第二章
ニーナが追っていた悪戯事件とその裏で巻き起こっていた騒動にけりが着いてから。
ようやく設立した委員会でテオは改めて全員に挨拶をする事ができた。
最初に動いていて最後に出て来るとは随分と尊大だなと思いつつ、けれどその仕方ないを幼馴染へと押し付けて関係性の構築を最優先とする。
その矢先、舞い込んできた話は幼馴染でさえ手を焼く難問で、テオ如きにはきっとどうする事もできなかった問題。
レベッカ・コルヌの委員会参加に起因するであろうヴォルフ・ブラキウムの退学問題。
全て終わった今でもその全容が明かされない不可侵の問題に、恐らくクラウスも振り回されて多くの時間を割いた話だ。
恐らく、と言うのはこの話の間、テオもまた中途半端に巻き込まれて振り回されたのだ。
始まりはきっと事の中心にいたであろう少女──レベッカが最初に委員会に顔を見せた頃に遡るだろうか。
あの時は、こんな無意味な気を張る結果に終わるなんて思ってはいなかった────
委員会を発足した日の放課後。恐らく予期していたのはクラウスだけだったのではないだろうか。
目の前に堆く積み上げられた書類の山。沈黙と言う名の拘束。
初めて揃った委員会の面々は、けれど安息とは程遠い場所で書類の山と面と向かい、減る気のしないその要望の数々と格闘していた。
「だぁっ! ……んだよこれっ! 終わんのか!?」
「……気持ちは十分に理解してるから結果が欲しいんだけど」
悪魔めっ!
吐き出した遣り切れなさに返ったのは幼馴染の催促の言葉。心の中で毒吐いて爆発しそうな理性をどうにか押し込む。
溜息すら場の空気を損ねてしまいそうなほどに張り詰めた雰囲気は各々のストレスを刺激して知らず効率を下げる。
そんな中で一人いつも通りを徹底する幼馴染の胆力に辟易する。
本当にお前は俺と同じ人間かよっ。
呪いたくなるほどの自分の集中力のなさを他人に押し付けては再び書類へと目を落とす。
部活動書類は早急でない限り後回し。とりあえず人間関係のごたごたはクラウスに突き出しておこう。
嫌な問題、面倒くさい問題を他人に押し付ける事を厭わずどうにか効率を求める。
そうして流れた時間は如何程か。途中でクラウスに回した案件がユーリアと重なったりと幾度か彼女との折り合いのつけ方を見つけたような時間が過ぎて、一度書類の山から解放される。
任された仕事は職員課への事後処理。
どうやら悪戯事件では職員まで巻き込んでいたらしい。使えるものは利用する。確かにその通りではあるが些か無鉄砲すぎるのではないだろうか。
剰えその処理をテオに任せる。我が幼馴染ながら呆れるほどに理不尽だ。
そうして心の中に渦巻く悪態をどうにか原動力に変換して、職員課から生徒会室へ戻る途中とある人物と出会って足を止める。
視界の先にいたのはアンネ・ルキダ。
彼女は迷うようにライトブラウンの頭髪を指先で弄りながら廊下の壁に背を預けて座り込んでいた。
目に付いたのだから仕方がない。クラウスとの経験で罠だと分かりつつも関わってしまう自分が恨めしい。
「どうしたんだ? 体調でも悪いのか?」
「あ、どうも……」
向けた声に返ったのは挨拶。あまり時間を割いて生徒会室にいる面々に奇異の視線を向けられても困るので単刀直入に尋ねる。
「クラウスに何か用か?」
上げた顔。そこに浮かんだ表情に思わずテオは息を呑む。
色付いた頬に、潤んだ瞳。唐突に見せた憂いの表情に、頭の中が少しだけ混乱する。
何だその顔。俺何か悪い事聞いたか?
継ぐ言葉を見失って黙り込むと沈黙を嫌ったかアンネが顔を伏せて小さく零す。
「…………そんなところ、かなぁ。合わせる顔がなくて」
掠れた声に胸の奥が締め付けられる。もしこれが計算ずくなら、クラウスに勝るとも劣らない演技だ。
が、そんな事を考える前に口から突いた言葉は自分でも予想をしていなかった言葉だった。
「あいつならそんな事気にしないだろ」
「…………うん。だから困ってる」
何に。と聞き返したくはなったが、これ以上首を突っ込むとややこしくなることも同時に理解した。のでとりあえず曖昧に間を埋める。
「困るのはいいけどよ。後悔すんなよ?」
言って、少しだけ強くなった語調に後悔した。そんないい方しなくてももっと他にあっただろうに。
けれど言ってしまった言葉は取り返せないし、言い繕ったところでその事実は変わらない。
「………………後悔は、もうしたくないかなぁ」
呟きは決意のように。
テオが慣れない会話に悩んでいると、アンネは顔を上げて小さく笑う。
「……ねぇ。少しでいいからお手伝いさせてもらえないかな?」
断られたらどうしようか。
そんな不安を秘めた水色の瞳がテオを射抜く。
縋ったって、テオに決定権は殆どないのだが…………。
「委員会の事か?」
「うん…………」
「俺は……いいとは思うけど……」
「そう…………。じゃあ行く」
濁した発言は彼女の気持ちを固める材料となり静かに決意を漲らせる。
とりあえず判断は他の奴らに任せよう。
無責任に丸投げして足を出す。響いた足音に掻き立てられた焦燥感はテオだけのものでは無かったはずだ。
生徒会室に着くと背後の彼女に確認を取って扉を開く。
テオは無言で持ち場へと戻りクラウスに書類を渡す。
それと同時、入り口から何処か吹っ切れたような楽しげな声音が室内に響き渡った。
「────大変そうですね」
まるでそれは己の存在理由をそこに見つけたように芯の通った声。
彼女の決意が固まる事に、テオが何をしたのかはよくは分からないが、結果彼女に勇気を与えられたなら良かったのだと思う。
「お手伝いに来ましたよ、クラウス君」
ちらりと対面を伺うとクラウスは何処か驚いたようにアンネを見つめ、それからまたいつも通りを取り戻す。
彼女の声にどこまでも事務的にに応えて笑みを浮かべる幼馴染。対するアンネも先ほどテオに覗かせた憂いはどこへやら、気付けばクラウスが良く浮かべる意地の悪いそれとよく似た表情で返す。
…………あぁ、アンネの相手は俺には務まらない。
直感で納得して思考を外す。名前が出ても無関心。あんな悪魔の会話に放り込まれたら身が持たない。と言うかよくさっきまで会話してたな、俺。
自分を褒めつつ視線を手元に落して書類に向き合っていると話が着いた様でクラウスの指示で動き始める。
彼女の存在はクラウスの予定にはなかったはずだ。それを利用して、彼女も受け入れて。
やはり別の世界のように感じながらテオはまた孤独を加速させる。
ヘルフリートとの仲は未だ戻っていない。これ以上悪くなると言う気もあまりしないが、今のままではいけないと感じる。
妖精従きの関係はそのまま回路にも影響する。
仲がよければ二人の波長が交じり合って変化するように、仲が悪ければその反対だって起こりうるのだ。
契約の破棄とまではいかないが、妖精が生きるために必要な妖精力の供給が不十分になる。
最悪衰弱し、死んでしまう可能性だって出るのだ。そうなれば、残った人間の方は妖精殺しと呼ばれ両種族から軽蔑される。
ヘルフリートは今とても不安定な状態だ。次第によってはそう言った話にも繋がりかねない。
過ぎる想像は靄に巻かれて暗く沈んでいく。
いつの間にか手が止まっていて、己の愚かさに改めて直面した事に気づいたテオだった。
翌日に、恐らく今回の話で中心に立っていた少女とテオはコンタクトを初めて取った。
レベッカ・コルヌが委員会へとやってきたのだ。
コルヌと言えばここブランデンブルク王国を支える名前の一つであり、フィーレスト学院にも融資している資産家だ。
そういえばクラウスとニーナの板ばさみになって幾つかの噂をばら撒いている時に、何度かその名前を耳にしていたと思い出す。
その人物が、目の前に現れた。
鶸色の短い髪に黒橡色の双眸。想像とは掛け離れたお嬢様感は一瞬にして崩れ去り、楚々とした一生徒としての認識が新たに上書きされる。
「失礼します。……あ、先輩っ」
第一印象はお淑やかなお嬢様。胸元につけたリボンは最下級生を示す青色。年齢的にも下な女性徒だが、物腰は落ち着きテオとは正反対の麗らかな雰囲気。
彼女が例の新入生か。
と脳内の情報と照らし合わせるのと同時、テオたちの前に姿を現した件の少女は目に嬉々とした輝きを宿し、床を蹴る。
「ブラキウム先輩!」
「コルヌっ」
先ほど頭の中で組み立った彼女の人となりがまたもや音を立てて崩れて再構築される。
なんとも忙しい少女だ。
下した結論はとても単純で。けれどそれこそが彼女を表す上で最も欠けてはいけない要素な気がする。
レベッカが飛びついた先。巨体をよろめかせて彼女を受け止めたヴォルフは慌てたように引き剥がす。そういえば彼が慌てるところを見るのは初めてかもしれない。
少しだけ親近感を抱いて事を見守っていると、今度はレベッカの口からとんでも発言が飛び出る。
「あ、あっ。えっと、すみませんっ。わたくし、レベッカ・コルヌと申します。ブラキウム先輩の許婚です!」
「元だ。今は違う」
すぐさま入った訂正は、けれど殆ど記憶には残らず言葉が口を突く。
「先輩、許婚なんていたんですかっ」
「……元だが」
「二人は付き合ってるの?」
「いいえ」
「ハニー、許婚ってどういうことっ!」
「だから元だ」
事を敏感に捉えたのはテオだけではないようで、続けてニーナにヴォルフの契約妖精クリスと三連続。
矢継ぎ早な疑問に切り捨てるようなヴォルフの返答を聞きつつ、そこに何よりも情報を最優先とするクラウスの声が入っていないことに気がついて彼の様子を伺う。
すると我が幼馴染は気味の悪いほど外交的な笑みを貼り付けてレベッカと会話を織りなしていた。
…………まぁた何か変な事に首を突っ込んでいるらしい。
同時にヘルフリートの事を相談するにも出来ないと悟ってまた問題を先延ばしにする。
幼馴染の変わらない、けれど変わった様子に何かあると踏んでテオもまたいつも通りを取り戻す。
クラウスが得意とするのは人間関係と情報操作。その飛び道具はテオやニーナと言った行動を主にする彼の駒たちで、今回もまたいいように使われるんだろうなと感じながらレベッカの一挙手一投足を目に焼き付ける。
テオには人の心を巧く察して言葉の舞踏を踊るような器用な事はできない。だからこそ、その人物の人となりを把握して近しい距離を保つ。
それが結果的にクラウスの得となり、テオにとって最も簡単な役割だ。
ニーナなどは先ほどの面白そうな匂いのする話に興味があるようでまだいつも通りに戻るには時間が掛かるだろう。と言う事は先に距離さえ詰めてしまえば、面倒くさいクラウスからの命令はニーナに行く事になるはずだ。
そうとわかればやる事は一つ。
心の中に目標を決めてその結末に向かって気持ちを前へ。
「先輩、わたくしと男女交際をしていただけませんか?」
その途中で放たれた場を静まり返らせる力のある言葉。
レベッカの声には緊張と不安と、それから一握りの希望が綯い交ぜになって宿っていた。
これは……ちょっと苦手分野かも。
首を突っ込めば元許婚やら恋愛と言ったややこしい人間関係に首を突っ込む事になる。そういうのはテオよりニーナの領分だ。
どうしようか。悩んだ数瞬の間に、告白を向けられたヴォルフは真摯に言葉を返す。
「…………前から言っているが君とは付き合えない」
それは何処か押し殺したような声であり、何かを我慢するような悲痛な叫びに聞こえた。
続いてレベッカが小さく顔を歪めたが、それを知らぬ振りでクリスがヴォルフを促す。
お、女って怖ぇぇぇ!
これまで幾人かと恋愛をしてきたテオだが、それらの女の子たちとは一線を画す修羅場に肝を冷やす。
あれがいわゆる嫉妬って奴か? 何あれ、好きな人の前ではそんなに非情になれるわけ?
今まで付き合ってきた女の子たちが川のせせらぎに思えるほどの負の感情を目の当たりにしたテオは静かに冷や汗を垂らす。
クラウスが前に恋愛には価値がないって言ってたが、確かに理不尽しかない気もして来る光景だ。
と、価値観がぐらつくテオを余所に時間はいつも通り流れていく。
気がつけばヴォルフが逃げるように投書箱の確認へと向かい、振られた動揺からか消沈したレベッカが顔を伏せてテオの隣へと腰を下していた。
…………待て、どうして俺の隣に座る。相談ならどう考えても同性のニーナにするのが筋ってものじゃないのか?
過ぎった感慨も一瞬。次の瞬間に放たれた言葉に少しだけ息を呑む。
「あ、の……」
それは一体誰に対しての呼びかけか?
その筆頭に自分の名前が頭の中に挙がって視線で幼馴染に助けを求めてみる。が、答えは返らず無表情の無視一徹。
俺には荷が重い気がするんだが……。
鬩ぎあいは数瞬で、託された気がする信頼をどうにか背負って答える。
「んー?」
えぇい、毒を食らわば皿までだ。腹を括り、筆記具を置いて顔を上げる。
少し待ってみるが本題が出てこないのでこちらから名前を出してみる。
「先輩のことか?」
「……はい」
頷きは場の空気を固めて幾つかの未来に向けて動き始める。きっとクラウスならこの時点で着地点を見つけるのだろうがそんな芸当テオには出来ない。
ただ出来ないからこそ、何よりも純粋な視点でとても個人的な同調を示す事は可能だ。
「先輩は、わたくしのことを嫌いなのでしょうか……」
「どうだろうな。ただ気には掛けてるんじゃないか?」
「…………」
俯いた口の端からは先ほどまでの覇気はなく、静かにうな垂れる一人の恋する少女が自責の念に押し潰されていた。
テオの少ない経験で物を語るのはとても極論で真実足り得ないのかもしれないが。女と言う生き物は大概面倒くさく、そして可愛い。
言葉にしてしまうと侮辱してしまうかもしれないが、悩む事こそが恋愛であり、その過程こそが恋だとテオは思うのだ。
そんな少女たちは、とても綺麗で可愛くて。嫌われまいと振舞う健気な姿にきっとテオは心を打たれているのだろうと思う。
けれど一旦その線を越えて付き合い始めれば、恋はいつの間にか願望へと変わりやがて失いたくないと言う欲望へ変わる。
その依存をするのが男であるか女であるか。
テオ個人としては告白された事はあっても告白した事はない。だから好きになった者の弱みをあまり分からない。
薄情だろうか。けれどそれで悩むのは、前に進もうと言う意思なのではないかとテオは思うのだ。
だからこうして悩むレベッカが感じるものこそが恋愛であり、前に進もうとする意思なのだろう。
前を向く者を、テオは笑えない。
そんな場所で少しだけ共感して、レベッカに歩み寄る。
「本当に嫌なら無視するだろうし、心の底から嫌ってるようには俺には見えないけどな」
呟きは少しだけ棘を含んで。
けれどその棘を飲み込んで前に進んで欲しいと願う。
それはまるで他人に自分のできない事を押し付けているようで、少し嫌な気分にはなったけれど。
テオはテオとしてテオにしか出来ないアドバイスを口にする。
「……レベッカちゃんはどうしてあの人のことを好きなんだ?」
「それは許婚……でしたから」
「許婚だから、なのか?」
「…………いつのまにか、です」
違和感は疑問へと変わり質問へと昇華する。
「頼れる先輩で、少し口数が少ないけど紳士で。わたくしにとっては王子様みたいです」
「……あれだな。押して駄目なら引いてみなってね」
「…………」
過ぎった言葉は脈絡を少しだけ無視して。それ以上の言葉を探して考えては見たが答えは見つからず。
やがて沈黙を裂いたのは幼馴染の声だった。
「……仕事、してくださいよ」
「だって気になるじゃない」
「人の恋路に首を突っ込んで引っ掻き回さないでくださいよ。それに会長には──」
「わぁああああっ!」
クラウスの言い掛けた言葉に被さって大きなニーナの声が響く。
……もう興味が外れたわけですか。ほんと理不尽な事この上ない。
溜息は安堵へと変わって、それから次の瞬間に緊張へと摩り替わる。
ニーナが慌てた際に舞った書類がクラウスの顔を叩いたのだ。そうでなくとも色々抱えて大変そうなのに。
瞬時に幼馴染の境遇を嘆いて、その矛先となるニーナに同情する。
想像通り、幾つかの言葉の槍がニーナを貫いて、けれどその言葉に隠された秘密の殆どはテオには首を傾げる事しかできなかった。
そんな騒がしくも賑やかな光景を目の当たりにして、隣に座るレベッカが小さく漏らす。
「す、すごいですね……」
「恐ろしいのはこいつと幼馴染してる自分だってこの頃よく思うよ」
彼女の言葉に茶化すと、ようやく笑顔を見せたレベッカはニーナのほうを伺いながら飲み物へと口をつける。
ふと、そんな飾り気のない心の底からの笑顔をヴォルフに向けてみてはどうだろうかと思い至る。
考えて、言葉にしようとした矢先、投書の回収へ向かったヴォルフが生徒会室に戻ってきて期を逸す。
……また今度にしようか。
彼女自身の行動が彼女の周りを変える事があれば、それはきっといいことなのだ。だからテオのような部外者が口出しをするのは最後の手段でいい。
納得して静観しているとアンネがやってきてまた賑やかに空気が回り始める。それから落ち着いた雰囲気のレベッカがヴォルフに声を掛ける。
どうやら今回は一旦身を引くらしい。そんな直ぐに言った事を実践しなくとも……。
「あの、先輩……。お菓子と紅茶、美味しかったです。それと、お邪魔してすみませんでした」
浮かべた笑みは何処か寂しそうで。
その背中を押してあげたい気持ちになったがどうにか堪える。
「……コルヌ」
声はヴォルフのもの。退出しようとしてたレベッカは振り返りその表情に花を咲かせる。
あまりいい助言とはいえなかったかもしれない……。
自分の不甲斐なさを改めて確認する。
「預かり物」
「え……あ、そうだった」
漏れた声には少しだけ落胆を滲ませて。彼女の目的を見失いそうになりながら事を追う。
レベッカからヴォルフへ渡されたものは一つの封筒。何かの言伝だろうか。
コルヌ家。その言葉が頭を過ぎって少しだけ胡散臭くなる。
「ではわたくしはこれで。失礼しました」
それから改めて礼をしたレベッカは静かに生徒会室を後にした。
少しの間、手元の封筒を見つめていたヴォルフだったが、やがて彼も仕事へと戻っていく。
そしてこの時には既に、真実の明かされない話が人知れず始まっていたのだった。
レベッカが委員会に姿を見せた次の日。昼休みに級友のマルクスと一緒に昼食を食べていると、近くにやってきた同クラスの女性徒が声を掛けてきた。
「グライド君、お客さん」
声に顔を上げて女性徒の指し示したほうに顔を向ければ、そこにいたのは幼馴染の契約妖精たるフィーナだった。
契約妖精が単独行動とは珍しいなと思いつつ幾つかのあたりをつけて幼馴染手製の弁当を片付けると席を立つ。
「悪い、ちょっと行ってくらぁ」
「おう」
一言断って席を外すと教室の外へと出る。
「どうかしたか?」
「クラウスさんがテオさんと一緒に……えっと、はうず、の教室で……私が……」
要領の得ない言葉。その言葉にならない説明をどうにか解読して足を出す。
「わかった。とりあえず教室に案内してくれるか?」
「はいっ」
ここで説明に悩んだ事を悔いないのがなんとも妖精らしい。
提案に元気よく頷いたフィーナはテオの前を飛んで行く。
その背中を追いかけて、よく考え込む幼馴染にはお似合いの妖精なのかもしれないと思いつつ現場へ。
彼女に着いてハウズの一室へ向かうとざわざわと声が犇いていた。
その景色を目に収めるのと同時に、肌を刺すような妖精力の残滓に少しだけ眉根を寄せる。
誰かが妖精術使ったのか。鋭敏に察知して、それからなるべく明るく声を掛ける。
「校内保安委員会だ。話も聞きたいがとりあえず椅子と机を元に戻しちまうぞ」
少し慌てた様子のフィーナを一瞥して場を回す。
ここにいないという事はクラウスは別行動だろうか。
数瞬の間を空けてそれからゆっくりと動き出した時間を視界に、少しだけ幼馴染の居場所を探る。
そうこうしていると教室内がいつも通りを取り戻して、空気を察してか全員が席へとついて次の指示を待っていた。
こういうの苦手なんだけど……。
軽く頭を掻いて腹を括る。
「……で、えっと一体何があったんだ? 悪いけど簡単にでいいから話が聞きたいんだが」
探るように聞けば返って来たのはざわめき。その時点で話に妖精が絡んでいると想像して、視界を回した中に見覚えのある人物を見つける。
目が合って、小さく息を詰めた彼女は、しかし何処か安心したように席から立ち上がる。
「…………妖精を巡っての折衝事です」
声を上げたのはレベッカ・コルヌ。
彼女はばつを合わせるように探りながら続けて事の一部始終を話してくれた。
どうやら二人の生徒が一人の妖精を巡って喧嘩を起こしたらしい。理由は些細な事で、けれど主張が対立するには十分な背後あっての起こるべくして起きた衝突だ。
約束を取り付けた二人の生徒と、それを反故にした妖精。種族の壁を抜きにして一般論で言えばどちらにもいい顔をして混乱を招いた妖精に非があるのだろう。
けれどここは国立のフィーレスト学院であり、ここにいる者は全て教員も含めて妖精憑きや妖精従きばかりだ。
妖精は明日の半身であり、昨日のはんぶんである。
妖精史の授業で習った偉人の残した言葉を反芻しながら事の終着点を探す。
いくら妖精に非があろうとも、妖精憑きや妖精従きはその責任を妖精に強要しない。
それはきっと心のどこかで今の生活が彼らの存在の上に成り立っているからだと感謝しているからだ。
妖精力や妖精術を応用した便利道具。妖精の力を戦の火種だと謳う各国の諸侯。
歴史にしてみれば約700年ほどの出来事で、けれどその重要度は失えば国を傾かせるほどの柱として成り立っている。
今日では妖精個人にも権利をと主張する世界で、妖精という種族は無くてはならない存在となっている。
それはまるで神聖視した存在であると共に、崇拝の対象として宗教染みた崇め方をされるほどに……。
それはきっと妖精を主軸にして喧嘩が起こる事と何も変わりがないほどに世界を支え変えてしまった代償なのだろう。
だからこそ、人間個人の尊厳よりも妖精との関係に重点を置く学者も後を絶たない。
「……なるほど、話してくれてありがと」
レベッカから事のあらましを聞き終えたテオは少し考えるように顔を伏せる。
「あの……」
声はフィーナのもの。彼女の不安そうな呼びかけに顔を上げて今日室内を見回す。
いつの間にか、先ほど胸の内を巡った苦手意識は消えていた。
自然と口から言葉が漏れる。
「これからな、それぞれに今回みたいな事が沢山起こると思う。けどそれは妖精と付き合っていく上でとても大切な事だ」
クラウスのように。ニーナのように。
言葉に重みも説得力もないただの愚直な先人の受け売り。
けれど先人の言葉を知る事は、未来へと知識を広げる事と同義だとテオは思う。
だからこそ先人の言葉を借りて、今目の前にいる生徒たちに必要であるだろう言葉を口にする。
「だから逃げるな。それさえ捨てなけりゃ立派な相棒に会えるはずだ。だから目を逸らすな」
妖精に背を向ける事は妖精が見える者の絶対なる恥である。
「……分かったら返事だ」
小さくそう最後に付け加えると、ぽつぽつとだが声が響いた。
テオの言葉がどれほど彼らの考えに影響を及ぼすかは分からない。けれど考えない事は立ち止まる事と同義だと幼馴染を思い浮かべて納得する。
だから単純にして最大の謎のように言い残した言葉に責任を感じる。
この責任も、妖精従きとなったから背負ったものだろうか。
胸の奥に小さなヘルフリートとの繋がりを意識して一つ息を落す。
それから簡単に教室内を見回って、特に問題がない事を確認するとフィーナと一緒に教室を後にしたのだった。
そんな事件とは言い難い、けれど敬遠しがちな喧嘩の火種をきっかけに立ち上がったのがレベッカだった。
ハウズで喧嘩のあった翌週、彼女は何処か覚悟を決めたような面持ちで生徒会室へとやってきた。
レベッカが告げたのは委員会への参加表明。話を聞いてみれば時々起こる喧嘩のような騒動を鎮静化するために自分を役立ててもらっていいと言う自己犠牲のような売込みだった。
その提案は、発足してまだ日の浅い委員会が対応に追われていた時期のもので、委員会にとっては都合のいい話だった。
委員会としても人員の増強は考えていた事でもあり、まさに渡りに船だった。
そうしてレベッカは委員会の臨時の助っ人として起用される事となった。
……決定的に事が動き始めたのはこのときからだったのかもしれないと、終わってみて思う。
レベッカの活躍は確かなもので、連携を取るうちに問題もそれとなく鳴りを潜めていった。
その反面、正規の人員ではないレベッカはその活躍に少しだけ浮かれていたのかもしれない。
日に日にその行動は積極性を増し、彼女が助力を申し出て一週間を過ぎる頃には随分と明るい様子で生徒会を出入りしていた。
その原動力は、やはりと言うべきかヴォルフに対する下心だった。
渡された仕事はこなして、想い人の傍で過ごす。一応双方に得はあるので表面上は問題が殆どないように見える関係だ。
その関係を保とうと全力なのだろう。だからこそ彼女の心意気は痛いほどよく分かる。
それがどれほど周りを巻き込んでいるとも知らずに。
「あ、そろそろ見回りの時間ですね。グライド先輩、行きましょう?」
花咲くように向けられた声。不変の理のようなその言葉に、少しだけうんざりしつつ重たく腰を持ち上げる。
今日は一体どんな相談を持ちかけられるのだろうか。
必要に駆られてでなければこんな役すぐさま降りるのに。幼馴染の期待を背負っている気がして更に足取りが重くなる。
校内を歩き回り、いくつか時間が経って唐突に隣から声が上がる。
「……本当にこれでいいんでしょうか」
呟きは不安に駆られてか。顔を伏せたレベッカに顔を向けて小さく告げる。
「俺は、確実に願いを叶えられるほど明確な結論は出せねえよ。そういうのは苦手だ」
燻りは研ぎ澄まされてやがて一本の芯の通った言葉となる。
投げ遣りなテオの言葉にレベッカは何処か悲しそうに表情を歪めて口を結ぶ。
レベッカとの校内警邏はその殆どが彼女の不安を埋めるための告白の場だった。
こうしてみたがどうだろうか。こうするべきだろうか。どうすればいいだろうか……。
向けられる言葉は常に疑問系で、その問い掛けにテオが少しずつ鬱陶しさのようなものを募らせるのは、仕方のない事だとは思いたい。
だからこそ、次いで放たれた言葉はテオ自身も無意識だったのかもしれない。
「それに決めるのは……俺じゃないだろ」
言って、その意味に気付き足を止める。
レベッカは俯いたまま歩みを止めて小さく肩を震わせる。
「…………そう、ですよね……」
どちらかに全ての責任があるとはテオは思わない。
けれどこうまで不信感を背負い込むレベッカの一端を担ったのは他の誰でもないテオで、彼女の行動には幾つかの原動力を与えてきたはずだ。
だからこそ、今まではその一線を踏み越えず当たり障りのない言葉で空気を濁していたのかもしれない。
テオは最初から気付いていた。結局、どんな結果に転ぼうとも最後に決めて行動するのはレベッカであり、テオはそれまでの助言者でしかないと。
だからこそ、心を鬼にしてレベッカに肩入れはしてこなかった。……いや、幼馴染から見れば十分に身を入れているのかもしれないけれど。
それでもテオ自身としてはまだ相談役のつもりで居た。
けれどその線引きも、今となっては随分曖昧なものだと思う。
レベッカと居るうちに知ったヴォルフの気持ち。
人の恋愛事情に首を突っ込めるほどテオも人生経験が豊富ではないが、それでも気付いてしまう。
ヴォルフはレベッカを拒絶し、レベッカはヴォルフの近くに居たいと願う。そのすれ違い。
二つを両立する術は殆どないに等しいだろう。恋と拒絶ほど相反し、背中合わせな感情はないはずだからだ。
だからこそ彼女から向けられる一種の羨望のようなそれに辟易し、そして壊れ物に触るかのような緊張に苛まれていた。
「……悪ぃ、ちょっと言い過ぎた」
沈みかけた思考をどうにか持ち上げて足を出す。
後ろを少し遅れてレベッカがゆっくりと着いて来る。
考えすぎだ。そうなって欲しくないからと、淡い幻想を押し付けているだけだ。
脳裏の相棒を思い浮かべて少しだけ叱咤する。
あれからヘルフリートとの関係も殆ど変化していない。
このままではいけないという焦燥感が先へ進む事を阻害して、何をすればいいのかを見失う……。今のテオはきっとそれに近い状態なのだろう。
同時にこの感情はいまレベッカがヴォルフに対して抱いているものと似通っているとも気付く。
その遣り切れなさを、レベッカにぶつけたところでそれはただの八つ当たりだ。
……考える事が多すぎて嫌になる。
慣れない思考に板ばさみになって身動きが取れなくなる。
それでも、差し伸べられる手だけに甘んじてはいけないか。
決心が少しでも原動力へと繋がればそれに越した事はない。
前例がないからこそぶつかった壁に理不尽さを重ね合わせて、とりあえず都合のいい敵を仕立て上げる。
脳裏に浮かんだのは幼馴染の顔で、その想像は半分ほど当たっている気がした。
ヘルフリートと契約したのだってあいつの提案があったって言うのもあるしな。
「とりあえず、答えは保留だ。また何かあったらこっちから提案させてもらうよ」
「……わかりました」
呟きに背後のレベッカが小さく答える。
素直でいい子なのだ。だからこそ力になってあげたいとも思うのだろうか。
胸の内に疼いた感情は、庇護欲のようなそれに変化を遂げて、テオの一部をまた少しだけ形成する。
そうして慣れない相談事と自分の問題。そして舞い込む委員会の仕事を巡って時を過ごし、気がつけば目の前に筆記試験が迫っていた。
勉強を疎かにしていたつもりはないが、それでも勉強に割くべき時間が減ったのは事実だ。
そうであるはずの事象が傾く事で不安感に駆られる。いつも通りに出来ていたとしても、満たされない感覚がその先を追い求めて焦燥を掻き立てる。
試験結果の首位を譲る予定はない。それはテオを形成する大事な部分を失う事と同義であり、今後のためにも必要不可欠な事象だからだ。
けれど余裕がなくなれば焦りが生まれ、焦りは誤答を生む。
心の余裕は調子の変化が齎す。
特に今はレベッカやクラウスの野望の他に、ヘルフリートとの事がある。
彼との間に繋がれた回路は未だ安定はしないし、改善の兆しは殆ど見えない。
それに苦手な可能性の模索で色々考えた結果、このままの放置が最も避けるべき未来であると共に、無鉄砲に距離を縮めるだけなのも悪手だと言うのもわかった。
妖精従きと契約妖精は心を通わせた分だけ二人の間の回路に影響が出る。それは良いほうにも悪いほうにも転ぶ余地があり、全てがいい事ばかりではない。
心の距離が離れれば最悪契約妖精を失う事となるわけだが、それは回路が閉ざされて存在の源たる妖精力の供給ができなくなるからだ。
では良い方はどうか。心が近づけば互いの波長が変化する。これによって行使する妖精術の効果を肥大させたり、回路を介しての意思疎通に影響を及ぼす。
けれどこれらは全て波長が変化した後の出来事だ。この波長の変化は、契約妖精にだけ起きるものではない。
確かに変質しやすいのは妖精力の扱いに長ける妖精達のほうなのだろう。けれど回路で繋がれた妖精従きと契約妖精は異なる波長を共有する共同体だ。その変化は契約妖精だけに留まらない。
つまり妖精力の波長の変化において、人間側にも波長の変化があるのだ。
妖精が人間の波長に合わせるのではなく、また人間が妖精の波長に合わせるでもない。言うなればこの波長の変化は互いの波長を混ぜて、二人が共有しやすい新しい波長を作り出す事に他ならない。
結果として妖精従きと契約妖精は妖精力の行使において少しばかりの得を受け、代わりにそれぞれが知らず波長を書き換えられる。
それは想像してみれば途方もなく恐ろしい話で、今まで自分のものとして扱っていた力が、いつの間にか別の波長を元とする別のそれへと摩り替わる事と大差ない。
そういう観点から、固有の波長を大切にする考え方も出て来るわけで。必要以上に仲を接近させず、あえて波長の変化を望まない妖精従きと契約妖精も存在する。
こういった背景を、テオとヘルフリートの関係に当てはめるとどうなるか。
テオは正真正銘の真人間で、妖精従きだ。だからこそ純粋なる炎を顕現させる波長を持つ。
しかしヘルフリートの波長は違う。彼自身のものと、そして冷炎の君主ヘンリックとの間に一度目の波長の変化。そして彼の死後、間を空けずに縫いとめられたこの大地で回路を結ばされた宝珠との間に、二度目の変化を起こしている。
それはあまりにも歪で、例えるとすれば幼馴染たるクラウスや、その相棒であるフィーナの血筋にも似通っているだろうか。
彼の本来の波長はとても希薄で、そして不安定だ。三つの波長を混ぜ合わせた彼の妖精力は、テオとの間に回路の形成を難しくさせている。
そんな彼と、もしこのまま距離が開いてしまえば……。はたまた距離が縮まってしまえば……。
片や彼の存在自体を消してしまう事に繋がり、そしてもう片やはテオの妖精力の波長まで歪に曲げてしまう事だろう。
波長が変化してしまえば今までのように自由に妖精力を行使する事が難しくなる可能性だってありえる。
彼との回路を強く結び付けようとすればするほど、嫌な想像が巡って心のどこかで嫌悪感を抱く。そうしてヘルフリートとの回路を閉ざしてしまう。
ならばどうすればいいのかと、問うたところでその答えにたどり着けはしなかった。
賢いはずの頭脳は義務的な知識で埋め尽くされ、その域を出た新たな試みにはまるで手が届かない。
基礎を習い、応用を重ねて、妖精憑きとして妖精従きとしてその最前線を走ってきたはずの知識が結論として残酷な未来を突きつける。
何が学年首位だ。何が主席候補だ。
そんなの、この学院の機械的な先人をなぞるだけの授業という名の知識遡行を、小さく雁字搦めな杓子で測っただけではないか。
どれだけ見聞きした話を解釈しそれを修めた所で、それは結局全員同じ事を学んでいるだけに過ぎない。
そんな煩雑で平凡な知識を比べたって、結局理解と記憶の問題で、習わなかった事に対して視線を背けているだけではないか。
ならもっと外に視線を向けて習おうとしなかったテオが悪いのかと。生まれたのは嘲笑だった。
やっぱり、学を修めるその意味なんてものは、人から教えられた事をよく理解して従順に従う都合のいい人形を作り出すだけのある種洗脳だ。
そこに……どれほど学んだ事を理解しているかという杓子を当てることで、馬鹿か賢いかという二つで括って線引きする。
テオたちが試されているのは機械的に物事を処理する能力であって、知識の有無ではない。
知識が齎す賢しさではない。
都合のいい歯車であるかどうかだ。
だからこそ、歯車になりかけているテオには、前例のないヘルフリートとの問題を解決する術を持ち合わせては居ない。
前例がないから正解がない? 結果的にいい方に転べばそれが正解? それは違う。
前例があるから模範的回答が生まれるんだ。その模範を、人間が持ち寄った無意識の善で『これは正しいから従うべきだ』と決め付けているだけだ。
なら……もしそれが勘違いの上に成り立った間違いであるならば、模範が間違いであるならば。
正解とは……正しい行いとは……正しい選択とは一体なんだろうか?
それこそ、『都合のいい結末』なのかもしれない。
だったら、ヘルフリートとの間に見出す『都合のいい結末』とはどんなものだろうか?
一妖精従き、そして契約妖精たるヘルフリートの事を考えて結論を求め彷徨う。
『都合のいい結末』。それはテオが考える都合で、想像だ。
テオが望む誰もが得をする未来。
ヘルフリートが不自由なく過ごせる環境。彼を外に出すという約束。
必要なのは……自由な翼。
ヘルフリートの妖精力の波長を彼本来のものに戻してやりたい。その上で、彼が良いと許してくれるならテオ自身の妖精力と同調させたい。
彼が胸を張って自由だといえる世界を見せてやりたい。
想像は夢物語で、けれど理想だ。
だからこそそうするために考えて、そして挫折した。
テオの知識では彼の不安定さを拭う事ができない。
ヘルフリートが契約に縛られていなければ波長は自然と戻る。けれどヘルフリートとの契約を破棄すれば、彼はすぐに彼自身が保有する妖精力を使い果たして消滅してしまう。それに契約を意図的に破棄する方法も未だ発見されていないのだ。
では誰に出来るのかと。
一度契約をした人間と妖精を、その契約を破棄せずに何の問題も起こすことなく元通りにするなど。
…………そんな技術聞いた事がない。気になって文献を調べても見たがやはり前例がないことで、似た話もなかった。
もし何処かにあったとしても、それは事象があるだけで解決策が示されているわけではないだろう。
未知の病気に対抗するにはどうするべきか。
解析、抗体──
妖精力にそんな話は殆どないに等しい。
医療関係ならばまだしも、妖精力自体の研究でそんな話は聞いた事がない。
研究の一環として妖精力を打ち消す物質を作ろうとする試みはあるが、完成したところでこの世から妖精力がなくなるわけではないだろう。
それは同時に妖精の人為的消滅であり、今の生活基盤が根底から覆る事になるからだ。
良くも悪くも、世界は妖精に満ちている。
ならどうしろと──
悩んで、苦しんで、挫折してはまた悩んで…………。
そうして気付けば筆記考査が終わっていた。
目の前に張り出されれた順位表に、その頂点に君臨する自分の名前に安堵と忌避感を覚える。
どんな状況にあろうとテオはテオだ。そう簡単には変わらない。
けれど何かを踏み違えれば一瞬にして己を構成する一部が元に戻せないところまで書き換わるかもしれない。
慎重に、けれど早急に。
板ばさみは遣る瀬無さを生み出し、やがて歩みを停滞させる。
「テオはこの後は?」
「残る。用事があるからな」
「そう、わかった。また今度」
隣から上がった声に反射的に答えて小さく息をつく。
流石のクラウスでもこの問題に二つ返事は難しいだろう。それに今はレベッカ……ヴォルフの問題もある。
自分の事も大事だが、その一端にレベッカが関わっているのも事実なのだ。
まずは目の前に焦点を合わせなければ。
落ち着いた思考で目の前の模造紙をじっと見つめる。視線をやった先はハーフェン級の成績順位表。上から視線を走らせて目的の名前を見つける。
できる事は小さいが、その行動はきっと何かに繋がると信じる。
深くは考えず淡々とやるべき事をやり遂げる。これ以上混乱が起きない事を願って。
そんなテオの期待とは裏腹に、放課後向かった委員会は少し慌しくなっていた。
原因は唐突に突きつけられたヴォルフの退学話。
話を耳にして一瞬伺う事のできたレベッカの顔は、何かに勘付いた様子だったのが気になるところだが今となっては確認の術がない。
彼女は逃げるように駆け出していってしまったし、追いかけたのはユーリアだった。
考える事が多すぎて、逡巡が足を前に出さなかった。
その悔しさと、遣り切れなさをどうにか一つの言葉にして幼馴染に問い掛ける。
「……どうして追わなかったんだ?」
「そのほうが都合が良いからだよ」
返ったのは慈悲の欠片もないクラウスらしい言葉だった。
クラウスもクラウスなりに悩んでいると言う事だろうか。まぁ今みたいな言い方をするという事は今後動きがあるのだろうと想像する。
テオにはクラウスのように考えて行動するのは苦手だ。考える事はできてもそれを形にする事はできない。
それに真似できない点を重ねるとすれば、クラウスはある程度柔軟だと言う事だ。
権謀……臨機応変な謀。可能性を模索していくつもの状況に応じた対応策を練り、唐突な問題にはその場で彼の最善たる選択を選ぶ。
その最善はクラウスにとっての最善であって、他の人物にとっては害を被る結果に転ぶ事もあるのだが、被害の先に得るものがあれば満たされるのが人間であり、そこを利用するクラウスは本当同じ人とは思えないテオだった。
柔軟な思考。それは時に想像もつかない方法で辻褄を合わせる一つの武器だ。
だからこそ、テオはクラウスに頼りたい。テオの想像で解決できない問題を、彼の想像で解決して欲しい。
テオの望む理想を、間の辻褄を不恰好に手繰り寄せて、結論から過程を作り出して最良の景色を作り出して欲しい。
その為に不変の決心をする。
テオの目的はテオ個人と、そしてヘルフリートの自由だ。その結末だけを盲目に夢見て、焦点を外さない。理想の景色を見失わない。
──夢は目標で、目標を抱くのならば叶えるために努力をするべきだ。行動をしなければ、何も生まれはしない
遠くを見据えた灰色の瞳が寂しそうに揺れて、記憶の中で声が反響する。
クラウスがいつの日か口にした彼を形作るその一つだ。
確かにその通りなのだろう。
望んで手に入る未来ならば、行動を起こす者はいない。
望みはやるべき事をやり終えて、その先に縋る希望なのだ。前提として、行動しなければいけない。
再び幼馴染の言葉に返って、苦手分野に足を踏み入れ、考える。
言葉通りに聞けば理想があるならば立ち止まっていてはいけないということなのだろう。
けれど裏を返せばそれは別の言葉とも繋がる。
目標を抱くのならば、目標へ辿り着く道を描き出せ。
夢は目標であり、理想だ。だとするならばそれは一つの結末と言い換えても良いかもしれない。
決まった結末に至る辻褄合わせの物語。
理想を叶えたければ、強引にでも足場を作り出して前へと進め。
目標へ至るための、理想の過程を想像しろ。
埋もれかけた思考を再燃させる。
一歩ずつでいい。楽だけを考えるな。遠回りでもいい。理想に向けて道を作り出せ。
自分にできない事は仮想の他人に押し付けて意地でも想像を繰る。
自由を手にするために、ヘルフリートの元通りが必要で。その為には何らかの方法で彼の妖精力の波長を元に戻す。その方法は…………。
ここをクラウスに丸投げする。
つまりクラウスに頼らないといけない。その頼みの綱は、今別の案件で頭を悩ませている。だとするならばどうするのが一番自然か。
…………自分のために、クラウスの抱え込んでいる他人の問題を解決する。
ならば今から何ができるか。
そこに首を突っ込むためにはどこから話をこじ開ければいいか。
……レベッカか。
彼女の相談をもう一度真剣に受ける。その結果に、クラウスの抱えている問題が少しでも軋むなら、その役割を徹しよう。
決断は原動力となり、今を生きる糧となる。
レベッカと向き合う時間が必要だ。その為には、委員会の仕事を最優先に考える。
遠くに向けていた視界が、目の前に引き戻されて壁と言う名の目標を突きつける。
未来を作るのは、今からだ。
気づいた時には、手元の書類に目を落としていた。
それからの時間は色を伴って。鮮明が故に次の景色に上書きされていく時間の連続だった。
まず最初に目に入ったのは幼馴染の苦悩の姿。
道しるべを見失ったように考え込む彼の姿に、幼馴染として以上の期待を込めて話を聞いた。
「──で、何に悩んでるんだ?」
「ん? ……うん。困ってる……といえば困ってる」
「何だそれ」
「僕もよく分かってないんだよね」
要領を得ないのはクラウス自身もまだ何かに悩んでいるからだろうか。
あまりこういった側面を見せない幼馴染の姿に空気を崩されながら、だからこそ自分の存在を強く感じる。
「特に何をしてるわけではないんだけど、何処か都合のいいように事が運んでる気がするんだよね」
「…………それは先輩のことか?」
「……たぶん」
疑問にも満たない言葉に、思いついた納得を追随させてみるが反応は芳しくない。
彼がヴォルフとレベッカ、そして委員会の事で悩んでいるのはいつもの事で、そのどれに悩んでいるのかは傍から見聞きすれば捉え辛い。
いや、結びついていないだけでもっと別の視点があるのかもしれない。
「僕が駒、なのかな」
「珍しいな」
「そうかもね」
呟きに、天恵の様に悟る。
何かまた知らないところで彼を構成する一部分が形成されつつあるらしい。
そこにテオやユーリアの存在はとても薄くて、だからこそ単純な情報としての感度と重要性は彼の中で上位に位置づけられている。
容易に関わる事ができなくて、後から変更する事が難しい。だからこそ最初の一手に迷っているということだろうか。
脳裏にテオの知るクラウスを描き出して、彼の行いを客観的に分析する。
何事にも冷静で、保守的で、情報を主とする行動の仕方。
感情を否定し、理由をなしには物事を語れない性格。
そこに必要なのは……単純明快な情報の取捨選択。
何を使い、何を捨てるか。何を望み、何を手に入れるか。
だとするならば、迷っているのはどこか。
目的への過程と同じで、理由なんてものは後付でどうとでもなる。第一、テオにクラウスの全てはわからない。正当化する理由は自分で考えてもらうしかない。
ならば取捨選択……。見失うと言う事は、その焦点がどこにあるのかをわかっていないと言う事だろうか。
そういえばと思う。
今回の話でクラウスは殆ど動いていないように思う。
それはコルヌ家という大きな存在があって、身動きが取れないからだろうか。後手に回りすぎて情報が増え続け、処理しきれなくなっているのではないだろうか。
いつもなら、テオなりニーナなりに情報を求めて動いていてもいいはずだ。
その彼が動けない。つまり動かすべきか動くべきか迷っている。
言葉にならない衝動が胸を突いて、支離滅裂気味に声を発する。
「どっちかだろ」
「どっちって?」
「使うか使われるか」
言いたい事はもっとあるが、言葉にならないもどかしさ。
遣り切れなさに歯噛みをしつつ、どうにか言葉を伝えたいと頭を捻る。
しかし次の言葉を放つ前に、こちらに向いていた灰色の瞳が何か炎を宿して見つめていた。
「……テオ、聞きたい事があるんだけど」
「答えられることなら答えるぞ」
何かの力になれたのだろうか。
空虚な達成感に不完全な結実を感じながら幼馴染の声に耳を傾ける。
次いで放たれた幼馴染の言葉に、軋んだ歯車の音を聞いたのはテオだけではなかったはずだ。
「フォルト、狙えるか?」
「────任せとけ」
フォルト。フォルト級。この学院の最上位階級。
それは期待というよりは願望の色を濃くして。向けられた言葉に力強く頷く。
中間地点を頭の中の理想に刻む。
ヘルフリートの波長を元に戻して、フォルト級へと上がり、彼に自由の翼を。
方法なんてものは後付だ。難しい事はクラウスに任せて、俺は盲目に前だけを見据えていればいい。それがきっと、彼の力へと繋がる。
理想はいつしか叶うという確立した未来へと紡ぎ始める。
叶えるんじゃない、叶うんだ。
そう信じた結末が、目の前の未来の何処かに落ちている事を確信して足を踏み出す。
失敗を、恐れるな。
言い聞かせた決心は、いつの間にか自分の信条へと変わっていた。
そんな一幕を過ぎて一週間ほど経った頃、テオを訪れて一人の生徒が相談にやってきていた。
時は試験勉強期間で、前のとき同様委員会の仕事がなかったので会う機会がほとんどなくなっていた女性徒……レベッカだった。
「──と言われたんですけど、グライド先輩はどう思いますか?」
彼女からの相談はどうやらクラウスに対する疑問だった。
テオの言葉がどんな影響を与えたのかは分からないが、彼が動く原動力となりレベッカと接触をした。その時にクラウスはレベッカに向かってヴォルフに告白しようと提案したらしい。
今まで何度か告白をしているレベッカにとって、これ以上の収穫はないと感じるらしく、それ以上にヴォルフに嫌われるかもしれないという想像が湧き上がったらしい。
その原因を探れば、クラウスの提案に行き着いた。そこでこれまで相談に乗ってくれたテオに話を持ちかけたらしい。
何も知らないで居られたなら、クラウスの提案は無鉄砲で意味もないと割り切れたのだろう。
けれどテオはクラウスの事を良く知っているし、クラウスもテオの事を気には掛けていてくれる。
だからこそ、クラウスがレベッカに提案したその意図も想像でだが分かるのだ。
レベッカが告白する事によって何らかの変化が起こり、クラウスに有利に働く。
クラウスが動きだしていることはテオも知っているので、だからこそ決まっている答えを出すのが辛く苦しい。
テオの望みは目下クラウスの問題解決だ。そうなればクラウスに有利に働くこの相談は、レベッカの背を押すのが正解であり、何よりヘルフリートとのことへの近道だろう。
けれどこれまでいくつもの相談を受けてきたテオは、レベッカの疑問と足踏みにも共感できる。
だからこそ、クラウスのように人の好意を無情に切り捨てる事もできなければ、レベッカからの謗りも受けたくはないのだ。
近道たる答えは目の前に…………。踏み出せば何処かの流れが遠回りに…………。
「あの…………」
切り詰めたような弱々しい声音はテオの焦燥感を掻き立てる。
どう答えるべきだろうか。
迷いは沈黙を生み重たい空気が横たわる。
「……答え聞いて、それに素直に従うのはどうなんだろうな」
搾り出した言葉は棘を伴って。
逃げのような呟きにレベッカは歯を噛み締める。
胸を張って、そこにレベッカの意思はあるのかと問えればどれほど気が晴れただろうか。
けれどそこまで自信を持つには、まだテオには考える事が沢山ありすぎて。再び降った沈黙に二人して黙り込む。
「…………そう、ですよね。このまま流されているままじゃいけませんよね」
その言葉を、聞きたかったのだろうか。
自分の胸に問うてみても答えは出なかった。
「一度頼りきりな自分を捨ててきます。それでまた困ったら、その時は相談させてください」
前向きな言葉に、挟む声を失ってその背を見送る。
そこまで非情にならなければ理想を掴み取れないのかと、声を大にして叫びたくなる。
けれど彼女の意思を蔑ろにして、その上に成り立った自分の幸せにテオは胸を張っていられない。
ならば、考えなくては。この先自分に正直になるのか。それとも自分の我を突き通すのか。
そんなレベッカの相談を受けて一週間とちょっと。間に二度目の筆記試験を挟んで、いつも通り首位を掻っ攫って。
レベッカの相談は言われた通り一度告白をして、その告白と共に過去の自分と決別する事で折り合いを見つけたらしかった。
そうして流れた時間は殆どを委員会に搾取され、同時に自由な時間もいくつか増えた。
自由を委員会の仕事に更にあてて、また生まれた自由を更に仕事へと回す。
結果生まれたテオの自由は仕事を一度サボれるほどに膨れ上がり、心の余裕を生み出す。
自分のことに向き合う。
そう願って始めた仕事は、やはり一筋縄ではなかったがどうにかここまでこじつけた。
今日も今日とて変わらず疲労に後押しされて学院を後にする。
途中で、クラウスの姿がない事に気がついたが、そんな事に気を取られていても仕方がない。
変わらぬ足取りは寮へと戻り、自室の扉を押し開く。
「…………ヘルフリート、いるか」
「……あぁ」
開口一番、部屋の窓から群青に染まった空を眺めていた相棒に声を掛ける。
煩わしそうな声は数ヶ月前の屋上の一件からのもので、あれ以来彼とはまともに会話もしていない。
契約妖精は妖精従きから供給される妖精力があれば生きていける。娯楽や、人間と同じ幸福を味わうために一緒に食事をする契約妖精が殆どのため、食事をしなければいけないと思い込む人間もいるがそれは違うのだ。
もちろん、食事といった食材の摂取により幾つかの得はある。娯楽の消費を極々微量ながら妖精力に変化する事ができるのだ。
生体構造が少し異なる妖精では動くための原動力は妖精力以外に必要ない。また、食事をしなくても良いため排泄器官もない。
その為妖精が人間と同じ食事を取るというのは、感覚の共有や興味といった側面が大きい。
便利でもあり、そして選択も出来る。自由というのはこういった、いくつもの選択肢がある事を言うのかもしれない。
「話がある。少しいいか」
「……平行線だと思うのだが」
「極炎法衣の話じゃない。……いや、そこにも繋がるのかもしれねぇけど」
テオの言葉に、窓の外へと向いていた視線がぐるりと回る。
こちらを向いたエメラルドの瞳に宿るのは猜疑心。確かにその気持ちも分かる。
蔑ろにしていたのはテオのほうで、避けていたのはテオのほうなのだ。
だからこそ後ろめたさから向き合う事を恐れていた。彼の心の奥底に根付く嫌悪感を刺激して、彼の反感を買う事が怖かった。
言葉にしてみればそれは単純で、けれどだからこそ触れるのが怖かった。
「……屋上での事は、悪かった」
下げた頭は覚悟の表れ。
「焦ってたんだ。ヘルフリートが俺の契約妖精で。幼馴染の期待もあって。自惚れてもいいなら、俺がいなければあいつはまだ足踏みをしてたはずだから」
吐露した言葉は禁忌のように響いて心の弱さを開示する。
「あのとき、ヘルフリート言ったよな」
────人間は面倒くさい
呟きは脳裏に呪いの様に楔を穿ち、前へ進む事を躊躇わせた。
けれど時間はあった。考える時間。その間に出した一つの結論は連鎖して別の事柄にも答えを導き出す。
それはとてもではないが真実には遠くて、テオがただ納得するだけの自己満足な結論。
「あれは、悩んでる人間が面倒くさいって事か?」
「……………………」
答えは返らない。
降りた沈黙を肯定と受け取って納得しておく。
「なら悪かった。あの時はあいつの言葉に言われるままで、俺の意思はなかった。それに嫌になったんだろ」
「…………だったらどうする?」
重苦しく響く声はテオの胸を締め付ける。それは脅迫のようであり、何より困窮の末に最後の希望に縋る声のようで。
真っ直ぐに刺さる宝石のような双眸を真正面から見つめ返して避けていた言葉を口にする。
「俺と一緒に来てくれ。そうすればお前を再び外へ出してやる」
それは初めて彼に会ったときに紡いだ言葉に重ねて。あの時にあった遠慮を置き去りに、テオしか持ち得ない自信を据えて。
初めて同じ目線で言葉を交わす。
「俺の未来をお前に預ける。だからお前の自由を俺にくれ」
湧き上がったのは心の底からの笑顔。
自然と、恐怖は感じなかった。拒否されるとは思わなかった。
小さいながら回路で繋がっているからか。それとも歪な中に残った彼本来の波長がテオのそれと混ざり合ったからか。
試すように。たっぷり数秒見つめたヘルフリートは、それから徐に翅を揺らして宙へと浮かんだ。
「いい顔だ。我輩の片棒を担ぐのだ。それほどの気概がなくてはな」
随分と不遜な笑みに、小さく失笑する。
足りない言葉と不器用な性格と。やはり自分たちは似ていると。心のどこかで折り合ってようやく二人の道を歩み始める。
胸の内には燃え盛って尽きない前へと向かう意志の炎が宿っていた。
翌日は随分と空気が重く感じた。
テオの勘違いなのかもしれなければ、実際にそうだったのかもしれない。
ただテオの中では前日までとは確実に変化していて。覚悟の表れとして今日は学院の中でもヘルフリートも一緒だ。
学院に着くと幾人かの目敏い級友が声を掛けてきたが、予めクラウスに言われていた通り言い訳はせず正直にヘルフリートの事を明かす。
どうやら委員会に英雄的妖精が居る事を看板に出来るとかである程度は隠す気はないらしい。
それにあまり詳しくは覚えていないが、テオが契約する事によって国の保護下から学院の妖精従きと契約妖精という扱いになって注目度が上がるとか、国との交渉材料に出来るとか。後は学院に保護されるとか……あまり聞きたくはない物騒な単語を交えて色々言っていた気がする。
本当に戦争を起こす気はないんだろうかと疑いたくもなるが、その対極を目指そうとするクラウスだと信じて今は彼に従う。
最悪、クラウスの近くを離れれば縁遠くはなれるのだから。
何よりクラウスは過去に堅く約束してくれたのだ。妖精を巻き込んだ戦争を起こす気はないと。
それが平和を目指す事と同義でないのはテオも分かってはいるが、戦争が起きなければ命が果てる要因を一つ減らすことにはなるはずだ。クラウスに言えば、綺麗事だと笑われるかもしれないが。
そんな幼馴染に、今回ばかりは信頼を置くしかない。
テオにはもう打つ手がないのだ。いくら調べたところで、その論理を覆す材料が見つからなかったのだから。
妖精力の波長の歪み。これはテオ一人ではどうする事もできない。
その前提を覆して、空想論な想像を現実にするために。テオができる協力は惜しまない。
これはヘルフリートのためであり、何よりテオ自身の望みのため。
迷いはもうない。
決意は前へ進む原動力へと変わり、時間は刻々と同じ調子で進む。
待ち遠しかったといえばそれだけで、けれど耐え難い時間ではなかった。
委員会の仕事はここ最近では珍しく、正規の構成員が全員顔を突き合わせ、その傍にこれまた契約妖精が付き従う。
きっと何の問題も無ければ最初からこうだったはずの景色は、けれど紆余曲折を経てようやく今に形となる。
まだまだ問題ばかりで、どうにも一体感に欠けている空気は、前より少しだけ温かみを増している気がした。
委員会の仕事中には、これまた珍しくアンネが顔を見せて彼女も加わり、この委員会を設立した当初の少し歪なメンバーで過ごした。
そんな少しだけ変化したいつも通りを終えて、目の前に夏の長期休暇を控えた放課後。
頭上を彩る群青の天蓋は幾つかの星と月に照らされて淡く色付き、また一滴黒い絵の具を落とされては薄暗く深みを見せていく。
冴える銀月に永久の常識を映して、これから起こる新たな事象を深く刻み付けるように。
「クラウス、報告だ」
テオの景色には途方もない時間、変貌を遂げる大地を見下ろし続ける外の世界が浮かび上がる。
それはテオが夢見た理想の世界の姿なのかもしれなければ、混沌としたこの生きとし生けるものが育む世界の全容なのかもしれないと意味もなく考えて。
「そろそろ俺も動けるぞ」
小さな呟きは、世界の理を軋ませる。
「そっか。これから、忙しくなるね」
それまでとは打って変わって、狂喜のように歪められた表情と声を横に聞く。
やっぱりこいつは何かが欠けている。
テオからしてみればそれは、理性なのかもしれない。
でなければ、戦の幕を引いた英雄的妖精を利用してまで自分の願いを叶えようとはしないはずだから。
そんな幼馴染を利用しようとするテオも、また理性の箍が外れているのだろうか。
何か自分の恐ろしい錠前に触れた気がしつつゆっくりと目を閉じて振り返る。
足を止めた幼馴染の顔を真っ直ぐ見据えて、肩上の相棒の背中を小さく押す。
「お初にお目にかかる。我輩はヘルフリート。主、テオ・グライドの契約妖精だ。よろしく頼む、クラウス・アルフィルク」
重厚な、責任よりもなお重い誓約の如き風格を纏った響きに、誇らしくもなり恐ろしくもなる。
俺はこいつの妖精従きだ。
歩むべき道は、ヘルフリートと共にある。
改めて自分の踏み込んだ茨の道を障害だらけだと確信して目の前に焦点を合わせる。
「よろしく、ヘルフリート。僕の事はクラウスで構わないよ」
「心得た」
今を生きなければ、未来は来ない。
「何時から動く?」
「とりあえず今学期中に出来るところまで。後は夏休みで大きな奴を一つ片付けようかな」
「わかった。俺はどうすればいい?」
「……とりあえずお偉い方にお話でも聞きに行こうか。詳しい事は明日」
「まっ、難しい事は任せるよ」
「テオらしいね」
気負いのしない幼馴染の声に、気を張りすぎかもしれないと少しだけ胸の緊張を解く。
ここから始まったのではない。始まりの中に居てそこから足を踏み出しただけだ。
吐いた息は鼓動を落ち着けてまた一歩前へと進む。
今度はどこで誰の道と交わるだろうか。そんな期待も何処かに潜ませて、時間はまた動き出す。




