第51話 新スキルと可視化された従属度
石造りの重厚な壁に囲まれた室内に、かすかな藍色の光が差し込み始めていた。
窓硝子の向こうでは、職人街の静かな朝靄がゆっくりと蠢き、夜の冷気がひんやりとした空気となって室内を満たしている。
時刻はまだ朝の五時といったところだろう。
俺は静かに目を覚まし、視界を少しずつ明瞭にしていった。
体に掛けられた分厚いシーツの温もりの中で、すぐ隣から規則正しい、ひどく穏やかな寝息が聞こえてくる。
アキラだ。
明るいブラウンのウェーブがかった髪が、枕の上に無防備に散らばり、その隙間から赤みを帯びた幼さの残る寝顔が覗いていた。
(ぐっすりと眠れたようだな。良かった)
奴隷商で俺に購入され、風呂場での強固な「所有権」の提示、そして上質な食事と温かいベッドでの庇護。
怒涛の展開によって完全に緊張の糸が切れたのだろう。
彼女は驚くほど深い眠りの底に沈んでいた。
俺は自分の体温を確かめるようにゆっくりと上体を起こすと、掛け布団から覗く彼女の胸元へとそっと手を伸ばした。
服越しに触れる、柔らかく確かな肉体の感触。
そのままわずかに力を込めて軽く揉んでみるが、アキラは「ん……」と小さな吐息を漏らして身を縮めさせただけで、目を覚ます気配は一切なかった。
自分を買い取った主人であり、絶対的な支配者である俺が隣にいるというのに、この警戒心のなさだ。
彼女の精神が、俺の庇護下に入ることでどれほど強力な安らぎと依存を得たかを物語っていた。
* * *
俺は小さく息を吐き、静かにベッドの端へと移動して腰を下ろした。
シーツが擦れる微かな音を立てながら、意識を自分の内面へと集中させる。
思考の海を深く潜るようにしてシステム領域を呼び出すと、視界の網膜上に半透明のステータス画面が静かに展開された。
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名前:トオル(常盤 透)
剣士 レベル:7 ( 戦士 レベル:5)
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HP:65 / 65 MP:35 / 35 (+10)
筋力:18 (+3) 耐久:14(+3)
敏捷:15 (+6) 技量:22 (+7)
魔力:12 (+3) 幸運:10
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固有スキル:
【女たらし】 【奴隷使い】
スキル:
【鑑定】 【アイテムボックス】
【剣術:Lv.8】
称号:
【オルト村の英雄】 【バザルの卑劣漢】
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ボーナスポイント:10
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『疾風の剣』や『風のマント』をはじめとする装備群の補正が、ステータス数値の上に明確なプラス表記として反映されている。
これだけの補正があれば、一般的な冒険者をはるかに凌駕するスペックを発揮できるはずだ。
そして、俺の視線は画面の最下部に鎮座する『ボーナスポイント:10』という数値に留まった。
(……そろそろ、使っておくべきか)
オルト村を出てバザルに到着するまで、このポイントはずっと温存し続けていた。
この大都市バザルで腕の立つ前衛や魔法使いといった仲間を雇い、そのパーティバランスや不足している能力に応じて割り振るのが最も合理的だと判断していたからだ。
だが、事態は予期せぬ方向へと転がった。
手に入った唯一の仲間は、戦闘能力を一切持たない同級生のアキラただ一人。
戦力としては計算できず、むしろ戦闘においては防衛対象となる存在だ。
当初の予定が狂った以上、限られたリソースの使い道を再構築しなければならない。
アキラを死なせずにダンジョンを攻略するためには、パーティ全体の耐久力を跳ね上げるような、防御補正にポイントを振るのが最も堅実な選択肢に思えた。
俺は割り振り可能なスキルのリストを、上から順にスクロールしながら熟考を重ねた。
その時、リストの最下層、以前確認した時には存在しなかった見慣れぬ項目が目に飛び込んできた。
『特質系スキル』
「なんだこれは……?」
思わず口の中で小さく呟き、意識を集中させて【鑑定】を試みる。
しかし、普段なら詳細な解説がポップアップするはずの領域には、不鮮明な霧がかかったような曖昧な表示が出るだけで、具体的な効果は伏せられたままだった。
消費ポイントは「10」。
手持ちのボーナスポイントを完全に使い切る額だ。
説明がない能力に全ポイントを注ぎ込むのは、リスク管理の観点から見れば極めて愚かしい賭けと言えた。
堅実に攻撃や耐久の能力を底上げする方が、冒険者としての生存率は確実に向上する。
だが、俺の根底にある「自分を試したい」という探求心と、異世界の未知なるシステムへの興味が、冷徹な理性の下で静かにくすぶっていた。
10ポイントという巨額の対価を要求する以上、ゴミのような能力である可能性は低い。
惹かれる「特質」という概念。
俺は数秒間の長考の末、合理的な計算よりも直感と探求心に従う決断を下した。
『特質系スキルを取得しますか? ―― YES』
意識の中でYESを選択した瞬間、体内の魔力が一瞬だけ不気味に揺れ動いた。
ステータス画面のボーナスポイントが「0」へと変化し、代わりにスキル欄の横に新たな項目が刻み込まれる。
* * *
【特質系スキル:『ダブル』】
直後に頭脳へ流れ込んできたのは、その能力の使用手順と詳細な概要だった。
『ダブル:魔力を消費し、一定時間、使用者と全く同等のステータスおよび能力を持つ実体の「分身」を一体生成する』
その説明を脳内で咀嚼した瞬間、俺の胸の奥で熱いものが跳ね上がった。
(……当たりだ。それも、とてつもない大当たりだ)
幻影や残像の類ではない。「実体」を持つ分身だ。
単純計算で、俺という戦闘単位が倍に増えることを意味している。
剣術レベル8による精密な斬撃、常時【斬撃付与】の乗った攻撃が、同時に二方向から襲いかかる。
前衛で敵の攻撃を受け止めながら、もう一人の自分が側面に回り込んで喉元を抉るという挟撃が可能になるのだ。
さらに言えば、アキラを背後に庇いながら戦う場面においても、一体を彼女の専属護衛として配置し、もう一体の自分で敵の群れを殲滅するという理想的な布陣が組める。
戦術の選択肢が、これまでの何倍にも跳ね上がった。
* * *
俺は湧き上がる興奮を冷静な呼吸で鎮め、視線をベッドの上へと戻した。
朝の微光の中で、アキラは相変わらず無防備な姿で眠り続けている。
(……さて。この隙に、確かめておくか)
これまで俺は、アキラに対して【鑑定】の深層使用を意識的に避けていた。
不必要な情報探索は相手に違和感を与え、反発を招くリスクがあったからだ。
だが、深い眠りの中にある今であれば……。
俺は精神を研ぎ澄まし、アキラの胸元へと【鑑定】の意識を深く潜り込ませた。
視界の端に、彼女の基本的なステータスと共に、秘匿された感情パラメータが数値となって浮かんできた。
軽く鑑定して時は、魔力18、幸運23と表示されていたが、今回は魔力:14(+4)幸運:19(+4)となっている。どうやら魔法使いの職業補正は魔力と幸運に+4するようだ。そして――
『好感度:69』
『隷属度:84』
表示された二つの数字を目にした瞬間、俺の口元が無意識にわずかに緩んだ。
好感度69。
これは単なる「同級生」という枠を遥かに超越した、強い好意を現す数値だ。
そして、隷属度84。
彼女の精神はすでに逃げ場のないレベルで俺の支配を受け入れている。
80を超える隷属度は、もはや自主的な逃避や裏切りの選択肢すら頭に浮かばない領域と言ってよかった。
昨夜の冷徹な「所有権」の宣言と、それと対になる圧倒的な庇護が、期待通り……いや、それ以上の精度で彼女の心を絡め取っていた。
(完璧だな。これなら実戦に連れ出しても問題ない)
数字による確証を得て、俺が満足感と共に【鑑定】の干渉を解除しようとした、その時だった。
精神への強力な魔力干渉を本能的に察知したのか、アキラの長い睫毛がピクリと揺れた。
「ん……っ……」
俺は慌てて視線と意識を切り離し、何事もなかったかのように立ち上がろうとした。
しかし、アキラの目がゆっくりと開き、薄暗い部屋の中で俺とバッチリ視線が交差してしまった。
* * *
寝起きでまだ頭が回っていないのか、アキラはパチパチと何度か瞬きを繰り返した。
やがて、自分が全裸に近い無防備な姿でベッドに転がり、それを俺にじっと見つめられていた状況を理解したらしい。
「あ……っ、お、おはよう、トオル君……っ!」
アキラの顔が一瞬にして真っ赤に染まり、彼女は慌てて掛け布団を胸元まで引き上げた。
寝顔を至近距離で観察されていた羞恥と、昨夜の密着の記憶が蘇ったのだろう。
彼女は視線を泳がせながら、小さくなって肩をすくめている。
その照れくさそうな、しかし隠しきれない親愛の情が含まれた反応を見て、俺は自分の感情を一切表に出さず、いつもの淡々とした声で応じた。
「ああ、おはよう。よく眠れたようだな」
「う、うん……すごく、ぐっすり寝ちゃった……」
彼女は布団の中から顔だけを出して、申し訳なさそうに、だが嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔には、昨日まで彼女の眼光を曇らせていた将来不安――奴隷商での恐怖や絶望の影は、もはや一切残っていなかった。
「身支度をしろ。下に降りて朝食を済ませたら、すぐにこの宿を出る」
「えっ、チェックアウトするの?」
「ああ。冒険者ギルドで最新の情報を確認し、そのままダンジョン攻略へ向かう。準備に時間をかけるつもりはない」
「うん、わかった! すぐ用意するね!」
アキラは元気よく頷くと、俺に背を向けて慌ただしく服を着替え始めた。
そのテキパキとした動作には、俺の指示に対する一切の疑念や躊躇が含まれていない。
『隷属度84』という数値の正しさを、彼女の行動そのものが証明していた。
* *
身支度を終えた俺たちは、一階の食堂へと降りた。
早朝の食堂には、まだ他の客の姿はなく、無口な女将が黙々と厨房で仕込みを行っていた。
俺が差し出した胴貨と引き換えに運ばれてきたのは、焼きたての香ばしい白パンと、温かい野菜スープ、そして香草で臭みを消した魔獣肉のローストだった。
アキラは昨夜と同じく、その温かい料理を噛み締めながら、幸せそうに頬を緩ませていた。
腹を満たし、体調が万全であることを確認した俺たちは、女将に部屋の真鍮鍵を返却して宿を出た。
重厚なオーク材の扉を開けると、バザルの朝の冷気が一気に全身を包み込んだ。
通りにはまだ人通りが少なく、職人たちが朝の作業を始める槌音が、静かな街にコーンと心地よく響き渡っている。
財布の中には金貨10枚、銀貨69枚、銅貨73枚。
そして、新たに手に入れた特質系スキル『ダブル』と、仲間のアキラ。
「行こう、アキラ」
「うんっ、トオル君!」
俺の後ろを一歩引いた位置で、しっかりとついてくるアキラの足音を感じながら、俺たちは朝日が登り始めた街を抜け、冒険者ギルドへと向かって歩き出した。




