シンの失敗
シン視点
「『消音』」
俺は、少し離れた位置に立つアイリスに向けて手をかざし、魔法名を唱える。
すると、アイリスの周囲を覆うように、魔力で出来た半透明の膜が張られた。
(…………よし。これで『消音』の内側に居るアイリスに、外側に居る俺達の会話は聞こえないな)
そうして、俺がギルドのカウンターで待つフィリアさん達4人の元へ向かおうとした、その瞬間ーー
「ーーーー」
不安そうに顔を歪め、今にも泣き出してしまいそうなアイリスが、何事かを呟いた。
もちろん、『消音』の外側に居る俺には、内側のアイリスの声は聞き取れない。
やろうと思えば、少し位なら口を読む事も出来るがーーだが、今アイリスが何を言ったかは、読唇術を使わなくても分かった。
「…………シンさん…………」
アイリスは、俺の名前を呼んだのだ。
もう1週間以上もの間、俺はアイリスと一緒に暮らしている。その間に、何十回、何百回とアイリスから名前を呼ばれたのだ。
アイリスが俺の名前を呼ぶ時に限るが、それだけなら口の動きを見れば、考える必要も無く、瞬間的に理解できる。
アイリスの保護者としてーーそして、父親として、そんな自信が俺にはあった。
「…………ごめんね、アイリス…………」
『消化』の内側に居るアイリスに、外側の俺の声は聞こえない。
そう分かってはいるものの、俺はアイリスに謝罪の言葉を口にしてから、フィリアさん達の元へと向かって行く。
ーー何故、こんな状況になっているのか。
それは、今から約10分前。エドさんから、『血染めの髑髏』発見の報を伝えられた直後に遡る。
相変わらず、俺の耳元に顔を寄せた状態のままーーエドさんは、ある2つの選択肢を提示してきたのだ。
…………
……………………
…………………………………………
「どうする、『探求者』? 今ここで、『血染めの髑髏』の居場所を話すか? それとも、お前がやったように、後で手紙に書いて送るか?」
チラッ、と。俺のすぐ左隣に居るアイリスに、気遣うような視線を向ける、エドさん。
(…………そうか。エドさんやヴィヴィさんには、俺がどっちを選んだのか、まだ話してなかったな)
エドさんとヴィヴィさんに『計画』の協力をお願いした、あの時ーー俺は、ヴィヴィさんから、ある提案を受けた。
『ちゃんと、アイリスという子に、キミの考えを話そう? たとえ断られたとしても、根気強く話し合って、納得してもらうんだ。ーーきっと、それが最も最善な選択だよ、シルヴァー殿』
その提案に、俺は『保留』という返事を返した。
ヴィヴィさんからの提案を受け入れ、アイリスに『計画』を話したのか。それとも、アイリスに秘密にしたまま『計画』を進めるつもりなのか。エドさんは、俺がどちらを選んだのかを知らない。
だからこそ、もし後者だった場合に備えて、アイリスに聞かれないように、こうして小声で話してくれているのだろう。
(まあ、そのエドさんの配慮のおかげで、助かった訳だが…………)
俺が選んだのは、後者。『計画』について、アイリスには1言も話していない。
『『血染めの髑髏』が見つかったぜ、『探求者』』
このセリフを、エドさんが普通の声で話してしまってたら、とんでもない事になってしまっていただろう。
(本当、エドさんの配慮に感謝だよ…………さて、『この場で話すか』それとも『手紙に書くか』、か…………)
俺は頭を切り替え、先程のエドさんの提案について考える。
(…………まあ、普通に考えれば後者だろうな)
前者の場合、いくら小声で話した所で、アイリスに聞かれる可能性は否めない。
それに、あまりに長い時間ヒソヒソと小声で話していたら、アイリスから不信感を抱かれてしまうだろう。
対して、後者ならそんな心配は無い。後で手紙に書いて送ってもらって、アイリスに見られないよう気を付けて読めば良い。
(アイリスだって、俺宛の手紙を無断で覗き込むような子じゃないしな)
だがーー
(その場合、手紙が配送されるまで、『血染めの髑髏』の情報を知る事は出来ない、か…………)
ーーチラッ
俺は左隣のアイリスに視線を向ける。
おそらく、俺から気を逸らすためだろう。先程からフィリアさんが、積極的にアイリスに雑談を持ち掛けていた。
(…………今、アイリスは笑顔でフィリアさんと話しているけど…………)
だが、俺は知っている。…………俺だけが、知っている。
『血染めの髑髏』へ復讐するため、魔力切れで倒れるまで魔法の修行を続けるアイリスを。
そして、不安を紛らわす為、必要以上にベタベタと俺に甘えてくるアイリスを。
そんなアイリスの事を考えるなら、1刻でも速く『血染めの髑髏』を始末したい。
(となると、今すぐにでも『血染めの髑髏』の情報を聞きたい所だが…………)
だが、その場合、問題が2つある。
1つ目は、アイリスに俺達の会話が聞かれかねない事。
そして、2つ目。これは、手紙に書いて送ってもらった場合にも共通する問題ーーすなわち、情報を聞いた後、俺は『血染めの髑髏』を始末しに行くのだが、その間アイリスをどうするかだ。
まさか、連れて行く訳にもいくまい。
(……………………とりあえず、1つ目の問題から考えるか…………)
といっても、実は1つ目の問題に関しては、解決策…………とは言わないまでも、1つ案があった。
それは、先程センドリックさんが言ったセリフだ。
『シン・シルヴァー様。王宮より、大切なお話しがあります』
センドリックさんは、アイリスにも聞こえるような声で、そう言った。
…………いや。おそらく、センドリックさんはあえて、アイリスに聞こえるように言ってくれたんだろう。こう言えば、アイリスは俺達の会話を聞きづらくなる。
それに、俺は以前アイリスに、『Sランク冒険者は、国家機密に関わる仕事をする事がある』と、そんなニュアンスの事を、魔法書の説明の時に言っている。説得力は、さらに増すだろう。
(…………問題は、アイリスが納得してくれるかだよな…………)
以前の、『ルル』の村で葬式を挙げる前のアイリスなら、納得してくれただろう。
もちろん、今のアイリスだって理屈の上でなら納得してくれると思う。
ただ、理屈と感情は別だ。おそらくアイリスは、俺が目の届かない範囲に行く事をイヤがるだろう。
(とはいえ、アイリスから離れた場所じゃないと、いくら小声で話した所で、聞かれる可能性は0じゃないし…………いや、待てよーー)
そこまで考えた所で、俺は1つのアイデアを閃いた。
(ーー『消音』を使えば良いんじゃないか)
『消音』の効果範囲は狭いため、俺やフィリアさん達、全員を包むのは難しい。
それなら、アイリス1人を『消音』で包めば良い。
そうすれば、アイリスの目の届く位置で話す事が出来る。
(うん。これで、1つ目の問題はクリアだな)
アイリスは聞き分けの良い素直な子だし、約束を破ったりしないだろう。
(…………問題は、2つ目だが…………。…………………………………………駄目だ。良いアイデアが浮かばない)
……………………仕方ない。俺が『血染めの髑髏』を始末しに行く間、アイリスをどうするかは後で考えるとして、とりあえず今は、エドさん達から『血染めの髑髏』の情報を聞くとしよう。
「今から聞きます。ただ、その前に…………」
俺は、エドさんに小声で返事を返すと、続いてアイリスに声をかける。
「アイリス。フィリアさんと話してるところ悪いんだけど、ちょっと良いかな? 大切な話があるんだけど」
「…………なんですか…………」
俺がそう声をかけると、先程までフィリアさんと楽しそうに話をしていたアイリスの表情が一転、不安そうに歪む。
(頭の良い子だ。きっと、さっきのセンドリックさんのセリフを聞いて、これから俺がどういう話をするのか、何となく察しているんだろうな)
そんなアイリスに、俺は頭の中で考えていた事を説明していく。
「アイリス。どうやらセンドリックさん達から、何か大切な話があるみたいなんだ。国家機密に関わる事もあるかもしれないから、悪いんだけど、アイリスにはその間ーー」
「ーーい、嫌です!」
ーーギュ~ッ!
俺の説明を途中で遮る、アイリス。そして、絶対に離れないという意思表示なのか、俺の体を力強く抱き締めてきた。
「…………アイリスちゃん…………!?」
俺達のやり取りを間近で見ていたフィリアさんが、驚いた表情でアイリスを見る。
そんなフィリアさんを横目に見つつ、俺は考える。
(…………やっぱり、予想通りの展開になってしまったな…………)
そして、説明の途中で否定の言葉を口にしたという事は、やはりアイリスは、俺のセリフを予想していたのだろう。
ーーサス、サス
この子を安心させてあげたい。その一心で、俺は先程から震えているアイリスの背中を、優しく撫でる。
そして、静かにアイリスへと語りかけていく。
「大丈夫だよ、アイリス。その間、席を外してて。なんて、言わないからさ」
「ううぅ…………。本当ですか…………?」
「ああ。…………ただ、その代わりーー」
そうして、俺はアイリスに『消音』を使った代替案を説明する。
アイリスも、渋々ながら納得してくれたのだったーー
…………
……………………
…………………………………………
アイリスが待つギルドホールの中央から、フィリアさん達が待つ受付カウンターは、目と鼻の先だ。
これまでの経緯を思い出している間に、俺は受付へと辿り着いた。
「お待たせしました」
先に待っていてもらっていた4人に声をかけつつ、俺はエドさん、ヴィヴィさん、センドリックさんが居る受付カウンターの外側では無く、カウンターの内側、フィリアさんの隣へと並ぶ。
本来なら、ギルド職員しか入れない場所だが、受付カウンターの外側では、必然的にアイリスに背中を向ける形になってしまうため、フィリアさんが気を使ってくれたのだ。
ーーヒラヒラ
アイリスを安心させてあげる為、俺は笑顔で軽く手を振る。
ーーヒラヒラ
すると、ぎこちない笑顔ではあるものの、アイリスも俺に手を振り返してくれた。
その姿に安心感を覚えた俺は、アイリスから視線を外し、真剣な表情でエドさんに質問する。
「ーーそれで、『血染めの髑髏』が見付かったというのは本当ですか、エドさん」
「ああ、本当だぜ、『探求者』」
「ーーっ! そ、それで! 1体どこに潜伏していたんですか!?」
「ーーっと。落ち着けよ、『探求者』。ちゃんと、1から説明するからよ」
思わず身を乗り出してしまった俺を、冷静に嗜めてくる、エドさん。
そんな悠長なエドさんの言動は気になるもののーーたしかに、今の段階で焦っても仕方ない。
そうして俺が身を引くと、エドさんはフィリアさんへと目配せをする。
無言で頷くフィリアさん。そしてーー
「シンさん。まずはこれを確認してもらえますか」
ーーそう言って、1枚の紙を差し出してきた。
受け取って確認すると、どうやら依頼の取り下げに関する書類のようだ。
内容は…………どうやら、『パァム』の村の近くの洞窟に住み着いたゴブリンの群れを、通りすがりの傭兵団が退治してくれたらしく、前日に出していた依頼を取り下げたらしい。
(なるほど。だからあの日、ゴブリン退治の依頼が無くなっていたのか)
書類を読んで、そう納得するものの…………どうして、今これを俺に?
(このタイミングで出すという事は、『血染めの髑髏』に関係してると思うんだけどーーっ! ま、まさか…………!?)
そこで、ある事に思い当たった俺は、まさかと思いつつも、エドさんに確認する。
「まさか…………ここに書いてある、ゴブリンを退治をしてくれた傭兵団というのが、『血染めの髑髏』なんですか…………?」
「ああ。そうだ」
「ーーっ! なるほど…………そういう事か」
今でこそ、盗賊団である『血染めの髑髏』だが、元は傭兵団だった。
きっと、何も知らない『パァム』の村人に、自分達の事を傭兵団だと説明したのだろう。元が傭兵団だけに、説得力もある。
それに、この依頼が取り下げられたのは、『ルル』の村が『血染めの髑髏』に襲われた翌日だ。
『ルル』の村から『パァム』の村までは、歩いて2時間。時系列も合う。
「そ、それで…………『血染めの髑髏』は、今どこに?」
「書類の最後に書いてあるぜ、『探求者』」
おそるおそる尋ねる俺に、そう指摘する、エドさん。
俺は改めて、書類の最後を確認するとーー
『備考。なお、ゴブリンを退治してくれた傭兵団は、しばらくこの洞窟に滞在するとの事』
ーーそんな文言が、書類の最後に書かれていた。
(ーーっ! まさか、こんな近くに潜んでいたなんて…………!)
王都から『パァム』の村までは、馬車で4時間。まさに、灯台もと暗しだ。
「ちなみに、オレが昨日、遠目にだが、直接この洞窟に行って確認してきたぜ。たしかに、30人程の武装集団が居た」
「私が今日、王都を始めとした、『パァム』の村近辺の街の、騎士団の駐屯所に確認しましたが、大規模な武装集団の目撃情報はありませんでした。おそらくまだ、この洞窟に潜伏していと思われます」
俺の考えを後押しするように、エドさんとセンドリックさんが補足説明をしてくれる。
(たしか、『血染めの髑髏』の構成人数も30人ぐらいだったな。…………うん。こいつらが『血染めの髑髏』で、ほぼ確定だろう)
そして、センドリックさんが言うには、『血染めの髑髏』は、未だにこの洞窟に滞在しているだろうとの事。
だがーー
(問題は、いつまで『血染めの髑髏』が、この洞窟に滞在しているか、だな…………)
もし、この洞窟から離れられたら、また1から捜索し直しだ。
それを考えたら、今すぐにでも、この洞窟に急行したい所だがーー
「…………その場合、アイリスをどうするか、か…………」
俺は、無意識にそう呟く。
と、今まで黙っていたヴィヴィさんが、始めて口を開いた。
「ところで、1つ確認をしたいのだが、シルヴァー殿。キミは、ちゃんとアイリスちゃんに、自分の考えを話したのか? まあーー」
そこで1旦、言葉を止める、ヴィヴィさん。
そして、1度アイリスの方を振り向いてから、続ける。
「わざわざアイリスちゃんに『消音』をかけた時点で、何となく察しはついてはいるが…………」
そう言って、俺に咎めるような視線を向ける、ヴィヴィさん。
(…………これは…………ヴィヴィさん、凄い怒っているな…………)
タラリ、と。俺の背中に冷や汗が流れる。
相変わらず、怒ると怖い人だ。だが、俺も自分の意見を曲げるつもりは無い。
俺は毅然とした態度で、ヴィヴィさんの質問に答えを返す。
「ヴィヴィさんの考えている通りです。アイリスには計画について、1言も話していません」
「ーーっ! どうしてですか、シンさん!?」
「? フィリアさん?」
俺の、ヴィヴィさんへの返答に真っ先に反応したのは、隣に居たフィリアさんだった。
珍しく、声を荒げる、フィリアさん。この反応を見るかぎり、ヴィヴィさんと同じく、フィリアさんも俺の計画に反対なんだろう。
そう判断した俺は、隣のフィリアさんへと向き直り、言葉を続ける。
「どうして、って。フィリアさんも、さっき見たでしょう? アイリスは今、精神的にかなり不安定な状態なんですよ。そんなアイリスに、復讐を手伝う気が無いなんて、とても言えません」
「…………そ、それは…………たしかに、そうなのかもしれないですが…………。でも、このままでは、アイリスちゃんが可哀想です…………」
「私も、エルルゥ殿と同じ考えだ。…………なあ、シルヴァー殿。考え直す気はないか?」
「ありません。正直に言えば、今すぐにでも、『パァム』の村近くの洞窟に潜んでいる『血染めの髑髏』を始末しに行きたいと思っています」
そんなヴィヴィさんの提案に、俺は確固たる意思を持った断言で返す。
だが、フィリアさんもヴィヴィさんも、それでは納得はしてくれないようだ。なんとか俺の考えを変えようと、あの手この手で迫ってくる。
が、俺はそんな2人の提案を、頑なに拒否し続ける。
(うーん…………まいったな。フィリアさんとヴィヴィさん、何とか女性陣2人に納得してもらいたいんだが…………)
ちなみにエドさんは、積極的ではないものの、俺の意見を支持してくれている。
センドリックさんは中立派で、何とか場を取りなそうとしてくれていた。
だが、俺、フィリアさん、ヴィヴィさんの誰1人として、自分の意見を譲らない。
そうして、30分程の時間が流れた時だった。
これまでの流れと同じく、何とか俺の考えを翻そうとしたフィリアさんが、何事か口を開きかけーー
ーーチラッ
「…………………………………………えっ…………?」
ふと、俺から視線を反らす、フィリアさん。
そして、間の抜けた呟きを発した後、フィリアさんの顔色が、どんどん青ざめていく。
「? どうしました、フィリアさん?」
…………
……………………
…………………………………………
ーー後になって、思う。
俺は選択を間違えたーー失敗したと。
多分、ここ数日のアイリスの様子を見て、俺は無意識に焦りーー結果、視野が狭くなっていたのだろう。
何も、この場で『血染めの髑髏』の情報を聞く必要なんて無かった。
エドさんから提案された通り、手紙に書いて送ってもらえば良かったんだ。
配送まで時間がかかるというのなら、エドさんにお願いして、直接郵便受けに投函してもらえば良い。
そして夜中、アイリスが寝静まってから『血染めの髑髏』を始末しに行けば、あんな事にはならなかったのに…………。
ーーなんて、これは全てが終わった後に、俺が考えた事。
後悔先にたたず。後の祭り。たらればの話をしても仕方ないのだからーー
…………
……………………
…………………………………………
「…………シンさん…………」
青ざめた表情で、俺に向き直る、フィリアさん。
そして、フィリアさんは絶望に染まった声音で、こう呟くのだったーー
「…………アイリスちゃんが…………居ません…………」
 




