20220613
母の日と父の日。日本人は感謝が美徳の社会性なので母と父に感謝しようと言われたらせやなとなるだろう。母の日が反戦(厭戦?)的な活動の延長にあり、父の日はそれに乗っかってできたというのを見ると、カーネーションの色が赤なのは、古い日本人の感覚としては違和感を覚えるので白のカーネーションでいいんじゃないのかとか思ったり。ジェンダー問題に関心の高い人は母、父の日をジェンダーの押しつけと非難して潰していかなくていいのか、父の日は母が亡くなって男で一つで育ててくれた父に感謝がきっかけだぞ、これこそ父親が子育てするのなんて当たり前で子育ての前に乳も母もないとか何とか言っとけばいいのに。そもそも兵士として男手が奪われるのジェンダー的におかしい、女手も奪うべきだって声を上げればいいのに。そして次世代がいない世界に。
なろう系でたまに飯テロ飯テロとか言って盛上る感想欄を読むけど、飯テロシーンは読み飛ばし気味にさっと流します。おいしい物をそんなに食べてないんだろうなっていうのが気になってしまうので。その最たるものが塩味の否定です。お握りで一番おいしいのなんですかと聞かれたら塩むすびが一番で勝つでしょう、そういうことなんです。かつて私が通っていた米屋のお握りは、おひつに一つ分のご飯を入れて、塩水を霧吹きでしゃっと振りかけてしゃもじで切るように混ぜてから握っていました。そこの塩むすびが一番ですね、結局米がうまいんですよ、塩で。塩梅って奴ですね。そういう体験に乏しいのに飯テロシーンを流行りだから書くんでしょうけど、内在している貧しさしか描けてないのです。書を捨てよ町へ出よう、そしてそれをもって書きましょう。
という事を言うと殺人者を描くのは殺人しないと無理なのかという話を持ち出してくる人がいますが、飯テロに必要な味の共感は各人が己で体感しうるものであるものであり、物語の殺人者は別に体感の共有なんかいらないわけですよ。どんだけ妄想で人殺しになりうるかでしょう、そういうので言うとよく人を殺しちゃったげろげろげろーっていう表現を安易にする人がいますが、殺したって今時の子を「ああー、死んじゃった(CVうえだゆうじ)」(ビバップの映画より)ぐらいなもんでしょう。なんかねちっこく表現したがるけどお前それみじんも思ってないだろうっていうのが透ける、もっと想像しないのか。
業務スーパーで鍋に弾丸を受けながらでこれじゃないと言われていたハルヴァを買う。ああこういう感じね。はちみつとバターを混ぜてちょっと置くと蜜蝋っぽくしゃりっとしてくる、あれに色々混ぜこんで油分と糖分を蜜とバターじゃない何かにすればそれっぽくなる、のか?
業務スーパーで外国の怪しげなお菓子類を買って思うのは、乾燥剤が入ってないのが多いという事です。こんな多湿な場所は想定してないんでしょうね、異国だわ。




