亭子院歌合
この歌合の豪華さは、人が噂せずにはいられないほどだった。だが、詳細までもが広く人々に語られたのには理由があった。出席していた女流歌人の伊勢が、興奮のままに日記に書き残していたのだ。それほどこの歌合は特別だった。何よりそれまでの歌合とは違う、まれな催しだった。
まず、宇多法皇の居場所である亭子院が、前の帝にふさわしい美しさと荘厳さを兼ね備えた美麗な寺院である。そこに集まった親王、内親王と言った貴人もそうそうたる顔ぶれで、左右に分かれた詠み人たちの頭に法皇の皇女である誨子と依子両内親王の、女性のお二方が立たれた。
左には敦慶親王、敦固親王、藤原定方、源宗于らが、右には敦実親王、貞数親王、源昇、兼覧王らが並んでいた。
呼ばれた歌人も当代を代表する人ばかりで、貫之、躬恒、興風、是則、伊勢などが出席していた。
人も豪華ならその場の衣装や調度、興を助ける演奏や小物までもが素晴らしい。
法皇の装束は貴人にふさわしく、上質な檜皮色の単衣に承和色の袴姿。
左右に分かれた人々の装束も皆、高貴な人らしい上等なものを身に着けており、左方の人は匂うような赤色の桜襲。右方はすがすがしい青色の柳襲の装いで、見事に春らしい色に統一されていた。
歌よみ・員刺(勝った回数を数える役目)の少年たちもやはり色を揃えており、左が赤い単衣に綾織の薄い蘇芳色の表袴。 右は青い単衣に綾織の萌黄色の表袴が実に子供らしく、勝った方が目印の串を数刺しに立てる様子も可愛らしい。御簾は清らかに青く、用意された敷物や屏風に几帳などの調度も素晴らしく、華やかなことこの上なかった。
演奏される雅楽も左方は黄鐘調と言う調子に乗せて『伊勢の海』と言う曲を、右方は双調と言う調子で『竹河』を厳かに演奏する。いずれの演奏者も雅楽の名楽師ぞろいで、使われる楽器も貝の細工や、漆の塗り物などがあしらわれた目を奪うような美しい物ばかり。楽の遊びの場ではないが、清らかな音色にそれだけでもすがすがしい気持ちにさせられる。
それぞれ歌を奉る時も、左はよく咲いた桜の枝に添え、右はみずみずしい柳の枝に添えるという凝りよう。他にも少年に粗相がないように見守りこまごまとした雑用を陰で行う人も、女蔵人という女官を左右それぞれに四人ずつ控えさせてある。
歌を詠みあげる講師と呼ばれる人も、美しい装束で身を飾った女性に勤めさせていた。法皇の主催でありながら堅苦しさがなく、まるで女の遊びを思わせるような華やかさ。どれを挙げてもため息が出るようだ。
そしてこの流麗華美な催しの実行責任者は、この年の一月に中納言に昇任したばかりの定方であった。法皇の彼に対する信頼の厚さがうかがえた。
それほど見事な催しにもかかわらず、この歌合は和やかな雰囲気に包まれていた。 それはこの場に揃った人たちのほとんどが、法皇の御子様方や、お目にかけてきた寵臣や歌人などの法皇ににゆかりのある人だったからだろう。歌合にありがちな、異様な緊張感などまるで感じさせるところがなく、ゆったりとくつろいだ空気が流れていた。
歌合を始めるにあたって法皇が藤原忠房を判者に指名され、忠房が恐れ多いからと断った。仕方がないということで、法皇自ら判者を務められる。
しかしこれには皆が忠房に同情した。いかに寵臣とはいえ専門歌人を上回るほどの歌よみである法皇の御前で判定を下すなど、忠房でなくても困る御指名だったに違いない。
和やかな集まりとはいえ、これほどの高貴な方々と一流歌人の集められた歌合である。皆、吟味に吟味を重ねた良い歌を用意していたらしい。詠みあげられる歌は左右両方とも素晴らしく、実力が拮抗していた。さすがの法皇も判定に迷われるらしく、この日の歌合せは持(引き分け)が多かった。
「また、持でございますか」
幾度目かの持が続いたとき、定方が言った。実は出席したすべての人がそう思ってはいたのだ。だが身分の低い歌人はもちろん、臣下は法皇の判定に不満を述べることなどできない。親王たちでさえ法皇に遠慮しているようだった。それが座を少し白けた雰囲気にさせていた。内心は誰かが法皇に何か言ってほしかった。 そこに定方が思い切って無礼を承知で声をかけたのだった。法皇もそれに気が付いて、
「これほどよい歌が多くては判定も難しい。忠房に逃げられて本当に残念だ」
と、おどけた調子で言う。親王たちがくすくすと笑い、場が和んだ。さらに法皇は、
「忠房が判定に苦悩する姿が見られず、寂しいものだ」
などと続けて言うものだから、ついには臣下たちまで笑ってしまう。定方の機転と、法皇の気配りが功を奏したようだ。
それでもしばらく勝敗のつかない歌が続き、歌合の中ごろになって貫之と躬恒の歌の番が来た。先に左の貫之の歌が詠みあげられる。
桜散る木の下風はさむからで空にしられぬ雪ぞ降りける
(桜が散る木の下を吹く風は寒くはなく、空でさえ知らぬ雪が降っているのだ)
「おおっ……!」
誰からともなく感嘆の声が上がった。実に壮大で空想豊かな歌である。散り行く桜を雪に見立てるのは古歌によく使われる常套手段であるが、この歌はそれに豊かな新鮮味を加えている。「桜が散る」や「寒くはなく」で春のぬくもりを表現しながら、「雪ぞ降りける」と冬を思わせる言葉を入れて、その対比を鮮やかにしている。しかも、雄大にも空を擬人化してしまっている。空が人のように雪を自らの意志で降らせているのならば、この散桜の雪は空のあずかり知らぬ雪と言うことになる。春の青空に吹く暖かなそよ風に、雪のように舞い散る桜の花びら。美しい景色が脳裏にはっきりと浮かぶ歌であった。
これは右の歌を聞くまでもなく、左の勝ちだろうと誰もが思った。貫之の詠む歌の中でも、まれにみるほどの良歌と言ってよかった。
しかしこの後に詠まれる左の歌は、躬恒の歌であった。貫之の歌の感激も消えぬうちに詠みあげられる。
わが心春の山べにあくがれてながながし日を今日も暮らしつ
(私の心は春の山辺にさまよっているが、長い長い一日を今日も暮らそう)
この歌も良かった。いかにも躬恒らしい、共感しやすく親しみやすい、音の調子に凝った興味深い歌であった。普通なら十分に楽しめる歌だったがここは貫之の雄大さ、思い浮かぶ景色の美しさ、発想の豊かさが勝っていた。良い歌を詠んでいながらこれは躬恒に運がなかったなと、誰もが思っていた。歌を聞いて法皇はすぐ、
「これは左の勝ちだな」
という。誰もが仕方がないと納得しかけていた。貫之と躬恒が親友同士であることも皆知っていて、さんざん引き分けが続いたにもかかわらず、この二人のこれほど良い歌にはっきりと判定が付くのは酷な事だと思ったが、どうしようもない。
だが、法皇はいたずらっぽく微笑みながら言葉をつづけた。
「右の歌は『ながなが』と言う言葉が煩わしい。歌を詠みあげる講師でさえ、煩わしそうに首や肩をすくめながらつぶやいていたではないか」
皆、一瞬あっけにとられた。確かに引き分けの歌が続きすぎて、盛り上がる頃合いを逃していたため、誰もが時の流れを『ながなが』と感じていた。講師も緊張が続きすぎて、疲れたように首をすぼめながら詠んでいた。
そこで法皇はとっさに冗談をおっしゃったのだ。確かに貫之の歌は素晴らしく、しかも華やかなこの場によく合っていた。これで貫之に軍配が上がらなければ、明らかに座は白けてしまう。しかし、それでも躬恒の歌も誰もが認める面白さがある。しかも二人は親友同士。どちらの面目がつぶれても後味が良くないだろう。いや、それほどこの二人の歌は良い歌だったのだ。
しかし法皇がこのような判定の下し方をしたことで、穏やかに双方の顔が立つこととなった。法皇の心配りに貫之も躬恒もどれほど感激したことだろうか。
もちろん座は盛り上がり、どっと笑い声が上がった。親王や内親王もこらえきれずに笑い、躬恒も貫之も皆と共に笑っていた。
「た……たしかに、今は『ながなが』と言う言葉は聞きたくありませんね」
「講師も、その文字を見た途端、思わず首をすくめたのでしょう」
左方、右方それぞれに自陣を応援する役目の念人までもが、評定も忘れ口々にそういって笑い転げた。座は大変盛り上がりを見せ、始めの頃に漂っていた遠慮も消えていた。
また、ほかの歌の時に法皇は右の歌に心惹かれ、
「この歌は目をこすりながら桜花を見るところに愛嬌があってよい」
とおっしゃったが、それを聞いた定方が、
「私はこの歌を聞くと、源昇朝臣が眠い目をこすりながら夜遊びに外出する姿が思い出されました」
などと言ったものだから、法皇はお笑いになられて、
「そんなことを言われては、この歌の愛嬌もどこかに行ってしまった。仕方がない。これは左右持としよう」
とおっしゃるものだから、皆はまた笑ってしまった。
法皇の判定がこんな調子なので、しばらく左に勝ちが続くと右の念人たちが、
「法皇は左の歌ばかりにお心を寄せておられる。我々よりも左の方々がご贔屓なのではありませんか?」
と恨み言を言うものだから法皇が歌で潔白を証明すると「そら、誤解だったではないか」と皆が笑うなど、実に笑いの絶えない和やかな歌合となった。
ちなみにこの時貫之の詠んだ「桜散る木の下風は」の歌は、後の世までも愛唱される名歌となった。




