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執事視点 王子の日常1

 私に名はありません。現在の名乗りならございますが。私の実態はエーデルシュタイン侯爵の手足として動く、ただの調査係です。

 侯爵様から婚約破棄を静止せよとの命を受けたときは、皇城の石畳に首を転がす未来まで覚悟していました。ですが、なぜかいまだに処罰もなく職に残っています。

 処分の先延ばしか、それとも単に忘れられているのか。

 どちらにせよ――落ち着かない立場であることに変わりありません。


 ……いや、ありがたいです。

 ありがたいんですが、監視役って地味に胃に悪いですよね。できることなら侯爵邸に帰って、静かに隠居させて欲しいです。

 そんなことを考えていた、シャルロッテ様の婚約破棄騒動から数日後の午後でした。




 ……問題の人物は、普通にそこにいた。

 口を尖らせ、甘えた声で王子に言い寄る令嬢らしきものがいる。


「ミーナ、お外、行きたなぁ」

「え? いや、謹慎があって難しいんだ」


 ……なぜいるのですか。

 こんなピーーーを誰が通したのですか。騎士は何をしているのでしょうか。職務怠慢ではありませんか。そもそも当人も謹慎中の身でしょうに。


「えーでもでも、悪いことなんてしてないもん!きっと勘違いしちゃってるだけだよぉ?だから気分転換に、お外行こう?こんな一室にいたら身体に悪いよ」


 勘違いしているのはその解釈です。あと、こんな一室ってなんです。この部屋はだだっ広いですが?走れますし、運動不足にはむしろ最適でしょう。


「流石ミーナだ。おい!商店街へ行く、お前、ついてこい!」


 ……正気でしょうか。


 失礼、本音が出ました。

 私でございますか?謹慎の翌日に外出とは、なかなかの胆力でございますね。その大胆さには驚愕いたしました。巻き込まれたくありませんので、お一人で行かれることをご検討願います。


 もちろん口には出しません。内心全力拒否しつつ、私は笑顔を貼り付けた。ついでに血走った目で、代わりの生贄を探すように周囲を見渡す。


 ……誰とも目が合わない。全員そっぽを向いている。団結力ありますね。……いえ、心得ているだけですね。関わるべきでないと。


 ……これは最悪です。


 王族として崖っぷちにいる自覚はないのだろうか。陛下のご機嫌ひとつで、永久に王宮とさよならという可能性だってあるのですが。


 もしや一晩寝たらお忘れになられたのでしょうか。




 ――ガタゴト、ガタゴト。


 馬車の中では、目の前で繰り広げられる粘ついた接触を、私は置物に擬態してやり過ごした。

 私は壁。私は空気。私は背景。


 こうして無事に店へ到着したが――そこからが地獄だった。

 高級宝石店の真ん中で、怒声が響く。


「どういうことだ! 渡す品物がないとは!」


 第四王子ギルバートが、顔を赤くさせて叫ぶ。だが、店主の返答は冷淡だった。


「殿下。昨夜から陛下より王都中の商店へ通達がございました。『今後、第四王子へのいかなる物資の取引にも応じてはならない』と。ですので、この商品をお渡しすることはできません」


 店内の空気が凍り付く。


「なっ……! 嘘だろ。あ、ミーナ、聞いてくれ。すぐに別の方法で――」


 差し出された手を、ミーナは扇で軽く払った。


「……ギルバート様。私、気づいてしまいましたの」「何にだ」「あなたが期待された王子だったのではなく、シャルロッテ様の婚約者という肩書きで、魅力的な王子を『やらせてもらっていた』ことに」


 ミーナはにっこりと笑う。


「中身のない肩書きなんて、砂糖の入っていない紅茶より価値がありませんわ」


 そのまま、くるりと背を向ける。迷いなし。躊躇なし。未練もない。

 そして店の外に停まっていた、別の貴族の馬車へ乗り込んだ。


「ミ、ミーナ? おい、え? 誰だそやつは?! 停まれっ、馬車を停めるんだ!」


 ギルバートは追いかけたが、慣れない全力疾走で盛大に転んだ。そのまま地面にへたり込み、服が汚れるのも気にせず動かない。


 ……いや、ちょっと待ってください。


 金蔓の金がなくなったから縁切り。心理としては……まあ理解はできます。金以外に魅力を感じない相手なら、捨てます。

 それでも、相手は箱入り王子なのだから、もう少し柔らかく言って差し上げてほしい。可哀想ではないか。

 ……ん?

 なにか地面に、ポタポタ落ちていますね。え、泣いていらっしゃるのか?あんな女性に本気だったのですか。悪夢以外の何物でもないですね。どこに惚れる部分が? まったく共感できません。……美食に慣れすぎて、珍味をありがたがるようなものでしょうか。

 それにしても、ミーナという女性の切り捨て方は妙に鮮やかです。まるで尻尾切りのような……。ふむ、これは。もしかして密偵ですか?だとしたら面倒な話になります。これは侯爵様に報告しなければ。


 私は思わず出そうになる溜息を飲み込んだ。




「殿下、そろそろ日が暮れます。お立ちになりませんか」


 昼過ぎからずっと石畳に座り込んでいる王子の背後で、私は静かに声を掛けた。これまで沈黙を貫いていたのは、単純に面倒だったからである。……違いました。王子が自ら動くのを待っていたからです。


「えっ、もう? ふ、ふん。気安く声を掛けてくるな!……あっ」


 小さく漏れた声に、私は首を傾げる。


「いかがなさいましたか。お困りのことでもございますか?」


 ……足、痺れましたか?


 王子は顔をしかめ、強がるようにそっぽを向く。


「くっ、もう少し、此処にいる!」


 やはり立てないのですね。いつになれば素直に助けを求められるのでしょうか。

 これが王子でなければ、足蹴りの一つでも入れてやるところですが。


「かしこまりました」


 私は一歩下がり、静かに控える。王子は何度もチラッ、チラッとこちらを振り返る。助けろと無言の圧がすごい。無駄ですよ、王子。言葉にしてください。言葉に。私は察して動くタイプではありませんよ。特に王子相手には絶対に。

 この方は助ければ、感謝ではなく罵倒が飛んでくる。罵倒覚悟で尽くしてほしいなら、もっと優しい侍従を連れてくるべきだったでしょう。


「おい! 肩を使ってやっても良い」


 私の眉毛がピクリと動くのがわかった。

 私は執事。王子は主人。私は雇われ。ふぅ、少々腹が立ちましたが、落ち着きました。

 近寄ると、普段よりぼんやりした目で王子がこちらを見てきた。私は思わず目を瞬いた。


 ……おや、さすがに傷心したのでしょうか?大分普段と様子が違いますね。王子の目はわずかに潤んで、顔が赤い。


 ……え?お待ちください、まさか体調崩してます?嫌な予感が背筋を走る。私は即座に膝をついた。


「お身体にお触れします。お辛かったらおっしゃってください」

「んん、平気だ……」


 普段の尊大な口調とは違う。

 普段なら「無礼者!」とか飛んでくるタイミングである。

 まさか……熱?冷えた石畳に長時間座っていたせいで体を冷やしちゃったんですか?!しっかり意識を保ってください。どうか大したことありませんように……私の首のために!


 私は半ば抱き上げるようにして王子を立たせ、そのまま馬車へ押し込んだ。


「王宮へ! 急げ!」


 御者に命じると、馬車はすぐさま走り出す。

 王子はぐったりと背もたれにもたれたまま、小さく息をついていた。


 ……これは重症かもしれません。



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