第23話:金の流れが罪を暴く日
星環暦1284年・炎冠月≪第6月≫1日――
セレスティア王宮・国王執務室。
夜明けを告げる鐘が鳴って間もないというのに、アーサー国王の執務机には王国銀行・《商業ギルド組合》・軍需監査部門・王宮調査官から集められた帳簿・契約書・送金記録・小切手決済記録が山のように積み重なっていた。
その中でも、アーサーが長く目を止めていたのは、昨日まで互いに無関係に見えていた商会と貴族家を一本の線で結んだ資金関係図だった。
不渡りを起こした商会、その保証を引き受けた商会、保証履行によって移動した資金、過去の軍需契約から流れ込んだ金、複数の商会を経由して別名目へ変えられた支出、さらにその先で繰り返し現れる貴族家の名が、日付と金額によってつながっている。
「疑いがある家は42家、だったな」
アーサーが顔を上げると、向かいに立つ王太子ジュリアンが静かに頷いた。
「はい。ただし、42家すべてを本日拘束するつもりはありません」
「理由を言え」
「第2王子を支持したこと自体は犯罪ではありませんし、私を嫌うことも、私の政策を批判することも犯罪ではありません。今日身柄を拘束するのは、《王位継承秩序侵害罪法》に定められた結社・共同謀議・資金提供・人的支援・軍や官僚への働きかけについて、複数の証拠が一致している者だけです」
ジュリアンが差し出した一覧の上部には、
リヒャルト・アーデルベルト・オルデンフェルト公爵
セドリック・グランヴェル侯爵
マティアス・ハルテンベルク侯爵
アルブレヒト・レーヴェンタール伯爵
グレゴール・クラウゼル伯爵
ら首謀・中核層の名前が並び、その下には実務を担った複数の貴族・商人・宮廷関係者が続いていた。
アーサーは最後まで目を通したあと、別の書類の束へは手を伸ばさなかった。
そこには、派閥との関係は疑われているものの、現段階では拘束に足る証拠が揃っていない者の名が記されている。
「家名ではなく、行為を見るのだな」
「そのつもりです」
「よい」
アーサーは短く答えたものの、その表情は緩まなかった。
「王位を巡る事件だからこそ、証拠のない者まで巻き込むな」
ジュリアンは一礼した。
「承知しております」
アーサーは椅子の背へ身体を預けることなく、机に両肘もつかず、国王として真正面から息子を見た。
「私は、王太子を諫めた者を罰するつもりはない。お前が不正を働き、それを知った臣下がまずお前を諫め、それでも正されぬから証拠を揃えて私へ上奏したのであれば、それは忠義だ」
「はい」
「だが、臣下が自ら王太子を選び直すことは違う」
アーサーの指が資金関係図の上をゆっくりとなぞった。
「王位継承権は王族にのみ与えられた権利であり、同時に逃れることのできぬ責任でもある。公爵であろうが侯爵であろうが、臣下に自分たちの都合のよい王を選ぶ権利を与えた覚えはない」
室内の司法官たちは黙って聞いていた。
「ジュリアンに王太子として問題があると思ったなら、まず諫めればよい。それでも改まらず、王国を任せるに足りぬ重大な不正があると思ったのなら、その証拠を持って私の前へ来ればよかった」
アーサーは、秘密会合の参加者・軍関係者への接触・資金提供先・王宮内協力者を記した報告書を持ち上げた。
「彼らは、それをしなかった」
金を集め、仲間を増やし、軍や官僚へ手を伸ばし、正規の手続とは別の場所で王位継承順位を変えるための準備を進めていた。
「これは諫言ではない」
アーサーの声が静かに落ちた。
「王を選ぼうとしたのだ」
室内の空気が張りつめた。
アーサーは拘束命令書を1枚ずつ確認し、証拠欄へ目を通してから署名していったが、証拠不十分とされた者の書類には決して署名しなかった。
セレスティア王国では国王命令が一般法より上位にあり、国王は必要と判断すれば現行法の法定刑を超える裁可を下すこともできるが、アーサーはその強大な権限を証拠の代わりに使うことを何より嫌っていた。
大きな権力を与えられた者には、それに応じた責任がある。
それは、公爵にも国王にも等しく向けられるアーサー自身の原則だった。
最後の署名を終えると、アーサーはペンを置いた。
「始めよ」
その命令と同時に、王都各所へ王宮の馬車が走り出した。
◇
同日――
王都セレスティア・《レーヴェンタール総合商会》本店。
正面玄関へ近衛兵と司法官を乗せた馬車が到着したという知らせを受けても、アルブレヒト・レーヴェンタール伯爵は執務机から立ち上がらなかった。
昨夜から一睡もせず確認していた帳簿には、保証した商会の不渡り・保証履行額・現金残高・軍需部門の資金移動・複数商会への貸付が並んでいる。
普段であれば、それぞれ別々の帳簿の中で完結していた数字だった。
だが、不渡りが短期間に集中したことで保証履行のための資金が必要となり、アルブレヒトは本来なら動かさないはずだった金まで動かさざるを得なくなった。
資金が動けば記録が残り、異なる名目の金が同じ場所へ集まれば、それまで分断されていた流れに一本の道が生まれる。
扉が3度叩かれた。
「入れ」
司法官と近衛兵が入室した。
「アルブレヒト・レーヴェンタール伯爵閣下、王命をお伝えします」
アルブレヒトは椅子に座ったまま司法官を見た。
「その前に一つ聞こう。私が保証した商会が不渡りを出した、それが罪だと言うのか」
「いいえ」
即答だった。
アルブレヒトの目がわずかに細くなる。
「では、何だ」
「過去の軍需調達における不正、複数商会を経由した秘密資金経路、ならびに第2王子殿下を王位継承順位第1位へ置くことを目的とする組織への資金面での関与について、相互に一致する証拠が確認されました」
司法官は王命書を開いた。
「《王位継承秩序侵害罪法》その他の現行法に基づく捜査のため、閣下の身柄を拘束するとともに、指定された帳簿・契約書・軍需納品記録・送金記録を証拠として保全します」
アルブレヒトは返事をしなかった。
やがて視線だけを机上の帳簿へ落とす。
保証を引き受けた判断そのものは、商人として間違っていたとは思っていない。
だが、保証を履行するために資金を動かした瞬間、過去に隠したはずの軍需資金と秘密支出まで同じ決済網の中へ姿を現した。
「……隠したつもりだった金が、足りなくなった瞬間に、全部つながったのか」
司法官は答えなかった。
アルブレヒトは自嘲するように一度だけ息を吐いたあと、書棚の一角を指した。
「軍需関係は右側2列目、過年度分は下段だ。商会間貸付の原本は奥の金庫にある」
「ご協力いただけるのですか」
「帳簿を燃やしたところで、昨日動かした金まで消えるわけではあるまい」
アルブレヒトはようやく立ち上がり、上着の襟を整えた。
「帳簿はすべてそこにある。持っていけ」
負け惜しみでも、罪を認める言葉でもなかった。
自分がどこで追いつかれたのかを理解した商人の声だった。
◇
同日――
オルデンフェルト公爵王都邸。
リヒャルト・アーデルベルト・オルデンフェルト公爵は、近衛兵が邸宅を囲み始めたという報告を聞いても怒鳴らなかった。
「王命か」
「はい、閣下。身柄拘束と捜索の命が出ております」
青ざめた執事に対し、リヒャルトは窓の外へ視線を向けた。
王国に3家しかない公爵家の当主として、数十万の領民・莫大な財力・高位貴族への影響力を持つ自分だからこそ、王位継承へ影響を与えられると考えていた。
ジュリアンが王となれば軍需監査・官職登用・財務管理がさらに厳しくなり、高位貴族が長年保持してきた裁量は狭められる。
一方、若く周囲の助力を必要とするエドワードが王になれば、高位貴族が王を支える古い統治の形を維持できると、リヒャルトは今でも信じていた。
扉が開き、司法官が入ってくる。
「リヒャルト・アーデルベルト・オルデンフェルト公爵閣下、《王位継承秩序侵害罪法》に基づき――」
「最後まで読まなくてよい」
司法官の表情が強張った。
「抵抗するつもりはない」
リヒャルトは静かに振り返った。
「ただし、私は王国を壊そうとして動いたつもりはない」
「その判断をするために、これから調べます」
一瞬、リヒャルトの眉が動いた。
怒鳴り返されると思っていたわけではないが、王太子への反逆者と決めつけられることも覚悟していた。
しかし返ってきたのは、ただの捜査だった。
「……そうか」
別の司法官たちは書斎へ入り、鍵付きの文箱・秘密会合の記録・各家との往復書簡・役割分担表を順番に確認していく。
やがて、その中から1冊の薄い文書が取り出された。
表紙には、王太子交代後の政府人事案と記されていた。
リヒャルトの視線が止まる。
まだ王位継承順位すら変わっていない時期に作られた、存在するはずのない未来の人事表だった。
司法官は何も言わず、それを証拠として封印した。
◇
同日――
クロード男爵王都邸。
「私は何もしておりませんわ!」
ミレーヌ・クロードの声が廊下へ響いた。
父ジェラール・クロード男爵はすでに別室で拘束され、男爵の書斎では往復書簡・面会記録・舞踏会前後の指示書が捜索されていた。
ミレーヌの部屋の前には女性宮廷職員と司法官が立っており、逃げ道を塞いでいるものの、誰も彼女へ乱暴に触れてはいない。
「エドワード殿下が私をお好きになっただけですわ。それの何が罪なのです!」
女性職員は表情を変えなかった。
「恋愛そのものを調べているのではありません」
「では何を!」
「あなたが誰から何を指示され、何を知った上でエドワード殿下へ接近したのか、シェリィ・ヴァルモント公爵令嬢についてどのような話を吹き込み、それが第2王子擁立計画と関係していたことを認識していたのかを調べます」
一瞬だけ、ミレーヌの表情から血の気が引いた。
「そんなもの……知りません」
「では、事情聴取でそうお話しください」
「証拠があるとでも?」
「あります」
短い返答だった。
「クロード男爵家だけではなく、複数の関係者からあなたの名前が出ていますし、男爵からあなたへ渡された指示を示す書簡も確認されています」
ミレーヌは父の書斎から運び出される金属箱を見た。
あの中に何が入っているのか、彼女には分かっていた。
「エドワード殿下は……?」
「第2王子殿下についてはお答えできません」
「殿下は私を助けてくださいますわ」
返事はなかった。
ミレーヌは唇を震わせたあと、強く顎を上げた。
「私はまだ17歳です」
司法官は静かに頷いた。
「承知しています」
それだけだった。
年齢だけで何をしたかが消えるわけではなく、また年齢だけで罪が決まるわけでもない。
調べられるのは、何を知り、何を選び、何を実行したのかだった。
「ミレーヌ・クロード嬢、同行をお願いします」
今度は、ミレーヌも言い返さなかった。
◇
同日・正午前――
王宮正門。
「なぜ入れない!」
エドワードの怒声が門前へ響いた。
彼の後ろには数名の若い貴族と家臣がいたが、王城守護核によって強化された結界は、その者たちが王宮内へ足を踏み入れることを許さなかった。
一歩進もうとするたびに見えない壁が行く手を阻み、近衛兵も剣を抜かず、ただその様子を見守っている。
「もう一度だ! 私と一緒に来い!」
命じられた家臣が進もうとしても結果は変わらない。
しかし、エドワード自身が一歩を踏み出すと、何の抵抗もなく結界を通過できた。
「……ふざけるな」
エドワードは後ろを振り返ったものの、誰も続いてこられない。
結局、一人で王宮内部へ入り、国王執務室へ向かった。
扉を勢いよく開ける。
「父上!」
アーサーとジュリアン、さらに複数の司法官が一斉に顔を上げた。
「何をしているのです! オルデンフェルト公爵もグランヴェル侯爵も、レーヴェンタール伯爵も拘束されたと聞きました。クロード男爵とミレーヌまで! 兄上に反対する者をまとめて捕らえているだけではありませんか!」
「違う」
アーサーの声には怒鳴る必要すらなかった。
「彼らは私を支持しています!」
「お前を支持したことを理由に拘束した者はいない」
エドワードが言葉を詰まらせた。
アーサーは机上の資料を1枚手に取った。
「ジュリアンを嫌うことも、政策に反対することも罪ではない。ジュリアンに不正があるなら、本人を諫めることも、証拠を揃えて私へ上奏することも許されている」
「ならば、なぜ!」
「王を選ぼうとしたからだ」
エドワードの口が閉じた。
「王位継承権は王族にのみ与えられた権利であり責任だ。貴族は国王を助け、領民を守り、王国を支えるために爵位と権限を与えられているのであって、自分たちの都合で次の王を選ぶためではない」
アーサーは軍需契約・秘密資金表・役割分担表を順番に机へ置いた。
「これはレーヴェンタールに関係する資金記録、これは軍需調達の記録、これは複数家の役割分担、そしてこれはジュリアンが王太子から外れた後を想定した官職配置案だ」
エドワードの顔色が変わった。
「……私は知りません」
「そうか」
「本当です! そんなものは知らない!」
「ならば、今この場でその件についてお前を罪人扱いはしない」
予想外の言葉だったのか、エドワードが目を見開いた。
「私は王命によって人を拘束することもできるし、裁判の結果によっては一般法に定められた刑以上の裁可を下すこともできる」
アーサーは次男を真正面から見た。
「だからこそ、証拠のない者を罰するつもりはない」
エドワードの拳がゆっくりと握られていく。
「では、兄上を守るためではないと?」
「ジュリアンが同じことをしたなら、私はジュリアンを調べる」
ジュリアンは何も言わなかった。
「王太子だから責任が軽くなるのではない。王太子だからこそ重くなる」
アーサーは一歩も引かなかった。
「公爵には公爵の責任があり、侯爵には侯爵の責任があり、王子には王子の責任がある。与えられた権力が大きいほど、それを何に使ったのかを私は重く見る」
「……」
「お前は今日、拘束しない」
それは赦免ではなく、現段階で拘束に足る証拠がないというだけの判断だった。
エドワードにも、その違いは分かった。
「ただし、捜査を妨害するな」
エドワードは兄を睨みつけたが、ジュリアンに勝ち誇る様子は一切なかった。
それがかえって腹立たしかったのか、何も言わずに踵を返した。
扉が閉じる。
アーサーはしばらくその扉を見つめたあと、机へ視線を戻した。
「続けろ」
「はい、陛下」
◇
同日・午後――
王都セレスティア各所。
捜索は続いたが、42家の屋敷すべてへ一斉に兵が踏み込んだわけではなく、証拠が固まった者は拘束、さらに確認が必要な者には帳簿提出・事情聴取・資金記録照会が行われ、同じ家の中でも当主だけが拘束されて妻子はそのまま残される例もあった。
父が容疑者だから息子も容疑者になるわけではなく、夫が秘密会合へ参加していたから妻まで罪人になるわけでもない。
一方で、証拠が揃った場所からは秘密会合の記録・資金提供覚書・軍関係者への接触記録・官僚への金銭供与記録・王宮内協力者の名簿・王太子交代後を想定した人事案が次々と押収されていった。
昨日まで王都を揺らしていたのは、不渡りそのものだった。
だが、今になって不渡りによって露出した資金移動が、別の意味を持ち始めている。
保証のために動いた金、軍需契約から流れた金、商会を経由して貴族家へ渡った金、そこから別の協力者へ送られた金が、同じ日付・同じ人物・同じ契約によってつながっていく。
金そのものは、誰が正しく誰が間違っているかを語らない。
だが、誰から誰へ渡ったかだけは残る。
その記録を追えば、人が隠した関係まで見えてくる。
◇
同日・夕刻――
セレスティア王宮。
ジュリアンのもとへ、最後の主要報告が届けられた。
「殿下、対象となった首謀・中核層の身柄確保を完了しました。主要な帳簿・軍需契約書・資金記録・秘密書簡についても保全済みです」
「クロード男爵とミレーヌ・クロードは」
「ともに拘束済み、別々に事情聴取へ移します」
「レーヴェンタール伯爵は?」
「抵抗はなく、帳簿の場所を自ら示しました」
ジュリアンは窓の外へ目を向けた。
王都では今も食料・燃料・薬草が不足し、値上がりした品物を買えずに帰る市民がいる。
この状況が長引けば、狙っている相手より先に、何の罪もない国民が傷つく。
そのことは最初から分かっていた。
だからこそ、終わらせる地点も最初から決めていた。
「第一段階完了とする」
ジュリアンが告げると、司法官が深く一礼した。
「承知しました」
ジュリアンは、あらかじめ用意していた短い書状を取り出した。
そこに長い説明はない。
必要なのは、一つの合図だけだった。
――第一段階完了。
「これを最優先で届けろ」
「ヴァルモントへ、ですね」
「ああ」
封が閉じられ、王太子の印章が押された。
ほどなく伝令が王宮を飛び出していった。
◇
星環暦1284年・炎冠月2日――
ヴァルモント公爵領・アスタリア大商会本部。
夜明け前から、シェリィは執務室で王都向け輸送計画の最終表を確認していた。
王都へ送るための小麦・塩・食用油・乾燥豆・薪・木炭・薬草は、すでに各倉庫へ集められ、荷馬車・馬・御者・護衛・修理要員・途中で交換する馬まで配置を終えている。
アスタリア側で約3日分、ヴァルモント公爵領側で約3日分、合わせて約6日分を王都へ送り込み、市場の供給が回復するまでの時間を作る。
約115万人を恒久的に養える量ではない。
だが、橋を架けるには足りる。
扉が叩かれた。
「入りなさい」
職員が急ぎ足で入室し、封書を差し出した。
「会長、王都からです」
シェリィは封蝋を確認し、静かに開いた。
王太子ジュリアンからの文面は、驚くほど短かった。
――第一段階完了。
シェリィはその文字をしばらく見つめた。
予定どおり、資金の流れが露出し、証拠が固まった首謀・中核層を押さえるところまで進んだ。
しかし、胸に浮かんだのは達成感ではなく、王都で品物を買えずにいる人々の姿だった。
この経済戦と何の関係もない者たちまで、すでに不便と不安を背負っている。
シェリィは書状を丁寧に畳んだ。
「輸送責任者を呼んでくださいませ。それからヴァルモント公爵領側にも、予定どおり発動すると連絡を」
職員の目が大きくなる。
「では、出発を?」
「ええ」
ほどなく輸送責任者が入ってくると、シェリィは最終確認表を差し出した。
「販売価格は計画どおり、混乱前を基準とした通常価格を維持してくださいませ。王都でさらに相場が上がっていても、それを理由に値上げしてはなりません」
「承知しました」
「一つの商会や大口客が大量に買い占めようとした場合は、一者への販売量を制限し、一般家庭と小規模商店への供給を優先してください」
「はい」
シェリィは窓の外へ視線を向けた。
夜明け前の広場には、荷物を満載した車列が静かに並んでいる。
王都へ送る物資も、輸送を担う人間も、すでに準備を終えていた。
残るのは、ただ一つ――
出発命令だけだった。
シェリィは輸送責任者へ向き直った。
「アスタリア第1陣、出発してくださいませ」
「承知しました!」
「ヴァルモント公爵領側も同時に出発を。目的は利益の最大化ではありません」
シェリィは静かに言い切った。
「王都の市場を、正常な状態へ戻します」
外で出発を告げる鐘が鳴り、倉庫の大門が開かれた。
先頭の荷馬車がゆっくりと動き、その後ろから小麦・塩・食用油・乾燥豆・薪・木炭・薬草を積んだ車列が次々と続いていく。
別の集積地では、ヴァルモント公爵領からの救援隊も同じ頃に王都へ向かって出発していた。
王都へ向かう商流を止める準備をした時から、シェリィはその先まで計算していた。
枯らす準備と、救う準備を同時にしていた。
シェリィは朝日に照らされ始めた車列を見送りながら、手の中の短い書状を静かに握った。
「ジュリアン殿下」
誰にも聞こえないほどの声で名を呼ぶ。
「こちらも、動かしますわ」
長い車列の先頭が街道へ入り、王都セレスティアへ向かって進み始めた。
王都を襲った信用不安と大量の不渡りは、ただ商人を苦しめただけではなく、それまで別々に隠されていた資金の流れを一つにつなげました。
ただし、第2王子を支持したという理由だけで42家を一律に拘束することはせず、証拠が固まった首謀・中核人物から捜査と拘束が始まっています。
そして、王都への供給を止めたシェリィたちは、最初からその後に王都を救う物資まで準備していました。
第一段階が終わり、次は王都の市場そのものを立て直す段階へ入ります。




