、知らず辺りの人々の注目を集め、宛ら舞台へ向かう花道の如く彼女の笑顔を可憐に彩っていた。
度胸というよりは天然さ。けれども全然嫌味には感じない天真爛漫さが彼女を温かく包み込む。
この辺りの空気を変える力はアンネとよく似ていると、揺れる鳶色の後ろ髪を眺めつつ目的地へと向かう。
「ほら、ここが僕たちの教室。中にアンネさんもいるよ」
「いひひっ」
無邪気に笑って堂々と扉をくぐる。向けられた視線の中、ティアナはぐるりと視界を回して、その中から彼女の姉を見つけ出すと駆け寄って抱きついた。
「おねえーちゃんっ、遊びに来たよ?」
「ティアナっ?」
驚いた風に目を丸くするアンネは右手に持った盆に注意を配りながら女中服に顔を埋める妹を見下ろす。次いで上げた顔でクラウスを見つけて、どこか安心したような呆れたような表情を浮かべると小さく肩を揺らした。
「机、何番?」
「八番」
「貸して」
短く尋ねるとアンネは提供品をクラウスへと渡して裏へと引っ込んでいく。彼女から受け取った注文を机に届けると「ごゆっくり」と一言残してクラウスもアンネの後を追う。
裏へ向かうと椅子に座ったティアナが数人の女性徒に囲まれて足をゆらゆらと揺らしながら笑っていた。
クラウスの隣にアンネが静かに並ぶ。
「ありがと、連れて来てくれて」
「言ってくれてれば最初から迎えに行ったのに」
「来るなんて聞いてなかったもの」
「なるほど、それで」
彼女が目的地までの道順を知らなかった理由を察する。その行動力は姉譲りか。
「迷惑かけなかった?」
「いいや。とても良い子だったよ?」
「そう、よかったっ」
慈しむように微笑んだアンネの横顔に深い愛情を見て取って心が温かくなる。
「……アンネさんこの後休憩だよね。一緒に回ってきたら?」
「あー、うん。そうしよっかな」
「じゃあ僕は着替えるよ」
「後はよろしくね」
「……その服、よく似合ってるよ」
「なっ……!? っぁう……!」
軽く背中を叩かれてその足取りで設えられた更衣室に入る。直前で振り返って彼女の身形を素直に言葉にすると、予想外だったか彼女の頬が桃色に色付いた。
その照れ顔に自由を捧げた意味があった気がして頬を吊り上げる。背中に突き刺さる視線は愛嬌。完全勝利と勝ち誇って気分よく着替えに入る。
外から聞こえる黄色い声はティアナを囲む女性たちのものか。蝶よ花よと愛でられるティアナに少しだけ同情しながら頭は別の事を追う。
アンネの仕着せ姿。特にその着こなしは見事なものだ。まるでそれが彼女の正装であるかのような立ち振る舞い。洗練された雰囲気を纏う彼女──
そこでふと記憶が蘇る。そう言えばこの喫茶の準備の時、一番尽力していたのは彼女ではなかろうか。
実行委員にも選ばれ、教室の中心で全体を纏め上げるアンネ。特に使用人服については幾度も手直しを加え、その着方から作法までを意外に細かく気を配っていた。
その上彼女のあの立ち振る舞い。それらと彼女が国に身を置く場所、コルヌ家での一幕……。確かあの時見た使用人服の腕章はブランデンブルクの国紋を捺した……それも国王直属の使用人部隊のものではなかっただろうか。
色々な景色が重なってクラウスの脳内に一つの想像を描き出す。
もしかするとアンネの身の置いている場所は国王の近く。ブランデンブルク国王陛下の直属。彼の身辺警護も引き受ける使用人の精鋭集団……『ヴァレッター』ではなかろうか。
選ばれた女性のみで構成される、数多いる使用人の中でも優れた者たち。その中でも特に国王に近しい場所で彼の手足となって勅命を受ける使用人部隊だ。
名前の由来は女性が髪を留める際に使うバレッタ。そして国王の私兵部隊であり、彼の信頼する飛び道具としての銃弾。
文武に秀でた者たちで構成された一流の女中部隊だ。
もしクラウスのこの想像が合っているとしたら、今まで彼女が行ってきた融通の数々にも、そして今も尚整然とした態度で振舞う彼女の度胸と言動にも納得がいく。
そこまでではなくとも、それに準ずる何かとして彼女はクラウスの為に──自分の為に──欲してその身を尽くしている事だろう。
全く無茶をする。少しは人の気持ちも考えて欲しい。
アンネの心は一体どこにあるのか。そんな事を考えてしまうほどイレギュラーな彼女の存在に恐怖と興味を抱きつつ襟締めを括る。
姿見で確認して使用人服の着こなしに問題がない事を確認すると、壁に掛けた上着に手を掛ける。
そのとき唐突に布一枚を隔てた向こうから少女の声が耳に届いた。
「あの~……」
声に振り返ればそこには仕切り布から顔を覗かせるティアナがいた。
「どうしたの?」
首を傾げると彼女は外を確認して中に入って来る。……子供だから仕方ない。それにしたって男用のそこに淑女がいるというのはどうにも落ち着かないが。
今はクラウスだけで助かったと安心を求めながらティアナの声を待つ。
「……その、おにいちゃんは、おねえちゃんのことどう思いますか?」
「えっと……?」
「あのっ、……好き、ですか?」
それはどういう意味の好きだろうか?
深く考えそうになって、けれど直ぐに目の前の水浅葱色の瞳を見つめて至る。
彼女の質問の意図は異性としてという話ではない。人間として、同輩として、友達として……。そんな有り触れた好きだ。
「好きだよ。優しいし、とても友達思いで」
「よかったですっ」
クラウスの返答にティアナは笑みを浮かべて答える。それから彼女は静かに顔を伏せてその目に寂しさを灯した。
「……おねえちゃん、何だかこの頃元気がなくて。家でも自分の部屋にいる事が多くて」
そうして語られたそれはアンネの家での様子だった。
「一杯考え事をしてるみたいで、いっつも難しい顔をしてます」
ティアナの言葉がクラウスの想像に楔を穿つ。
ユーリアだけでなくアンネにも心境の変化。そしてそこにはきっとクラウスの存在が大きく関係している。そうでなければ、クラウスの前であんなにあからさまに互いを避ける事はしないはずだからだ。
一体何があったのか。そうでなくとも色々な現状に埋もれて大変だというのに、これ以上面倒事を増やさないで欲しい。
「だから……その…………。おねえちゃんを助けてくれませんか?」
放たれた彼女の言葉に光明を見つける。
アンネを助ける。それはクラウスの想定していた未来とは少し違うけれど、行動する理由としては申し分なく確かな結果を得られる。
そしてそれはアンネのみならずユーリアとの関係をも変える一手になるはずだ。
こちらを見つめる不安げな瞳が静かに揺れる。その小さい体で、大きな勇気で。彼女は今を変えたいと願っている。
淑女の願いは紳士が求める最大の賛辞だ。答えないわけにはいかない。
何より、彼女の涙は一度見た。その顔をこれ以上曇らせたくはなかった。
「いいよ。任せて。僕がおねえさんを助けるよ。絶対だっ」
「本当ですか?」
「二言は無いよ。だから笑って?」
優しく笑顔で言ってティアナの頭を撫でる。クラウスの言葉にしばらく見上げていた少女だったが、やがて糸のように目を細めて擽ったそうに笑顔になった。
「ティアナ、おにいちゃんの事大好きですよっ!」
そうして浮かべた今日一番の笑顔に少しだけ胸を揺られながら、抱きついてクラウスのお腹に顔を埋めたティアナを見下ろす。
子供らしく、無邪気に。そして太陽のように暖かい手のひらでクラウスを抱きしめて掠れた声で呟く。
「だから、おねえちゃんの事を、しっかり見てあげてください…………」
それは子供が纏うには妖艶すぎて。大人でさえ拐かすほどの寂しく甘い震えた声音。
女性は生まれたときから淑女だと。頭の片隅を言葉が巡って恐ろしい子だと胸を躍らせる。
「おにいちゃん、頭にほこりがついてますよ。しゃがんでください」
「どこ……?」
彼女の背丈ではなかなか気付く事はできない。直ぐに嘘だろうと気付きつつ、知らない振りで膝を折る。するとティアナはアンネによく似た小悪魔な笑顔でクラウスの頬に口付けを落とした。
それは埃ではなく誇りだと。彼女の名誉に誓って胸に留める。
「…………そろそろ行きますねっ。おねえちゃん待たせちゃいますから」
「うん」
可愛らしく染めた頬で笑って去っていく彼女の背中を見送って静かに考える。
きっと彼女はアンネ以上に男を振り回す悪女になるのだろうと。願わくばその筆頭にクラウスの名前が挙がらない事を願いつつ息を整えて上着を羽織る。
「クラウスさんって結構色男ですねっ」
「…………フィーナ、後夜祭で一緒に踊ってくれる?」
「わたしの流儀に合わせてもらいますからねっ」
拗ねたような口調に償いの機会を求めれば、相棒は呆れたように言い放って先に外へと出て行く。
女心は、妖精心は難しい。でもあれは仕方ないだろうと、後頭部を軽く掻きながら彼女の後を追う。
そうして足を出した教室内では、先ほどまでの平穏が異世界だったように人の喧騒に溢れていた。
* * *
学院祭。年に一度のフィーレスト学院で行われる文化系の祭り。
その祭典を裏から支えるのが学院祭実行委員や校内保安委員会、生徒会役員だ。
今年は全部で百人程度の生徒が関わり、方々に尽力して今のこの景色が存在する。
特に突然のことではあった例年以上の来場者の増加にも、彼の提案した人員増強が功を奏してか直ぐに対抗策を打つ事ができた。
おかげで少しだけ当初の予定が狂いはしたが、居心地の悪い教室にいるよりはよかったかもしれないと今になって思う。
そんな事を考えながら頭は目に付く情報を次々と処理をして校内警邏を進めていく。
肩上には相棒たるリーザ。隣を歩くのは例の眼鏡の幼馴染であるテオ・グライド。そういえば彼と一緒に何かをするのは珍しいことだと思いつつ歩を進める。
「過去一だな」
「そうね」
交わされる会話は随分とそっけないもので、互いの感想と現状把握を共有するだけ。
事務的な関係だと一人ごちて、その理由を見つける。
テオとの繋がりは委員会だけだ。今では教室も階級も異なり、顔を合わせるのは放課後か、クラウスを挟んでの他人としての距離。
友達の友達。それは言葉にしてみれば簡単で、事実の距離はとても遠い。
特にユーリアは積極的に人間関係を築くような性格ではない。求められたから答える。例外というのはアンネやクラウスのような普通以上に興味のある相手だけだろう。
テオに対して興味がないのかと言われればそれも違うが、だからといって自分から進んで関係を変えたいとは思わない。
ユーリアにとっては今のままでも充分だ。
「そういえばさ、教室でのクラウスはどんな感じだ?」
「……変わらない。賺した風に傾いた視線で距離を測って、誰とも仲良くなろうとはしてないわよ」
「そうか。手厳しいな」
「事実を言っただけ」
隣を歩くテオの言葉にユーリアの知る真実のみで言葉を交わす。
ユーリアの知るクラウス・アルフィルクはそういう人物だ。
恐ろしいほどの冷静さと、感情に左右されない利己的な言動。自分の利益の為に他人を振り回す事を厭わない。友達と言う言葉とは無縁の場所にいて、信頼という言葉とはとても近い場所にいる人物。
正誤の判断が極端な級友だ。
「まぁあれでも入学当初と比べると随分柔らかくなった方だと思うけどな」
テオの言葉に耳を疑う。
あれで柔らかい? それならばアンネなどはもう液体では無いかと。
「……一体どんな性格してたのよ」
「そうだな……。周り全部、多分一番近くに居た俺でさえも敵か何かに思われてたんじゃないか?」
「………………寂しいわね」
唐突にそんな言葉が口を突いた。
寂しい。それは彼が周りに視線を向けていないことにではない。ユーリアから見て、彼の周りにだけ色も温度ないような錯覚を覚えたからだ。
ユーリアの言葉にテオが小さく息を落とす。
「あぁ、そうだな。冷たかったよ。今もそうだけど他人というものを一つも信じちゃいなかった。身の上を思っても当然とは言い難いほどにな」
幼馴染をしてもそう言わせる人物。彼の心は一体どこにあるのかと恐ろしくなりつつ尋ねる。
「……よく幼馴染続けてこられたわね」
「俺としてはそっちの方が楽だったからな」
「楽?」
「……自慢するつもりはねぇが昔から器用に色々な事ができたから、故郷ではちょっとした疎外感みたいなのがあってよ」
器用といえばそうなのだろう。友達も多ければ学業も、妖精に関する技能も人並み以上。見た目も悪くないし、ユーリアとは比べるべくもない。
「そんな俺に変わらず接してくれたのがクラウスだったんだよ。本当の意味で興味なんてのはこれっぽっちもなかったんだろうけどな。そういう意味では少し寂しいか……」
禁忌の扉を静かに開けるように内心を吐露する。彼も彼で少し歪んでいる。だからこそクラウスの隣に居られるのかもしれない。
「クー・シーさんは…………」
「そっちで呼ばれるの苦手なの。よかったら名前で呼んでくれる?」
「ん? 分かった」
それは少しばかり気持ちを共有できたからの変化だろうか。それとも単に思っている事を口にしただけだろうか。
自分のことながら曖昧に思う。
「ユーリアさんはどう思ってんだ?」
「……クラウスのこと?」
「おう」
彼の言葉に少しだけ黙り込んで考える。
どう思っているか。特に聞かれているのは今の心境だろうか。
クラウスには自分一人では抱えきれない問題の解決に協力してもらっている。彼なら出来ると思ったから。彼にできない事はないと思っているから。
信頼はきっと彼を動かす力となる。他人を信じない彼だからこそ、他人から信じられる事に対しては敏感なはずだから。
「……別に深い意味はないけれども。安心して任せられる友人よ。私は信用されてないのかもしれないけれど」
最後に小さく付け足して告げるとテオはこちらをしばらく見つめて考えるように零した。
「あー……、そういう意味では俺達似てるのかもな」
確かにそうかもしれないと心の内で納得しつつ抗議する。
「私は貴方ほど歪んではいないけれどもね」
「……? どういう意味だ?」
「何でもないわよ」
首を傾げたテオに突き放すように言って歩みを進める。
クラウスは分からない事ばかりだ。けれどそんな彼を構成するのは決して彼だけではないとユーリアは思う。
少なくとも、クラウスの知らないクラウスを、ユーリアは一つ知っているから。
その自信を胸に、彼の事を思う。
そうして信じられるからこそ、今もまた彼の事を信用できるのだと。
* * *
アンネもユーリアもいない仕事を終えて、クラウスは息吐く暇もなく校内の巡回へと向かう。クラウスの記憶が正しければユーリアと入れ替わりで、クラウスの担当する次が最後の巡回面子だ。つまり彼女と一緒に校内を歩き回る可能性は業務上ではなくなったというわけだ。
変わりにアンネとは同じ時間の巡回で、偶然か彼女と一緒に最後の行動をする事になった。恐らく指示したニーナには事実以上の意図は無いのだろう。級友だから親しみやすいと思い組ませたに違いない。
けれど今に限って言えば少しだけ間が悪かったと軽く懊悩する。
アンネはクラウスの前ではいつも通りに振る舞い、ユーリアとの事は口に出そうとはしない。対してクラウスは彼女の妹であるティアナからアンネを託され、クラウス個人としてもユーリアとの問題には一つ明確な答えが欲しい。
禁忌のように忌避して頑なに触れないアンネと、その錠前を壊したいクラウス。そんな二人が歩調を揃えて歩く姿はとても歪だ。
「今年の学院祭ももう直ぐ終わりだね~」
いつも通りの笑顔。いつも通りの柔らかい口調。その裏に隠された彼女の本心。笑わない瞳が視線だけで「話題に出すな」と非難を向けてくる。
「アンネさんは楽しめた?」
「個人的にはクラウス君と一緒に回りたかったかなぁ」
「僕はユーリアと居たかったけどね」
口にすればアンネは糾弾の色を濃くして、恰も嫉妬のようにクラウスの腕を抓る。
他人から見れば仲のいい男女が戯れているように見えるだろうか。そんな幻想打ち砕いてしまいたい。
「そう言えばティアナちゃんは?」
「ティアナなら先に帰らせたよ。あまり遅くなると危ないからね」
「あれだけ可愛いと目を引くからね」
「何ー? 私だけに飽き足らずティアナまでクラウス君の毒牙に掛けようっていうの?」
「根も葉もない偽りで勝手に僕の事を節操なしみたいに呼ばないでよ」
「────でもティアナからは何か言われたでしょ?」
クラウスもよくする笑わない笑顔。氷の彫像のように冷たい表情で怒った風に告げるアンネに視線だけを返す。
アンネの事を助けてあげて欲しいって言われたよ。そう言葉にすれば、アンネはきっと怒り狂うだろう。その矛先をクラウスに、ティアナに、ユーリアに向けてこれ以上ないほどに苛烈に言葉を叩きつけるだろう。
そうして考えて、クラウスがそうできない事を知っているから、アンネもまたどこまでも真剣にクラウスを見つめる。
「もちろん。学院祭楽しいねって」
「私は楽しくないけどねっ♪」
どう答えたって彼女の機嫌は傾ぐ一方。クラウスはその網を潜り抜ける術を持ち合わせてはいない。
「それで、一体何を言われたの?」
外れない興味。質問というよりは詰問で、答えを返すまで彼女はずっと尋ね続けるのだろう。
理不尽な事この上ないと嘆いて呆れたように少しずれた言葉を口にする。
「……アンネの事を気に掛けてって」
「私に告白でもしてくれるのかな?」
分かっていて話題を逸らすアンネ。
言って欲しいくせにそうやって遠回りをして……。そんなにクラウスをいじめて楽しいかな?
「告白、してあげようか?」
意味合いの違う言葉にアンネは目を見開いてそれから被っていた仮面を脱ぎ捨てる。
次いで見せたのは能面よりも尚暗い、彼女の本当の素顔だった。
「出来ない法螺吹きはみっともないよ、クラウス」
「出来ないと思ってるならそれで良いよ」
「っ────!?」
彼女に向けた言葉は何よりの返答で、同時にアンネへと突きつけた最終通告だ。
クラウスには既にアンネに頼らなければいけない理由は無い。アンネの役割は────他の人物で補える。
その事実に気付いたのだろうアンネは、顔を驚愕のそれに歪めてクラウスにしがみついた。
「やめてっ! それ以上、言わないで…………」
制服を掴み縋るように握り締めたまま、顔を伏せた彼女は震える声で紡ぐ。
弱いのは、怯えているのは、いつも彼女だ。
クラウスに核心を言われたくないから演技を重ねて。クラウスの傍に居たいから自分を偽って。
それはアンネとクラウスがずっと否定し続けてきた、彼女の想いの全てだ。
こんな景色を見たくないから、あの時だけといったのに……。それを彼女は納得したはずなのに…………。
最後まで未練を捨て切れなかったのはやはりアンネだ。
「ルキダさん」
「っ!!」
「一線を、引こうか。僕らは────近すぎる」
ずっと考えてきたアンネとの距離。ずっと掴み損ねていた安寧の場所。
それは元々彼女の為のクラウスの優しさで、今となっては決まった未来だ。
「後夜祭、屋上で」
「馬鹿げてるっ!!」
強く響いた否定の声に周りの人々が視線を向ける。濁った空気に気付いたのか、はっとしたアンネはそれから肩を震わせた後に踵を返して廊下を走っていった。
引き止めようか少しだけ迷ってその背中を見送った。そんなクラウスにそれまで静観していたフィーナが尋ねる。
「……いいんですか?」
「それはアンネさんに対して? それとも僕に対して?」
「…………質問に質問で返さないでください。後今の言葉で大体わかったので良いです」
それはこの場で口にする事を避けてのことか。単に怒っているだけか。
どちらにせよフィーナの危惧にクラウスも少しだけ考える。
アンネとの関係。使う人間と使われる人間。それ以上でも以下でもないただの他人。
その一線を先に越えようとしたのは彼女の方で、クラウスはそこに交わされる言葉に甘えていただけ。
曖昧になりかけていた彼女との距離感。それを改めて客観視して判断を下す。
ここらが潮時だ。これ以上はクラウスには何の得もない。淡く抱いた好意も捨てなくてはならない。
何も間違っていないあるべき姿へ、ただ無情に戻るだけ。
「彼女は別として、少なくともフィーナだけは僕の味方だからね」
「どうでしょうかね……?」
どこか寂しそうに零すフィーナ。彼女もアンネとは仲が悪かったとは言え、賑やかだったのは確かで、やはり納得はしていないのだろう。
クラウスの目指すその過程で道を違えて、その結果にクラウスは満足できるのかと。そう問われた気がして小さく返す。
「そうじゃないと僕の夢は決して叶えられないから」
呟きは喧騒に掻き消えていつしか足を出す。
そうして今までいた場所に、自分のいくつかを置き去りにした気がした。
アンネと別れてフィーナと二人しばらく歩く。
目に映る景色は色褪せて遠い景色のように情報を処理する。
最後の時間、呼び込みに精を出す沢山の教室。いくつかは既に幕を下ろし始めていたり、部屋によっては出し物を提供する事ができなくなり扉に張り紙までしているところもある。
長かったような短かったような。そんな感慨と共に少しだけ人数の減った廊下を辺りの音を遮断して行く。
そういえば今の時間だと多目的会館の方で有志の生徒たちが出し物をしている頃か。……暇だしそちらを見に行こうか。
これは校内巡回の仕事の一環だと嘯きながら目的地を設定する。
行って何するわけでもなく、ただ時間を過ごして後夜祭の事でも考えていようか。アンネに向けて話す言葉と、後夜祭でしておきたいことと、その後の行動方針と。
目下の問題と何度も夢想したこれからの事を改めて考えつつ、思考の隅にちらつくそういえばを思い返す。
ユーリアのお見合い問題。そこに繋がるハインツの来訪。今回クラウスは彼の姿をまだ見ていない。
どこかですれ違っただろうか? 廊下でなら気を配っていたから見逃す事はないはずで、となるとまだ来ていないかクラウスとは会わずに既に帰ってしまったか。恐らくそのどちらかだろう。
一応ユーリアと会える時は情報を共有している。前に会ったのは教室で一緒に接客をした時だったから……二時間ほど前だろうか。その時までは彼女もハインツらしき人物は見かけていないと言っていた事は確認が取れている。
懸念としてハインツ本人ではなく彼の代理人が来た可能性は考えられるが、それで判断を下すとは考えにくい。
お見合い以前にユーリアはハインツの一人娘だ。我が子を気に掛けない親はいないだろう。
そうでなくとも問題が山済みで、彼は今回確認をした上で判断を下すと言った。どこかに落とし穴はあるかもしれないが、少なくとも彼本人が確認をとらなければ正常な判断は出来ないはずで、そういう意味では彼が学院祭に来る事は確実だ。
注意はしていた。ユーリアをしてもまだ見つかっていない。そうなれば可能性は絞られて来る。
あと少しで出し物も全て終わる。クラウスの教室は時間ぎりぎりまでしているはずだから問題は無いはずで、そうなればユーリアのいるそちらに今いるということも考えられるだろうか。
考えが至って、先ほど踏み出した足の目的地を上書きする。
最後に教室に寄って様子を確かめてから多目的会館の方へ向かうとしよう。
そう考えて顔を上げる。
それとほぼ同時、クラウスの背中に声が掛けられた。
「失礼、少しいいだろうか?」
「はい、何でしょうか?」
声は男性のもの。こうして声を掛けられるという事は腕に着けた腕章で校内巡回をする者だと気づいての事だろう。経験上こういう場合は迷子の捜索か目的地への案内の話が舞い込んでくる。
最後に一仕事。そう思って振り返って、見上げた視界に映った人物の顔に思わず息を止めた。
憲房色の髪を頭の後ろへ向けて撫でつけた、四十歳ほどの男性。引き締まった肉体と威厳のある雰囲気、意志の強さを秘める小豆色の瞳が纏う貫禄を何倍にも膨れ上がらせる。
その威圧感に思わず構えそうになった気概をどうにか押さえつけてその顔を見上げる。
知っている。クラウスは、この人物を知っている。
何かを告ぐべきより先に頭を下げるべきかと数瞬考えた。
「────クラウスっ!」
そうしてクラウスが目の前の男性に全てを奪われていると、また背中に声が突き刺さる。
そちらは聞き馴染みのある響き。振り返らなくてもわかる……ユーリアだ。
けれど投げかけられた言葉の強さにか、思わず首を捻って確認する。
そうして使用人服を身に纏う彼女の姿を視界に収める。
白黒の色調に女性らしい飾り付けの、落ち着いた雰囲気の使用人服。頭頂部に乗せた白い装身具が、濡羽色の長い髪と綺麗な対比を描いてとてもよく似合っていた。
肩を上下させて少しだけ頬を上気させているところを見るにどうやら急いで来たらしい。何か教室の方で問題だろうか?
そうして彼女の容姿に少しだけ目を奪われた中で、彼女の右手に握られた通信具に気付く。
「アンネがっ…………て、え──?」
アンネが……? その先を訪ねようとして、それから彼女の声が固まった理由に気付く。彼女の視線が向かう先は、クラウスの後ろ。
そこにいるのはクラウスも今し方遭遇した現状での最優先事項────
「お父、さん…………?」
ハインツ・クー・シー。ユーリアの父親だ。




