第38話:九つの責務と、その先を見る者
星環暦1284年・炎冠月≪第6月≫29日――
セレスティア王宮・円卓の間
王宮の最深部に設けられた円卓の間には、朝から張り詰めた静けさが満ちていた。
中央に置かれた巨大な円卓には、国王アーサーの席を基準として9つの官職ごとの固定席が並び、その外側には各院の首席秘書官が控えるための小机と椅子が配置されている。
爵位・家格・年齢によって席順が決まることはない。
ここで意味を持つのは、誰の子として生まれたかではなく、いま王国のどの責務を負っているかだった。
アーサーのすぐ近くには、軍務卿ローランド・ヴァルモント公爵が座っている。
それは彼が公爵だからではない。
戦争・反乱・国防という緊急事態に際し、国王と軍務院が即座に意思疎通できるよう定められた官職上の配置だった。
アーサーの斜め後方では、国王首席政務秘書官レオンハルト・ヴァイゼンベルク男爵が今日の議題一覧と過去の決定記録を整えている。
長年、アーサーの政務を支えてきた男の机には、余分な紙が1枚もなかった。
その少し離れた位置には、国王の許可によってジュリアン王太子が座っていた。
円卓の正式構成員ではない。
将来、王国を統べる者として、国政がどのように報告され、どのように判断されるのかを学ぶための陪席である。
アーサーが全員を見渡した。
「始めよう」
レオンハルトが立ち上がる。
「本日の《国王御前九院会議》は、継続案件5件・新規案件4件でございます。最初に、先日の審理および爵位処分後の王国行政正常化について、各院よりご報告をお願いいたします」
最初に立ったのは国務卿オズワルド・レインハルトだった。
「国務院よりご報告申し上げます。中央行政については、今回の事件関係者の処分に伴う混乱は限定的でございます。各院および地方行政機関に対し、関係者と同じ部署に所属していたという理由のみで職務から排除してはならない旨を改めて通知いたしました」
後方でエミリア・シュタインフェルト首席秘書官が資料を差し出す。
オズワルドは必要な箇所だけに目を落とした。
「現段階で、業務停止に至った中央行政部署はございません。今後は個々の職員について証拠と職務記録をもとに確認を続けます」
アーサーは頷いた。
「家ではなく、人を見る。それを行政でも崩すな」
「承知いたしました」
続いて内務卿マティアス・ヴァルナーが報告に立つ。
「内務院からは、旧オルデンフェルト領・旧レーヴェンタール領・旧ハルテンベルク領についてご報告いたします。3領はすでに王領として行政移行を開始しており、派遣された全権王国代官の指揮下で治安・徴税・食料配給・街道維持を継続しております」
ナディア・フェルゼン首席秘書官が地図を広げた。
「現地官吏は一律解任せず、職務記録と事件への関与を個別確認しております。現時点では、住民生活に重大な混乱は発生しておりません」
「王領になったからといって、翌日から別の国になるわけではない」
アーサーの声は低かった。
「住民にとって必要なのは、新しい旗より、明日も市場が開き、橋が渡れ、税の窓口が機能することだ」
「仰せのとおりでございます」
財務卿ヘレーネ・フォルクナーが次に口を開いた。
「財務院では、没収財産と無関係な家族所有財産の切り分けを進めております。犯罪行為に直接用いられた財産・本人所有と確認された財産は国庫へ、配偶者・子女その他の無関係者に属すると確認されたものは本人へ返還しております」
ソフィー・アーレンス首席秘書官が帳簿を差し出した。
「所有関係が確定していない資産については、当面、無関係家族側の生活を損なわないよう保全した上で審査しております。また、3王領の当面の行政予算についても不足はございません」
ヘレーネは資料から視線を上げた。
「ただし、財政上問題がないことと、経済上問題がないことは同義ではございません。その点は後ほど商務院報告と併せて申し上げたいと存じます」
アーサーはその言葉を覚えておくように小さく頷いた。
外務卿セバスティアン・ロートベルクは、国外からの反応を報告した。
「外国使節からは、今回の処分について確認が相次いでおります。ただし現時点で、王国の統治能力そのものを疑う公式声明はございません」
イレーネ・ヴァイデン首席秘書官が複数の外交文書を準備する。
「むしろ問題は、外国商人の動きでございます。王都市場が短期間に大きく揺れたことで、国外の商会が価格差を注視し始めております」
「投機的な買い付けか」
アーサーが問う。
「まだ大規模ではございません。しかし、価格差が広がれば動くでしょう」
今度は商務卿クラウディア・メルクが引き取った。
「商務院から申し上げます。王都の主要生活物資価格は、危機前に近い水準へ戻りつつあります。市場への搬入量も回復しております」
その斜め後ろで、ミリアム・クローネ首席秘書官が市場統計をめくった。
31歳。
商家に生まれ、王国高等学院からセレスティア王立高等学府へ進み、財政経済を学んだ平民出身の官僚である。
クラウディアが続けた。
「ただし、地方側から王都への搬入比率が通常より高い状態が続いております。現段階では異常と断定するほどではありませんが、商務院としては監視を継続いたします」
農政国土卿ヨハン・グリューナーも眉を寄せた。
「農政国土院からも関連報告がございます。主要街道・河川輸送は正常化しております。しかし、王都方面へ向かう輸送量が増えたことで、一部地方市場への荷下ろしが後回しになっております」
エルザ・ノイマン首席秘書官が輸送経路図を卓上へ置いた。
「現時点で飢饉や深刻な不足はございません。ただ、地方倉庫の減り方が平年より早い地域が確認されています」
法務卿エリアス・アルヴェルトは、先ほどまでとは少し異なる報告を始めた。
「法務院からは、今回の捜査対象となった42家について、刑事上の扱いを改めて整理いたします」
アンネリーゼ・ケストル首席秘書官が、判決記録と証拠分類表を静かにエリアスの脇へ置いた。
32歳。
王立高等学府法学部を卒業後、法令・判例・証拠審査の実務を10年近く積んだ平民出身の官僚だった。
「政治的に第2王子を支持していたこと自体を犯罪とはしておりません。また、王太子殿下の政策を批判したことも処罰理由にはしておりません」
エリアスは円卓を見渡した。
「処罰の対象となったのは、法で定められた王位継承順位を、資金・行政組織・軍事力その他の具体的手段によって違法に変更しようとした行為でございます」
ジュリアンは何も言わなかった。
それでも、その横顔にはわずかな緊張が残っている。
自分を支持したか、自分を嫌ったか。
そこを裁きの基準にしてはならない。
彼自身が何度も確認してきた原則だった。
軍務卿ローランドが立った。
「軍務院からは、軍内部の確認状況を申し上げます。各部隊に対し、忠誠の対象は特定の王子・貴族ではなく、国王陛下・王国・法に定められた統治秩序であることを再確認させました」
ユリア・ベルクハウス首席秘書官が部隊別報告書を開く。
「現在、軍部内で違法な王位継承変更へ関与した新たな証拠は確認されておりません」
ローランドの声が少し強くなった。
「軍人が王位継承者を選び始めれば、それは軍ではない。武器を持った政治派閥になります」
誰も異論を挟まなかった。
最後に爵務卿コンスタンティン・エーベルハルト公爵が口を開いた。
「爵務院よりご報告申し上げます。爵位剥奪・降格・停止に関する王国爵位台帳への反映は予定どおり進んでおります」
マルタ・リヒテン首席秘書官が新しい爵位台帳の写しを置いた。
「爵位停止処分を受けた家については、停止期間中、国王任命の全権王国代表が領主代行として行政を行います。ただし、家族個人の私有財産管理へは、別途権限がない限り介入いたしません」
コンスタンティンは続けた。
「また、捜査の結果、完全に無関係であることが確認された8家については、今回調査を受けたことのみを理由に、官職任用・婚姻・商取引・爵位継承・金融信用上の不利益を与えてはならない旨の公示案を作成しております」
アーサーはゆっくり息を吐いた。
9院からの報告は、いずれも大きな破綻を示してはいなかった。
行政は動いている。
治安も保たれている。
王都市場も回復している。
主要街道も開いている。
少なくとも、数字だけを見るなら。
「陛下」
ヘレーネが口を開いた。
「各院の報告を総合すれば、王都の危機そのものは収束段階に入ったと判断してよろしいかと存じます」
クラウディアも大きく否定はしなかった。
「商務院としても、現段階では同様です。ただし地方側の数字には注意が必要です」
アーサーはすぐには答えなかった。
右手の指先で、円卓を一度だけ軽く叩く。
そして。
「レオンハルト」
「はい、陛下」
「国王正面に、臨時席を1つ用意せよ」
一瞬だけ、レオンハルトの手が止まった。
予定表にはない指示だった。
だが、それはほんの一瞬だった。
「承知いたしました」
国王首席政務秘書官が合図すると、侍従が静かに椅子と小机を運び入れ、アーサーの真正面、円卓の外周に臨時席を設けた。
ローランドがわずかに眉を動かす。
他の卿たちも互いに視線を交わした。
誰も、その席が誰のためのものか知らない。
アーサーはその様子を確かめてから命じた。
「シェリィ・ヴァルモントを」
ローランドの表情が、ほんのわずかに変わった。
「……シェリィを?」
父親として漏れた声だったのだろう。
すぐに軍務卿の顔へ戻る。
しかし、ジュリアンだけは驚かなかった。
それをアーサーは見逃さなかった。
やがて重い扉が開く。
「シェリィ・ヴァルモント様、ご入室でございます」
シェリィは室内へ入り、まず国王へ深く一礼し、続いて円卓に座る者たちへ礼を示した。
「お召しにより参上いたしました、陛下」
「座れ」
「恐れ入ります」
国王の真正面。
9院長のいずれの席でもない、今日限りの臨時席。
シェリィは静かに腰を下ろした。
ローランドは娘を見つめていた。
娘が優秀なことなど、父である自分が最もよく知っている。
そのつもりだった。
だが、国王が最高会議の場へ本人を直接呼び入れるとまでは聞かされていなかった。
アーサーが言った。
「いま各院から、王国が正常化へ向かっているとの報告を受けた」
「はい」
「お前にも同じ資料を見せる」
レオンハルトが一瞬だけ迷った。
それだけの資料を、いまから読ませるのか。
だがシェリィへ渡されたのは、各院の概要資料と統計表だけだった。
彼女は黙ってページをめくる。
商務。
農政国土。
財務。
内務。
外務。
数分。
円卓の間に紙をめくる小さな音だけが響いた。
シェリィの指が止まった。
「陛下」
「何だ」
「王都の危機は、確かに収束へ向かっております」
ヘレーネが小さく頷く。
だが、シェリィは続けた。
「ですが、このまま安心なされば、今度は地方から別の危機が始まります」
空気が変わった。
クラウディアが目を細める。
ヨハンも輸送図へ視線を落とした。
アーサーは感情を表へ出さず、ただ尋ねた。
「なぜ、そうなる?」
シェリィは待っていたように商務院資料を開いた。
「王都への搬入量が回復したため、市場価格は安定しております。しかし、その回復を支えているのは、王都内部で新たに供給力が生まれたからではございません」
次に農政国土院の資料を重ねる。
「地方から王都へ向ける荷を増やしたからです」
ヨハンの視線が鋭くなる。
「農政国土院の報告にも、一部地方倉庫の減少が通常より速いとあります」
「はい」
「さらに商務院では、地方市場への荷下ろしが後回しになっている」
クラウディアがミリアムを見る。
「該当資料を」
「こちらです」
ミリアムはすぐに数枚の統計表を取り出した。
シェリィはそれを受け取らず、席から確認する。
「そして財務院」
ヘレーネが腕を組んだ。
「続けてください」
「王都へ物資を送り込んだ商人たちは、危機を乗り切るため、通常より長い支払い条件を受け入れておりますね」
ソフィーが帳簿を確認する。
「……増えております」
「いま店先に物があることと、商人の手元に現金があることは別問題です」
沈黙。
シェリィはゆっくり視線を巡らせた。
「王都は、地方の在庫と商人の信用を前借りすることで正常に見えております」
ミリアムが資料をめくる速度が上がった。
市場価格。
輸送量。
未決済取引。
地方倉庫。
それまで別々の報告書に載っていた数字が、一つの線でつながっていく。
「……商務卿閣下」
ミリアムが低い声で呼びかけた。
「何?」
「シェリィ様の指摘どおりです。王都向け搬入増加地域と、地方在庫減少地域がほぼ重なっています。さらに、その地域の卸商について未決済債権が増えております」
クラウディアの表情から、わずかな余裕が消えた。
「期間は?」
「この傾向が続けば、早い地域では次の月中旬以降、仕入れ資金不足が表面化する可能性があります」
ヘレーネもソフィーへ目を向ける。
「財務側で確認を」
「はい」
ソフィーが別帳簿を開く。
数秒後、その声が僅かに硬くなった。
「王国銀行への短期資金相談件数も増えています。まだ危険水準ではありませんが、商務院の数字と一致いたします」
ヨハンが地図の一点を指した。
「ならば、ここで買い付けが止まれば、農家は売れなくなる」
「はい」
シェリィが答える。
「そして農家が現金を得られなくなれば、次の種・肥料・農具・人夫への支払いが遅れます。王都で物が余って見える頃、地方では次の生産準備が遅れ始める可能性がございます」
セバスティアンが静かに口を挟んだ。
「地方価格が乱れれば、外国商人が気づく」
シェリィは頷いた。
「王国内で価格差が大きくなれば、外国商会にとっては利益の機会となります。通常の取引であれば問題ございません。しかし国内商人の資金が弱っている時期に大量買い付けが重なれば、王国側が必要な物資を取り戻す際、より高い価格を払うことになります」
セバスティアンは、先ほど自分が報告した外国商人の動きを思い返していた。
外交だけでは見えなかった。
商務だけでも見えない。
農政だけでも見えない。
財務だけでも、まだ危機とは判断しない。
だが全部をつなげると、形が現れる。
エリアスが尋ねた。
「対策として、価格統制や出荷制限を考えておられますか」
シェリィは即座に首を振った。
「いいえ、法務卿閣下。それを最初に行えば、かえって市場を歪める可能性が高うございます」
アンネリーゼが初めて顔を上げた。
シェリィは続ける。
「必要なのは、商人へ命令することではなく、行政側が異常を早く把握できる仕組みを整えることです」
アーサーが身を乗り出した。
「具体的には?」
「商務院には地方別の在庫・価格・未決済取引の継続監視を。財務院と王国銀行には、正常な商取引から生じた売掛債権を持つ商人が一時的な資金不足だけで倒れないよう、短期融資制度の確認を」
ヘレーネが頷く。
「信用力のない者まで救済する制度にはしない」
「もちろんでございます。正常な取引記録と返済可能性を前提とすべきです」
シェリィは農政国土院の資料を示した。
「農政国土院には地方公的備蓄の下限確認と、王都向け輸送によって地方生活物資が不足していないかの監視を」
ヨハンが頷いた。
「私有在庫を強制的に止めるのではなく、公的備蓄と輸送状況で支えるわけか」
「はい」
「内務院には?」
マティアスが問う。
「新たに王領となった3地域で、王都向け供給を優先するあまり地域住民の必要物資が削られないよう、全権王国代官へ確認をお願いいたします」
「できる」
「爵務院には、爵位停止中の領地や領主交代が起きた地域について、既存商取引契約が行政上の混乱で不当に停止されていないかの確認を」
コンスタンティンが短く頷いた。
「爵位処分と民間契約を混同するな、ということですね」
「そのとおりでございます」
ローランドがシェリィを見つめる。
「軍務院にまで仕事があるのか?」
その声音には、父親としてのわずかな笑みが混じっていた。
シェリィもほんの少しだけ口元を緩めた。
「ございます、軍務卿閣下」
公の場では、父ではなく軍務卿。
「街道警備の強化を。ただし、軍が輸送車両や馬匹を安易に徴用しないよう改めて確認をお願いしたく存じます。安全を守るための軍が、物流を止めてしまっては本末転倒でございますので」
ローランドは喉の奥で小さく笑った。
「耳が痛い話だ」
「軍務院として受けよう」
オズワルドが問う。
「国務院は各院の調整ですか」
「はい。各院が同じ数字を別々に持っていては、今回と同じことが起きます。一定期間だけでも、在庫・価格・輸送・信用状況を横断的に共有する仕組みが必要かと存じます」
円卓に再び沈黙が落ちた。
今度の沈黙は、戸惑いではない。
各院長が、自らの資料を別の意味で読み直している沈黙だった。
アーサーがジュリアンを見る。
「お前は知っていたな」
ジュリアンは穏やかに答えた。
「はい、父上」
「どこまでだ」
「シェリィが答えを知っている、という意味ではございません」
ジュリアンは真正面のシェリィへ視線を向けた。
「彼女は、答えが出る前の数字を見ます」
アーサーの眉がわずかに上がる。
ジュリアンは続けた。
「1つの役所から見れば正常でも、別の役所の数字と合わせれば異常になる。その境目を見るのが、彼女は異常なほど上手い」
「王太子殿下」
シェリィが困ったように目を細める。
「褒めている」
「そのようには聞こえませんでした」
円卓の何人かから、ごく小さな笑いが漏れた。
張り詰めていた空気が少しだけ緩む。
その中で、ローランドだけは娘をじっと見ていた。
娘が賢いことは知っていた。
領地を動かす才も。
商会を動かす才も。
しかし今日、初めてはっきり理解した。
シェリィが見ているのは、一つの商会でも、一つの領地でもない。
王国全体を流れる金・物・人・制度を、まるで一枚の地図のように重ねて見ている。
「……なるほどな」
ローランドが小さく呟いた。
その言葉を聞いたのは、隣のアーサーだけだった。
アーサーは再び円卓へ向き直る。
「各卿、聞いたな」
9人が姿勢を正した。
「これはシェリィに処理させる案件ではない」
シェリィが静かに顔を上げた。
「国務・内務・財務・外務・商務・農政国土・法務・軍務・爵務。それぞれが、自分の責務として動け」
「はっ」
声が重なる。
アーサーはレオンハルトへ視線を向けた。
「今日中に合同監視体制の設置命令をまとめろ。最初の報告期限は蒼潮月5日」
レオンハルトはすでに記録していた。
「承知いたしました」
アーサーが少し間を置く。
「次だ。爵務卿」
「はい」
コンスタンティンが別の書類を開いた。
「政治的支持のみが確認され、違法な継承秩序変更行為への関与が認められなかった12家についてでございます」
ジュリアンの表情が引き締まる。
コンスタンティンは続けた。
「爵務院としては、刑事上無罪であることはすでに確定しております。ただし王位継承を巡って王国社会に大きな不安を生じさせた以上、今後の立場を公に明確化できる機会を設けるべきと考えます」
エリアスがすぐ補足した。
「ただし、忠誠宣誓を無罪の条件としてはなりません」
「当然だ」
アーサーが答えた。
エリアスは続ける。
「彼らが犯罪を犯していないことは、証拠によってすでに確定しております。儀式はそれを証明するものではなく、今後、合法的な王位継承秩序を尊重することを公に確認する機会と位置づけるべきです」
ジュリアンが静かに口を開いた。
「そして、私の政策への賛成を求めるものでもありません」
全員の視線が集まった。
「税制に反対してもよい。外交方針を批判してもよい。私個人を嫌っていても構わない」
ジュリアンの声には迷いがなかった。
「だが、法で定められた継承順位を、金や軍や官僚組織で勝手に書き換えることだけは許されない。それだけです」
アーサーが頷いた。
「宣誓内容は、国王への忠誠・王国法の遵守・法によって定められた王太子の継承上の地位の尊重・違法な王位継承変更を企てないこと。この4点を基本とする」
エリアスが確認する。
「政策上の反対意見を封じる文言は入れません」
「入れるな」
コンスタンティンが日程案を開いた。
「正式通達は、星環暦1284年・蒼潮月1日・光曜。忠誠の儀式は同月7日・光曜を提案いたします」
アーサーは円卓を見渡した。
異論はない。
「決定する」
レオンハルトの筆が走った。
「正式通達、蒼潮月1日・光曜。忠誠の儀式、蒼潮月7日・光曜。国王裁可済みとして記録いたします」
「もう1つ」
アーサーはジュリアンを見る。
机の端には、まだ正式発令されていない《アスタリア大商会不干渉王令・草案》があった。
「これについてはどうする」
ジュリアンは草案を一度見ただけで首を振った。
「まだ早いと考えます」
クラウディアが少し意外そうに王太子を見る。
ジュリアンは続けた。
「いま発令すれば、アスタリアが王国の復旧責任から逃れるため特別扱いを求めたように見える可能性があります」
アーサーはシェリィを見る。
「お前は?」
「王太子殿下に同意いたします」
迷いはなかった。
「必要な王令でございます。しかし、王令は強いからこそ、いつ出すかで意味が変わります」
「いまではない、と」
「はい。王国側からアスタリアの商業判断へ不当な圧力が加わる兆候が現れたとき、あるいはアスタリアの独立した判断を制度的に守る必要が明確になったとき。その時こそ、最も効果がございます」
アーサーは草案を閉じた。
「ならば保留する。発令時期はジュリアンと協議の上、改めて私が裁可する」
「承知いたしました」
シェリィは頭を下げた。
その判断に、誰も異議を唱えなかった。
会議終了の時刻が近づいていた。
レオンハルトが今日の決定事項を読み上げる。
各院合同の経済監視体制。
地方在庫と信用状況の確認。
3王領での供給網監視。
外国商人の動向把握。
12家への正式通達。
忠誠の儀式。
無関係8家への不利益取扱い禁止の公示。
そして、発令を見送られた不干渉王令。
アーサーは最後まで聞き、訂正がないことを確認した。
「以上だ」
椅子がわずかに動く音が重なる。
しかし、すぐに立ち上がった者はいなかった。
九院長たちの視線が、自然と国王正面の臨時席へ向いていた。
シェリィは少し居心地悪そうに瞬きをした。
最初に口を開いたのはヘレーネだった。
「シェリィ嬢」
「はい、財務卿閣下」
「先ほどの件ですが」
「はい」
「財務院だけの資料を見ていたなら、私はまだ危機とは判断しなかったでしょう」
ヘレーネは率直だった。
「商務院・農政国土院の数字と重ねて初めて、同じ結論になります」
「それぞれの院の判断が誤っていたわけではございません」
シェリィは静かに答えた。
「皆様は、それぞれの責務について正しく見ておられました」
クラウディアが腕を組んだまま尋ねる。
「では、何が違ったのです?」
シェリィは少し考えた。
「境目、でしょうか」
「境目?」
「商務の問題が財務へ移るところ。財務の問題が農業へ移るところ。地方の問題が外交へ移るところ」
シェリィは円卓に並んだ9つの席を見渡した。
「問題は、院ごとには発生いたしませんから」
誰もすぐには言葉を返さなかった。
レオンハルトの筆先も止まっていた。
やがて彼は、記録用紙の余白へ一言だけ書き加えた。
各院横断監視の必要性――国王命令により制度化。
アーサーはその様子を見ながら、ゆっくり背もたれへ身体を預けた。
優秀な1人が国を救う。
それでは国家ではない。
優秀な者が危険を見つけ、制度がそれを受け取り、複数の組織が自らの責務として動く。
それで初めて国になる。
アーサーはシェリィへ目を向けた。
「今日はよく来てくれた」
「陛下のお召しとあれば」
「次も必ず呼ぶとは限らん」
シェリィは微笑んだ。
「その方がよろしいかと存じます」
アーサーの眉が動く。
「なぜだ」
「私がいなければ動かない会議になってしまっては、困りますので」
一瞬の静寂のあと。
ローランドが堪えきれず、小さく笑った。
それにつられるように、何人かの卿も表情を緩める。
アーサーも口元だけで笑った。
「そのとおりだ」
シェリィはもう一度、円卓を見た。
国務。
内務。
財務。
外務。
商務。
農政国土。
法務。
軍務。
爵務。
ここには、国を1人で動かせる者はいない。
だからこそ、この円卓には意味がある。
そしてシェリィは、そのことを心から好ましく思った。
北方で自分が築き始めたものも、いつか同じでなければならない。
自分がいなくても動く仕組み。
誰か1人の天才に依存しない制度。
それこそが、長く残る国や商会を作る。
円卓の間を出る直前、シェリィは振り返った。
アーサーはすでにレオンハルトと次の決裁について話している。
9院長たちも、それぞれの首席秘書官と短い確認を交わし始めていた。
もう動き始めている。
シェリィは静かに微笑み、扉の向こうへ歩き出した。
危機が去ったのではない。
次の危機が、まだ見えないだけだ。
だからこそ――見えるうちに、備える。
それが、国を守るということなのだ。
お読みいただきありがとうございます。
今回は《国王御前九院会議》を舞台に、各院がそれぞれ正しい報告をしていても、それらを横断して見ることで初めて浮かび上がる「次の危機」をシェリィが示す回となりました。シェリィ1人に国を任せるのではなく、彼女が見つけた問題を国王と9院が制度として受け取り、それぞれの責務で動いていく――セレスティア王国が再び国家として立ち直っていく姿も描いています。
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