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第19話 『交差』


 爆炎はなおも街を喰らい続けていた。崩落したビルから立ち昇る黒煙は、夕焼けの残光を無残に飲み込み、街の上空を重苦しい鉛色の帳で覆い尽くしている。辺りには焦げたコンクリートの匂いと、鉄の焼ける鼻を突く異臭が充満し、救急車のサイレン、消防隊員の切迫した怒号、逃げ惑う人々の悲鳴が混ざり合い、この街は一瞬にして巨大な戦場へと変貌していた。

 朝比奈英希は、瓦礫の隙間で潰れかけていた車から中年男性を半ば引きずり出すようにして救い出し、待機していた救急隊員へ引き渡した。

「意識はあります!右脚を骨折している模様、至急処置を!」

「了解!次はそっちだ、早くしろ!」

 救急隊員が担架へ乗せる姿を見届け、英希は立ち上がった。全身が煤と砂埃に塗れ、体力を使い果たした筋肉が悲鳴を上げている。だが、呼吸を整える暇すら彼には許されていなかった。

 脳裏に、あの異様な気配がへばりついている。

 ——未登録能力者。それも、ただの人間ではない「何か」との奇妙な共生。

 索敵能力が捉えたあの二つの波長が、熱気の中にあっても冷たく心臓を突き刺している。

「朝比奈!」

 相沢の鋭い声が、混乱の渦中から飛んできた。

「北西側の規制線付近が混乱している。一般市民がパニックを起こして逃げ出そうとしている、至急そこを下げろ!」

「了解!」

 英希は迷うことなく、再び炎の向こう側へと駆け出した。

     

 規制線の外側では、溢れ出した人混みが、安全を求める熱狂となって渦巻いていた。多くの野次馬が恐怖と好奇心でスマートフォンを掲げ、地獄のような光景を撮影しようと躍起になっている。

 その混沌とした群衆の中に、瀬崎柊弥はいた。彼はスマートフォンを取り出すこともしなければ、誰かと声を掛け合うこともしない。ただ、黒煙の向こう側を凝視していた。

 その隣に、黒い軍服を纏った男——わんころが静かに立っている。彼は獲物を見据える軍人のような精悍さで、炎の向こうにある戦場を射抜くような眼差しを向けていた。

「……わんころ」

 柊弥は小さく、しかし確固たる意志を込めて名前を呼んだ。

「お前、さっきからずっと何かを狙ってるな。……勝手に行くつもりか?」

 返事はない。しかし、彼が纏う空気は明らかに変化していた。先ほどまでの冷徹な警備のような緊張感から、獲物を狩るための殺気へと。副官の外套が、吹く風にバサリと翻る。

     

 英希は規制線へ近づくにつれ、索敵能力の精度を極限まで高めていった。

 心臓の鼓動が早まる。間違いない。あの場所だ。

「……いた」

 間違いない、未登録能力者。だが、隣の男は何だ。

 能力反応は、確実にその二人から発せられている。なぜ、特災府にも登録されていない二人が、こんな最前線にいるのか。英希は覚悟を決め、人混みを縫うようにして彼らの元へ歩み寄った。

「……君」

 不意に声を掛けられ、柊弥は肩をビクッと震わせた。振り返ると、そこには煤で制服を汚し、血の滲むような形相をした朝比奈英希が立っていた。

「……え?」

 柊弥は言葉を失う。目の前の青年は、先ほど炎の中に飛び込んでいくのを見た、あの隊員だ。

「君は……未登録能力者、だよね」

 英希の言葉は、驚くほど平坦で、迷いがなかった。それは、尋問ではなく、ただの確認だった。

「……なんで、それを」

 柊弥の表情が氷りつく。能力のことなど、誰にも話していない。ましてや、隣にいる副官の存在など、この男が知るはずがない。

 英希は、柊弥の質問には答えず、ゆっくりと視線を横へと移した。そこには、表情を持たない、漆黒の影を纏った男が立っている。

「その人は……誰なんだ」

 瀬崎はしばし沈黙し、隣の男を一瞥した。そして、何を思ったか、淡々と言い放つ。

「……わんころ」

「……は?」

 英希は思わず瞬きをした。あまりの拍子抜けな回答に、一瞬だけ思考が停止する。

「わんころ。……俺が付けたんだ」

 柊弥は真顔で、当然のように頷いた。その奇妙なやり取りに、英希は絶句する。しかし、そんな緊迫感のない空気は、突如として粉砕された。

     

 ——ドォォォォォンッ!!

 規制線のすぐ目の前、わずか数十メートル先で新たな爆発が起きた。地面が突き上げられ、崩れた街灯が巨大な凶器となって野次馬の群れへと倒れ込んでくる。

「きゃああああっ!」

「逃げろッ!」

 逃げ惑う人々の中で、小さな子どもが転び、動けなくなっていた。街灯が、その幼い命を目掛けて容赦なく落下する。

「危ないッ!」

 英希は反射的に、倒れ込む街灯の下へと飛び出した。

 その瞬間。隣にいたはずの「わんころ」も、影のように同時に消えた。

 英希は子どもを抱き上げ、地面を転がって回避する。その頭上を、飛来した鉄骨が通過しようとした。

 ——キンッ!

 高い金属音が街中に響き渡る。わんころがいつの間にか空中に舞い上がり、黒い粒子で具現化した軍刀で、鉄骨を鮮やかに弾き飛ばしたのだ。

 金属同士が激突する轟音。粉塵が舞い、視界が白く濁る。

 子どもは無事だった。英希は胸を撫で下ろしながら、着地したわんころを見る。

 ……異常だ。やはり、彼は人間ではない。しかし、彼は今、確実に人命を救った。矛盾した存在が、火炎の夜を背にして立っている。

    

 遠くで再び爆発音が響く。犯罪者はまだ近くにいる。

 無線機がノイズ混じりの絶叫を上げた。

『朝比奈!何をしている!北西側の陣形が崩れた!至急援護に向かえ!』

 相沢の怒号が響く。英希は立ち上がり、燃えるような眼差しで柊弥を見つめた。

「君!まだここは危険だ!もっと規制線の外へ離れてくれ!」

 柊弥は何も答えなかった。いや、答えれなかった。なぜバレたのか、未登録能力者であることが特災府に知れ渡れば——。

 それでも、炎の中へ迷わず飛び込み、子どもを救ったあの背中は、柊弥がかつて画面越しに憧れた英雄のそれと同じだった。

 英希は返事を待たず、再び地獄の中へ駆け出していく。

 柊弥はその背中を、ただ見つめていた。

気付けば、自分でも理由の分からないまま、その姿を目で追っていた。


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