ミニスカと網タイツ
「な、何だ……これ……」
壁から黒く長い腕が生えていた。その長い腕には赤い斑点があり、まるで昆虫の甲殻類の様な硬そうな鈍い光沢をしていた。腕の先には小さな手があり、その手からクモの足の様な長い爪が伸び、その先端は鋭く尖っていた。明らかに現実の生物ではなかった。
クナイを深々と突き刺された手は、赤い血を流しながら壁の中へと戻っていく。里詩亜さんは真結を俺の方に押しやった後、すばやく屋上のフェンスに飛び乗り、そこで器用にバランスを保ちながら眼下を見ていた。
黒いミニスカートが風になびき、中が丸見えになっていたが、スカートの下に履いているのはレオタードのような物で、黒い網タイツがガーターベルトで繋がっていた。見られても良い類の装いらしい。
「弓塚殿、奴がどこに隠れたか、見えるか?」
そう言われて、慌ててフェンスにしがみつき、下方を見ると、街中を不格好な生物が逃げていく姿が見えた。黒いドーム状の大きな頭部には赤い斑点があり、先ほどの腕のデザインと同じだった。その怪物は人目を避けて裏路地を逃げていたが、お世辞にも早足とは言えなかった。
「あそこです」
俺がそいつを指さすと、里詩亜さんにも見える様になったらしく、フェンス上の彼女の顔に不敵な笑みが浮かんだ。
「おっ? よしよし、素晴らしい能力だな。では、私はあいつに止めをさしてくる」
里詩亜さんがフェンスを飛び越えて宙に舞った時、彼女はふたたび隠蔽魔法を使い、身を隠していた。
「あれ、今の人は?」
「また、魔法を使って隠れたよ。真結を襲った化け物を追いかけていった」
「なるほど……今回は、前とは随分と勝手が違うな」
「うん、まさか、本当に襲われるとは思わなかった」
「里詩亜さん、だっけ? 彼女の言うとおり、俺達の調べた事は、あくまで文献上の事として絵空事にしておいた方が良いな。その上で、調査を進めていこう」
「まだ調査する気なのか? 襲われるかもしれないぞ?」
「俺とかしこが調べているのは、物語や映画やゲームに登場する設定さ。それを君達に伝える事はするが、それから先はノータッチだ。俺達はあくまで情報屋。今後はその情報の伝え方にも気を遣おう」
「それは賢明だ。彼らは人間は襲わない。人間界にて人間を襲ってはならない。これは神々の決めた掟だ。だから今、襲われたのは頬白殿だった」
一仕事を終えたらしく、里詩亜さんが隠蔽魔法を解いて姿を現し、建物の上に片膝を着きながらそう言った。ミニスカでその格好をされると中が見えてしまうのだが、相変わらず当人は全く気にしていなかった。それでも俺と町田は中を見ない様に視線を反らしていたが。
「ありがとう里詩亜さん。今、ちょっと危なかった」
「うん、リザリィが弓塚殿と頬白殿を守ろうとしているのは、本心からだ。だからこうして私を見守らせたのだろう。出来るだけ、守ってあげたいとは思うが、私にも限界がある。そちらでも襟亜と相談して、今のような時にどうするか、考えておいてくれ」
それだけ言うと、里詩亜さんは再び姿を消した。リザリィが戻ってきたのは厄介だが、コイルさんといい里詩亜さんといい、彼女の護衛はどちらも頼もしい人達だった。
先日、リザリィが悪魔の笑みを浮かべたのは、もしかしたら全てを理解したからかもしれない。あの笑みの奥にどんな考えが渦巻いていたのかは分からないが、彼女は俺達を守ろうとし、里詩亜さんを遣わせてくれた。あの時、何も言わなかったのは、俺達に恩を売る為だったかもしれない。だとしたらそれはとても首尾良く成功し、俺達はリザリィと里詩亜さんに十分な恩義を感じる事になっていた。
そして放課後。学校の門の側まで行くと、硯ちゃんがランドセルを背負ったまま、こちらへと駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん大丈夫!? 下級悪魔に襲われたって聞いたよ!?」
「里詩亜さんに助けてもらっちゃった。これからは、気をつけないといけないね」
「うん。防御呪文とか、かけといた方が良いかもしれない」
「俺が気付けば良かったんだけど……まったく何も感じなかったよ」
「多分、擬態能力を使ったんだと思う。魔法じゃないからお兄ちゃんには見抜けないし、無効化も出来ないよ」
「逃げる時は、隠蔽魔法を使っていたみたいで、無効化出来たんだけどな……」
「それじゃ俺はこれで」
いつもの町田に戻った彼は、本を読みながら片手で挨拶すると、繁華街の方へと歩いて行った。おそらく来島さんと逢うのだろう。硯ちゃんが来た事で、俺達とは別行動をした方が良いと判断したらしい。
「硯ちゃん、化け物って地獄からやってくるの?」
「どんな形をしてたの? 頭に角が生えた人間とかだったら、地獄から来たのかも」
「黒い大きな頭に、黒くて長い腕をしてて、手は小さいんだけど、長い爪が生えてた」
「多分、下級の悪魔だと思う。地獄から来たのかもしれないし、あるいは元々人間界に居たのかもしれないし」
「あんな怪物が人間界に居るの!?」
「普段は街になんか居ないよ。鹿島神社がある所みたいな山の中に居て、静かに暮らしてる。でも操られたり、命令されたりして使い魔として動く事はあるよ。他の悪魔や魔女を襲ったりするけど、人間は襲わない」
「人間が守られているって話は何度も聞いたけど、本当にその掟は厳しく守られているんだね……」
「うん……人は……元々はみんな魔法使いだったの。そもそも魔法使いは元々、みんな悪魔だったの」
「つまり、人間は元々悪魔だったって事?」
「そう、その話は別の所でしよ? ここは人通りが多いから……今は声を反射する魔法を使ってて、周りの人には私達の声は聞こえなくしてるの」
「あ、ああ、うん。それじゃ、別の所で……」