5 異世界転移
視界が焼きつくほど眩しい、青白い光だった。
空へ放り投げられたような浮遊感とともに、制服の裾が風を孕んで大きく揺れる。
重力さえ曖昧になる不思議な感覚に身を委ねながら、私はゆっくりと地面へ降り立った。
すると、すぐに甘い花の香りが鼻先を掠め、顔を上げると、そこには淡い紫色のハーデンベルギアが視界いっぱいに咲き誇っていた。
この屋敷の象徴でもあるその花を見て、自然と口元に皮肉的な笑みが浮かぶ。
やっぱり、またこの世界にきてしまったのね。
つい先ほどまで夕暮れだったはずの世界は、今や眩い陽光に照らされている。
世界を渡るという現象には、二度目だというのに未だ慣れることができなかった。
きょろきょろと辺りを見渡しながら、私は人の気配がする方へ足を進めた。
手入れの行き届いた庭園を奥へ奥へと進み、幾重にも続く垣根の間を抜ける。
ふいに視界が大きく開け、そこには眩いほど華やかな光景が広がっていた。
「……ソフィア?」
数年ぶりに呼ばれた名前に、私は弾かれたように顔を上げた。
そこに立っていたのは、ルドヴィク公爵だった。
一度目に私がこの世界へ飛ばされた時のように、また時空のずれが起きていたらどうしようと微かな不安があったが、相変わらず若々しい姿の公爵を見て、ほっと胸を撫で下ろす。
「あ、あの……」
声に出した時、ようやく私は公爵の背後に大勢の人影があることに気づいた。
色鮮やかなテーブルクロスに、丁寧に飾り付けられた花々。
ピクニックパーティーでも開いていたのだろうか?
彼女たちは突然現れた私を見て、皆一様に目を見開いている。
不思議なことに、そこには同年代の令嬢たちしかいなかった。
その中に、ひときわ鋭い感情を宿した少女がいた。
艶やかな赤褐色のロングヘア―に、美しい金色の瞳。
アナスタシア嬢……あなたに会うのも本当に久しぶりだわ。
彼女は怒りに肩を震わせ、手に握られた扇子を今にも折れてしまいそうな勢いで強く握り締めている。
当時よりもさらに美しく成長した麗しい彼女は、隠そうともせず私への悪意が滲んだ視線を向けている。
人間性というものは、こっちの世界でも、向こうの世界でも、さして変わりはないらしい。
「……場所を変えましょう」
低く落とされた声に顔を上げると、公爵が令嬢たちを見据えていた。
氷のように冷えた眼差しに射抜かれ、令嬢たちの表情が強張る。
そのまま公爵は私の手首を掴むと、有無を言わせぬ足取りで歩き始めた。
突然のことに戸惑いながらも、私は黙ってその背中を追いかける。
数えきれない疑問が頭を駆け巡る。
どうしてまたあの鏡が光り出したのだろう。
今までずっと光出すことはなかったのに。ここ最近見ていた夢と何か関係があるのだろうか?
それより……ルドヴィク様は私をどこへ連れて行くのだろう。
聞きたいことは山ほどあったのに、いざ本人を前にすると、何から口にすればいいのか分からなくなってしまう。
結局ひと言も声にできないまま口をぱくぱくと動かしていると、ルドヴィク公爵は深く息を吐きだして、苛立ちを押し殺すように前髪をかき上げた。
「今までどこで何をやっていた」
これまでにかけられたことがないくらいの冷たい声と、冷え切った眼差しだった。
何かを必死に押し殺しているかのように歪められた表情に、私はただ不安げに彼の様子を窺う。
大きな手で額を押さえ、苦しげに眉を寄せる姿は、怒りを堪えているようにも見えた。
「君の存在が、あの子に私と同じ苦しみを与える存在だと分かっていれば、決して君を屋敷に招き入れはしなかっただろう。たとえ私が、愚かにも過去の記憶に縛られ、分別がつかなくなっていたとしてもだ」
「……その、私……」
「……いや、すまない。こんなことを君に言ったところで仕方がないのに。私はどうかしているみたいだ」
次に顔を上げた時には、そこにはもう先ほどまでの激情は見えなかった。
代わりに浮かべられていたのは、ひどく切ない微笑だった。
「部屋はそのままにしてあるから、君の好きにしなさい。ここに居る限り身の安全は必ず保障しよう。君のおばあさまに誓って……」
そう告げた公爵様は、すぐに扉の方へ視線を向けると使用人を呼んだ。
ほどなくして部屋へ入ってきたのは、見覚えのある顔をした二人のメイドだった。
彼女たちは私の姿を見た瞬間、息を呑むように目を見開く。
私の存在よりも、私の身に纏っている制服に驚いているようだった。
戸惑うように視線を揺らしながらも、メイドたちはすぐに恭しく頭を下げる。
彼女たちに促されるまま廊下を歩き、連れて行かれたのは数年前まで私が使っていた部屋だった。
淡い色合いのカーテンも、壁際に飾られた花瓶も、何ひとつ変わっていない。
まるで私が居なくなったあの日から、この部屋だけ時間が止まってしまったかのよう。
しかし、すべてが同じというわけではなかった。
クローゼットに並べられていたドレスは、当時私が着ていたものではなく、明らかに大きなサイズものが並んでいたのだ。
幼かったあの頃と違い、身長も伸び、体つきも変わっている。
クローゼットの中にはあの頃の小さいサイズから、今の私に合うサイズまで揃えられていた。
なるべく装飾の少ない、シンプルなものにしてほしいと頼むと、メイドは口を閉ざしたまま慣れた手つきで私の身支度を整え始めた。
髪を整えれば完成というところで、メイドの一人がどこか遠慮がちに口を開く。
「こちらのお召し物はどういたしましょうか?」
視線を向けると、彼女の腕には私が先ほどまで身に纏っていた高校の制服が抱えられていた。
二年以上、ほとんど毎日のように袖を通していた制服。
「……処分しておいてください。もう、着ることはないと思いますから」
メイドたちは一度互いに顔を見合わせると、どこか気まずそうに小さく頷いた。
すると次の瞬間、廊下の向こうから慌ただしい足音が響いてくる。
誰かが駆けてくる音はどんどん近づき、勢いよく扉が開かれた。
「ソフィア様!」
飛び込むように部屋へ入ってきたメイドは、肩で息をしながらこちらへ駆け寄る。
彼女は呼吸を整えながら焦ったように言葉を続けた。
「用意が出来次第、すぐに来て頂けますか? アナスタシア嬢が、どうしてもソフィア様にお会いしたいと仰っているんです」
「ちょっと。まだ公爵様に確認も取れていないんだから、今日のところはお帰りいただきなさいよ」
「私もそう言ったんだけど、どれだけでも待つと言い張っていて……」
半ば呆れたように言葉を交わすメイドたち。
アナスタシア嬢らしい言葉だわ。
彼女は、昔から一度言い出したら聞かない人だったから。
私は苦笑を浮かべると、控えめに彼女たちの会話へ割って入る。
「大丈夫です。アナスタシア嬢は私の友人でもあった方ですし、公爵様からは好きにしていいと言われましたから。すぐに行くと伝えてください」
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「こちらです」
「ありがとうございます。二人はもう下がってくれて構わないです」
私の言葉に、メイドたちは一瞬だけ戸惑ったように顔を見合わせた。
けれど、面倒事には関わりたくないのだろう。すぐに「何かございましたら、お呼びください」とだけ言い残し、足早に去っていく。
静けさが戻った廊下で、私はゆっくりと扉へ向き直った。
重たい扉を押し開けた先には、一人の美しい少女が佇んでいた。
艶やかな赤褐色の髪に、輝く黄金色の瞳。
その瞳に私を映すと、彼女は私の元までゆっくりと歩み寄り、鋭い眼光で私を睨みつけた。
次の瞬間、鞭を打つような鋭く乾いた音が部屋に響いた。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
じんじんと熱を持ち始めた頬に触れながら、私は数回に渡って瞬きを繰り返す。
アナスタシアが私の頬を叩いたのだと理解するまで、しばらく時間がかかった。




