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アスタリア大商会起業編 ~無知な母国を置き去りに、極寒の死地を熱で満たします~  作者: IORI


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43/99

第43話:条件を出すのは、私だけではありません―9人の経営者が選ぶ未来

星環暦(せいかんれき)1284年・蒼潮月(そうちょうづき)≪第7月≫15日・風曜(ふうよう)――

王都セレスティア・王国銀行本店・個別審査室

14名による監査は、すでに大半の事実確認を終えていた。

だからといって、結果を告げる席に14名全員を並べる必要はない。

個別審査室に入るのは、シェリィ・ヴァルモント、ベアトリス・ケラー(商業ギルド組合側監査責任者)、ハインリヒ・ローゼン(王国銀行側監査責任者)、そして対象商会の確認内容に詳しい監査担当者2名から3名だけ。

残る監査担当者は王国銀行本店内の別室に待機し、必要が生じた場合のみ呼ばれる。

これは尋問ではない。

監査によって確認された事実を経営者自身へ返し、その商会に残す価値があるのか、残すのであればどのような方法があるのかを話し合うための席だった。

最初に扉を開けたのは、ブルーノ・ラインフェルト(52歳・ラインフェルト運輸商会代表)だった。

ラインフェルト運輸商会

代表:ブルーノ・ラインフェルト(52歳)

従業員約180名。大型貨物車46台・小型貨物車28台を保有し、主要中継所7か所を運営している。

王都西部から各地方へ伸びる長距離輸送・集荷・積み替え・貨物追跡を強みとしている。

平常時月商、金貨1,150枚・監査時月商、金貨720枚。

総負債、金貨3,400枚。

緊急弁済、金貨820枚・再建統合債務、金貨2,580枚。

最低運転資金、金貨700枚。

再建資本案、金貨1,200枚。

再建後4か月目基準月商、金貨1,000枚・営業余力、月金貨90枚程度。

ブルーノ(ラインフェルト運輸商会代表)は、差し出された資料に目を落としたまま、しばらく何も言わなかった。

金貨3,400枚。

知らない数字ではない。

だが、負債の総額だけではなく、何を急いで払い、何を組み直し、何を商売のために残すのかまで分けられた資料を見るのは初めてだった。

「主要取引先8社への外部確認を終えております」

イレーネ・バルヒェルト(外部信用確認担当)が、確認記録を開いた。

「7社が取引継続の意向を示しています。残る1社も契約終了ではなく、一時的な取扱量の縮小です」

ブルーノ(ラインフェルト運輸商会代表)が顔を上げた。

「7社ともですか」

「はい」

イレーネ(監査人)は確認書を1枚ずつ示した。

「現在の信用不安を承知したうえでの回答です」

ブルーノ(ラインフェルト運輸商会代表)の両手が、膝の上でゆっくりほどけた。

運送商会に貨物車があっても、運ぶ荷物がなければ意味がない。

だが、顧客はまだ離れ切っていない。

ハインリヒ(王国銀行監査人)が別の資料を前へ出した。

「緊急弁済金貨820枚の内訳は、決済期限の迫った小切手金貨500枚・給与金貨120枚・仕入先や委託先への支払い金貨140枚・車両整備と緊急修繕金貨60枚です」

ブルーノ(ラインフェルト運輸商会代表)の視線が最後の数字で止まった。

「整備費まで緊急弁済へ入れるのですか」

「入れます」

答えたのはシェリィだった。

「小切手だけを決済しても、貨物車が止まれば翌月の売上が消えます」

「ですが、金が足りなくなってから最初に削ってきたのは、そこです」

「だから稼働率が落ちました」

責める口調ではなかった。

事実だけをつなげた言葉だった。

ブルーノ(ラインフェルト運輸商会代表)は車両稼働表を見つめ、苦く笑った。

「耳が痛い」

「残る金貨2,580枚は《再建統合債務制度》によって長期返済へ組み直す案です。さらに、通常営業を止めないため金貨700枚を最低運転資金として確保します」

「金貨1,200枚の再建資本は?」

「子商会化が成立した場合、アスタリア大商会から資本として投入します。貸付金ではございません」

ブルーノ(ラインフェルト運輸商会代表)は資料から目を上げた。

「返済しなくていい金ですか」

「借入金としての返済義務はございません。ただし、自由に使える金でもありません。運転資金・車両修繕・必要設備・事業再開のために使っていただき、帳簿でも確認します」

ブルーノ(ラインフェルト運輸商会代表)は数秒黙ったあと、最も気にしていたことを尋ねた。

「子商会になれば、アスタリアの荷物を優先しろと言われますか」

「いいえ」

「今の顧客よりも?」

「その条件も求めません」

ブルーノ(ラインフェルト運輸商会代表)の目が細くなった。

「では、何のためにうちを買うんです」

「荷物を運べる会社が必要だからです」

シェリィは即答した。

「アスタリア大商会専用の運送部門が欲しいのではございません。既存顧客との商売を続けながら、自分で利益を上げられる運送商会と仕事がしたいのです」

ブルーノ(ラインフェルト運輸商会代表)は、もう一度資料を見た。

「取得交渉へ進みます」

「ありがとうございます」

シェリィは最後の説明書を差し出した。

「次にお越しいただく際には、持分譲渡・再建資金・債務再編・経営権限など、法的な確認をしていただく必要がございます」

「そのため、皆様が信頼されている王国認定法務代理人(日本でいう弁護士)とご一緒にお越しください」

ブルーノ(ラインフェルト運輸商会代表)は頷いた。

「では、いつも運送契約を見てもらっている法務代理人に頼みます」

◇

次に入室したのは、マルタ・モーゲン(48歳・モーゲン食品卸商会代表)だった。

モーゲン食品卸商会

代表:マルタ・モーゲン(48歳)

従業員約130名。約240戸の農家から農産物を仕入れ、王都を中心とする約170の取引先へ卸しているほか、直営食料品店4店舗を運営している。

生産者との長期関係と、多品目の集荷・選別・配送網を強みとしている。

平常時月商、金貨1,450枚・監査時月商、金貨930枚。

総負債、金貨2,900枚。

緊急弁済、金貨940枚・再建統合債務、金貨1,960枚。

最低運転資金、金貨850枚。

再建資本案、金貨1,250枚。

再建後4か月目基準月商、金貨1,250枚・営業余力、月金貨95枚程度。

マルタ(モーゲン食品卸商会代表)が最初に見たのは、月商でも負債でもなかった。

農家への外部確認結果だった。

「主要な生産農家12戸へ確認しました」

イレーネ(監査人)が説明する。

「11戸が、支払いが正常化すれば継続取引を希望しています。残る1戸も取引終了ではなく、当面の前払い比率を高めてほしいという条件付きです」

マルタ(モーゲン食品卸商会代表)の指が、農家名の並ぶ紙の上で止まった。

「切られてはいないのですね」

「はい」

「販売先は?」

「主要取引先10社のうち8社が継続、1社が一時的な取扱量縮小、もう1社は取引先自身の資金事情による縮小です」

マルタ(モーゲン食品卸商会代表)は、そこで初めて椅子の背へ身体を預けた。

「農家への支払いは、どこに入っていますか」

ハインリヒ(王国銀行監査人)が緊急弁済の内訳を示した。

「金貨940枚のうち、小切手金貨610枚・給与金貨90枚・生産者を含む仕入先への支払い金貨180枚・設備維持金貨60枚です」

「金貨180枚は後回しにしないでください」

返答は早かった。

「農家にも生活があります。それに、一度仕入先を失えば、こちらも売る商品を失います」

「そのために緊急弁済へ分けています」

シェリィが答える。

マルタ(モーゲン食品卸商会代表)は、今度はシェリィを見た。

「もう一つあります」

「どうぞ」

「子商会になったことを理由に、生産者への仕入価格を一律に下げろと命じられるのは困ります」

「そのような権限を親商会側へ無制限に持たせるつもりはございません」

「口約束ではなく?」

「正式協議で契約条件にしましょう」

マルタ(モーゲン食品卸商会代表)の手が、農家一覧から離れた。

「でしたら、交渉へ進みます」

「次にお越しいただく際には、持分譲渡・再建資金・債務再編・経営権限など、法的な確認をしていただく必要がございます」

「そのため、皆様が信頼されている王国認定法務代理人(日本でいう弁護士)とご一緒にお越しください」

「農家との継続契約も見てもらっている法務代理人がいます。その方へ頼みます」

◇

シルヴァン繊維商会

代表:エリーゼ・シルヴァン(44歳)

直接雇用の従業員約110名に加え、契約職人約190名と継続的に取引し、加工・縫製を行う工房12か所と連携している。

高級衣料だけではなく、仕事着・厚手布・防寒布など実用品にも強い。

平常時月商、金貨850枚・監査時月商、金貨560枚。

総負債、金貨2,100枚。

緊急弁済、金貨610枚・再建統合債務、金貨1,490枚。

最低運転資金、金貨420枚。

再建資本案、金貨800枚。

再建後4か月目基準月商、金貨760枚・営業余力、月金貨70枚程度。

主要顧客8社・契約職人10名・主要仕入先5社へ外部確認が行われていた。

高級衣料の需要低下はある。

だが、仕事着・厚手布・防寒布への需要は残っている。

支払い遅延への不満はあっても、意図的な支払い逃れや品質偽装を示す証言は確認されなかった。

エリーゼ(シルヴァン繊維商会代表)は、売上資料より契約職人一覧を長く見ていた。

「この人たちは従業員ではありません」

「はい」

ロザリア・ヴェルツ(人事・組織監査担当)が答える。

「だからこそ、単純な人員削減表へ入れるべきではないと判断しております」

「腕のいい職人は、一度ほかへ行けば簡単には戻りません」

エリーゼ(シルヴァン繊維商会代表)は一覧の一人を指した。

「この人は、防寒布の縫い合わせだけで20年以上やっています」

シェリィは静かに頷いた。

「技術も商会の資産です。ただし、人を所有するという意味ではございません」

エリーゼ(シルヴァン繊維商会代表)が少しだけ笑った。

「そこまで分かっているなら、話は早いです」

だが、すぐに表情を戻す。

「職人が持ち込んだ意匠や技法まで、子商会になっただけでアスタリア大商会のものになるのは認められません」

「その点も明文化しましょう」

「でしたら、取得交渉へ進みます」

「次にお越しいただく際には、持分譲渡・再建資金・債務再編・経営権限など、法的な確認をしていただく必要がございます」

「そのため、皆様が信頼されている王国認定法務代理人(日本でいう弁護士)とご一緒にお越しください」

「職人契約と意匠権に詳しい法務代理人へ相談します」

◇

ケストラー魔導機器商会

代表:アドリアン・ケストラー(46歳)

従業員約90名、そのうち技術者31名・保守担当22名。

製造・修理を行う工房は2か所あり、魔導機器の改良や使用済み魔導素材の二次利用技術を強みとしている。

平常時月商、金貨720枚・監査時月商、金貨450枚。

総負債、金貨1,900枚。

緊急弁済、金貨560枚・再建統合債務、金貨1,340枚。

最低運転資金、金貨380枚。

再建資本案、金貨1,000枚。

再建後4か月目基準月商、金貨650枚・営業余力、月金貨88枚程度。

主要顧客6社・主要仕入先8社への確認では、苦情の中心は納期遅延であり、重大な品質欠陥は確認されなかった。

技術者31名のうち、重要な調整技術を担う者が4名、そのうち設計変更まで担当できる者が2名いる。

エーミール・ハルトナー(設備・生産監査担当)が工房の設備診断書を開いた。

「設備の一部はかなり傷んでおります。ただし、製造能力そのものが失われたわけではありません。修繕を先送りした結果、稼働率が下がっています」

アドリアン(ケストラー魔導機器商会代表)が見たのは、設備一覧ではなかった。

技術者名簿だった。

「この6人が抜ければ、工房を直しても戻りません」

「監査側も同じ判断です」

エーミール(監査人)が答える。

アドリアン(ケストラー魔導機器商会代表)は、別の項目を指した。

「研究開発費があります」

「はい」

シェリィが答えた。

「全部止めないのですか」

「無制限には使えませんが、すべて止めるつもりもございません」

アドリアン(ケストラー魔導機器商会代表)の表情が変わった。

「では、先に申し上げておきます」

「どうぞ」

「研究は失敗します」

部屋が静かになった。

「必要な手順を踏んでも、試作品が動かないことはある。期待した性能が出ないこともある。それを全部、金を無駄にした責任だと言われる会社になるなら、私は入りません」

シェリィはすぐには答えなかった。

アドリアン(ケストラー魔導機器商会代表)が守ろうとしているものを、正確に受け取るためだった。

「安全確認を意図的に省くこと、記録を改ざんすること、重大な欠陥を隠すこと。それらは責任を問うべきです」

「ええ」

「ですが、必要な手順を踏んで試作し、結果として成功しなかったことまで同じ扱いにはいたしません」

アドリアン(ケストラー魔導機器商会代表)はゆっくり背もたれへ身体を預けた。

「その区別を契約へ入れたい」

「正式協議で確認しましょう」

「では、進みます」

シェリィは最後の案内へ進んだ。

「次にお越しいただく際には、持分譲渡・再建資金・債務再編・経営権限など、法的な確認をしていただく必要がございます」

「そのため、皆様が信頼されている王国認定法務代理人(日本でいう弁護士)とご一緒にお越しください」

「技術契約を理解している法務代理人へ頼みます」

◇

その日最後の個別説明は、トビアス・ベルナート(55歳・ベルナート精製素材商会代表)だった。

ベルナート精製素材商会

代表:トビアス・ベルナート(55歳)

従業員約80名、そのうち精製技術者18名・加工職人37名。

精製・加工工房3か所を運営し、高純度の加工素材と安定した品質管理を強みとしている。

平常時月商、金貨880枚・監査時月商、金貨540枚。

総負債、金貨2,750枚。

緊急弁済、金貨720枚・再建統合債務、金貨2,030枚。

最低運転資金、金貨500枚。

再建資本案、金貨1,250枚。

再建後4か月目基準月商、金貨790枚・営業余力、月金貨82枚程度。

主要顧客6社・主要仕入先6社への確認では、精製品質そのものへの評価は高かった。

問題は品質ではない。

設備投資の速度だった。

将来需要を見込み、生産能力を拡大する設備を短期間に導入し、その一部を短期資金で賄った。

設備が十分な利益を生み始める前に、支払い期限が来た。

トビアス(ベルナート精製素材商会代表)は、言い訳をしなかった。

「私が急ぎすぎた」

机上の設備投資一覧へ視線を落とす。

「注文が増えると思った。設備を先に入れれば取れる仕事も増えると思った。実際、品質は上がった。だが、金の戻りより先に支払いが来た」

シェリィは設備一覧を見た。

「設備投資そのものが誤りだったとは判断しておりません」

トビアス(ベルナート精製素材商会代表)が顔を上げた。

「問題は、資金を借りた期間と、設備から利益を回収するまでの期間が合っていなかったことです」

「では、工房を売らなくてもいい?」

「中核設備を売れば負債は減ります」

トビアス(ベルナート精製素材商会代表)の表情が曇った。

「ただし、同時に売上を作る能力まで失います。私はそれを再建案とは考えておりません」

長い息が、トビアス(ベルナート精製素材商会代表)の口から漏れた。

「今度は逆に、親商会が設備投資を全部止めるのも困ります」

「一定額以上を事前承認としつつ、価格だけではなく品質・安全性・生産能力・投資回収期間まで見て判断する仕組みにしましょう」

「それなら、交渉へ進みます」

「次にお越しいただく際には、持分譲渡・再建資金・債務再編・経営権限など、法的な確認をしていただく必要がございます」

「そのため、皆様が信頼されている王国認定法務代理人(日本でいう弁護士)とご一緒にお越しください」

トビアス(ベルナート精製素材商会代表)は頷いた。

「では、いつも相談している法務代理人に頼みます」

◇

星環暦(せいかんれき)1284年・蒼潮月(そうちょうづき)≪第7月≫16日・水曜(すいよう)――

王都セレスティア・王国銀行本店・個別審査室

翌朝、最初に説明を受けたのは、ルートヴィヒ・グローヴァー(50歳・グローヴァー建設商会代表)だった。

グローヴァー建設商会

代表:ルートヴィヒ・グローヴァー(50歳)

常用従業員約220名、そのうち技術主任24名。施工体制は8隊。

倉庫・店舗・工房・道路関連施設などの中規模建設を幅広く請け負い、現場管理・工程調整・補修対応を強みとしている。

平常時月商、金貨1,600枚・監査時月商、金貨980枚。

総負債、金貨4,100枚。

緊急弁済、金貨1,080枚・再建統合債務、金貨3,020枚。

最低運転資金、金貨900枚。

再建資本案、金貨1,600枚。

再建後4か月目基準月商、金貨1,420枚・営業余力、月金貨103枚程度。

主要発注者7社・主要仕入先8社・主要下請事業者への外部確認が行われ、完成済工事に対する売掛金金貨780枚の実在も確認された。

発注者側による債務否認はない。

問題は、代金が入るまでの時間だった。

工事を終えても支払いまで時間がかかる。

一方、給与・資材費・下請代金は先に出ていく。

「金貨780枚は、帳簿にあるだけではないのですね」

ルートヴィヒ(グローヴァー建設商会代表)が尋ねた。

ハンナ・ブレヒト(売掛金・買掛金・債権者確認担当)が答える。

「発注者側へ工事完了と支払義務を直接確認しております。回収時期には差がありますが、債権自体は確認できています」

ルートヴィヒ(グローヴァー建設商会代表)は施工体制表を見た。

「8隊を6隊に減らせば、給与は下がる」

誰も口を挟まなかった。

「ですが、受けられる工事も減る」

「その通りです」

シェリィが答えた。

「短期的な帳簿改善だけを目的として、施工能力そのものを壊す大規模解雇は行いません」

ルートヴィヒ(グローヴァー建設商会代表)は、そこからもう一つ条件を出した。

「現場で重大事故の危険を見つけたとき、止めた責任を売上未達として問われるのは困ります」

「安全上必要な停止と、通常の経営判断は分けるべきです」

「そこも契約に」

「はい」

ルートヴィヒ(グローヴァー建設商会代表)が頷いた。

「取得交渉へ進みます」

「次にお越しいただく際には、持分譲渡・再建資金・債務再編・経営権限など、法的な確認をしていただく必要がございます」

「そのため、皆様が信頼されている王国認定法務代理人(日本でいう弁護士)とご一緒にお越しください」

「建設契約と事故対応に詳しい法務代理人へ頼みます」

◇

ヴァルデン倉庫商会

代表:クララ・ヴァルデン(47歳)

従業員約100名。大型倉庫8棟・小規模保管区画14区画を管理している。

顧客所有物と自社資産を分離管理する保管帳簿・入出庫記録の正確さを強みとしている。

平常時月商、金貨680枚・監査時月商、金貨460枚。

総負債、金貨2,450枚。

緊急弁済、金貨690枚・再建統合債務、金貨1,760枚。

最低運転資金、金貨360枚。

再建資本案、金貨900枚。

再建後4か月目基準月商、金貨610枚・営業余力、月金貨67枚程度。

オットー・レーヴァルト(在庫・物流監査担当)が、主要寄託者8社との照合結果を説明した。

顧客から預かった商品と自社所有商品は、帳簿上でも実在庫でも分離されている。

主要な寄託品について、無断流用も確認されなかった。

クララ(ヴァルデン倉庫商会代表)は、その報告を聞き終えると静かに目を閉じた。

売上は落ちた。

借金も増えた。

だが、預かった物には手を出さなかった。

倉庫商として最後に守らなければならない線だけは、越えていなかった。

「ひとつ、必ず条件にしてください」

クララ(ヴァルデン倉庫商会代表)が目を開いた。

「子商会になっても、顧客からの寄託品はアスタリア大商会の資産にも、ヴァルデン倉庫商会の自社在庫にもなりません」

「当然です」

「当然だからこそ、書いていただきたいのです」

シェリィはわずかに目を細めた。

すぐに頷く。

「おっしゃる通りです。明文化いたします」

そこで初めて、クララ(ヴァルデン倉庫商会代表)の表情が和らいだ。

「では、取得交渉へ進みます」

「次にお越しいただく際には、持分譲渡・再建資金・債務再編・経営権限など、法的な確認をしていただく必要がございます」

「そのため、皆様が信頼されている王国認定法務代理人(日本でいう弁護士)とご一緒にお越しください」

「倉庫契約をずっと見てもらっている法務代理人がいます。その方へ依頼します」

◇

午後から説明を受ける2社については、少し事情が違っていた。

商業ギルド組合と王国銀行の双方が、アスタリア大商会の傘下へ入らなくても独立再建できる可能性が高いと判断していたからだ。

シェリィは、その事実を隠して取得交渉へ誘うつもりはなかった。

フォルスター車両製作商会

代表:エドガー・フォルスター(49歳)

従業員約86名。主製作工房1か所・修理工房2か所・部品倉庫1か所・試走用作業場1か所を運営している。

商用馬車・貨物車・荷車・車軸・車輪・交換部品の製造、定期整備・緊急修理を行い、車軸調整・荷重配分・長距離輸送向け補強を強みとしている。

平常時月商、金貨760枚・監査時月商、金貨620枚。

総負債、金貨1,650枚。

緊急弁済、金貨330枚・再建統合債務、金貨1,320枚。

最低運転資金、金貨330枚。

再建資本案、金貨650枚。

再建後4か月目基準月商、金貨710枚・営業余力、月金貨99枚程度。

監査時点でも月金貨68枚程度の営業余力が残り、主要顧客7社からは製品品質と修理技術への高い評価、継続注文の意向が確認されていた。

シェリィは最初に資料を閉じた。

「先に、大切なことを申し上げます」

エドガー(フォルスター車両製作商会代表)が腕を組む。

「フォルスター車両製作商会は、アスタリア大商会の子商会にならなくても独立再建できる可能性が高いと判断されています」

エドガー(フォルスター車両製作商会代表)の眉が上がった。

「買う側が、それを言うのですか」

「事実ですから」

「では、なぜ呼んだのです」

「アスタリア大商会が、御商会を必要としているからです」

エドガー(フォルスター車両製作商会代表)は何も答えなかった。

救われるから入るのではない。

相手にも必要とする理由がある。

その違いを測っているようだった。

「子商会になるということは、アスタリアの注文だけを作る工房になるという意味ではないのですね」

「違います」

「今の顧客を残せる」

「はい」

「こちらが危険だと判断した設計へ、異議を出せる」

「出していただきます」

「親商会の設計でも?」

「親商会だから安全性を曲げてよい理由にはなりません」

エドガー(フォルスター車両製作商会代表)の腕がほどけた。

「製造だけではなく、修理も続けたい」

「むしろ、車両製造・保守・部品供給・緊急修理・更新・共同研究までお願いしたいと考えております」

非独占。

外部顧客との取引継続。

技術上の異議申立て。

仕様変更提案。

適正価格。

それがアスタリア大商会側から提示された3年間の基本取引構想だった。

「取得を受けるとは、まだ言いません」

エドガー(フォルスター車両製作商会代表)は慎重だった。

「もちろんです」

「ただ、次の協議には出ます」

「それで結構です」

「次にお越しいただく際には、持分譲渡・再建資金・債務再編・経営権限など、法的な確認をしていただく必要がございます」

「そのため、皆様が信頼されている王国認定法務代理人(日本でいう弁護士)とご一緒にお越しください」

「車両製造と長期保守契約を見てもらっている法務代理人へ依頼します」

◇

ハインデル商業印刷・紙工商会

代表:クラウディア・ハインデル(43歳)

従業員約58名。印刷工房2か所・製本工房1か所・紙倉庫1か所を運営している。

帳簿・注文書・納品書・請求書・領収書・商品札・契約用紙・商品案内など、小ロット多品種の正確な印刷と短納期対応を強みとしている。

平常時月商、金貨520枚・監査時月商、金貨430枚。

総負債、金貨1,150枚。

緊急弁済、金貨250枚・再建統合債務、金貨900枚。

最低運転資金、金貨220枚。

再建資本案、金貨450枚。

再建後4か月目基準月商、金貨490枚・営業余力、月金貨67枚程度。

監査時点でも月金貨52枚程度の営業余力が残っていた。

主要顧客9社のうち8社が取引継続を希望し、取引を停止した1社も、ハインデル商業印刷・紙工商会への不信ではなく、取引先自身の破綻が原因だった。

「つまり、私たちも単独再建できる可能性がある」

クラウディア(ハインデル商業印刷・紙工商会代表)が確認した。

「はい」

「それでも子商会化を提案する?」

「はい」

クラウディア(ハインデル商業印刷・紙工商会代表)は椅子へ深く座り直した。

「でしたら、私も率直に申し上げます」

「どうぞ」

「救っていただくためだけに子商会へ入るつもりはありません」

「その必要はございません」

「では、何を求めていますか」

「商売をするための書類です」

クラウディア(ハインデル商業印刷・紙工商会代表)が一度瞬きをした。

「書類?」

「注文書・納品書・請求書・領収書・在庫票・商品札・契約用紙。企業が増えれば、必ず必要になります」

「全部を同じ書式へ?」

「いいえ。共通化した方がよい部分と、業種ごとに残した方がよい部分があります」

クラウディア(ハインデル商業印刷・紙工商会代表)の口元がわずかに上がった。

「何でも統一すれば便利になると思っている方ではなさそうですね」

「使いにくい共通化なら、しない方がましです」

今度ははっきり笑った。

「分かりました。次の協議へ伺います。ただし、取得を受けるかはそこで決めます」

「もちろんです」

「次にお越しいただく際には、持分譲渡・再建資金・債務再編・経営権限など、法的な確認をしていただく必要がございます」

「そのため、皆様が信頼されている王国認定法務代理人(日本でいう弁護士)とご一緒にお越しください」

「文書の真正性と秘密保持にも詳しい法務代理人がいます。その方へ相談します」

◇

最後に呼ばれたのは、ゲオルク・アルベール(54歳・アルベール包装資材商会代表)だった。

アルベール包装資材商会

代表:ゲオルク・アルベール(54歳)

この商会についてだけは、ほかの9社と同じ財務一覧を作ることができなかった。

帳簿上の総負債は金貨1,500枚。

だが、その数字を基礎に企業価値や必要再建額を計算するには、帳簿の信頼性が足りない。

主力商品の木箱は帳簿上4,860箱に対し、実在庫3,970箱。

差異890箱。

樽・瓶類にも複数の数量差異がある。

売掛金では金貨90枚について取引先側が債務そのものを否定し、金貨70枚について双方の記録が一致せず、さらに金貨45枚については帳簿記載の所在地で継続的な商取引の実在を確認できなかった。

親族関係者への貸付金も金貨180枚・金貨95枚、合計金貨275枚が確認されたものの、契約条件・承認過程・返済管理の記録が弱い。

過去5か月には、合計約金貨120枚の小口現金引き出しについて、用途説明と帳簿が一致していないものが残った。

これだけで犯罪と断定することはできない。

監査は捜査ではない。

だが、買収判断には十分だった。

シェリィはゲオルク(アルベール包装資材商会代表)を正面から見た。

「現在の資料では企業価値と必要再建額を確定できません。そのため、アスタリア大商会は取得交渉へ進みません」

ゲオルク(アルベール包装資材商会代表)の頬が強張った。

「もう一度、追加で調べてもらうことはできませんか」

「いいえ。今回の監査結果をもって、当商会としての審査は終了いたします」

「私が何かしたと疑っているのですか」

「犯罪の有無を私が判断しているのではございません」

シェリィの声は変わらなかった。

「アスタリア大商会が取得判断を行うために必要な資料の信頼性を確認できなかった。それが理由です」

「では、私はどうすれば」

「それを決めるのは、アルベール包装資材商会です」

シェリィは静かに続けた。

「債権者と協議されるのか、王国銀行へ再建相談をされるのか、帳簿を再整理されるのか。それは当商会が決めることではございません」

買わない。

だからといって、その会社の未来まで奪う権利はない。

そこから先の判断は、本人たちへ返された。

◇

星環暦(せいかんれき)1284年・蒼潮月(そうちょうづき)≪第7月≫17日・土曜(どよう)――

王都セレスティア・王国銀行本店・企業再建審査部

この日、取得交渉へ進む9商会は、それぞれ自社名義で《再建統合債務制度利用申請書》を提出した。

アスタリア大商会が代理で申請したのではない。

自社の債務を再編する以上、申請するのも各商会自身だった。

王国銀行は同時に、9商会それぞれについて《再建管理専用口座》を開設した。

通常営業用口座とは分離し、再建資本・緊急弁済・再建統合債務に関係する資金の流れを追跡するための専用口座である。

口座番号・口座名義・使用目的・正式振込先を、1社ずつ確認する。

シェリィは、その横で9通の《子商会再建資金投入覚書》を差し出した。

「こちらが、9商会それぞれに対する資金供給覚書です」

ハインリヒ(王国銀行監査人)が最初の1通を開いた。

「アスタリア大商会側の署名は済ませております」

シェリィは、空欄になっているもう一方の署名欄を示した。

「ただし、商会側の署名欄は空欄です。最終的に条件をご納得いただけた場合にのみ、ご署名いただく予定です」

銀行側は監査段階から資料を確認している。

そのため、再建制度については早期の事前審査を進めることができた。

だが、事前審査と正式実行は違う。

最終契約。

確定債務。

債権者の同意。

返済条件。

必要な書類が揃って初めて、資金は動く。

順番は飛ばさなかった。

◇

その日の夕刻――

王都セレスティア・ヴァルモント公爵邸

王都におけるヴァルモント公爵家の邸宅へ戻ったシェリィは、執務机へ座ると、登録魔法印による本人認証を付した魔導通信を北方アスタリアへ送った。

通信先は、アルノルト・フェルナー(48歳・アスタリア大商会総務財務部長)。

小規模商家の家に生まれ、長年にわたってヴァルモント公爵領の会計・予算・領営事業の数字を扱ってきた人物である。

現在は、アスタリア大商会の資金を動かす前に「何のための金なのか」を確認する役目を担っていた。

「9商会すべてについて、王国銀行の再建管理専用口座が確定いたしました」

シェリィは口座情報を確認しながら続けた。

「蒼潮月19日の契約成立を条件として、第1回再建資金の振込準備を開始してください」

短い間があった。

「契約成立前の送金ではございませんな?」

アルノルト(総務財務部長)の声は、いつも通り落ち着いていた。

「もちろんです。準備だけをお願いいたします」

もう一度、短い間。

「金貨8,210枚を『準備だけ』と仰る方は、そう多くありません」

シェリィの口元が少しだけ緩んだ。

「できますでしょう?」

「できます」

アルノルト(総務財務部長)は即答した。

「できますが、それと会長が簡単そうに仰ることは別問題でございます」

「簡単だとは申し上げておりませんわ」

「では、私の聞き違いということにしておきます」

通信が切れる直前まで、声は真面目なままだった。

◇

星環暦(せいかんれき)1284年・蒼潮月(そうちょうづき)≪第7月≫18日・闇曜(あんよう)――

王都セレスティア

9商会へ、翌日の正式協議に関する通知が送られた。

個別説明で伝えられていた通り、それぞれが信頼する王国認定法務代理人を同行させること。

本人確認資料・商業登録資料・持分関係資料・登録魔法印の確認資料・王国銀行《再建管理専用口座》の開設書類を持参すること。

協議場所は、王都商業ギルド組合本部・大会議室。

アスタリア大商会の拠点ではない。

王国銀行でもない。

9商会すべてが商人として利用する、中立的な場所だった。

◇

同日――

北方アスタリア・アスタリア大商会総務財務部

アルノルト(総務財務部長)の机には、翌日の契約成立を条件として使用する18件の送金指図書が並んでいた。

9件は再建資本。

9件は持分取得対価。

入力担当者と確認担当者は分けられた。

口座番号は読み上げて確認する。

金額は別の担当者が独立して再計算する。

入力した者が自分の入力内容を最終承認することは認めない。

王国銀行アスタリア支店とも事前調整が行われ、必要資金は「確保済み・送金指図待ち」の状態まで進められた。

夕刻。

アルノルト(総務財務部長)から、登録魔法印付きの通信が王都へ届いた。

「会長。金貨8,210枚、全額準備完了いたしました。明日は契約成立通知を確認次第、執行できます」

シェリィは内容を確認し、自らの登録魔法印で受領を認証した。

まだ金は動かさない。

契約成立前に金を送れば、条件を検討している9商会へ事実上の圧力をかけることになる。

明日、納得して契約するなら動かす。

納得できず署名しないなら、動かさない。

その順序だけは崩さなかった。

◇

星環暦(せいかんれき)1284年・蒼潮月(そうちょうづき)≪第7月≫19日・光曜(こうよう)――

王都セレスティア・王都商業ギルド組合本部・大会議室

朝。

最初に大会議室へ姿を見せたブルーノ(ラインフェルト運輸商会代表)の隣には、見慣れない男性がいた。

エルンスト・ヴァイラー(51歳・ラインフェルト運輸商会側王国認定法務代理人)。

運送契約・貨物損害責任・長期輸送契約を得意とし、責任範囲が曖昧な契約を嫌う法務代理人だった。

マルタ(モーゲン食品卸商会代表)が同行したのは、マリアンヌ・フェルト(45歳・モーゲン食品卸商会側王国認定法務代理人)。

農産物取引・継続供給契約・生産者保護を得意としている。

エリーゼ(シルヴァン繊維商会代表)の隣には、セシリア・ローエン(42歳・シルヴァン繊維商会側王国認定法務代理人)。

職人との委託契約・雇用・意匠権・外部制作物の権利関係に詳しい。

アドリアン(ケストラー魔導機器商会代表)が伴ったのは、ルドルフ・カイザー(49歳・ケストラー魔導機器商会側王国認定法務代理人)。

技術契約・製品責任・共同研究契約を得意とし、かつて技術研究機関の法務を担当していた人物だった。

トビアス(ベルナート精製素材商会代表)とともに入ったのは、オリヴィア・グランツ(47歳・ベルナート精製素材商会側王国認定法務代理人)。

品質保証・設備投資・原材料取引に関する契約を得意とする。

ルートヴィヒ(グローヴァー建設商会代表)が同行を求めたのは、ハインリヒ・シュタイン(56歳・グローヴァー建設商会側王国認定法務代理人)。

建設契約・事故責任・安全管理を長く扱ってきた。

クララ(ヴァルデン倉庫商会代表)の隣には、アデーレ・ヴォルフ(44歳・ヴァルデン倉庫商会側王国認定法務代理人)。

倉庫契約・寄託契約・所有権区分・保管責任を得意としている。

エドガー(フォルスター車両製作商会代表)とともに現れたのは、コンラート・エーベル(50歳・フォルスター車両製作商会側王国認定法務代理人)。

車両製造・修理・技術仕様・長期保守契約に詳しく、契約を作る前に技術者の説明を聞くことを重視する人物だった。

最後に、クラウディア(ハインデル商業印刷・紙工商会代表)と入室したのは、ユリア・メルテン(39歳・ハインデル商業印刷・紙工商会側王国認定法務代理人)。

印刷物の真正性・秘密保持・帳票管理・文書偽造防止を得意としている。

アスタリア大商会側にも4名の法務担当者が並んだ。

アレクサンダー・リヒター(53歳・アスタリア大商会契約法務室長)。

レオナ・バウアー(41歳・アスタリア大商会金融法務担当)。

ヴィンセント・クロイツ(46歳・アスタリア大商会商事法務担当)。

エリザベート・ノルデン(36歳・アスタリア大商会文書・登録担当)。

議事記録を担当するのは、アルフレート・ケーニヒ(48歳・王都商業ギルド組合主席商務書記)とソフィー・レナー(31歳・王都商業ギルド組合商務書記・文書照合担当)。

残る12名の監査担当者は隣室に待機している。

監査は、もう終わっている。

ここから先は、対等な契約交渉だった。

◇

シェリィの前には、9商会それぞれについて準備された関係書類が並んでいた。

《子商会基本契約》・《商会持分譲渡契約》・《現経営者続投合意書》・《子商会基本協定付属合意書》。

《子商会再建資金投入覚書》・《再建資本拠出契約》・《再建統合債務契約》・各社返済予定表。

さらに、経営権限・月次報告・内部監査・既存顧客保護・外部取引・情報管理などに関する書類。

シェリィは全員が着席したことを確認した。

「まず、アスタリア大商会からお願いする共通条件をご説明いたします」

取得後の持分は、アスタリア大商会70%・現所有者側30%。

現在の商号・主要事業・顧客・技術・人材は原則として維持する。

現経営者は当初3年間、原則として経営を継続する。

3年を過ぎたという理由だけで自動的に交代させることはしない。

重大な不正・故意の虚偽報告・重大な契約違反・利益相反・是正要求後も続く重大な職務怠慢などは解任事由となるが、親商会との意見対立や一度の目標未達だけを理由に解任することはできない。

通常の仕入れ・販売・採用・価格設定・外部顧客開拓は、子商会側の裁量に残す。

一方、借入・第三者保証・新たな担保設定・土地取得・関連当事者取引は、金額にかかわらず事前承認対象とする。

金貨50枚以上の大型設備投資・重要資産売却、金貨100枚以上または1年を超える非定型の長期契約・大型事業も原則として事前承認対象。

ただし、承認済み年間予算内の日常取引まで、毎回親商会へ許可を求める必要はない。

外部顧客との取引は継続できる。

アスタリア大商会との独占取引を強制しない。

企業群内の取引も適正価格を基本とし、子商会へ一方的な低価格を押し付けない。

新規案件についても、既存顧客・従業員・設備能力・運転資金・採算性を確認したうえで受ける。

シェリィは一度言葉を区切った。

「もう一つ、条件がございます。子商会となる以上、会計と内部監査については、アスタリア大商会が現在運用している帳簿システムを導入していただきます」

何人かの経営者が資料へ視線を落とす。

「資金がどこから入り、何に使われ、現在どれだけ残っているかを追えること。それが目的です。各商会の技術情報や顧客情報まで、企業群全体へ無制限に共有するものではございません」

秘密と監査は別物。

そこも契約で区切る。

再建資本は9商会合計金貨9,100枚。

契約成立時に80%、30日後に10%、90日後に残る10%を投入する。

持分取得対価は9商会合計金貨3,100枚。

現所有者側への支払いは、契約成立時30%・12か月後35%・24か月後35%。

再建統合債務の金利は年3.0%。

最初の3か月は元本返済を猶予し、利息のみ支払い、その後は各商会の返済予定表へ移る。

早期返済手数料は設定しない。

ただし、必要運転資金・修繕費・設備更新費・在庫確保費などを削ってまで繰上返済することも求めない。

そして、アスタリア大商会が子商会化以前のすべての債務を無条件に保証するわけでもない。

確認済みの適格債務だけを《再建統合借入金》として整理する。

争いのある債務・確認できない債務・不透明な関連当事者間債務は、自動的には組み込まない。

説明が終わった。

誰も署名欄へ手を伸ばしていない。

それでよかった。

シェリィは自分の資料を閉じた。

「ここまでが、アスタリア大商会から皆様へお願いする条件です」

9人の経営者が顔を上げる。

「ですが、条件を出すのは私だけではありません」

室内の空気がわずかに変わった。

「今度は、皆様からアスタリア大商会へ条件をお出しください」

◇

最初に動いたのは、エルンスト(ラインフェルト側法務代理人)だった。

「既存顧客との輸送契約について確認します」

輸送契約の草案を開く。

「親商会からの依頼を優先した結果、既存顧客との契約を履行できなくなった場合、その責任をラインフェルト運輸商会だけが負う条文にはできません」

ブルーノ(ラインフェルト運輸商会代表)が頷いた。

「今の顧客を捨ててまで、アスタリアの荷物だけを運ぶつもりはありません」

ヴィンセント(アスタリア側商事法務)が原案を確認した。

「既存顧客との契約履行を優先し、親商会からの新規輸送依頼については輸送余力を確認したうえで受託する形へ修正できます」

「受けられない案件を断ったことだけを、経営上の不服従と扱わないことも必要です」

「輸送能力・既存契約・採算性など、合理的な理由がある場合には拒否または条件変更を求められると明記しましょう」

アルフレート(主席商務書記)が筆を止めた。

「ただいまのご発言は、ご質問として記録いたしますか。それとも契約条項への正式な修正要求として記録いたしますか?」

エルンスト(ラインフェルト側法務代理人)は迷わなかった。

「正式な修正要求です」

記録された。

◇

次に、マリアンヌ(モーゲン側法務代理人)が農家との継続取引について確認した。

「親商会側の調達方針だけを理由に、生産農家へ一律の価格引下げを命じる権限は認められません」

マルタ(モーゲン食品卸商会代表)が言葉を継いだ。

「農家ごとに品質も生産量も違います。全部同じ値段にする商売ではありません」

シェリィは頷いた。

「その権限を親商会へ持たせる必要はないと考えております」

「では、農家ごとの品質・数量・価格・支払条件については、モーゲン食品卸商会の通常経営権限に残す」

「はい。ただし、関連当事者との不透明な取引や著しく不合理な損失契約は監査対象といたします」

マリアンヌ(モーゲン側法務代理人)が文案へ書き込んだ。

「それなら整理できます」

◇

セシリア(シルヴァン側法務代理人)は、知的成果の帰属条項を指した。

「このままでは範囲が広すぎます」

エリーゼ(シルヴァン繊維商会代表)も続ける。

「職人が以前から持っていた意匠や技法まで、子商会化だけで親商会へ移ったと読めます」

アレクサンダー(契約法務室長)が条文を読み直した。

「おっしゃる通りです」

返答は早かった。

「既存の意匠・技法・職人個人に帰属する成果については、別途の譲渡契約がない限り移転しない。新規共同開発については案件ごとに帰属を定める。こちらへ修正しましょう」

セシリア(シルヴァン側法務代理人)は最後まで読み、頷いた。

「その方が明確です」

◇

ルドルフ(ケストラー側法務代理人)は、経営者解任条項の一語を指した。

「『重大な業務失敗』という表現は広すぎます」

アドリアン(ケストラー魔導機器商会代表)がすぐに続けた。

「研究の失敗まで含められる」

アレクサンダー(契約法務室長)は原案へ目を落とした。

「確かに修正すべきです」

少し考えてから、文案を口にする。

「研究・試験・改良に伴う通常の技術的不成功は、故意・重大な過失・安全手順違反・記録改ざんなどがない限り、それ単独を解任事由としない――ではいかがでしょう」

ルドルフ(ケストラー側法務代理人)は、言葉を一つずつ確認した。

「これなら、失敗と怠慢を区別できます」

アドリアン(ケストラー魔導機器商会代表)が頷いた。

「それでお願いします」

◇

オリヴィア(ベルナート側法務代理人)は、設備投資の事前承認条項を開いた。

「金貨50枚以上を事前承認対象とすること自体には反対しません」

トビアス(ベルナート精製素材商会代表)が隣で聞いている。

「ただし、精製設備は単純に安い方を選べばよいものではありません。必要純度・耐久性・安全性・既存工程との接続条件があります」

シェリィは頷いた。

「設備投資申請には金額だけではなく、技術上の必要性・生産能力・安全性・投資回収期間も記載していただく形にしましょう」

「親商会側も、価格だけを理由に必要仕様を落とせないことを入れてください」

「承知いたしました」

トビアス(ベルナート精製素材商会代表)が静かに息を吐いた。

設備投資で失敗したからといって、設備投資そのものを禁止する。

その極端な再建案にはならなかった。

◇

ハインリヒ・シュタイン(グローヴァー側法務代理人)は、安全停止条項から始めた。

「現場責任者が重大事故につながる危険を認めた場合、工事を一時停止できる権限を明文化してください」

ルートヴィヒ(グローヴァー建設商会代表)の表情が引き締まった。

「売上が止まるから続けろ、と言われる会社にはしたくない」

シェリィは迷わなかった。

「認めます」

ハインリヒ・シュタイン(グローヴァー側法務代理人)が続ける。

「ただし、停止理由・危険箇所・必要対策・再開条件の記録は必要です」

「その方がよいと思います」

ルートヴィヒ(グローヴァー建設商会代表)が頷いた。

「止める権利だけでなく、止めた理由を説明する責任もある」

「その通りです」

◇

アデーレ(ヴァルデン側法務代理人)は、資料の一語を指先で押さえた。

「ここを修正してください」

ソフィー(文書照合担当)が身を寄せる。

「『子商会管理下の在庫』ですか」

「はい。この表現では、顧客から預かった商品まで子商会所有の在庫と読めます」

クララ(ヴァルデン倉庫商会代表)が頷いた。

「自社在庫と寄託物は、最初から別物です」

エリザベート(文書・登録担当)が原案を確認した。

「『子商会所有在庫』と『第三者寄託物』へ分けます。寄託物は親商会・子商会双方の所有資産へ含まれないことも明記いたします」

アデーレ(ヴァルデン側法務代理人)は頷いた。

倉庫業にとっては、一語の違いではなかった。

誰の財産なのか。

その境界そのものだった。

◇

コンラート(フォルスター側法務代理人)は、3年間の基本取引契約案を読み込んでいた。

「非独占であることは確認しました」

エドガー(フォルスター車両製作商会代表)が続ける。

「既存の外部顧客との取引を続けられる」

「はい」

「アスタリア側の設計へ技術的な問題があれば、変更を提案できる」

「はい」

「安全上重大な問題が残るなら、製作を断ることもできる」

「安全性を損なう仕様を強制するつもりはございません」

シェリィが答える。

コンラート(フォルスター側法務代理人)は該当箇所へ印を付けた。

「では、技術上の異議申立て・仕様変更提案・合理的な製作拒否の手順を《個別付属合意書》へ入れましょう」

「お願いいたします」

車両製造・保守・部品供給・緊急修理・更新・共同研究を含む3年間の基本取引契約についても、外部顧客との取引継続・非独占・適正価格が確認された。

エドガー(フォルスター車両製作商会代表)は、そこで初めて取得そのものについて口を開いた。

「ここまで書いていただけるなら、私は子商会化を受けます」

シェリィは、すぐには笑わなかった。

「本当に、よろしいのですね」

「ええ」

エドガー(フォルスター車両製作商会代表)は自分の法務代理人を見た。

「独立再建できると教えてもらったうえで選びました。だから、これは救済ではありません」

「はい」

「仕事を増やすための選択です」

それで十分だった。

◇

最後に、ユリア(ハインデル側法務代理人)が数種類の帳票を机へ置いた。

注文書・納品書・請求書・領収書・在庫記録票。

クラウディア(ハインデル商業印刷・紙工商会代表)が立ち上がる。

「ここからは契約条件というより、こちらからの事業提案になります」

全員の視線が紙へ集まった。

「子商会が増えれば、互いに取引する機会も増えるでしょう」

形式の違う2枚の注文書が並べられた。

同じ注文書なのに、数量欄・単価欄・納期欄・納品先欄の位置が違う。

「同じ意味の書類を会社ごとにまったく違う形で作れば、照合と転記だけで仕事が増えます」

クラウディア(ハインデル商業印刷・紙工商会代表)は、全員を見た。

「そこで、《アスタリア企業群共通帳票規格》を作ってはいかがでしょう」

シェリィは2枚の注文書を見比べた。

「私は、このご要望にはお応えしたいと思っております」

クラウディア(ハインデル商業印刷・紙工商会代表)が顔を上げる。

「ですが、実際にその帳票を使われるのは皆様です。皆様の商会で共通帳票を使用することに、抵抗はございませんか?」

すぐには賛成の声が上がらなかった。

それでいい。

ブルーノ(ラインフェルト運輸商会代表)が最初に口を開いた。

「注文書や請求書はいい。ただ、輸送指図書まで全部同じにされると使いにくい」

マルタ(モーゲン食品卸商会代表)が続く。

「生鮮品には品質状態と納入時刻が必要です」

クララ(ヴァルデン倉庫商会代表)は所有区分欄を求めた。

エドガー(フォルスター車両製作商会代表)は、修理受付票へ症状・使用年数・過去の交換部品を記載できる欄を求めた。

アドリアン(ケストラー魔導機器商会代表)は、製造番号と改修履歴を残せる形式を提案した。

クラウディア(ハインデル商業印刷・紙工商会代表)は、反論せず一つずつ紙へ書き込んでいった。

「共通帳票については、皆様と相談しながら整えてまいります」

そして、もう一枚の紙を持ち上げる。

「また、各商会ですでに独自に利用されている帳票につきましても、そのまま印刷を承りますので、必要なものがございましたらお申し付けください」

「書式を変える必要がないものまで、無理に統一するつもりはございません」

ブルーノ(ラインフェルト運輸商会代表)が腕を組みながら言った。

「こういう話をできる場が、今日だけで終わらないなら助かるんですがね」

シェリィが顔を上げた。

「今日だけ、とは?」

「運送・倉庫・建設・車両製作。うちは皆と仕事がつながります」

ルートヴィヒ(グローヴァー建設商会代表)も頷く。

「建設現場へ資材を運ぶ。倉庫へ置く。車両を直す。帳票も必要になる」

マルタ(モーゲン食品卸商会代表)が静かに付け加えた。

「子商会になったあと、各社が親商会へ個別に報告するだけではもったいないです」

「横で相談する場が必要、ということですね」

「ええ」

シェリィは少し考えた。

白紙を1枚引き寄せる。

《アスタリア経営者会議》

「では、この場を続けましょう」

9人の経営者が紙を見る。

「私を含めた10人の経営者が、市場・人材・設備・物流・新商品・技術・顧客・外国取引・共同事業などについて、互いに意見を出すための会議です」

エドガー(フォルスター車両製作商会代表)が尋ねる。

「親商会への報告会ではない?」

「違います」

「そこで決まったことが、そのまま各社への命令になるわけでもない?」

「正式な経営判断は、それぞれの商会の権限と契約手続きで行います」

クラウディア(ハインデル商業印刷・紙工商会代表)が続けた。

「議題は誰が出せますか」

「10人全員です」

「アスタリア大商会への反対意見でも?」

アドリアン(ケストラー魔導機器商会代表)が試すように尋ねた。

シェリィは少しだけ笑った。

「反対意見を出せない会議なら、時間の無駄です」

室内に小さな笑いが起こった。

年に1度はアスタリアへ集まる。

必要であれば専門家も招く。

それ以外にも、共通課題があれば開催する。

親商会が命令を伝えるための会議ではない。

10人の経営者が、横に話すための場。

その仕組みも、この日に生まれた。

クラウディア(ハインデル商業印刷・紙工商会代表)は、机上に置かれた共通帳票案を見たあと、自分の法務代理人へ視線を向けた。

ユリア(ハインデル側法務代理人)が小さく頷く。

「私も、子商会化を受けます」

クラウディア(ハインデル商業印刷・紙工商会代表)が言った。

「単独で戻す道があると分かったうえで、それでもこちらの方が先へ進めると判断しました」

シェリィも頷いた。

これで9人全員が、最終契約へ進む意思を示した。

◇

午後――

午前中に出された修正要求は、法務担当者によって次々に正式な条文へ落とし込まれていった。

各商会固有の内容は《個別付属合意書》として整理する。

しかし、その日のうちに署名することを強制はしない。

アレクサンダー(契約法務室長)が全員へ告げた。

「本日中に必ず署名していただく必要はございません」

9人の経営者と9人の法務代理人が顔を上げる。

「本日追加した条項もございます。各法務代理人が持ち帰って再確認すべきと判断された場合は、署名を延期してください」

シェリィも続けた。

「今日署名しなければ条件を悪くする、ということもございません」

そこから、もう一度確認が始まった。

金額・持分・返済条件・経営権限・解任条件・外部取引・設備投資・顧客保護・知的成果・安全停止・寄託物・秘密保持・文書番号・付属書類との参照関係。

エリザベート(文書・登録担当)は、参照番号が1つ違うだけでも書類を差し戻した。

ソフィー(文書照合担当)が午前中の議事録と最終文案を照合していたときだった。

「こちらを止めてください」

室内の視線が集まる。

ソフィー(文書照合担当)は、ある条項を指した。

「午前中の合意は『事前協議』です。しかし、こちらの最終文案は『事前承認』になっています」

わずかな文字の違い。

だが、意味はまったく違う。

相談しなければならないことと、許可を得なければ実行できないことは同じではない。

アレクサンダー(契約法務室長)が即座に答えた。

「署名作業を停止してください」

該当文書は差し替えられた。

再印刷。

再確認。

再照合。

急がない。

その積み重ねが、後になって「聞いていない」を生まない契約になる。

夕刻が近づくころ、9人の法務代理人すべてが担当する経営者へ最終確認を終えた。

9人の経営者も、自分の意思で署名することを確認した。

その段階で、シェリィは隣室へ連絡を入れた。

「監査を担当された皆様にも、最後の確認へ立ち会っていただけますでしょうか」

隣室で待機していた監査担当者たちが大会議室へ入ってくる。

これで、監査に参加した14名全員が揃った。

彼らは契約当事者ではない。

署名者でもない。

だが、工房へ入り、倉庫を数え、帳簿を照合し、取引先へ確認し、従業員から話を聞いた者たちだった。

彼らが確認した事実の先に、今の契約がある。

窓から入る光は、朝より柔らかくなっていた。

シェリィは一度、その光へ目を向けた。

「本日は蒼潮月19日、光曜ですね」

何人かが小さく頷いた。

光曜。

セレスティア王国の商人たちの間では、新しい店を開く日、大きな契約を始める日、新しい商売へ踏み出す日として好む者が多い。

法律上の効力はない。

光曜だから契約が強くなるわけでもない。

それでも、商人たちが長く大切にしてきた習慣だった。

「商いにおいて、数字や契約が大切なのはもちろんです」

シェリィは言った。

「ですが、新しい門出の日を大切にするお気持ちも、私は決して無意味なものだとは思いません」

9人を見る。

「光曜は、新しく歩き始めるには良い日です」

シェリィの前には、9社それぞれについて作成された《子商会基本契約》・《子商会再建資金投入覚書》・付属合意書などの関係書類が整然と並べられていた。

「もし皆様に、もうご質問も懸念もございませんでしたら――本日、これらの関係書類にご署名をいただけませんでしょうか?」

誰も、すぐには筆を取らなかった。

ブルーノ(ラインフェルト運輸商会代表)は、自分の法務代理人を見る。

マルタ(モーゲン食品卸商会代表)も。

エリーゼ(シルヴァン繊維商会代表)も。

アドリアン(ケストラー魔導機器商会代表)も。

トビアス(ベルナート精製素材商会代表)も。

ルートヴィヒ(グローヴァー建設商会代表)も。

クララ(ヴァルデン倉庫商会代表)も。

エドガー(フォルスター車両製作商会代表)も。

クラウディア(ハインデル商業印刷・紙工商会代表)も。

9人の法務代理人が、それぞれ依頼人へ頷いた。

そこから署名が始まった。

署名欄へ、自らの名を書く。

その隣には、小さな円形の《登録魔法印》欄がある。

指先をかざすと淡い光が広がり、王国へ事前登録されている本人固有の魔力反応が短い紋様となって定着した。

署名は、契約する意思。

登録魔法印は、本人であることと文書の真正性。

双方の法務代理人も法的確認欄へ署名し、登録魔法印を残していく。

関係書類は1社につき同一内容の原本2部へ整理された。

1部はアスタリア大商会。

もう1部は各子商会。

商業ギルド組合と王国銀行には、必要な認証済み写しが渡される。

最後に、商会印・ギルド印を用いた封蝋で原本を封緘する。

封蝋は契約意思を示すためのものではない。

綴じられた原本のページが、後から差し替えられていないことを確認するためのものだ。

最後の登録魔法印が定着した。

最後の原本が封緘された。

エリザベート(文書・登録担当)が9社分の原本を確認する。

アルフレート(主席商務書記)が公式議事記録を確認する。

ソフィー(文書照合担当)が、最後まで議事録と関係書類を照合した。

「確認済みの合意内容と、最終関係書類との間に相違はございません」

その報告をもって、必要な契約関係が成立した。

9商会は、それぞれの商号を残したまま、正式にアスタリア大商会の子商会となった。

後日行われる商業登録変更は、その事実を王国内へ公示・記録するための手続きであり、子商会化そのものを将来へ先送りするものではない。

シェリィはすぐに魔導通信室へ向かった。

登録魔法印による本人認証。

送信先は北方アスタリア。

「9商会すべてについて、契約成立を確認いたしました」

一呼吸置く。

「第1回再建資金の振込を実行してください」

◇

同時刻――

北方アスタリア・王国銀行アスタリア支店

アルノルト(総務財務部長)は、届いた通信を確認した。

送信者。

送信時刻。

登録魔法印。

契約成立通知。

すべて一致している。

「送金確認へ進みます」

前日から準備されていた18件の送金指図書が開かれた。

だが、すぐには実行しない。

王国銀行アスタリア支店から王国銀行本店へ、銀行専用魔導通信回線が接続された。

1口座ずつ再確認する。

「ラインフェルト運輸商会・再建管理専用口座」

王都側から返答が届く。

「有効。入金可能」

「モーゲン食品卸商会・再建管理専用口座」

「有効。入金可能」

同じ確認を、9口座すべてについて行う。

口座名義。

口座番号。

受入状態。

すべて異常なし。

そこで初めて、第1回再建資金が動いた。

ラインフェルト運輸商会、金貨960枚。

モーゲン食品卸商会、金貨1,000枚。

シルヴァン繊維商会、金貨640枚。

ケストラー魔導機器商会、金貨800枚。

ベルナート精製素材商会、金貨1,000枚。

グローヴァー建設商会、金貨1,280枚。

ヴァルデン倉庫商会、金貨720枚。

フォルスター車両製作商会、金貨520枚。

ハインデル商業印刷・紙工商会、金貨360枚。

再建資金合計、金貨7,280枚。

すべて各商会の《再建管理専用口座》へ送金された。

続いて、持分取得対価の初回支払分が動く。

ラインフェルト運輸商会現所有者側、金貨126枚。

モーゲン食品卸商会現所有者側、金貨108枚。

シルヴァン繊維商会現所有者側、金貨78枚。

ケストラー魔導機器商会現所有者側、金貨102枚。

ベルナート精製素材商会現所有者側、金貨90枚。

グローヴァー建設商会現所有者側、金貨138枚。

ヴァルデン倉庫商会現所有者側、金貨90枚。

フォルスター車両製作商会現所有者側、金貨126枚。

ハインデル商業印刷・紙工商会現所有者側、金貨72枚。

取得対価初回分、合計金貨930枚。

こちらは商会の再建口座には入れない。

持分を譲渡した現所有者側が事前に指定した受取口座へ支払う。

再建資金。

持分取得対価。

目的が違う。

受取人も違う。

だから、資金の流れも混ぜない。

この日動いた総額は、金貨8,210枚。

送金指図が完了しても、アルノルト(総務財務部長)は席を立たなかった。

必要なのは「送った」という記録ではない。

「届いた」という確認だった。

やがて、王国銀行本店から最終通信が返ってきた。

「再建資金9件、取得対価9件。総額金貨8,210枚、すべて着金を確認いたしました」

アルノルト(総務財務部長)は内容を二度確認した。

それから、王都へ転送した。

◇

王都セレスティア・王都商業ギルド組合本部・大会議室

着金確認の通信を受け取ったシェリィは、まずハインリヒ(王国銀行監査人)へ見せた。

金額。

件数。

口座。

すべて確認される。

続いてベアトリス(ギルド側監査人)も記録へ目を通した。

約束ではない。

予定でもない。

実際に金が動いた。

9つの商会は、アスタリア大商会に飲み込まれたのではない。

それぞれの名を残したまま、新しいつながりを選んだ。

光曜の夕刻。

王都と北方アスタリアを結ぶ銀行の帳簿には、確かに金が動いた記録が残った。

契約だけではない。

約束だけでもない。

9つの商会の再建は、その日、本当に始まった。

◇

帰り支度を始めようとしたところで、アルフレート(主席商務書記)が軽く咳払いした。

「皆様、もう少々だけお時間をいただけますでしょうか」

視線が集まる。

いつも議事録から余計な感情を排除するアルフレート(主席商務書記)が、珍しく少しだけ困ったような表情をしていた。

「王都商業ギルド組合といたしましても、9商会が光曜に新たな門出を迎えたというのに、書類だけ持たせて帰すのは少々無粋かと考えまして」

大会議室の後方扉が開いた。

運び込まれたのは、豪華な宴席ではなかった。

小さなグラス。

淡い発泡酒。

酒を飲まない者のための果実水。

簡単な焼き菓子。

それだけだった。

法的確認の最中に酒を出すわけにはいかない。

署名。

登録魔法印。

原本封緘。

送金。

着金確認。

すべてが終わったからこその、小さな祝いだった。

シェリィにもグラスが渡された。

9人の経営者。

14名の監査担当者。

双方の法務担当者。

王国銀行と商業ギルド組合の関係者。

皆が立った。

シェリィは、小さなグラスを胸元まで上げた。

「本日、皆様はアスタリア大商会に救われたのではございません」

室内が静かになる。

「皆様自身が、ご自分の商会にまだ残っている価値を守るために、再建する道を選ばれました」

9人の顔を、一人ずつ見る。

「そしてアスタリア大商会も、皆様を一方的に支えるために、この契約を結んだわけではございません」

「皆様のお力をお借りしたいからこそ、ご一緒することを選びました」

エドガー(フォルスター車両製作商会代表)が小さく息を吐いた。

「助けてもらった借りを返せ、と言われ続ける関係は性に合いませんからね」

シェリィは微笑んだ。

「私も、そのような関係は望んでおりません」

クラウディア(ハインデル商業印刷・紙工商会代表)が、手元のグラスを見ながら尋ねた。

「では、これは子商会になったことへの乾杯ですか?」

シェリィは首を横へ振った。

「いいえ」

少しだけ間を置く。

「それぞれの商会が、それぞれの名前のまま、明日も商いを続けられることへ」

そして。

「そして――10人の経営者が、これから互いに条件も意見も遠慮なく言い合える関係になれたことへ」

ブルーノ(ラインフェルト運輸商会代表)がグラスを上げる。

マルタ(モーゲン食品卸商会代表)が続いた。

エリーゼ(シルヴァン繊維商会代表)。

アドリアン(ケストラー魔導機器商会代表)。

トビアス(ベルナート精製素材商会代表)。

ルートヴィヒ(グローヴァー建設商会代表)。

クララ(ヴァルデン倉庫商会代表)。

エドガー(フォルスター車両製作商会代表)。

クラウディア(ハインデル商業印刷・紙工商会代表)。

そして、シェリィ。

「新しい門出に」

「乾杯」

小さなグラスが触れ合った。

大きな音ではなかった。

けれど、その日のどの署名よりも。

どの登録魔法印よりも。

少しだけ温かい音だった。

長文をお読みいただきありがとうございます。

会社を再建するということは、負債だけを整理することではありません。

従業員・顧客・技術・信用・設備・取引先、そして経営者自身が「何を残したいのか」を確かめたうえで、その価値を壊さない資金と契約の仕組みを作る必要があります。

9つの商会も、一方的に条件を受け入れたのではなく、それぞれが守りたいものを条件として提示しました。

親商会と子商会という関係になっても、互いに条件を出し、反対意見まで言えること。

その関係が、これから始まるアスタリア企業群の土台になっていきます。


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