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虹風のアルカンシェ  作者: ムク文鳥
勢能市の魔法少女編
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第1章 1話

第1章 とある幼馴染たちの日常


 赤崎あかざき じゅんの朝は早い。

 今日も午前5時30分頃には起床し、寝ぼけた様子もなく手早く着替える。

 本日のいでたちは、春物の明るい色合いの長袖Tシャツの上から、パステルブルーのパーカーを引っかけ、ボトムはサンドウォッシュのデニム。

 そして、家人に迷惑にならないように静かに玄関をくぐり抜ける。

 雨でも降らない限り、庭と家の前を軽く掃き掃除するのが潤の毎朝の日課なのである。


「ようやく朝でも、寒くなくなってきたよね」


 春とはいえ早朝はさすがに肌寒い。それでもゴールデンウィークも間近に迫ったこの頃は、早朝の寒さに身を震わせることも少なくなってきた。

 その掃き掃除の途中、朝刊の配達に来た年若い配達員ににっこりと笑顔で朝の挨拶。


「おはようございます。毎朝ご苦労様ですね」

「お……お、おはよう、潤ちゃん。潤ちゃんこそ毎朝精が出るね」


 その真夏の向日葵の如き輝くような笑顔に、配達員の頬がほんのりと朱に染まる。

 だが、潤はそれには全く気付きもせず、鼻歌を口ずさみながら実に楽しそうに掃き掃除を続ける。

 潤の花のような笑顔を目たさに赤崎家を含む配達コースの担当になろうと、アルバイトたちの間で静かな争いがおきていることを、もちろん潤は知らない。

 30分ほどで掃き掃除を切り上げると、次に向かうは台所。

 築30年を余裕で超すこの家の台所は、今時のシステムキッチンなど望むべくもなく、古くて使い辛い。

 しかしそんなことはまるで気にもかけず、手慣れた様子で朝食の準備に取りかかる。

 ガスコンロで湯を沸かしながら、適量の米をプラスチックのボウルに入れて手早く研ぐ。

 そしてそれを炊飯器へと放り込むと、4人分のおかずの準備。


「今朝は何にしようかなぁ。味噌汁と香の物はいつも通りとして……あ、昨日の夕飯の残りのコロッケが幾つかあったっけ。きっとお姉ちゃんと鉄心は食べるって言うに決まってるし、お母さんには好物のひじきの煮つけとサケの塩焼き、後は……」


 今、この古くも広い家に住んでいるのは、自分の他には母親と姉が1人。父親は仕事の関係で数ヶ月ほど前から渡米中で留守にしている。

 それなのに4人分の準備をするのは、毎朝決って朝食を食べに来る幼馴染のためだ。


「鉄心のお母さんってば、朝弱いからなぁ……うちで用意しておかないと、鉄心が朝食抜きになっちゃうもんね」


 誰に言うでもなく1人そう呟きながら、それでも楽しそうに料理を続ける。

 ことことと俎板を叩く包丁は、まるで楽器を奏でるようにリズミカルに踊る。それだけを見ても、潤が相当料理に手慣れていることが判るだろう。そしてそこから生み出される料理たちの味もまた、格別だろうことを想像するのは決して難くはない。

 暫くすると、炊飯器が御飯を炊き上げたことを知らせる。そしてそれを待っていたかのように、1人の着物姿の女性が台所へと現われた。

 烏の濡れ羽色の髪をきっちりと結い上げ、すっと背筋を伸ばした姿は、着物姿も相まって清々しく、凛々しく、そしてどこか艶っぽい。


「おはようございます、潤。朝食の準備はもうできていますか?」

「あ、お母さんおはよう。今丁度ご飯が炊けて、おかずの方はあと少し。お姉ちゃんは?」

「冬華なら……どうやら冬華も来たようですね」


 その言葉が終わらぬうちから、どすどすと騒々しい足音が近づいて来る。


「おはよ、潤、母さん」


 そう言って現われたのは、寝起きそのままといった風体の一人の女性。潤の姉である赤崎冬華あかざき とうかだ。

 寝ぐせでぼさぼさの髪は、潤と同じ亜麻色。潤が肩口よりも更に短く切り揃えているのに対し、冬華は肩甲骨の下あたりまで伸ばしている。

 身に付けているものも、寝間着代わりの小豆色のトレーナー。どこからどう見ても寝起き直後といった風体だが、潤は姉が既に一仕事終えていることを知っている。


「道場のお掃除ご苦労様、お姉ちゃん。もうすぐ御飯の準備ができるからね。でも、夕べも遅くまでアルバイトだったんでしょ? 大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫。食事の準備は全部潤任せだからな。道場の掃除ぐらい私がやらねぇとよ」

「すみませんね、潤。本来なら食事の準備は母親たる私がやるべきなのに……」


 ぼさぼさの頭をがしがしと掻きながら苦笑を浮かべると姉と、頬に手を添えて申し訳なさそうに呟く母。そんな二人に潤は、いつものように満開の笑顔を向けて答える。


「元々お料理は好きだし。それにお母さんもお姉ちゃんも、料理は苦手でしょ?」


 冬華と潤の母である初穂はつほは、ご近所でも『最終兵器主婦』と囁かれるほど理想の主婦であるともっぱらの評判である。

 普段から和服を愛用し、その落ち着いた物腰と空手道場の道場主という肩書きから、物静かでありながらも、どこか凛とした雰囲気を醸し出している初穂。顔だちもきりっと整っていて、正に日本美人といった趣なのだが、なぜか料理だけは鬼門なのであった。

 これまでは初穂の夫であり、冬華と潤の父親である良平──ちなみに婿養子──が、赤崎家の台所を取り仕切っていたのだが、その彼が仕事の関係で渡米してからは、潤が赤崎家の台所の主となっている。

 冬華はといえば、生まれてこの方料理などしたこともなく。以前より父親から料理の手解きを受けていた潤が、台所を一手に任されるようになったは必然といえよう。


「さ、もうすぐでき上がるから、お母さんもお姉ちゃんももう少し待っててね」

「では、できているものだけでも運びましょう」

「そうだな。それぐらいは私でもできるぜ」


 そう言いながら母と姉は、既に出来上がっている味噌汁をお椀によそったり、食事時に使う調味料を居間へと運び始める。

 それとなく自分の手助けをしてくれる二人を見やり、潤は心の中でありがとうと感謝の言葉を送りながら、いつもの向日葵のような笑顔を浮かべた。




 何の断りもなく玄関を開けると、その少年は慣れた様子で廊下を進み居間へと立ち入る。


「おはようございます、師匠。おはよう、潤」


 居間にいた三人の視線が集まるより早く、少年はしゅたっと片手を上げて挨拶をする。


「おいこら、鉄心。てめぇ、私にゃ挨拶なしかよ?」

「あ、そか。おはよ、冬華姉とうかねえ


 そのいかにもついでです、と言わんばかりの挨拶に、握り締められた冬華の右手の中で、彼女愛用の箸がぎちりと嫌な音を立てる。


「いい度胸だっ!! 今日という今日こそは勘弁ならねぇっ!!」


 居間の中央に置かれた脚の低いテーブル。その時代を感じさせるテーブル上には、潤謹製の朝食が四人分用意されている。

 そのテーブルを間に挟み、怒りも露の冬華などどこ吹く風、いつもの指定席へ悠然と腰を下ろす少年。

 彼こそが潤とは同い年で幼馴染の天野鉄心あまの てっしんである。

 潤はそんないつもの彼らの遣り取りを見て、はふぅと溜め息を一つ零す。


「もう。二人とも朝っぱらから喧嘩なんてしないでよ」


 言われた二人はばつが悪そうに腰を落ち着け直すと、目の前で温かい湯気を上げている朝食へと向き直る。


「全くだな。鉄心なんかより、潤が私のために作ってくれた朝食の方が大事だよな、うん」

「そうだよな、冬華姉。潤が俺のために用意してくれた朝飯が冷めたら勿体ねえよな」

「あはははは。ふざけたこと言ってっと、捻り潰すぞコノヤロウ」

「冬華姉こそ、寝言は寝てから言った方がいいぞ?」


 にこやかに食事を続ける冬華と、元気にいただきますと食事に取りかかる鉄心。二人とも表情こそ穏やかだが、どこか剣呑とした雰囲気が拭い去れない。

 元よりこの二人、決して仲が悪いという訳ではない。だがしかし、潤が関わった時に限り、その関係は何故か竜虎と化すのである。

 冬華と鉄心が些細なことで言い争い、それに潤が終止符を打つ。それは物心がついた頃より、いつも繰り返し続けられて来たお馴染みの光景。

 だから今日も潤は、己の役割を果たすため伝家の宝刀を遠慮なく抜き払う。


「いい加減にしてよね二人共。まだ続けるのなら、もう明日からご飯作らないからね?」

『ごめんなさい』


 即答する二人。しかも二人の声は見事に重なっていた。

 鶴の一声。どのような時においても、やはり「食」を握る者こそが強者なのである。いや、単に二人が潤に弱いだけかも知れない。


「それよりも鉄心。今日は少し遅かったようですが、何かあったのですか?」

「いや、別に何もねえっスよ、師匠。単に俺がちょっと寝坊しただけで」

「寝坊って、夜更かしでもしていたの?」


 潤は炊飯器から、鉄心専用の茶碗に御飯をよそいながら尋ねる。

 昔から何かと鉄心が赤崎家で食事する機会は多いため、彼専用の茶碗や湯呑みなどは一式揃えられている。


「それがなー、目覚しの電池が切れててさー」


 そう言いながらわははと笑う鉄心。彼の母親は朝が弱く、おそらくまだ布団の中だろう。そして逆に父親は朝早くから仕事にでかけるため、彼はいつも目覚し時計で目を覚ます。


「いやー、もう少しで潤の朝飯を喰いっぱぐれるところだったぜ」

「もう。寝る前にちゃんと目覚しを確認しないと駄目でしょ?」


 鉄心を窘めつつも、潤は彼や姉たちの世話を細々と続る。母の湯呑みにお茶を注ぎ、姉が零した御飯粒を拾い、鉄心が食べなかった香の物を自分の口に放り込む。

 そうやって騒いでいるうちにも時間は過ぎていき、時計の針はもう少しで午前八時を示そうとしている。

 それを確認した初穂が、腰を上げながら子供たちに声をかける。


「冬華、潤、鉄心。そろそろ学校へ行く時間ですよ?」


 彼らは学生の身である。故に平日である今日は学校へ行かねばならない。

 潤と鉄心が中学2年の13歳。冬華は先日誕生日を迎えたので19歳の大学生1年。

 ばたばたと彼らが学校へ行く支度を始めるのを確認した初穂は、汚れた食器を持って台所へと向かう。食後の後片付けは家に残る彼女の仕事なのだ。

 鉄心は当然、登校の準備を終えてから赤崎家を訪れる。だから彼はいつも、潤と冬華の準備が終わるのを玄関で待つことになる。

 やがて準備を終えた二人──冬華もこの時には、ばっちりと身仕度を整えている──が玄関に現われると、三人揃って初穂に「行って来ます」と挨拶して家を出る。


「あ、お姉ちゃん、鉄心、これ、今日のお弁当ね」


 赤崎家の玄関から門へと向かう途中、潤は二人に弁当の入った袋を手渡す。


「いつも悪いな、潤」

「母さんの分は?」

「いつも通り台所に置いて来たよ」


 皆の昼食の準備も潤の仕事であり、家に残る初穂の分も忘れずに用意する。

 弁当を受け取ると、冬華は二人から離れて家の裏手へと回る。

 彼女は大学へ行く際、原付スクーターを足としている。そのスクーターは庭の裏手のガレージに止めてあるのだ。


「じゃあな、潤。学校へ行く途中で転んで怪我なんかするなよ?」

「大丈夫だって冬華姉。潤には俺が付いてるんだぜ?」


 そう言って自らの胸をどんと叩く鉄心。

 当の潤はといえば、ボクそんなに鈍くないもん、と可愛く膨れている。

 そうして潤と鉄心は冬華と別れ、「赤崎空手道場」という看板のかかった大きくて古い門を潜り抜けて学校へと向かった。

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