新人
貫之は省試を諦めたが、淑望は貫之との約束を果たして非常に優秀な成績を治め、無事に文章特業生となった。貫之の祝いの言葉に淑望は、
「君のおかげだ。君が僕と共に学んでくれて、上位の学生だけでなく君に負けてはいけないと必死になる事が出来たからこそ、文章得業生となる事が出来たのだ。君だって省試を受けてさえいれば、きっと僕と同じ成績を取ったことだろう」
と、喜ぶと言うより複雑な胸の内を明かした。
「君さえ認めてくれていれば、僕はそれで十分さ。大学寮で学ばせてもらえただけでもありがたいのに、君に認められるだけの学問を僕は身につける事が出来た。これからは新しい夢に向かって頑張るよ。君も立派な学者となって、いずれは君の父上の様に大学頭となってくれ」
二人がそんな事を言い合う姿を見つめる友則も、また心中は複雑である。せめて自分が無位無官の身で無ければ、父のいない貫之の身の上も、もう少し違ったものであったかもしれない。
日頃どんなに有名歌人ともてはやされても、やはり十年、二十年の宮仕えをして官位を得られぬ辛さはぬぐえない。それでも自分の事だけならそれなりに慣れもあったが、年若い身内に明るい未来の一つも開いてやれぬ悔しさ。それも貫之の様な才能あふれる若者の出世の役に立てぬ不甲斐なさは、自分一人の身を嘆く以上に惨めであった。
それに友則には二人の息子、清正と房則がいた。後見している貫之でさえこんな風では、今度は我が子の時にも同じ思いをさせてしまう。ここで後見人らしい働きをし、我が子の未来に父が力に成れることを息子達に見せたい気持ちもあった。
貫之になんとか少しでも良い道を開いてやりたい。
友則には一つだけ頼りに出来るあてがあった。歌人としての自分を認めて下さる高位の方に、貫之の非凡さを知っていただくのだ。いくら貫之が有名歌人の従弟とはいえ、まったくの新人が世に名を知られるまでには時間がかかる。位の高い方が貫之を導いて下されば、歌人としてはもちろん、官人としても少しでも良い職を与えられるかもしれない。
友則は自分の父の代から続く風流人の集りの中の一人、藤原敏行のもとに行き、貫之の非凡さ、学識の高さ、歌人としての筋の良さを訴えた。すると敏行は、
「素晴らしい歌人であるそなたに官位で報いてやれぬ私だが、そなたの従弟はまだ十分に若い。大学寮の学者たちの話を聞く限りでは、見所ある若者の様だ。実績が無いので急に役目や位を与えるわけにもいかないが、まずは学問や歌を続けるに向いた職をあてがえるよう働きかけてみよう。今の帝は学問や文芸を重視する方だから、学識があればいずれ出世に繋がるかもしれん」
と言って、貫之に目をかけてくれる約束をした。
貫之は大学寮の学問を終えると宮中の書籍が多く収められている御書所の任に就く事となった。位は低いが漢の書籍を多く扱わねばならない役目で、省試すら受けなかった者が着くのは特別なことらしい。友則の懸命の頼みに心動かされた敏行が、貫之の大学寮での学識の高さを買ってのことだと思われる。任を受ける際にも、
「そなたは紀 友則殿からの声掛けによって、右近中将(敏行)殿に大変期待をされている。初めは書手として書写に従事してもらうが、仕事に慣れ次第この御書所の預の役目を担ってもらう。早く仕事になれるように」
と言われた。預とはその場の監督や責任を担う役目である。
「友則殿が……」
敏行はその頃五位の右近中将であったが、そろそろ四位に、しかも重職である蔵人頭となるのではないかと噂されていた。道真が帝に抜擢されていなければ、おそらく敏行が先に蔵人頭となっていたのだろう。敏行にはそれだけの権勢があった。いくら同じ風流人と言っても、友則自身が無位無官で苦悩している身の上。それなのに権勢のある敏行に貫之のことを頼んでくれたのだ。
「自分で歌人となるなど言っておきながら、友則殿に無理をさせてしまいました。本当に感謝してもしきれません」
貫之はそう言って礼を述べた。友則はこれほど自分に期待をしてくれている。貫之も友則の期待に精いっぱい応えなければと思う。
「いや。私も君が学問の道を諦めたのは気の毒だと思うが、歌人の道を選んでくれたのは嬉しい部分もあるのだ。私の子たちは残念ながら歌は得意ではない。大学寮も十三歳から十六歳の間に入寮しなくてはならないが、上の子はなかなか寮試も通らず十六でかろうじて入寮した。下の子は身体を動かす事の方が性に合っているらしい。子に親の背を追って欲しい気持ちもあるが、我が身でさえ無位無官ではとても同じ道は勧められぬ。君が歌人になって私の背を追ってくれるのは私の張り合いにもなる。せめてこのくらいの事はさせてくれ」
そう言う友則の目は、貫之にとって父のように優しく、友人のように暖かかった。
貫之が卑官ながらも官人としての道を歩み始めると、友則は貫之を本格的に歌人としてさまざまな宴の席に伴うようになった。だいたいは友則が『風流人の集り』と呼ぶ人達の邸に行き、個人的な宴の席で歌を披露することが多かったが、初めの宴の席で真っ先に紹介されたのは友則が頼りにし、貫之に目をかけてくれた敏行であった。
「これが友則殿の従弟か。利発そうで、しかも優しげな良い顔立ちをしているな。学者が言うには大学寮ではなかなかの成績を収めていたとか」
友則と貫之が任官の礼を述べると、敏行はそう言って貫之を興味深げに観察した。
「友則殿の後見のおかげで、どうにか大学寮での学問は身につける事が出来ました。ですが、官人としても、歌人としても、世に出たばかりの未熟者にございます。今後、色々と御導きを」
貫之はそう言って頭を下げたが、敏行はそれを遮り、
「いや、友則殿が歌の筋が良いと言っていたが私も同意する。さっきの歌など白楽天の漢詩の技法を用いていて、着想が面白い。いかにも学寮を終えた者らしい詠みぶりだ」
と、貫之に歌に興味を向ける。その歌はこの席で先ほど貫之が披露した、
秋の夜の雨と聞こえて降りつるは風に散りつる紅葉なりけり
(秋の夜に雨の音だと思って聞いていたのは、風に散る紅葉が落ちる音なのだった)
という、漢詩の世界で別の音をを雨音に例える「雨声」と呼ばれる比喩を使った歌であった。
「その歌は今、友則殿から説明臭さが感じられると注意を受けました。私も『つる』の音の繰り返しが煩わしいと思っています」
「音に気を使うのは良い事だ。説明が強く現れるのは若さであろう。時期にそういう固さは取れて来るもの。何より自分の学んだ知識を積極的に生かそうとする心や、雨声を取り入れる発想がいい。歌の事でももっと研究するといいだろう」
おそらくこの時点で、敏行は貫之の才能に気付いていたのであろう。貫之の感覚は新しかった。しかもそれが時流にあっていた。この後、雨声と言う表現方法は多くの漢詩にも和歌にも積極的に用いられたが、貫之はこの比喩を得意とした歌人として名を知られることになる。
「中将(敏行)殿に気に入られて良かった。やはり貫之は並はずれた才能があるのだ」
友則は嬉しそうだ。どうやら敏行を身分の高い歌人としてだけでなく、歌の巧みな歌人としても認めているらしい。その敏行に貫之が認められて、自分の事の様に喜んでいた。
思いがけず長引いた宴に一夜を明かした帰り道で、友則は貫之の姿をしみじみと見つめると、
「これがあの、内教坊を不安げに振り返りながら後にした少年とは。やはり君の才能は確かな物だった。中将殿にもそれを認めていただけて本当に嬉しい。君が文章生を諦めた時、私は自分の不甲斐なさを呪ったが、君自身の才能が今日それを払しょくしてくれた」
「とんでもない。僕……いえ、私こそ友則殿の様な方に後見していただけて、本当に良かったとこれまで感謝していたのです。ありがとうございます」
まだ未来への希望しか見えていない若者の明るい瞳に、友則の心はとても穏やかになった。いや、この貫之と言う人間にはそう言う明るさが備わっているのだ。幼い日を女人に囲まれて育ったせいか性格に華があり、人の心を自然と開かせてしまう穏やかな魅力がある。彼の歌は今は若い固さがあるが、いずれ角が取れる頃にはこれまでにない豊かな歌が生まれることであろう。
穏やかな気持ちで貫之を見ていると、通りがかった桜の樹の枝からひらひらと花びらが舞落ちてきた。良く晴れた青い空を僅かな春霞が優しく覆う。朝の光がとても眩しい。すべてが穏やかな朝に、何故桜ばかり慌ただしく散ってゆくのか……。
「……歌が出来た」
不意に友則がつぶやいた。
「ああ、それは惜しい。宴の前なら皆様に御披露できましたものを」
「いや良いのだ。この歌は特別だ。何か良い折まで披露はしない。だが君にだけは聞かせておきたい。聞いてくれるか?」
嬉しそうな友則の表情に貫之も期待を高め、
「是非、お聞かせ下さい」
と答えた。友則は小さな声であっさりと詠みあげる。
ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ
(穏やかな日差しの春の日に、何故桜は急ぎ散ってしまうのか)
「おお……っ!」
貫之は思わず感嘆の声をあげた。
なんと言う情感ある、自然な響きの歌であろうか。まるで言葉のすべてが溶けあって、この歌となるために生まれてきたような自然さだ。それでいながら一つ一つの言葉は光をまばゆく放ち、春の日の穏やかなひとときの静けさを伝えている。そんな音も無い光の世界に、花びらばかりが騒がしいほどに散り落ちて行く。その美しさに静かな心も思わず乱されてしまう……。
「素晴らしい。友則殿、素晴らしい歌です。これは名歌だ。やはりあなたはこの都に無くてはならない歌人。私の誇りです」
貫之は素晴らしい歌に触れた喜びと、それが自分の後見人であることの誇らしさに胸を震わせた。その素直な喜びが友則を一層幸せに導く。
「ありがとう」
私が素晴らしい歌人? いや、私など実に平凡な歌人かもしれない。貫之から受ける前向きで明るい姿にどれほどの幸せを得ているか。それを私は平凡な「ありがとう」と言う言葉でしか返す事が出来ぬのだから。
無位無官と卑官の身の二人ではあるが、二人を結ぶ和歌の世界は幸せをもたらしてくれた。和歌は貫之ら歌人にとって、それほどまで魂を結び付けるものなのであった。
また別の席では、友則から彼に並ぶ有名歌人を紹介された。友則とそう年周りの変わらない人で、名を壬生忠岑と言う。
「あの、有名な」
間の抜けた感想だと思いながらも、貫之は思わず口に出た。それほど彼の歌は評判だった。
その宴は小規模とはいえ、あの藤原基経の息子、時平の邸で催されたものだった。友則や貫之の歌が時平にも認められるよう、敏行が二人を招いて欲しいと時平に頼んだのだ。そしてそこには時平に次ぐほどの権勢を持った藤原定国が招かれていた。忠岑は古くから定国の忠実な随身だった。忠岑は、
かささぎの渡せる橋の霧の上を夜半に踏み分けことさらにこそ
(かささぎの作る橋を霧のかかる夜中に踏み分けてでも、訪れずにはいられなかった)
と言う歌が有名で、深夜に時平の邸に酔ったまま突然押し掛けると言う、礼を欠いた行動を取った主人の窮地を救うべく、我が主人は時平を慕うあまり、天の川に年に一度、七夕の逢瀬にしかかからない「かささぎ」が作り出した橋を、夜中に低く漂う霧の上を踏み分けるようにしてまで、「ことさらに」訪問せずにはいられなかったのだと歌に詠んだのだと言う。
その忠岑の機転に時平は自分への非礼も忘れて感心し、その歌は流行歌となった。その巧みな詠みぶりに貴族たちは彼の歌を、酔って夜中に友人の家に押し掛ける言い訳として利用したりしていた。だから貫之はつい、その話を思い浮かべて「有名な」とつぶやいてしまったのだ。
「彼の歌は実に優美な情景を表す歌だ。それでいて機転のきく歌も詠む。歌人としての力は私より高いと思っている。私は彼をとても尊敬しているのだ」
と言う友則の言葉に忠岑は、
「尊敬しているのはお互い様だ。私の歌はたまたま今の時流に合っているにすぎない、友則殿の情感こそ、私を上回っていると思うが」と謙遜するが友則は、
「いやいや。今日は若者の前で互いが恰好をつけている。そんな所もお互い様か?」
などと返し、二人は笑いあっている。
忠岑も友則同様無位無官の身の上だった。友則は忠岑を上位の敏行とは違う、共に歌を詠み、競い合う友として尊敬しているようだ。年周りも近く息も合うのであろう。二人はすでに熟練した有名歌人として世の人々から注目を集めていた。世に広まる歌も最近はこの二人の物が多い。歌人として新人の貫之にとっては眩しい存在だった。
そんな中で、貫之が高貴な方の大規模な歌合の席に呼ばれる事となった。是定親王による、歌合の宴に友則共々参加するようにと、声がかかったのである。
「私が、親王様の歌合に……!」
友則がこのような親王家主催の歌合に招かれるのは、当世では彼はもっとも一流の歌人として認められているので当然なのだが、まだ若く歌人としての実績の乏しい貫之が招かれたのは、貫之にとって嬉しい驚きであった。友則の家族は二人の名誉を心から喜んでくれた。大学寮に入っている清正までもが邸に訪れ、二人の栄誉をたたえた。
「父上は後宮での歌合、内裏の菊合わせに次ぐ盛大な歌合へのお召しですね。貫之殿は初めての事で緊張なさっているのではありませんか?」
「もちろん緊張しているさ。でも、友則殿は初めての時御一人で臨んだのだろう? 私には友則殿がついていて下さるだけ心強い。良い歌を御披露したいと思っているよ」
「私の時は中将(敏行)殿がいてくれた。今度も貫之の事を見守って下さるだろう」
彼が招かれたのは、どうやら俊行の進言があってのことらしい。友則が言うには俊行は貫之の若い才能を高く買っているらしいのだ。貫之は自分を誇らしく感じずにはいられなかった。