そうは問屋が卸さない
紹介文では“断頭台に立つまでの物語”と言った。
台で断頭されるとは言ってない(キリッ
いつまで絶ってもこの世から離れる衝撃は訪れない。
瞑っていた目を薄っすら開けば、斧は頭から少し離れた場所に突き刺さっていた。
びっくりして顔を上げれば、処刑人は目出し帽をとった。
「失敗したな。やはり慣れぬことなどするのではないな」
思わず声をあげた。カナン国王、セオフィラス陛下だ。なんで。
「陛下、幾ら処刑人が陛下の代理と称されるからと言って、処刑人の代理を王がなさるのは無理があるのでは?」
「そうは言っても、ギロチンが発明されてから旧時代の処刑人は廃業して久しい。
間に合わせの者を処刑人に指名するわけにもいくまい」
王は見当違いの所に刺さったままの斧を一瞥する。
「しかしチェンバレンよ、こういう場合はどうすれば良い?」
「そうですな。王が失敗したなどあり得ぬことです。
レアード侯爵令嬢はここで死んだことにしましょう。名も、地位も、継ぐべき財産も全て没収です」
疑問符で頭が一杯の私を後目に、王と大法官は呑気に会話をしている。
「ほう。では、こやつは何だ?」
「申し遅れました。この者は新しく養女にとりました娘です。
以後お見知りおきをお願いします」
失敗? 養女? 何を言っているのだ。
「お待ちください。国王陛下、私も私の父も許されざることを致しました。
罪人には罰を与えねば国が乱れます。すぐに私を処刑なさってください」
チェンバレン伯爵は呆れ顔で小突く。
「長く裁判をやってきたが、自分を処刑しろなどと言う死刑囚は初めて見たぞ。
命が助かったことを素直に感謝せぬか」
国王陛下も腕を組み、溜め息をついた。
「そなたの言い分は最もだが、処刑を止めねば国を亡ぼすと言い出した馬鹿がいてな」
‡ ‡ ‡
宮殿内、王族の居住スペースの一つ。密談にもよく使われる書斎で王と大法官は顔を合わせた。
「で、チェンバレン、余にわざわざ時間をとらせたのは何の為だ」
「陛下のお呼び出しだったのではないのですか?」
首をかしげる王と大法官の前に、隠し扉から姿を現す。
「お二人をお呼びしたのは僕です」
王でもあり父でもある男は、僕の顔を見て全てを察したらしい。
「まだあの娘に拘っているのか」
当然だ。諦められるわけない。
「本日のお話は国の存亡にかかわることです」
「随分大きく出たな」
横から茶化すチェンバレンに頭を下げてみせる。
「チェンバレン伯爵、元レアード領の領主に内定したそうですね。おめでとうございます」
「軟禁されていたわりに耳が早い。所詮、キサマが成人するまでの中継ぎだがな」
妥当な人事だ。チェンバレンは今回の逮捕劇で功績を上げた。有能だが無欲な人物で、僕が成人したら現レアード領を手放すことを約束してくれる。
その程度には父の信頼も厚い。
「ですが果たして、無事に領を治められるでしょうか」
厳つい眉間に更なる皺が寄る。
「どういう意味だ」
「領民にはリズベスを慕う者も多いと聞きます。監獄塔の前に領民らが詰め掛けたのは記憶に新しいことでしょう。
彼らは、新たな領主がリズベスの罪を裁いた人間と聞き、どう思うでしょうか」
一枚の紙を出す。新しい領主は私利私欲のために無実の令嬢を殺した酷い男だとある。こう言うのは、正しさよりもどれだけインパクトがあるかだ。
「領ではこのようなビラが出回るかもしれません。レアード領は近年の改革で識字率も高い。
民たちは一斉に蜂起するやもしれません」
「どの立場で物を言っているのだ、扇動者めが。今回の人事を領民はまだ知らぬ。このビラとやらはキサマが配るのであろう」
僕は否定も肯定もせず曖昧に微笑む。
「そうですね、王子である僕が旗頭になれば騒ぎは大きくなることでしょう。領館を襲うくらいのことは仕出かすかもしれません。
王都に近い領では謀反を疑われるのを避けるため、最低限の兵しか持てません。元レアード侯爵もそうでした。
館に不意に群衆が押し寄せて来ても、とても人手が足りません。地の利のある元使用人たちも加わるでしょうし、制圧は容易いでしょう」
王子である僕の顔見せは、収穫祭の劇で済んでいる。偽物扱いはされまい。
領民のリズベスを思う気持ちは強い。火種を投げ入れれば弔い合戦くらいのことは仕出かすかもしれない。
「勿論、これだけでは終わりません。騒ぎを聞きつけた革命予備軍も駆けつけるでしょう。
現状に不満を持つ彼らの矛先は、隣国の革命のように現政府、王都へと向かうでしょう」
壁にかかっていたカナン王国の地図をなぞる。
「進路は隣の子爵領を通りましょう。我儘な令嬢に不満がたまっている地域ですから。
次は少し遠回りになるますが、こちらの伯爵領。今年は小麦が不作と聞きます。先行きに不安を抱く者も多い。
王宮につく頃には、十万人くらいにはなっていますね」
父が乾いた笑い声をあげる。
「所詮、机上の空論だな。不意打ちの領館への襲撃は防げぬかもしれんが、王都へ進軍する前に軍隊で鎮圧だ」
「おやおや、老若男女に武器を振るうのですか? 批難を声高に叫びましょう。政府へ不満がたまるでしょうね」
「必要とあらばやむを得まい。宮廷魔術師も派遣して徹底的に叩きのめす」
流石、為政者の父の言葉は揺るぎ無い。
「ええ。戦闘魔術の練度は王宮魔術師に分があります。
そこで、武力の差を埋めるのがこれです」
僕は持参した長い筒状のものを掲げる。
「父上は僕が魔法陣の研究のために隣国に留学したのはご存知ですよね。
僕は今後この国で魔法陣製品を生産するにあたり、ネックである暴発を防ぐことを中心に研究していました。
裏を返せば、どのように暴発させるか、と言うことです。その逆のことをすれば良いのですからね。
これは、その研究の副産物で生まれたものです」
魔力暴発を何かに利用できないか。リズベスに相談したところ、他国の狩猟に使われる銃と言う武器を紹介された。
魔法には劣るので、兵器としては使えない。そのため、我が国には広まってないが、これを組み合わせてみてはどうかと。
肩に構え、撃鉄を引く。開いた窓から飛び出した銃弾は、庭園の遠くに見える樹に大穴を開けた。
少しして樹の上部が傾ぎ、音と共に地面へ落下する。
「暴発の研究をしていた僕にとって、どうすれば威力をより強められるのか考えることは朝飯前です。
この筒状の棒……銃は中に込められた鉛の弾を高速で外へ押しやります。
着弾すると刻まれた魔法陣が魔力暴発を引き起こします。
飛距離は使い手によりますが、だいたい二百メートル。爆風に巻き込まれず、遠方の使い手は安全な設計です。
威力はご覧の通り、実証済みです。魔力さえあればこの銃は扱えます」
貴族は幼少の頃から魔術の制御を訓練する。より複雑で高度な術もお手の物。だから優位を保ってこられた。
しかし、純粋な魔力量は平民も貴族もそう変わらない。
「魔力量が平均的な僕が使って今の威力ですから、平民も簡単に扱えるでしょう」
父と伯爵は初めて見る脅威に未だ言葉も出ないようだ。
彼らは気づいているだろう。
これが出回れば、今までの戦争の形が変わる。強力な魔法使いが一人で戦場を左右する形から、単純な量の戦いへと。
「レアード領は魔法陣製品の生産の盛んな地域ですから、一月もあれば何千丁と生産できるでしょう。
ネックになるのは、材料。鉛や鉄は手に入るとして、問題は貴重な魔鉱石ですが……。
そう言えば押収品、運び出すのが危険だからってまだレアード家にあるんでしたっけ。丁度良い、襲撃して手に入れましょう。
準備はできています。合図で館を襲う手筈です」
レアード家の元使用人のジェシーは、孤児たちを連れて領に戻っている。
家主のいない屋敷の見張り、数は少ない。子どもとは言え魔力の訓練はできているし、容易く覆せるほどの戦力差だ。
「王都まで行けば終わったも同然です。
王都内にも不満を持つ民衆は少なからずいます。
内部の手引きで城門を開け、大通りから堂々と王宮へ向かいましょう。
兄上のような天才的な魔法使いが何人出てきても、尽きることの無い大量の銃口があればひとたまりもありません。
王宮へ押し入り、宮廷人を虐殺し、国旗を引きずり降ろし、暫定的な政府の樹立を宣言します」
最悪のシナリオに、チェンバレン伯爵は唸るような声を出す。
「そんなことでめでたく終わると思っているのか。
他国はこれ幸いとばかりに軍事介入する。
簒奪者のキサマに家臣どもはついて来ぬぞ。有象無象に国の舵取りをさせる気か」
「そんなことどうでも良い。
僕は婚約者に死なれて傷心になっているんです。国を奪うことではなく国を亡ぼすのが目的なんですから」
狂気すら感じさせる理論に、二人の政治家は気押されたように黙る。
「一年、いや半年ください。半年いただければ、この国を滅ぼしてご覧にいれます」
これは流石に癪に障ったようで、父は立ち上がった。
「冗談が過ぎるようだな。レアード侯爵令嬢の処刑が終わるまで幽閉してやる。頭を冷やせ」
「甘いですね」
冗談で片付けようとしてくれるところに父の情を感じるけど。
「父上がそうされることくらい想定内です」
途端に周囲の景色が変わった。室内に控えていたはずの近衛は床に伏している。
同時に、唐突に現れた黒ずくめの男が、道化人のような大袈裟な礼をしてみせる。
「護衛は無力化させていただきました。逃走経路も確保済みです」
父はすとんと腰を下ろし、額を抑えた。
「本気か?
留学するとき、お前は国のために尽くしたいと言った。
そのお前が、兄を、父母を誅し、国を亡ぼすと?」
「必要とあらば」
国を脅かす罪、例え企てただけでも適用される大逆罪。僕の今の発言はレアード侯爵以上の大罪だ。
たった今、信頼を全て失った。今までの通りいられない。毒杯を賜るくらいはされるかもしれない。
それでも良いと思った。
自分の夢を粉々に壊しても。
大事にしたかった民を苦しめても。
兄を殺す罪を負っても。
母の愛情を失っても。
期待してくれている父を失望させても。
全部捨てたって良いと思えた。
彼女を救えるなら。
「それともこの場でお二人を殺害して、もう少し時計の針を早めましょうか」
悪辣な軽口を叩く僕を、同色の瞳がじっと捉える。
「そこまでする価値がある女か?」
僕にとっては。言おうとして口をつぐむ。
親である前に王である父だ。求めているのは私見ではない。
「彼女はこの国にとって稀有な人材です。
魔法陣製品は、彼女の助言があってできました。領の政策にも目を見張るようなアイデアがありました。
それに、彼女は領民に慕われています。
隣国で革命が起き、この国も揺れています。
今後も王政を守っていくなら、庶民に人気がある彼女は切り札になるでしょう」
「ふん、惚れた欲目ではないか」
口を挟むチェンバレンに視線を向ける。
「あなたは私的感情がなかったと?」
「何が言いたい、小童めが」
「リズベスの母親の葬儀であなたの姿を見ました。
レアード侯爵に一顧だにせず、葬儀が終わっても暫く墓標を眺めていた」
その時、この人はリズベスの母親の死を純粋に悼んでいるんだと思った。
「あなたとレアード侯爵夫人は幼少の頃、交流がありますね」
「エリーを夫人などと呼ぶな」
感情のままに吐き出した言葉に、伯爵はしまったと言う顔をした。
「騎士の家に生まれたあなたは、身体が弱かった。
狩猟にも参加できず、親戚の集まりでは、よく二人で一緒にいたそうですね」
これらは隠密行動が得意なリーパーに調べさせた。
当初は弱味を握って有利な判決を出させるつもりだったが、父の信頼が厚いだけあり、清廉潔白な人物だった。
その代わり、書斎の隠し扉の中に古い手紙が大事そうに保管してあった。
リズベスの母が書いたものだった。
「エリーは身体こそ弱いが、面倒見がよく、本を読む楽しさを教えてくれた。
法律の勉強を始めた時も、人々の役に立つ素晴らしいことだと応援してくれた。
気心もしれていたし、新しい道を示してくれた彼女に、一人前になったら結婚を申し込むつもりでいた」
初めて聞く話なのか、開き直った腹心の話に父すら目を丸くしている。
「しかし彼女の両親は、侯爵と言う肩書に目がくらみ、当時から放蕩息子と名高かった男に嫁がせた。
自分が外で浮気をすることに文句をつけない大人しい妻を、あの男も受け入れた。
あんな男に嫁がなければ、子供を生まなければ、もっと生きられただろうに」
「だからリズベスの告発状で罪を知ってから立件されるまで、類を見ないほど迅速だったんですね」
伝を使って騎士団に取り囲ませ、逃げ場すら与えず確実に捕らえた。侯爵への尋問も厳しかったと聞く。
チェンバレンは薄く笑う。
「私情など無くとも大逆罪だ。忌々しいあの男の血を引いている娘もな」
「だが、彼女の娘でもある」
腕を捲る。そこには誓いの輪が刻まれている。
「彼女に頼まれたんだ。この子を守ってと」
チェンバレンはその輪を見つめていた。視線はどこか遠かった。
「私に何をしろと?」
「リズベスを養子にしてください」
「は?何を……」
「これだけ大事になった以上、リズベスは無罪にはできません。
知らなかったとはいえ、資金提供をして王族への謀反へ加担しました。処刑に値する罪です」
「そこは異論無い。しかし、処刑の代わりになる罪と言ったら生涯幽閉か……まさか、人狼刑を受けさせるつもりか?」
誰かの物を盗んだり、誰かを傷つけたりすると罰せられる。だから人は罪を犯さない。誰でも守られる権利がある。ではその権利が無ければどうなるか。
古い資料を遡っていたら、国教会に傾倒していた信心深い王の代の話があった。国教会、つまり国の教えに異を唱えた異端の一派が、生命の代わりに人権や、財産分与権を剥奪する刑に処せられていた例があった。
通称、人狼刑。
カナンが未開の森に囲まれていた古代は、森に追放された。追放された人間は、殺しても罪には問われない。まるで人であって人で無いように。
「人狼刑に処されれば、彼女を守るものがなくなります。新たな庇護が必要です。
親戚なら養女にしても問題無いのでは?」
「そんな前例は無い! 大罪人の娘だぞ。本人も裁判にかけられ、父親が処刑されたこのタイミングで」
「無いだけで法律上は可能です」
「あってたまるか。火竜の卵を拾うようなものだ」
評判と名声が第一の狭い貴族の世界で、難癖のついた娘を引き取るなど、どう考えてもマイナスだ。
「でもまだ刑は確定していない」
それに彼はリズベスの母親に特別な感情を抱いている。娘にも情があるはず。
まだ間に合う。
何をしても間に合わせる。
「お望みとあらば、新たな誓約の輪を首に刻みましょう。
王位を狙わず、兄を助け、この国のために尽くすと」
ボタンを引きちぎり、首を晒して覚悟を見せる。
「ですからお願いです」
大法官としては大逆罪を適用して処刑するのが正しい。しかし僕は有能だし、銃まで発明して見せた。過大評価でなければ失うには惜しいはず。
父も、出来れば殺したく無い程度には愛情を持っている。
「何がお願いだ、“さもなければ国を亡ぼす”と言う脅しではないか」
チェンバレン伯爵はやれやれと首を振った。
「王よ、キサマの息子は頭の回る馬鹿だな」
「返す言葉も無い」
‡ ‡ ‡
「余も国を滅ぼしたくないので、息子の話にのることにした」
陛下はそう話を締めくくる。
荒い足音が聞こえる。苛立たし気な音だ。
視線をやれば、殿下がこちらに向かってきた。
薄いシャツを纏うその体には、新たな誓約の輪が刻まれている。
「そんなっ」
彼は何を誓ったのだろう。
一つ確かなのは、これで彼が国を導く道が閉ざされたということ。
こんなはずじゃなかった。
「王になるのがあなたの望みだったはず」
「こんなことが僕の望みだと、本気で思っているのか。
君の死を望んでいるはずがないだろ!」
殿下の、怒りに満ちた声なんて初めて聞いた。
「おおう、言いよるわ」
「陛下、いつまで居座る気ですか。仕事溜まってますから執務室に戻りますよ」
「暫し待て。後で息子をからかうネタが出来るではないか」
「人の恋路を邪魔する者は天馬から突き落とされますよ」
何その致死性。
殿下はキッと睨む。
「お二人ともお忙しいでしょ。お帰りいただいて結構ですよ。何なら強制的にぶっ飛ばして差し上げます」
二人とも肩を竦め、その場を去る。代わりに殿下はぐんぐん迫ってきた。
「君が隣にいなければ、王冠なんかに価値はない。
国より女を選ぶ僕は王の器ではない。
失望したければすれば良い」
その深い青の瞳に私が映る距離になってようやく足を止める。
「君にどう思われても」
性急に腕が伸ばされ、抱きしめられた。
「生きててくれて、良かった」
死を覚悟していたと言うのに。張りつめていた気持ちが緩む。
途端に押さえてた感情が行き場を失い、ぽろぽろ涙がこぼれていく。
「私、あなたのために何かしてあげたかったの。
せめて玉座に近づけてあげたくて。
でも、何もできなくて」
「僕のためを思うなら、ずっとこの腕の中にいれば良い」
涙が止まらない。
私で良いの。生きてて良いの。ずっと傍で。
嗚咽交じりの問いに殿下は優しく囁いた。
「君じゃなきゃ嫌なんだ」
彼の言葉に勇気づけられて、殿下の背に指を伸ばす。
お返しに息ができないほどきつく抱き締められた。
体のぬくもり。重さ。息づかい。彼の感触。
服越しに感じる彼のすべてと溶け合って。
二つの鼓動が重なり合った。




