0687:西の希望
「ねぇジスカル、西の方の情報、どれくらい聞いてる?」
「…………さて……殿下の聞いている情報と同じかどうか。少なくとも、良いとは言えない状況でしょうな」
ジスカルも西方の情報に関しては目を通すようにしている。少なくとも現状、エカンダ皇国の情勢は良いとは言えない。
ただでさえ選挙が終わらずに次期皇帝が決まらないというのに、国内の諸問題が増え続けているのだ。
特に問題なのは崩壊したヒルデ協議国との国境。そしてそれを形成する周辺領地。それらは既に、一種のボーダーラインを越えた。
「殿下が何か、エカンダ皇国の第二王子宛に書状を送ったのは存じております。それは、実を結んだのですかな?」
「……ううん。遅かった。たぶん、書状が届くころには、もう国境が崩壊していただろうから」
二人の王子が結託する。その条件を満たすことができていればまだ状況は変えられたかもしれない。
「もはやエカンダ皇国は、大きな流れに飲まれていくのを待つばかり。今後の外交官は苦労することとなりましょう」
「まだ、まだ終わりじゃないよ。できることは、あるはずだ」
「ほう……この状況から、でございますか」
この状況にあってもアルヴィストはまだ諦めていなかった。
まだ遅くはないだろうが、国境の領地が崩壊したのが致命的だった。この状況をひっくり返すには、一度選挙を止めるか、次の皇帝を決定するしかない。前者にも後者にも、二人の王子が結託することが必要不可欠だ。
だがこれほどまでに長引いた選挙をいまさら止めるということができるだろうか。
「国境の領地が崩壊した時点で、難民を止めるにも、治安を維持するにも大規模な軍の編成が不可欠でしょう。しかし、そのようなことをすれば選挙において大きな影響を及ぼすことになりましょう。良くも悪くも」
「うん。自分の国の領地に派兵するっていうのは……」
「そして、選挙自体の効力に関しても曖昧になってしまいました。領地崩壊によって、選挙の妥当性すら失われたといってよいでしょう」
「妥当性……っていうのは?」
「今回の選挙の条件について詳細までは存じ上げないのですが、国民全員で行う選挙ということでよろしいでしょうかな?」
「まぁ、そういうものだと思うけど」
「では、崩壊した領地での選挙はどのようにするのでしょうかな?もはや選挙ができる状態ではない。つまり、領地の治安回復を行わない限り、永遠に選挙は終わらない」
「……え……?いや、それはさすがに……別の場所とかで……」
やればいいと言いながらも、今の状態に至るまでの選挙の頑なまでの非合理性を思い出して、アルヴィストはそのようなことができるのだろうかと疑問符を浮かべる。
選挙というものに慣れていない世界。そしてそのような状態で作り出されたルールによって運用されている選挙。
そしてその選挙のルールは亡き皇帝によって作り出されたものである。そのため、今この状況下でそのような臨機応変な対応ができるとは思えなかった。
皇帝が死んだ時点で存在していた領地で、そこにいた領民たちが選挙を行って皇帝を決める他なかった。
最も早く選挙を終わらせるには、ヒルデ協議国が崩壊する前に、もっと言えば難民たちが押し寄せるよりも前に王子の二人が結託して答えを出すしかなかったのだ。
だが、それができなかった。
「厄介なものです。後継者を決めていなかったばかりに軍権すらもまともに機能しない状態になってしまっている。自治のための行動をとろうにも、選挙の影響を鑑みて過激なことができない。これほどまでに悪辣な状況はなかなかありますまいな」
自分だけの問題であったのなら、幾人かの領主は自らの汚名を買って出てでも、難民たちに対処したことだろう。
しかしこれが自分だけではなくほかの貴族や、ましてや次代の皇帝を決める選挙に影響を及ぼすとなると、身動きが取れなくなってしまう。
「このままだと、何百万という難民がエカンダ皇国に一気に流れ込む。そうなったらもう止められない」
「逆に言えば、ミーザ嬢にとっては好機となりましょう。エカンダ皇国内でそれだけ難民が問題となれば、それを率いて西方に向かおうとするミーザ嬢を支援する者は多くなりましょう」
「皇国内の人間は過激な行動をとれなくても、シータは別の国の人間。多少過激な行動だってとれるだろうし、それを支援したとなれば、ヒルデ協議国の復興援助と取れなくもないってことだね?」
「仰る通りです。しかし……どうにも解せませんな」
ジスカル老はここまで話して妙な表情をしていた。なんというか、悩んでいるというか、苛立っているような、そのような感情を抱いているようであった。
「どういうこと?何かあったの?」
「なんといいましょうかな……どうにもこの状況に何者かの意図を感じてしまうのです。妙に……できすぎていると言いましょうか」
「できすぎてるって……この状況を作り出したのは帝国だけど……帝国がここまで計画してそれをやったってこと?」
ジスカル老の言葉にアルヴィストは困惑してしまう。これほどの被害を生み出すことになんの意味があるというのか。これを引き起こす目的が理解できなかったのだ。
ヒルデ協議国の最後は自滅だったが、そこまで話を進めたのはほかならぬエウロス帝国だ。であればこの絵図を描いたのは帝国ということになる。しかし帝国は神都を半包囲するところからは全くと言っていいほど軍を動かしてはいないという。
もしエカンダ皇国を崩すとしたらこのタイミングだと思うが、それをしている様子もない。
魔王か何かが帝国の背後にいるというのならばまだわかる。しかしラファラ王子の意見から、帝国はあくまで帝国としての考えを持ってヒルデ協議国を滅ぼしたということはなんとなくわかっていた。
「気になることが多いのです。特に西側の国境線。この国ほどではないにせよ、もとよりヒルデ協議国との国境線は、小規模の争いや問題が絶えない場所でした。それ相応に対策もしてあったはず。それがなぜ、崩壊したのか」
問題なのは、ヒルデ協議国が滅んだ後の話。今に至るまでの状況の変化とでもいおうか。エカンダ皇国内へ難民たちが大々的に侵入するきっかけになった話だ。エカンダ皇国内で行われている難民たちの動き。そしてヒルデ協議国との国境線で起きた何か。
少なくともあの三ヵ国会議の時点では、ラファラ王子は国境線の封鎖を目的として動いていたはずだ。
その後皇帝が崩御して選挙に追われていたとしても、本来であれば国防の方を優先しなければならない事態。
何より、ジスカル老の言うように元々問題行動の多かったヒルデ協議国と隣国という事もあって、エカンダ皇国の西側は陸続きではあったが比較的防備に関しては堅牢であるという話をアルヴィストも聞いていた。
「じゃあ、誰かが内部から西側の防御を崩したと?」
「崩したのか、はたまた自滅したのか……そこまではわかりかねます。しかし何者かが狙ってそれをしたのではないか……と、そう思うのです」
「偶然じゃなくて、誰かしらの意図があった……としたら、何のために?」
「そこが問題なのです。ヒルデ協議国を滅ぼすというのがエウロス帝国の目的だったからか、帝国そのものは動いてはおりません。もしエカンダ皇国にも手を伸ばすつもりだったのだとしたら、今の帝国の動きはあまりにも静かすぎる。もし攻めこむつもりだったら絶好の機会のはず」
「けど帝国は動いてない……じゃあ帝国側の思惑ではないってこと?」
「しかしそうすると残りはエカンダ皇国自体と、このイルス王国を残すのみ……少なくともイルス王国にエカンダ皇国を害するだけの理由はありません。もっとも、エカンダ皇国自体もないのでしょうが……」
自分たちの国を害するなどということはあり得ない。あり得てはならない。そのようなことをする人間がいたとしたら害悪以外の何物でもないだろう。
「……個人の仕業、ってことは考えられないかな?」
「個人?」
「ごめん、個人ってのはちょっと言い過ぎた。国規模じゃなくて、もっと小さい規模。例えば組織とかそういう規模の話。一領地とか、そういう」
「……件の選挙に関係して、領地同士の足の引っ張り合いが起きているにせよ、自分たちにも害が及ぶような行動をとるでしょうか?さすがにそのようなことは考えにくいと思いたいですが……」
ジスカル老もその考えを否定しきるだけの材料を持ち合わせていなかった。
エカンダ皇国の内情を正確に理解しているわけではない。しかし選挙をするにあたり勢力が二分化されているということもあって、互いに足の引っ張り合いをしている可能性は否定できない。
さらに言えば、その混乱に乗じて国内をさらに乱そうとする犯罪集団の存在が出てくることも十分にあり得る。
「しかし殿下、仮にも国境。それを守る人間は優秀な者が充てられることが多いのです。事実、ヒルデ協議国における問題を解決し続けた傑物が、彼の国にはおりました。それをもってしても、切り崩される。そう易々とできることではありません」
「この国で言うところの、ジュニラック卿やカダール卿を相手にするようなものだもんね……そう簡単にいくとは思えないけど……」
「どのようなものが介入しているのかはわかりかねますが、もしそんなものがいるとしたら、警戒せずにはいられませぬな。もしかしたら、その影響はこちらにまで波及するかもわかりません」
「それって……難民がこの国まで押し寄せるかもってこと?」
「……可能性の一つとして」
ヒルデ協議国から流れた難民は恐ろしい数だ。エカンダ皇国内の浸食が終われば、この国にやってきても不思議はない。
ただ、そこまで難民たちが定住もせず、安住の地も求めずにこの地にやってくるだろうかという疑問はある。
あれだけ大きな土地があれば、エカンダ皇国の中に住み着く方がずっとあり得るのではないかと思わずにはいられない。
しかし前世の記憶を保有するアルヴィストからすれば、難民と呼ばれる種類の人間がどういう人間なのか想像できてしまう。
彼らは助けてほしいのだ。助けを求めて移動してきているのだ。裕福な者たちに助けてもらおうと、困っていない人間に助けてもらおうとしているのだ。
それらがどこにいるかといえば、エカンダ皇国よりも東のこのイルス王国に多く存在しているのは間違いない。
「シータが向かうことで少しでも状況が好転すればいいんだけど」
「さて……祈るほかありませんな」
一人二人の力でどうにかなるものではない。しかし後方支援をする者が多ければそれだけ変わるものがあるかもしれない。
そう期待せずにはいられなかった。




