彼女の知らないところで
広々とした室内には、分厚い本や束になった書類が収納されている棚が壁沿いに設置されていた。
中央には応接用のソファや椅子があり、窓際には大きめの重厚な執務机が配置。
そこには金色の髪を持つ青年が座り、書類へとペンを走らせている。
彼の傍にも、少し小さめだが執務机が設置されているがそこは空席。
ただ、普段は使用されているらしく、書類やペン類が整理整頓され片付けられていた。
「……で?」
動かしていた羽ペンを休め、その青年は顔を上げて自分が座る執務机の前に佇んでいる少年へと顔を向けると唇を動かす。
全てが完璧と言いたくなるような見目麗しきその容姿は、まるで一つの絵画のようだ。
「僕のシェリルは今日も可愛かったかい? 彼女の隣にへんな男なんて寝ていなかっただろうね?」
そう尋ねられた少年は、漆黒の髪と黒曜石のような瞳を持っていた。
彼の纏っている上下の衣服も靴も、全て黒。まるで鴉のよう。
壁に備えられている燭台が、彼がげんなりと肩を落としているシルエットを床に映し出している。
「あのさ、ご存じの通り俺って上階級の魔族なわけ。なのに、なんでお前が好きな女が同衾している男がいるか探らなきゃならないんだよ……他国への密偵とか、もっとカッコイイ事に使ってくれって。誰でも出来るじゃんか、そんな仕事。しかも、お前のあの女に対する愛情が粘着過ぎてこえーよ。前から言っているけど、少し押さえろって」
「僕のシェリルをあの女呼ばわり。いい度胸だな。鴉の分際で」
「鴉って言うな! 俺は誇り高い魔族だっつうの」
「むざむざと僕に負けて捕まり使い魔になったのは誰だ?」
「……え? あ、それは俺です」
「なら、使い魔らしく主に頼まれた仕事をしろ」
「うん。まぁ、そうだけどさ」
「僕が直接確認しに行きたいのに仕事が終わらないんだ。あぁ、あんなに可愛いシェリルの寝顔どれくらい見てないだろうか。早く終われよ、この案件」
「俺が言うのもなんだが、部屋に勝手に入るのやめてやれよ……しかも寝顔見るなんて怖ぇし。デリカシーないだろ、お前。あと、さっき気づいたけどあの女に位置情報の探知魔法かけているだろ。それも解いてやれって。お前の魔力強すぎて俺でも解けなかった」
「僕がシェリルと離れている間に彼女の身に何かあったらどうするんだ?」
「まぁ、それもわかるけどさー」
「お前が責任とってくれるのか? ただでさえ、ここでは敵が多いあの王妃付のメイドをやっているんだぞ。この地獄のような城内は、きな臭い連中ばかり。そんな中でシェリルの存在は癒し。……あぁ、シェリルの話をしたら会いたくなってしまった。仕事が終わらないと会えないから、シェリルがどんなに可愛いかお前に聞かせてやりながら仕事するか。ありがたく聞いて行け」
「……なに、その新手の拷問。俺、帰りたいんだけどっ!」
そんなやり取りをしている彼らを、少し離れた場所から灰色の猫が見守っていた。
右はサファイア、そして左はエメラルドグリーンというオッドアイ。
それらが最上級の宝石のよう。
すらっとした手足を持つ美猫は、まるで置物のように微動だにせず。
けれども、止まる事無く続いていく彼らの話に対して、「ふうっ」とその猫は人間のような嘆息を零し口を動かすと、「リヒト様」と主の名を呼んだ。
室内に伝わるのは、そのよく通る澄んだ声音。
年齢は二十代から三十代ぐらいだろうか。女性の声だ。
「シェリル様の件も大事ですが、まず貴方様のお仕事です。無駄口叩かず、終わらせて早く睡眠をとって下さい」
猫が人の言葉を発したというのに、二人は特に気にする事もなく視線を向けている。
まるでそれが当たり前だというように。
「ここ数日まともに眠っていませんよね? 平均三時間ぐらい」
「は? そうなのか!? なら、さっさと終わらせて寝ろって! 三時間は少ねーって。魔族の俺ですら十二時間は寝ているぞ!」
「鴉。貴方、寝すぎて頭痛くならないの?」
「いや、全然。しかし、この城は労働条件が黒すぎる。国王に訴えようぜ!」
その言葉と同時に静寂が辺りを包み込んでしまう。
そんな空気を感じた上に原因も周知しているのか、鴉と呼ばれた少年は「あっ!」という声を漏らした。
そして両眉を下げ、おそるおそる主の様子を探れば、己の主は不機嫌さを隠さずに、目を細めて鴉を睨みつけていた。
「……悪い」
「貴方、やっぱり馬鹿ね」
「悪気はないんだよっ!」
「八つ裂きにしてあげましょうか? 鴉」
「俺を鴉と一緒にするな! 俺は魔族だ」
「変化後のあれはどこからどう見ても鴉よ」
「お前だって猫じゃないか」
「えぇ、そうよ。私は元々猫だもの。仕事の時は動きやすように人間になるけどね。それに口の利き方に気をつけなさい。使い魔歴は私の方が上よ。つまり先輩」
そう言って、猫はちらっと爪を見せつけた。
「でもさ、仕事減らして貰えよ。お前だけ働きすぎだって!」
「ここは元々黒いだろ。それに、あの男に呪いを掛けられた時から僕は馬車馬だ。だから癒しのシェリルに会いたいんだよ。彼女は僕の唯一の光だから……」
そう言って鴉と猫の主は深い嘆息を零した。




