「さようなら」
アイリス視点
ーーダッ!
ギルドを出た直後、わたしは駆け出した。
これから、どうすれば良いのか? どこに行けば良いのか?
当てなんて何にも無かったけれど、それでも、わたしは走らずにはいられなかった。
ーー走って。
ーー走って。
ーーがむしゃらに走り続けて。
「…………あ、あれ…………」
気が付けば、わたしはシンさんの家の前に居た。
「…………はぁ…………」
どうやら、わたしの足は無意識に、シンさんの家に向かっていたらしい。
そんな自分に呆れて、思わずため息が漏れてしまう。
「…………本当、何やってるんだろ、わたし…………?」
この家はもう、わたしにとっての帰るべき場所じゃ無いのに…………。
(…………まあ、いいや。せっかく来たんだし、荷物をまとめて行こう)
服を始めとした生活に必要な物は、当然だけど家にある。
これから行く場所に心当たりは無いけれど、さすがに身1つで当てもなくさ迷う訳にはいかない。
ーーガチャリ
わたしは、以前シンさんから貰った合カギを使って、玄関の扉を開ける。
そして、1直線に自分の部屋へ向かうと、タンスの中の服を『収納』へと仕舞っていく。
(…………この家に来るのも、これで最後か…………)
服を全て『収納』に仕舞った後、わたしは最後に自分の部屋の中を見回す。
(最初の頃は、この部屋に不気味な無機質さを感じたっけ…………)
白を基調とした、落ち着いた色合いの家具で纏められていた部屋。
だけど、この部屋の内装は今、以前と比べ様変わりしている。
ベッドの布団カバーやカーテンは、わたしが1番好きなピンク色の物に変わり、タンスやテーブルの上には可愛らしい小物が置かれている。
これらは全て、今日までの間にシンさんが買ってくれた物だ。
(…………シンさん…………)
こうして、シンさんからのプレゼントで溢れた部屋を見て、思う。
シンさんがわたしに向けてくれた愛情は、本当に偽物だったのだろうか?
(…………でも、シンさん自身が、『わたしの復讐を手伝う気が無い』って言ってたんだもんなぁ…………)
他の人からの又聞きならともかく、シンさんの口から直接言われた以上、そちらに関しては疑う余地が無いだろう。
(フィリアさんから指摘された通り、初級の『矢』系魔法や、『収納』や『障壁』といった補助系の魔法しか教えてくれなかったのも、そう考えれば説明がつくし…………って、あれ?)
と、わたしはそこで、1つの違和感に気付く。
(…………それならシンさん、何でわたしに緋色の短剣をくれたんだろう?)
わたしの復讐を手伝う気が無いのなら、武器を与えるのはおかしいよね…………?
(…………もしかしたら、シンさんがウソを吐いていたというのは、わたしの勘違いだったのかも…………!)
わたしの心に、ほんの少しだけ、希望が生まれる。
「『収納』・アウト!」
その希望を確信へと変えたかったわたしは、早速『収納』から緋色の短剣を取り出す。
(もしこれが普通の短剣だったなら、全部わたしの早とちりという事で、笑い話になってくれる…………!)
そんな期待の元、わたしはマジマジと緋色の短剣を観察していく。
だけど…………残念な事に、わたしは違和感に気付いてしまったーー
「ーーっ! これ…………刃が潰れてる…………」
試しに、刃に指を押し当てみる。
だけど、わたしの指には傷1つ付かなかった。
「…………やっぱり、シンさんはわたしにウソを吐いていたんだね…………」
それは、最初から分かっていた事。
それでも、ほんの少しでも希望を抱いてしまった分、わたしの落胆は激しかった。
「…………もう、シンさんの何を信じたらいいか、分からないよ…………」
どこまでがウソで、どこまでが本当だったのか?
(少なくとも、わたしを鍛えてくれる気が無かったのは、もう確定だよね…………)
残る疑問は、シンさんがわたしに向けてくれていた愛情が偽物かどうか。
わたしも、出来れば偽物じゃ無いって信じたいけど…………でも、こんなにも沢山ウソを吐かれていた以上、もうシンさんを信じる事が出来ないよ…………。
「…………はぁー…………」
思わず、ため息が漏れてしまう。
(…………どうして、わたしはシンさんとの約束を破って、『消音』の外に出ちゃったんだろう…………)
ちゃんと約束を守っていれば、たとえ仮初めの物だったとしても、わたしは幸せを満喫出来ていたのに…………。
「…………行こう…………」
今さら後悔しても、もう遅い。
それに、わたしが居ない事に気付いたシンさんが、この家に戻って来るかもしれない。
荷物も纏めた事だし、早くこの家を出るとしよう。
「…………これから、どうしよっかな…………」
自分の部屋を出たわたしは、玄関へと向かいながら、これからについて考える。
(…………そんな事、決まっている)
お母さん達をあんなにも惨たらしく殺した、『血染めの髑髏』に復讐がしたい。
(だけど、肝心の『血染めの髑髏』の居場所が、分からないからなぁ…………)
それに、たとえ居場所が分かったとしても、今のわたしには『血染めの髑髏』に復讐するための力が無い。
シンさんが言うには、『血染めの髑髏』は、Aランク冒険者が数人がかりじゃないと倒せない相手。
対するわたしはーー使える攻撃魔法は、初級の『矢』系魔法のみ。そして、刃の潰れている、オモチャみたいな短剣があるだけ…………。
これでは、とても勝ち目なんて無いだろう。
「…………せめて、シンさんが1つでも、強い攻撃魔法を教えてくれてたらなぁ…………」
そんな事を呟いて、わたしはリビングの入り口へと差し掛かる。
ーーチラッ
「? あれ?」
そして、何気なくリビングを覗き込んだわたしは、ある1つの違和感に気付く。
「…………あんな所に、本なんてあったっけ?」
広いリビングの中には、応接スペースとしてソファーとローテーブルが設けられている。
そのローテーブルの上に、1冊の本が置かれていた。
(? 遠目だからよく見えないけど…………でも、ギルドに行く前は、テーブルの上に本なんて無かったよね…………?)
何だか気になったわたしは、リビングの中へと足を踏み入れる。
ローテーブルへと近づき、その上に置かれた本を手に取る、わたし。
そして、表紙を確認した瞬間、わたしは驚きの声を上げるーー
「ーーっ! これ、魔法書!?」
表紙の大部分には黒色の魔法陣が描かれ、その上の僅かなスペースには『凶化』という魔法名。
(『収納』や『障壁』の魔法書と、表紙のデザインが一緒だ! 間違いない! これ、魔法書だ!)
だけど、どうしてテーブルの上に魔法書が置かれているんだろう?
わたしの脳裏に、そんな当たり前の疑問が浮かぶ。だけど、その疑問は、すぐに解けた。
「? メモ?」
ローテーブルの上には、魔法書と一緒に、1枚のメモが置かれていた。
手に取って確認すると、そのメモには、こう書かれていた。
『ソファーの下に落ちてました』
そして、メモの最後には、名前。
その名前に、わたしは見覚えがあった。
「…………たしか、家の掃除をしてくれている、ハウスキーパーさんの1人、だったよね…………?」
シンさんが言うには、この家の掃除は、週に2回のペースで、ハウスキーパーさんにお願いしているそうだ。
数日前にも、わたしとシンさんがギルドに依頼の確認に行く直前に、10人位のハウスキーパーさん達がやって来て、簡単にだけど自己紹介をした。
(…………あの後シンさん、ハウスキーパーさん達を家に置いてギルドに行っちゃうんだもんなぁ…………)
あの時は、ビックリした。
どうやら、シンさんはそのハウスキーパーさん達を信頼しているらしく、この家のカギを預けているそうだ。
(…………まあ、現にこうして、高価な魔法書をネコババされなかった訳だし、シンさんの信頼は正しかったんだろうな)
そして驚いた事が、もう1つ。それは、ハウスキーパーさん達の仕事の速さだ。
わたし達がギルドに行って帰ってきたら、ハウスキーパーさん達はもう居なかった。
時間としては1時間も経っていないはずなのに、その短い時間で、この大きな家の掃除を終えてしまったらしい。
(…………そういえば、今日もわたし達と入れ違いで、ハウスキーパーさん達が来てたっけ…………)
前回の掃除では気付かなかったのか? それとも、前回はソファー下まで掃除をしなかったのか?
理由は分からないけれど、今日の掃除でソファーの下に魔法書があるのに気付いて、ローテーブルの上に置いて帰った、と。
きっと、そんな感じなんだと思う。
(だけど、どうしてソファーの下に魔法書が落ちてたんだろう?)
わたしの記憶にあるかぎり、この場所でシンさんが『収納』から魔法書を取り出したのは、1回だけ。
わたしに、『収納』と『障壁』の魔法書を使わせてくれた時だ。
(…………そういえばあの時、シンさん、『収納』から魔法書を一気に出して、半分近く床に落としてたっけ…………)
と、同時に、その前の出来事も思い出す。
(…………そういえばシンさん、魔法の適性を調べる水晶玉を取り出した時も、掌から溢れて落としてたっけ…………)
それを、わたしとシンさんとで1個ずつ拾って、そして…………そうだ! 最後の1個がソファー下に落ちてたんだ!
(…………まさか、その水晶玉と同じように、魔法書も1冊、ソファーの下に落ちてたって事?)
そうかもしれない。
そもそも、シンさんが魔法書を何冊出したのか、わたしは知らない。
わたしが数えた時は14冊だったけど…………でもそれは、床に落とした魔法書を拾い終わった後だった。
(…………もしかしたら、あの時シンさんが『収納』から取り出した魔法書は、14冊じゃ無くて、15冊だったのかもしれない…………!)
そして、ソファー下に滑り落ちた魔法書に気付かないまま、わたしもシンさんも、全部拾い集めた気になっていた。
そう考えれば、辻褄が合う。
(…………って、理由なんて、今はどうでもいいよ!)
重要なのは、今わたしの手に、魔法書があるという事だ。
(もし、この魔法書に込められている魔法が、強力な攻撃魔法だったら、わたしは『血染めの髑髏』に復讐する事が出来るかもしれない…………!)
わたしは逸る気持ちを抑えつつ、魔法書の内容を確認していく。
まずは表紙。魔法陣や魔法名は、黒色で描かれている。きっと、この魔法書に込められてる魔法は、『闇』属性なんだと思う。
(良かった。『闇』属性なら、わたし適性を持ってる)
次は、この魔法書に込めらている『凶化』がどういう魔法なのか、だ。
(たしかシンさん、魔法書の中に、魔法の詳しい説明が書いてあるって言ってたよね…………)
以前、『障壁』の魔法書を使わせてもらった時の事を思い出したわたしは、『凶化』の魔法書を開く。
(……………………うーん…………。相変わらず、専門用語ばかりで、難しいなぁ…………)
だけど、だいたいの内容は理解出来た。
どうやら、この『凶化』という魔法には、使用者の身体能力を3倍に高める効果があるらしい。
(攻撃魔法というより、補助魔法みたいだけど…………それでも、使い方によっては強力な魔法だよね…………!)
だって、身体能力が3倍だよ!?
これなら、子供のわたしでも、『血染めの髑髏』とまともに闘えるかもしれない!?
(…………でも、勝手に使っちゃって良いのかな?)
早速、『凶化』の魔法を覚えようと、表紙に描かれた魔法陣の上に手を置く、わたし。
後は魔力を流すだけだったけど、わたしはそれを躊躇ってしまう。
(…………たしか、魔法書って、凄く高かったよね)
シンさんが言うには、魔法書の値段は、込められてる魔法によって変わるらしい。
だから、詳しい額は分からないけれど、たしか『極・癒』の魔法書は、金貨200枚だった。
なら、この『凶化』の魔法書も同じ位か…………もしかしたら、それ以上の可能性もある。
それを考えると、シンさんに無断で魔法書を使ってしまうのは、躊躇してしまう。
(……………………でも、この機会を逃せば、わたしはもう、『血染めの髑髏』に復讐する事が出来ないかもしれない…………)
まがりなりにも、お世話になったシンさんに義理を通すか。
それとも、お母さん達の復讐を優先するか。
「…………………………………………」
ーー悩んで
ーー悩んで
ーーたくさん、悩んで
ーー結果、わたしが選んだのは、後者だった。
「……………………ごめんなさい、シンさん…………」
シンさんへの謝罪の言葉と共に、わたしは魔法陣に魔力を流していく。
途端に、光始める魔法陣。
光は、魔法陣の内側から外側へと広がり、次いで、外側から内側へと向かって、光と共に魔法陣が消えていく。
「……………………うん。これで、終わりだね…………」
光が全て消えたのを確認して、魔法書から手を離す、わたし。
途端に、わたしの中に罪悪感が襲ってきた。
(高価な魔法書を、シンさんに無断で使ってしまったんだ…………もう、後戻りする事は、出来ないね…………)
ーーパンッ
わたしは、自分の両頬を思いっきり叩く事で、気持ちを切り替える。
罪悪感には、見ないフリをする事にした…………。
「…………よし! これで残る問題は、『血染めの髑髏』の居場所だけだね!」
…………でも、一体どうやって調べればいいんだろう?
(Sランク冒険者のシンさんなら、調べる手段が沢山あるんだろうけどなぁ…………。……………………ん? シンさん?)
と、その瞬間、わたしの脳裏に閃く物があった。
(…………そういえば、ギルドでシンさん、最後に何て言ってたっけ?)
たしかーー
『ありません。正直に言えば、今すぐにでも、『パァム』の村近くの洞窟に潜んでいる『血染めの髑髏』を始末しに行きたいと思ってます』
「ーーっ!」
そうだ! シンさんはあの時、『血染めの髑髏』の居場所を口にしていた。
(シンさんがわたしの復讐を手伝う気が無い事や、シンさん自身が『血染めの髑髏』を始末する気だという事に気を取られて、気付かなかった!)
そして、『パァム』の村近くの洞窟という場所に、わたしは聞き覚えがあった。
それは、グリフォンとアイアンゴーレムの討伐の依頼を終え、ギルドに報告をしに行った時の事ーー
あの時、フィリアさんが持っていた依頼の取り下げに関する書類に、その場所の名前が書かれていた。
(もしかして、その書類に書かれていた、ゴブリンを退治してくれた傭兵団が、『血染めの髑髏』だったのかも…………!?)
以前、シンさんから聞いた覚えがある。『血染めの髑髏』は、元は傭兵団だったと。
それに、先程ギルドで、フィリアさんがシンさんに、1枚の紙を見せていた。
わたしは『消音』の内側に居たから、フィリアさんとシンさんの会話の内容は聞こえなかったけど、あの紙が依頼の取り下げ書類だった可能性は、充分にあるはずだ。
「ーーよし! そうと決まれば、早速この場所に行こう!」
幸い、わたしが住んでいた『ルル』の村と、『パァム』の村は近い。
道順は分かるし、『パァム』の村近くの洞窟にも、心当たりがある。
「ーーっと、その前に…………」
ーーピタッ
すぐに家を飛び出そうとしたわたしは、1歩を踏み出した所で立ち止まる。
「…………今日までお世話になったシンさんに、お礼を言わないとね…………」
たとえ、ウソにまみれた仮初めの物だったとしても、わたしはシンさんのおかげで、今日まで幸せに過ごす事が出来た。
「…………シンさんに会うつもりは、もう無いけれど…………。でも、せめて置き手紙ぐらいは残しておこう」
わたしは、メモを裏返すと、そこにシンさんへの感謝の言葉を綴っていく。
『短い間でしたが、お世話になりました。ありがとうございました。さようなら』
「……………………さようなら、シンさん…………」
その言葉を最後に、わたしは家を飛び出のだったーー




