【第10話】:ビジネス街の偶然と、変わらない笑顔
ピピピピ、ピピピピ──。
ちゃぶ台の上のスマホからけたたましいアラーム音が響き、俺は重い瞼を開けた。
壁の時計を見ると、午前7時。
寝ぼけた頭を振りながら、そこでハッと気づく。
(……あ、そういえば今日のシフト……『夜勤』だった……)
今日は22時からの勤務だ。わざわざこんな早朝に起きる必要はどこにもない。
(……まあ……いっか)
二度寝しようかとも一瞬頭をよぎったが、せっかく整い始めた生活サイクルが崩れるのは嫌だった。俺はそのままガバッと起き上がると、四畳半の布団を丁寧に畳んで押し入れへ放り込んだ。
手早く朝食を済ませ、テレビの電源を入れる。
朝のワイドショーでは、昨晩俺がスマホで見たサカモトのあの動画が取り上げられていた。
『──いや〜、CGの技術もここまで来ると本物と見分けがつきませんねぇ!』
『新手の動画クリエイターか、はたまたマジシャン気取りといったところでしょうか? ガハハ!』
画面の中のコメンテーターやアナウンサーが、事の重大さも知らずに能天気な顔で楽しそうに笑い合っている。
(新手のマジシャンとでも思っているのかよ……)
能天気でお気楽なテレビの画面に猛烈にうんざりし、俺はリモコンのボタンを押してテレビを消した。
「……起きたのはいいけど……どうするかな……」
ぽつりと独り言を呟いた俺の頭の中に、ふと──千砂の顔がパッと浮かび上がった。
現実世界に帰ってきたら、真っ先に会いたいと願っていたはずの幼馴染。
だが、今の俺はまだ築古アパートでコンビニバイトを始めたばかりの半人前だ。「ちゃんと社会復帰できた」と胸を張れる自信が持てず、なかなか勇気が出ないまま連絡を躊躇っていたのだった。
特にやることもないため、俺は身支度を整えてアパートを出た。
夜勤は22時からだ。時間はたっぷりある。
朝の通勤・通学ラッシュの混雑の中を、行くあてもなく流されるように歩く。
目の前を歩いている一人のスーツ姿のサラリーマンの後ろを何となく一緒について歩いているうちに、そのまま吸い込まれるように電車に乗ってしまった。
5つ先の駅で、そのサラリーマンと一緒にホームへ降りる。
駅から地上へ出ると、そこは巨大なビル群が立ち並ぶビジネス街だった。
見上げるほど空高く聳え立つオフィスビル群を背に、俺は大きく両手を広げて背伸びをした。
後ろから歩いてきた通勤途中のおばさんに「ちょっと、邪魔よ」と言いたげな嫌な顔をされたが、特に気にもならなかった。
(……俺はもう……部屋に閉じこもっていた引きこもりじゃないんだ……)
行くあてもなくビジネス街の歩道を歩いていると、ふと視界に入った大きなビルの壁面に、見覚えのありすぎる社名ロゴが刻まれているのが目に留まった。
「……これって……千砂の勤めている会社……か……?」
異世界にいた時、奇跡的に一度だけ通信が繋がった千砂とのリモート画面。あの時、画面の背景に映り込んでいた会社名を、俺は片時も忘れずに覚えていたのだ。
導かれるように、俺はそのビルの敷地前まで歩み寄った。
首が痛くなるほど高いオフィスビルを見上げ、あの何百とある窓のどこかで、今まさに千砂が働いているのだろうか──そんなことをぼんやりと考えていた、その時だった。
ドスンッ!
「あっ……!?」
後ろから歩いてきた人に背中をぶつけられ、俺はバランスを崩してよろめいた。
「す、すみませんっ!!」
後ろから若々しい女性の焦った声が響く。
「あ……大丈夫です」
俺はそう答えながら、彼女が衝撃で路上にぶちまけてしまった資料ファイルを一緒に拾い集め、手渡してあげた。
彼女はそのファイルを受け取り、恐縮したように「本当にすみません、考え事をしていて……」ともう一度深く頭を下げた。
そして、上げた顔。
俺と彼女の視線が、至近距離でバチッと交差した。
一秒──二秒──。
時間の流れが止まったかのように、二人の間に静寂が流れる。
「千砂──」
「マモル君──」
二人の声が、完全に重なった。
彼女の大きな瞳にジワリと涙が滲み出し、次の瞬間、大粒の涙が頬を伝ってボロボロとこぼれ落ちた。
「マモル……ッ!! 会いたかった……ッ!! 会いたかったよぉ……ッ!!」
俺はその涙で濡れた目をまっすぐに見つめ返し、静かに、けれど力強く答えた。
「……俺も……会いたかった……」
──12時30分。
オフィス街の一角にある、おしゃれなカフェの一番奥のテーブル席で、俺はアイスコーヒーを飲みながらガラス窓の外の通りを眺めていた。
腕時計に目をやる。時刻は12時35分。
もう一度外に目をやると、通りをこちらに向かって必死に手を振りながら、走ってくる千砂の姿が見えた。
あの頃と何一つ変わらない、明るく弾けるような笑顔。
(そういえば……高校時代、休日の約束に遅刻してきた千砂を駅前の喫茶店で待っていた時も……あんな感じで必死に走ってきたっけな……)
カランコロン♪
ドアのベルが軽快な音を立てて開き、千砂が店内へと飛び込んできた。
彼女はまっすぐに俺の席へと近づくと、向かいの椅子を勢いよく引いて座った。
「ごめんっ! 待った!?」
「……おせーよ」
「あはは、ごめん! ちょっと午前中の仕事が長引いちゃって!」
千砂はテヘッとペロリと舌を出して笑ってみせた。
あの頃とまったく同じだ。待たせる理由が『部活』から『仕事』に変わっただけ。
「でも、本当にびっくりした……! まさかあんな会社の真ん前で会えるなんて思わなかったもん!」
「俺だって驚いたよ」
そう言って笑い合う。
「前にリモート画面で偶然あなたを見つけた時……私、本当にもう二度と会えないんじゃないかって……すごく怖かったんだから……」
そう言うと、千砂の瞳に再びうるうると涙が滲み始めた。
「……俺だって、無事にこっちに帰ってこれるとは思ってなかったよ」
「……ねえマモル、一体どこに行っていたの? 今まで何をしていたの? ……それにしてもなんか、同い年とは思えないくらい肌がツヤツヤしてない……? あっ! そうか! 引きこもりは日光に当たらないから歳を取らないのね!?」
そんな失礼極まりない軽口を叩きながら、千砂は注文を聞きに来たウェイターさんにランチのパスタセットを注文した。
「マモルは何にする?」
「俺はいいよ。……てかお前、今サラッと俺の引きこもり過去をバカにしやがったな?」
「あはは、ごめーん!」
「ふっ……ははははっ! ははっ!」
顔を見合わせ、二人して思わず大声をあげて笑ってしまった。
異世界から現実世界へ帰ってきて、こんなに心から笑ったのは初めてかもしれない。
俺は目の前の温かい料理を嬉しそうに食べる千砂の笑顔を、どこか眩しそうにじっと見つめていたのだった──。




