第59話:使い終えた魔石が、熱を運び始める
星環暦1284年・恵雨月≪第8月≫30日・闇曜――
アスタリア大商会本部・会長執務室。
朝の執務机には、王国銀行アスタリア支店の開業後報告、《アスタリア熱供給都市実験実証区画》の工事進捗、各地で進む支部・住宅建設の工程表、そして《アスタリア企業群》各社から届いた定例報告が順番に積まれていた。
シェリィは最初に王国銀行アスタリア支店の報告へ目を通し、企業間小切手の運用開始後も重大な決済異常が確認されていないことを確かめると、そこへ必要以上に時間を使わず、次の工事報告書へ手を伸ばした。
制度は始めることより、始めた後に通常業務へ組み込めることの方が重要であり、毎日自分が付き添わなければ維持できない制度なら、まだ完成した仕組みとは呼べない。
《アスタリア熱供給都市実験実証区画》では、地下共同設備空間の施工と並行して地上施設の工事も進み、熱供給管・戻り管・魔導通信設備・制御設備・安全遮断設備を通すための経路が、図面の上だけではなく実際の街の地下へ少しずつ形を現していた。
支部や住宅の建設についても重大な工程遅延はなく、《アスタリア企業群》各社の定例報告にも、この朝ただちに経営者会議を招集しなければならないほどの異常は見当たらなかった。
シェリィが最後の報告書へ手を伸ばしたところで、書記から新しい資料が差し出された。
差出元はベルナート精製素材商会とアスタリア大商会技術研究部の連名だった。
シェリィは表紙を開き、最初の一文で指を止めた。
使用済み魔石精製試料について、熱伝導試験用部材の加工が完了した。
前日の29日・土曜を使い、ベルナート精製素材商会と技術研究部が試料の再確認と接合加工を行った結果、短距離の熱伝導試験へ進める状態になったという報告だった。
「ようやく、ここまで来ましたか」
口元に僅かな笑みが浮かんだが、シェリィはそこで立ち上がらず、報告書の続きを最後まで読んだ。
粉砕、不純物除去、再成形を経た後にも耐熱性と耐魔力性の特徴が残り、さらに単なる板状の試料ではなく、他の部材と接合できる形へ加工できたことが記されている。
それは、第55話までの研究で確認していた「素材としての将来性」から、実際の装置へ組み込める可能性へ進んだことを意味していた。
だが、まだ可能性でしかない。
加工できたことと、実用品として使えることは同じではなかった。
シェリィは報告書を閉じ、予定表を確認した。
「午前の定例業務は予定どおり進めます。午後の試験には参加すると伝えてください」
研究結果が出るたびに自分が研究室へ張り付けば、アスタリア大商会全体の仕事が止まる。
研究者には研究者の仕事があり、経営者には経営者の仕事がある。
その線を崩さないこともまた、組織を大きくするために必要だった。
◇
同日午後――
アスタリア大商会技術研究施設・熱供給技術試験区画。
シェリィが試験区画へ入ると、すでに3種類の比較用部材が試験台へ並べられていた。
一般的な金属製の試験管、これまで熱供給設備で使用を検討してきた従来型の耐熱素材、そして正式名称をまだ与えていない《使用済み魔石精製試料》から加工された伝熱用試験部材である。
試験部材の横には、さらに同じ《使用済み魔石精製試料》でも由来の異なる試料が分けて置かれていた。
一方は通常の使用済み魔石から作られたもの、もう一方は熱源として使用する前にシェリィが魔力を通し、その後使い終えた魔石から作られたものだった。
出迎えたフェリクス・ベルナート(36歳・ベルナート精製素材商会アスタリア支部技術責任者)は、試験台の上に置かれた部材を示した。
「昨日までに、粉砕・不純物除去・再成形まで終えましたが、耐魔力性と耐熱性の特徴は失われていませんでした」
シェリィは黒灰色の部材へ視線を落とした。
「再成形しても残ったのですね」
「はい、それだけではなく、今回は接合部を設けられる形まで加工できていますので、単体試料ではなく装置部材として試験できます」
フェリクスの言葉に、シェリィの視線が接合部分へ移った。
前回までなら、素材そのものが壊れないかを見るだけだった。
今回は違う。
別の部材とつなぎ、熱を一方から受け取り、反対側へ渡せるかを見る。
つまり、「素材」としての試験から「装置を構成する部材」としての試験へ一段進んだことになる。
エルマー・ザイデル(45歳・アスタリア大商会技術研究部長)が試験図を広げた。
「構成は単純にしています。熱源側から短い伝熱部材へ熱を送り、その先の受熱側で受け取ります。通常金属、従来の耐熱素材、使用済み魔石精製試料を同じ条件で比較します」
図面には、熱源、短距離の伝熱部材、受熱側だけが記されている。
住宅にも病院にも、まだ接続しない。
研究施設内の短い装置で、素材そのものの性質を確認するためだった。
エルマーは続けた。
「確認するのは、熱の伝達量、途中で失われる熱、部材自体の温度変化、変形、接合部の状態、それから熱源魔石から漏れる微弱な魔力との干渉です」
「一度に評価しても、原因が分からなくならないよう記録を分けてください」
「その予定です」
少し離れた場所では、ヘルマン・ヴェーバー(52歳・安全監査室長)が遮断装置と測定機器を確認していた。
「試験条件を上げる場合は、段階ごとに停止確認を入れてください。1回目が問題なかったからといって、そのまま上限まで上げることは認めません」
シェリィは異議を挟まなかった。
「安全監査室の判断を優先してください」
新しい素材が見つかった時ほど、早く結果を見たいという気持ちは強くなる。
だからこそ、止める権限を持つ者が必要だった。
最初に通常の金属製試験管が装置へ接続され、熱源側から熱が送り込まれた。
測定値が読み上げられ、熱の伝達量と損失、管表面の温度、接合部分の変化が記録されていく。
次に従来型の耐熱素材へ交換し、同じ条件で測定する。
そして最後に、《使用済み魔石精製試料》から作られた試験部材が装置へ接続された。
「開始します」
エルマーの合図で熱が送り込まれると、受熱側の計測器がすぐに反応を示した。
初期条件では、3種類すべてが熱を伝えた。
だが、試験温度が段階的に上げられるにつれ、違いが現れ始める。
通常金属では部材そのものの温度上昇が大きくなり、従来型の耐熱素材でも接合部周辺の変化が測定されたのに対し、《使用済み魔石精製試料》の部材は、より高い温度条件でも形状変化が小さく、受熱側へ渡る熱量も比較的安定していた。
さらに熱源魔石から生じる熱と微弱な魔力が同時に存在する状態でも、従来素材に見られた測定値の揺らぎが少ない。
エルマーが記録を確認しながら、慎重に口を開いた。
「かなり有望です」
シェリィはその言葉だけでは判断せず、記録表へ目を落とした。
「従来素材との差は、測定誤差の範囲ですか」
「現時点の結果を見る限り、それだけでは説明できませんが、長時間運転をしていませんので、まだ優れていると断定する段階ではありません」
その答えにシェリィは頷いた。
成功したからこそ、次に何が分かっていないのかを明確にする必要がある。
長距離で同じ性能を保てるかは未確認であり、長時間の連続運転も行っていないうえ、接合部が何度もの加熱と冷却に耐えられるか、製造費がどこまで下げられるか、大量に同じ品質で作れるかも分かっていない。
それでも、研究は確実に一段進んだ。
「少なくとも、『使えるかもしれない』だけではなくなりましたね」
シェリィが言うと、エルマーが頷いた。
「はい。試作熱伝導装置を作って、次の段階を試す価値があります」
完成したのではない。
だが、次の試験へ進む理由はできた。
そこが重要だった。
◇
同日午後――
アスタリア大商会技術研究施設・熱供給技術試験区画。
熱伝導試験が一度停止されると、今度は《使用済み魔石精製試料》同士の比較が始まった。
通常の使用済み魔石から精製した試料と、シェリィが使用前に魔力を通した魔石から精製した試料を、同じ形状、同じ接合方法、同じ熱条件で試す。
シェリィは無意識に手を握った。
自分が魔石へ行っていることは、単純に大量の魔力を押し込む作業ではない。
魔石内部の力の流れを探り、そこへ自分の僅かな魔力を合わせ、流れを乱さないように整える。
以前より魔力量そのものが大きく増えたわけではないが、実験を繰り返す中で、魔石の内部を感じ取り、合わせ、安定させ、僅かな違いを調整する精度は少しずつ上がっていた。
だからこそ、今回の比較結果にはシェリィ自身も強い関心を持っていた。
もし使用後に精製しても違いが残るなら、自分の魔力が熱源として使われる瞬間だけではなく、魔石そのものの状態へ何らかの影響を残している可能性がある。
2つの試料へ同じ条件で熱が送られた。
受熱量そのものには大差がない時間帯もあったが、温度を上げ、熱源魔石由来の魔力が混じる条件へ移るにつれ、差が明確になった。
シェリィ処理済み魔石から作られた試料の方が測定値の変動が少なく、接合部周辺の状態も安定していた。
フェリクスは記録を何度も見直した。
「同じ精製工程です」
「原料の品質差は」
シェリィが尋ねる。
「事前に範囲をそろえていますので、それだけでこの差を説明するのは難しいと思います」
エルマーも記録を確認し、慎重に言葉を選んだ。
「シェリィ様が使用前に魔力を通した履歴が、使用後に精製された素材の性質にも影響している可能性があります」
シェリィは結果を喜ぶより先に、別の問題を考えた。
自分の処理によって性能が上がるのであれば、すべての熱源魔石に自分が魔力を通した方がいいという結論へ簡単に流れかねない。
だが、それでは都市の熱供給設備がシェリィ1人に依存する。
それは技術として健全ではなかった。
エルマーも同じ問題に気づいていた。
「熱源用魔石についても、使用前にシェリィ様の魔力を通す工程を標準化する価値はあります」
「全量ではありません」
シェリィは即答した。
「実証区画で使う熱源魔石の一部について、私が処理したものを優先して比較運用しましょう。未処理の魔石も同じ条件で使い、差を記録してください」
「比較運用ですね」
「はい、私が処理したものだけを使えば、本当に必要な工程なのか確認できません」
自分が特別だから全部自分でやる、では技術にならない。
どこまでがシェリィ固有の能力で、どこからが誰でも再現できる工程なのかを分けなければ、将来の量産も普及も不可能になる。
研究は、珍しい結果を集めるだけではなく、再現できる条件を探す作業でもある。
◇
同日午後――
アスタリア大商会技術研究施設・材料試験区画。
熱伝導試験の後、フェリクスは別室で進めていた建築材料向けの試験結果も報告した。
《使用済み魔石精製試料》を板状と棒状へ再成形し、圧縮と曲げに対する反応を確認したところ、一般的な使用済み魔石をそのまま加工した場合とは異なる強度傾向が確認されていた。
「圧縮した際の崩れ方と、曲げ荷重を加えた時の亀裂の進み方に違いがあります」
フェリクスの説明を聞きながら、シェリィは試験片へ目を落とした。
熱伝導部材として有望だからといって、建築材料としても優秀とは限らない。
建物を支える材料に必要なのは、熱を運ぶ能力ではなく、長期間荷重を受け続け、振動や変形、湿気や温度差に耐える性質だ。
「熱伝導部材とは必要な性質が違います。建築材料については、別の試験として進めてください」
「承知しました」
「まだ『建物に使える』とは報告書へ書かないでください」
「はい、現段階では強度傾向に特徴が確認された、とだけ記載します」
まして、高層建築へ使えるなどという話をする段階ではなかった。
可能性は残す。
だが、可能性を完成品として扱わない。
それが、今のアスタリアで研究を進めるうえで守るべき線だった。
そのやり取りを聞いていたアドリアン・ケストラー(46歳・ケストラー魔導機器商会代表)が、別の試験片を手に取った。
「耐魔力性が加工後にも残るのであれば、余剰魔力供給線の保護材や接続部分へ使える可能性もありませんか」
部屋の視線がアドリアンへ集まった。
発想そのものには筋が通っている。
余剰魔力を別の場所へ送る研究では、供給線や接続部分がどこまで魔力の負荷に耐えられるかが重要になるため、《使用済み魔石精製試料》が高い耐魔力性を保つなら候補になり得る。
しかし、シェリィはすぐに首を縦には振らなかった。
「可能性として記録してください。ただし、熱伝導試験と魔力供給試験を混ぜないでください」
アドリアンが頷いた。
「別試験にします」
「一つの用途で良い結果が出たからといって、別の用途でも使えるとは限りません」
素材が有望であればあるほど、あれにも使える、これにも使えるという話は増える。
それをすべて同時に試せば、失敗した時に何が原因だったのか分からなくなる。
万能素材を作ることが目的ではない。
必要な場所に、必要な性能を持つ素材を使えるようにすることが目的だった。
◇
同日夕刻――
アスタリア大商会技術研究施設・熱供給技術試験区画。
この日の測定記録が整理されると、エルマーは短距離熱伝導試験の結果と未確認事項を1枚の報告書へまとめた。
使用済み魔石精製試料から作った伝熱部材は、従来素材より高い温度条件で安定して熱を受け渡し、熱と魔力が混在する条件でも状態変化が小さい傾向を示した。
一方で、長距離伝送、長時間連続運転、接合部の長期耐久性、製造コスト、大量生産性については、何一つ確認できていない。
シェリィはその両方を読み終えた。
成功だけでも、課題だけでもない。
だから次へ進める。
「《アスタリア熱供給都市実験実証区画》へ試作熱伝導装置を設置しましょう」
エルマーが顔を上げた。
「何系統まで進めますか」
「1系統だけです」
シェリィは図面を引き寄せた。
「熱源設備から試験用建物1棟までをつないでください。住宅群にも、複数の建物にも広げません」
技術研究部長はすぐに意図を理解した。
素材試験で性質を確かめ、短距離試験で熱を運べることを確認し、その次に試作装置を作って実証区画の1系統だけで運転する。
そこで長期運転と保守性を確認してから、初めて複数建物への展開を考える。
段階を飛ばさない。
「地下共同設備空間を使いますか」
「はい、人が入って接合部を確認でき、異常があれば交換できる区間にしてください」
シェリィは図面上の地下共同設備空間を指でなぞった。
試作熱伝導装置は、熱源設備から地下共同設備空間を通り、試験用建物1棟へつながる。
その経路なら、熱損失、接合部、魔力干渉、保守性を実際の都市設備に近い条件で確認できる。
異常が出ても隔離しやすく、試験系統だけを停止できる。
エルマーが記録を書き込む。
「設計後、安全監査室へ提出します」
ヘルマンがすぐに応じた。
「長期運転試験へ移る前に、遮断方法と交換手順も確認します」
「お願いします」
シェリィはそこでようやく、試験台の上へ並んでいる3つのものへ目を向けた。
まだ使われていない新品の魔石。
熱源として役目を終えた使用済み魔石。
そして、その使用済み魔石を粉砕し、不純物を取り除き、再び形を与えて作られた熱伝導部材。
同じ資源が、姿を変えて並んでいた。
これまでは魔石から熱を作ることだけを考えていた。
だが今は、その魔石が役目を終えた後にも、別の仕事を与えられる可能性が見えている。
「同じ魔石が、最初は熱を作り、役目を終えた後は熱を運ぶ側へ回るのですね」
シェリィの言葉に、フェリクスが静かに頷いた。
魔石を採掘し、熱源として使い、使い終えたら捨てるのではない。
一次利用の後に精製し、二次利用へつなげる。
それが実現すれば、魔石1つから得られる価値は、熱源として使った一度きりでは終わらなくなる。
もちろん、今ここで循環型の技術体系が完成したわけではない。
再加工に必要な費用も、回収率も、大量処理した場合の品質も分かっていない。
それでも、これまで廃棄するしかないと思われていたものが、別の工程へ入れると分かった意味は大きかった。
シェリィは使用済み魔石を手に取り、その隣に置かれた熱伝導部材を見た。
「使い終えた、という言葉は、少し早かったのかもしれませんね」
研究者たちは何も答えなかった。
試験結果の意味を、誰もが同じように見つめていた。
熱源として働き終えた魔石は、そこで価値を失ったのではない。
形を変えれば、次の役割を持てるかもしれない。
熱を生み出すだけだった魔石が、その日初めて、離れた場所へ熱を運んだ。
お読みいただきありがとうございます。
今回は、これまで研究を続けてきた《使用済み魔石精製試料》が、素材として加工できる段階から、実際に熱を運ぶ部材として機能する段階へ進みました。
ただし、短距離試験で有望な結果が得られただけであり、長距離・長時間運転・接合部耐久性・製造コスト・大量生産性など、確認すべき課題はまだ多く残っています。
さらに、シェリィの魔力を通した魔石は使用後に精製しても安定性が高い可能性が確認されましたが、シェリィ1人へ依存する技術にしないため、実証区画では処理済み魔石と未処理魔石を比較しながら運用していくことになりました。
熱伝導、建築材料、余剰魔力供給という複数の可能性も見え始めていますが、それぞれを別の研究として慎重に検証していきます。
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