0713:筋肉汚染の被害者
「初めましてアーチェル。ジスカルの最後の弟子。貴方達の弟弟子になります。イルス王国王太子アルヴィストです。お話しでは何度か伺っています」
「まさか王太子殿下がこちらにいらっしゃるとは……もう学院に入学する御年でしたか。ついこの間メイレイン殿下を見送ったと思ったのですが……」
姉弟なのだからそういうものだと理解しつつも、アーチェルからすればようやく一人の王女を送り出したかと思えば次は王太子がやってくるという目まぐるしい状況に目を白黒させずにはいられなかった。
もっとも、彼の場合は誰が来てもそこまで対応を変えるつもりはないのだろう。王太子が来てもぼさぼさの髪を整えようともしていないあたり、今までの兄弟弟子の中では誰よりもジスカル老寄りの人物かもわからない。
「して、殿下がこの学院にやってきたのは入学するためだとわかるのですが、師匠はなぜここに?ついに王城を追い出されましたか?」
「ついにとはどういうことなのか少し聞きたいところだが……今はいい。殿下を一人前にするためこうして共に連れてきてもらったのだ。まだ殿下には教えなければならないことが山ほどある。そのためにこうしてはるばるやってきたという事だ」
「はぁ……殿下は師匠に魔法を教えていただいているので?」
「はい。もうかれこれ……七年くらいになるかな?それなりに上達してきたと思ってますよ」
魔法の技量に関してはジスカル老もしっかりと評価してくれている。もちろん身内びいきもあるだろうが、この年齢にしてはそれなりに魔法を扱えているレベルであると自負している。
子供のころからコツコツと魔法の勉強や訓練をしてきたのは決して無駄ではなかったと断言できる。
「殿下は陛下と比べて魔法の才能がおありだ。否。継続して努力する才能がおありだ。メイレイン殿下のような発想と圧倒的な才能こそ持ち合わせていないものの、それを凌駕できるだけの努力を行える。この若さでそれを行えるものはなかなかおるまい」
褒められていると思っていいのだろうかと、アルヴィストは少しだけ顔を引きつらせてしまう。
ジスカル老からすれば悪気はないのだろう。父親であるヴィルクリフや姉のメイレインは早々に魔法の訓練や勉強から逃げ出していたらしいので、それと比較すればこれほど真摯に努力してくれるものというのは珍しいのだ。
アルヴィストからすればそれが必要なものだと理解していたからこそ真剣に努力できたのだが、それは転生して多くの知識を予め得ていたのが大きいだろう。
とはいえ、暗に才能はないけど頑張っていると言われているようで少しだけ傷ついてしまう。
もっとも、実際のところメイレインのような突出した才能があるかと言われると、そのようなものはないの一言なのだが。
「ほう?師匠がそこまで評価するとは。なかなかどうして……殿下は非常に優秀なのですな」
「あんまり褒められてる気がしないけどね……姉上と比べられちゃうと形無しだよ」
「いえいえ。師匠が人を褒めるというのは実に珍しい。それだけ殿下が努力を重ねられるお方だという事です。なるほど、それでは私めも、一つ兄弟子として、そして教師として殿下を鍛えると致しましょう」
「え?いいんですか?」
「もちろん。それが教師としての仕事でありますれば。ところで殿下は、王城で魔法などの訓練をする際、誰かを相手にしておりましたかな?あるいは的当てなどだけ?」
「いや、マーモットとかニックに相手をしてもらってたよ」
「……あの筋肉の相手を……?」
ニックの名前を聞いた瞬間にアーチェルの顔色が変わる。そしてリカルドやジスカル老の方を見て本当なのか確かめようとする。
ジスカル老は頷いてその言葉が事実であるということを認めていた。
「ニックとの訓練はよくやっておる。殿下の技量を高めるのにあやつも一役買っているのじゃよ」
「あの筋肉が……?指導を……?」
どうやらアーチェルの中にあるニックのイメージが随分と今のニックとは異なるようだった。
確かに筋肉であることは否定しないのだが、人に何かを教えるのは得意としている筋肉だ。
少なくとも筋肉の使い方、鍛え方、そして休ませ方などに関してはニックの指導は本当に大したものだった。
アルヴィストは前世でそういう経験はしていないが、トレーニングジムなどにいるプロのインストラクターというのはあぁ言う存在なのだろうなと想像できる。
「ニックのおかげで結構たくさん経験が積めたよ。その分たくさん……その、酷い目にも遭ったけどさ……」
主に肉体強化系の魔法の際には殴られ、吹き飛ばされ、叩きつけられ。酷い時には訓練で使っていた中庭から王城の屋根の上まで投げ飛ばされたこともあるくらいだ。
あの王城の中でアルヴィストを最も痛めつけたものは誰かと問われれば、王城の人間すべてがニックの名をあげるだろう。
「あの阿呆……相変わらず脳みそまで筋肉に染まっているのか……まったくもって不愉快な奴……殿下も気の毒に。あのような筋肉に指導されるなど……さぞ苦痛だったことでしょう。汗臭かったことでしょう」
「酷い目には遭ったし汗臭かったけど、それでも鍛えられてよかったと思ってるよ。マーモットが使う魔法とは系統が違うっていうか、別の側面が見られた感じ」
「あんな筋肉の側面など見なくてもよろしいと思いますがね」
アルヴィストの前だというのに舌打ちを隠そうともしない。恐らくアーチェルは本当にニックが嫌いなのだろう。
なんというか言葉の端々に彼への毒を感じる。
「ねぇリカルド、アーチェルとニックって、仲悪いの?」
「あー……なんといいますか……二人は所謂同期なのですが……アーチェルが一方的にニックを毛嫌いしていると言いましょうか……ニックがそのことに気づいていないと言いますか……」
「あぁ、何となく想像できたよ」
恐らくアーチェルはニックの前でも舌打ちを隠そうともせず、悪態をつき続けているのだろう。
しかし筋肉を振り乱しながらどこ吹く風で舌打ちに合わせてポージングをしながら筋肉について語るニックの姿が目に浮かぶようである。
恐らくニックは同期の兄弟弟子として仲良くやっているつもりなのかもしれない。少なくとも悪くは思っていないはずだ。
アーチェルが本気で嫌っているのを全く想像すらしていないあたりがニックらしいと言うべきだろうか。なんともアーチェルが不憫である。
「えっと……なんでアーチェルはニックのことをそんなに嫌ってるの?」
「嫌う?それは違います殿下。あれの存在を許容できないだけです」
それは嫌いというのではないのだろうかと疑問を抱くが、アーチェルはぼさぼさの髪を振り乱しながら激昂する。
「あれの説明は一から十まで筋肉だらけ!動作も何もかも筋肉に塗れ!汗を振り乱して筋肉をまき散らす!あれが近くにいるだけで思考回路がどこかおかしくなりかける!もう何度あいつに筋肉をやめろと言ったことか!殿下の反応から察するに、あいつは今でも筋肉しているのでしょう」
「まぁ……うん。筋肉してるよ」
筋肉してるってなんだと心の中で突っ込むが、もはやそのあたりはもはやニックの代名詞のようなものだ。今更疑問を呈しても意味がない。
「筋肉が必要なのはわかります。体で動く以上筋肉は必要不可欠でしょう。それは否定しません。しかし必要以上の筋肉を求めて何になりますか!いちいち動作はうるさいし筋肉は弾け飛ぶし汗は滴るし!あいつの身近に年単位でいることの苦労!他の兄弟弟子にもわかっていただきたい!」
「あぁ……うん……それは……うん……」
本当であればニックを少しでもフォローしてやりたいところだったが、フォローの言葉が見当たらなかった。何せ一から十までアルヴィストが一度は思ったことのある内容だったからである。
心の中でニックに詫びながら、それでもニックの良いところを探そうと必死に筋肉との思い出を探ろうとする。
「で、でもさアーチェル、ニックにだっていいところはあるよ」
「筋肉のハリがいいとかそういうのですか?」
「いやそういうのじゃなくて。筋肉だけじゃなくてさ、精神面?なんていうのかな……ニックはあぁ見えて結構いろいろと考えてるというか、気をまわすことができるというか……ねぇ?」
「……わ、私に振らないでくださいよ!」
リカルドに何とか助け船を求めたアルヴィストだったが、唐突に話を振られてもニックのフォローなどできるはずもなく、リカルドは手を振って拒否反応を示す。
なんとか味方を少しでも作りたいのだが、ニックのイメージは筋肉で固まってしまっているためにフォローしにくい。
「あの筋肉にそんな気をまわすことができるとは思えませんな……もしそれができたのであれば……あれも少しは成長したのだと喜ぶところでしょう」
「なら喜ぼうよ。少なくともいろいろと気をまわしてもらったよ」
「筋肉以外で?」
「筋肉以外で」
一体どういう会話だよ、とアルヴィストは内心辟易していた。何でニック本人がこの場にいないのに筋肉の話をしなければいけないのだ。
恐らくだが、このアーチェルという兄弟弟子は長年ニックと行動を共にしていたせいで、筋肉に対する拒否反応がかなり強くなってしまっているのだ。
そのせいで本人がいないにもかかわらず筋肉に染まってしまっている。
なんと可哀そうにと、アルヴィストは同情を禁じえなかった。
「師匠、殿下のおっしゃることは本当ですか?あの筋肉が筋肉以外に気を使うなど想像できません」
「ニックも殿下との出会いで成長したという事じゃ。少なくともお前が知っている頃のニックとはまた別ものになっているのは間違いない」
「あの筋肉が?」
「今のあれは筋肉だけではない。もう少し別ものになりつつある」
『別人』じゃなくて『別もの』という表現を使うあたり、ジスカル老もニックのことを人間扱いしていないような気がしなくもない。ニックのあまりの印象の悪さにアルヴィストは涙を禁じえなかった。
共に汗を流し筋肉を鍛え、魔法と組手の訓練をしてきたニックがここまで外聞が悪いというのは、アルヴィストとしても思うところがないわけでもない。
しかし何一つとして否定できる要素がないのだ。
「アーチェルはもう何年くらいニックに会ってないの?」
「私がこの学院に勤めてからなので……もうかれこれ十年は会っていませんか……もう会いたくありませんが」
同じ兄弟弟子なのにここまで拒否反応を示すというのもどうかと思ってしまう。それだけ同世代で筋肉と行動を共にしたのがトラウマになっているのだろう。
哀れアーチェル。青春の色がすべて筋肉で染められてしまった悲しき魔導師。




