0672:もう戻れない
「……おー。お見事」
顎を蹴り上げられた亜巨人は地面に倒れ伏し、僅かに体を痙攣させている。
人型の魔物の弱点は、おおよそ人間のそれと似通っている。問題は構造が人間と異なるため、人間よりも影響が薄いという事だ。
頑強な皮膚、太い骨に人とは比べ物にならない筋肉。戦闘特化とはいえホムンクルスの一撃ではダメージを与えることも難しいほどの耐久力。ただ攻撃しているだけでは倒せないというのは初撃で理解できたのだろう。クーランはその時点で自分だけで倒そうとするのを諦めた。
ただの打撃では効果がないのであれば、相手の勢いを加算させればよい。跳びついた亜巨人の速度に加え、彼女の最大の全力をもって放たれた蹴り。この二つをもって彼女は亜巨人の脳を揺らすことを考えついたのだ。
完全に殺すことはできない。しかし僅かに体の自由を奪うことくらいはできる。脳震盪を起こしている亜巨人の状態を確認して和平の方に視線を向ける。
「お待たせしました若様。今ならば、安全に仕込むことができるかと」
「ありがとう。大したもんだよ。この大きさでも倒しちゃうんだから」
「一時的に倒したまでのこと。殺すには至っていません。お恥ずかしい限りですが、攻撃は私の領分ではありませんので」
戦闘型ではあるがクーランは護衛特化型のホムンクルスだ。攻撃するよりも守ることに特化しているためにその攻撃力は純粋な戦闘特化型のメイファンに劣る。
しかし状況を判断してより安全に制圧するという事柄に関して言えばメイファンに勝る。
もしこの場にメイファンがいたら、周囲の被害など気にせずに攻撃を繰り返して酷い状態にしていたことだろう。
その様な惨状を作らずに目的を完遂するというのは、ある意味メイファンにはできないことだろう。
戦闘特化型にもいろいろと特徴があるものだと、和平は笑顔を見せながら手の中に寄生虫の魔物をいくつも用意して歩み寄る。
「さぁお前たち、行ってこい。このデカブツをお前らが操るんだ」
和平の命令に従って何匹もの寄生虫たちが亜巨人の穴という穴から入り込んでいく。不快に感じたのか亜巨人が大きなくしゃみをするが、虫たちは無事に亜巨人の体内へと入り込んでいた。
「しかし若様、この魔物をどのように操るのですか?どこかを襲わせると?」
「そのつもりだ。ただどこにしようかな……どうせなら大きめのところを狙わせたいけども……普通だったらこいつらは狙わないようなところ」
魔物たちが積極的に狙うような小さなところではなく、普通なら狙わないような場所を狙わせるのが一番実験としてはちょうどいい。
どの場所がいいかと思いながら和平は地図を眺めていくつかの場所に印をつけていく。
「若様、どうせならば他の魔物たちも同様に動かしてみませんか?」
「同様にって……同じ場所に向かわせるってことか?」
「はい。魔物たちは本来別の種族と群れるという行為をいたしません。少なくとも互いに助け合う性質を持つもの以外は、敵か餌なのです。この魔物にとっても、小型の魔物たちは同様でしょう」
「なるほど、そこであえて一緒に行動するように操って寄生虫の性能を見ようってことだな?」
「その通りです。如何でしょう?」
戦闘特化型とは思えない冴えた考え方だ。メイファンとはやはり違うのだなと思いながら和平はうなずく。
「その案採用。どうせだったら亜巨人の連合になるみたいな感じで操ってみるか。他の魔物たちにも仕込みをしなきゃいけないな。忙しくなってきたぞ」
「さすがに小型の魔物たちであれば人手が欲しいところですね。トゥーやサナトラにも協力を要請しましょうか」
「そうだな。このあたりの魔物たちを使えればいいけど……あのデカい奴を移動させながら回収していくか。となると……北部は結構厳しいな。広域にわたって警戒してるだろうし……」
国境が陸地続きの北側よりは、国境が橋で人の往来が限られている南側の方が警戒網自体は薄い。
そこを移動させることができれば亜巨人も問題なく大きな街にたどり着くことができるだろうと判断していた。
「いっそのこと王都を狙うというのもありなのではないでしょうか?」
「王都かぁ……いやたぶん王都はすぐにやられると思う。可能なら町の一つか二つくらいにかなりデカい被害を与えていきたいんだよ。いきなり王都に行ったらたぶんやられちゃう」
この世界の戦力的な話をすれば、王都に詰めているというかなり強い魔導師を相手にした瞬間この亜巨人は負けるだろうと想定していた。
アヤメの報告にあったように、何人もの強力な魔導師があの王都にはいるのだ。せっかく操ることができるようになった亜巨人を早々に手放すのはもったいない。
「しかしよろしいのですか?街に被害を与えるというのはそれなりに王国の中で反響があるのでは?今後の作戦に支障が生まれないでしょうか?」
「むしろ魔物の脅威をしっかりと理解させて防御に意識を向けさせないとな。この国は平和すぎる。魔物の被害も少ないし、人の起こす犯罪も少ない。それだけ治世が安定してるってことなんだろうけども……」
犯罪も被害もないというのは良いことだろう。何もなければそれに越したことはない。しかし動乱が起きた時のリアクションを確認しておきたいところだった。
和平たちがそんなことを話していると、気絶していた亜巨人が呻きながら身をよじる。
「っと、もう目を覚ますのか。こいつやっぱタフだな」
「若様、お下がりください。危険です」
「もうここから逃げよう。目標は達成した。離れたところから様子をうかがうぞ」
「承知しました。掴まっていてください」
クーランは即座に和平を抱え上げると脱ぎ捨てた鎧を回収しながらその場から脱兎の如く離れていく。
木々の隙間をすり抜け草木をかき分けて距離をとる。
二人がいなくなってから亜巨人は頭を抱えながら体を起こしていた。
いつの間に気を失っていたのかも理解できていないのか、目をこすりながらあたりを見渡して自分の体に絡みついているロープを手に取って困惑した様子である。
ロープを引っ張って千切り自分の体の自由を取り戻すと、先ほどまで対峙していたはずの二人を探すが、二人は既にここにはいない。
逃げられたのか。そのように考えるよりも早く、亜巨人は自分の体の内側にある違和感に気づいていた。
目、耳、鼻の部分が妙にくすぐったいのだ。
それが寄生虫たちが体内のさらに深い部分に入り込もうとしている結果であることに気づけない。
痒い部分を掻き毟ろうにも、痒い部分は体の内側にあるせいでまったく解消しない痒みに亜巨人は苦しんでいた。
痒みが襲うたびに頭を搔こうとするが、掻いても掻いても痒みの元にたどり着くことはない。
いったいどれほど痒みと格闘しただろうか、亜巨人の頭の一角に、わずかな痛みが走る。
痒みが原因で掻き毟っていた皮膚が破れただけではない。頭の中で寄生虫が脳にたどり着くために神経の一部を傷つけたのだ。
通り道を作り頭蓋骨の内側へ、脳のすぐ近くまでたどり着こうと寄生虫たちは進む。
それを阻むこともできない。亜巨人は徐々に侵食されるその何かに言いようのない恐怖を覚えていた。
ここまで来て亜巨人は自分の中で何かが起きていると認識したようだった。頭を抱えてふらふらと歩きだし、近くにある木々や岩を殴りつけて自分の中の何かが壊れないように必死に自分を保とうとする。
頭の中に存在している痒みと痛み、そして自分の入ってはいけない部分に入ろうとしてくる何者か。
これを認めてはいけない。これを受け入れてはいけない。生き物としての本能がそう叫んでいる。
自分の頭を殴り、頭を岩に叩きつけ、必死に自分の中にいる何かを攻撃しようとするが、自らの高い耐久力が原因で寄生虫たちには一切届かない。
一匹。また一匹。もう一匹と、入ってはいけない部分に入り込んでいくのを、痒みと痛みが増していくことによって感じていた。
入ってくるな。これ以上入ってくるな。このままでは自分が自分ではなくなってしまうかもしれない。取り返しがつかないことになってしまうかもしれない。
そんな根源的な恐怖を亜巨人は感じていた。
この魔物のもっとも不幸だったことは、他の魔物たちに比べれば高い知能を有していたことだろう。
この魔物は知性と呼べるほどの高い知能を有しているわけではなかった。しかしただの獣というには高すぎる知能を持っていた。
自分という存在を正しく把握し、何をもってそれが保たれているのかを本能的に理解していた。
だからこそ、今まさにそれが脅かされていることを察し恐怖した。
このまま自分が何もしなければ、自分は変わってしまう。変えられてしまう。
「ォ、ォオオォオオオ!ォオオオオォオオオオオオォオオオ!!」
助けを求めるような絶叫が森の中に響き渡る。自らの恐怖を知らしめるような雄叫びが草木を揺らし、地面に叩きつけられる頭と拳が地面を揺らしていた。
その目からは、自然と涙があふれていた。
大きな体を持って、強い体を持って、他の魔物と相対してもこれほどの恐怖を感じたことはなかった。
今まで生きてきた中で、敵といえる存在は同族くらいのものだった。
屈強な、自分よりも強い相手と相対した時だってこのような恐怖を抱いたことはない。これほどの状況になったことはない。
彼は今、生まれて初めてどうしようもない恐怖を感じて涙した。
涙を流したのも、これが初めてのことだった。目からあふれ出る涙が一体何なのかもわからず、頭の中に響く痒みと痛みと、そして聞こえてくる何かを削り取るような、千切っていくような音に怯えることしかできない。
「ォォオォオォオオォオ!ォオォォオ!!」
助けて。助けて。誰かこの痒みと痛みを止めてくれ。誰かこの頭の中で響く音を止めてくれ。そんな風に泣き叫ぶも、彼の周りには何一つとして寄り付こうとはしなかった。
彼の脳裏にふと、先ほどの二人のうちの一人、小柄な男の笑顔が浮かぶ。
どうしてあの笑顔を思い出したのか、彼にも理解できなかった。どうして思い出すのかもわからない。しかし、その笑顔を思い出した瞬間、不意に亜巨人の恐怖が、不思議とゆっくりと融けるように消えていく。涙と一緒に恐怖が溢れ出し、出し尽くしたかのように消えていく。
逆に湧いて出てきたのは安心感だった。先ほどまで感じていた恐怖は不思議となくなり、雄叫びのように上げていた絶叫は、その色を変えていた。
彼は今、寄生虫に入り込まれてしまった。入られてはいけない場所まで。もう戻ることができなくなってしまったことに、彼は気づけていない。




