↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/19

【滞在期間二日目:ママの名前は、言えないの】

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

【予定調和】

 ドイツの哲学者ライプニッツの哲学で、宇宙は互いに独立したモナドからなり、宇宙が統一的な秩序状態にあるのは、神によってモナド間に調和関係が生じるようにあらかじめ定められているからであるという学説。


 何気ない一言で変わる未来。

 けれども、そこから繋がる正しい未来。


 Day2

 ――滞在期間二日目。


 彼女がやってきたことも、すべては予定調和の中に。


・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


 カチリ……カチリ……カチリ……。

 今日も秋葉は、オフィスの壁に設置された時計の針を目で追っていた。だが昨日と比べると、彼の心は多少なりとも満たされていた。隙間時間で考えることもあったので、時間の経過も早く感じられる。

 今日、やるべきこと。

 部屋の片付けは、今朝少しだけやってきた。帰宅したら掃除機でもかけようか。そもそも、前回掃除したのはいつのことだっただろうか。まさに千花から指摘された通りで、これには苦い顔になる。脱衣所に山と積もった洗濯物も、いい加減どうにかしないといけない。自炊……は時間がないから諦めよう。明日からにしよう。そうしよう。

 それから……そうだ、と彼は思う。

 やることが片付いたら、千花に未来の嫁の話でも訊いてみよう。もしかしたら、もしかすると、職場の同僚かもしれないし。そのような妄想を膨らませると、隣に座っている田宮の横顔をちらりと見た。

 考えていることが、相変わらず仕事と無関係なことばかりでさもしいが、それでも彼の心は潤っていた。

 やがて、終業を告げるチャイムが鳴り響く。デスクの脇から鞄を手に取りそそくさと立ち上がった彼に、田宮が不思議そうな顔で声を掛けた。

「あれれ? 今日はまたすいぶんと急いでいるんですね。もしかして――デートか何かですか?」

「いやいや、そんなんじゃないよ。実は、昨日からアパートに家族がやってきて泊まっているんだ。それで、少しばかり早く帰る必要があって」

 昨日とよく似たやり取りに、どこか心がほっこりとした。

「家族……。母親ですか?」

 大きめの丸い瞳が、詮索するみたいにこちらに向いた。

「いや――」

 秋葉は暫時(ざんじ)思案してからこう告げた。「妹だよ」と。

「ああ、妹さんですか。今日は心なしか口元がほころんでいるようでしたので、てっきり恋人でもできたのかと勘繰ってしまいました」と田宮は頭を下げた。「すみません」

 気配りのできる彼女らしい鋭い考察だ、と秋葉は思う。デートではないのがうら寂しいが、真実を一部混ぜて咄嗟についたこの嘘は、上出来じゃないかと自画自賛した。

 顔見知りに目撃されたとき、妹だと言い張ることができそうだ。

「なあ、田宮」

 同じように帰り支度を始めた田宮に、声を掛けた。

「はい」

「タイム・トラベルって、この先の未来で実現すると思うか?」

「はい?」

 田宮は狐につままれたような表情を浮かべる。

「思いませんね」

 だよなあ、と答えた秋葉を他所に、田宮は再び椅子に座るとパソコンのキーボードを叩き始める。ややあって、画面に表示された検索結果を滔々(とうとう)と読み上げた。

「タイム・トラベルという概念は、科学的な立場からみるとさまざまな問題点が指摘され、実際には今の科学力では実現できないとされている。空想物語(フィクション)でなら一般的で、タイム・トラベルを扱った作品が国内外問わず多く発表されている……だそうです。やっぱりありえませんね」

 真面目な田宮らしいな、と秋葉は笑った。

「でもさ、これから二十年三十年先、たとえば、二〇五〇年代の科学力でならどうなんだろうな?」

「二〇五〇年?」

 田宮はしばらく天井を見上げていたが、やがて苦笑まじりにこう答えた。

「わかるわけないじゃないですか。私は、二〇二〇年代の住人なのですし」

「ははッ、確かにな」

「でも、そういった未来でなら、現在では想像もできないような技術が、いろいろ発明されているかもしれませんね。それも一つの浪漫じゃないかと」

 結局、わかるはずがないし、千花が暫定娘であることも変わらない。

 この時代に住んでいる人の大半は、千花の話を聞かされたところで一笑に付すだろう。信じるとしたら、せいぜい俺……いや、無益なことを考えるのはよそう。

「じゃあ、お疲れさま」

「お疲れさまでーす」

 別れの挨拶を交わし合い、二人でオフィスをあとにする。それにしても、と廊下を歩きながら秋葉は考えた。

 口元がほころんでいたのか、俺は?

『女子高生が家にいる』という事実に、意図せず心が弾んでいたのだろうか。だが相手は娘だぞ。少し落ち着くべきだ。その娘という事実にしても、まだいくつか疑問符がついている状態だ。むしろ、娘だという話が嘘であったなら、千花は純然たる女子高生の来訪者だ。それはそれで喜ばしい状況だ。

 ああ、だから俺の口元はほころんでいたのかと思い至り、彼は自嘲気味に笑った。


 高尾駅の近くにあるコンビニエンスストアで弁当を買った。自分用にカレー。悩んだ末に、千花にはドリアを買ってみた。女性はクリームのかかった食べ物をたいがい好むだろう、という彼の偏見によるものだ。

 好みに合わなくて機嫌を損ねることも考慮して、温かい紅茶をサービスで付けてみる。

 これなら、不満はあるまい。

 会計を済ませてコンビニエンスストアを出ると、ポケットの中でスマホが震えた。着信の主は、山形に住んでいる母親だ。今年のお盆も『面倒だから』という理由をつけて帰郷しなかったので、もうずいぶんと顔を合わせていない。秋葉は一呼吸おいてからスマホを耳にあてた。

「もしもし」

 電話の内容は、元気にしているのか、仕事の調子はどうだ、お金は足りているのか、恋人はできたのかというものだった。

 ぼちぼち元気で、仕事はそこそこやれていて、お金はとりあえず問題なくて、恋人はそのうちなんとかするさと答えておいた。

 恋人ができたら紹介しなさい、正月には帰ってくるように、と念押しする声で電話はしめくくられた。足元に広がるようなため息を一つ漏らし、スマホをポケットにしまう。

 実際のところ……。

 最後の質問が頭痛の種だった。相手が必要な問題なだけに、独力ではなんともし難い。千花の言葉を信じるならば、数年中には〝なんとかなる〟のかもしれないが。


 アパートに戻り部屋のドアを開ける。一応、「ただいま」と帰宅した旨を届けておいた。

 そういえば、『ただいま』なんて発言したのは何年ぶりだろうか。わかっていたことだが寂しい男だな、と自嘲してしまう。

 千花はリビングの床にあぐらをかいていた。食い入るようにしてテレビを観ていたが、秋葉の姿を認めて「おかえなさいー」とからりとした声で言った。

「この時代のテレビもなかなか面白いね。懐かしのナントカで、観たことのある番組ばかりだよ」

「そうなのか? 君が住んでいる時代の番組と比べたら、古臭いだろうしつまらなくないか?」

「ん、そんなことないよ」

 昨晩千花に、『私のことは名前で呼んで』と要求されたことを秋葉は思い出した。しかし、口から出かけた彼女の名前は、羞恥の感情に押し流される。

 まだ早い、などと弁解がましくそう思う。

 着替えをしながら千花の姿に目を向けて、思わず秋葉は虚脱した。

 ゆったりとしたサイズのセーターのみを羽織った彼女の下半身は、今日も下着が露出していた。裾から半分顔を出している純白の布地から目をそらし、目に毒だ、と思う。

「だ・か・ら、下になんか履けと言ったじゃないか。その格好は、二十代の俺にはちーとばかり刺激が強すぎる」

「あれれ? もしかして、実の娘に欲情しちゃった?」

「んなわけあるか」

 口ではそう否定したが、体はしっかり反応していた。たとえ本当の娘だとしても、今は七つしか歳が離れていない。

「んー。もしかして、白は嫌いだった?」

「いや、白は好みだ。清潔感があるからな……ってそうじゃない。娘だかなんだか知らんが、君は年頃の女の子だろ。ズボンでもスカートでもなんでもいいから、とにかく何か履いてくれ」

 悪びれもせず言ってのける千花を、秋葉がじっとひと睨みする。彼女は一転して肩をすくめた。

「……ごめんなさい。からかいがすぎました。明日からちゃんとやりますから」

 明日からじゃなくて今すぐ履けよ、とこれには呆れてしまう。暫定娘に、彼の心の声は届かないようだ。

「さて、飯にするか」

 テーブルのかたわらに座って視線を巡らして、今さらのように秋葉は気が付いた。

 くずかごの中は空になっているし、絨毯(じゅうたん)の上には埃一つ落ちていない。洗面所に山になっていたはずの洗濯物も、きちんと畳んで置いてある。

「もしかして、部屋の掃除をしてくれたのか?」

 ドリアのパックを開きながら、彼女が答える。

「当たり前です。ゴキブリがわいて出てくる寸前の部屋ですよあれは。たとえるならば、腐海に沈む一歩手前といったところです。あんな場所に自分の娘を置いておくなんて、常識を疑いますね」

 そう言って、澄ました顔で手を合わせた。

「では、いただきます」

「いただきます……」

 秋葉は小声で、彼女に倣った。事実なだけに、何も言い返せない。

 それにしても、と秋葉は思う。部屋の掃除のみならず、洗濯までしてくれるなんて案外気が利くじゃないか暫定娘よ。この調子なら、暫定の肩書きが取れる日も近そうだ。

 ドリアは好みに合うだろうかと少々不安だったが、杞憂(きゆう)に終わったらしい。黙々と彼女は食べ続けている。完食して紅茶を口に含んで、ふう、と人心地ついた。

 ところでさ、と気後れするみたいに秋葉が口を開く。

「俺の妻になる人って、どんな女性なんだい? 職場結婚……とかなのかな?」

 さらっと軽い感じで答えてくれるのを期待していたが、千花は考えあぐねるみたいに、うーん、と唸った。

「それはちょっと、教えられないかな」

「どうして? 何か不都合でもあるのか?」

「大有りだよ」と彼女は仰々しい仕草で首を振った。「時間旅行者には、いくつかタブーとされている事柄があるの。これを守らなかったら、重大な問題が起こるんだよ」

「重大な問題?」

「うん。時間犯罪という言葉を知っている?」

「SFものの小説かなんかで、よく出てきそうな言葉だな」

「そうだね。過去にあった出来事の発生を妨害することで、現在住んでいる世界を自分が望むものに変えてしまうことだよ。歴史が変わったら、さまざまな問題が起きてしまう。だからそれを防ぐために、時間旅行者にはタブーとされている事柄が三つあるの」

 指を一本ずつ折って、千花が説明を始めた。

「一つ目。過去の自分に面会し、助言をする行為。二つ目。その時代に住んでいる人物に怪我を負わせたり、器物を損壊したりする行為。そして三つ目。未来で発生する出来事や情報を、過去で誰かに伝える行為。ママの名前をパパに教えることは、この三つ目の違反行為にあたるんだよ」

 そう言って、千花は秋葉に指をピッと突き付けた。

「お、わ、か、り?」

 なるほど、それは理解できる話だ、と秋葉は納得する。未来の伴侶がわかってしまったら、誰しも自分の行動に変化が生じてしまうもの。

 たとえば、このような感じに――。

『田宮。俺、君のことが好きなんだ』

『本当ですか? 嬉しい! 私もなの秋葉さん』

『俺と、結婚してくれ』

『キャー。秋葉さん素敵!』

 ……しまった。女性と交際した経験がないから、発想が貧相だ。だが、お前の名前は教えて良かったのか? わかったところで、何もできることなどないから良いのだろうか?

 つらつらと考える秋葉の顔を、微笑を浮かべて千花が覗き込む。

「他に、何か訊きたいことはある?」

「いや……とりあえずはないかな。今、頭に浮かんでいることは、すべていずれかのタブーに抵触しそうだしね。何か思い付いたことがあれば、そのときにまた訊くよ」

「わかった。ああ、でも」と千花は思い出したように言いぞえた。「ママは結構スタイルいいし美人だよ。私に似てね」

 ふんぞり返って、ふふん、と千花が鼻を鳴らした。

「いや、君が母親に似ているの間違いだろう」

 一応そう突っ込んでおいた。

 そうなると、田宮嫁の線は完全に消えたな、と秋葉は落胆する。どう見ても千花と田宮は似ていない。目鼻立ちから髪質に至るまで、真逆といえるものだった。

 ならば、こんな冴えない男と結婚してくれる物好きな女性とはいったい誰なのか。そんな女神のような存在が、本当に現れるのだろうか。むしろこの暫定娘が……いや、ありえない妄想はよそう。

 秋葉はかぶりを振って思考を断ち切った。


 夕食を終えたあと、しばらく雑談に興じたのち順番に風呂に入る。時計の短針が深夜零時に達する頃合いに、昨日と同じように布団とベッドに別れて潜り込んだ。

 彼女には、使っていないパジャマとスウェットパンツを与えておいた。常日頃、下着が見えそうな格好でうろうろされるのは目に毒だ。……というか、俺が〝変な気〟を起こしそうでいろいろ問題がある。

 瞼を閉じ、物思いにふけっていると、(ささや)くような千花の声がした。

「もう寝ちゃった?」

「いいや、まだ起きているけど。……どうした」

 顔だけを、声がするほうに向けた。

「夢を追いかけるのってさ、悪いことだと思う?」

「そりゃまたずいぶん抽象的な質問だな。それだけじゃ、なんとも言えないよ」

「私ね、将来は美容師になりたいの」

「美容師という職業は、二〇五〇年代でもあるんだな」

「そりゃそうだよ」と彼女は静かに笑う。「何年になろうと、人の髪は伸びるんだもの」

「それもそうだ」と秋葉もつられて笑った。「もしかして君が……いや、千花がこの場所にやってきた理由と、関係している?」

 突然下の名前で呼んだので動揺した、というわけでもなさそうだが、千花がごくりと喉を鳴らした。そして、そのまま口をつぐんだ。

 会話が途切れると、暗闇が黙り込むように沈黙がおとずれた。

 そのような彼女の様子を見やり、そうか、関係しているのか、と秋葉は察した。

「まあ、言いたくないなら無理に言わなくてもいいよ」

 口ごもった彼女に助け舟を出すと、「ごめんなさい」という、らしくもない蚊の鳴くような声が返ってきた。

 静謐(せいひつ)とした空気が室内に満ちた。

 千花が布団の中に顔を埋めたのを確認してから、秋葉は部屋の灯りを完全に消した。

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 そうして秋葉は目を閉じた。静かに夜が過ぎていく。奇妙な共同生活の二日目は、こうして終わりを告げた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。