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仕立て屋

 わたしは仕立て屋を呼ぶよう命じた。すると、間を置かずネイトが遠慮がちに口を開く。


「……あの、僕の分もお願いできますか。こちらで情報収集をする以上、あまりに場違いな格好では、かえって目立ってしまいますので」


 それに被せるように、今度はマギーが一歩前へ出た。


「私もお願いしたいのです。ですが――男性用の衣装をお嬢様が手配なさるのは、外聞がよろしくありませんの。だから、ネイトは……今回は遠慮した方がいいの」


「ひどいな。お嬢様、まさか仲間はずれにするおつもりじゃありませんよね?」


 マギーをひと睨みしてから、ネイトはわざとらしく眉を下げ、縋るような声を出した。二人の応酬に、わたしは小さく息をつく。


「どちらも却下よ。正装は見せるための衣装よ。そんな格好で目立たないなんて、無理に決まっているでしょう」


 これで話は終わり――そう思ったのに、ネイトはなおも食い下がった。


「お嬢様。共和国では、仮面舞踏会のような催しが開かれているそうです。紛れ込むには、それ相応の衣装が必要でして……。布だけでもご用意いただければ、あとは私が仕立てます。違和感なく溶け込める程度の腕はございますので、ご安心を」


 落ち着いた口調で言い切ると、マギーがすかさず畳み掛ける。


「裁縫なら任せてください!徹夜でも仕上げます!」


 ぎゅっと拳を握り、鼻息も荒い。ネイトとマギーは顔を見合わせた次の瞬間、ぴたりと息を合わせてーー


「お嬢様! お嬢様!」


 妙な一体感でコールが始まる。


「ちょっと二人とも。はしゃぎすぎ。お嬢様の前よ」


 リズが額に手を当てて割って入り、二人をなだめた。

 わたしは断りの言葉を口にしかけた、そのとき――視界の端にリズたちの装いが映った。深い色合いに重厚な刺繍。帝国仕立てのそれは、共和国の往来ではどうしても浮いて見える。


 ここで突っぱねれば、これからも余計に目立つだけね。


「わかったわ。布をいくつか買いましょう。ついでに、普段使いの使用人服に仕立てる分も選びなさい」


 ぱっと顔を輝かせるマギーとネイト。対照的にリズは二人を見やり、わずかに眉を寄せた。その視線には、呆れとほんの少しの諦めが混じっている。

 その様子を横目に、わたしは残っていた紅茶を静かに飲み干した。香りはもうほとんど立っていない。


 やれやれ、これで一件落着ですわ。




 午後、読書に没頭していると、マギーが音もなく現れ、来客を告げた。仕立て屋が到着したという。栞をそっと挟み、本を閉じる。

 リズとマギーを伴って応接間へ向かう。護衛が応接室の扉を開けると、差し込む午後の光の中、ひとりの女性が立っている。

 無駄のない姿勢、落ち着いた佇まい。年の頃は三十代半ばほどだろうか。仕立て屋らしく、指先まで神経の行き届いた仕草が印象に残る。


「初めまして。セレン・イルトゥンと申します。お嬢様、どうぞよろしくお願いいたします」


 そう言って、彼女は静かに一礼した。その所作には、自然と目を引く端正さがあった。


 身にまとっているのは、共和国の正装。

 裾は床すれすれまで届く、薄手のワンピース。上半身は身体の線に沿って無駄なく収まり、腰から下はやわらかく広がる。その上から、やや厚手の前開きの羽織りを重ねていた。

 丈は同じく足元近くまで落ち、細いベルトが腰を引き締めている。長い袖は先へいくほど緩やかに広がり、指先を控えめに隠していた。


 あら、手袋をしていないのね。 


 帝国の貴族令嬢であれば、身につけていて当然のもの――だが、この国では必須ではないらしい。その小さな欠落が、かえって彼女の印象を際立たせていた。

 ソファを勧めて間もなく、リズが香り高い紅茶を運んでくる。立ちのぼる湯気には、ほのかに花の気配が混じっていた。


「突然のお願いで恐縮でしたが、ご迷惑ではありませんでしたか?」


「いえ。このたびはご指名を賜り、誠に光栄に存じます」


 淀みのない応答。作り慣れた礼節の型でありながら、嫌味がない。

 この店は、共和国でもいま最も注目を集めるドレスを数多く扱っている。噂に違わぬ品揃えなのだろう。

 胸の高鳴りを押さえきれないまま、わたしは差し出されたデザイン画へと視線を落とした。紙の上に走る線は、単なる衣装の設計図ではない。

 それは――これからわたしが纏うかもしれない、もうひとりの自分の輪郭だった。

 指先にわずかに力がこもる。どの線も、どの色も、まるで違う未来を囁きかけてくるみたいで。


 ……迷うわ。どれを選べばいいのかしら。


 穏やかな声でイルトゥンは「参考までに」と言い添え、大ぶりの鞄を開いた。

 差し出された正装に、思わず息を呑む。


「近頃、ひときわご好評をいただいておりますのが、こちらでございます。帝国出身のご婦人が広められた意匠でして……ご覧のとおり、随所に宝石をあしらっております。裾が揺れるたびに光を受け、さざめくようにきらめくのが特徴でございまして、身にまとう方の所作まで美しく引き立ててくれると評判でございます」


 それはただ華やかなだけの衣ではなかった。

 羽織に隠れるはずの内側――本来、誰の目にも触れない部分にまで、光が仕込まれている。


 表からは決して窺えないその奥に、小粒の宝石が、ひそやかに散りばめられていた。まるで、着る者ひとりのためだけに許された夜空のように。

 引き寄せられるように、そっと指を伸ばす。触れた布は驚くほどなめらかだ。


 見えない箇所にまで手をかける――その思想は、もはや装いではない。矜持に近い。

 こんなものを差し出されて、心を動かさぬ貴族令嬢がいるだろうか。

 共和国は風習こそ異なるが、この種の感性を持つ者は、案外珍しくないのかもしれない。女性は、細部に宿る美を見逃さない。


 美しいわね。もし、これを自分が纏ったなら――。


 歩くたび、見えないはずの光が自分だけに寄り添い、胸の奥で密やかに瞬く気がした。

 イルトゥンの「参考までに」という言葉が、急に遠慮がちなものに思えてくる。


「そちらの生地を使うわ。デザインはこれと――」


 わたしは指先で、七つほどの意匠を順に示した。卓上に広げられた図案の上を、爪先が滑っていく。


「かしこまりました。では採寸のため、他の者の入室をお許しいただけますでしょうか」


 イルトゥンは一礼した。

 そのとき「布、見てもいいですか?」マギーが耳元に囁いてきた。顔を向けると、麦色の瞳が得意げに輝いている。


 いけない、失念していたわ。

 ――けれど、差し支えるほどのことではない。


 胸の奥でかすかに揺れたものを、わたしはそっと鎮める。ほんの小さな綻びでも、見せ方ひとつで印象は崩れてしまうもの。同時に、態度ひとつでいくらでも覆せる。

 そのことを、指先ほども外へ漏らさない――視線の先の相手に悟られぬように、わたしはゆるやかに口を開いた。


「イルトゥンさん、他の布地もいくつか頂きたいの。見本を見せてちょうだい」


「承知いたしました」




マギー「お嬢様はドレスお好きですの!」

ロッテ「嫌いな女性は存在しないわ」

エドガー「お嬢様のおっしゃる通りです」

リズ(今日も盛り上がってるわ)

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