第27話
「…………どうかしたか?」
「なんにも。お父様こそ急にどうしたの?」
「糸の体調がどこか悪いのかと……思ってな」
お父様の視線はテーブルの中央に置いている土鍋へ。鍋の中身は豚汁。
土鍋の下にはカセットコンロがあるので、カセットコンロの火をつけたらいつでも温かい豚汁が飲める。
豚汁以外で食卓に並んでいるのは、白米と……昨日漬けておいたキュウリのからし漬け……のみ。
土鍋いっぱいに豚汁は入っているとはいえ一汁一菜。
主食のご飯を丼ぶりものにしての、汁物と漬物を一品ずつの一汁一菜は過去にあっただろうけど、白米に土鍋豚汁のこのパターンを作ったのは今日が初めて。
今晩は豚汁の予定だったのでごぼうやニンジンはカットしていた。他にも二品は作る予定ではあったが予定は未定なので体力が尽きて、中止になることもある。
本当はキュウリのからし漬けも、後一日は漬けて置きたかったのだけど、料理を作る気になれなかったので緊急登板。
「いや、糸が元気ならいいのだが……」
「こういう日もあるよね。一汁一菜……うん、いい言葉」
数時間前、私の家からマカナが出てきた。さらに、玄関奥にはスーツ姿のお父様も見えたのだ。
見えた光景を否定したくて、スーパーに寄って、何も買わずにぐるぐる回って、家に帰った。玄関に鍵がかかっていて、偽りの日常を作ったみたいで気味が悪い。
そうして、十八時半ごろ。お父様は、何食わぬ顔で帰ってきた。現在に至るまでマカナと会っていたことや、一度家に帰ってきたことは話してくれない。
マカナのほうも今日の弁当が美味しかったというメッセージはきたが、お父様と会っていたことへの説明はなし。
今日使った弁当箱はマカナのほうで洗って、明日返してくれるとは書いてくれていた。弁当箱よりも、隠そうとしている今日について教えてほしいものだ。
頭に浮かぶのは二つの可能性。
一つ目は、マカナとお父様の恋人としての逢い引き説。これが真だったと場合、余裕で頭がかち割れてしまう。
お父様が新しい相手を見つけるは喜ばしいこと。私という子どもがいても……お父様を幸せにしてくれる人なら、それでいい。
ただし、マカナだけはヤメて。マカナは私だけのマカナではないけど、だからといってお父様がマカナの隣にいていいわけではない。
マカナとお父様の二人並ぶイメージが一瞬だけよぎる。ひとつまみのイメージで致死量。
……でも、こっちの可能性は違うだろう。私が現実逃避したいからではない。
生臭い話しになるが、家の中やお父様から変なニオイがしなかったのだ。変なニオイといっても消臭系のニオイ消しを疑ったがそんなニオイもしない。
疑いはじめたらきりがなくなってしまう。それに、私としては二つ目の可能性が本命。
「ところで……急になって悪いが、明日の夕飯は父さんの分まで用意しなくていいぞ」
「ん、わかった。飲みの予定でも入った?」
豚汁をすすりながら、お父様はいつもよりもぶっきらぼうに言う。やましいことがあるのか、目線も私を見ずに土鍋から取り分けた豚汁を見ている。
「ああ、昔お世話になった上司がな、今は県外に住んでいたけど明日戻ってくるそうで……最悪一晩付きっきりになるかもしれない」
前日になってお父様が、飲みの予定を言うのは珍しい。そもそも、歓迎会、忘年会、送別会の年三回ぐらいしか参加していない気がする。
もっと言うと私が中学にあがるまでは、お父様は飲みに行っていなかったはず。家には私しかいないから。
お父様は飲み会を好きなのか分からないが、飲み会以外で他にも、私のために色々と我慢してくれたこともあったのだろう。
万が一マカナとの密会内容によっては、そんなお父様の好感度はあの人と同じレベルまで落ちてしまうかもしれない……
「ということは朝帰りもありえるということ?」
「その場合も……ありえる。いつ帰るのか分からないから戸締まりはちゃんとしたほうがいいのかもな」
「わかったよ」
私が探りを入れようとしているせいか、お父様の言動は全て怪しく見えてしまう。たぶん、マカナがお父様と会っていた理由は二つ目の可能性のほう。
マカナへの弁当のおかずに髪の毛を混ぜていたこと。
マカナはお父様にその件を相談したかったのだろう。私に直接聞くのは……どんな対応をされてしまうのか怖かったのだと思われる。
被害者はマカナだから、私のことを存分に責め立ててくれていいのに。逆恨みされる恐れがあるから、慎重になるのも致し方なし……か。
実際に会って話さなくてもメッセージや通話でもいいじゃないのかと考えもしたが、履歴で証拠を残したくなかったのだろう。
この件についてマカナやお父様に聞くということは、私がマカナへの弁当に自分の髪の毛を混入させていたことを認める必要がでてくる。
私がやったことで合っているのだから糾弾されてしまったら認めるしかないのだけど、バレていない可能性があるのなら自分から非を認めたいわけでもない。
結局お父様にマカナと会っていたことを聞けないまま次の日へ。眠りはさらに浅く、起きても現実と夢の区別がしばらくつかなった。
夢の場合だと、マカナが私から当然のように離れていく夢だから……現実であってほしくはない。でも、近い未来で現実になってしまいそうだ。
いくら、マカナが私のことをオハナ……家族だといっても限度はある。あの人だって私とお父様を捨てた。
実の母親でさえ平気で娘のことを捨てたのを、それ以上の関係を私はマカナに求めてしまっている。
レシピノートは今日で二十三品目。
なのに、本日は手と脳の両方が働いてくれない。無意識でも体が覚えている、手癖十割のおにぎり弁当を握った。
冷蔵庫を開けるたびに真アジが鎮座していたが、昨日から調理する気にはなれない。私と一緒に腐っていくのだろうね。
弁当に髪の毛を混ぜる気力すらも出ず学校へ登校。今日を乗り切れば明日からは土日と休みが続くのだが、まぁ……マカナと顔を合わせたくない。
私に隠してお父様と会ったことではなく、間近に迫ってきた罪悪感の塊と向き合うことができないから。
マカナとの関係の終わりは……身体中が震えるほどに恐ろしい。授業も頭に入ってこないし、ノートも白いまま。
どうせ、レシピノートが三十品を迎えたら、濁ったこの気持ちをマカナへ一方的に伝えて楽になりたかったのだ。
いつか終わりはくるのを自覚していたが、その瞬間をマカナから終わらせてくれるのなら……まだ諦めもつく、はず。
今日も今日とて半ば私有地化とした、重い調理室の扉を開ける。マカナと昼飯を食べるために。
マカナの分のイスをセッティングし、バックからおにぎり弁当を出したところで、廊下に聞き慣れた足音がこだまする。
ノックすることもなく調理室の扉が開いて、マカナの姿が見えたと思った開口一番――
「お疲れさま〜糸! いきなりだけど今日さ、糸の家に泊まっていい?」
「…………………………ん?」
思ってもみなかったところからの一撃は意識を飛ばすのに充分。実際に意識は飛んでいないが、頭の中は真っ白で固まったのだから同じようなもの。
断る理由はないがマカナの真意は汲み取れず、たっぷりと時間を置いて、「家に来て……いいよ」と頷くのであった。




