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鬼との遭遇

 何だ、これは。

 驚きすぎて頭が働かない。

 鬼やあやかしなんて、おとぎ話の中だけの存在だと思っていたのに。

 本来なら、即座に助けを呼ぶか逃げるかするべきなのだろう。なのに恐怖にすくんで少しも動くことができない。

 ーーああ、でもお祖母ちゃんは耳が遠いから、全力で叫んだって聞こえないかもな……。

 そんな、場違いなほどのんきな考えが浮かぶ。

 とはいえ祖母がこの場にいなくて、むしろよかったかもしれない。驚いて転びでもすれば、最悪寝たきりになってしまう。

 動転し、様々な思いが去来する内に、弥生の腹はおかしな方向に据わりはじめていた。

 ーーというか、なるようにしかならないな、これは。どう考えたって力では敵わないんだから、気を逸らすなり説得なり何とかするしかない。

 そうして緊迫感漂う中、弥生が放った第一声は。

「ーー言葉は、分かりますか?」

 彫りの深い鬼の表情が、一瞬で崩れた。

 顔立ちは外国人に近いため、とにかく話が通じなければはじまらないと判断したのだが、完全に選択を誤った気がする。相手は珍妙なものでも見るような目付きだ。

 なぜ、空気の読めない発言で滑りすぎたお笑い芸人のような心境にさせられねばならないのか。

「……お前、豪胆な女だな」

 よりによって恐ろしい鬼に豪胆呼ばわりされ、若干引かれてさえいる。

 ものすごく釈然としなかったものの、弥生はどこが敗因だったのか冷静に考えてみた。

「ああ、なるほど。そうですよね。いくら異国風の顔立ちだとしても、日本の妖怪である鬼に言葉が通じないはずないか……」

「まだその話を引っ張るつもりか」

「え? じゃあお引き取りいただけるんですか?」

「豪胆な上に図々しいか……」

 交わす軽口はあまりに小気味よく、思わず青年をまじまじと見つめる。恐ろしいはずの鬼と、なぜ普通に会話しているのか。

 しかし、見れば見るほど美しい青年だった。

 傲慢な口調と肌が粟立つほどの威圧感を持ちながら、鋭い美貌は危うい色香をもまとっている。

 恐ろしいのに惹かれずにいられない。心を絡め取られる。これが、あやかしというものなのか。

「柴垣弥生。母親が死んだばかりだってのに、意外と平気そうなんだな」

 弥生は、青年の言葉に限界まで目を見開いた。

「ーーなぜ、それを知ってるんですか」

 鬼が、なぜ母の死に言及するのか。

 途端に警戒を強めると、青年は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「まぁ、お前よりは知ってるかもしれないな」

 皮肉げな笑み。それに、母と弥生の不仲を知り尽くしているかのような口振り。ーーまるで、母からあらかじめ全てを聞いているようではないか。

 弥生の動揺を察した青年が目を逸らす。

 彼の視線の先にあるのは仏壇で、法要を済ませた母の遺影が置かれていた。

「あの女は、俺の仕事の同僚で、相棒だった。……お前の母親だけあって豪胆な女だったが、まさか病なんぞであっさり逝くとはな」

 独白めいた呟きにはほんの少しだけ惜しむような響きがあって、そこに嘘はないように思えた。スッと細められた眼差しにも。

 けれどそれ以上に弥生を驚かせたのは、母の仕事についてだ。

 確かに母は秘密主義で、自らの仕事について一切語ることがなかった。

 もしや家族にも言えないような仕事をしているのかと邪推していたのだが、今となってはある意味正しかったのかもしれない。

 あやかしと相棒だなんて、それだけで胡散臭いことこの上ない。

「仕事……私のお母さんは、あなたとどんな仕事をしてたんですか?」

「知りたいならついて来ればいい。ちょうど、お前を後任に推そうと思ってたところだ」

「ーーーーはいっ!?」

 サラリと爆弾発言を投下した鬼に、ひっくり返った声が漏れる。今の弥生は鬼以上に鬼気迫る表情をしているはずだ。

 恐れの気持ちも辛うじて使っていた敬語も吹き飛び、ブンブン首を振った。

「無理! お断り! 私の目標は安定した未来なんだから、業務内容も知らないような仕事なんて絶対無理だから!」

「それは知ってる」

「何であなたが知ってるの!? こわっ!」

「この段階でようやく『怖い』が出てきたな。まあ、あやかしに対する恐れとは全く意味合いが違いそうだが」

 言いながら、青年は弥生の顎を乱暴に掴んだ。長い爪が頬に食い込み、思わず顔をしかめる。

 凄絶な美貌が目の前に迫っていた。

 緑眼は、暗闇にあっても輝くような鮮やかさを失っていない。瞳孔は縦型で、きゅうっと収斂する。

 一方彼も、弥生をじっと観察していた。

 瞳を覗き込まれていると、何もかもを見透かされそうで実に心許ない。

 青年の手が離れ、ようやく解放された。

「……やはりな。思った通り、お前は母親から『あやかしの真名を読み解く』能力を受け継いでいる」

「あやかしの、『真名』?」

「ああ。俺達の仕事はちっとばかし特殊でな」

 おうむ返しをする弥生に、彼は笑みを浮かべる。

 闇に属するものに相応しい、禍々しく混沌とした笑みだった。

「人間風情に断る権利なんざあると思うか? ーーその稀少な能力、問答無用で役立ててもらうぞ」

 こちらの意思など考慮しない、断固とした口調。

 迫力に圧され今さら震えが起きそうになったが、弥生は恐怖を隠した。

 本能で分かる。

 ここは、決して頷いてはいけない場面だ。

 流されてしまえば、今までがむしゃらに努力してきた全てに意味がなくなる。

 弥生は敢然と迎え撃つ構えをとった。

「何度頼まれても、たとえ脅されたとしたって、お断りします。私は今後おばあちゃんの介護をしていくわけだし、先々まで考えれば手に職がなければ生きていけないし」

「……手に職、か。なら、なおさらお前にはいいんじゃないか?」

 青年は笑みを湛えながら続けた。

「要は、お上が関わる暗部の仕事ってことさ。危険もそれなりにあるかもしれんが、生活は保障される。いわゆる公務員ってやつだな」

「こ、公務員……!?」

 すっかり暗くなった庭に、弥生の間抜けな叫び声がやけに反響する。

 驚嘆の表情で動かなくなってからたっぷり十秒を数えた頃、弥生は長々と息をつくと同時に額の汗を拭った。

「ちょっと待って俄然話が変わってきた」

「お前、恐ろしいほど現金だな……」

 鬼に呆れられているが、構ってなどいられない。

 ーーだって公務員だよ!? 公務員!

 弥生が目指していた手堅い職種ではないか。

 何らかの資格を取らねばないと思っていたのに、一足飛びに目標までたどり着けるのだ。

 就職するまでの数年間、祖母と二人僅かな貯金で食い繋いでいくしかないと思っていた。それが、すぐに収入を得ることができるなんて。

 ーー在学中の今から働ける! その上公務員!

 胡散臭い仕事かどうかなど、もはや関係ない。弥生にとっては都合がよすぎる展開だ。

「まず質問してもいい? それ、特別手当とか付くの? 危険手当てとか時間外労働はどうなるの? このご時世、保証は大切よ」

 仕事内容よりむしろ待遇面が気になってぐいぐい迫ると、鬼はすっかり引いていた。

「普通あやかし相手に就職の面接みたいな真似するか? ……いや、いい。お前が普通じゃないことだけは十分に伝わっているからな」

 詳しい説明は彼には難しいということで、明日上司と面談する方向で話がまとまった。

 日程などをしっかり確認する弥生に、あやかしは弱々しく呟いた。

「つくづく、豪胆な娘だな……」

「それを言うなら私だって、よりによって鬼から念入りな豪胆認定を受けるとは思わなかったわ……」

 ずっと心の底にわだかまっていた本音が、つい口を衝いて出てしまう。

 互いにじっと見つめ合い、同時にこぼれたのは、色んな感情を込めた長い長いため息だった。



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