魔界のアサシン、魔界の剣聖
「そうか、コイルはシャンダウ・ローの天使に倒されたのか……」
「どうして私だけ話が通じないのかしら? あなた、昔からそうよね」
「お前が嫌な事ばかり言うから、聞く耳持つのをやめただけだ」
「むかつくわぁ」
「むかつくなぁ」
(犬猿の仲って、こういうのを言うのかなぁ……)
リシアさんの実家であるフィアル家は、カニス家と並んで魔界では武芸で有名な一族で、リシアさんと襟亜さんは小さい頃からライバルとして張り合っていたらしい。襟亜さんが剣術を巧みに使うのに対し、リシアさんは体術に秀でていて暗器と呼ばれる隠し武器や忍武器を使うのだそうだ。
「んで、どーしてフィアル家がライザリの下僕をやってるの?」
「お兄様のご意向ですわ、上は上同士で話をしてるから、リザリィにはさっぱり。とにかく護衛としてリシアが付く事になったんですわ」
「リザリィの兄は……グラーツ卿か……そこまで話が大きくなってきたか」
日曜の朝から、小脇に一升瓶を抱えて縫香さんが場を仕切っていた。
「コイルからは、色々あって、お嬢様を守りきれなかった、後は頼むと言われて来た」
「クロービス、お前が居ながらどうしてコイルが倒されたんだ? そこがよく分からない」
「人間界では襟亜という名前なの、リシアさんも魔界の掟に倣うなら、魔界での名前は伏せて下さらない?」
「私の人間界での名前は里詩亜だ。仕事として頬白真結とリザリィをテラヴィスから守る為に来ただけだ、下僕では無い」
「里詩亜って当て字じゃないか。隠すつもりは無いのか」
縫香さんがそう言うと、里詩亜さんは、ぼそっと何も思いつかなかっただけだ。と呟いていた。リザリィがそれなりに気を使ったらしく、今度はちゃんと里詩亜さんにどうなったのかを説明していた。
「コイルはリザリィを天使の剣から守ろうとしたの、そしてリザリィはダーリンを守っていてダーリンは真結ちゃんを守っていたの。コイルが倒れてもうダメだって時にやっと襟亜が来たの」
「相手は天使か……先ほどラビエルとか言ってたな」
「そうじゃ、私の事じゃ」
という涼しげな透き通る声と共に、いつもの様に縁側からガラス戸をすり抜けてラビエルさんが入って来た。玄関から入ってくるつもりは全くないらしい。
「また勝手に人の家に……はぁ……天使は勝手に入ってくるし、悪魔は勝手に三階を建て増しするし、どうしてみんな自分の好き勝手にしかしないのかしら」
「すまん」
「すまない」
「すいません」
「ごめんね、襟亜お姉ちゃん」
襟亜さんの愚痴に、その場にいた者達が皆、頭を下げていた。
「む! とするとコイルの仇はお前か」
「うむ。真結と弓塚君には悪い事をしたと思っているがコイルとライザリに同情するつもりは無いぞ。天使と悪魔、互いに敵として戦った結果だ。仇と呼ぶなら相手をするが」
里詩亜さんの敵意を持った眼差しに対し、ラビエルさんは天使独特の哀れみとも諦めとも見える達観した視線で答えていた。その眼差しを見た里詩亜さんは戦意を失って、視線を反らす。
「いや、戦いの結果であれば仕方が無い。強い者が勝つ、それが勝負だ。コイルも恨み事は言っていなかった」
「なのにどうして私には斬りかかってきたのかしら?」
「すまない、事情が飲み込めていなかった。許せ、えーと襟亜」
今、ラビエルさんを許した事で、里詩亜さんは角が取れた様みたいで、襟亜さんに小さく頭を下げていた。
「分かってくれたのなら、それでいいわ」
里詩亜さんが詫びた事で襟亜さんはいつもの地獄の笑顔に戻り、家事をする為にリビングを出て行く。
(あー……胃が痛かった……)
朝から切った張ったの騒動で、どうなる事かと思った。ちなみに硯ちゃんは一生懸命この一帯に騒ぎがばれない様に幻術をかけていたらしい。今朝一番の功労者だった。
(って言うか、どうして俺、頬白家に来てるんだろう……)
特に来る理由は無かったのだが、寝間着姿のまま、リザリィに引っ張られて連れてこられてしまった。そして今もリザリィは俺の右袖をつかみ、そして対抗心からか真結が俺の左手をがっしりと抱え込んでいた。
「さて、これで頼りになる剣士が二人と、余計な荷物が一つ追加されたわけか」
「ほんっと天使って口が悪いわよねー、ダーリンは荷物なんかじゃないわよ、いざという時は身体を張れるイケメンよ」
「荷物はお前じゃ。リザリィ」
「……ダーリン聞いて! あの天使、あんな事言うのよ!」
「真結……お前はいきなり弓塚君にベタベタしているが、それは敵対心というものか? それとも独占欲か? お前にも一応、闘争本能はあるのじゃな」
「真結は結構、気が強いぞ」
「地味に負けず嫌いですわよね」
「お姉ちゃんは勝つ為の努力を惜しまないよね」
「見た目も口調ものんびりしているが、芯は強いのだな。良い事じゃ」
ラビエルさんが自分の後輩天使になった真結を褒めると、リザリィが妙な対抗心でしゃしゃり出てくる。
「私だって、芯の強さでは負けてないわよー」
「リザリィのそれは、芯の強さではなくプライドが高いだけだ」
「高貴さこそ闇の令嬢の嗜みですわ。負ける事などありません事よ」
「……まぁ、勝ちも無いだろうがな」
酒を飲みながら、縫香さんがぼそっとそう言うと、リザリィはふっ、と小さく息を吐いた。
「リザリィ、その男のどこがそんなに良いんだ? 私は来たばかりでよく分からないのだが」
里詩亜さんが口をへの字にしながらその尋ねると、リザリィはより一層強く俺の腕を掴んで説明した。
「ダーリンを堕とす事は真結ちゃんも堕とす事なのよ。真結ちゃんを堕とす為にはダーリンを堕とさなくちゃいけないのよ。恋は常にフルパワーで突き進むものよ」
「……という事は、こっちの頬白真結が本命なのか」
「そう、かつては最強の魔女と呼ばれた女。そして今はほんのり天使。もう魔力がどうとかどうでもいいのよ、負けるのだけはイヤなのよ」
「確かにプライドだな……」
「だろ? またとんでもなく気の強い二人に惚れられたものだな、弓塚君も」
「は、はぁ……」
今までの俺の人生に、こんな華やかな時期は無かった。これは確実にモテ期という奴だろう。これを逃したら一生俺は独り身になってしまうに違いない。気の弱い俺には、この二人ぐらい強気な子の方が良いんだと思う。
「ラビエル。その里詩亜については、きちんと話を聞いておいた方が良いぞ」
「ん? なんじゃ? 確かテラヴィスから真結とリザリィを守る為に来たと言っていたが……誰から命を受けた?」
「リザリィの兄上、ロード・グラーツより拝命した次第」
「地獄の男爵に対抗して地獄の君主か、一つの線がこれで繋がったという事だな」
「ああ。だけど、どうして彼奴が動き出したのかは分からないんだよね。地獄の底にいる本人に会えるわけもなし、向こうは玉座に座りながら、私達がテラヴィスを追いかける様を見て愉しんでいるんだろうし、ただの余興かな?」
「余興にしては悪趣味じゃな」
「そう! 『どちらも』ね」
縫香さんが、組んでいた腕のうち右手をラビエルのほうへと伸ばし、人差し指で何かを指し示す素振りを見せた。それを見たラビエルさんは、相手が悪いとでも言いたげに片眉を潜めていた。
縫香さんは、わざと、犬をぶつけてきた相手の名前を伏せていた。ラビエルさんは相手が誰か判ったようだが、その上で名前を伏せていた。言えばその者との戦いが始まる。口にすれば後戻りは出来なくなる。まだ今はその時ではないのだろう。
ふと、リザリィの口元を見た時、悪意のこもった悪魔らしい笑みをしているのが見えた。片方の口の端を吊り上げ、意地の悪そうな顔をしていた。その表情を見た時、やはりこの子は悪魔なんだ、と俺は再び、痛感した。