愛と口付け
「俺は、キノコが嫌いだ。ヌメヌメしているし、食べるとグニュグニュしているし、白い粉出すし。」
「はぁ?」
森の中にある椎茸の栽培所で、きれいに並べられたコナラの丸太に腰掛けて物思いにふけっていると、一人の少年が駆け寄ってきて、目の前に立ち止まると突然大声を出した。
キノコの娘である椎香の前で、キノコを嫌いなどと宣言する少年に、香の眉間に深い皺が寄ったことは言うまでもない。
「なんでぇ、あたいに喧嘩売ってんの?」
可愛らしい顔に似合わぬ、喧嘩早い香は、胸の前に拳を作ってポキリポキリと交互に音を鳴らす。
その様子に、良くも悪くも城育ちのキースは顔に怯えを露にして一歩後ろに下がったが、香から目をそらし、チラリと地面に視線を動かした時に見える暗紫のワンピースの裾に、勇気を振り絞った。
怯え竦んだように見えたキースが、目に強い光を湛えて目と目を合わせてきたことに、香はおっと目を見張った。
「なんでぇ、このガキは?変なことをいきなりぬかしやがって。どういうこった、紫。」
「最後まで話を聞いてあげて頂戴。」
少年の後ろに着いてきた同胞である山鳥紫に問いかけるが、涼しげな顔で少年へと視線を移さされた。
「椎茸の、キノコの娘。俺は君について紫に教わった。
春と秋にとれて、コナラの木が好き。美味しい上に栽培が簡単なことから、国中で一年中食べる事が出来える、食卓で愛されているキノコだって。」
シイタケ
学名:Lentinula edoodes(Berk.)Pegler
分類:担子菌門ハラタケ目キシメジ科シイタケ属
時期:春と秋
大きさ:中型~大型
発生場所:シイやコナラ、クヌギなどの広葉樹の材上
キノコの図鑑を見ながら、キースは城の図書室で紫にシイタケについて教えてもらった。
そのキノコの娘である、椎香についても。
そこに現れたのは、白いコックコートを羽織った料理長だった。
「殿下、少し調理場にお付き合い下さい。」
有無を言わさぬ勢いで、キースの腕を引っ張り城の外れにある彼の仕事場である調理場へと連れて行かれた。
夕餉の支度を始めている調理場は、野菜の皮を剥く料理人や大きな鍋をかき回している料理人がいた。その中で、誰もいない調理台の前にキースと紫を連れて行く。
調理台の上には、二つの瓶と二つの鍋。
瓶は両方とも水が入っている。違いがあるとすれば、一つの瓶の中で泳ぐ、掌サイズの少女の姿があるかないかだ。
茶褐色の大きなヘッドドレスとその左右に複数の小さなリボンをつけた頭を水から出し、淡いグレーの瞳には「椎」「茸」という字があり、キースたちを瓶の中から見ていた。首や腕、全身をモコモコとしたファーで包んで、白いタイトブーツで水を蹴っている。
分身体のキノコの娘だった。
二つの瓶の前にそれぞれ置かれた鍋の中には、時折食事に出されるミソスープ。
料理長は、キースに二つの鍋のスープを飲み比べてみて下さいとスプーンと器を手渡した。
首を傾げながら、料理長の言葉に素直に従ったキースは器に盛られた、キノコの娘が泳ぐ瓶の前にある鍋からよそられたスープを口にした。
「いつもと変わらず、美味しいな。」
王宮に勤めるだけあって、料理長が作ったというスープは美味しかった。
「では、その味を覚えておいたまま、もう一つの方をどうぞ。」
水の入ったコップを差し出され、スープの後味を消すようにそれを飲むと、次によそわれたスープを口にする。
「美味しくない。」
色も具も、二つのスープに違いはない筈なのに。
後に飲んだスープには、コクというか深みというか、味が薄いように感じた。
「先に飲んで頂いたスープには、この出汁が入っています。」
キースの感想に怒るでもなく、頷いた料理長がキノコの娘の泳ぐ瓶を手にした。
「出汁?」
「料理には出汁を使います。特に、大和の料理をする際には。一つの目のスープには出汁を使い、二つ目のスープには使っていません。違いは一目瞭然ですね。
通常は昆布や乾燥させた魚を使うのですが、森に囲まれ海が遠い我が国では特産でもあるキノコを乾燥させたものを日常に使います。乾燥したキノコを一日お湯に浸すことで出汁を取ります。
殿下はキノコが嫌いだといつもキノコを皿の隅に避けておいででしたが、実はキノコを口に入れていたのです。出汁として。
特に、出汁には椎茸を用います。」
料理長の言葉を聞いていたらしい、瓶の中のキノコの娘が右腕を上に上げている。これは、自分が椎茸だというアピールだろう。
「この子が、調理場にいる最後の椎茸です。流石に乾燥していたので、他のキノコたちとは違い逃げられなかったようです。
今、取っている出汁がなくなりましたら、その二番目のスープのような料理しか口に出来なることを殿下にお教え致したく、この場に来て頂きました。」
つまり、料理長がキースに伝えたかったことは、さっさとキノコの娘たち、特に椎茸の娘をどうにかしてくれというものだった。
物言わぬ料理人たちの視線を感じ、キースは深く頷いた。
「料理長が言っていた。椎茸が無いと出汁がとれなくて美味しくない料理しか作れないっと。それに、数十年前に飢饉が起こった時、備蓄していた干し椎茸があったから助かったとも言っていた。椎茸が持っている栄養素のおかげで、少ししか行き渡らない料理でも国民たちの命を支えることが出来たって。」
静かにキースの話を聞いていた香に近づき、キースはその前に跪くと、伸ばした手で香の手を持ち上げ、その手の上に口付けを落とした。
「俺は貴女に、尊敬の口付けを送る。
ま、まだ食感は苦手だが、椎茸から出た出汁は好きだ。」
ふ。あっははは!
ガチガチに固まりながら、香の手に口付けをしたキースはそのままの体制で香を見上げる事で彼女の反応を待った。
「しゃあねぇなぁ。あたいがいねぇと大変だってぇ料理人にいわれちゃぁ、逃げ回るわけにゃぁいけねぇよなぁ。
そうけぇそうけぇ。」
満面の笑顔を浮かべた椎香。
「受け入れてやるよ。短けぇ時間だったが、楽しかったしな。」
ポンッ
音と共に椎香の姿が消え、彼女が腰掛けていたコナラの丸太の上に、一つの椎茸が置かれていた。
「まずは、一人ですね。」
「ありがとう。紫さんと皆のおかげだよ。」
椎茸を手に、キースはホッと胸を撫で下ろした。
これで料理長たちの苛立ちが少しは和らぐといいが。調理場で料理人たちから向けられた、食材が無い苛立ちが混じった視線が余程恐ろしかったのか、キースはそんなことを気にしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・
俺からの助言は、君は全然なっていないってことだ。
君のあれは、ただ一方的に本から得た情報を突きつけいるだけだ。
あんなんじゃあ、愛とは言えないよ。
それに、口付けっていっても口にするだけが口付けじゃない。
あの薬を作った時代に、ある劇作家が作った言葉が流行ってね。
手の上なら尊敬のキス
額の上なら友情のキス
頬の上なら満足感のキス
唇の上なら愛情のキス
閉じた目の上なら憧憬のキス
掌の上なら懇願のキス
腕と首なら欲望のキス
さてそのほかは、みな狂気の沙汰
この言葉のように、口付けには意味があるんだ。
まぁ最近じゃあ、色々付け加えられて、
髪なら思慕、額なら友情、瞼なら憧憬、耳なら誘惑、鼻梁なら愛玩、頬なら親愛、唇なら愛情、喉なら欲求、首筋なら執着、背中なら確認、胸なら所有、腕なら恋慕、手首なら欲望、手の甲なら敬愛、掌なら懇願、指先なら賞賛、腹なら回帰、腰なら束縛、腿なら支配、脛なら服従、足の甲なら隷属、爪先なら崇拝
て増殖してるけど、あの当時は8つだけだったんだ。
つまり、何が言いたいのかというと、君が、君の得た情報を基に相手に抱く思いを口付ければいい。
さぁ、ここまでが俺の助言だ。
あとは、可愛い妹分がやらかした詫びと俺が面白がって改良した薬が起こした事態への詫びとして大サービスで9割引きした毒消しの薬。
どんなキノコの持つ猛毒でも、たちまちに消してしまう『白の魔王』印のこれ、欲しくない?
君、これから猛毒キノコにも口付けしないといけないんだよ?
欲しくない?
小さな瓶を手に、悪魔が微笑んだ。
「タダじゃないのかよ。」
詫びって言うくせに。
「そういうのに細かくて五月蝿い魔女がいるんだよ。
あいつに目をつけられると、改善するまでって追い掛け回してきてさ。
迷惑なんだよね。商売妨害。
ってことで、一本の値段の9割引きで100本売ってあげるよ。まともに手に入れようとすると、一本で
国家予算は行くけど。それとも、『無邪気な天災』に用意してもらう?可愛い妹分だから庇ってやりたいけど、何が起こるか予想もつかないけど。」
「買いたいです。でも、そういう話は宰相と御願いします。」
今回の事件の発端となった『無邪気な天災』と呼ばれる魔女に頼むのは、聞き及んでいる逸話の数々が凄過ぎて絶対に無理だった。
キースは深く、深く頭を下げて購入の意思を告げた。
「毎度あり~。
じゃあ、王子様。頑張ってキノコの娘たちを攻略していってくれよ?俺達、魔法使いの薬の材料にもキノコは必須だし、毒キノコの娘たちの中には自分から悪さしたり、暴れたりしたりする奴等もいるから。最近は静かにしてるけどラタ帝国と組まれたら大変だ。」
嫌な言葉を残し、『白の魔王』ロークは箒に跨り、城の方角へと飛んでいった。
「・・・魔法使いの言葉は力を帯びるって言わなかったけ?」
「言いますね。」
一年中美味しいキノコが特産の『森の王国』フォレス王国第二王子キースの苦難の日々は始まったばかり。
お粗末様でした。
出汁って外国はどうなんでしょう。
不勉強な為、おかしな点があればご教授御願いします。