第56話 暗がりを蠢く骨と、遮断された試練の広間
地下へと続く無機質な石段を下りきると、目の前には二人並んで歩けるほどの横幅を持った、重厚な石造りの通路がまっすぐに伸びていた。
地上の平原とは打って変わり、肌を刺すようなひんやりとした湿気が満ちている。
壁面を構成する巨大な石ブロックの隙間からは、微かにカビと古い土が混ざり合った独特の匂いが漂っていた。
「トオル君……すごく冷えてきたね。足元、気をつけて……」
「ああ。アキラは背後を警戒しながら、俺のすぐ後ろをついてきてくれ」
後ろを歩くアキラが掲げる松明の炎が、チチと音を立てて爆ぜ、ゆらゆらと不気味な陰影を周囲の石壁に投じていた。
俺は前衛としてモンスターの不意打ちに備え、『疾風の剣』の柄を右手で握り、左腕の『木の丸盾』を構えながらゆっくりと歩を進める。
この地下通路は基本的に一本道のようだが、途中で直角に折れ曲がる曲がり角が存在していた。
角の先は松明の光が届かず、深い闇が溜まっている。
「……ここは少し警戒が必要だ。角の死角から飛び出される可能性がある」
「うん……わかった」
ソロでダンジョンを探索していた頃は、声など出さず黙々と前進していた。
だが、こうして背後を守る仲間がいる以上、当たり前の警告であっても明確に言葉にして伝える必要がある。
こちらの足音が静寂な通路に響いている以上、気配を隠すことなど到底不可能であり、敵がいるとすれば――とっくにこちらの接近を悟られているはずだ。
ならば、無駄に沈黙を守るよりも、声による意思疎通でアキラの警戒心を高める方が遥かに合理的だった。
最初の曲がり角に差し掛かり、俺が左足を踏み出した瞬間だった。
暗がりからカタカタと不快な骨の擦れ合う音が響き、不気味な影が跳び出してきた。
『スケルトン・スクラップ(腐食された骸骨兵)』だ。
* * *
この地で命を落とした兵士の残骸に、ダンジョンの魔力が宿ったアンデッド。
身に纏う鎖帷子はあちこち錆びついて半壊し、乾いた肋骨が剥き出しになっている。
その骨張った両手には、刃の欠けた古びたサーベルが握られていた。
「ギチチ……」
暗い眼孔の奥に淡い赤火を灯したスケルトンが、欠けたサーベルを振り上げ、俺の脳天へと振り下ろしてくる。
俺は冷静に敵の動作を見切り、左腕の『木の丸盾』を斜め上方へと突き出した。
――ガツンッ!!
硬い金属音が打撃音と共に響き渡る。
『戦士』の耐久(+4)と筋力(+4)、さらに大地のブーツの補正により、俺の体幹は微動だにしなかった。
相手の腕から伝わる衝撃を難なく受け止め、そのまま盾の面で力任せに押し返す。
「ガ……ッ!?」
バランスを崩し、無防備に体勢を崩したスケルトンへ、俺は右手の『疾風の剣』を真横に振り抜いた。
常時【斬撃付与】の青い光が弧を描き、錆びた鎖帷子ごと乾いた腰骨を一刀両断する。
――ジャリッ、ガラガラガラッ!
上下に真っ二つに切断された骸骨兵は、仮初めの命を宿らせた魔力を失い、ただの骨の小山となって石畳の上へ崩れ落ちた。
「……ふむ。外にいたバッタ(ブロートホッパー)の方が、よほど手強かったな」
崩れ去った骨の残骸を見下ろし、俺は思わず感想を漏らした。
実体のある筋肉や体液を持たない分、アンデッドは質量が軽く、衝撃に対する耐性が低い。
動きも単調でキレがなく、こちらの防御を崩すほどの脅威は感じられなかった。
装備していたサーベルが通路に落ちている。
「すごいねトオル君、一瞬だったよ……!」
「油断は禁物だ。弱いと言っても、この手の魔物には肉体的な限界や疲労はないからな」
口ではそう答えつつも、俺は手応えのなさを確信していた。
落ちていたサーベルを拾い、アキラに声をかける。
「これをアキラのアイテムボックスに入れておいてくれないか?」
大した値にはならないだろうが、拾って持ち帰っておくに越したことはない。
アキラもアイテムボックス持ちだ。
彼女が仲間になったことで、パーティ全体の容量も増えた。スキルを扱う練習にもなるし、ちょうどいい。
「うん、わかった。アイテムボックスって、実は初めて使うんだけど……んっ……あっ、これ、結構きついね」
「……最初はな。すぐに慣れる」
サーベルを異空間に収納したアキラの仕草が妙に艶めかしく、つい視線を奪われてしまったが――ここはダンジョンだ。
余計なことに気を取られないよう、意識して前へ向き直る。
気を取り直して、一本道をさらに奥へと進んだ。
* * *
途中にいくつもあった曲がり角で、その都度潜んでいたスケルトンが単体で襲いかかってきたが、すべて初撃を盾で受け流し、カウンターの一閃で骨の小山へと変えていった。
やがて、通路の天井が高くなり、広大な地下の大部屋へと足を踏み入れた。
その部屋は、地上と同じように無秩序な巨石が幾重にも転がり、深い影を作っている。
最奥の中央には重厚な意匠が施された大きな宝箱が沈黙を守るように据えられ、その両脇では巨大な石造りの篝火が赤々と不気味な炎を燃え上がらせていた。
(ここがボス部屋か。地上の遺跡も迷宮扱いだから全部で二階層。道中の魔物もさほど強くなかったし、初心者用と言われるのも納得だ。難易度は『微睡の洞窟』の方が高い――)
俺がこのダンジョンを分析した、まさにその瞬間だった。
――ズズズズズ……ドスンッ!!
地鳴りのような重低音と共に、俺たちが通ってきた入口の頭上から巨大な石扉が落下し、退路が完全に遮断された。
「ええっ……!? うそ、閉じ込められた……!?」
唐突に退路を塞がれたアキラが、悲鳴混じりの声を上げて振り返り、狼狽える。
「落ち着け、アキラ。これは試練の女神が作ったダンジョンの決まった仕様だ。敵を全滅させれば扉は勝手に開く」
俺は冷静に振り返り、彼女の目を見て説明し、パニックを制した。
これは一度、『微睡の洞窟』で経験しているカラクリだ。
慌てる理由はどこにもない。
直後、部屋の中に点在する巨石の影から、カタカタという乾いた音が重なり合って響き始めた。
* * *
影の暗がりから、スケルトン・スクラップが一体、また一体とゾロゾロ姿を現す。
欠けたサーベルや短槍を構えた骨の兵士たちは全部で八体。
ゆらゆらと揺れる篝火の赤光に照らされながら、俺たちを包囲するように緩やかな円を描いて距離を詰めてきた。
「ひっ……! トオル君、いっぱい出てきたよ……!」
「問題ない。対処可能な数だ」
俺はアキラを背後に庇いながら、八体の敵の動きを冷静に観察した。
集団ではあるが、連携という概念は一切感じられない。
個々の動きはやはり鈍く、ただ一直線にこちらへ歩み寄ってくるだけだ。
(知性の感じられない単調な動きだ。これなら……特質系スキル『ダブル』を使って魔力を消費するまでもないな)
俺は即座に戦術を組み立てた。
広場の中央で囲まれるのは避けるべきだ。いくら雑魚とはいえ、八体に同時に四方から群がられれば、アキラを守り切る手数が不足する可能性がある。
「アキラ、その場から動くなよ」
「えっ……? トオル君!?」
俺はアキラに短く指示を出すと、単身でスケルトンの群れへ向かって駆け出した。
敵集団の傍にある大きな岩を背にして剣を構える。
背後を堅い岩でふさぐ背水の陣。これで後方の死角を完全に消し去れる。
敵は俺の前面と側面からしか接近できなくなる。
「来い、骨ども」
最寄りのスケルトンが、欠けたサーベルを突き出しながら間合いに踏み込んできた。
俺は左腕の『木の丸盾』を前に出し、突きを確実に見切って最小限の動作で弾く。
――パーンッ!
跳ね上がったサーベルで胴体ががら空きになった瞬間、俺は『疾風の剣』を突き刺した。
みぞおち付近の胸骨を粉砕し、そのまま刃を引き抜きながら首筋を水平に切り払う。
ガラガラと一体が崩れ落ちるのと同時に、次の一体が右側から短槍を繰り出してくる。
岩背の体勢を維持したままステップを踏まず、盾で槍先を叩き落とし、返す刀で両足を一刀両断にした。
一体ずつ、確実に狭い間合いへ引き込んでの処理。
相手の攻撃はキレがなく、軌道も完全に読めるため、回避と防御に苦労することはない。
万が一攻撃が命中したとしても、『戦士』の耐久補正があれば、一撃で行動不能になるような威力ではない。
(怪我を負っても、傷薬で完治できるだろう)
テンポよく剣を振るい、シールドバッシュで骨の体勢を崩しては、斬撃付与の刃で関節や頭骨を破砕していく。
* * *
二体、三体、四体――。
作業のように淡々と、敵の数を減らしていく。
包囲網を築く前に各個撃破されたスケルトンたちは、反撃の機会すら得られないまま、次々とただの骨の小山へと変わり果てていった。
そして――。
最後の八体目の頭骨を『疾風の剣』の柄頭で強く叩き潰すと、部屋の中に静寂が戻ってきた。
周囲には、散らばった骨と錆びた武器の残骸が転がっているだけだ。
――ゴゴゴゴゴ……ッ!
沈黙が訪れた大部屋の入口で、退路を塞いでいた重い石扉がゆっくりと持ち上がり、通路への道が再び開かれた。
「ふう……終わったか」
俺は剣に付着した骨の粉塵を払い、息を整えた。
(本当にあっけなかったな……。まあ、この街の周辺で最も難易度の低い初心者向けダンジョンだし、相手がただのスケルトンならこんなものか)
自分自身の成長と、戦士としての肉体スペックの向上を実感しつつ、俺は背後の岩場から離れてアキラの元へと歩み寄った。
アキラは両手で握りしめた松明を構えたまま、目を見開いて呆然と部屋の中央に立ち尽くしていた。
八体の魔物を一人で、しかも傷一つ負わずに短時間で全滅させた俺の戦闘力を前に、彼女の胸中には言葉にならない驚嘆が広がっているようだった。
「大丈夫か、アキラ」
「あ……うん! トオル君、すごすぎるよ……! 本当に一人で全員倒しちゃうなんて……!」
彼女の瞳には、圧倒的な強者への深い尊敬と、頼もしい主人への揺るぎない服従の色が濃厚に宿っていた。
この分なら、彼女の『好感度』と『隷属度』をカンストさせるという裏の目的もすぐに果たせるだろう。
「言ったはずだ、落ち着いていれば問題ないと。さあ、目的のものを回収するぞ」
俺はアキラに微笑みを返し、部屋の最奥――二つの篝火の間で静かにたたずむ重厚な宝箱へと足を進めた。




