エピローグ
あの日、君に会えて良かった。僕にとってあの日は荒野に光る一粒の水晶のような宝物だ。だけど、君にとっては?君は僕に会ってしまって良かったのだろうか。どうか、これ以上君と僕の時間が重なりませんように。そう願っていたはずなのに。
弥彦に“それ”が見えるようになったのは、中学2年生の時であった。友達と一緒に家へと帰る途中、コンビニ前の街路樹の陰に、“それ”はいた。おぼろげな輪郭であったが、“それ”は、かつて博物館で見た、ツキノワグマとオオカミの剝製が混ざったような姿をしていた。黒よりもなお黒い体の奥で、目と思われる青色の二つの球体だけが、怪しく光っていた。“それ”と目が合った。全身が金縛りを起こして動かなくなる。“それ”が飛びかかってきた。黒くて何も見えないが、大きな口が開いているように思われた。弥彦は思わず目を閉じた。しかし、想像していた痛みは、いつまで待っても訪れなかった。代わりに妙な音がして、目を開けると“それ”はおぼろげな形を失ってただの黒い塊になり、太陽の光に溶けていった。“それ”がさっきまでいたところには代わりに冴えない服装の男が立っている。数年前に流行ったTシャツに、自然と蓄積したダメージジーンズ。背は低く、髪もところどころ薄くなっている。だが、彼の体も“それ”と同じ黒に包まれていた。彼が倒したのか。声をかけようとしたところを、友達に止められた。「おい、あいつに関わるのはやめとけ。いい年して昼間から1人で暴れてる、見るからにヤバい奴だぞ。それにお前もどうしたんだよ。突然固まったと思ったら、あんなヤバい奴に声をかけようとするなんて。」どうやら僕と彼にしか、“それ”は見えていないようだった。釈然としないまま、夕陽に促されて帰りを急いだ。どうにも不安が残り、夕食のときに母にそのことを打ち明けてみた。疲れのせいだと笑ってくれるのを期待していた。だが、弥彦の話を聞いた母は青ざめて、数年前に抽選で当てた大事な皿を地面に落としてしまった。弥彦が慌てて母の足元に目をやるが、母は皿になど目を向けていなかった。
「ああ、あなたにも見えてしまったのね。」母の足元の破片が涙で濡れていた。




