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フェアリー・クインテット  作者: 芝森 蛍
疾風を欺く狂詩曲(ラプソディー)
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第一章

 源生暦1275年。数字の通り最初の人間が生まれて1275年後の未来より。

 過去に積み重ねられたいくつもの偉業を数えていけば両手の指では足りなくなるこの世界に、妖精と言う種族が現れたのは今から約700年ほど歴史を遡った先の出来事だ。

 当時の生活水準は今と比べるべくもなく貧相で、現代の感覚から考えればそれは少なからず嫌悪と忌避を覚えると言えばやさしく聞こえるだろうか。

 そんな時代に異種の生き物が現れたのは偶然か、はたまた故意的な何かか。

 何れにせよ築き上げてきた地盤を揺るがしかねない出来事だったのは明らかであり、人間側には早くから妖精と接触を図ろうとする試みが幾度も繰り返された。

 彼らの用いる言語は人間と異なる。彼らの携える文化は人間と異なる。

 そういった禁忌にも似た妖精との接触は、しかし邂逅の刻より三年ほども経てば次第に均衡が保たれていった。

 初期のころはままならなかった意思疎通も、ゆっくりとだが民草にも浸透していき、やがて大きな変革を齎す。

 それは人間の少年と妖精の少女の契り。互いが互いに惹かれあったが末の過ちと革新の一歩。

 そうして生み出された、共に歩む道標。

 後の世に妖精従き(フィニアン)と呼ばれることになる妖精と人間の並び立つ最古の歴史。

 齎されたのは恒久的な双助関係と、繁栄の歴史。

 技術は日を追うごとに目に見えて発達し、市場は源泉の如く活性化する。

 やがて互いの距離は、関係は密接なものへとなり今の世へと時は流れてゆく。




 フェルクレールトの一角、ブランデンブルク王国。歴史の中ではこの世界において最初に妖精の現れた土地だと伝えられている、歴史の長い国の一つ。その王国のお膝元に建てられた由緒正しき学び舎。国立フィーレスト学院。

 妖精憑き(フィジー)と呼ばれる妖精の見える人間が、妖精の事を学ぶために運営されているこの学院は入学から卒業までに五年の就学期間があり、年に幾度かある学術試験をこなし在籍さえしていれば誰でも卒業できてしまう楽園のような場所だ。

 クラウス・アルフィルクはこの春、その学院の三等生となったアルコールも摂取できない少年だ。

 身長167セミル。年齢16歳。同年代の同性と比べれば些か上背の小さな体躯に灰鋼色の短い頭髪を撫で付けた、落ち着いた雰囲気の一生徒。

 そんな彼は毎度の如く教師の立つ教壇の斜め前で机の上に組んだ腕にどっしりと頭を乗せ、どこか夢見がちに窓の外の景色をぼぅっと見つめてた。

 眼鏡のレンズの向こう側、ゆらりふわりと窓の外を四枚の翅を背負った白い蝶が暖かい日差しの下を羽ばたく様子を右から左へ目で追い続ける。

 耳には心地よい子守唄──のような教師の授業が木霊して、知らずクラウスを夢の世界へと誘い始める。

 ずいぶんと伸びやかな校風と、普通に通っていれば緩い規則の学院とはいえ流石に授業中に寝るのはいけないだろうか。

 そんなことを考えながら妖精の甘言に拘引かされるように静かに瞼を閉じてゆき…………。


「──そうして現代では……ふむ……。級長、号令を」

「きりーつ」


 唐突に鳴り響いた授業の終わりを告げる鐘の音に眠気はどこかへ消え去り、思考が現実へと引き戻される。

 時計を一瞥した教師は持っていた教科書を音を立てて閉じると最後の挨拶を促す。部屋の後ろのほうから間延びした女生徒の号令が上がり、各々に席を立ち腰を折る。


「「「ありがとうございました」」」


 気だるげに挨拶を落としたクラウスはそのまま腰を下ろし、開くことのなかった教科書をそのまま鞄へとしまう。

 これにて午前の授業は終了。さあ昼ごはんだ。

 脳裏が告げる声にも音にもならない感慨に従って鞄から弁当を取り出す。

 今日のはそれなりに自信作だ。それならばどこか外で食べようか。そんなことを考えながら視線を窓の外へと向ける。

 すると校庭の中央に小さくきらめく残滓を振り撒いて舞い踊る妖精がいることに気がついた。


「あぁ、そうだ。午後からは予定通り『妖契の儀』を執り行う。各自正装に着替えて校庭に集まるように。遅れた者は何かしらの罰を申し渡すぞー」


 しかしそんな光景も日常茶飯事ともなれば別段気に留めるようなことでもない。妖精など町を歩けば十や二十は軽くお目にかかれる。

 そんなことよりも目下の問題は『妖契の儀』だ。面倒くさい。

 教師の口より紡がれたその言葉に暗澹(あんたん)たる気持ちで弁当を掴んで席を立つ。部屋の前と後ろにしかない出入り口に向けて歩を進めながら溜息を一つ。


「アルフィルク三等生」

「はい?」


 その途中で教師に呼び止められ、首だけで煩わしそうに振り返る。


「放課後、職員課へ来るように」

「はーい」


 ……未遂は罪ではないだろうに。




 『妖契の儀』とは、簡単に言えば妖精と人間の契約の儀式である。

 過去の歴史より長く続くこのしきたりは最初の妖精従きが現れて以降、長年研究されその上に確立された妖精との付き合い方の一つである。

 ここ国立フィーレスト学院では妖精憑き(フィジー)妖精従き(フィニアン)になるための教育機関であると言っても過言ではないほど妖精との関わりをより密にした国立の機関であり、一般的に軍属と言う扱いになっている。

 ブランデンブルク王国は近年他国との折衝事が多発しており、事が悪いほうに転べば戦争にも発展しかねないと(まこと)しやかに町の至る所で囁かれているほどだ。

 けれどもそんな戦争、相手の国もこちらも起こしたくないのは事実であり理想とする今後のあり方でもあるのだ。

 しかしそんな理想とは裏腹に宮中は何やらごたついている様子で。大まかに二分された派閥のうち一つが取った策が軍事力の強化であり、言わずもがな戦争に向けての回避と準備である。

 その一環として、歴史上で言えばここ百余年ほどで定番となりつつある兵士の増強。

 子供には学と力を。大人には将来の希望を、と謳った理念の下に建造、運営されているのがこの学院であり、『妖契の儀』はその兵士の増強にも繋がる妖精憑きの目指す一つの目標でもある。

 ……まぁ、だからと言って卒業後、全員が軍へ配属されるわけもなく。恐らくは国の内側へそういった戦力を保持していると言う戦争への抑止力の為であったりだとか、もし想像が現実となったときの縋るべき対象の一つであるといった、そんな解釈が今では一般的といっていいだろう。

 そんな妖精憑きが目指す妖精従きの第一歩がこの『妖契の儀』である。

 儀式と言ってもそれほど堅苦しいものでないことは、この学院の校風通りと言うか。

 五年ある教育期間に年に二度ある進級試験。五つの階級分けされたうち、第三階級……この学院ではトーア級と名付けられた中級に当たる学年の春に執り行われるものがこの儀式である。

 トーア級になったばかりの生徒が校庭に集まり、そこに多数の妖精を放ってその中から自分に見合う相方を見つけ出すと言う方式の、どこか気の抜けるような自由な儀式だ。

 例に違わず、今年の春トーア級へと上がったクラウスもこの儀式に強制的に参加させられる。


「『妖契の儀』は古くからの歴史に則ったしきたりであり、その最古たる例は今から650年ほど昔に遡る」


 春の暖かい陽光の下。瞼を閉じれば妖精が花畑に誘ってくれそうな心地よい陽気の中で、クラウスは面倒くさそうに半眼を周囲に向ける。

 半透明の薄翅を四枚背中に拵え、手のひらに乗る程度の小さな体躯をした妖精と呼ばれる種族。古くはフィーとも呼ばれ妖精憑きや妖精従きの語源にもなった種族。

 彼らはどこか距離をとるように半円状に広がり、惰性で幾度も聞いた講義を聞き流す生徒に奇異の視線を向けてくる。


「──その幾つもの前例通り、妖精との契約は一生のものであり、また契りを結ぶ妖精は一人につき一匹となる。その辺りをよく考えた────」


 彼らにしてみればいい話なのか、はたまた悪い話なのか。妖精憑きとの契約で得られるものと言えば彼らの生命の源である異能の力──妖精力の断続的な供給と、異文化である人間との触れ合い。その交流のどこに目的や意義を見出したのか、クラウスは常々そんなことを考えていたものだ。


「──それでは長い前説もこのあたりにして、生徒の皆には早速『妖契の儀』に取り掛かってもらうとしよう。何かあれば私たちに声を掛けてくれたまえ」


 と、そうこうしていると教師の長ったらしい挨拶も終わり、生徒たちは意気揚々と妖精の群れへ向けて歩き出す。クラウスも一人身ながら置いて行かれるのは流石に癪なので人の流れに溶け込むように足を出したのだった。




 ────そうして空を見上げて早数分。

 雲はいいなぁなどと暢気な事を思いながら己の内に眠る抗えない血に小さく嘆息する。

 分かっていた。妖精と契約をするためには潜在能力が大きく左右すると。その発露として術でも技でも何でもない妖精力を放出し、宛ら一時の気の迷いのように共振した妖精と契約を結ぶのだと。

 妖精力。妖精憑きが秘める異能の力であり、妖精と交信するが故にその身に宿ったその個人の波長のようなもの。

 人間が繰る妖精力は各々に違った波長を持ち、その波長の構成には主にその人物の生い立ちが関係していると言われている。そのささやかな違いにより、通常辺りに集まってくる妖精の種類と言うものは自ずと絞られてくるのだ。


「はぁぁ…………」


 溜息一つ。回した視界に映るのは代わり映えのしない円形の妖精との距離。

 ここまで目に見えて拒絶されると流石にへこむ……。

 しかし落ち込んでいても事は動きはしない。こちらから妖精力を放出しそれに妖精が引っかからない限り、契約はできないのだ。

 こうして現実を目の前に突きつけられても、引くことは許されない。それがきっと、妖精が見える自分たちに課せられた唯一つだけの暗黙の了解なのだ。

 息を整え、三度胸の内を小さく引き絞る。感情を押し殺し、どこまでも冷静に澄んだ心で異能を円形に放つ。

 一瞬の空白。接触、反射……。返って来たのは──哀れみ。

 悲しいのはこっちだってのに。苦し紛れに眼鏡を小さく押し上げる。

 きっといくら繰り返したって結果は変わらない。


 この体の四分の一に流れる妖精の血を、彼らは許容できない。


 そういう、生き物だ。そういう、世界だ。

 脳裏に遠の昔に交わした父の言葉が蘇る。


 ──人間と妖精……その混血であるハーフィーと呼ばれる生き物は確かに数多く存在する


 ──彼らは半分ずつであるから、均衡を保ち妖精にも人間にも、好かれ、厭われる


 ──けれどその子孫たるクォーターはその均衡を保てない


 ──均衡ではないが故に、(ゆが)み、(ねじ)れ、そして(いと)われる


 ──世界は均衡でないものを嫌う


 ならどうしろと、声を荒げたところで答えは返ってはこない。

 ハーフィーが悪いのかと言われれば違う。きっと人間も、妖精も、ハーフィーも悪くはない。

 悪いのはクォーターのような一握りのはみ出し者。居ても居なくても構わない中立にさえなれない異端者。

 だからこそ、これまで史実にクォーターの人物が表舞台に出てきたことは一度もない。

 はみ出し者ははみ出ている。だから協調性がなくても何の問題もない。

 飛躍した思考で理不尽な言い訳を頭の中に思い描き静かに踵を返す。


「アルフィルク三等生?」

「……気分が悪いので少し木陰で休ませてください」


 答えを聞かないまま校舎の向こう側、日陰になった辺りへ背中を丸めて歩いて行く。壁に手をついて背中から凭れ、そのまま重たく腰を下ろす。

 春先に陰に入れば言わずもがなまだすこし肌寒い。今着ているこの正装……きっと軍服を模した黒を基調としたそれは長袖ではあるが防寒を施してあるかといえば頷き難い。横殴りに吹いた風に小さく身震いしながら腰の下の芝生に目を落とす。


「…………?」


 すると吹いた風に乗ってか視界の端から微小な光の残滓が視界を横切った。

 それは物語に出てくる七色の蝶の羽ばたきに舞い落ちる虹色の鱗粉のようで、それに似た何かをつい先ほど見た気がして風上へと顔を向ける。

 鼻先三寸。ともすれば突きつけられた刃の切っ先の如く。目の前に浮遊する生き物に驚いて思わず息を止める。

 じっと見つめて数秒。気づけば頭はその生き物が妖精だと認識して、納得する。

 逃げてきたのか、それとも逸れたのか。

 自問自答して大方後者だろうと考え、身近なその存在に呼吸を正して話しかける。


「……お仲間はあっちだぞ」


 親指を立てて背中越しに校庭のほうを指し示す。しかし妖精はこちらの瞳をレンズ越しにまっすぐ見つめたまま動かない。

 行動だけでは伝わらなかったか?

 思い至って胸の内に妖精力を溜め、命令式に従って一つの技へと昇華させる。

 妖精憑きが扱う基礎の妖精術。言語の平均化。

 これは妖精と契約をしていない妖精憑きが妖精と意思疎通を図るために先任が編み出した技の一つだ。練った妖精力とその波長を術式に循環させ、循環させたものと同じ波長の人物から発せられる言葉を妖精に伝わるように変換、さらには妖精の発する言葉を人間の扱う言葉へ置換する異能の力。詰まるところ相互的な言語の変換術だ。

 これで伝わらなければ目の前の生き物が妖精ではないということになるが、それは恐らくないだろう。一応これでも勤勉なほうだと自負している。

 手のひら大の体に薄布の貫頭衣、背中には四枚の半透明の薄翅。性別は女なのか絹糸のような見事な銀髪を着流し、顔の中には宝石のような蒼色の双眸がくるりと嵌っている。自分の灰被りな容姿とはとてもではないが比べる気にはならない。

 そんな美貌を湛えた生物はクラウスの知識の中に妖精を除いて他には殆どいない。

 と、そこで妖精力を行使したことに気がついて固まる。

 先ほどの『妖契の儀』で分かるとおりクラウスの発する妖精力の波長は妖精から見て嫌悪の対象に当たる。妖精術といわれる妖精力の行使の一つの行き止まりについては考えるまでもなく、前提として妖精力を使い、それを術式に乗せて放出するわけだ。つまり妖精力に指向性を持たせて目的に向けてぶつけることに他ならない。

 声を出せば……目の前の妖精は嫌悪し、拒絶し、そして全身の神経を逆撫ですることになる。もしかすると手痛い反撃を受けるかもしれない。妖精術を使えるのは妖精力を有する人間だけではないのだから。

 けれどこうして校庭外れで彷徨うよりは、見慣れた妖精の群れへ返してやったほうがこの子の為にもなるだろう。彼女の契約相手である妖精憑きがあの中に居るかもしれないのだ。


 妖精に背を向ける事は妖精が見える者の絶対なる恥である。


 尤もらしく掲げられたこの学院の第一信条に背くのは一生徒としても気分のいいものではない。……何よりこの事実が教師たちに知れたら放課後の呼び出しが長引く事になりかねない。

 意を決し、息を吸い込む。

 多少のご無礼をお許しください、妖精様っ。

 小さく祈ってそれから声にする。


「君の居場所はあそこじゃないのかい?」


 それはまるで自分に向けての言葉のようで。先ほど背けた足を捕まえられた気がして咄嗟に目を閉じる。

 脳裏を巡るのは幾多もの妖精術。

 (フラム)(ウィルム)(フェリヤ)(グラド)。四大元素と言われる妖精術の属性(エレメント)。彼女の得意分野は一体どれだろうか。

 だがしかし、いくら待ってもその身に災厄は訪れない。あるのは照りつける陽光と首筋を伝う汗、頬を撫でる柔風に膝下の固い大地。

 もしかして未知の妖精術? 好奇心に駆られ恐る恐る片目を開く。

 そうして最初に目にしたのは白磁の肌を滑り落ちる真珠のような小さな雫だった。

 水滴? となると彼女の得意な属性は水?

 そんな疑問を他所に、目の前の妖精は悲しそうな、嬉しそうな表情を浮かべたままただただ珠の涙をこぼす。

 事ここにいたってようやくクラウスはその妖精が泣いているということに気がついて動揺した。

 え? 泣かせた? 僕が?

 突然のことに思考が纏まらず、思い立った先から行動を起こす。手のひらを近づけ指で目元を拭い、その感触に現実という事実を改めて実感する。


「えっと、ほら……泣かないで。怖くないから」


 思いつく先から言葉にしてどうにか現状の鎮静化を図ろうとする。もっとも荒波が立っているのはクラウスの心中であり、震源地は彼の頭の中だけではあるのだが。


「あー……そのぉー。……どうしよう」


 やがて何処か冷静になり始めた頭がこの光景を俯瞰し始め、段々といつも通りの思考を取り戻していく。

 クラウスが女の……それも妖精の涙を見たのはこれが二度目だ。一度目は幼い頃故郷で。

 彼らはいつも陽気で、楽しそうに中空を舞っている。そんな押し付け甚だしい先入観と記憶がこういった状況の対応策を阻害する。

 そうこうしてクラウスが目下の現状打開に優先順位をつけ始めたころ、彼の耳がふと呟く声を微かに捕らえる。


「……んぶ…………わ……し……」


 注意して聞けば、それが目の前の妖精の花びらのような口の隙間から零れ落ちている事に気がつく。


「……はん、ぶん。の……はんぶん…………」


 聞き取れたのはそんな言葉。その瞬間────


「わたしの、はんぶんっ!」


 唐突に放たれた事前動作なしの体当たりに、クラウスは驚いて背中から芝生の大地に倒れこんだ。

 突然の衝撃に閉じた瞼をゆっくりと開ける。視界に飛び込んできたのは眩いばかりの白銀の頭頂だった。腕を突いて起き上がろうと試みる、その途中で。


「……ぅぐ……っぁあ……」


 胸の上で噛み殺すようにこぼれる嗚咽に息を呑む。

 分からない事だらけだ。いきなり泣き出したかと思えば、顔に向かって突撃し。かと思えば小さな体を震わせて泣き崩れる。

 想像の外を軽く飛び越えていく不可思議な言動に振り回され、動揺を掻き立てられる。

 けれど心のどこかでそうして泣きじゃくる目の前の妖精が不安定で、欠けていて、何かを求める片割れのような危なさを秘めた存在であると感じていた。同様にそれは、自分にも言えることなのだと。

 直感的に気づく。

 彼女は僕と似ている。

 虚勢と猜疑に塗り固められたその殻を、自惚れにも共有できると思いながら。


「……大丈夫。ここにいるから」


 自然とそんな言葉が口をついた。

 何処か優しい響きとなった声に、小さな妖精の少女は赤くなった顔を上げてこちらを見つめる。

 重なった視線はどこか共感めいた契りを引き寄せて──


 ──わたしの、はんぶんっ!


 その『はんぶん』という言葉が、いつまでも胸の奥に蟠り続けていた。




 それからいくらか時間が経って。どうやら落ち着いた様子の妖精と少しだけ考える時間を与えられたクラウスは、互いに前を向いたまま頑なに視線を合わせようともせず隣り合って校庭の見える陰に腰を下ろしていた。

 どう言葉を紡いだものか。一度居座ってしまった沈黙に居心地の悪さとこうなった全ての原因を押し付けつつ冷静に回る思考でクラウスは一人考え込む。

 脳裏を過ぎるのは隣の小さく可憐な妖精。その少女が放った不可解な二つの言葉。

 『はんぶんのはんぶん』。『わたしのはんぶん』。

 彼女がいきなり泣き出した理由もそこにあるのだろうと唯一の手がかりを元にどうにか紐を解き始める。

 『はんぶんのはんぶん』。これはきっと彼女が率直に思った感慨か何かなのだろう。それは恐らくクラウスに出会ってから──クラウスに向けての言葉。思い当たるのは……今まで呪い続けて来た決別のできないこの身を流れる遺伝子。

 妖精憑きが妖精力を行使し、それをぶつけることによって妖精はその妖精憑きの潜在的な能力や波長の特色を読み取る。その上で、妖精のお眼鏡に適えば彼らのほうから歩み寄っていき、やがて気の合う相手と契りを結ぶ。簡単に訳せばその試みを一度にしてしまおうというのが『妖契の儀』だ。

 この身を流れる遺伝子の所為もあって、クラウスはこれまで極力妖精との接触を避けてきた。

 けれど隣の彼女はそれまでの妖精と違い、目に見えて拒絶をするような行動は今のところとっていない。それも見間違い出なければ彼女はあの時微かにだが笑っていたようにも見えたのだ。


 ──……はん、ぶん。の……はんぶん…………


 だとするならば、彼女の胸に渦巻く感情は、もしかすると────

 そしてもう一つ。続けて放たれたこの言葉……『わたしのはんぶん』。

 今日『妖契の儀』が執り行われるこのフィーレスト学院。その場に居るということは彼女は妖精憑きの伴侶足りえる素質があるということだろう。

 儀式中、この学院は教師たちが作り出した高位の結界術に覆われ外界との接触を隔絶される。不要な外的要因の一切を排除するためだ。その効果は外からの進入の遮断、結界内の異物の探知。いくら優秀な妖精であっても妖精一匹で結界を抜けることも予め潜みこむことも不可能だ。

 また基本的に知識の少ない妖精憑き、そして未熟な妖精は相方を持つことを許されない。だからこの学院でもトーア級と呼ばれる三等生……妖精についての基礎と応用の教養を修めた中ほどの実力を持つ生徒以上にしか妖精の相方は居ない。そうして儀式を超えて妖精の相方を持つことで、一般的に妖精従き……一人前と認められる。

 そういう背景から、彼女は立派な妖精だということになる。そんな彼女の口から発せられた言葉と考えれば幾つか推論は浮かぶ。

 一つ、言葉通り相方を求めるもの。この儀式の中で心の折れるような出来事があった末に共振する妖精憑きが目の前に現れたのならば、彼女の言葉に何の矛盾もない。それは必然の感情であり尤もらしいといえる理由だ。

 もう一つ挙げるとすれば……これはクラウスの主観も少し混在してくる類推にはなるのだが……。

 彼女から見て、妖精と言う概念を抜きにして、クラウスに惹かれる何かしらの要因があったということ。それは外的要因かもしれないし、もっと深い……根源的な欲求なのかもしれない。その辺りは実際に彼女の口から聞かない限りは決断を下し辛い。

 そうした二つの裏付けを……当たっていないにしても鑑みてもう一度整理すると。

 言葉にして、行動に移して。それが例え衝動的なものであったとしても、加味した上で一つの結論を出すのだとすれば、それは──


「…………あ、あの……」


 そうしてクラウスが理論立てて頭の中でぐるぐると考え抜き、今に一つ答えを出そうとしている頃。隣の少女たる妖精も考え、心を決めて勇気の欠片を握り締める。

 沈黙を裂いて響いた綺麗な笛の音のようなか細い声に、前に固定して視線をクラウスはそちらへ向ける。

 目が合って。理知的な蒼い瞳がこちらを射抜き、どこまでも深淵で透き通ったその魔性と魅力に取り込まれそうになったのも束の間、気づけば隣の妖精は震える桜色の可憐な唇で声を絞り出す。


「あなたは、はんぶんの、はんぶん……ですか?」


 それはどこか遠慮がちな、忌避するような問いかけ。

 そんな腫れ物にでも触るような口調に、先ほど脳裏を駆け巡った思考が一つ音を立てて噛み合い、思いの他落ち着いた心持で答えを返す。


「……それは。たぶん、この体の中に流れる、血のことを言ってるんだよね。…………だったらそれは、頷くべきなんだろうな」


 何処かで、そうではないかという想像が膨れ上がり、答えを求めて暴れだす。その衝動が胸を打つ早鐘となって耳元で煩くも落ち着いて鼓動する。


「僕のこの体は、妖精と人間のクォーター。四分の一なのは、妖精のほう。そんな、(いびつ)な妖精憑きだよ」


 怖いほど心の内を曝け出して、隣の小さな少女に優しく笑いかける。


「……だとすると、君は、もしかすると…………」

「はい……」


 問いのような確認のような。そんなどっちつかずの言葉に、妖精は首肯して嘆願するように続ける。


「わたしも、同じです──。逆の……人間が四分の一の、くぉーたー、です」


 たどたどしい四分の一の呼び方に、彼女は聖女のような微笑を被せて共感を露わにする。

 ようやく求めた答えを耳にして全ての疑問に合点がいく。

 クラウスの妖精力……その波長を受けて泣き出したわけも。『はんぶんのはんぶん』も。『わたしのはんぶん』も。その真実の意味も。

 クォーターは半分ずつでないから安定せず、歪み、嫌われる。そんな生の道に晒され、僕も彼女もずっと生き続けてきた。

 そんな二人がこうして隣り合って座って、笑える世界。いつの日かクラウスが──そして隣の彼女が望んだであろう幸せな未来。

 それは随分と曖昧で現実感のない、けれど確かに存在する陽光のような暖かさで持って。きっと存在すると思えるほどに身近に儚く消えてゆく。


「名前を……。名前を聞いても、いいかな?」

「……フィーナです」


 考えるような、決心するような間を置いて、クォーターの妖精──フィーナは含羞んで答える。


「フィーナ……いい名前だね。僕はクラウス。クラウス・アルフィルク」

「はい、クラウスさん……」


 言葉の外に、言葉にしない沢山の葛藤と共感を互いに心に深く刻み込んで。


「──契約しようか」

「はいっ」


 僕は終わりの名を持つ彼女と、始まりの契約を交わす────




              *   *   *




 桃色の花弁が風に揺蕩い、肩の上で切り揃えられた溌剌とした印象を与える穹色の頭髪が水のように揺れては返す。刹那に、頭の横には長く尖った肌色の耳殻がちらりと覗いた。そこに刻まれた人外の証──

 天女のような溢れんばかりの美貌と人にはない長耳、湖畔で踊る水妖精のような雰囲気を纏ったその女性。

 美女の見た目は当てにならない。その瞳の奥に光る冷たい女王と子供っぽい無邪気な炎にその女性の(よわい)を剥奪される。

 そんな霊妙で神秘的な空気を従えた彼女は、校庭で賑わい催されている『妖契の儀』を学院の屋上からつまらなそうに見下ろしていた。


「ヴォルフぅ……」


 面倒くさそうに声を上げる。その呼びかけに誘われるように彼女の後ろには一人の男が直立して立っていた。


「……返事くらいしなさいよ」

「失礼を」


 投げ遣りな糾弾に畏まった態度で男は言葉を返す。そんな能面のような面白味のない返答に女性はむすっと顔を歪めた。

 沈黙を振りかざしじっと眼下の校庭を見下ろす。いくらか視界を回して目当てのものが見つからなかったのか、大きく溜息を吐くと落下防止の鉄柵に体を預けたまま首から上だけをふらふらと横に揺らして催促する。

 そんな様子の女性を見かねてか、後ろに寡黙に立つ男は隣まで歩を進めて同様に『妖契の儀』を見下ろした。


「…………恐らく、あの中には居ないものかと」

「……だから何?」

「……………………」


 それだけ口にすると役目は終えたとばかりに一礼して再び同じ場所へと下がる。その不躾な態度が琴線に触ったか、女性は次の瞬間柵から手を離し中空に向けて妖精力を迸らせる。

 そうして指向性を持たされた妖精力は方陣と言う形を織り成し、女性の前へ描き出される。


「ディルクっ」

「っととぉ。何ですかい、御嬢」


 唐突に出現した方陣が瞬き、その中央から手のひら大の妖精が薄翅を揺らして蛇口から水が出るようにぬるりと姿を現す。

 妖精術における契約妖精の強制招聘(サモン)。人外の証たる長耳を持つ彼女もまた妖精従きなのだ。


「あの子は?」

「御嬢もほとほと妖精使いの荒い御方だ……。──あの御仁なら御嬢の予想通り例の妖精と契約しましたよ」

「そっ」


 呼び寄せた相棒から気分のいい報告を聞いてか、彼女の顔にほんのり朱が差す。そんな彼女にしては珍しい様子を見て取って、からかうようにディルクと呼ばれた妖精は言葉を継ぐ。


「しっかし何でまたあんなのに興味を示されたんですかね、生徒会長殿は?」


 それはもしかすると彼の主たる女性の後ろに佇む男に向けての言葉だったのかもしれない。けれどその問いに答えを返すものは居らず、ディルクの興味の矛先は校庭で行われている懐かしい儀式に向けられる。


「……そろそろお時間です。準備を」

「はいはーい。後一々小言っぽいからそのしゃべり方いい加減やめて」

「……生まれつきですのでどうかご寛恕(かんじょ)を」


 幾つかの時間を挟んで。徐に背後から切り出された進言に妖精従きの女性はどうでもよさそうに答えながら踵を返す。


「楽しみだねぇ、ヴォルフ」

「………………」


 くつくつと笑い声を漏らしながら女性は屋上を後にする。

 校庭では『妖契の儀』も終盤を迎えていた。




              *   *   *




「──ではこれにて『妖契の儀』の閉幕とします。皆、お疲れ様」


 よくもまぁ次から次へと思いつく長く辛い教師の注意事項と妖精従きとしての教訓を聞き流して。春の陽気にそろそろ蝶でも追いかけ始めようかと頭がおかしくなり始めたころ、ようやくその(くびき)から開放され生徒たちが散り散りに校舎へと戻っていく。

 薄らとしか覚えていないが確かこの後書類の作成をしなければならないはずだ。誰がどんな妖精と契約し、その妖精はどのような力を秘めているのか……そう言ったどこか調書染みた現状での妖精従きとその契約妖精についての能力査定書。

 この書類を元に教員や国が判断を下し、進級時の利や生徒の評価、卒業後の引き抜き等に影響を与える。生徒からしてみれば自分の将来を大まかに決められたようなものであり、あまり気分がいいものではないが妖精従きとして身の程を知るのには適当な身分証明書でもある。

 提出は『妖契の儀』が終わった今日より二日後の夕刻までだ。それまでに書類に記す妖精の特質を調べなければならない。

 面倒くさい。そんな感想を抱きつつ猫背気味の体勢で廊下を歩くクラウス。その肩の上には上機嫌に鼻歌を奏でながら体を揺らすフィーナがいた。

 どうやらクォーターである彼女は今回の『妖契の儀』における相棒探しを半ば諦めていた感があり、偶然とは言えこうして互いの半身を重ね合わせる信頼に足る相手が見つかったことが余程嬉しかったらしい。

 肩に当たる形でぱたぱたと揺らす白磁の細く華奢な足が視界の端にちらついて少し集中を削がれたりもするが……その辺りは許容範囲としておこう。何より、クラウス自身も表には出さないが密かに心が浮ついているのも事実である。その気持ちに嘘はない。

 そんな感慨に胸を多少なりとも躍らせつつ、気づけば辿り着いていた自分の席に腰を下す。クラウスが胸に溜まった疲労を溜息と言う形で発散すると、フィーナは氷の上を滑るように肩から机の上へと降り立つ。


「ここが人間の方の勉強する教室ですか?」

「ん、あぁ。フィーナは人間の近くに居たことが少ないの?」

「はい。だからちょっと楽しみです」


 背中に問いかけると彼女はそう言って振り返り、百合の花ような綺麗な笑顔を顔に浮かべた。

 と、そこでちょっとした違和感に気づいて脳内の引き出しを探り目当ての記憶を見つけ出す。

 妖精との会話。通常、妖精と契約を交わしていない、けれど妖精の姿が見える妖精憑きと呼ばれる者たちはクラウスが先のフィーナとの邂逅でそうしたように、会話を成り立たせるため言語の変換術を行使する必要がある。

 しかし例外と言うものは大抵のものに付き纏う訳で、妖精憑きから妖精と契約を経て妖精従きへとなるとその言語の壁が取り払われるのだ。

 厳密に言えば、これは妖精従きになった恩恵と言うべきもので、フィーナのようなクォーターであっても妖精との契約に成功すれば、その妖精との間に不可視の回路のようなものが形成される。その回路を通して、妖精力のやり取りを行い人間からは妖精に半永久的な存在の源たる妖精力の供給が行われる。 

 その対価、と言えば形としては分かりやすいだろうか。妖精従きとなった人間は彼ら妖精たちと契約状態にある限り妖精の加護をその身に受け、妖精との対話を言語の変換術を介さず行うことが出来る様になる。つまり常時、言語の変換術が発動しっぱなしなのと同条件と言うことになるのだ。この際に人間は妖精力の断続的な消費を負わない。

 これは妖精の加護であり契約妖精から齎される恩恵の一つなのだ。先代や偉い方々の調べによると妖精の方にもこの言語の変換術に妖精力の行使といったものは存在しないらしい。

 妖精との契約を交わし、回路を繋ぐことで新たに賜る天恵のような現象。それが妖精従きと妖精の並び立つ最初の光景だ。

 そうなると例外のほうは妖精従きではなく妖精憑きの方なのだろうか?

 新たな足を踏み出したところで脳裏にまた新たな疑問が生じる。が、これは何れ空気を吸うように自ずと答えを感じることになるだろうと頭を振る。


「……フィーナ」

「はい?」


 物珍しそうに辺りに目を向け蒼色の瞳を星のように瞬かせる相棒に失笑しながら声を掛ける。


「授業が終わったら少し付き合ってくれないかな?」

「はいっ、クラウスさんの言うことでしたら」




 フィーナの了承を取り付けて、放課後の始まりの鐘の音を背に廊下へと出る。

 

「まず職員課にいくから。……よかったらついでに校舎案内するけど?」

「今日は何か用事があるのではないですか?」


 随分と砕けた心持で交わす言葉に、彼女の額を人差し指で小突く。突かれたそこを押さえて呻いたフィーナに頬を吊り上げて、それから眼鏡の位置を軽く直してから足を出した。


「たぶんそんなに時間は掛からないから」

「楽しいから大丈夫ですよ」


 そうして幾つかの惰性を紡いで、目的の扉に辿り着くと肩上のフィーナが息を整える間を置いて中へと入る。部屋の中を見回して呼び出した人物を見つけると、その近くに見覚えのある人影を見つけて少しだけ姿勢を正した。


「……呼び出されて来ましたよ」

「あぁ、丁度よかった」


 先ほど見かけた先客との会話の途切れを見計らって声を掛けると、教師はそう言って机の上から一枚の書類をこちらに向けて差し出す。訝しみながら受け取ったそれに目を落とす。興味をそそられたのか、フィーナも同様にその書類に顔を突き出した。

 そこに書かれていたのは部活動の申請書に該当する文面。部活名と、部員、そして教師の押印と流麗な筆跡で書かれた責任者の名前が綴ってあった。

 なぜか当然のように部員の欄に刻まれたクラウスの名前と部長と言う文字はいったん横に置いとくとして、書類の末尾に記された署名を少しだけ注視し、顔を上げる。視界の先には教師──ではなく彼と先程まで会話をしていた一人の女生徒が居た。


「……これは、一体?」

「そこに書いてある通り。生徒会が推薦する人物で構成された生徒会直轄の校内保安部隊。その手続き書類だけど?」


 さも当たり前かのように首を傾げて疑問に答える女生徒。クラウスの知る、この学院の生徒会長であるところのニーナ・アルケス女史だ。

 輪郭より少し長めに切り揃えられた穹色の髪に、マリンブルーの透き通った二つの瞳。当たり前のように突出している長い耳殻が絵になっていて物言わぬ威圧感を醸し出していた。

 彼女からの提案に少しだけ頭を捻って考える。

 まず呼び出しの大本について。これはきっと目の前のこの案件に関連するものだったのだろう。裏付けとして、居眠り代表者にクラウスが呼ばれるような不平等な教育理念はこの学院にあまり見られない。やるならやるで、徹底的に疑いを掛けられるか見てみぬふりのどちらかだ。

 次にニーナ生徒会長も語った特出した出来事。これについては、ちょっと情報が少ないがそう事を起こさないといけない何かが背後にある、と言うことだろうか。面倒くさい。


「……他の人員についての許諾はどうなってるんですか?」

「ふふ、いい質問だ」


 答えを保留にして情報を引き出しに掛かると、ニーナは含み笑いを漏らして人差し指を立てる。それを教師の机の上に向けた。

 つられて目をやるとそこには四枚の印刷物が扇状に並べてあった。手にとって中身を確認する。紙面に書かれていたのは先程クラウスが目を通した申請書に書かれていた人員の個別の参加表明書。その中にはニーナ生徒会長のものもある。

 軽く確認してクラウスの覚えのある人選から意図を推察する。肩の上で瞳に疑問符を浮かべているフィーナには少し悪いが、黙り込んで数通りかの状況を脳内に描き出す。

 ……一番しっくり来る背後関係は、国軍だろうか?


「……はぁぁ」

「で、どうする?」


 ニーナ女史の問いかけに半眼を向けて小さく抗議をすると、彼女は意味深な笑顔を浮かべて煙に撒いて見せた。


「拒否権ないのでしたら、こんな回りくどい方法取らないでくださいよ。こちらにだって都合があるんですから」

「約束はそこの相方よりあたしが先でしょ? それに当人と会ってみないことには確証が得られないもの」

「それで、お眼鏡には適いませんでしたか?」

「えぇ。予想以上に」


 胸に蟠った感慨をこの後の捌け口にて相殺することにして。不躾に手を差し出すと準備のいい筆を握らされた。


「時間を取らせて悪かったな、アルフィルク三等生」

「…………いいえ」


 無言で圧力しといてよく言うよ。

 腰を折って机に広げた書類に少々荒っぽく署名を落とす。契約の印として親指を押し当て、そこに妖精力を流し込んで複製を防ぐ。簡潔に正式に。協力承諾の旨を書き留めると静かに礼をして職員課を後にしたクラウスだった。




 「──えっと、えっと……つまりはどういうことですか?」


 声は廊下を歩くクラウスの耳元、既に定位置となりつつある肩の上のフィーナの唇より。状況の読み込めていない様子の彼女は変わらず瞳に疑問符を浮かべたまま言葉を連ねる。


「さっきの人は誰ですか?」


 その質問から返すのが妥当だろうか。職員課から次の目的地へ向かう道すがら、頭の中で先程の出来事を準備立てて整理し、言葉にしていく。


「さっきの女の人はこの学院の生徒会長。ニーナ・アルケス女史。話は、まぁ簡単に言えば生徒会に入らないかって言うお誘いの話だね」

「せいとかいって何ですか?」


 彼女の身なりよりそっちが先に疑問点になったか。まぁもう一つもその内何処かで聞くことになるだろう。


「生徒会ってのはこの学院の生徒の代表であり、大きな行事なんかを引っ張っていく人かな」

「纏め役って事ですか?」

「そうだね」


 言葉にしつつ、先程は気の回らなかった事象に視点を向けていく。


「本来、この学院の自治は教師と生徒会が執ってるんだ。けど何があったのかちょっと人手が足りなくなったらしくって、誰かから手を借りようって話。そこに名前が挙がって、僕はその推挙に同意したってこと」

「そうだったんですか……」


 きっとそんな側面も間違いではないし、一般的に解釈すればそちらの方面が表に出るだろう。けれど彼女の語った言葉──生徒会直轄の校内保安部隊という物々しい言い回しの所為で、どうにも事は一筋縄ではいかないらしい。

 背後関係がはっきりしない今どう答えを出そうとあまり当てににならないのが事実であり、そこにいいように使われるということはその後ろに居る大きな何かに従うと言うことで。


「……いきなり悪いね。大変なことに巻き込んで」

「いえっ、人間の方たちと……クラウスさんと何か出来るのは、楽しそうですから」


 そこに妖精と言う外せない事象が絡んでくるのがどうにも納得のし難い話だ。さらに言えば────


「でも、どうしてクラウスさんだったんでしょう?」

「お偉い方の考えてることはよく分からないよ……」


 どうしてクラウスがそこに居るのかと言う漠然とした不安感の方が、渦巻く感情の大部分だろうか。

 考えれば考えるほど深く渦巻いていく疑問を他所に、前へと向けていた足はいつの間にか第二の目的地へと辿り着いていた。そこは校舎の外、校庭より少し外れた校舎の陰。『妖契の儀』でフィーナと知り合った場所のすぐ近くだ。足を止めるとフィーナが何処か懐かしそうに笑う。


「クラウスさんは、優しいですね」


 どうやら何故校庭ではなくこんな一つ外れた場所を目的地に設定したのか、その疑問に答えを導き出したらしい。大方彼女の考えている通り、辺りへの被害を考慮してのことだ。校庭のど真ん中で妖精力を放出すれば反感を買うのは目に見えている。そんな愚考はこれまでに数え飽きるほど繰り返してきた。こうして隣に寄り添ってくれる彼女がいる間は、出来る限りそう言ったことから距離を置きたい。何より……もううんざりだ。


「……それじゃあ始めようか。フィーナからでいいかな?」

「はいっ」


 フィーナにはある程度のことを授業中に説明してある。妖精従きとしての申請書類であるとか、その為の能力査定だとか──そう言った類の多少骨の折れる作業は意気が一定以上あるときにすべきだ。


「それじゃあ、えっと……」

「……………………」


 何から始めようか。そんなことを考えながら間繋ぎの声を絞り出していると、肩から離れた彼女は中空に留まって目を閉じる。どうやら何か見せてくれるらしい。


「……っ……やっ!」


 それは集中するための間か。幾秒か静寂を挟んで、徐にフィーナは片手を空へと広げて翳す。その瞬間、手のひらの先には虹色に煌く方陣が描き出され、降下してフィーナの体を通過した。

 これはクラウスも知識にある割と一般的な妖精術──人化の術だ。

 眩いばかりの光に包まれその小さな体躯を見る見る大きくしていくフィーナ。やがて空に浮かぶ恒星のような発光現象も落ち着くと、そこには頭一つ分小さいまでも立派に人間大に大きくなったフィーナの姿が存在していた。


「……とりあえず、こんなのですけど」

「うん、いい変化術だと思うよ。ただ────」


 この人化の術は妖精と人間のハーフであるハーフィーと呼ばれる種族。それからフィーナのような数少ないクォーターが得意とする妖精術だ。一応過去からの研鑽により、純粋な妖精でも摂取することで一時的に見た目を人間大まで変化する薬は存在する。しかし人間との親密性や遺伝子的な情報が少ないためか、純粋な妖精個体ではその変化も数分止まり。薬などの補助薬なしでは変身もできない、限られた遺伝子の生き物が行える技だ。

 ただ今回のフィーナとの出来事で追加することがあるならば、それは…………。


「背中の翅は消せなかったね」

「えっ?」


 どうやらクォーターのような歪み者ではその変身にも限度があると言うことだろうか。

 制服の胸ポケットを探って朝から入れっぱなしだった折りたたみ式の手鏡を開いてみせると、彼女はその場でくるりと一回転して背中のそれに項垂れる。

 そんな何気ない仕草でも様になるのだから妖精の魅力と言うのは恐ろしい。きっと妖精が現れたばかりのころはそんな言われもしない魅了の魔法に拐かされた人間も少なくないんじゃなかろうか。


「……うぅぅ、練習したのにぃ…………」


 唇を尖らせて唸るフィーナにくすりと笑って手を差し出す。彼女はその掌を見つめ首を傾げる。


「手を握って目を閉じて」


 笑顔で紡ぐクラウスに何処か納得しないまま彼女は従う。


「静かに、深呼吸。…………そうしたらもう一度人間の姿を脳裏に思い浮かべて」 


 言われるがまま呼吸をする彼女の掌から微弱な妖精力の波長を感じ取り、それに自分の波長を同調させていく。

 これはクラウスの特技。特技とは妖精憑きや妖精従き、更には契約を交わした妖精が授かる妖精力と密接な関わりを持つ特殊技能のことだ。大抵の特技はその人物や妖精の得意とする属性(エレメント)を応用させたような効果を持つ。

 その中でも邪法で、違法で、誰よりも妖精従きらしい能力。


調波(アベレージング)……」


 刹那に、目を閉じたフィーナの背中から虹色の薄翅が虚空に掠れ消えていった。


「目を開けてもいいよ」

「………………?」


 恐る恐るといった様子で閉じた瞼を開けた彼女の前に、再び手鏡を翳す。


「え……えぇ…………?」


 突然の変化に目を丸くしてクラウスの手から手鏡を奪い去り、色々な角度から確認しては目をきょとんとしている。


「あの、えっと……」

「難しいことは置いといてね……フィーナの人化に僕の波長を混ぜると言うか、二人の波長を平均化して、偽者のハーフィーみたいな状態にしたんだ。ハーフィーなら完璧に人化の術が出来るからね」


 これはきっと僕たちのような、足して半分にしたら綺麗に半分ずつになるような組み合わせでなければ……さらに言えばこの調波という珍しい特技を前提にした状況下でないとことは運ばないのだろうけれども。きっとこんな助け合うだとか、補い合うだとか。そんな関係が本来妖精と人間が築き上げるべき形なのだと一人クラウスは思いに耽る。


「……すごいですねっ」


 瞳の中に流れ星を二つ落としキラキラと瞬く深い蒼色の瞳でクラウスの灰色の目を覗き込む。そんな素直な眼差しに少しだけ気をよくしながら「あとは……」と続けた。


「フィーナ、妖精の見た目に戻ってもらえる?」

「いいですよ」


 可愛らしく笑顔を浮かべて指を一つ鳴らすと、愛嬌か星のエフェクトを振りまいて薄翅を背負った妖精形態へと戻る。


「手を出して」


 提案に差し出された握ればつぶれてしまいそうな小さな掌を人差し指と突き合わせて目を閉じる。脳裏に描くのは体の各部位を極端に縮小した自分の姿。背中に七色に煌く四枚の翅を想像して体の中で妖精力を強く練りこむ。

 これは遠い昔に故郷で考えた小さな魔法。妖精を大きくする手伝いが出来るなら、自分を小さくするのも可能なのではないか。そんな夢想を思い描き、この学院に入って妖精についての基礎と応用の学問を学びその積み上げた研鑽の上に形にしたクラウス独自の妖精術。

 妖精化。


「っ……はっ!」


 十分に循環した妖精力を自分で組み上げた術式に注ぎ込んで技を発動する。

 突如として大きな異能の発露が辺りに伝播し、草の葉を放射状に薙ぎ倒していく。足元に展開された方陣は眩いばかりの極光を辺りに広げ、近くに居たフィーナをも照らし出す。

 次第に視界が失明しそうなほどの純白に飲み込まれ、体の節々が違和感を伴って理想の形へと変わってゆく。途中で背中に大きな存在感が現れ、重い塊に体を横殴りに揺さぶられる。


「肩の骨に力を入れてくださいっ」


 明滅する視界の中で微かに聞こえた彼女の声に導かれるように背中の肩の骨に力んで踏ん張る。

 やがて辺りを取り巻いていた網膜を焼くほどの激しい光明は次第に収まり、永い眠りから覚めるように静かに瞼を持ち上げる。


 そこに広がっていたのは幻想的といえるほど広大で澄み渡った大きな、大きな世界だった。


 胸の内に高揚感が湧き上がり、その衝動が体と言う小さな檻を突き破って今にも出て行ってしまいそうなほど、胸の鼓動は煩いぐらいに鼓動して。そうして視界に映した景色に、クラウスはただただ呆然と立ち尽くしていた。


「……クラウス、さん…………?」


 名前を呼ばれてはっとして目が焦点を結ぶ。目の前にはほぼ同じ大きさをしたフィーナが驚いた顔でこちらを見つめていた。

 ふと気づいて下を見ると、人間の視点で校舎の屋上から校庭を見下ろすほどの高さに自分が浮いていることに気づく。手を見ても、体を触ってみても、それは紛れもない現実で。その事実が心のうちの躍動感を冷静に諌めつつ、脳内に二つの文字を明滅させる。

 成功。

 成功、した。人間の妖精化に。限定的な条件下であれ、一時的な状態変化であれ、自分は確かに成功した!


「やった…………やった、やったよ、フィーナっ」


 思わず恥も知らず目の前の彼女の胸に飛び込む。フィーナは驚いて少しの間慌てたが、やがて彼女も状況が飲み込めてきたのか優しい手つきでクラウスの後頭部を撫で付けた。


「駄目かと思った。無理かと思った。けど確かに妖精になって、ずっと夢見た妖精の目線で、世界を見ることが出来たっ!」

「…………すごい、です……」


 感極まったような涙交じりの鼻声でそう相槌を落とすフィーナ。

 きっとこれがただの人間と、ただの妖精であったなら、これほどまでに胸のうちに湧き上がる感慨に心躍らせることはなかったのかもしれない。

 けれど誰よりも傍で人間と接し、誰よりも近くで妖精を見てきた二人だからこそ。その間にある厚く険しい壁を知る二人だからこそ、恐らくこうまで喜びの感情を分かち合えるのだと思う。

 耳元で鳴る心臓の音が心地いい。風に包まれ地の鎖から解き放たれた開放感が気持ちいい。

 誰も知りえないこの感慨が、とても惜しい。


「……あ、あのぉー…………」


 この腕の中に納まる何ともいえない優しい匂いと人肌の温かさが────ん?


「あのー……く、クラウスさんっ。そろそろ────」

「え? あぁっ!? ご、ごめんっ!」

「い、いえいえっ。そのわたしの方こそすみませんっ!」


 そうして心行くまで妖精であることの素晴らしさを体感している途中で、耳元で掠れるようにして呟かれた儚げな声音に我に返り、慌てて謝罪と共に距離を取った。

 顔を赤くしたフィーナとの間に気まずい沈黙が降って座る。

 だ、だめだっ。意識したら何かが終わるっ!

 苦し紛れに眼鏡の位置を直しつつ咳払いを一つ。それから深く呼吸をして息を整えると人間に戻る術式を展開する。妖精になったとき同様、痛いほどの白い光に包まれて、体が元の大きさを取り戻していく中で。

 不意に視線の合った彼女の蒼い目が、少しだけ寂しそうな色に彩られていた。

 元の人間の姿へと戻り、いつの間にか取り落としていた手鏡を拾い上げる。落ちた時の衝撃にか鏡は皹が入り使い物にならなくなっていた。割れた鏡に太陽光が反射して歪んだ光の玉を形成していた。


「買い直しだな、これ……」


 少し寂しそうに零して折りたたみのそれをぱたりと閉じる。

 制服にしまいこんで顔を上げるとどこか納得のいかない様子のフィーナがこちらを見つめていた。


「その、さっきのわざは……」

「あぁ……」


 躊躇いがちに掛けられた声に相槌を打って頭の中からその情報を抜き出す。


「……さっきフィーナの人化の術を手助けしたよね。あれは二人の波長を平均化してハーフィーもどきにするっていう僕の特技の一端なんだけど。それを例えばフィーナの波長に僕のものを寄せるように平均化した上で、外見の変化術式を作用させたんだ」


 少し小難しい話にフィーナは首を傾げる。


「つまり簡単に言うとフィーナの力を少し借りて見た目を妖精に変える術、かな」

「そんなことが……」

「もちろん、実用化は簡単じゃないし出来たところで空を飛ぶくらいしかまだ用途はないけどね。けど────」


 見上げた青空の下胸いっぱいに大きく息を吸い込んで晴れ晴れとした胸の内で紡ぐ。


「見てみたかった」

「っ…………!」


 そうして見せた遠く儚い眼差しに、フィーナが息を呑んだのが分かった。同時に何か言葉を掛けようと手を伸ばして、しかし何かを言う前にゆっくりと腕を下した。

 彼女は、何を言いかけたのだろうか。

 そんな些細な疑問も募って。けれどそれ以上に見つめるべき現実に焦点を結ぶ。


「……でも今はそればっかりじゃいけないからね。続き、一気に終わらせちゃおうか」

「は、はいっ」


 逃げの一手だと胸の内に深く刻んで。向けた笑顔に貰った返答にクラウスは静かに頷いた。

 息を一つ整えて笑顔を向ける。


「取りあえず、フィーナの使える技とか先に見せてもらおうか」

「はい。……と言ってもあんまり沢山はありませんけど」


 そう言ってフィーナは反芻するように中空に視線を走らせ、徐に右手を目の前に掲げる。

 数瞬して現れたのは数個の丸い球。虹色に輝く光球だった。

 これは妖精や妖精従きの使う一般的なな攻撃用妖精術、妖精弾だ。名前の通りただ単純に妖精力を球状に形成しただけにすぎない単純な攻撃技。しかし単純が故に後天的に特殊技能を付与したり誘導射撃を行うなど応用にも富んだよく目にする技の一つだ。

 フィーナはその数発の妖精弾を撃ち放つと遠隔制御を行い自分に向けて襲撃させる。それとほぼ同時、今度は左手をあげるとその掌の先からこれまでも数度目にした幾何学な文様を描いた方陣を出現させ、衝撃に備える。

 そこに先ほど撃ってよこした妖精弾が飛来し当たっては爆発をしていく。

 これは妖精弾とほぼ同程度に馴染みのある防御術だ。

 一言に防御術と言ってもその形や用途は様々で、フィーナの使ったように自分の前方に出現させる型もあれば球状、または半球状に展開して全方位からの攻撃に対処するものも存在する。また遠隔発動により仲間や他人に防御の加護を授けたり、付与効果によっては時差式や限定条件下、広範囲に渡る全体防御と言った高位の防御術式も実在する。

 と、そうして妖精術の複数制御という地味でありながらも練度の高さが垣間見える妖精力の行使を見せた彼女であったが、気づけばその当人は横目でクラウスの方をちらちらと窺っていた。

 その視線にクラウスはやはり……と心中で一人納得する。


「基本に忠実。切れのある技だと思うよ、さすが妖精だね」

「その、ありがとう、ございます……」


 彼女の心中を察しつつ向けた笑顔での讃辞に、やはりというべきか相棒たる妖精は浮かない顔で返事を落とす。そんな様子のフィーナにクラウスは様子を見るような口調で言葉を継ぐ。


「……あとは一般的な身体強化の術に補助的な妖精術。それにさっきの人化あたりかな?」

「えっと、その…………」


 言葉を濁して答えるフィーナだがその表情がクラウスの問いかけに雄弁に答えを発していた。

 視線を外す彼女が少しだけ可哀そうになりクラウスは助け船を出す。


「大丈夫だよ。僕も同じだから」


 笑顔での言葉にフィーナは答えを無くす。それはきっとクラウスの実力に対する呆気──ではなく安堵と興味の感情だろう。

 続きを語るより前に足を出して視線で下がってと示して見せる。フィーナはそれに躊躇いがちに頷いて距離を取ると離れた場所で空に停滞してクラウスの方をじっと見つめた。


「……これはきっとね、僕たちみたいな半端ものの宿命の様なものなんだと思うよ」


 語りながら右手に虹色に輝く妖精弾を、左手には指先に一点集中した妖精力を形成して見せる。


「体の中に流れる力がもう片方を押し潰して。押し潰された方は反発の作用を起こす。その際で歪みが生じて一つの形に定まらないんだと思うんだ」


 右手の弾を空へと打ち上げ一定の高さまで飛んで上がったそれを銃のように見立てた左手の人差し指で差しながら続ける。


「だから僕たちクォーターは特定の属性に愛されない。その全てから敬遠され碌に妖精術を使えない」


 視界の中央に妖精弾を捉え、狙いを定めて光線銃のように左の指先に溜めた妖精力を解き放つ。目に見える光線のように細長く空へと向けて駆けたそれは先に放った妖精弾に追いつきど真ん中を打ち抜いて壊して見せた。


「それはきっとこの世界に蔓延る節理の一つなんだと僕は思うんだ」


 散り散りに砕けた妖精弾の欠片はやがてそれぞれが一個の星の煌めきとなり、無数の流星群のように辺りに降り注ぐ。宛らそれは星の雨の下より青い天蓋を眺めているような光景だった。


「納得したら負けだとは思うけど、これはこういうものなんだって認識し、その事実と真正面から向き合っていかないといけない」


 数多に降り注ぐ小さな妖精弾の下、クラウスは自分とフィーナの頭の上に二つの防護方陣を出現させ迫り来る球の雨からその身を守る。


「そうして真っ直ぐに妖精や妖精力、妖精術と関わっていくべきなんじゃないかな?」


 天災の如く降り続いた衝撃と振動もやがて治まり、地に立つクラウスは宙に浮くフィーナと視線を交わす。


「だから何も恥じることはないよ。それが僕たちはみ出し者……クォーターの枷であり際限ない進化のあり方なんだから」


 クラウスの言葉にフィーナは何か言おうとして、けれども悔しそうに強く唇を噛みしめた。

 俯いた彼女に少しだけ申し訳なく思いながら視界を回す。その中に、誰かが捨てたのであろう空き缶を見つけて拾い上げ、缶の中に一掴みの土を握って落とす。

 そんな行為に、フィーナの視線はいつの間にかクラウスを追い始める。彼は少し重くなったそれを離れた場所に置くと距離を取って立ち止まり、空き缶に向けて片手を翳した。


「……その上で、奇跡の采配のように授けられたたったこれだけの小さな異能の力を、僕たちは過信も不信もせず振りかざして出来ることを探していけばいいんだよ」


 最後に少しだけ力を加えて妖精力を練ると、先程置いた空き缶が花火が散るように派手に弾けて辺りに小石をばら撒いた。

 咄嗟にフィーナの顕現させた防御技で二人の前に方陣が出現し、向かって飛んできた礫を弾く。空を滑るようにクラウスの肩に降り立ったフィーナは心配そうに顔を覗き込んで、合わせた瞳でまっすぐに見つめる。


「ね?」


 そうして見せた彼の笑顔に、フィーナは答えを見つけたかのように小さく華やいだのだった。

 



              *   *   *




 そんな二人の光景を一人の少女が校舎の影からひっそりと見つめていた。彼女は足音を殺し、静かにその場を去ってゆく。彼女の隣には手のひら大の妖精が一匹付き従うように寄り添い、蠱惑に微笑んでいた。


「──これでいいの?」

「えぇ……これでユーリアは少しだけ彼に近づいた」


 問いかけに妖精は細く小さな白い人指し指を立ててくるくると回しながら答える。何処か浮世離れした仕草に小さく嫌悪感を抱きながら早足に歩を進める。


「……次」

「そんなに急がないの。じゃあそうね……次は────」


 何処か楽しげに思案を重ねる妖精に隣を歩く少女は心の中に暗雲を渦巻かせる。

 これは仕方のないこと。こうでもしないと彼は自分から歩み寄ろうとはしないから。

 湧き上がった疑心を大儀のためと正当化して心をまた強く──脆くしていく。

 脳裏に描いた人物の顔に少女は苛まれる良心を押し殺す。


「待ってて……あなたは私が────」


 呟きに、頭上で踊る妖精はクスクスと軽やかに微笑を零したのだった。

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