第三章 ファティマ その①
神教圏の北中部に位置する神聖ラファーン帝国は、他の国々同様、ダーマ神教を唯一無二の国教と定めている教圈国であるが、異なる点がひとつある。
それは単一の王朝によって統治されている君主国ではなく、計十二の聖騎士団領の連衡によって成立している連合国家ということだ。
それぞれの騎士団の頭領である総長が、事実上の君主として麾下の聖騎士とそこに住む領民を統べ、その十二人の騎士団総長の中から、ダーマ教皇によって「聖都守護」に任じられた者が、ラファーン皇帝として戴冠するのである。
ゆえに「聖帝」とも称されるラファーン皇帝の地位は、終身制であるが世襲制ではない。
時の皇帝が崩御するつど、教皇庁において選帝会議が開かれ、十二人の総長の中から次の皇帝を選び、教皇がそれを承認することになっている。選君制といわれるほかの国にないこの制度は、建国来九百年間、変わることなく続いている。
ラファーン軍――十二聖騎士団連合の総兵力は五万人ほどで、これより強大な兵力を有する国は教圏内にはいくつかあるが、教皇領を守護する「聖軍」という宗教的権威を旗印とするラファーン軍は、ある意味において教圏世界最強の軍隊といえる。
ラファーン軍の最大の任務はむろん教皇領の守護であるが、ときとして教皇の勅命により教圏諸国に対して軍事行動をとることもある。
異国間による紛争、および内戦などの理由で混乱におちいった国への停戦や和平の仲介がほとんどで、実際にラファーン軍が武力行使にまでいたった例は、歴史上ただの一度もない。
教皇がラファーン軍を派遣したと聞いただけで、制裁の対象となった国は動揺し、陣頭に立てられた教皇庁の紋章入りの軍旗を見ただけで、その国の兵士は武器を捨て、戦わずして地にひれ伏すからだ。
連合軍であるラファーン軍の主力は、皇帝に選ばれた聖騎士団総長麾下の騎士団が務め、その多くは国都メサイアに駐屯している。
ダーマ神教の総本山である教皇領ファティマは、その国都の一画に領土をかまえる神教圏最小の国である。
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教皇領ファティマは、国都メサイアの中心部から北西に位置する〈洗礼者の丘〉の上にあり、領地の東西南北四ヶ所には、ラファーン軍が駐屯するための城塞が築かれている。
面積でいえば、ファティマは国都全体の五分の一ほどの大きさしかない。
その狭い国土の中に、ダーマ神教の創始者であるヨブ・ファティマの名を冠した都市国家は広がっているのだ。
ファティマの夜は静寂という一語につきる。
街中の各所には華美さをおさえた、だが、歴史の重さと建築美術の荘厳さを感じさせる建物が整然と建ちならんでいるが、通りを歩く人の姿はほぼ皆無といっていい。
夜、酒に酔い、喧嘩沙汰におよび、街中で浮かれ騒ぐような軽薄な人間は存在しないのだ。
レンガ造りの、あるいは木造りの質素な館の奥。
ランプの淡い光につつまれながら静かに書物に目を通し、紙上にペンを走らせ、神に今日一日の安穏を感謝し、葡萄酒の入ったグラスに自らの信仰を無言のうちに映す。そのような人々が住む街なのである。
その一画。
教皇領の行政府、別名「ファティマ聖庁」とも称される教皇庁の建物は、周囲を濃い緑葉樹の森に囲まれた街の北端に建つ。
ダーマ教皇の居城である「聖ファティマ宮殿」や、教圏諸国の君主の戴冠式などに使われる「聖ファティマ大聖堂」などにくらべると、教皇庁の建物は巨大でもなければ荘厳でもない。
質素な石造りの総四階建ての建物は、知らぬ者が見れば領内で働く聖職者たちの集合住居と思うであろう。だが、荘厳でも華麗でも巨大でもないこの建物こそ、四十余りの国々からなる教圏世界を統べる事実上の聖座なのであった。
この建物内で秘密の会話がかわされ、指示が下されると、各地に派遣された聖職者たちが動きだし、目撃された「奇蹟」の調査に動く。
あるいは、異端者や背教者の調査と捜索命令がひそかに発動され、対象となった者に対する苛烈な「処置」が実行される。
または、信仰心に疑問符がつけられた君主と極秘に接触し、叱責し、諭し、信仰の重要性を説き、それでも改まらないときは「病気」などを理由に王位からの退位を迫る。
ある意味において教皇以上の権力を有し、果断さと冷淡さをもって教圏の国々を統べる最強の行政機関、それがダーマ教皇庁なのである。




