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第1話 『予兆』

初めまして。この度は本作を開いてくださり、ありがとうございます。

本作は、能力者という非日常的な存在でありながら、どこまでも等身大で悩み、足掻く少年たちを描いていくつもりのダークファンタジーです。

彼らがぶつかる絶望と、その先にある小さな希望を丁寧に紡いでいきたいと思っています。

少しでも多くの方に、この物語が届きますように。応援よろしくお願いいたします。


 雨は容赦なく降り続いていた。

 激しく打ち付ける雨粒が瓦礫を叩き、焼け焦げたアスファルトから立ち上る熱を少しずつ奪っていく。それでも街のあちこちでは炎が燃え続け、黒煙は空を覆ったまま動こうとしない。

 久遠仁は肩で荒い息を繰り返しながら、その場に立ち尽くしていた。

 制服は泥と血で汚れ、震える両腕にはもうほとんど力が入らない。それでも、その視線だけは目の前の青年から決して逸らせなかった。

 十数年。家族よりも長い時間を共に過ごしてきた、たった一人の親友。常磐結人。

 その顔は血の気を失い、雨に濡れた黒髪が静かに額へ張り付いている。それでも久遠を見つめる瞳だけは、不思議なほど穏やかだった。

 結人はゆっくりと息を吸い、小さく笑った。

「……仁」

 その声を聞いた瞬間、久遠は喉の奥が引き攣るのを感じた。堪えていたものが、決壊しそうになる。

「……もう、いいんだ」

 結人の言葉は、まるで春の風のように静かだった。しかし、今の久遠にはそれが死の宣告にしか聞こえない。

「やめろ」

 即座に返した声は震えていた。拳を強く握り込みすぎて、爪が手のひらに食い込む。

「頼む、仁……おまえに……」

「やめろって言ってるだろ!」

 久遠の叫びが雨音を切り裂く。

「まだ止められる!絶対に止められる!まだ方法がある!探せばきっと——」

「仁。」

 結人は静かに呼ぶ。その一言だけで、久遠の喉から溢れかけた言葉がつかえて止まった。

「……もう、分かってるだろ」

 優しい声だった。ただ、幼い頃から何度も聞いてきた、あのアイスの帰り道と同じ、隣を歩く親友の声。

「嫌だ……」

 久遠は激しく首を振った。

「嫌だ……」

「俺も一緒に背負うから……」

 一歩、また一歩と結人へ近付く。泥水が靴を濡らす感覚すら、今はどうでもよかった。

「一人で抱え込むなよ。俺がいるだろ……ずっと一緒だったじゃないか。これからだって……」

 声は嗚咽に変わっていた。

「だから……だから…俺を置いていかないでくれよ」

 結人は目を閉じ、小さく息を漏らした。その顔には、どこか遠い日の、懐かしい笑みが浮かんでいた。

「覚えてるか」

 久遠は涙を流しながら頷く。

「……小さかった頃のこと」

「アイス一本しか買えなくてさ。お前、『友達なら半分こだ』って、溶けかけたアイスを無理やり折ったよな」

 思い出した。ぐちゃぐちゃに割れたアイス。二人で笑いながら食べた帰り道。あまりにも些細で、くだらない思い出。

「あぁ……覚えてる、覚えてるよ……お前、溶けたチョコで服を汚して泣きそうになってたよな」

「お母さんに叱られるって言って…」

 震える声で、必死に会話を繋ごうとする。今の時間を、少しでも引き伸ばしたくて。

 結人は少しだけ笑みを深くした。

「でもさ。俺は強欲だから、このアイスだけはお前にも分けたくないんだ」

 結人はゆっくりと目を開いた。その瞳には、すでに久遠の姿が最後のように焼き付けられている。

「全部、俺が持っていく。お前には何も渡したくない。だから、仁。……お前は生きてくれ」

 その瞬間だった。久遠の中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。

「嫌だ!嫌だ!そんなの嫌だ……!」

 首を何度も横へ振る。視界が涙で埋め尽くされる。

「そんな未来いらない!お前がいない世界に、どんな価値があるんだよ!ずっと一緒にいるって……!大人になったら旅行に行こうって酒も飲もうってドライブも行こうって言ったじゃないか!約束破るのかよ…!」

 喉が血の味を覚えるほど叫んでも、結人はただ静かに笑っているだけだった。

「ごめんな」

 その一言だけが、久遠の心臓を直接握り潰すように刺さった。

 結人はゆっくりと目を閉じる。まるで穏やかな眠りにつくように。

「……ありがとう」

「仁。」

 久遠は震える拳を強く握り締めた。歯が砕けそうなほど食いしばる。

 目の前にいるのは、人を殺したくて殺した災厄なんかじゃない。

 幼い頃からふざけ合い、喧嘩をして、くだらないことで笑い転げてきた。

 世界で一番、自分を理解してくれていた、たった一人の親友だ。

 雨だけが、二人の間に降り続いている。

 助けたいという願いも虚しく、運命は止まらない。

 そして——乾いた銃声が、雨音に溶けた。

一瞬だった。

 たった一度、指が動いただけ。

 それだけで、久遠の世界はもう二度と元には戻らなくなった。

「…………ぁ。」

 喉が引き攣り、息が詰まる。

 世界から音が消え、色彩が剥がれ落ちていく。ただ、自分の右手だけが、先ほどの引き金を引いた感覚を忘れまいと、激しく震え続けていた。

 拳銃が、手の中から滑り落ちる。

 鈍い音を立てて、雨に濡れたアスファルトへ転がった。

 その音が合図だったかのように、せきを切った感情が久遠を襲う。

「ぁ……あぁ……」

 呼吸の仕方を忘れた肺が、酸素を求めてひくひくと痙攣する。支えを失った膝が、泥の中へと力なく沈んでいった。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


 悲鳴なのか絶叫なのかどちらか分からない声が、無情な雨空へ響き渡った。

 喉が裂けても、肺が潰れても構わない。叫ばなければ、自分まで壊れてしまいそうだった。

「なんでだよ……!」

 嗚咽が混じる。掠れた声で、空を見上げて叫ぶ。

「なんで、お前なんだよ……! 俺じゃなくて、なんでっ……!」

 泥にまみれた震える拳で、久遠は何度も、何度も地面を叩いた。

 痛みなんて感じない。拳から血が滲んでも構わない。もう二度と、その続きを話すことはなかった。

 何も知らないように雨だけが降り続いていた。

 

 ——48年後。

 

 四月、上旬

 春にしては少し肌寒く、しかし空だけは吸い込まれそうなほど澄み切った青空が広がっていた。東京都心の中心部、天を突くように立ち並ぶ超高層ビルの狭間を、一人の青年が緊張した面持ちで見上げている。

 真新しい黒い制服の襟を何度も整え、胸元につけられた銀色の識別章へ視線を落とした。そこには、鈍く光る銀のプレートに、鋭利な字体でこう刻まれている。

『内閣統理特災対策総理府』

「……よし、落ち着け。俺はただ、やるべきことをやるだけだ」

 朝比奈英希は小さく深呼吸をし、重厚な自動扉の先へと足を踏み入れた。

 能力者になることは、物心ついた頃からの夢だった。能力犯罪が起きれば真っ先に現れ、人知を超えた力で災害を食い止める。テレビ越しに眺める特災府の英雄たちは、いつだって英希の憧れの象徴だった。誰かを救う力——自分もいつか、その一端を担いたい。その願いがようやく結実したのが今日だ。

「……君が、朝比奈英希だな?」

 低く、どこか底冷えするような落ち着いた声に振り向く。そこには、三十代後半とおぼしき男が腕を組んで立っていた。鋭く射抜くような目つきをしているが、不思議と威圧感は感じさせない。

「本日付で対特災統理 第一班 配属になりました、朝比奈英希です!よろしくお願いいたします!」

 英希が背筋を伸ばして敬礼すると、男はふっと肩の力を抜いて笑った。

「そんなに固くなるな。今日から俺がお前の教育係だ。相沢と呼んでくれ」

「それと、今からオリエンテーションだ。」

「相沢隊長……! ご指導、よろしくお願いします!」

 相沢は踵を返し、オリエンテーションをやる庁舎の奥へと歩き出した。英希は小走りでその背中を追う。

「ここには全国から能力者が集められる。俺たちの仕事は、能力者が起こす犯罪の抑止と、能力災害の救助だ。いいか、朝比奈。能力っていうのは非常に便利な『道具』だが、扱いを間違えれば一瞬で人間を殺す凶器にもなる。そのリスクを背負うのが、俺たちの役目だ」

「……はい。心に刻みます」

「それと、世の中には登録されない能力者、つまり『未登録能力者』もいる。自覚がないまま生活している奴もいれば、自分の能力を隠して影で生きている奴もな。厄介なのは、その後者を自ら選んだ連中だ」

 そう言い切る相沢の瞳に、かすかな警戒心が宿る。それは能力者の管理を担う者として、決して油断の許されない現実だった。

 終わりの見えない膨大な資料と、次々と叩き込まれる現場の掟。昼過ぎまで続いたオリエンテーションは、新人の英希にとって、身体よりも精神をすり減らすような長丁場だった。ふと気づけば、空の色は少しずつオレンジ色へと変わり始めていた。

 日が傾き、街が長い影を落とし始めた夕刻、庁舎内に鋭い電子音が鳴り響いた。警報音だ。

『能力犯罪発生。新宿区第五地区。高出力の能力反応を確認。応援部隊、至急出動せよ』

 相沢がパトロール車のキーを放り投げ、英希の方を振り返る。その顔には、先ほどまでの穏やかさは欠片もなかった。

「新人。初任務だ。準備はいいか?」

「……はい! もちろんです!」

     

 パトロール車はサイレンを鳴らし、夕暮れの街を疾走した。現場へ到着する頃には、既に空は藍色に染まり、街の灯りが眩しく輝き始めていた。

 現場の状況は想像以上に酷かった。街路樹はねじ切れ、道路標識はまるで紙のようにひしゃげている。避難する市民の悲鳴が混ざり合う、まさに戦場だった。

「索敵……!」

 英希は車から飛び出し、全神経を研ぎ澄ませた。世界が色を失い、モノクロの静寂に包まれるような感覚。その中で、一点だけが異様な光を放っている。

「相沢隊長! 正面のビルの二階です。熱源反応が激しく波打っています!」

「いい集中力だ。遅れるなよ!」

 二人は瓦礫を飛び越え、ビルへと肉薄する。しかし、能力者は既に二人の接近を察知していた。怒号とともに、巨大な鉄骨が空中を舞う。

「危ないッ!」

 英希は咄嗟に右手を前へ突き出した。脳裏にイメージを描く。——その鉄骨の、すべての勢いを奪う。

「『慣性制御』!」

 空中で止まったかのように鉄骨のスピードが急激に減衰し、鈍い音を立てて足元へ落下した。驚く間もなく、相沢がその隙を突いて犯人の懐に飛び込み、無力化する。

 数分後。警察による現場検証が始まり、救急車が負傷者を搬送していく。英希は荒い息を整えながら、倒れた標識を見つめた。

「……能力って、本当に人を助けられるんですね。教科書で読んだものより、ずっと……」

 相沢はポケットからタバコを取り出し、火をつけずに口にくわえたまま遠くの空を見た。

「……ああ。そうであってほしいと願っているよ。お前の力、悪くない判断だった。このまま磨き続けろ」

 帰り道、車内の窓ガラスには色とりどりの夜景が反射している。英希はふと、疑問を口にした。

「相沢隊長、最近……能力者が急に増えていませんか? 研修資料のデータを見ても、ここ数か月で発現報告の数が異常な気がして」

 相沢は沈黙を守った。ただ、その表情は先ほどよりも少しだけ険しい。

「……気のせいだと言いたいところだが、報告書の山を見ればそうも言えんな。確実におかしい。何かが起きようとしているのか、それとも——」

 相沢は言葉を切り、再び窓の外へ視線を戻した。

「能力なんてものは、人類にとって未だ『ブラックボックス』だ。解明できないことが多すぎる」

     

 同じ頃。都内のとあるワンルームマンション。

「あー……明日も一限から講義か。だるいなぁ」

 大学の友人と別れ、来栖憂はコンビニの袋を提げながら、ため息交じりに帰宅していた。スマホを片手にSNSを開けば、話題は今日発生したばかりの能力犯罪のニュースで持ちきりだ。

 ビルを支える特災府の能力者。悪を討つヒーロー。

「……いいなぁ。あんな力があったら、人生変わってたのかなー」

 憂は笑いながら自嘲する。自分には特別な才能なんてない。ただの平凡な大学生だ。

 部屋に戻り、シャワーを浴びて一段落したその時だった。

「……っ、うわっ……!」

 突然、背筋を突き抜けるような凄まじい悪寒。頭が割れるように熱い。立っているだけで視界がグラグラと揺れる。

「なんだ、これ……急に、熱が……」

 ふらつく足取りで洗面所へ向かい、体温計を脇に挟む。数秒後、無機質な電子音が響いた。

『39.2℃』

「うわ……マジかよ。インフルエンザかな……」

「最悪……。」

 憂はフラフラのまま布団に潜り込んだ。全身の血管が沸騰しているような感覚に、意識が遠のいていく。これがただの風邪ならいい。だが、枕元に置いた体温計の表示は、憂が眠りに落ちる直前、さらなる上昇を示していた。

『39.8℃』

 ——その熱が、彼の日常を終わらせることになるとは、まだ誰も知らなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

本作はここから少年たちの過酷な選択と、それぞれの「答え」を巡る旅が始まっていきます。

決して明るいだけの物語ではありませんが、彼らの葛藤を最後まで書き切る予定です。

少しでも続きが気になったら、ブックマークや評価をいただけますと、執筆の何よりの励みになります。

次回もまたお会いできれば嬉しいです。

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