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歌人評価(1)

 然猶有先師柿本大夫者。高振神妙之思、独歩古今之間。有山辺赤人者。並和歌仙也。其余業和歌者、綿々不絶。


 然れどもなお、先師、柿本大夫かきのもとのたいふといふ者あり。高く神妙の思ひをふるひ、独り古今の間を歩む。山辺赤人やまべのあかひとといふ者あり。並びて和歌のひじりなり。其の余、和歌を業とする者、綿々として絶えず。


(しかしなお、先師と呼べる人、柿本大夫と言う人がいた。高らかに神技を振るうかに思える歌を詠み、独り古今の間を歩む人であった。そして山辺赤人と言う人がいた。この人も大夫に並ぶ和歌のひじりであった。そのほかにも、和歌を詠むことを生業とする人は、綿々と絶えることがなかった。)


 柿本人麿かきのもとひとまろは歌人にとって触れずにはいられない存在だ。並び称される山辺赤人も同様だろう。当然漢文の序にもその名は取り上げられている。

 だがそれは二人がひじりと称されるほど著名であることに触れる程度。しかし人麿の紹介に「柿本大夫」とされているところに尊敬の念が込められている。

 この人たちは古代の人たちなので、すでに人物像は伝説となっている。身分の詳細も不明で人麿の官位は朝廷でも正確な官位は把握していない。歌人でしかなかった彼に後世の人々が敬意をこめて、五位の位にあったという説と、さらに高い三位だったという二つの説が唱えられている。淑望はそこから人麿は最低でも五位の位であったと推測し、五位の地位である「大夫」の名称を記したのだろう。

 しかし、貫之はかな序で彼らのことはもう少し触れても良い気がした。それほど今の世の歌人たちに影響を与えた人物なのだから。


「いにしえよりかく伝はるうちにも、ならの御時よりぞ広まりにける。かの御代や歌の心をしろしめたりけむ。かの御時に、正三位おほきみつのくらゐ柿本人麿なむ歌のひじりなりける。これは、君も人も身を合はせたりといふなるべし。秋の夕べ、竜田川に流るる紅葉をば、帝の御目には錦と見たまひ、春の朝、吉野の山の桜は、人麿が心には、雲かとのみなむおぼえける。また、山辺赤人といふ人ありけり。歌にあやしく妙なりけり。人麿は、赤人が上に立たむことかたく、赤人は、人麿が下に立たむことかたくなむありける。この人々をおきて、またすぐれたる人も、呉竹のよよに聞こえ、片糸のよりよりに絶えずぞありける。これより先の歌を集めてなむ、万葉集と名づけられたりける。」


(古くからこのように伝わる中でも、和歌は奈良の帝の御代から広まった。当時の帝は歌の心を良く御存じで、世の人々にも知らしめておいでであったようだ。その御代では、正三位の柿本人麿かきのもとのひとまろが歌の聖であった。これは、君と人臣の歌の心が一体であったと言えるであろう。秋の夕暮に、竜田川に流れる紅葉を、帝の御目は錦とご覧になり、春の朝、吉野の山の桜を見る、人麿の心には、ただの雲に思えたのである。また、山辺赤人と言う人もいた。その歌は不思議なほど魅力的であった。人麿が、赤人の上に立つことは難しく、赤人が、人麿の下に立つことも難しかった。この人々のほかにも、同じく優れた人も、代々にその名が聞こえ、縒り続ける糸のごとく途切れることなく続いたのである。そこでこれ以前の歌を集め、万葉集と名づけられたのだ。)


 貫之は人麿の位を正三位と記した。今とは和歌に対する尊厳が違う時代なのでもっと高いくらいであったという説に従ってのことである。それは彼なりの古代の歌人に対する崇拝の念の表れでもあった。貫之は人麿に伝わる帝との関係に憧れていた。

 奈良の時代の帝が山の紅葉を錦とご覧になる感性と同じく、人麿は春の桜を雲とみる非凡な感性を持っていた。主従がともに、同じ心を共有できていたのだろう。

 それは貫之の憧れである業平が、惟喬これたか親王と深い主従の情で結ばれていたことに似ていて、貫之の憧憬を刺激せずにはいられなかった。それが一層人麻呂や業平への敬意を高め、自分もいつかそのように深い主従関係を結べる人間になりたいと思わされた。

 そして、そんな人麿と並び称される赤人にも、同じように崇敬の念を抱いたのである。


 及彼時変澆漓、人貴奢淫、浮詞雲興、艶流泉湧。其実皆落、其華孤栄。至有好色之家、以此為花鳥之使、乞食之客、以此為活計之媒。故半為婦人之右、難進丈夫之前。


 彼の時の澆漓げうりに変じて、人の贅淫しゃいんを貴ぶに及びて、浮詞ふし雲とおこり、艶流えんりゅう泉と湧く。その実皆落ち、その華 ひとり栄ゆ。好色の家には、此を以ちて花鳥の使となし、乞食きっしょくの客は、此れを以ちて活計のなかだちとなすことあるに至る。ゆえに半ばは婦人のたすけとなり、丈夫ますらおの前に進めがたし。


(だが人情が薄い時代に変わり、人々が淫らな贅沢さを貴ぶようになると、浮いた言葉が雲のようにおこり、艶っぽい流行語が泉のように湧いた。味わいのある和歌の実はすべて落ち、見た目ばかりの華だけ咲き誇った。色好みの家では、歌を花と鳥のような男女間の使い物とし、卑しい芸人は、歌を生活の糧とするに至った。そのため、和歌は半ば女のための物となり、立場ある男性には勧めにくいものとなった。)


 貫之が「色につき、人の心花になりにけるより」と柔らかく表現した人心の荒廃ぶりだが、漢文ではどうしてもその表現が厳しくなる。人の心を「澆漓げうり(軽薄)」と断言し、「贅淫しゃいんを貴ぶ」と嘆いている。これが現実と言うことなのだろう。漢文は現状を冷酷なまでにすべてあらわにしてしまう。現実を知らなければ反省も進展もないのだが、やはり我々は唐の国の人とは違うのか、人を断じるようなこの表現がしっくりと来ない。

 確かに和歌の衰退は嘆かわしいことである。しかし四季が移ろうように自然には流れと言うものがある。人の心も同じ事。ゆっくりといつの間にか変化した人の心を断じる必要はないのではないか。何よりその変化があったから我々は唐国の文化を吸収し、発展した経緯もある。和歌は「埋もれ木」とはなっても朽ちてはいない。人々を断じる事よりも、心に宿す「歌の種」を皆が思い出すほうが重要なのだ。


 近代在古風者、纔二三人。然長短不同。論以可弁。崋山僧正、尤得歌隊。然其詞華而少実。如図面画好女徒動人情。在原中将之歌、其情有余、其詞不足。如萎花雖少彩色而有薫香。文琳、巧詠物。然其躰近俗。如賈人之著鮮衣。宇治山僧喜撰、其詞華麗而首尾停滞。如望秋月遇暁雲。小野小町之歌、古衣通姫之流也。然艶而無気力。如病婦之著花粉。大友黒主之歌、古猿丸大夫之次也。頗有逸興而躰甚鄙。如田夫之息花前也。


 近代に古風を知る者は、わづかに二三人なり。然れども長短同じからず。論じて以ちてわきまふべし。


崋山僧正かざんそうじょうは、もっとも歌のていを得たり。然れどもそのことば華にして実少なし。図画の好き女のいたづらに人のこころを動かすがごとし。


在原中将ありはらのちゅうじょうの歌は、その情余りありて、その詞足らず。しぼめる花の彩色少なしといへども、薫香あるがごとし。


文琳ぶんりんは巧みに物を詠ず。然れどもその躰俗に近し。賈人あきひとの鮮やかな衣をたるがごとし。


宇治山の僧、喜撰きせんは、その詞華麗にして首尾停滞す。秋の月を望みて暁の雲に遇へるがごとし。


小野小町おののこまちの歌は、いにしへ衣通姫そとほりひめりうなり。然れどもえんにして気力無し。病めるをうなの花粉をけたるがごとし。


大友黒主おおとものくろぬしの歌は、古の猿丸太夫さるまるのたいふついでなり。すこぶる逸興有りてていはなはいやし。田夫の花の前にいこへるがごときなり。


(近代で古風な歌を知る者は、わずか二、三人かと思うほど少なくなった。だが、近代歌と古歌では長所、短所も同じではない。それをここで論じ、わきまえてみる。


 崋山僧正は、もっとも歌体を得ている。しかしその言葉は華やかだが実が少ない。絵に描かれた美しい女に、思わず人のこころが動かされてしまうようなものである。


 在原中将の歌は、歌の情緒があふれるあまり、言葉足らずとなっている。しぼんだ花が色あせたにもかかわらず、強く香っているようである。


 文琳は巧みに物を詠んでいる。けれどもその歌体は俗に近い。まるで商人が鮮やかな着物を着ているようである。


 宇治山の僧、喜撰は、その言葉は華麗だが首尾が滞っている。秋の月を望みながら、暁の雲に会ってしまったような気持ちになる。


 小野小町の歌は、古代の歌人、「衣通姫」の流れがある。だが、艶やかではあっても、気力が感じられない。病気の婦人が悪い顔色におしろいを塗りたくっているようである。


 大友黒主の歌は、古代歌人の「猿丸大夫」を継いでいる。大変飛びぬけた面白さがあるが、歌体ははなはだ卑しい。田に働く農夫が、花の前で息をついているように感じられる。)


 漢文の六歌仙に対する評価は、貫之の考えとさほど変わりがなかった。僧正遍照そうじょうへんじょうを崋山と呼ぶのは、彼の住む寺が「花山寺」であることに由来する。ただ、彼の歌はもう少しむなしさが勝っているように思うが。

 在原中将は業平のことである。業平に関して貫之は冷静な判断が出来るとは言いかねた。だからここは漢文の評価を素直に受け入れることとした。

 文琳とは文屋康秀ぶんややすひでの唐国風な呼び方だ。彼は漢文にも長けているのでこの呼び方が相応しいとされたのだろう。この人の歌体も漢文の評価を指示出来る。

 喜撰の歌は極端に世に出ていないので評価の材料が少ない。これも漢文を支持する。

 小町は評価はその通りだと思うが、ここに記される「衣通姫」は伝説的で存在があいまいである。だが、女の名歌人の流れとして、こういう風潮があるのでこの例えは適切であろう。

 大伴黒主の歌の例えに出た「猿丸大夫」も伝説的な人物で、あまりにも存在性がないのでかな序で触れる必要はないと思う。「逸興有りて」も貫之とは見解を異としていた。





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