①山越え
山越えには、約一日半ほどかかる予定だ。
昼過ぎに出発し、日暮れ前には野宿の準備をしなければいけない。
もちろんルティアは、山越え経験者だ。
だから「いつもの場所」で野宿をする……そう自然と決めていた。
「フレッドに、馬を借りて良かったわ……」
ルティアは呟く。
いざ出発し山道を歩いていて、ふと気付いたことがある。
――そういえば、一人旅は初めてだった……。
一人が不安というわけではなく、話し相手がいないというのが何だか慣れない。
いつも口を開けば、誰かは必ず返事をくれていた……。
見送りにきたフレッドが、自分の愛馬である「テッド」を連れていくように提案してくれた時、断らなくて良かったと今さら思ってしまう。
『テッドは旅慣れてるし、俺はもう、あまり乗ってあげれないだろうから』
そう言ったフレッドから手綱を預けられたとき、ルティアは正直迷った。
魔王討伐の時にもテッドは途中まで一緒だったし、ルティアが騎乗することにも抵抗はない。
でもやっぱりテッドだって、主人であるフレッドと一緒のほうが良いに決まっている。引き離すのは可哀想だと思った。
しかしテッドは主人の意志を汲みとったのか、自らルティアに歩み寄ってきた。
(――本当に賢い子……)
馬が必要だと思っていた時だったし、テッドなら魔獣が出ても錯乱したり、逃げ出したりすることもない。
ルティアは有り難く借りることにした。
おかげで悩んでいた「聖水」のことも解決し、今はゆっくりと手綱を引いて山道を登っているところだ。
それに会話はできなくとも、テッドの存在だけでずいぶん癒される。
「ねえテッド。リュードさんもこの道をひとりで歩いていったのかな……?」
テッドの首の辺りの和毛を擽りながら、ルティアは問いかける。
東区から出るには「山越え」は絶対だ。だからリュードも同じ道を辿っていったのは間違いない。
これからルティアはリュードを探しにいく……。
当てがないわけでは無かった。
『魔王を討伐した冒険者のひとりが【守護救命団】にいるらしい。祈祷師だそうだ――』
この情報がもたらされたのは約二ヶ月前。
冒険者組合で働いているレティシアの夫――セルレイが噂を耳にした。
リュードがいなくて意気消沈していたルティアは、手掛かりを掴んだことで、水を得た魚のように自分を取り戻した。
――リュードが「守護救命団」にいる!
ルティアはすぐに合点がいった。
リュードならば、その道に進んでもおかしくはないからだ。
【守護救命団】は、奉仕活動をしている医師達のことだ。
体系としては、一応、冒険者組合員が管理する組織ということになってはいる。だが冒険者組合が関与することは殆ど無かった。
医者がいない貧しい村や、流行り病で治療が追いつかない地域、天災によって怪我人が多く出てしまった時など【守護救命団】は人命救助のために駆けつける。
普段は旅をしながら村や街を廻っているが、有事の際には冒険者組合を通して情報がもたらされ、必要な地域へと国境も関係なく移動し活動しているらしい。
一方……リュードは祈祷師だ。
祈祷師は、治療術にも長けている。
薬草の知識や扱い方は当然として、さらに処女三神の御業である回復魔法が使える。だからリュードが救命団の一員として活動しているのは何ら不思議ではなかった。
救命団に属している者は、普段は二、三人で纏まって行動し、人手が必要な地域には集結するらしい。ならばリュードの居場所は分からなくても「守護救命団」の誰かと行動をともにすれば、いづれ再会できる日が来るのではないか――。
そう考えたルティアは伝手をたどり、救命団で活動している、ある人物の居所をつきとめる。
その者は年に一度だけ故郷の街に帰ってくるらしい。しかも丁度この時期に……。
ルティアはその人物と交渉し「護衛」として同行させて欲しいと、お願いするつもりでいた。
そのために今は「ラスダ」という街に向かっている。
太陽が傾き、空が茜色に染まる時分。
ルティアはいつも寝床にしている場所にたどり着いた。
此処は山奥でも多少拓けており、近くには渓流もある。
(完全に暗くなる前に、テッドに水を飲ませて早いとこ寝たほうがいいわね……)
山奥では何もすることはないし、日の出とともに起きて出発すれば明日の夜には麓の村に着くだろう。そうすれば野宿をしなくて済む。
さっそくルティアは草を食んでいたテッドの手綱を引き、渓流まで歩こうとした。
しかしその刹那、全身がザワリと粟立つ。
キーノスから預かった首飾りが妙に存在を主張し、ルティアのそばを一陣の風が走っていく。
(まさかっ……!)
そう思ったときには「ぎゃあっ……!」と男の悲鳴が木霊する。
ルティアの行動は早い。
「テッドは、ここで待っててっ!」
素早く頭にターバンを巻きながら言うと、声のした方向へ迷わず駆け出す。
――魔獣がいる。間違いない!
山越えは危険が伴う。盗賊ですら命が惜しくて避けるのだ。
蛇行した山道を駆け抜けたところで、ルティアは足を止める。
「いた……!」
道の先に魔獣の姿を捉え、ルティアは剣を抜いた。
ずいぶん小さな魔獣だった。
ルティアの背の半分くらいといったところか。
(私が一番嫌いなタイプの魔獣だわ……)
こういう小さな魔獣は腕や足とおぼしきモノが無く、どんな攻撃をしてくるか見当がつかない。
近づいた瞬間、毒霧を吹くヤツもいるのだ。
魔獣のいる位置から少し離れた場所に、仰向けで倒れている男がいる。さっき悲鳴をあげた者だろう。他に仲間がいる気配は無かった。
(一人で山越え? ……なんて無謀なことを)
ルティアはゆっくりと男に近づく。
無論、決して魔獣から目は離さない。隙を見せた瞬間に攻撃される可能性があるからだ。
男の肩に、ルティアの右足が触れた。
そのまま足で何度か男の肩を揺らしてみる。
しかし反応はない……。
「お願い。返事をして――」
願うような気持ちで、ルティアは一瞬だけ男に目を向ける。
腹から大量の血が流れていた。
ルティアは眉を寄せる。
男はもう既に息絶えていた……。
手に武器も何も持っていない所を見ると、急に襲われたに違いない。
(可哀想に……まだ若いわ……)
胸が痛い。
けれど、男を見てわかった事がある。
(この魔獣は、角を出すヤツね)
男の腹には、槍に突かれたような傷があった。
おそらくこの魔獣は、鋭い角のようなもので攻撃してくるのだろう。
ルティアは両手で剣の柄を握ると、魔獣に向かって走り出す。
近づくと魔獣の体の表面がボコボコと波打つように蠢いたかと思えば、黒々とした一本の角が、ルティアをめがけて真っ直ぐ突き出された。
「――っと!」
ルティアは走りながら上体を捻って角の切っ先を躱すと下から剣を振り上げる。
ザシュッ! まず角を断つ――
それから身体の動きを止めることなく、そのまま魔獣の前に踊り出ると、力を込めて魔獣の胴を斜めに斬り裂いた。
『ギィィィィ』
魔獣が甲高い断末の叫びを上げる。
脳内に響くその声に、ルティアは思わず耳を塞いだ。
真っ二つに分かたれた魔獣の胴体から、ゴブ……と溢れた血とともに魔核が転がり落ちる。
ルティアは剣を収めると、魔核を掴もうと手を伸ばす。
右手の甲の紋様が、かすかに赤い光を帯びた。
(フレッド……使わせてもらうね……)
「火神【ローギ】――私に力を貸して」
ルティアの右手から炎が立ち上がる。
掴んだ魔核が一瞬で、燃え屑となり消えていく。
不思議な感覚だった――。
確かに炎が出ているのに、ルティアの手は火傷どころか、いっさいの熱を感じなかった。
「助けてあげられなかった……」
男の亡骸を前に、ルティアは悔しさに歯嚙みする。
――もう少し早く気付けていれば……。
それに駆けつけた時、ほんの少しでも呼吸があれば、ルティアは魔獣が目の前にいようが治療を優先させていただろう。
命が一番大事なのだから……。
ルティアはテッドを呼び、荷物の中から「聖水」を取り出すと亡骸を清めていく。聖水は高価なものだ。だから死者への餞けにも相応しい。
それが終わると、ルティアは男の荷物を確認する。中身のほとんどは「手紙」だった。
「この人は配達人だったのね……」
手紙を届けるために、危険を顧みず山越えをしていたのだろう。
このままにしてはおけないと思った。
亡骸も、手紙も……。
「テッド、貴方にお願いしたいことがあるの」
ルティアはテッドに託すことに決めた。
テッドは賢い。魔獣に怯えることもない。テッドの足なら、走れば夜中のうちに東区へ着くだろう。
テッドの背中に、男の亡骸と荷物を括り付ける。
フレッドとキーノスなら、きっとルティアの意図を汲み対処してくれるはずだ。
「さあテッド、主人のもとに真っ直ぐ帰るのよ!」
ルティアは守護の神【アルーミス】の「加護の祈祷」を施すと、テッドの背中を軽く叩く。
合図を受けたテッドは迷いなく走り出していった。
とうに夜の帳は降り、やけに明るい月明かりが木々の葉の隙間からこぼれている。
ルティアはひとり……大木の幹に腰掛けると、そっと目を伏せた。
一人になって考えるのは、愛するリュードのこと……。
リュードのことを想うと、傷んだ心も温かくなっていく気がした。
「そういえば、リュードさんに初めて会ったのも、こんなふうに明るい夜だったわね……」
ルティアは思い出す。
あれは魔王討伐のため、隣国に向かって荒野を進んでいる時だった。
満月が近い、ある晩こと――。
一人の美しい青年が、多くの亡骸の中心に立ち、祈りを捧げていた……。
読んで頂き有難うございます!
なんか一人旅だから、会話が少なかったですね…。
次回。
「リュードという男」
……やっと彼のことが書けます。




