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主従交代



「うちの騎士ナイト様にも困ったものだな」


 いつの間にか、縫香さんが俺達の座っている席の横まで近づいていた。瞬間移動という訳ではなく、先ほどの犬の一件の後、彼女の存在は一度完全にこの世界から消え、隣接する異世界を通って再びこの世界にシフト(次元移動)してきていた。


「しばらくの間、街中で私を見つけても、見なかった事にしてくれ」


「あ、はい、すみません……隠蔽魔法を無効化してしまったんですね」


 縫香さんに言われ、俺は小さく謝った。


「ああ、ちょっと厄介な奴に目を付けられているんだ。居場所がバレた途端、挨拶代わりに燃える犬をぶつけられた」


「それってデイダラとかいう魔族ですか?」


「さぁ? 何が起こっているのかは分からないが、何か大変な事が起きているのは確かなんだよ。ともかく私の仕事中、弓塚君は私を見つけても素知らぬふりをしてくれ」


「分かりました、気をつけます」


「それじゃ。お前達にまで犬をぶつけられたくないから、さっさと行くよ」


 左手を軽くあげて挨拶すると、縫香さんは俺達の側から離れていった。

 そよ風が白いチャイナドレスをはためかせ、長くて綺麗な白い足が見えた。いや、スリットは腰の部分まで入っているから、後ろから見ると、ちらりと形の良いお尻まで見える。その時、普通なら下着が見える所なのだが、見えたのは白くて丸みのある素肌だけだった。そして彼女は忽然とその姿を消した。


――何が起こっているのか分からないが、何か大変な事が起きている。


「いずれにせよ、悪魔の所行だ。かしこ、そのデイダラとかいう悪魔について、資料が欲しい。俺にも一つ心当たりがある」


 読んでいた本を閉じてテーブルの上に置いた町田は、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべて空を見上げていた。小説よりも奇なる現実。謎か謎を呼び、その謎を解き明かしたいと感じた時、町田の中の『脳内ヒーロー』が目覚める。俺はそれをヒーロースイッチと呼んでいた。


「はいはい、主従交代ね、分かりましたわ旦那様。すぐに資料を集めます」


 来島さんはため息を一つつくと、すぐに席を立った。


「時は命なり、安楽椅子探偵は謎を解けても人を救う事は出来ない。私は今日はこれで失礼するわね」


「では俺もこれで失敬するよ。何か分かったら連絡を入れるよ、それじゃ」


 町田はそう言って、人差し指と中指だけを立て、チャッと片手を振った。いつも思うが彼の中のヒーロー像はとても古めかしい。それは彼の脳内に詰め込まれた何千冊の古本の作品が作り出した英雄像だから、仕方がないのかもしれない。


 今し方来島さんが言った『主従交代』という言葉の意味が、店を出て行く二人の後ろ姿を見てわかった。いつもは手を繋がず、それぞれ好き勝手に歩いている二人だが、今は町田がポケットに片手をツッコミながら本など読まずに歩き、その右後ろを来島さんが慎ましやかに寄り添って歩きながら、携帯端末を操作していた。

 町田は――来島さん相手に限った事では無いが――いつも本を読んでいるので、誰かの言葉に対してその返事を行う事が多い。そして誰かと共に行動する時は、急場を除いて率先して出しゃばる事も無い。それが今は逆で、町田は自分の脳内の赴くままに行動し、それに来島さんが追随する形になっていた。


「わぁ、かしこさん、格好いい。私もあんな風になりたい」


 町田がヒーローモードになったと例えるなら、来島さんは秘書モードになったという感じだった。それも重役に寄り添うエリート秘書という感じで、その凛とした雰囲気に真結は憧れた様だった。


(とりあえず、今日はお開きだな)


 先に店を出た二人に続き、俺と真結もファーストフード店を後にし、家路についた。最近は日が暮れてから帰宅するのが常だったから、まだ日が高いうちに帰宅するのはなんとなく勿体ない様な気もした。


「ね、ひろくんさ、今日はまだ時間が早いから、真結の家に寄っていって」


「あ、うん、いいの?」


「だってなんだか、時間が勿体ないし」


 言い換えれば二人とも、まだ今日は別れたくないだけで、特に大きな理由は無かった。とにかく、できるだけ一緒に居たい、という気持ち。その延長が結婚で、四六時中一緒に居られるというのなら、今の俺達の望む関係だったろう。

 そして今は、縫香さんの言う大きな変化と、あの燃える犬の事に関して、襟亜さんと硯ちゃんに意見を聞いた方が良い時でもあった。


 あの夜の遊園地での一件以来、俺達には理想的な日常が戻ってきていたが、四姉妹としてはそうでもない様な感じだった。時折、ラビエルさんが頬白家を尋ねては、何かを話している様だったが、遊びに来ている雰囲気ではなかった。しかし直接、俺に関係のある話ではなく、おそらくは魔女と天使の話、つまり『向こう側』の話だったので、そこにただの人の俺が首を突っ込む事は無かった。


 頬白四姉妹が引っ越してきた事で、俺の日常は非日常へと変わった。その非日常の中で平穏な毎日を取り戻す事が出来たが、それは嵐の前の静けさでしかなかった。縫香さんのいう通り、何か分からないが、何か大きな事が動き始めているのは、察しの悪い俺にでも気付く事が出来た。



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